Archive for the ‘衒学のためのレクイエム’ Category

隠す行為が証す行為となることについて

Thursday, November 7th, 2013

われわれの深層心理には、「悪いと知って行なえば、償えない罪を犯す」(G・I・グルジェフ)という前提がまずある。


超古代文明が存在し、超歴史的周回を人類が繰り返しているという範型(パターン)は、超歴史的に(あるいは神話的世界において)起こったことのある「過ち」を、あえてまた繰り返そうと「望む」ことの顕われに他ならないが、その欲望によって起因される結果は、人類自体にとって、とても「悪い」ものとなる。


したがって、そのような超歴史的周回という存在を「知らなかった」ことにする以外に、その過ちの道を歩む方法はわれわれに残されていない。それを「識って」いる間は過つことが出来ない。(例えば、中世のヨーロッパはそれをまだ部分的に「識って」いた。)つまり、そのような超歴史的秩序の存在を証すような証拠は消されなければならないし、また、消されることによってしか、人類はそれ(築き上げた文明)を、再び確実に終わらせる方向へとひた走ることができない。


つまり、超歴史的秩序というものの存在の隠蔽は、当初は意識的に、そして組織的に行なわれ、またそれは徹底して行なわれる。そして、その隠蔽という歴史時代を超えて存在するような壮大なプロジェクト自体が、逆説的に秘密の実在を却って陰画のように数少ない洞察力のある探求者の前に映し出す。オカルトとは「隠されたもの」を意味する。そしてその隠すという歴史的努力の水脈のために、その実在はむしろ後世に伝えられる。それは大多数が信じやすい嘘という数限りないバスに乗せられ、その乗り物のいくつかが、信じ難い真実を壊さずに、未来のある地点まで運ぶ。嘘こそが真実を運ぶ運搬車なのだ。

恨まれている日本

Tuesday, September 10th, 2013

[2012年10月8日に書いた文章をこの時期に再掲]

人を殺した者は、仮に罰せられて法的にはすでに裁かれて「務め」を果たしたとしたら二度裁かれない(一事不再理)。だが、それは手続き的に裁きが完了しただけの話であって、加害者が生き続けている限り、殺された人自身やその親類や友人たちはその殺人者を許さないかもしれない。その気持ちを恨みという。これは死刑制度の是非とは関係のない話として。

 

ひるがえって国家はひとそのものではないが、人としての人格を背負わされている。国家が戦争によって他の民族の財産を奪い、また人々の生活を蹂躙し生命を奪った場合、戦争そのものが国家間で決着して「裁き」が形式上終わっていたとしても、殺された同族たちの恨みは簡単には消えない。戦争によって縁者が殺されている場合、その恨みの感情は3世代くらいの世代交代では消えてなくならない。自分の親が実際に殺されていたり、そうでなくても親のまた親が戦争で酷い目に遭っていれば、その記憶は孫の世代に語り継がれていても全く不思議はない。それどころか、教育によって組織的にその記憶を語り伝えようとするのが当然であろう。その記憶は、自分にたまたま酷い仕打ちをした一兵卒への恨みではなく、その兵隊の背負っている国旗、すなわり国家に対する記憶となる。自分の親族が殺害の被害者側であった場合を想像してみれば分かるだろう。

 

中国本土や朝鮮半島での国家的・組織的な犯罪(それはほとんどが「法的」におこなわれた)が行なわれたことをまったく一顧だにせず、戦争末期や戦後に大陸や朝鮮半島から命からがら逃げて日本に戻ってきたような歴史を持つ家族が、いまだに中国人や朝鮮人についての恨みを語るのを聞いたことがあるが、どうして自分たち同族がはるばる海を越えて大陸や半島に行っていたのかという事実については省みず、自分たちが恨みを持たれたからそのような仕打ちを受けたという因果の構造を理解することもなく、ただ自分たちが受けた仕打ちについてだけ語る。だが、これは逆恨みというものである。

 

今の日本人は、「一体どんだけ謝罪すれば良いのか?」と過去について何もなかったように振る舞い、あろうことか自分たちは彼らの文化的・技術的な生活向上に寄与したのだとさえ主張する者がいて、その様はまるで居直っているとしか言いようがない。我々は自分たちの国家がかつて犯罪の加害者であったことを都合良く忘れている。我々はどれだけ自分たちをだますことができても、被害者の持っている恨みを消すことはできない。仮にその恨みの一部が不当なものや錯誤があったとしても、「恨まれている」という事実が存在していることは自覚した方が良い。

