Archive for the ‘Livestock’ Category

《もんじゅ連》についてのお知らせ

Friday, October 28th, 2011
《もんじゅ連》について、バンマスのenteeより、皆様にアナウンスメントがあります。2000年から11年に渡って活動して来たメンバー不動のアクースティック即興とリオでしたが、諸事情により11月19日(土)の記念すべき「第50回」となるこのライヴをもって、無期限休止に入ります。何度も足を運んで下さった皆様方へ、これまでのサポートについて御礼申し上げますと共に、この最後となるライヴの立ち会いに奮ってご参加いただきたく、お願い申し上げます。

あえて、「解散」とは申しませんが、次回どのような形でこの三人が共演するかは全く未定です。このチャンスをお聴き逃しなく。ぜひ!

この50回目のライヴが皆様のご記憶に残るようなものにすべく、「三人寄ればもんじゅ連」の底力で、熱く音楽したいと思います。

もんじゅ連 [Vol. 50]
場所:高円寺グッドマン
http://koenjigoodman.web.fc2.com/
開演:20:00 start
メンバー:
entee: piano, double reeds
池上秀夫: contrabass
渡辺昭司: drums and percussions
料金:¥1600(one drink 込み)

朗読会の告知

Saturday, February 7th, 2009

Orpheus Leaflet

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久しぶりにこういう朗読の発表会をする。今月の28日。今回は久しぶりにリーフ制作も手掛ける。

朗読楽劇「解読」のリハ

Sunday, August 14th, 2005

日曜日、1時間ほぼぶっ続けで8/27の朗読パフォーマンスのリハをした。今回相方になるピアニストの河合さんの希望もあって、この日のアレンジしたのだった。本番と同じグッドマンにて。最初自分は「リハ」をすることに関してやや否定的だったんだけど、いろいろな意味でやってよかったね。まず、自分の話をすれば、あのテンションで読み続けることが「どれくらい大変なのか」が、よおーく分かった。あと、やってみて判明したのだが、テキストの「尺」が、全部読み終えても余裕がある感じだったこと。昨日のリハではオーボエによる即興をほとんどしなかったこともあったと思うが、十分に時間を掛けてひとつのテキストが読めるということが分かった。今回楽器はあくまでも副次的なものだから。慌てて読む必要がないことが分かっただけでもよかった。「解読」以外の作品も多分やることになるだろう。

読み方だが、テンションが上がり切ってしまうと、それはそれで単調になってしまうということだ。テンションを維持しながら表現を付けることがおそらく一番の難題になるだろう。高いテンションの中での細かい抑揚が難しい。音が「大きいか小さいか」というダイナミック・レンジの面だけ言えば囁き声から叫び声までかなり多様な表現が可能のように思える。マイクの助けもあるので楽器がある程度鳴っていてもそうした方法ができそうだ。しかし、声の音程の「高いか低いか」というフリークエンシー・レンジの面では、私の声は相当に狭いのである。テンションが上がると、いきおい同じピッチに留まってしまってそれ以上上がらない。しかもそれが結構低目の音域でそうなるから困るのだ。そしてテンションを維持しながらの声の音程の上げ下げが難しいのだ。おそらくちょっとやそっとの回数をこなしたくらいでは、そう思うようには行くまい。

テンションが上がり切ったところでそれが長く続くと、おそらく聴く方もすぐに「腹が満杯」になって集中も持続できなくなり、結果としてテキストを追うのを諦めるかもしれない。聴く人の関心をテキストに向け続けるための「語りの技術」の探求が必要になりそうだ。

河合さんのピアノは私が期待通りに(っていうか、期待以上だったと言うことなんだけど)自分の朗読と、合う。本番が実に非常に楽しみだ。リハ後に“ロイヤルホスト”で行った意見交換も、今後の考察の端緒となるものだった。河合さんは実に良く考えて今回の「朗読楽劇」に取り組んでくださっているのが感じられて嬉しかった。

