3人で1台のピアノを弾く

【3人で1台のピアノを弾くこと】

河合拓始さんの「Piano Real シリーズ」第1弾に、連弾ピアニストの“ひとり”としてゲスト出演。渋谷の「公演通りクラシックス」にて。3部構成に分かれている今回のライブの第3部で、「一台のピアノを3人(6手)で弾く」という、一見、突拍子もないバカげたアイデアだが、それを河合さんが考えた(実は彼がそれを思いついたのは、前回のGrapefruit Moonでのwind ensembleライブの直後だったのだが)。そのゲスト出演オファーに対して、もう1人のピアニスト、新井陽子さんと、兼業ピアノ弾きの僕が、「やりましょう」と引き受けたのである(モノズキにも)。

横長のピアノ椅子を二つ並べ、ベンチのようにして、それに無理矢理3人で「メジロ押し」状態で座る。僕は二つの椅子の割れ目の上だ。真ん中のピアノ弾きだったからだ。おそらく視覚的には、それだけで「かなり笑える」はずである。その3人が、神妙な顔をしてピアノを弾くのである。(それは、3人のビデオクルーによって3台のビデオカメラが捕らえているはずである。)

分かりやすい構成要素。それを時間軸に沿って並べただけの、実にシンプルなプロット。であるが、それを3人がマジメに取り組むところが、まず見ていて面白かったはずである。特に、3人の腕が交差し、鍵盤を奪い合う所なんか...。


【お笑いでないこと】

しかし、僕たちが昨日やったのは単なるショーではない。ましてやお笑いを狙ったわけでもない。音楽である。見ていてたぶん面白いのは、河合さんの狙いのひとつだったかもしれないが、結果的に起きた音は、「熱い音楽」になっていたと思う。河合さんの狙い所は、おそらくメカニカルで無機的な、あるいはある種、因習的な意味での「非音楽性」だったと想像できるのだが、3人の肉体が生み出している以上、やはり、音楽が自ずから「目指された」のだと思う。僕自身が「目指した」と言わないのは、少なくとも、自覚的には「音楽を目指さなかった」つもりだったのに、結果的に音楽が招来されたからである。しかも、それは、ライヴ中、3人のピアノ弾き全員の中に起きたことだと思うのだ。「演奏者が音楽をドライヴするのでなく、音楽が演奏者をドライヴする」というのは、やはりあるのである(当然だが)。

【笑ったこと(でも“笑えない”こと)】

今回「クラスター」と呼ばれる、大音量のクラスタートーンを3人で叩き付けるセクションがあったが、「誰かが入らないものアリ」という小さな注があった。直前で「自分は弾きますよ」と言っていた(と思った)ので、河合さん自身が「弾かない」選択をとるとは思いもよらなかったのだ。完全に彼を信頼してしまい、彼の出す「アインザッツ」がフェイントであるのに気付かず、ひとりでフライング(飛び出す)させられた。そのこと自体は、笑えるような事態ではないのだが、直後に河合さんと新井さんが「くっ」と笑いをかみ殺しているのを両脇に感じて、それでけっきょく笑ってしまった。河合さんと新井さんの間になんらかの「申し合わせ」の類があったとしか思えないほど、2人によって上手にハメられてしまったのだ。だがおそらく「共謀」はなく、物理的に新井さんと河合さんの間には僕がいたにもかかわらず、彼女は河合さんのフェイントの意志を読みとったのだ。くそぅ。それにしても、あそこで、笑わないでいられた人がいようか。

【演奏者として感じたこと】

鍵盤を押し続けるロングトーンが沢山あったが、キーを押さえ続けているときに、鍵盤を介して指に伝わってくる「隣の奏者」の音の振動が、じつに官能的であった。耳だけでなく、指が隣の人の音を聴いているのである。あれは、奏者だけに聞こえている「音」なのだと思う。

【聴者として感じたらしいこと】

ピアニストは、そもそも個人プレイヤーが多い。自分が一番だと思っている(それなりに)。古典音楽の世界では、伴奏楽器としても重要だが、ソロ楽器としての役割も大きい。モダンなピアノがソリストとしての気質に十分に応えられる楽器であることは、おそらく周知の事実だ。そして、即興ピアノというジャンルなら、なおさらそうした気質の人が集まっていそうである。そんな現実の中で、即興ピアニスト同士が協力し合って何かのプロジェクトを起こすのは、(たぶん)なかなか難しい。

そのピアノ弾き同士の壁に風穴を開けたのが、「ピアニストを3人並べて6手連弾をやる」ことを思いついた河合さんであった...と言うのだ[← 連れ合い談]。確かにそういう面がある。しかも、河合さんは一番左の(低音域)に座した。自分が真ん中になって両脇にふたりのゲスト出演者を配することもできたと思うのだが。

One Response to “3人で1台のピアノを弾く”

  1. カワイ Says:

    おっ早速詳細なメモがっ! いや、ともかく日曜は共演ご参加いただきありがとうございました。

    一回やったリハも駆け足でしかも時間足らず、当日のリハもなおさら限られた時間でしたから、次回やるときはもうちょっと時間をかけて準備ができるといいですね。
    そのうえ、ポロポロとは曲の性格を話していたとは言え、この音楽の「狙い」についてあまり詳しく話してませんでしたね。いまここで言い出すと膨大かつ錯綜したものになるので止めておきますが、ひとつだけ言うと、ピアノのキャパシティは二手(ひとり)で弾ける以上のものがあるから、かねてから三手以上でこの楽器を鳴らすことに関心があって連弾とかやってみているのです。

    さてくだんの「クラスター」セクションについてですが、二人もしくは一人だけが入るところも入れたかったんですよ。アインザッツは毎回ぼくが出すけれど、ぼくも含めて入らなくてもいい、ただ誰も入らず無音になるのは(ここでは)(今回は)避けたいので誰も入らなかった場合はぼくが入る、と。ご承知のように勿論新井さんと図ったわけでも何でもなく中溝さんだけが入る場面が出来ましたが、それは全く良かったんです。不思議なのはそこで笑いが出たことですね。新井さんがプッと吹き出し、ぼくも笑っちゃいました。どうしてでしょうね。べつにハメた笑いでも何でもなかったのに、何かユーモア、ユーモラスな感覚があったのでしょうか。うまくまだ説明できませんが。(ちょっとこのあと長くなるし、楽屋話の類なので私信にします) 

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