「神々の沈黙」への備忘録 #2

以下は、page 153のジェインズによる記述

環境面での難問とは、霊長類の長である人間が生き延びてきた氷河期や、もちろん、それ以上に重大な<二分心>の崩壊であり、それに対して人間は意識によって順応した。

これについてはひとつ言いたいことがある。<二分心>無きあとの時代を、人間が意識によって生き延びたという面はあるだろうし、それ以外に人類に選択肢がなかったわけだが、生起した順序(因果関係)で考えると、<二分心>の崩壊は、意識の登場によって起こったのだと思う。したがって、むしろ意識は<二分心>の文明の滅亡を決定付け、助長したのだと言えるのではないか。意識には(その生得的な臆病さから)徐々にではあっても支配の座と覇権を狙う傾向があって、統計上は、一定のレベルで抑えられていたが、何かがきっかけになって、二分心の種がその支配の座を追われた後、支配する側に立った。結果的に、二分心の種はマイノリティの地位に甘んじることになる。

これは進化の問題というよりは、言わば政治的な問題、つまり「政争におけるシーソーゲーム」のような一過性の勝敗結果を反映しているだけのものなのかもしれない。全然、確定的なものではない。つまり「意識」と「二分心」の間には絶対的な実力の差(そして生物学的/進化論的な差異)はなく、その支配の座を巡って、互いに常に虎視眈々と相手の支配のチャンスをうかがっている、そのような状態なのではあるまいか?

この考え方は、そもそも崩壊しうる文明(死すべき文明)というものの、勃興と滅亡を堂々巡りのように廻わらざるを得ない性質と、実は合致するのではないか? 

[これこそが、意識の獲得が3000年前ではなく、遺跡や記録が残り始める6000年前の時点とする理由である。だが、「イーリアス」の時代が本当に僅か3000年前の話ということになると、その主張は難しくなる。むしろそれを記録したのが3000年前ということではないのか? その時代は依然として二つの勢力の鬩ぎあいがあったが、意識がいよいよその影響力を増しつつあった時代なのではないか? 6000年を真とすると、6000年間の二分心の支配と6000年間の意識の支配というものが、シーソーゲームのように交互に現れる12000年の周期というものを想像しやすくなる。この文明はピークを迎えて滅びると、意識も共に滅びるのである。]

本書でその視点をジェインズが与えているのかどうかは最後まで読まなければ分からない。だが、彼の関心は、周回する超歴史的反復という視点でこのエポックを解き明かす視点を持たなかったのではないかと思われる。だが、一体そんな視点をエリアーデとハシデウ以外の、どんなスカラー(学者)がかつて持ち合わせたことがあっただろうか?

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