“ヴィーナスの丘”と褥の皺と [3]

隠すことは、隠される存在を前提とする。したがって如何なる隠そうとする試みも、「そこに何かがあること」を却って人に知らしめる逆説を孕んでいる。

Botticelli's Birth of Venus [1]

Rafael Galatea [2]

Adriaen Collaert [3]

Doubtful love [4]

洋の東西を問わず、多少なりとも人間は性器をそのようなもの(秘部)として扱ってきた。「隠される」ことでそれは必ずいつの日か一定の条件のもとで「晒されたり」場合によっては「共有され」さえするものに変質するのである。こうした性に対するタブーに付きものの逆説的な「法則」は、まさに隠され続けた正統的な“歴史的”事実が、《オカルト》(隠秘学)において扱われるのと同じように働いた。隠しながらもそれを確実に保存し、後世に伝えなければならないという矛盾した命題は、その秘密や証拠の破壊という選択肢をわれわれの手に完全に委ねることをしなかった。破壊せずに隠す、隠しながら伝える、というのがまさに《真性オカルト*》の本質なのである。そこに最も古い象徴主義が出現する。

* 《オカルト》の定義については、拙論「真性《オカルト》論について」を参照のこと。

KUMIKO Takeda with three shells [5] MARI Keiko with body suit [6]


また、対象を遮蔽・隠匿するための手法(作法)や道具(衣装)は、女性の秘部を隠すバタフライの様に、ひとつの芸や能に昇華し、それ自体が鑑賞されるべき対象ともなる。するとそこに何か「隠されるべきもの」があったのかさえも認識できなくなるほどの、手段と目的の転倒が起こる。隠しながら伝えるのが目的であったのだが、倒錯の果てに、隠す行為や手段が目的となるのである。

このように秘密を隠した器や装置は粋をこらした宝箱の類となり、一見した限りでは中身が置き去りにされ、多くの人々によって忘れ去られるかに見える。だが、置き去りにされたかに見える中身は、それを隠すための大袈裟な装置に込められた装飾や、それ自体の形のなかに生き続け、結局は時を超えてその中身を控え目に暗示するという役割を担っている場合がある。そして、その中身に肉薄しようとする学究が本質的な図像学なのである。

隠しながらその存在をアピールするというきわめて性的な暗喩は、まさに《オカルト的な事象》に対して行ってきた隠秘学者の関わり方と相似の関係にあるのだ。

Venus Shell in Louvre [7]

すなわち、迂遠な方法の採用によって、隠匿された女性性は、やがて「こじ開けられるべき対象」となる。そして軟体類としての貝殻の中身よりもそれを閉じ込めてきた貝殻が「収集」や「鑑賞」の対象となる。だが果たしてその中身は本当に忘れ去られたのか。「生と死」の本源たる性器を覆い隠す行為は、それを深層では却ってつよく連想させるための役割を果たしてきたのである。

[venus古典的図像]

Adolphe-William Bouguereau [8] Franz Goethe [9]

ヴィーナスと共に描かれる傾向にある波模様の貝殻は、ヴィーナスを載せればヴィーナスの生れ出た場所を暗示し、その《中身》が美の極たるヴィーナス自体であったことを直截に表現する。それは母なる存在、《性》性の頑丈な貞操装置が剥がされた状態であり、「破瓜の結末」がヴィーナス誕生の契機となることが伝達される。

Ludovisi Throne [10]

古代ギリシアの時代から「ヴィーナス・アナディオメネ Venus Anadiomene」と呼ばれる女神の「海からの誕生」を描いたと言われる作品ジャンルがある。特に、紀元前5世紀の古代ギリシアで刻まれた大理石の浮彫りは、ルドヴィシ枢機卿の収集したもののため「ルドヴィシの玉座 Ludovisi Throne」と呼ばれて古くから紹介されてきたレリーフの一種であり、ヴィーナスの姿を明瞭な形を伴って現代に伝えられてきた最も古い美術作品のひとつである。この作品の特徴を成すのは、ヴィーナスの下半身を隠す波模様のシーツである。この皺こそがヴィーナスの恥じらいながら秘所を隠すことで、われわれの想像を掻き立てて止まない作品の《中心》を成す要素なのである。

Venus by Mikhail Larionov [11]

