“ヴィーナスの丘”と褥の皺と [5]

肝心なことは前回で言い終えた。したがって第五回は本シリーズにおける補遺として。

Venus_Earth_Comparison

水星や金星、そして地球や火星が「地球型」惑星であることは知られたことである。地球型惑星の中でも、金星と地球、この二つの惑星は双子の惑星といわれるほど「出自」が似ているとも言われる。だが、その似ている程度がどれほどのものなのかというのは余り知られていないかもしれない。

とりわけそれぞれの持っている大気が惑星の形成段階の初期にはきわめて似ていたという話は実に興味深いことである。現在、膨大な量の二酸化炭素によって金星の地表における大気圧はおよそ90気圧もあり、地表温度は400度。一方われわれ生命の生存可能な我が地球の環境。それらがかつて似ていたというのはにわかに想像しがたいことである。だが、どちらの天体にも似たようなきわめて濃厚な二酸化炭素を大気に持っていたのは確からしい。


地球の炭素化合物として固定されているものをすべて大気に戻すと地球の大気は70気圧前後になるという。これは金星の90気圧に近い。地球は大気の冷却により海が形成されたのに伴って、大量の二酸化炭素が海の水に溶け込んだり、炭酸塩として岩石に取り込まれた。これにより大気中の二酸化炭素は大幅に取り除かれた。一方金星は海が形成されなかったか、形成されても蒸発してしまったために大気中の二酸化炭素は取り除かれなかった。

だが、上の内容以上に心の揺すぶられる事実はといえば、二酸化炭素がこうした岩石や海水中に「物理的に」溶け込んだのみならず、生命活動(植物の光合成)による積極的な炭素同化が空気中の二酸化炭素の減少を促進したことだ。この生命活動による環境の改変というのが馬鹿にならない。同時に光合成によって大気中に放出される酸素によって、地球上の適度の寒冷化も引き起こされ、同時にオゾン層も形成された。これがなければ紫外線降り注ぐ陸上に生命が這い上がってくることもできなかった。

海が形成されたとしても大幅に炭素固定を行う生物が登場しなければ、結局大気の温度が温室効果によって高いレベルに引き戻され、この温度上昇によって海の水自体が涸れ、陸の砂漠化も進行する。つまり、生命は生命として存在することにより、その生存圏である湿潤な陸上の環境と豊かな海の環境を、現在あるような形で保持してきたのだということである。

参考文献:

金星 @ Wikipedia

もちろん、金星と地球を比べれば、太陽からの絶対的な距離の違いなどによる大気温度の差など、さまざまな条件の違いというのはあるだろう。したがって金星に生命誕生を仮定すること自体がナンセンスだという判断はおそらく正しい。だが、地球の環境というのが、宇宙開闢以来の連鎖的な外的条件やその変化によって翻弄されてきただけでなく、生命自体が自分たちの住環境である地球全体を有機的な今あるような姿に引っ張ってきて「棲みやすいところ」として積極的に維持してきたらしい。そのような見方があること自体、驚くべきことと思える。

これは地球上に生命が誕生したことによって現在の有機的な「青い地球」が保たれていることになり、生命誕生がなければ、いつまでもこの惑星は現在の金星のような状態であり得たということである。つまり双子の惑星のひとつにはヴィーナス(生命)が「(高分子化合物を含むコロイドの)泡の中から誕生する」ことにより、太陽系第三惑星は「地球」となり、一方、第二惑星はヴィーナスのいない過酷な環境の「金星」となったのだ。

ヴィーナス・アナディオメネ Venus Anadyomene は、海から上がってきたヴィーナスの意だ。ギリシア神話のアフロディーテ Aphrodite は、海の泡(ウラノスの性器にまとわりつく泡)から生まれたという伝説を持つ。地球上の生命も海より始まった。それはあらゆる種類の生物に枝分かれし、そのうちのいくつかがやがて海から上がることになるが、海で誕生し陸に上がってくるヴィーナスのイメージこそ、生命そのものの象徴と考えることもできよう。

Venus on seashell, Pompeii 1st cent. A.D.

「貝殻上のウェヌス」ポンペイの壁画(紀元後1世紀頃)

Painting of Venus on seashell, Pompeii 1st cent. A.D.

The Ambrose Collection @ THE UNIVERSITY OF VERMONT

地球が生まれたのが今からおよそ45億年前。一方、地球上の生命誕生はだいたい35億年前と言われている。何気なく見聞きして知っているこの数字も、改めてよく心を凝らして観てみれば、感動すべきことが隠されているのが分かる。地球は誕生して僅か(とは言っても人類史に比べれば途方もない数字だが)10億年という段階で誕生し、地球の誕生以来、その表面にはなんらかの生命が棲んでいる状態の方が遥かに永いのだ。地球史全体を9とすれば、そのうちの7はなんらかの生命が住んでいる地球の歴史と言える。最初のわずか9分の2だけが「生命のいなかった時代」なのだ。そしてその生命は一旦産み出されるや、与えられる環境に翻弄されただけでなく、その環境を積極的に自分たちの生存可能ならしめる環境へと改造し、また維持してきたのだ。

「性愛と美」の象徴である美しい女神「ヴィーナス」は、外ならぬ地球で生まれ、その子孫たちが育まれたが、当然のことながら「ヴィーナス」の到来のなかった第二惑星(ヴィーナス)に、その子孫たちがが住まうことはなかった。だが、生命によって維持されている地球が、そこに住まう知性を持ったものたちにとっての《鏡》となるべく、双子の惑星は今も夕闇迫る西空に輝き続け、われわれを魅了し続けるのである。

そして聖書時代どころか古代エジプトやメソポタミアの時代を遥かに超えた悠久の時間を、先の時代に観測し発見したに違いない「金星の最高峰」の Maxwell 山に刻まれた「貝殻の波模様」の記憶を、「美しい女神のイメージと共に必ず貝殻を伴わせる」という秘教中の秘教として、代々受け継ぎながら今日まで伝えたのである。そして奇跡の業はまたしても興り、遅ればせながら、「あの高い丘で必ず会おう」と誓った祖先たちとの約束を、われわれはやっと果たしたのであった。

金星探査機マゼランが金星の彼方に消える前に撮影して送ってきた画像は、そのことを語っているように思えるのである。

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