 

それは、今後国家間の争いさえも辞さないと勇ましいことを言うような連中の無謀な行動によって、実力行使するような事態が起こり、その果てに勝敗が決まって運悪く負けた場合にどうなるか? われわれは歴史的な恨みの立派な対象であるから、彼らがかつてされたような同じような仕打ち(あるいはされたと信じていること)を受ける可能性が高いということを理解した方が良い。われわれが日本人であるという事実を甘んじて背負い続ける限り、日本人であるという理由だけでその仕打ちを受けるのだ。それが、ある国家の構成員であるということの意味だ。

 

一度負けた国民は、別の争いで勝った場合、負かした連中に対してその積もる恨みを晴らすということは、歴史の常として行なうものなのだ。どうしてロシアは敗戦色が明らかになった戦争末期の日本に対して、日露不可侵条約(日ソ中立条約)を破って戦争を仕掛けたのか?と問うものがいるが、そんな質問は愚問だ。それは日本が日露戦争でロシアに煮え湯を飲ませていて、手続き上は戦争が終わっていたが、彼らの中では日本に対する闘いは終わっていなかったというだけの話だ。だから北方四島どころか北海道だって奪いたいというのが一部の本音だろう。

 

つまり、大陸や朝鮮半島に住む多くの人々が、日本に対して恨みを持っている限り、そしてその恨みを健全に解消しない限りは、来るべき争いの後には、その恨みを晴らすという「人として」当たり前の行動を行なう可能性があるということなのだ。

 

日本人にもいろいろ言い分はあろうが、国家として過去の歴史を相続している限り、我々は自分たちの先祖の世代でやった行いを「知らない」では済まされないのだ。もちろん知らないでいることはできるだろうが、その場合、歴史的因果で捉えずに、自分たちに降り掛かる事態を「不条理である」と思って死ぬだけの話だ。そして、その恨みを一方的言い分によって自分たちの子孫に相続させるのだ。

 

ところで、国家として過去の歴史を相続しないという選択肢はある。それはこの国家自体を一度自分たちで否定し解体して、新しい国家を作った場合だけ、である。つまり自浄作用を自分たちが選び取って、過去の戦争を起こした者どもを自分たちできちんと裁いた場合だけだ(ドイツはそれを行なった。また、国家分断という物理的な裁きを受けた)。

 

しかし日本は自分たちを直接実力で負かしたアメリカとだけ単独講和を結んだ(アメリカに対してだけ負けを認めた)ことによって、かつて戦争をしたすべての関係者たちとの清算を行なわず、都合よく占領者の「虎の威を借る」手法をとり、周囲を手続き上黙らせただけ、という選択を採った。要するに、恨みの解消や自分たちが生まれ変わって全く新しい国家を建設するチャンスをみすみす逃した。そればかりか、戦争犯罪者として裁かれたはずの戦争責任者まで合祀した(天皇さえも参拝しない神社である)靖国神社に平気で参拝する。これは、恨んでいる者からすれば完全な挑発的行為であり、彼らの目には「日本人は反省する気はない」「過去を悪く思っていない」という態度表明として映る。当然である。靖国神社は、戦争によって亡くなった兵隊や一般人の追悼をする公的施設ではなく、大日本帝国の戦争を美化する装置だからだ。

 

その日本が「何度謝罪しなければ気が済まないのか?」と言ったって、誰からも納得したと言って貰えなくても仕方がないのだ。つまり、恨みは着実に海の向こうで相続され、また犯罪加害者の言い分だけが、海のこちら側では相続され、何も変わることはない。

 

こうした愚かさの果てに起こることについて、私はありありと未来に繰り返される悲劇が想像される。想像力の欠如した者だけが勇ましいことだけを語る。

 

 

 

健診の義務と欺瞞について

Thursday, June 28th, 2012

自分の身体をどうするかという選択肢は当然その持ち主である本人にあると思っていたのだが、とんでもない人権侵害がまかり通っているのが、会社で行なわれる健康診断である(自分の考えでは、これは明らかな憲法違反である)。会社は社員を健康に働かせる義務があるとかいうある意味「当然の配慮」から、一足飛びに「健康診断を受けさせる」という会社側の義務が生じているということらしい。

