健診の義務と欺瞞について

自分の身体をどうするかという選択肢は当然その持ち主である本人にあると思っていたのだが、とんでもない人権侵害がまかり通っているのが、会社で行なわれる健康診断である(自分の考えでは、これは明らかな憲法違反である)。会社は社員を健康に働かせる義務があるとかいうある意味「当然の配慮」から、一足飛びに「健康診断を受けさせる」という会社側の義務が生じているということらしい。

現に「健診拒否」というキーワードで検索してみると、社員がどうやって自分の権利を主張し、その意味のない健診を回避するかという社員側の話はほぼ皆無で、会社の総務部や社労士の側が、どのように社員を説得し、この義務や「法律」に従わせるか、というような視点でのコメントばかりが見つかる。この法律がどれだけの問題を孕んでおり、医療世界のどのような利権構造の中で作られたものなのか、などというメタな視点も議論もそこにはない。なにしろ法に従っているのはこちらだから、強制することに何の問題もないと、いかにも自信たっぷりだ。こうした連中には医療業界が、自分らを含む人間の身体を食い物にして高い医療費を稼ぎにしている構造を理解しようなどという殊勝な考えはない。あるのは合法であるかどうかという小市民的な視点だけだ。

問題の核は、社員が自分の健康管理に関して自分なりの方法を選択する自由は与えられておらず、《病院》にて健診を受け、《病院》側での診断結果を踏まえて問題ありと判断されたら、《病院》で治療を受けるという方法しかこの世にないかのような決めつけがここにはある点だ。病院はそもそも本人が同意していないことは一切できないことになっているはずなのに、健診に関しては有無を言わさずに被検者を従わせるのが当然という慣習なのだ。

社員は会社の用意する病院での検診ではなくて、本人がどうしてもその病院での検診を受けたくないのであれば、別の自分の行きたい病院での検診を受けてその結果を報告するという選択肢は与えられているが、《病院》の判断を金科玉条のごとく無批判に受け入れる態度であることには変わりがない。病院で検診せずとも 自己判断で「健康である」と宣言することや、例えばだが、当人の信頼する整体師や鍼灸師のお墨付きなどには何の価値も認められていない。健康管理には無数の選択肢があり、また治療の方法も病院が用意する以外の方法がさまざま存在するにも関わらず、社会で認められているのはいわゆる病院という象牙の塔を中心とした医療従事者の判断だけなのだ。

本来、何ぴともどんな病気に罹り、どこで、どんな死に方をしようが、それを他人にとやかく言われる筋合いはなく、それを好きに選ぶ権利があるはずなのに(もちろんこれが極言であることは承知の上だが)、こと健康管理や病気、そしてその発見ということになると、いわゆる医療関係者の思惑通りでいいというような、彼らに空手形を渡したかたちになってしまっている。

『患者よ、がんと闘うな』を書いた近藤誠氏などを始め、ある程度まとまった数の心ある医師たちによれば、いかなる健康診断(婦人健診を含む)も、それによって発見しようとしている病気(それは肺が んや胃がん、そして大腸がんであったりだが)による死亡率をまったく下げないどころか、むしろ死亡率を上げており、被健診者の寿命を延ばさないということがかなり明瞭にわかってきている。そんないい加減な医療が保険制度が崩壊するほどの出口のない状況を作り出している。気をつければ、前掲のような真摯な告発の存在があるにもかかわらず、医師会は依然として絶大な権力を持ち、ひとの健康を彼らが左右できると考えているだけでなく、死亡率を上げたり、生活の質を大きく損なうような方法を省みて止めることもなく、健診医師や健診装置を作る医療業界の利権を守るために、不要な健診を未だに強いているのだ。

これは彼らが人命救済に本当に取り組んでいるのではなく、「人の身体や命を食い物にしている」ということに、われわれが気づかねばならない。彼らがどうしてわれわれを「患者様」と「様」付けで呼び始めたのか、ということは、患者が「お客様」であることに他ならないのだ。

参考サイト・書籍など

近藤誠医師の呈した疑問
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan062iryouhoukai.htm

Tags: , , , , ,

Comments are closed.