敵味方の色分けで利するのは真の《最大の敵》であること

敵は、Divide and rule(分裂させて支配せよ)と云う帝国ローマの時代から実践されている戦略でわれわれを支配している。

考えてもみよ。一体自分の意見総てに賛同してくれる人間がどれだけ世の中にいようか? ひとつの重要な哲学を共有すれば、どんな争点に関しても賛同できるはずだというのは理屈の上でだけの話だ。

世の中には実に多くの議論があり態度を決めなければならない案件がある。その総てに関して賛同できる人としか共闘できないなどと云う方針を立てたら、われわれは本当に全員が孤立するしかない。

今議論を賑わしていることは原発とTPPだが、それ以外にも重要な争点というものはたくさん存在する。例えば妊娠中絶をどう考えるべきか、から始まって、外国人参政権をどうするか、外国人の捺印問題は、などと様々な政治的判断を要する課題がある(あった)。数えきれない問題があり、議論がある。そこで、それら総てに賛同できる人としか運動協力できないということでは、「今そこにいる最大の敵」とは闘えないだろう。

他者を敵と味方にだけ色分けして分類しても、総ての議論に賛同する人間を見つけることは事実上不可能だ。したがっていざある特定の争点で勝とうとしても、敵に分類される人の数が圧倒的に多過ぎて、その時は十分な友軍を得られない。われわれはここで十分に聡くあらねばならず、絵に描いた理想ではなくて現実的な勝利を目指さなければならない。

「原発に関しては賛成だがTPPに関しては反対」という立場があって(現にある)も、あるいはその逆があっても、残念だが仕方が無い。

だが例えば脱原発に勝利し、TPP反対も実現しなければならない時、そのどちらについても最も説得力のある論理を敵味方の関係なく採用しなければ、われわれにとって最大の目的である両方の理想の実現は望めない。

ある争点で勝つためには、垣根を取り払って、不動の論理と最強の説得力とを持つ人間の、その《言葉》を虚心坦懐に採用しなければならない。それが「誰が言っているのではなく、何を言っているのかを聞かねばならない」と言っている理由なのだ。理念はそれを語る人格以上に尊いのだが、凡人には敵味方を色分けすることばかりに夢中で、どうやって真の解を見出し、また議論に勝利するかを考えられない。

つまりAという案件では敵だがBという案件では共闘しようという太っ腹の寛容がなければならないのだ。その寛容にこそ、敵と見做されている人間を実は味方の論陣に引き入れられるかもしれない唯一の契機が潜んでいる。だがそのことに気付く者は、驚く程少ない。

もう一度言おう。他者に艦砲射撃のような遠距離からの言葉による攻撃をして、事実上の敵の拵えることではなく、敵こそ身近に引き入れ、敵の考えやアジェンダを知り、必要に応じて利用し、味方であると思わせる程の許容量を身に付ける必要がある。そして、気付いたら「敵」が本当の味方になっている可能性も在るのだ。だからわれわれは敵味方の分類を忘れ、真に聡くあらねばならない。

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