現に「健診拒否」というキーワードで検索してみると、社員がどうやって自分の権利を主張し、その意味のない健診を回避するかという社員側の話はほぼ皆無で、会社の総務部や社労士の側が、どのように社員を説得し、この義務や「法律」に従わせるか、というような視点でのコメントばかりが見つかる。この法律がどれだけの問題を孕んでおり、医療世界のどのような利権構造の中で作られたものなのか、などというメタな視点も議論もそこにはない。なにしろ法に従っているのはこちらだから、強制することに何の問題もないと、いかにも自信たっぷりだ。こうした連中には医療業界が、自分らを含む人間の身体を食い物にして高い医療費を稼ぎにしている構造を理解しようなどという殊勝な考えはない。あるのは合法であるかどうかという小市民的な視点だけだ。

問題の核は、社員が自分の健康管理に関して自分なりの方法を選択する自由は与えられておらず、《病院》にて健診を受け、《病院》側での診断結果を踏まえて問題ありと判断されたら、《病院》で治療を受けるという方法しかこの世にないかのような決めつけがここにはある点だ。病院はそもそも本人が同意していないことは一切できないことになっているはずなのに、健診に関しては有無を言わさずに被検者を従わせるのが当然という慣習なのだ。

社員は会社の用意する病院での検診ではなくて、本人がどうしてもその病院での検診を受けたくないのであれば、別の自分の行きたい病院での検診を受けてその結果を報告するという選択肢は与えられているが、《病院》の判断を金科玉条のごとく無批判に受け入れる態度であることには変わりがない。病院で検診せずとも 自己判断で「健康である」と宣言することや、例えばだが、当人の信頼する整体師や鍼灸師のお墨付きなどには何の価値も認められていない。健康管理には無数の選択肢があり、また治療の方法も病院が用意する以外の方法がさまざま存在するにも関わらず、社会で認められているのはいわゆる病院という象牙の塔を中心とした医療従事者の判断だけなのだ。

本来、何ぴともどんな病気に罹り、どこで、どんな死に方をしようが、それを他人にとやかく言われる筋合いはなく、それを好きに選ぶ権利があるはずなのに(もちろんこれが極言であることは承知の上だが)、こと健康管理や病気、そしてその発見ということになると、いわゆる医療関係者の思惑通りでいいというような、彼らに空手形を渡したかたちになってしまっている。

『患者よ、がんと闘うな』を書いた近藤誠氏などを始め、ある程度まとまった数の心ある医師たちによれば、いかなる健康診断(婦人健診を含む)も、それによって発見しようとしている病気(それは肺が んや胃がん、そして大腸がんであったりだが)による死亡率をまったく下げないどころか、むしろ死亡率を上げており、被健診者の寿命を延ばさないということがかなり明瞭にわかってきている。そんないい加減な医療が保険制度が崩壊するほどの出口のない状況を作り出している。気をつければ、前掲のような真摯な告発の存在があるにもかかわらず、医師会は依然として絶大な権力を持ち、ひとの健康を彼らが左右できると考えているだけでなく、死亡率を上げたり、生活の質を大きく損なうような方法を省みて止めることもなく、健診医師や健診装置を作る医療業界の利権を守るために、不要な健診を未だに強いているのだ。

これは彼らが人命救済に本当に取り組んでいるのではなく、「人の身体や命を食い物にしている」ということに、われわれが気づかねばならない。彼らがどうしてわれわれを「患者様」と「様」付けで呼び始めたのか、ということは、患者が「お客様」であることに他ならないのだ。

参考サイト・書籍など

近藤誠医師の呈した疑問
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan062iryouhoukai.htm

敵味方の色分けで利するのは真の《最大の敵》であること

Tuesday, November 15th, 2011

敵は、Divide and rule(分裂させて支配せよ)と云う帝国ローマの時代から実践されている戦略でわれわれを支配している。

考えてもみよ。一体自分の意見総てに賛同してくれる人間がどれだけ世の中にいようか? ひとつの重要な哲学を共有すれば、どんな争点に関しても賛同できるはずだというのは理屈の上でだけの話だ。

世の中には実に多くの議論があり態度を決めなければならない案件がある。その総てに関して賛同できる人としか共闘できないなどと云う方針を立てたら、われわれは本当に全員が孤立するしかない。

今議論を賑わしていることは原発とTPPだが、それ以外にも重要な争点というものはたくさん存在する。例えば妊娠中絶をどう考えるべきか、から始まって、外国人参政権をどうするか、外国人の捺印問題は、などと様々な政治的判断を要する課題がある(あった)。数えきれない問題があり、議論がある。そこで、それら総てに賛同できる人としか運動協力できないということでは、「今そこにいる最大の敵」とは闘えないだろう。

