「ソクーロフのオールナイト」という体験

体力的にハードな「映画のオールナイト」などほとんど行ったこともない。それにソクーロフを映画館で観るのは、これでまだ3度目にすぎない。一念発起して、土曜日の10:30pmから翌朝の6時過ぎまで池袋の映画館で過ごす。無謀なる8時間あまり。

実は、ソクーロフが1994年に日本を訪問したときの印象を、ロシアの映画雑誌に書き記しているという記事をネットで見つけた。その言葉から感じられる洞察の深さに心が動いたので、そのまま転載する。それぞれの作品に関して抱いた自分の印象をつれづれに書き記す前にひとつの言葉を引用したい。

「… 私は、日本から帰ったばかりです。驚いたことに、私は日本でいかなる異国情緒も感じませんでした。かの地で私は、世界のどんな国でも見たことのないほど多くの疲れた人々を目にしました。もしロシア人が、日本人のように疲れているのなら! あんなに疲れた民族を、いままでに一度も見たことがありません。疲労のあまり人々が泣くのを目撃しました。疲労からですよ。明日も今日より楽にならないゆえに、明日も明後日も今日のように辛いゆえに。きっとロシアでは想像もつかないでしょう … 一人の人間が疲れているのはわかります。でも、民族全体が疲れているなんて … 彼らは敬服にあたいします。地上の空間でせめて誰かが疲労の十字架を背負っていることは、きわめて重要なのです。おそらく私たちみんなのために、彼らはこの十字架を背負っているのでしょう、そう見えます。実際なんの罪もないのに、少なくとも人類を前に、ロシアの住人に比べて日本人のほうが、ずっと罪は小さいのです。私たちロシア人も疲れていると言われますが、日本人には及びません。

 私たちは、困難な時代に生きています。なぜなら、人々のこのような疲労困憊の要因が、現在ほどドラマチックで巨大だったことは、いまだかつてなかったからです。このような現象の後には、きっとなにかが起こるでしょう。こんなことが長く続くはずがない… なにかが起こるにちがいありません。」

これは、何かを予言した人間の言葉としてではなく、ある民族集団とその世界における「機能」への洞察、そしてその民族への深い慈愛のまなざしを感じさせる言葉である。このように、他人を、他の民族を、見つめることの出来る心とは! われわれこそが、このような芸術家を生んだ異境の地の文化というものに心を開き、そして謙虚さを学ばなければならない。


観た映画4作:

『エルミタージュ幻想: Russian Ark』(2002)

『日陽はしづかに発酵し…』(1988)

『マザー、サン: 母、息子』(1997)

『静かなる一頁』(1993)

自分がアレクサンドル・ソクーロフを知った頃、彼の当時の代表作と言われている一連作品のロードショウ上映は、既にそのほとんどが終わっていた。自分が知ったのは映画好きの連れ合いと出会って以降の話で、日本公開の最初の上映を映画館でかろうじて観たのは『モレク神』(1999) が最初である。そして、それなりに話題にもなった『エルミタージュ幻想: Russian Ark』も。

それと前後して、ソクーロフについての話題や風評はある程度耳にする機会もあり、その中でもとりわけその頃知り合った映画監督の西周成氏がソクーロフの日本への紹介者のひとりであることもあって、ソクーロフ作品に対する興味は増大した。それで1、2作ほどビデオを借りて観たり(『静かなる一頁』など)もしたのだが、やはり映画館で観たいという気持ちは高まる一方であった。そんなある日、2週間ほど前だが、ある筋からの情報で、池袋の新文芸坐で「土曜日の夜から日曜朝に掛けてのオールナイトショウで4本立て続けの上映をやる」ことを知り、行くことにしたのだ。

正直な話、1本でも映画を見るということは重い。それなのに4本も観るということは、映画作品自身にとっても、深夜から朝に掛けてという体力気力的な限界から言っても、全然、「理想的な鑑賞条件」からはほど遠いのである。だが、映画館のスクリーンと音響装置で体験するソクーロフというのがどうしても捨て難く、それに今度いつ上映されるかも分からないものだったので、オールナイトの映画鑑賞を敢行することに。

