sonica mundi、その他

黒井さんが去った後の午後は、吉祥寺まで買い物。例の如く、神田川沿いを井の頭公園まで徒歩で行く。途中の三鷹台で「軽く」ブランチ。途中でかなり紅葉しているところがあってビデオの静止画モードを使った幾つかのショットを。

オーディオユニオンでサウンドインシュレータなどを見たあとで一旦家に戻るが、1時間ちょっとでまた外出。今度はヴィオロンにsonica mundiを聴きに出たのだ。途中で古本屋に寄り、鈴木大拙の本(『日本的霊性』)とドゥルーズの『スピノザ─実践の哲学』を見つけて購入。まだ散財。ちょうど読んでいる「ある本」にずいぶん言及があったのと、共演者のひとりが私に勧めてくれたためスピノザの「エチカ」などに興味を持ち始めていたため。

著者のドゥルーズはソーカルの「知の欺瞞」で徹底的に批判されている当の本人。いわゆる「ポストモダン」のおひとりらしいが、自分で読むのはこれが初めて?…だろう。スピノザの入門書として良いのかどうかも分からない。これも一つの縁。ソーカル批判の対象になるようなbullshit-makingな「変な文章」だったら途中で止めるかも知れない。

ヴィオロンで聴いたsonica mundiは、6人とか7人という大所帯の「即興グループ」もんじゅ連の池上さんも参加している。こう言ってよければ、聴いていて肩の凝らないある種の調和を大事にする人たちの集まり。大所帯の即興で陥りがちな「音の飽和」を誰ともなく上手に避け、常に音の間がある。幾人かはミニマリスト的なアプローチをし、それが音の分裂を引き留めている。環境音楽的で室内楽的な即興と言ったら叱咤されるだろうか? とにかくこの人達が集まってこそ起こりうることが起こっていて、しかもそれが絶妙のそこでしか食べられないエスニック料理のようでもあるのだ。わたしなんぞ、ひっくり返ってマネをしたって出来そうもない、彼ら独自の音楽なのである。

本を読みながら聴くという行儀の悪さだったが、それが出来る心地よい音楽であるのだ。もちろん、最後はどうなるか少しハラハラしたので、本を閉じてじっと聴いていた。

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