他者を敵と味方にだけ色分けして分類しても、総ての議論に賛同する人間を見つけることは事実上不可能だ。したがっていざある特定の争点で勝とうとしても、敵に分類される人の数が圧倒的に多過ぎて、その時は十分な友軍を得られない。われわれはここで十分に聡くあらねばならず、絵に描いた理想ではなくて現実的な勝利を目指さなければならない。

「原発に関しては賛成だがTPPに関しては反対」という立場があって(現にある)も、あるいはその逆があっても、残念だが仕方が無い。

だが例えば脱原発に勝利し、TPP反対も実現しなければならない時、そのどちらについても最も説得力のある論理を敵味方の関係なく採用しなければ、われわれにとって最大の目的である両方の理想の実現は望めない。

ある争点で勝つためには、垣根を取り払って、不動の論理と最強の説得力とを持つ人間の、その《言葉》を虚心坦懐に採用しなければならない。それが「誰が言っているのではなく、何を言っているのかを聞かねばならない」と言っている理由なのだ。理念はそれを語る人格以上に尊いのだが、凡人には敵味方を色分けすることばかりに夢中で、どうやって真の解を見出し、また議論に勝利するかを考えられない。

つまりAという案件では敵だがBという案件では共闘しようという太っ腹の寛容がなければならないのだ。その寛容にこそ、敵と見做されている人間を実は味方の論陣に引き入れられるかもしれない唯一の契機が潜んでいる。だがそのことに気付く者は、驚く程少ない。

もう一度言おう。他者に艦砲射撃のような遠距離からの言葉による攻撃をして、事実上の敵の拵えることではなく、敵こそ身近に引き入れ、敵の考えやアジェンダを知り、必要に応じて利用し、味方であると思わせる程の許容量を身に付ける必要がある。そして、気付いたら「敵」が本当の味方になっている可能性も在るのだ。だからわれわれは敵味方の分類を忘れ、真に聡くあらねばならない。

ブルックナーの音響的《作用》

Friday, October 14th, 2011

ブルックナーの音楽の「無内容さ」は、(それ自体が価値判断を含んでいないものの)あくまでもマーラーの音楽が「内容」を含んでいる、というような限定的な文脈に於いてでしかなく、それほど深遠な意味を持つ言説を放ったつもりはない。そもそも、こと音楽に関しては「無内容だから無価値」という訳でもない。音楽は自体が高い抽象性を帯びているので、基本的に無内容なのだ(無意味ではないが)。

 

むしろブルックナーの音楽の一聴したところの「つまらなさ」は、CDなどの音源を通して行われる疑似音楽体験という不利な状況下における、きわめて公平さに欠いた条件における感慨でしかない。つまりブルックナーの体験は録音を通してのものでは、決して理解されないような非常に不利な立場に置かれていると言えるのである。

 

実は、かくいう筆者も感動的なブルックナー体験をしていないわけではない。だが、それは音楽の作曲された「内容」に動かされるというよりは、響き自体がもたらす身体的な作用と呼ぶのに近い「体験」だったのだ。しかもそれはライヴ状況におけるもので、しかもそれは自分が演奏者の一人として、その音のただ中にいたときに起こった。それは《ロマンティック》という呼称で呼ばれることの多い、交響曲第4番のリーディング(初見試奏)での出来事だった。

 

冒頭の弦楽器がトレモロを奏でてつつ、体に接する空気がざわめきながら包んでいるとき、ある和声進行が起こったときに、突然自分の体を電気的な「感動」が貫いたのだった。これはどちらかというと宗教的な恍惚というのに近い感覚で、「劇的なクライマックスに心が躍る」とかいうような分かりやすい情動というのとは、また違う肌合いのものだった。だが、その生理的とも言いたくなるような身体的な反応は、同時に便宜的に「感動」と呼ばずになんと呼べば良いのか分からないような作用として感得されたのだった。

 

これだけがブルックナーの唯一の価値だと談ずることはできないが、少なくともこれを味わうことなく、ブルックナーの好悪を決するのは、まったく公平さに欠いたものだと言わずにはいられないのである。

