「われわれの社会」に関する当たり前のような再認識(その4)

■ この事故は裁判でその責任の所在が問われるだろうし、労使との間で熾烈な闘争になることも予想される。「事故の責任は誰のものなのか」ということ。その点、この時点で、待ったなしの記者会見をして、「過密ダイヤが脱線事故を起こした一因である」ことを明言したJR西日本労働組合・中央本部の田村豊執行委員長の行為は英断であると言って良い。その後のメディアの報道の方向を決めたとさえ思える。会社の業務を通じて知り得た情報(企業機密情報)を公にすることでしか開示できない被雇用者の当然の権利の行使である。個人情報保護法など、こうした企業内情報の開示に自発的な自主規制的なブレーキをかける悪法であるが、こうしたこともこれからはますます難しくなる。

■ 「安全第一」を、ただお題目として現場職員にオウムのように口で繰り返させる一方で、このような犯罪的に危険な経営方針を現場に強いていた会社の利益優先の姿勢は、徹底的にあぶり出されてほしいものだと思う。

そのためには、事件から時間が経つほどにメディアの熱が冷め、人々の話題に上らなくなる、という「通常の時間経過」に安易に連動しない、地道でさらに声高なる人々の声が求められる。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.