他者を牽いて語ることは

■ あらためて「自分の言葉で語ること」

あらためて「自分の言葉で語ること」の価値、とりわけ自分の言葉を鍛える上で非常に重要なことであることなどを、この際、否定しようなどとは思わない。

30歳ころ迄だったろうか? 過去の研究家や思想家の言葉を牽いて何かを語るというようなことが「卑怯なこと」と思われたのは。

そもそも自己存在のオリジナリティに対する冒涜でさえあるというように思えたし、自分だけでなく他人にも「自分の言葉で語ること」を強いたりしたものだ。高校・大学くらいの頃は夢中になって読んだ哲学書の類も、30歳近くなった一時期には「一種のナンセンス」だと思うほどになっており、そもそも歴史的な既知の思想に「寄せ」なければ何かを語れないなどということは、自己の思考力貧困の証しのように思えたのだった。遅く来た思想的な「ツッパリ」であり「アナーキズム」だった。とにかく、知性や創造性というものは他者――とりわけ権威――に依らず自己完結していなければならなかったのだ。なにしろ自分がゼロ(無)から有を産み出せるウツワと信じていたのだから。

だが、今の自分はその頃に比べるとずいぶん違うし過去の他者の功績についても柔軟に対応をしている。歴史的な言葉、詩人の言葉、そして専門家の言葉を牽くことは、下手をすると権威に支持を与えるという「副作用」があるが、それ以上に得るものの方が多いと判断したのである。また権威支持は、結果としてそうなるかもしれないという意味ではひとつの副産物ではあっても、自分にとっては目的でもなければ手段でもない。

これは、引用をするという自分の選択について他人がどう考えるかという問題ではなく、あくまでもその理由は自分がよく知っていることだし、それで本当は十分なのだ。勝手に動機を想像する人間は居るだろうし、人の意図を歪曲して捉えようとする邪推を止めることはできない。

■ 古典を牽くこと

いずれにしても、自分が発言する時に、別に権威を云々したくて喋ったり考えたりしているのではない。自分の伝えたいことを「反権威の姿勢」を過度に重視したために「引用する自由を制限する」方がナンセンスだと思ったのだ。誰かが威光を持っていても、自己の研究によってそれを乗り越えることも可能であるし、内容に共感できるのであれば、その成果をそっくり頂いた上で何かを築くこともできるのである。古今東西で優れた知の巨人たちが達成したかもしれない高みの一切を無視して、「すべての知を一から自給自足しなければならない義務があるのだろうか?*」。むろん、自分で思考の跡を辿ったり内面の洞察力を開発することの重要性を過小に評価するつもりも無い。

* これは実は重要なひとつの哲学的な問いにまで発展しうるのであるが、ここでは深入りしない。

自分に生涯掛けて追求する価値のあると思えるテーマがようやく決まったせいもあろう。過去の偉大な思想や研究の成果の中に、自分が心底共感できるものが散見されたこともある。とにかく人の書籍からその言葉を牽いて、その上で、それについて(あるいはそれに関連する何かについて)論じるなどということは、いまや日常茶飯になりつつあるし、そのような手法なしには、この分野に関わり続けること事自体が難しいのである。そしてそれ自体は単なる批評行為に留まらない、さらにその先の主張が存在する点で、この行為はひとつの創作でさえある。だが、今までも折に触れて述べてきたように、グノーシス的な真の智という価値の前では、独創的であるとか創造的であるとかいうこと自体は、実はもはやどうでもよいことである。それは単なる近代以降にどんどん重要性を増した着想や新奇さを競い合う個人主義のひとつの病理に外ならないのである。

■ 「Ars longa, vita brevis.」のArsとは?

「芸術は長く人生は短い」という言葉が今ほど切実に感じられることはない。だがこの言葉は広く誤解されている。「芸術の道は険しく長いが、うかうかしていると人生はすぐに終わってしまう」というような意味に捉えられているのではないかと疑っているのだが、実はそういった個人における成長速度の意味だけではない。ここで「芸術」と訳されているものは最も広義の術 “art/ars/artis”のことであり、それは人間の文化・文明の全般、すなわち技能・技術・技芸、そして学問・科学知識などなど、人間のワザすべてを指す言葉だと言っていいだろう。こう言ってしまえば、いわゆる音楽や美術のような今日もっぱらクリエーター諸氏にとって大問題になっている「表現芸術」だけについての言説ではないのだ。

