「銭を払ってでも苦しみを選べ」とはよく言った

辛くても後で笑えるたぐいの想い出は書き残せるが、本当の苦しみは記述にさえ堪えない。少なくとも、「癒えた」と実感できる頃までは。だが、一方、「癒えた」時は、それを忘れているのがほとんどなので、そのことは、結局記録されることはない。

だから、結果として「日記」は概ね「楽しいこと」か、「苦しくてもそれを乗り切ったという自信を反映するもの」となる。振り返ってみて、本当の辛さや苦しみを記述したことは、ほぼないように思う。実にその意味で他人にとっては何の足しにもならない詰まらない自慢話が連なることになる。

今までの私なら、この週末に味わった「苦しみ」は、何も記述しないで、あたかも何事もなかったように、心の中で反芻することもなくすませて、心が自ずから癒えるのを待ったところだろう。だがさっきも書いたように、「癒えた」ときはそれを忘れているのだから、自分にその経験はなかったことになってしまう。実に、オメデタイ性格である。

しかるに、今回の出来事は簡単に忘れてしまえそうもないだけの立ち直りの難しいと思われた精神的打撃であった。もちろん、動機がどうであれ、私の貧困な判断によって傷付いた本人にこそ打撃だったことは言を待たない。だが、良かれと思ったことがまったく裏目に出て、その「任」に対するなんらの「ねぎらい」も「部分的な評価」もなく、ただ批判された。しかも私の判断に対する自己説明(弁明)の一言さえ受け付けて貰えなかった。

それが具体的に何であったのかはともかくとして、掛け値なしに自分の成長に役立てられるような経験であったとまず記しておこう。

最初は、こんなミソを付けるだけの結果になるのであれば、こんな「任」を引き受けることはなかった、何もしなかった人が責めを受けずに、何かをボランティア的に役割を引き受けた人が責めだけを被った、なんの自分の現世的な足しにもならなかった、と自分を情けなくも思い、自分を責めもし、「任せたからには結果まで引き受けるべき」ではないかと、「任せた」ことに関する不徹底や根本的な不寛容を、あれこれ心中責めもした。だが、一夜経って、今はそう思っていない。相手の不寛容も感情的な反応にもすべて理由がある。私が誤った判断をしたことにも理由があったように。

つまり、無駄な経験というのは自分が能動的に働きかけて得たものである以上、それがどんな形で終わろうと、無駄であることはあり得ないということを学んだ。どうやって学んだのかは、ここでは敢えて説明すまい。

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