映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』

チェ・ゲヴァラの学生時代のバイクでの冒険日記をベースとした映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を劇場で観る。11月中に一度恵比寿の映画館の前まで行ったのに満員で見ることができなかったもの。1ヶ月半以上前にMから借りた原作はとうに読んである。この日は珍しく午前中の輝かしい朝日を拝みつつ、起床することができたので、きちんと「朝食」と名のつくものを食べ、コーヒーを飲み、午前中の回(11:00)を並ぶことにしたのだ。そしてそれは思いのほかうまくいく。

この映画に限らず、原作との違い、みたいなことを論じてみてもはじまらないことは分かっている。映画は映画だ。原作に忠実であることが立派であるわけでもないし、原作と違うことで映画として面白いものなどは沢山あるし、その逆もある。だが、自伝などを基にした作品はどこまで脚色ができるのか? ここには監督や脚本家の倫理とかを問いただそうというような無粋な「原典忠実主義」を披露するつもりはないのだけれど。

だが、まさに革命家ゲヴァラの若い頃の冒険箪を、イメージの先行した革命家像と「離れたもの」としていかに描き、読者に届けるか、というところが「モーターサイクル日記」の出版の眼目のひとつであったと考えれば、いかに革命家と離れたゲヴァラがこの映画で描けるのか、というところに自分は興味があったのも確かなのである。そして、その点に関して言うと、ガエル・ガルシア・ベルナルというゲヴァラ役の俳優は、とても納得のできる配役だったと思う。つまり、内向的で繊細な「喘息持ち」の青年のイメージとして相応しかったという意味でである。

原作の「日記」自体が、どきどきするような二人乗りバイクによる実際の旅の顛末を反映しているわけではおそらくなく、日記というもの自体が事実を反映していると考えること自体にすでに疑問がある(このblogだってそうだ)。それを裏付けるように、一緒に旅をした道連れのアルベルトも、この旅の回想録をなんらかの形で残しているようだが、同じ事件を扱った記述がすでにゲヴァラのものと違っているとさえ言われている(訳者による「あとがき」による)。視点が異なれば、ものの見え方が違うなどということは、いまさらことさらに言い及ぶほどのことではないだろうが、日記さえ「作品」として原作者の手を離れれば、さらに異なったものになっても不思議はないことの一例だ。

正直言うと、原作の「日記」自体が最初に予期した印象よりはるかに地味で、思ったほどおもしろおかしく書かれているというような感慨を持たなかった。加えて、文章自体が執筆活動を専門とする文学者のように練られた文体でもないので、どちらかというと、読みやすいものではない。非常に独特の語り口を持っていることが想像できる。おそらく翻訳者も頭を抱えたであろうところが何ヶ所もある。それは翻訳が不味いとかいうことではなくて、おそらく不可能なのだ、あれを訳することなど。

それにしても、やはりというか、この脚本家もこの「ダイアリー」を映像化するに当たって「革命家としてのゲヴァラ像」と日記の作者を結びつけないでは済まさなかった。「ダイアリー」自体が、革命家像と結びつけて読むとやや拍子抜けするような内容だと本書を日本で紹介した訳者自身が断っている。たしかにそうだ。それでも、この旅がゲヴァラにとって大きな体験であった以上、後にその経験が革命家になっていくゲヴァラに「影響を与えていない」と考えることにこそ、もちろん無理がある。だが、言い方は悪いが、この映画ではこの旅が「後の革命家ゲヴァラを作る主たる原因であるかのように描く」という脚色上の誘惑に、ものの見事に負けている(べつに負けても悪いわけじゃないんだけどね)。そして、おそらくそれ以外にこの原作を映画化する理由も動機も方法もなかったのだ。

つまり、それが映画を見ようと思う人々の「観たいモノ」に応える制作者の抜きがたい傾向なのだ。

むしろ、革命家ゲヴァラが「そうなって」いく直接の原因というのは、このモーターサイクル冒険を終えて何年か経った後の「何か」、しかも「活動に参加する直前の何か」であって、その点については、原作の「日記」には何の片鱗もない。それは、本人もそう断っていたはずだ。