これはかなりしんどい2週間になるぞ。

(とか何とか言ってますが、鬼神ライブの方が先にくるんだよなぁ。まずはそちらへフォーカスしなければ…)

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「もんじゅ」も揺れた土曜のライヴ[下]

Sunday, July 24th, 2005

肝心の<もんじゅ連>のライブは、と言うと徒歩や自転車でグッドマンに来られる人しかお客さんはいなかった。それでも来て頂けたのは全くラッキーである。中には電車とタクシーを乗り継いで聴きにきてくれた殊勝な方までいるのだ。まったく「多謝」としか言いようがない。

今回のライヴは前半の30分はどうも調子に乗れない自分との葛藤があり、焦燥のうちに終えるが、後半で楽しい集中が巡ってきた。他の相方2人がどう思ったかは分からぬ。だが、<もんじゅ連>らしい音が、出てきたと思う。

初めて聴きにきたというある若い男性から、翌日手書きのメッセージを受け取った。ネットもメールもやらないという方である。そのメッセージを読んだら、「音楽をやっていてよかった」と熱い思いが久しぶりに吹き零れた。すぐに本人にその文章の公開が可能かどうか訊いたら、寛大に(そして恥ずかしそうに)「もう渡したものだからそれをどうしようと自由です」と言って下さった。

彼が(そしてそこにいた誰もが)土曜日に聴いた音は、もはや再現不可能である。録音からその雰囲気のごく一部を伺い知ることはできるかもしれないが、生で展開された音そのものを再現することはできない。しかし、それが確かに何らかの体験をもたらし、その人が何かを視たのだということは、その文章から切々と伝わってきた。音楽そのものは言葉に変換できないが、音楽を通じての彼の体験の一部は言語化された。

私は下手な評論や感想文、そして差し障りのない社交辞令の褒め言葉よりも、こうした聴取者の飾りのない内的体験を綴った言葉に真実を信じる。そしてありがたいと思う。その文章から、かならずしも無邪気に喜んでいて良いことだけが諒解できる訳でもない。いろいろなことを学ぶことができる。このように、音楽から言葉へ、そして言葉を経由したエネルギー(炎)の伝達、そしてその「法外な返礼」へのこちらからの感謝と感動があって、それを糧にまた次のライヴへの新たな取り組みに戻ることができる。

こうした永久機関的な、「我々に続ける意思さえあれば、決して減じることのない相互的なエネルギー交換」が、聴取者の方々、そして共演者の仲間とできるならば、他に何を望もうか! これが一度、私がまともに主張して人々から失笑を買った「ギブアンドテイク」の思想の核なのだ。でも与える時は、もちろん何の見返りも期待しないで行なわれるのが前提のエネルギーの交換なのだけど…。

下にそれを転載する。

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「もんじゅ」も揺れた土曜のライヴ[上]

Sunday, July 24th, 2005

早めに家を出ようとして靴を履き、外の廊下に出てよいしょと重い荷物をふたつ背負ってドアを閉めようとしたら。ボクを玄関まで見送ろうとしていた連れ合いが、廊下で「いやあ、地震っ」と叫んだ。立っている上にちょうど重い荷物を持ち上げるというアクションをとっていたので、揺れが来たことは、全然分からなかった。「何を騒いでいるんだろう」と不思議そうな気持ちで、廊下に立っている彼女の方を玄関の一歩外から観たら、床と壁と天井が作る「長方形」であるはずの廊下が、左右に揺れて菱形に歪んでいるような「眼の錯覚」を覚えた。「え〜、なにこれ?」と驚いて振り返って外を見ると、地面が、差別なしに全ての人工構築物を等しく「揺さぶっている」のが見えた。自分も揺さぶられているのであるが、思わず頭を少し低くして手摺にしがみつくと、玄関外のマンションの廊下の床と天井がびょんびょんバネのように狭まったり開いたりしているのが見えた。鉄筋コンクリートといっても、なんかこんにゃくのように柔らかそうに見えるのだ。