このようにヴィーナスの図像は貝殻を伴わずとも、ある種の波模様、時に「褥の皺」に変容した形でもその変種が見出される。形を変えても美術家たちが無意識で伝えようとしてきたものはヴィーナスとそれを載せる波文様なのである。それは繰り返すように、受胎告知の図像に必ず共に百合の花が描かれるのにも似た、ある種の絵画素描時の約束事とも言うべき伝統なのである。ロシア・アヴァンギャルド派のミハイル・ラリオーノフが20世紀初頭に描いた金星の「ヴィーナス色」を思わせる黄金色の絵画に見られるのも、天使の投げかける(引っ張る?)シーツの作る「褥の皺」なのである。

「箸休め」に、最終回となる次回まで、筆者のお気に入りのヴィーナス像をここに掲げてこの章の終わりとしよう。ティツィアノ・ヴェチェッリオが1525年に描いたとされるヴィーナス像である。左端の海面に浮かぶのは、ヴィーナスとセットで必ず現れる貝殻の要素であるが、その絵画的約束によって控え目だが確実にその象徴的なエッセンスを伝えるものとなっている。だが、この度はそのような象徴的な含意がどうのということを忘れさせるほどの、可憐な表情を見せるヴィーナスの顔に注意を向けられたい。これが1500年代の前半に書かれた女性の顔なのである。

Tiziano Vecellio (1525)

Tiziano Vecellio [12]

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[1] ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」は、ヴィーナスを主題とする図画としてネット上、最も頻繁に言及される定番で、また引用される図像のひとつである。事実上、ヴィーナスの最もヴィーナス的なイコンとなっているという断定はあながち間違ってはいまい。カトリックによる異教的なるものに対するイコノクラスム(聖像破壊)を見事に生き延び、空前の「成功作」となった作品だが、これに先行してボッティチェッリに霊感を与えたといわれる作品に、画家/建築家ラファエロ Raffaello Sanzio (1483-1520) の描いた「ガラテイアの勝利」(図版[2])というものがある。二頭のイルカに牽引されて海を進む乗り物は巨大な貝殻の形をしている。貝殻の“戦艦”に乗って不敵な勝利の笑みを浮かべているのはヴィーナスではなくガラテア(ガラテイア)と呼ばれる海の精(ニンフ)の一種である。これはネレイデスと呼ばれる50人の海の精のひとりでもある。「女性における性欲の異常亢進症」を意味するニンフォマニア nymphomania は、このニンフnymphから来ていることは知られたことだ。海のニンフが、海から誕生する「美と性愛の神」ヴィーナスを連想させ結びつけたのは、ニンフの持つ神話上の役割から来たものであろう。「貝殻の上のガラテイア像」というのは、イタリア・ルネサンスにおいて意図的に仕組まれた「貝殻の上のヴィーナス」のイメージに繋がっていくものかもしれない。

[2] ラファエロの「ガラテイアの勝利」

[3] フランドル(ベルギー)の版画家 Adriaen Collaert (1560-1618) の作品、「海の貝の上のヴィーナス」

[4] Sambucus, Joannes: Emblemata (1564)

[5] 今日的なヴィーナスのイコン創成を強く意識した武田久美子の海辺に於けるポーズ。性器を隠す貝殻は、却ってそこに隠されたもの(エロティシズム)をわれわれに強く意識させるという古典的な手法である。

[6] 1971年に発表され「ゴジラ映画」としての正当性をめぐり賛否両論を巻き起こした、坂野義光監督作品、『ゴジラ対ヘドラ』において、人類の自然破壊が引き起こす今日的危機を踊りと歌で訴えたのが、「富士宮ミキ」演じる麻里圭子だった。海洋生物が大胆にあしらわれたサイケな彼女のボディスーツの「ヴィーナスの丘」に、帆立貝が描かれているのを見逃すべきではない。帆立貝が「ヴィーナスの丘」を暗示する比較的新しい図像の一例。

[7] VenusShellLouvre_35.jpg

詳細不明(ルーヴル所蔵)

Aphrodite / Venus Gallerie

[8] The Birth of Venus

Adolphe-William Bouguereau (1825-1905)

[9] Franz Goethe

[10] Aphrodite / Venus Gallerie

[11] ミハイル・ラリオーノフによる20世紀のヴィーナス

ラリオーノフについての参考サイト:Venus, Mikhail Larionov

[12] Venus Anadyomene by Tiziano Vecellio (1525)

スコットランド・ナショナルギャラリーに所蔵のヴィーナス画。Venus the best of bests!

非常にプロファウンドなヴィーナスについての蘊蓄

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