例えば朝鮮半島の対立が…

国際外交について言えば、物事の表面的な有り様は、それぞれの政府が本当に起きて欲しいと考えていることと、言語化されている上っ面の意見とはまったく反対だ。日本政府も(そして当面は合州国も)、朝鮮半島における二国の分断状態はこのまま変わって欲しくないし、ましてや自分たち主導で朝鮮半島の問題が解決されることも望んでいない。

「Divide and conquer(分割して統治せよ)」という古代ローマ帝国の時代から知られている古典的統治理論を牽くまでもなく、現在の覇権国家アメリカ合州国が行なってきた外交政策から言っても、「解決されないままの国家間紛争」というのはその当事者以外の国にとって、つねに好都合である。第二次大戦後、ヨーロッパに於いてドイツが東西に分割され続けたことを思い出しても分かるが、このことも、欧州において「これ以上ゲルマン民族に問題を起こして欲しくない」という周辺各国にとって、ドイツが分割されているということは脅威の緩和措置と安全保障の要であったことに間違いない。

ちょっと冷静に考えれば分かることだが、どうして現在の日本国政府や財界が朝鮮半島問題(北朝鮮問題)の解決など望んでいると考えるべきなのだろう。それはわからない。どうして自国の隣に、突然有効労働人口が「倍になる」ような強大な国家の出現を喜べるのだろう? あえて断るまでもないが、朝鮮半島に於ける国家分断と対立は当事者にとっては、論じる必要がないほど明白な悲劇である。人道的にはいずれ解決されることが望ましい。このことはあらゆる論理の前提である。

だが暴力装置としての国家「日本」にとっては朝鮮半島が半永久的に分断されたまま凍結され、未解決でグレイな状態のだらだらと続くのが都合いい。とりわけ日本と南朝鮮(大韓民国)との関係が「資本主義国同士である」というお手軽な理由やその他「韓流ブーム」など民間草の根レベルの努力によって、めでたくも「おおむね良好」だとして、市場経済に於ける国際競争力という観点や、国家主義/民族主義的な観点で常にライバルであることに変わりはない。それが、とりわけ戦前の大日本帝国時代の植民地支配によって引き起こされた怨嗟と、植民支配者の敗退に引き続いて起こされた政治的真空状態のために生じた大国間対立(「冷戦」)、朝鮮戦争という「実戦」に於ける大々的な破壊と殺戮によって怨念を募らせている北韓(朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮)が、依然としてその怒りをたぎらせているということは、それはそれでもっともなことで、われわれこそが永年の恨みの対象であることを十分に了解していなければならない。

朝鮮民族にとって、言うまでもない(?)「念願の国家統一」が、韓国の主導で行なわれるにせよ、北朝鮮主導で行なわれるにせよ、《統一した朝鮮半島:“大”韓民国》というものは、日本国にとって実質的に大いなる脅威になるはずである。

資本主義(自由主義経済)の国家として統一すれば、明白な経済競争相手になるだろうし(今でも充分にそうだが)、万が一にでも共産主義国家として統一されれば、それは日本への歴史的怨念が韓国という中間バッファーなしで玄界灘越しに日本と対決することを意味する。

そうなると「近くの他国が紛争している」状態から、「自国が紛争するかもしれない」状態へとコマがひとつ移行したと言いうるのである。米軍の韓国からの撤退縮小はこうしたコンテクストで再認識されるべきなのである。沈み往く船から、寄港地でネズミは退去して逃げるのである。

こう言っては何だが、朝鮮半島の南北統一は、暴力装置としての日本国家にとって、どうあっても避けたい、あるいは先送りを祈念したいところである。彼ら権力者は朝鮮半島における緊張がこれ以上に高まってくれることを願わないまでも、少なくとも「対立が持続して欲しい」と本音では願っている。願ってはいても、そんなやつらも、その国と自国が緊張感を伴った対峙をすることは絶対に望まない。口先では「紛争をやめて仲良くしよう」とは呼びかけてはいても、心の奥底では他国同士がいがみ合う状態であってくれることを誰もが望んでいるのである。それが自分の国の安全を確保するからである。そうした観点で「六ヶ国協議」なるものも視なければならない。

繰り返すが、韓国/朝鮮に力を付けて欲しくない人にとっては、彼らが分断されたままでいることが好都合であり、そのような状態の固定化を実現できる人間は、日本の国益に供する手柄と位置づけられるであろう。だが、やはり「趨勢」は統一である。善かれ悪しかれ統一はいつの日か実現するであろう。それが起こるのが中東に於ける紛争の拡大や解決の後まで先送りされるにしても、である。

だがそのときが、日本が安心して繁栄を享受できる状態から抜け出したのだと一挙に目覚める日になるはずである。そして今の日本国家の動きとはそれを予見してのことと読み直される。

そして「その時」に、米中の潜在的かつ宿命的な政治対立が、どのような形で日本という諸島列島と朝鮮半島の間の緊張を演出するのかが了解できるはずである。彼ら超大国にとって、日本と朝鮮半島という極東地域が、「バッファー/緩衝帯」として機能する対立領域となるのである。米中が「戦争」(冷戦)する時、それはベトナムや朝鮮半島に於いてその地域を分断して行なわれたような紛争が、日本海を隔てて行なわれるのである。そしてその時に祖国荒廃と文化退廃を体験するのは、米中のどちらでもない。彼らは無傷で戦争景気を享受する一方で、痛い目に遭い悲劇を嘗めるのは、朝鮮半島と日本諸島に住む普通の人々なのである。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.