それから、ようやく「これはちょっと大きい」という実感が来たので、連れ合いの方にまた目を向けると、思わず大きな声で、「靴履け!靴!」と叫んでいた。逃げるとしたら素足では逃げられないからだし、彼女も玄関にいたからとりあえず靴を履くのが、どこかに行くにしても行かぬにしても、避難の第一歩だと思った訳である。

次の揺り返しがくるまでにマンションの外に出て地上に降り、駐車場のようなスペースのところまできて揺れが収まるのを待った。しばらくするとまたゆれが来ているのが電線や止められているバイクを見て分かった。おそらく揺り返しだろう。外にいたので、あまり恐怖がなかったが、ウチにいていつものように半裸でしかも裸足でいたりしたら相当恐怖を感じたに違いない。

揺れが収まって、普通に運行している井の頭線に乗って吉祥寺に行くと、そこはまったくの混乱と半分パニック状態になっている人々の群衆があった。激高して駅員に叫んで何か「権利」を主張して列を止めている若者がいたり、その後で明らかに不快な顔をして、改札から押し出ようとしている大勢の人々がいる。たった3人で何百何千という人に状況を説明をしなければならない駅員の困惑。地震は俺が起こしたんじゃないという気持ち…。

中央線も総武線も、先の地震で全く動いておらず、いつ運行を再開するかが分からないという事で、あっさり諦めて、同じ井の頭線に乗って自宅に引き返すことに。電車の中でポケットラジオを聞くと、都内の地下鉄全線、小田急線、JR各線、多くの鉄道が点検のために運行を中止しているという。これは、もう高井戸からバスに乗って荻窪にたどり着くしかあるまい…。

自宅でぼちぼち出ようかと考えていたら、<もんじゅ連>相方のナベさんから電話連絡があり、クルマで荻窪まで連れて行ってくれると言う。ありがたい話である。

告知:もんじゅ連 tonight @ OGIKUBO GOODMAN

Saturday, July 23rd, 2005

もんじゅ連 [28]

8:00pm

荻窪グッドマン

音の洪水、オルギア祭、三人寄れば、<もんじゅ連>

もんじゅ連:

 なかみ ゾ (piano, double reeds, etc.)

 渡辺昭司(percussions)

 池上秀夫(double bass, etc.)

対バン:

 石内矢巳(詩朗読)

 モリシゲヤスムネ(cello)

杉並区天沼3-2-23

TEL 03-3398-3881

(これは、ライヴが終わると削除される)

感慨:鬼神ライブ@音や金時 6/23

Friday, June 24th, 2005

慣れた訳ではない。ライヴに慣れるはずがない。良くも悪くも(普段の自分でなくなるという意味で)緊張はしているのだが、不思議と今回は、比較的落ち着いて舞台に立てた(座っていたけど)気がする。これはどういうライブならそうなるのか、というような一般化も定式化も全く出来ない何らかの条件で起こる一種の精神状況で、それは年にだいたい30回前後出演するライヴパフォーマンスの中でも、ほんの2、3回程度(あるいはもう少し頻繁)に起こるものなのだ。言ってみれば、それが「たまたま」昨夜起こったということだ。

しかも、そういう「落ち着き」というのが、ライヴの内容に良く反映するとも悪く反映するとも、そのどちらかに体よく収まるということとも無関係なのだ。落ち着いていて良い演奏が出来たと思えることもあれば、そうでないこともある。ボルテージが上がり切り、自分を見失っているのに(いるから)、結果が良いこともあれば、(見失っているからこそ)ダメな時もある。「自分がこうあれば、結果がああなる」と予測できるものでもないので、あまりアテになることでもないということが分かるだけなのだ。