なにしろ最初の作品を見終わったら、もうその日のうちに終電に乗って家に帰ることは出来ない。『エルミタージュ幻想』は既に観ていたとは言うものの、かといって2本めから観ようなどと思えば、ちゃんとした席があるかどうかは保証の限りではない。だからたとえ見たい映画が最後の1本だったとしても、そんな時間に池袋に赴くことなどほとんど不可能な訳だから、まず22:30の回から観ざるを得ない。こんなやりかたが良いとは到底思えないのだが、おそらくそれだけ興行的にも上映がする事自体が大変ということなのだろう。鑑賞者にとって実にチャレンジングなプログラム設定なのだ。新文芸座による計算尽くのおそるべき挑戦。

7月のタルコフスキー・オールナイトも、同じ意味でなかなかチャレンジングになっている。「For 最初から最後まで耐えられる者、only」なのである。

この日は9時過ぎまで目白にいたので、山手線に乗り隣の池袋に。徹夜をすれば腹が空くだろうと思い、ちょっと腹に食べ物を入れ、コーヒーを買って、映画館に行く。劇場に入ったときは、もう次回予告が始まっていて、夜10:30からの上映開始だというのに、250人強入る割と広めの映画館も8割がた満員であった。しかも深夜零時を回った2つめの上映作品からはさらに人が増えた。休憩時間になればロビーはそのまま朝まで映画鑑賞をする人間とタバコの煙で一杯になった。ソクーロフにこれだけの愛好者がいるということにやや驚きを感じた。私のような普段大して映画に熱心でない鑑賞者でさえも、やはり上映機会が少ないために無理を押して来たということなのであろう。

『エルミタージュ幻想: Russian Ark』(2002)

これは2度目の鑑賞になるが、1度目よりもある意味余裕を持って鑑賞できた。タイトルだが、どうして日本題もシンプルに「ロシアン・アーク」と出来なかったのだろう。確かにエルミタージュ美術館を使った映画ではあるのだが、美術館巡りのドキュメンタリーフィルムではない。あの「場所」を利用しての壮大な象徴作品なのだ。あの元宮殿をひとつの「ark」(箱舟、棺)に見立ててのロシア人の(というか人類の)歴史物語なのだ。それが邦題からは残念ながら伝わって来ない。最後、絢爛なボールパーティが終わってから、皆が退出するまでの「大河のような人の流れ」だけでも見る価値のある映像だ。そして最後の湯気の立つ周囲の海、これこそがわれわれの住む世界の有様なのだ。

『日陽はしづかに発酵し…』(1988)

冒頭の、上空から地上への落下(堕天)シーンからして、これから起ころうとするドラマの「痛々しさ」が予想できる。もちろん、この「堕天シーン」は最後近くになってからの「降天シーン」への伏線である。それにしても、「堕天」後にわれわれに見せられる世界は一体何だ。私にはそれがまさに「地獄のような場所」のようにしか思われなかった(あくまでもそのように見てしまったのは私の心なのだが)。しかもその「地獄」はドラマがいつまで経っても始まらないのではないか、と思われるほどの長さで続く。あの有刺鉄線や塀で囲まれた隔離の世界。永遠に繰り返されるのではないかと思われる無意味な動作の繰り返し。自分の住む世界以外を知らないだろう人々の永遠的な乾いた生活。戦争後の外傷後ストレス障害 ( Posttraumatic Stress Disorder) のように痙攣的に身体を揺する年齢不詳の人々。心や身体を病む大人たち。親によって当然のように行われる幼児の折檻。このような映像がいつ果てるとも知らないほどの長さで継続する。観ているうちに心の表面にアカギレが起こって、血が滲む。この世界を「地獄」だと感じる自分が、今度は、自分の住む世界とは翻って一体何なのかと、ドラマが始まるまでに問われる。そして…。そんなことをドラマが始まるまでに忙しく考えた。ドラマ自体の粗筋はいくらでもネット上で読む気になればあるので、ここでは書かない。

