Also Sprach Tatsurustra!

7/30の拙論『「与党」の地滑り的な大勝利』で、皮肉たっぷりに言及したようなことをあの内田樹氏が先日のblogで言っている(田中角栄 is coming back!)。

いま「二大政党」とよばれているものも実体は自民党のかつての「二大派閥」に他ならないということである。だから、「政権交代可能な二大政党」とは、政策選択の幅が拡がったということではなく、自民党の二大派閥のどちらかを選ぶ以外に有権者に選択肢がなくなったということなのである。善し悪しは別にして、それは日本の政治的選択肢がそれだけ狭く、かつ先鋭化してきたというふうにも解釈できる。

ただし、樹氏の主旨のひとつが、自民党の党内が“福田赳夫、田中角栄の1972年の「角福戦争」”に象徴されるような、「アメリカ追随派」と「アジア重視」という対立軸の存在というところから解き明かしている点が重要である。

後に若干言及するように、「アメリカ追随派」の反対派が「アジア重視」である、という図式はちょっと単純化されているきらいがあると思う。だが、この模式化はある程度的を得ているのだろう。

一方、非常に気になるのは、田中角栄を始めとする「反・対米追随」型の政治家のほとんどが、スキャンダルその他によって狙い撃ちにされ、政治生命(あるいは生命)を絶たれていることだ。内田氏の指摘するような対立軸の存在が疑いなく真ならば、米国の工作によってか、この旧田中派の経世会人脈である「反・対米追随」型の政治家は、ほとんどすべて体よく葬り去られてきたことになる。

田中角栄はロッキードスキャンダルで徹底的に叩かれ刑事被告人として死んだ。竹下登は“竹下バンク”と呼ばれた長銀(日本長期信用銀行)を失い、外資“禿鷹組”リップルウッド・ホールディングス*を通してアメリカに譲渡(献上)された(献上額は1600億円相当と言われる。お金の切れ目は政治生命の切れ目である)(現在は新生銀行という名の“青組”外資銀行になっている)。小渕恵三は現職総理大臣でありながら「過労による」突然死。橋本龍太郎は「日本歯科医師連盟(日歯連)からの1億円献金疑惑」によって晩年は実質的に政治生命を失っていた(2006年7月死去)。また、“「日本人の血であがなった憲法9条の精神を捨ててはならない」と述べ、海外での武力行使に慎重姿勢を見せるなどハト派としての一面もあり、生前、靖国神社に代わる新たな参拝施設の建設の必要性を真っ先に主張した”梶山静六は、2000年1月の交通事故後、体調を崩し同年6月に死去。(データはそれぞれの人名のWikipediaから)

* リップルウッド・ホールディング

アメリカ以外の国に接近して多元化外交を行なおうとした政治家で、スキャンダルなどによって足をすくわれていない人はいないのではないか、というくらいの絢爛たる醜聞と疑惑のリストである。最近の例としては、一度は誰からも嫌われたらしい鈴木宗男がいる。“野中広務元官房長官を師と仰ぎ、「野中・鈴木ライン」で政界を叩き上げた”という彼も、ロシアとの独自外交チャンネルを開こうとしているうちに、ムネオハウス(日本人とロシア人の友好の家)の建設をめぐる疑惑によって逮捕される。彼も内田樹氏的に言えば、「アジア重視」の一例ということになるのだろう。

ほとんど明らかなように、日本は合州国政府が面白く思わない独自の外交路線を敷こうとすると、ほぼすべて邪魔されてきた。そしてその真相を知らない日本人からは政治家の単なる腐敗・堕落という一面的な絵としてしか映らない。ま、実際問題、政治家である以上、その職業柄、腐敗もあるだろうし、そうでなくても足を掬われるような弱点を持っていたり、ハメられるような不用心の側面があるのだろうから、それも総合的に政治力の一側面である以上、弁解のしようがないのだが。

さて、この「アメリカ追随派」の反対派を「アジア重視」とする表現は正鵠を得ているのだろうか。

樹氏は、

世界戦略的に言えば、「対米追随」か「アジア重視」かという二者択一であり、内政的に言えば、「市場原理の導入」(民営化、市場開放)か「親方日の丸・護送船団方式の再導入」(大きな政府、市場参入の制限)かという二者択一…

ということなのだが、アジア重視というよりは、「非米・多元化外交」路線と言うべきであろう。アメリカを除く世界がアジアであるということにはならないからだ。また鈴木宗男が開こうとしたロシア外交チャンネルを「アジア重視」という表現は似つかわしくない。

「非米、イコールアジア」という図式を当たり前の前提としてしまうと、日本国内に根強く残っている嫌中国/嫌半島派の人々の警戒と反感を避けることは難しい。非米だからって別に親中国でなければならないわけではない。必要なことは、問題をそれぞれ別の問題圏において論議することである。大陸の国家について一方的に親しみを覚えても反感を覚えても、そのどちらもわれわれの将来に益するところはないのである。

(日本における二大政党制など、単なる自民党の中の二大派閥の別名に過ぎない、というようなことは言わなかったが、以前、拙ブログにおいて「日本の政治を分かりやすくする」というこれまた皮肉たっぷりなエッセイにおいて、日本の政治は結局親米か反米かしかないだろうという主旨の文章を書いたことがあったのを見つけた。)

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