オヤジ殿は、「鉄砲玉」を街に放つか?

相手を脅威から守ると見せかけて、実はその脅威を利用して相手を脅す。これはヤクザの古典的な脅しの手法だ。

さっそく民主党圧勝のニュースを受けて、入った来たのが添付してあるニュースである。すでに古くなりつつあるが、やはりアップしておく。

北朝鮮ウラン濃縮

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結論から言うと、北朝鮮による「ウラン濃縮」のニュースは、民主党圧勝と、日本で始まりそうな気配のある対米不服従傾向への牽制球である。もちろん投げて来ているのは合州国である。

国内で報じられているニュースの上っ面だけを信じるならば、北朝鮮によるこうした挑発行為は、アメリカ合州国政府への示威行為のようなものに写るかもしれないが、そうした挑発行為の直接の対象は日本である。

[ここで書くことは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への一方的な批判の言辞のように響くかもしれないが、それは便宜的に問題圏を現在進行しつつある政治状況についてだけに焦点を当てているからである。そもそもどうして北朝鮮が現今のような状況になっているのか、ということは歴史的な文脈で捉えなければ理解できない。過去の日本の半島への政治的関与が、実は大きな影を落としていて、そのために朝鮮半島はふたつの国家に分断されているのだし、同族同士大いに血を流した。当然、日本は朝鮮半島に於けるこの殺し合いの一方のサイドに与したし、それによって経済的にも潤いもした。そういった歴史的背景のために北朝鮮が日本のことを恨みに思い、あからさまな敵視をしているという実情があることが、歴史の因果関係の文脈として捉えるほどに、一層分かってくるのだが、そうした一切を一旦無視することでしか、以下のことは書けないのである。]

金正日という存在はヤクザものの映画で譬えるなら、いつでも目に物言わせてやろうと考えて自分の活躍のチャンスを狙っている、熱過ぎる「鉄砲玉」のような役どころである。彼を押さえつけている手を離せば弾けるように飛んで行って、こいつだと思うヤツを刺そうと思っている。もちろん彼がここまでアツくなっているのは、そうなるように嗾(けしか)けている幹部たちがいるからだ。これは、伊丹十三監督作品の『ミンボーの女』において柳葉敏郎演じる「鉄砲玉」を想起すれば良い。

北朝鮮の権力と合州国の権力がすでにテーブルの下である種の結託していると考えると、北朝鮮の動きはすべて「オヤジに認めてもらいたいばかりに手柄を挙げることしか眼中にない行為」として読める。北朝鮮が繰り返し訴えているように、自分たちを攻撃しない約束を取り付けたいというのはあるかもしれないが、表面上、合州国政府はそのような相手に都合の良い約束をしないように見えつつも、裏では「攻撃はしない」という合図をすでに送っているはずだ(むろんそれが最後まで約束を守り切ることは意味しないものの)。

むしろ北朝鮮がそのように振る舞うことで極東アジアの地で「適度の緊張」を維持することが合州国の国益に適っているので、合州国政府はそれを本気で止めさせる気はない。それどころか、合州国政府からの具体的指示で北朝鮮がそのような役どころを演じていると考える方がむしろ自然である。つまり、過去の核実験も含め、基本は許された範囲で行なうジェスチャーなのだということだ。

このことがウラン濃縮作業というのを本当にやっている可能性を否定するものではないが、こうした一連の行為、そしてそれをやっていると声高に宣言する行為は、アメリカが自ら武力を背景に他国を脅す(かつてリビアのカダフィに対してやった方な)よりも、自分自身の評判を落とすことなく、しかも必要な脅しという効果を上げることができる。「ウチの若いもんの中には、ちぃと血ぃの気の多いのがおるさかいナ、早まるな言うても聞かん。こちとらは精いっぱい抑えてるにしても、気ぃつけた方がええで」と、アツくなって今にも人を刺しそうな「鉄砲玉」を見せるのである。嗾けておいて、自分たちは「せいぜい止めようとしているんだが」というジェスチャーだけを採るわけである。

抑えている手を離して鉄砲玉を「走らせ」た時、幹部たるオヤジがどうするかによって、脅された相手からオヤジへの恭順を引き出すことができる。鉄砲玉の手にするドスが日本の脇腹を刺すすんでのところでオヤジが鉄砲玉を徹底的に叩けば、オヤジは面倒な手下(鉄砲玉)の厄介払いと、日本からの恭順の両方を引き出すことができるのである。

問題はオヤジが本当に今回の日本における状況を、どこまで「抵抗」であるとみるかである。復興後の40年間、むしり取られるだけむしり盗られ、それでも「守ってもらっているから」の一点だけでそれを我慢して来た。だが、そのために自分たちの血と汗と涙という努力で稼いで来た自分たちの財産を巧妙に国民から隠しながら宗主国に貢ぐことを可能にして来た55年体制が終わったのは、それが選挙民のある種の「無知」によるものだとしても、国力そのものを貢ぎ物のために落として生活に困窮することがこれもはやできない、というところまで来ている証しだ。

こうした第三の脅威という「鉄砲玉」を使って、巧妙に自分たちの影響下に置こうとする帝国の脅しに屈しないためにも、われわれの外交戦略は賢くなければならない。そのために必要なのは、あのオヤジ殿以外との関係の回復である。つまらない「愛国心」に惑わされることなく、安全な国の状態を維持するための多元的外交が今こそ必要なのだ。それを真剣に行なっている良心的行為こそが本物の国益を考える者の名に値するのだ。

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