『マザー、サン: 母、息子』(1997)

まず、どうでも良い(けどどうでも良くない)はなし。タイトル見て「サン」というのを太陽のことだと思ったのは、私のロシア語に対する無知以外の何ものでもないのかもしれない。が、それにしても分かりにくい翻訳。「マザー、サン」と来れば、「Mother, the Sun」というような二つの名詞の同一関係を想起せざるを得ず、「母、すなわち太陽」というようなものを想像してしまい、到底「マザー、そして息子」(Mother & Son)という二つの異なる名詞を並列させたものとは考えられないのだ。ネットでソクーロフを調べていたら、『Father and Son』というような別のソクーロフ作品があることを知り、同時に『マザー、サン』の意味が分かり唖然とする。ちょっと待ってくれ!

だから映画で描かれている本質を「見損じた」とまでは言わないが、私の中ではどのように「太陽」が描かれるのか、ということをあらかじめ受け取ろうとするバイアスが掛かってしまい、いつまでも続く暗鬱の空からどのように「太陽」が覘くのか、みたいなことばかりを追ってしまったのである。『マザー、サン』の読点「、」は、欧州系言語的な機能を果たしていないのだ、ということを理解するのに24時間以上の時間が掛かってしまった。

しかし、そんなことはともかくも、ショッキングなまでにミニマルで、まるで能を見るような時間が流れる映画である。母親を両腕で抱いて、道を歩く。少し休んでまた歩く。斜めに歪む空気の中を二人の人間がただ息をしている。こんな抑制の利いた映像表現というものがあるとは、驚きである。この侘しい、人の全くいない森の近くの土地。曲がりくねった白い路。斜めに歪ませられた木々。ゆっくりと寄り添う二人の影。これはどこかで見たことがある風景だ、と思っていたら、ファン・ゴッホの<<糸杉と星の見える道>>の風景、歪ませられた風景、が頭に浮かんだ。もちろん、ファン・ゴッホの描いたような燃え立つような映像ではない。明るい太陽も月もない。たしかに異質なものだ。だが、そこにあるある種の空虚感、白の路を行く人間(ふたり)の行方、などを考えるに、そこに見えているものは共通の何かだと思えたのだ。

そう思って、ゴッホ展の作品集を繰っていたら1881-1883に描かれたという素描、<<死の床の女>>が目に入った。これはまさに映画が捉えた「死に往く母」の姿、そのものであった。

『静かなる一頁』(1993)

舞台は、『Russian Ark』に於けるエルミタージュ美術館のように、やはりひとつの閉じた世界である。だが、こちらがおそらくソクーロフにとっての舞台雛形なのである。アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』において宮殿が「出て行く」ことの許されない世界として機能していたごとく、本映画に於いても全貌も判然としないほど大きな建物が、道も堤防もない水辺に直接「繋留」されている。その美しいまでに醜悪な世界が、まるで水に沈み往くヴェニスのように。そしてその建物自体が貧困の充満し、慈悲の欠如する腐りきった街なのである。だが、恐ろしいほどに美しい写真として提示される。そこへ、どこからともなく現れる黒服のひょろっとした男。それも『Russian Ark』に於ける狂言廻したる黒服の外交官と似たような役割を演じる。もちろん、『静かなる一頁』の主人公はそこまで冷静でも世界と無関係、でもない。「出て往く」ことも、「成長する」ことも出来ない人々の中には、「吹き抜け」の下に映っている下界の別世界に飛び込むことを選ぶ者がいる、嬉々として。それは自殺というよりは、脱出という行為として描かれる。そこには死というものがない。永遠に続く地獄の生だけがある。ひたすら美しい映像の中で、ドストイェフスキーの省察が始まる。

関連サイト

アレクサンドル・ソクーロフ

西 周成の映画世界

パンドラ - ソクーロフ

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.