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太陽の胎内は

Tuesday, September 6th, 1994

あのように世界を焼き尽くす獰猛な太陽の中はと言えば...

暖かいばかりであった。あのように真っ青な大洋の上にぎらぎらと皇帝のごとく君臨していた、その輝きの中は、思いのほか静的で時間が止まっているようにさえ感じられた。全てのトーンは柔らかく、例えばラジオやテレビでかかる音楽は、西洋のものであっても、それは全て日本人のテイストでもって巧みにフィルターがかけられていた。

日本人の作る西洋風の音楽は言うまでもなく、日本人が選んだ純欧米産の音楽でさえ、それは柔和を選り抜く目によって厳密に選別されていた。

音楽ばかりではない。高速道路のパーキングエリアにある自動販売機であっても、百貨店の地下の食料品売場に溢れるパッケージであっても、そこに存在するあらゆるデザインは、トーンが心憎いまでも抑制された、まさに「マイルド」で「ライト」なものであったのだ。そこここに溢れるかえるデザインやキャラクターに「意味」を求めようとしても、徒労に終わるであろう。意味などは最初からないのだ。マイルドで差し障りなく調和していることが最も「問題のないこと」だからである。

喫茶店で日本の「洋風ケーキ」を食してみれば、それはまた笑いを誘うように柔らかでトーンに抑制の利いた調和的味わいだけがそこにあるのが瞬時にみて取れた。

しかし、日本のビジネス界に身を投じて柔和を外部に供するべく「身を粉にすること」を依然として始めていない私は、日本における生活の厳しさや外部に於ける調和が、個人の内面にもたらすストレスの存在を無視してしまいがちである。社会的責任を引き受けずに、その美味しい部分だけを享受しているこの刹那では、この日本という国が世界的に見ても、何とも類希なる「暖かで柔和な温室のように居心地のよいところ」(要するに「天国」)、と言う風にしか映らない。

さて、世界の全体を見るに付け、あるいは繁栄を謳歌する国の日の当たらぬところを顧慮するにつけ、このように天国的な場所(東京の両親の住む実家)が、世界にかつて他に存在したことがあっただろうかと感嘆せずにいられないほどである。島であり、「存在の絶大なる正当性」を背負わされた「選ばれた土地」。

その内部たるや、生産への集中的従事だけが許されたあまりに奇跡的な場所であった。ひとつの国家が『太陽』として世界に輝き続けるために注意深く手入れをされた、まさに打ってつけの温室(昔風に言えば箱庭)であった。

私のニューヨークに残る親友の一人がいみじくも言った「卑怯者の天国」とは、まさにそんなところであった。さあ、仕事見つけるか。