音楽の《雑味》という要素について

Wednesday, October 12th, 2011

リードを削っていて陥りがちなひとつのトラップ(罠)は、吹きやすさ、鳴らしやすさを追求する余り、音がまるでサインウェーブ(正弦波)のような純粋さを達成してしまうことだ。こうなると、極端な話、オーボエなのかクラリネットなのか、はたまたサックスなのか区別がつかない様な没個性的な単なる響きに堕ちてしまう。ある楽器が特定の個性を持った音色を持つのは、そぎ落とされずに保たれた、言わば雑味の部分だ。それはリードで喩えるなら鳴らすまいとする抵抗性の要素だ。

 

これを残すことはある程度の吹きにくさ、鳴らしにくさと云う扱いにくさを許容することでもある。まさにその遺された僅かな雑味の中にこそ、楽器としての存在価値がある。

 

一体、ヴィオールのあのかすれた響きに非ざるものを削ぎ落としてしまった後に、なにが残るというのだろう。

 

つまり、今日の音楽という特殊な「交響」の中にあって、響かざる何かを追求すること以上に価値のあることはないのだ。そのかすれた囁きにこそ、音楽の生命(いのち)の宿ることを知る人々がいる限りは。

神話となるわれわれについて

Wednesday, October 12th, 2011

われわれの生きている時代は、空を飛び、海を自在に航行し、星と星の間を旅することのできた神々の時代の神話に間違いなくなるし、そうなる前の時点では、われわれの存在がまず「古代人」という名誉ある呼称でひとくくりにされるプロセスを経るであろう。

 

そして、太陽の欠片(かけら)を地上にもたらし、それで暖を取り、煮炊きをし、星の裏側の同胞と会話をし、そのあげく、住む土地を失った愚かなる神々の末裔が、やがてわれわれの愚挙をすべからく語り継ぐことになるであろう。

 

だが、その核心となる部分については、「そのような古代にそのようなことを実現したはずがない」という圧倒的なまでの正論によって、邪教の扱いを受け、まともに取り合ってもらえない類の世迷い言として、またしても排除されるであろう。そして、「過去を語り継ぐことのできない」われわれの子孫は、またしても同じ過ちを犯すことになるだろう。

ドメイン削除事故の顛末

Wednesday, August 17th, 2011

今回の「クラウド(当ブログ)」をボタンひとつで消してしまった「事故」について書く。 その様に意識していなかったが、結局自分のブログをまさに原稿専用の「いつでも何処からでもアクセス可能なクラウド」の様な扱いにしていたのが大きな仇となった。

ローカルには下書きから起こして様々なバージョンの原稿が存在しているが、本物の最終原稿はすでにリモートの中だ。何故なら最終に近くなるとブラウザ上で通し読みをするし、何か問題を見付けたら管理画面上で修整してしまう(誰でもやっている事だと思うが)。こうしたリモートにしか最終版がないなんていう状態は、案外何処にでもある現象なのではないだろうか。

今回起きたドメイン自体の消去、などというあるまじき事故は、完全にヒューマンエラーで起きた。誰も責められない。何故この様な事が起きたかと言えば、数日前に数年来会っていなかった友人から「メールを送ったが届いていないか」と訊ねられたのがきっかけだった。いつものアドレスに届いていなかったので、に旧いメールアドレスがまだ生きたままなのではないかと考えて、久し振りにブラウザメールで心当たりのあるアドレスのページに行ってみた。すると、やはり存在していた。どういう判断でそうしたのか思い出せないが、新しいアドレスを作ってそれをアナウンスした後も残していた様だ。或いは何らかの理由で一時的に復活させたのか…

直ぐにドメイン管理画面に行き、「不要なメールアドレスの削除」のアクションをとろうとしたが、ドメイン名がこの旧いメールアドレスと酷似していたため、ブログ専用に確保していたドメイン自体を管理ページにて確信を込めて《削除》したのだった。

しかもその自分の行為の誤りに気付く事なくしばらくはメールアカウントを削除しただけだと思っていた。気づいた時は自分のやった行為が信じられず、心拍数は上がり冷や汗が出て、暫くの間、放心してしまった。しかもこのエラーが後戻りできない決定的なものだということも同時に理解していた。

あるのはあちこちのリモートやフラッシュメモリーなどに下書きとしてバラバラに書き散らしたデータだけだ。これからやる事は一年と四ヶ月書き溜めた原稿の地道な復旧なのである。「一度無くなったものは諦めるのも選択肢」のように言うひとのいるが、それを受け入れるのは到底無理だ。自己の重要性を課題に評価している部分もあろうが、書いたものは自分の子供のようなものだからだ。