これに関連して以前に書いたことのあるエッセイ

ただ、ひとつだけ言えることがある。とすれば、それはこの度のライヴにおいては、夢中で演奏している自分がいるのと同時に、それをどこかで「楽しんでいる」自分がいたということである。前回初めてゲスト出演させて頂いたAPIAでの最初のライヴの時のように、「ここぞ。ここで出なくてなんとする?」という瞬間をことごとく「見逃しの三振をする」、という感じではなく、全体の時間の流れに自分も乗っている感じもあり、舟から落ちないように櫂にしがみついて必死で川を下っているくせに、周りの景色も突然目に入ってくる、みたいな瞬間があったし、川を下っているスリルを楽しんでいる自分もいた。もちろん、演奏後にビデオを観て初めて気付くようなことだっていくつもあったのだが、それでも演奏中に自覚できることが多かったことは、自分にとって珍しいことであると言えよう。演奏の善し悪しとは別の問題として、演奏している自分を楽しんでいるというのは、実に有り難い出来事ではある。

なぜなら、演奏中の自分を皆目思い出せない数多いライヴの中で、演奏を録音を通してしか「追体験」できないというのは、口惜しくもあり、スリルで冷や汗をかきながらも演奏そのものを演奏中に実感できるというのは、貴重な体験であるからなのだ。

そのためなのかどうかは分からない。今までの浅い経験からしても、「そのためだ」と容易に「何かのせい」に結びつけることは何の足しにもならない。だが、あれだけの熱意を持って楽器を吹いても、自分が思い描いている音として鳴っていない、どこか「ぬるい」部分があることは、録音からでもよくわかった。こうした音色や音圧についての自覚は、演奏後の方が客観的に分かることが多い。それについては、普段と変わらなかった。

せっかく聴きにいらした方のことを考えると、このようなことを書く(思う)こと自体が拙いのかも知れないが、自分を大きく見せる気も神秘化する気もない。あるがままの自分を聴いて下さる方のためにも、自分が何であるのかというのを「隠す」のは潔くないと考えるのだ。

なぜなら、音楽の神秘とは、それを生み出す人間に属するのではなくて、音そのものの中に、そしてそれを読み取ることの出来るひとの心の中に宿っているものだからだ。演奏家にあるのは、そのために格闘するという、それ以下でも以上でもない、あるがままの「いとなみ」だけなのだ。

何度でも書くが、こうした経験への機会を下さった梅崎さん、トシさん、そして皆様に感謝の意を伝えたいと思う。

いよいよ明日(鬼神ライブ)

Thursday, May 12th, 2005

と言いますか、日が変わってしまったので「今日」ですが、美術家・梅崎氏とドラマー・石塚氏の「鬼神ライブ」でゲスト出演。私が演るのは、オーボエ(とピアノ少々?)の予定。渋谷のアピアにて。

今回の梅崎氏からのお誘いのおかげで先週から今週に掛けては、すごく集中して練習できた。集中度が高かったためか、いまだに吹奏法に関していろいろ発見あり。自分のからだで発見したことを、また覆したり、疑いがもたげたり、それが晴れたり、いろんなことが起こる。とにかく「純粋集中」できるように明日の22:00に備えたい。

時間と気力のある方、是非お立ち会いを。

「詩と即興の妙」を体験してみて下さい。

とりあえず、こう言うのに出る

Sunday, May 1st, 2005

諸事情あってblogの更新がまばらになっているが、とりあえずこういうのに連休後出る。きちんとした告知に時間を割くことも難しいのである。

「鬼神ライブ」

闇夜に炸裂する魂の詩文

肉声と打楽精神の即興ライブ

お薦め!Aquikhonneのライヴ(期間限定告知)

Tuesday, April 26th, 2005

連れ合いのAquikhonneのライヴがあります。

吟遊即興のギタリスト・黒井絹氏とのAquikhonneのライヴは今日のヨル8時より荻窪グッドマンにて。新作の詩と旧作を織り交ぜた詩朗読と、即興ギター(ヴォイス)とのコラボレーションは、文字通り「数年越し」の構想をついにカタチにするもの。期待は大です。幅広くなったAquikhonneの朗読表現をかいま見る一隅のチャンス。朗読/即興マニアならこれを逃す手はない、と思います。