新聞よ、さらば!(って今さらだけど)

気合いの入っていたライヴのひとつが終わり、久々に新聞(日曜版)なるものに目を通した。そうすると、“議論の「広場」を提供したい”という新聞社社長の挨拶なるものが目に飛び込んできた。それで、なになにと思って読んでみると、まず冒頭にこんなことが書いてある。

「私たちは、特定の意見を一方的に押し付ける新聞の時代は終わったと考えています。」

まず思ったのは、これって、今までは「特定の意見を一方的に押し付ける新聞の時代」だったと認めているんだな、ということです。

この社長メッセージには、いくつかの意味があることが伺える。ひとつは、上に指摘したような意味。つまり、新聞には、人々を啓蒙し、教え導く役割があるとどうやら思っていたらしいこと。であるからして、今までの新聞やテレビなどのメディアが時として権力側のスポークスマンとして機能し、時として到底われわれをバカにしているようにしか思えなかったことにも、十分の納得ができるのである。

だが、そんなことよりももっと大事なことは、次のような腰砕けのメッセージをそれとなく、あらかじめ読者に伝えておくことにある。「新聞はこれから起こってくる世の中のさまざまな事態に責任は持てないし、ジャーナリストとしての責務を全うできません、でもいろいろな人の意見の公開場としての場は提供します、勝手に意見交換してください、それで自分たちで善悪を判断してください」ということです。

そこには、ジャーナリストとしての気概も、依って立つべき哲学というものも、欠如している。反権力であろう(ありたい)という政治権力に対するアンチテーゼもない。だが、それこそが明確に彼ら新聞が保持しているべき<力>ではなかったのか。

議論の場などを提供してくれる必要もない。そんなことはネットがいくらでもやってくれる。教え導いてくれるような新聞も、もちろん必要ない。大本営発表を伝えるだけの機能なら、それは害悪だ。

いずれにしても、こういう卑怯者を社長として仰いでいる新聞など読む気もしなくなった。こんな新聞が、われわれが困ったときの助けになってくれるだろうとも思えない。連れ合いが「どうしても」と言うので、仕方なく新聞(それも夕刊のみ)を取ることを同意したが、早いうちに解約の手続きをとろうと思う。

新聞を取り続ける説得力のある理由を挙げてみて頂けませんか? だれか!

3 Responses to “新聞よ、さらば!(って今さらだけど)”

  1. 石川初 Says:

    ・・・ううむ。ちょっと考えてみよう。

  2. あきかんぬ Says:

    新聞紙は使えます。
    我が家では、新聞紙を暮らしに随分と利用しています。
    たとえば、冷蔵庫の野菜室。
    無農薬薬野菜は泥付きのまま新聞紙にくるんで保存します。
    すると乾きもせず黴びも生えず、適度にくったりした鮮度を保つことができます。
    特に根野菜は、煮物にすると新鮮なものをすぐ調理するより旨味が増すように思えます。
    また、新聞紙は室内の湿気対策で暗躍しています。
    たとえば、やはり料理場で、新聞紙を数枚重ねてくるくる巻き、調理台の隙間に挿し込みます。
    すると湿気と共に埃りも受け止めてくれるので、手の届かない箇所のお掃除もカンタンとなります。
    年に1回ぐらい、それも気が向いたときに交換すればよいのです。
    また、我が家には伝統的な砂壁の和室があり、そこに和服を保管している桐?笥があるのですが、
    その背面でも新聞紙が湿気と黴びから大事な反物を保護してくれています。おかげで
    昨年の梅雨の時期でも黴びが発生せずに済みました。1昨年前は桐?笥の背が砂壁にじかに
    接していたので、待ってましたとばかりに?笥背面が黴色に染まりました。和服も臭ったので
    拡大してみるならば、黴びの侵略と無抵抗な繊維の惨状が明らかになったことでしょう。
    絹織物っていい匂いがしていかにもおいしそうですし。
    あとは下駄箱、納戸の床などなど隠れたところで新聞紙が仕事をしています。家人は気がついていないようですが。
    お習字でももちろん使用しています。服飾の型紙にも有効です。市販の紙より適切かもしれません。

    日刊も夕刊も購読するとおそろしい勢いで新聞紙は積み上がっていきますが、折り込み広告抜きの夕刊のみだと、
    丁度よい速度で溜まっていきます。その様は何となくかわいらしい感じさえあります。
    以上のことから夕刊のみの購読はお勧めです。
    朝刊を読みたければ、図書館、飲食店、ネット上など機会は多くあります。
    けれども全くとらないということになると、新聞を生活に活用する愉しみが存在できません。
    ところで、新聞の選択の件ですが、朝日に比べると毎日はまだましだという理由で長く購読しておるわけですが、
    近年困ることは、カラーがやたら増えたことです。トップ面や新聞タイトルなどがカラーであるという
    新聞社に都合には、購読者も賛同するでしよう。また日曜版などはカラーづくしの感がありますが、この場合は
    日曜日であることのうきうきした気分を増幅してくれるような気がして私は好きです。
    でも平日の夕刊の中面にカラーがあると、お習字とか隙間におくとかといった、生活に取り入れることが
    できないのです。カラー面の裏側にはカラーがないので、仕方なくその面を使っていますが、実のところ
    あまり気持ちのいいものではありません。
    で、東京新聞は如何でしょう?記憶が朧げなのですが、カラーはほとんどない筈です。
    ということから、東京新聞の夕刊のみ購読に、この際切り替えてはどうでしょうか。

  3. あきかんぬ。 Says:

    訂正;
    「無農薬薬野菜」は「無農薬野菜」、
    「桐?笥」の「?」は「たんす」の「たん」という漢字、「新聞社に都合には」は「新聞社の都合には」
    の打ち間違いでした。

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