いずれにしても、リモート上に最終原稿が存在しているというこの常態になりつつあるトレンドというのは、ハードディスクを初期化するよりも簡単に、自分の設定ページで2、3のボタン操作だけで「雲散霧消させる」ことが可能なほど、危ういものなのである。まさに「クラウド」なのである。

自分の教訓が今後クラウド化して行く世の中で参考になればと願う。やはりローカルとリモートの間の徹底した同期という基本を押える以外にないのだろうが、自分の判断を信じて行うエラー自体をある程度の確率で避けられない事態があるという現実を見据える必要もある。

【お知らせ】entee memo II データが事故により喪失

Tuesday, August 16th, 2011

《entee memo II》のタイトルで1年4ヶ月にわたり運営していたblogが思いがけない重大な事故により、一度すべてのデータが失われました。結果として、entee memo IIにて2010年4月以降に書かれた皆様のコメントを含む1年4ヶ月分の記事のデータが喪失しました。

回復には時間が掛かり、また回復したとしても完全な復旧は不可能と思われます。大変残念なことです。コメントを残して下さった方には本当に申し訳ございません。一刻も早い復旧に奮闘中であります。

なお、2010年4月以前に書かれた記事は、すべてentee memo (original)にても読むことができます。

▲本日21:30現在で 2010年4月以前に書かれた記事は、本blogにて復旧できましたが、それ以降の内容につきましてはまだほぼ手つかずの状態です。徐々に時間を見つけて復旧を行って参ります。

▲8/17正午現在で、GoogleおよびYahoo!の検索サーバー上に残っている《キャッシュ》が、ここ1年以上にわたって投稿した記事のほとんどをバックアップしているという事実を知りました。原稿の題名さえ分かれば、ほとんどどんな無くなった過去記事でも回収できることが判明し、それをすぐに実行に移しました。但し、皆様のメントにつきましては、 すべての復旧は難しいものと思われます。再投稿など、もしご協力頂ければ幸いです。

ツイートの転載開始

Wednesday, August 10th, 2011

Twitterは常に何かを叫び続ける持続力を持つ利用者が「継続的に世間の水面上に浮かんで居られる」という類の、積極アピール型の人間に美味しい機能を供給するものだ。勿論、叫び続けるためには、トピックも方法など慎重に選んでいられないという状況にも陥りやすい事は、誰にでも容易に想像がつくであろう。

このことについては何度か言及しているが、Twitterをはじめとしてこの頃のネットツールが時系列を基本的な設定としていることは筆者にとってあまり嬉しくない。Time Line (TL) などと呼ぶ機能があるが、「お気に入り」だって何だって実は全てタイムライン(時系列)上に並べられている。

実際問題として、どのようなblogにも似たところがあるが、最新の記事が無条件的にトップに現れる。だが実は一番新しいものが一番大事なものとは限らず、大事な記事ほど深い地層に埋れている可能生だってある。自分の場合は止むに止まれぬ事情があってブログを始めたが、その理由を強く感じていた立ち上げ当初にこそ重要な記事が集中しているということが大なり小なりある。

他人のツイートのタイムラインを下の奥深くまで潜って行って熟読するなんて人がどれだけいるかを想像してみても分かるが、特にこの「つぶやかせる」新しいコミュニケーションツールは、新しい発言ではなくより重要な記事に気付かせるという意味ではまったくお粗末としか言いようの無い代物だ。加えて、上から下に向って古くなって行く記事の配列は、どこまで遡って読み始めればいいのかの判断も難しく、ピンポイント的にある時間に遡ることもできないので、通時的に読み進もうと考える読者にとって、ストレスの多いものだ。もちろん、このツイッターにはそれに相応しい役割も使い方もあることを否定する気はないが、検索可能性についてもツイッターはあまり機能的なデザインが成されているとは言い難い。

それで、これまでにツイートした中で、読み手の皆さんがそう思う以上に実はこだわりがあったテクストを抜き出して改めてこのentee memoに転載することを昨日から始めている。

筆者がツイートを始めたのは、今年(2011年)の3/11以降だから、ここ4ヶ月あまりに書き、いくつかのツイートに分割してアップした比較的まとまった長さの文章を、若干の推敲を含めてここに転載することにする。それでもそれなりの数があるので、転載作業には数日掛かると思われる。