理由もある。そうした本当に大事な「何か」は文章化できない。するヒマもない。それほどかように「大きな出来事」は本人を恐ろしく多忙にしたはずである。しかも、それはある種の暗合がばたばたと連鎖的に起こり、それも一見行き当たりばったりに動いているようにしか見えないものであって、多分に言語化するとものすごく「詰まらない理由」だったりするかもしれない。おそらくそれは「単なる運命の悪戯」だったかもしれない。同じ旅をしても、その「詰まらない理由」と「本人の世界解釈の思い込み」がなければ、案外革命家に生まれ変わることはなかったかもしれないのだ。だが、それをどうやって「あの地味な日記」から「面白い映像」に変換するのか、それが脚色家や映画製作者の追求するべきテーマとなるのは、まったく理解できないことではない。

だからということでもないが、若いゲヴァラたちが通った道中を映画に携わった人たちがカメラで辿っていくことで、おそらく「現場での出会い」のような連鎖があったとボクは想像するのだ。この映画は、作っていく間に、ゲヴァラの目から見た当時の人々の表情を、現代にそのままに映像として捉えることができるということが製作者達によって悟られた時点で、「革命家像と切り離されていないゲヴァラ像」、あるいは、その片鱗を描くための口実と化すことに決まったのである(きっと)...


そして、盛り上がりのない「日記」に比べれば、映画の最後を「やや盛り上げた」河川泳破のエピソードなどの虚構、すなわちハンセン氏病のサナトリウムにおける原作を自由に拡張したと推察されるエピソード。そして、ゲヴァラの試練とそれを乗り越える挑戦という(やや分かりやすい)象徴的出来事が、俄然と言うか、映画には織り込まれる結果となる。ややありがちなロマン主義的なアプローチだ。

だが、そんな感情的なエピソードの追加挿入よりも、もっとも大きな「歴史的歪曲」というか「事実上のミスリーディング」を起因しかねないドラマ上の虚構は、その部分ではない。カラカスに就職先を見つけた「道連れ」たるアルベルトの、「近い将来、ここで一緒に仕事をしよう」という誘いに対して、ゲヴァラが二つ返事で「約束しなかった」ことだ。おそらくゲヴァラは、現実には二つ返事で「うん」と言ったはずだ。だから、いったんアルゼンチンに戻ったゲヴァラは、大学を卒業した後、その約束を果たすために、ふたたびアルベルトと合流するべくカラカスに向かう(「モーターサイクル日記」訳者のあとがきより」)。

「何か」が起きたのは、ほぼ確実にこちらの方の道中であり、「ダイアリー」に書かれている冒険の途上ではない。しかし、映画ではゲヴァラは、この「誘い」に対して、すでにためらいを見せるように描かれる。「ボクの中で何かが起きたんだ」とドラマの中でゲヴァラに語らせる。彼はすでに変わってしまっており、すでに革命家への道を歩み始めているように暗示される。実は、彼は医大を卒業するために祖国に戻るのであって、それから何年かして革命家になっていくのである。これが、歴史的な事実である(だからどうなんだ?といわれそうだが)。

いろいろな「詰まらない」理由で、映画はおそらく原作よりは「面白い」。そして現実はおそらく映画よりさらにもっと面白くもあり苦しくもありというのが、おそらく真相であろう。だが、「日記」という原作に価値がないということではなくて、こうした映画を制作し、ゲヴァラにもう一度光を当てようと言う気を起こさせるだけの、「種」を孕んだ果実だったのだ。

事実上、単館ロードショーで最初ひと月だった上映期間が、今年の末まで延びている。これは2ヶ月間連続ロードショーと言うことになる。それでもあの込み具合を考えると、映画としてはともかく、動員力としてはかなりの成功だったと言えるかも知れない。(「動員数」=「成功」と考えれば、内容がどうであれ、人が入れば成功なんだよね、確か...。)

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