つまり人が個人として生涯掛けて達成できることは、人間の文化・文明が「完成」を目指してこれまで蓄積してきたあらゆる人類のワザ全体から見ればごくごく僅かなもので、一個人が死んだ後も、それを蓄積していく人類の営為は永きに渡って続いてきたのだし、まだまだ続いていくのだ、という遠大な人間史そのものを言っているのだ。人間が独りで達成できることなど実に限られているのである。それが解ったと思われたとき、私の歴史に対する態度が一変し、畏怖を覚え、「学習する」ということの意味──そしてそれの最終的にもたらすものの有様──を悟ったのである。そのとき、歴史は真に意味を持ち始め、「過去を参照する」ことの重要性(そして危険性)を大いに諒解したのだった。つまり人類の過去についての記録、そして未来の生存を賭けた人智の結晶を残そうとするさまざまな努力は、やはり《現存》するのであり、そうした蓄積をたった独りの人生における孤独な瞑想や想像力だけでは乗り越えることはできないし、むしろそうしたものがあってこその瞑想であり洞察なのである。仏陀の悟りが自然科学や古典への造詣なしにあり得なかったことは今では議論の余地のないものとなっている。

われわれの創作はすべて「学習・応用」であり、場合によっては「学習・批判(批評)・改善・応用」という過程を踏む。先達の生涯を賭しての努力によって伝えられた古典に学ぶことは、聡明を自負する現代人をより一層賢くすることはあっても、そのために失うものは何もないのである。

■ 批評精神は創作の母であること

批評精神は過去への参照とそれへの造詣があって可能になる。そして批評精神は新たな創作である。

文学部にいたある友人の一言が私にとってはひとつの転機となった。その一言の意味については、数年かけてようやく諒解されたのだった。その頃の自分は、いわゆる世間一般にいうところの「評論」の分野の価値というものを頑なに認めない態度をとっていた。評論行為は、あらかじめ作られた創作物があってこそ初めて可能になる二流の表現行為であり、大多数が評価を与える数々の表現者を批判/評価しつつも、そうした他人の創作に寄生している卑しい商売だと思ったのだ。あるいはひとの作品や既知の表現作品を前提とする表現活動というもの自体が、卑怯で次善の行為だと思えた。他人がどう、ではなくて、自分がどう表現したいのかが重要だ、という風に漠然とではあるが傲岸にも考えていたからだ。

文筆家としての批評家(評論家)は、表現者として二流であるという私の考えを聞いて、彼は静かにこうも言った。「文章を通して行われる評論だけが評論ではない。そうした文芸家による評論に限らず、どんな表現作品も、それ自体が一種の評論行為であり、批評精神の反映である。特に優れた表現であるほど、そうした傾向は免れない。そしてさらに多くの批評(批判)を生み出すものが優れた表現である」と。「評論」を文売業として生きるというその選択については、未だに次善の行為だという気持ちがない訳ではないが、そのとき彼の言わんとしていることに何か非常に重要なことが含まれていることは本能的に分かった。

最後にこの友人は次のようにも言った。「君は音楽に関わることで、人間の創作の最も高貴な部分に触れる幸運に与っている。だがそれは君の努力がそうさせたのではなく、君の生まれや君に与えられた才能のせいで、それを伸ばすのは正しい批評精神である。音楽家だけが創造的なのではなくて、いい音楽を聴きそれを聞き分けられる批評精神がまずひとつ。そして、君が音楽に関わり続けることを可能にしている社会全体の持つ集合的な批評精神が、君を音楽家たらしめているのだ」と。つまり批評なしの創作があり得ると思い込んでいた私の脳みそに杭を打ち込んだのだった。

■ 創作と工夫の連鎖としての文芸・音楽・そして科学

例えばローマ時代の文学は、ギリシア時代の文学への批判と評価があってできているものであり、ローマの文学者が独力でひとつの文学のジャンルを切り開いた訳ではない。そして古代ギリシアの文学も古くは古代エジプト、やや新しくは古代ペルシアやインドの影響なしにはあり得なかった。その後の文学が、継続的にそうであるように、彫塑などの作品も絵画のような作品も、すべてそのような過去の作品を正しく伝えようとするオーラルや文字を通しての伝承努力、そして伝えられた作品に対する理解と評価、そして何よりも批評精神があってこそ伝わりもし、また発展もしたのだ。

これは衝撃を以て私の中に入ってきた概念だったが、だがその真意のすべてをただちに諒解したわけではない。評論は評論、音楽は音楽、絵画は絵画ではないか、と思ったからで、賢明なる友人の言説の真価を理解するにはまだ数年待たなければならなかった。自分が、こうでありたい、こうであるべきだという思いが強く、「世界をありのままに見る」というよりは、他者も自己も希望的にしか見ない、というバイアスがあまりに強く、その見方を克服できなかったのだ。つまり「自分はこうでありたい、こうであるためにはこれを否定しなければならず、これを否定するためにはあれを観てはならない、あれを観ないでいる限り、自分のこの理想は無傷のままで居るだろう」という風に、自分をディフェンスするために世界観の方を粘土のように構築してしまうのである。

