7.7と来て、8.8と来れば…

数字の並びについて

「数字の並び」というのは、スロットマシンのお陰か(笑)、「777」など特に、「芽出たい」ものと思われているようだ。それが芽出たいか不吉なのかどうなのかはともかくとして、「ふたつ以上並んだ数字」というのが(エソテリズムや象徴主義の伝統の中では特に)重要な意味を持つことは知る人も多いだろう。大いに語りたいことだが、ここではそれには深入りしない。だが、数字が二つないし三つ並ぶことで「意味ある日時」などを「記憶」しやすくしたり、「注意」を喚起したりすることができる。「繰り返し」というのは一つの心理的効果なのだ(「記憶術」や「陰謀論」の一種)。

例えば今年ロンドンで起きた「同時テロ」は、7月7日。覚えやすい。世界(というか、ウォールストリート)が見守る中、参議院本会議において郵政民営化関連法案が否決。これは8月8日。そして明日は9月9日。朝の9時と言えば、ラッシュ時だ。しかも、奇しくも誰もが忘れもしない「9.11」に予定されている“郵政”衆議院選挙のぎりぎり2日前だ。何もないことを心から願う(自民党が「圧勝する」とのまことしやかな投票前情報が出回っているところからしても、東京は当面「安全である」可能性が高い。安全なのは願ってもないことだ)。あとは変な番狂わせがないことを心から祈るばかりだ。

こう言うことを書くことは、自分にとっては「防衛」の一種だ。単なる被害妄想狂の戯言かもしれないが、映画『隣人は静かに笑う:Arlington Road』(1998) は、人ごとでない。犯罪の成就をもっとも怖れる主人公(研究者)が、単に「犯罪の成就」に手を貸すばかりか、そのテロ犯罪の道具とされてしまうという恐るべき逆説。世間にとってもっとも信じ難い「途方もないこと」が、実は真実であり、もっとも信じ得るストーリーこそが虚構であるという戦慄すべきプロット。あらゆる細かな事柄が「彼がテロ実行犯である」ことを見事なまでに指し示してしまうという天才的なテロ組織の作る完璧なシナリオ。

こうした映画を作ってしまうアメリカという国の二重性を表す好例だが、まったくもって、ひとりでも多くの人に観てもらいたい最近のアメリカの産んだ佳作である。9.11前に作られたということも特筆に値する。

…と、突然映画話に成ってしまう「数字のゾロメ」話であった。

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