What’s Archivelago?

■ Archivelago 宣言(アーキヴェラゴとは、何か?)

ジョン・ダンはこう言った。「人類は孤島ではない。全体の一部である。すべての人間は、大陸を成す一片、すなわち主要なあるものの一部なのだ*」と。

この言葉をジョン・ダンはヨーロッパと(現在なら当然のように「世界」の一部であることが)了解されているが、おそらく当時「人類」そのものと信じられたある特定の民族集団に言及するための便宜として持ち出した隠喩なのだと読むこともでき、それに引き続く部分を「都合よく省いている」のだが、それは敢えてこだわらない。むしろ、「人は孤島ではない」というワンフレーズにArchivelagoを含め多くの人が共感しているのである。むろん、自覚的にである。

* 誤解を避けるために文章全体をここに転載する。

No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main; if a clod be washed away by the sea, Europe is the less as well as if a promontory were, as well as if a manor of your friends or of your own were; any man’s death diminishes me, because I am involved in mankind; and therefore never send to know for whom the bell tolls; it tolls for you.

何人も孤島ではない。何人も独りで完全ではない。人はみな大いなる陸のかけら──そのかけらが波によって奪われ欧州の土が無くなるのは、さながら岬が失せるようだ。あなたの友人やあなた自身が喪しなわれてしまうようだ。誰が逝くも、これに似て自らが死に往くに等しい。何故かならば、我もまた人類の一部であるが故に。だから訊かないで呉れ給えよ、誰の為に弔いの鐘は鳴らされるのか、と。それはあなたの為に鳴らされるのだから。

それにしても「人類は孤島ではない」という言葉ほど、われわれ人類の「一蓮托生」性を表し、共感を誘う言葉はない。そのフレーズは様々なところで引用され、場合によってはジョン・ダンの意図から離れた意味で使われていることもあったに違いない。そしてこの宣言文自体がその範疇から免れぬ可能性がある。

Archivelago主催はこう言う。「人類は絶海の孤島ではない。全体の一部である。すべての人間は、列島を成す島の一つ。すなわち海面下に存在する主要な山脈の一部なのだ」と。

「大いなる陸のかけら」と人類を視た我がジョン・ダンは、流れ行く時間軸というもう一つの捉えられざる次元を勘案することこそはなかったが、現在の、あるいは当時の、ある特定の歴史的瞬間の断面に現れた人類という大陸と、大洋に浮かぶ孤島の群れとしての個人や民族を、そしてそれ自体を成す大陸や岬を、視たのだった。そして、それが一つの大いなる塊(かたまり)であり、魂(たましい)であることをおそらく語ったのである。

だが、Archivelagoはこの類い希なる名言を吐いたジョン・ダンに大いに崇敬の意を払いつつ、このように続ける。

人類とその歴史を、すなわち高さや奥行きをもった瞬間的存在である平面を、平面の垂直方向、すなわち時間軸上に連続的に無限に配置したものであり、三次元的な厚みをもったモデルであると視る。(ジョン・ダンが視たものは、すなわちこのモデルの切断面である。)

そして、その時間軸上に伸びて長さをもった人類史の実体は、大陸のような実体としての核があり、その表面の大部分を満々たる水が覆っている。つまり、実体の大部分は海底に横たわるものとして存在する。標高高く大洋の表面から陸地が飛び出せば、われわれの意識の網膜に刻まれ認知できる現象として記録・記憶される。多くの場合は、その行為の意味を問わない職人たちの絶え間ない努力によって、そして時として宗教的な霊感や霊視として通念上受け入れられてきた千里眼的な能力、さらに、近代以降は「天才」と現代人がしばしば呼んでいる人物らの新たな表現手段の発見や工夫などからも多いに触発を受けながら、帰属する民族、社会の通念、信仰の相違を容易に突破する超人的な洞察の内容を伝えてきた。

そして、その記憶がわれわれの歴史(history of art)として認識されているものである。そして、おそらく海面上に現れないものは、かつて人類が「無意識」と名付けた大いなるものである。つまり、そこにありながらわれわれには意識されないために、不当にもそのように名付けられた実存体がその長さをもった本体として通底するのである。

すなわちArchivelagoは、いくつかの島々が孤立して、ひとつひとつ時間的な隔たりを経て、海面上に現れた飛び石のように一見ランダムに配置されているのを視る。だが、海面上に突き出ているそれら絶海の孤島のように見えるひとつひとつの島々は、その海面下では一つの厚みのある長い山脈として繋がっているのである。そして、その島々は時間軸上に辿って行くと、視覚的には距離のあるものとして、時間的には隔てられたものであるように見えながら、無関係ではあり得ない。

誤解を恐れずに換言すれば、この山脈の名前こそが、伝統的な動作、言葉、文字、色、形などの「表現」や「創作物」を介して過去から現在まで、絶えることなく脈々と伝えられてきた大いなる徴のことである。

この僅かに芸術の名で呼ばれるにふさわしいもの(ふさわしいと信じられているもの)は、実は大いなる芸術的本体(the body of Art)の、「五感に触れる部分」に他ならないことを肝に銘じつつ、それを自覚的に未来に伝えて行くという役割を担う運動として、ここにArchivelagoの礎が置かれるのである。

すなわちArchivelagoは、過去より伝えられてきた特定の意味を持った「目に見え耳に聞こえる表象」が「目に見えず耳に聞こえぬ水面下」において根源的につながっていることを表す造語である。

Archiveは、あらゆる保管・記録された「作品群・書庫・文書」を表し、Archipelagoは「諸島・列島・群島・多島海」を表す。Archivelagoとは、表現創作物群(archives)をつなぐ、優に1万2千年を超える時間軸上に連なる「群島」の別の謂いであり、前掲の理念自体を象徴している。すなわち別の名は「保管庫列島」「コトノハ群島群書島」「書肆列島」。

そして、Archivelagoは、表現ジャンルを問わず、その具現化の下では繋がって共通の聖なるものの顕現(ヒエロファニー)として機能する作品群の総称である。