“ヴィーナスの丘”と褥の皺と [2]

Royal Dutch Shellの商標登録されたマークにも見られるような簡略化された形状を通して、図像のもっとも元型的な成分は純粋に抽出される場合がある。そしてそれら簡略化された図像は、拙論『Ω祖型とは何か』でも論じてきたように、いずれも「世界の超歴史的回帰(周回性)」を示唆する記号としての役割を果たしている。あるときは刈り取られ束ねられた麦の穂のような、あるいは鍵穴のような、そしてあるときは貝殻のような「Ω」の形状を通して。だが、そうした重要な意味合いを含む「Ω」状の図像のなかでも、このたび取り上げる貝殻には一見それとは無関係な、以下に述べるような無視できない別側面がある。それは性愛の神ヴィーナス(アフロディーテ)との関係である。


ヴィーナスと貝殻は、図像史的には近親の関係にある。これはすでに広く受け入れられた認識であろう。海の塩水によく潤いを与えられた貝のような軟体動物が、古代より女性器への連想を喚起してきたために「性愛の神 ヴィーナス」と結びつけられたというようなことはありそうなことで、ひとつの説としてある程度の説得力を持つだろう。または真珠貝のようにその内に輝く宝物を抱いているというイメージも、女神の奥ゆかしい「しとやかさ」との連想を醸成したのかもしれない。あるいは肉体をしっかりと堅い甲羅で護るその二枚貝の在り方に、女性に期待されたひとつの美徳のイメージが、古来から父権至上的な伝統世界において託されてきた可能性もある。

ヴィーナスの話に本格的に入っていく前に、女性性と象徴的「貝」との関連を論じるに当たって簡単に言及しておいても無駄ではない話がある。

スポンジケーキの一種「マドレーヌ Madeleine」は、やはり伝統的に放射状の縞々の貝殻模様が特徴的である。バターの芳醇な香りを放つその菓子の黄色みがかったオレンジ色は、シェル石油のトレードマークさえ連想させるが、なによりもその甘い菓子が「マグダラのマリア」と同じ名前を持っていることは極めて示唆深い。

Madeleine cake

一説にはポーランド王、スタニスラフへのもてなしに作られたとも言われ、発案者の名前、マドレーヌ・ポミエにちなんで付けられたことになっている。いずれにしても(これは後に見るように重要な点であるが)その出所はフランスであり、コメルシー地方の伝統菓子であることに違いはなさそうである。

発案者の名前がマドレーヌであったというのは史実としてはありそうなことで、常に問題となる物事の由来についての解答のひとつとしてはもっとも差し障りのないものと言えよう。だが、これも正統と異端の間に発生するある種の緊張感の顕われの現象の一例ということもできよう。正統的な説明は常に、それが「正統なものである」という裏付けによってより広い人々の間における記憶の固定化に資するが、最も本質的な理由というものは簡単に共有できず、そうした顕教的で「正統」な教えの裏に真意は隠される宿命にある。発案者の名前がマドレーヌであったということは偶然に過ぎなかったかもしれないにせよ、その形状の菓子とその名前を後世に残すという目的の達成に口実を与えるに充分であった。もしその逸話が信じうる話だとしたらそれはむしろ拙論が繰り返し説いているまさに神秘的な暗合と言うべきであろう。

参考サイト

Madeleine マドレーヌ

リンク

お菓子のマドレーヌはなぜ貝の形?

歴史的真相はどうであれ、重要なのは「マグダラのマリア」を連想させる名前を持つ伝統菓子の形状が貝殻であることだ。これはこの章で取り上げるに相応しいひとつの象徴的記号だ。前回取り上げたサンティアゴへの巡礼路(Santiago de Compostela)のひとつは、フランスのヴェズレー Vazelay に始まるが、巡礼開始地点としての同市は、サント・マドレーヌ寺院 Basilique Ste. Madleine(マグダラのマリア教会)の門前町として発祥しているのである。

Vezelay to Santiago

脱線を覚悟でここで一旦立ち止まって確認しておくべきことがある。

《マリア信仰》はカトリック教化されたいわゆるラテン地域に広く見出される。だが、むしろそれがキリスト教化される以前の土着の慈母神/地母神への信仰を偽装したもので、キリスト教化の早道としてカトリック教会が布教の便宜を図り眼をつぶったものだと説明できる面がある。一方、イコンとしての聖母マリア像は同時にマグダラのマリアの像と重なる部分がある。明らかに傍目から見て瓜二つに描写される二人のマリアを対称に配置することで、二者のその対称性と相似性が強調されてきた。また、「我らが夫人 ノートルダム」と呼ばれることでどちらのマリアを指しているのかを敢えて曖昧にするというような伝統的作法さえも産み出している。後に述べることもあろうが、二人のマリアについての作為的な混乱(攪乱)について論じるのが本稿の目的ではないので言及するだけに留めておくが、南欧の「黒いマリア信仰」などを始めとして、それらはどうやら「マグダラへの崇拝」を「聖母マリア信仰」で隠匿するという巧妙な二重の偽装構造になっていると考えることもできるのである。それは例えばフランスや地中海地方の各地に伝わる「史実としてのマグダラのマリア」の伝説*などの存在とも符合する。

* 信憑性としてはまだまだ受け入れられていない説であるが、聖書に関わる近年の一連のスキャンダルでも広く知られるようになった「史実」としてのマグダラのマリアが、生き延びた人の子イエスと婚姻しフランスのどこかで暮らし子孫まで残し、そこで死んだというような話。(筆者は聖書における登場人物の《歴史的事実としての信憑性》よりも、広く信仰されることによって人心に定着し「既成事実化した」民間伝承や聖書の物語によって、役割を与えられるに至った登場人物たちに担わされた《象徴的役割》にこそ、その存在の真意と価値があると考えるので、「史実としてのマグダラのマリアがどこで死んだか」というような命題には中心的な関心がない。その意味では使徒ヤコブが本当にスペインのサンティアゴで死んだのかどうかはどうでもよい。だがそのように広く信じられていることが重要である。すなわち、マグダラのマリアが「欧州の主にどの地において信仰の対象とされているのか」ということは、その地域とそこに住む人々(民族)に与えられた宿命や役割と重なる、という意味できわめて重要だと考えるのである。)

貝に女性性の強い暗示があることはすでに論じたばかりであるが、多くのマグダラ崇拝の痕跡がフランスに見出せるとき、フランスの伝統菓子が性愛の女神ヴィーナスを連想させる貝殻紋様になっていて、それがマグダレーナ(マグダラ/マドレーヌ)と呼ばれていることはおそらく偶然ではないのである。

だが、貝の持つこうした女性性への強い連想が女神と貝殻を結びつけたのか、それより遥か古代に溯れる、なんらかの意味不明のヴィーナスとの関連の記憶が失われて、単に性器を隠す(連想させる)ためのオブジェと化したのか、現時点では何も断定はすまいが、波模様の貝殻がヴィーナスと共に描かれる傾向にある、ある種の範型的オブジェであることは、幾つかの例を観るまでもなく広く受け入れられたものと言っても差し支えないであろう。

それはまるで受胎告知の図像に必ず共に百合の花がセットで描かれるのにも似た、ある種の絵画素描時の約束事とも言うべきオブジェクトである。

それについては次回取り上げることにする。

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