だが、今は違うのである。音楽が現在われわれの知っているような形になっているのは、ひとりひとりの人間の思いつきや個性的な着想が発揮されただけでそうなっているのではなく、実は過去の音楽家の、そのまた過去の音楽に対する批評精神によって出来上がっているに外ならないのは明らかなのだ。音楽については音楽史を紐解けばそれは自明であるが、西洋のそれは実に面白いほどに弁証法的な発展を遂げているのである。つまり、表現自体が弁証法的に正・反・合の思想的運動の反映のようになっているのである。

それは20世紀の中盤まで途切れることなく続いている。千数百年前の西洋音楽は、まったく現在では信じがたいほどに「原始的」で単純なものだ。それを少しでも面白く、満足のできるものにするために工夫をし、その工夫の上に更なる工夫を積載していくというのが、まさにその発展であったのだ。こうした「発展的な」西洋音楽史はひとつの象徴であって、文明というものの洗練は多かれ少なかれこのようにして行なわれてきた*。

* 文明そのものについての批判は可能なばかりでなく、きわめて重要な思惟であるが、その手法が文明自体を全面的に否定する反文明論であれば、これ自体が邪悪な人間の運動であると片付けなければならない。だがその深みまで批判のメスを穿つのであれば、科学技術を含む人間のあらゆる蓄積的行為にまで批判の矛先を向けなければ片手落ちとの批判を免れないだろう。

このように表現というものは、個人のレベルでも集合的なレベルでも、「よりよいものを目指して」発展してきたものだ。音楽についてはその「行く末」を案じるに、無条件にそうした変化を「進化」と呼ぶべきなのかどうかは分からない。こうした「正・反・合」の弁証法的な表現行為におけるコール&レスポンスそのものが、20世紀中盤にはあたかも袋小路に至ったかのようになった*からであるが、発展系の音楽の最後に至る“結実*”を度外視すれば、過去の作品に学んだ作曲家が、少しでも良いものを作ろうとしてつねに新しく提案してできてきたものが、われわれの現在知るところの音楽作品群でありまた音楽史なのだ。

* 発展系の音楽史の延長線上にある言わば「発展と終焉を宿命とする」“特殊な”西洋音楽であるが、こうした困窮の不運は音楽の領域全体に起きたことではなく、現在一般の聴取者は、西洋音楽の発展の《終焉》を意に介する風もなく、自分たちに必要な音楽を見つけ出してそれぞれに鑑賞し満足しているのである。

伝統表現に見られる変化させてはならないという言わば「反近代」を旨とするあらゆる伝統芸能の《家元の掟》さえも、時間経過によって変化する作風や、それらのものが変化の果てに行き着いた最終的な姿に対するアンチテーゼとして在る。「変化させない」という方針は、一見して消極的で後ろ向きの創作態度であるかに見えるが、実は過去に学んで作り上げたきわめて人為的な選択であったのだし、一方、変化して変わっていくことを至上のものと位置付けして、積極的に新しいものを求め、価値を賦与し、変化してきた表現もあるというだけの話なのだ。

詩は絵画によってインスパイアされることがあり、またその逆も然りである。ひとつの特定のメッセージを後世に伝えるのに、さまざまな表現形態が採られただけであり、普遍的に存在し続け、繰り返し繰り返し表現されたものの中には、ある一定のテーマがある。この《普遍的題材》は、例えば映画に顕われ、詩に現れ、神話の集大成の中に現れ、また音楽の中に現れ、絵画などの美術の中に現れ、また太古の時代には悲劇の舞台に採用された。あるいはまた普遍宗教の教典や黙示録文学の中にそれらは見出される。これらの表現形態が互いに無関係であると考える方がむしろ作為的であり、あらゆる人間の表現行為は、ある程度の批評と共感、そして必要なら改善があり、また再解釈があり、そして過去の知恵や工夫の上に塗り重ねられる、より新しい「応用」によって成し遂げられたものなのである。

学問もまさにこのようにして発展してきたのであり、ただひとりの、あるいは数人の天才によってのみ成し遂げられてきた訳ではない。如何なる科学的セオリーもそれぞれの時期に、その時代に見出されるさまざまな他の発見によって支えられているのであり、一見驚くべき画期性を持っていたとしても、その時代の要請や時代精神を無視して突然変異的に出てきた訳ではない。

ここまで私は他者の言葉を引用せずに語ってきたかに見えるかもしれない(ま、少しはそうであろうと努力はした)。実際、それは“ほとんど”正しい。だが、知っているかどうかの違いだけで、「芸術は長く人生は短い」という言葉こそ、語り継がれたエラい人*の言葉の援用なのである。だが、それを今あなたが知ったところで、私の語ったことの内容や意味が、いささかでも変じ得たであろうか?

* 古代ギリシアの医学者ヒポクラテスの言葉だと言われている。私にはその言葉がもっと古い由来を持つ真の知見に基づいたもののように思えてならない。


参考:稲垣足穂「人生は短く芸術は長し」

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