Archive for July, 2005

理想主義は体癖である

Saturday, July 30th, 2005

理想主義や現実主義は、「主義」と名付けられた言葉だが、厳密には主義ではない。なぜなら、それは思惟、省察、思想、などの「思考の過程」を経由しないからだ。それはむしろその人物の気質に属するもので、行為によって示されるものだ。したがって、「私は“理想主義”的かもしれないが…」という、何かを話す時のその枕言葉は、私の思想や観念的性向とは何の関係もない。それは単に、私の「気質」が、どちらかと言えば、それらの内の一方の側に傾いているということを、便宜的に「主義」という言い方で表現しているに過ぎない。だから、私が「理想主義」という言葉を吐いたところで、それは私が観念論者であることを全く意味しない。私が「観念的思考が必要なときそれを選べる」としても、「理想主義」を口にすることを以てして、私の思想的偏向の実例として挙げるのは不適当なのである。

むしろ、それは私の気質がこの世の現実をそのままそれで善しとして受け入れるよりは、この世に不合理や不条理を「感じ」取り、それが本来的な人間の姿でないと「感じる」性向、そして不寛容、自分の「感受性」というか「気質」を負っている、ということを言っているに過ぎないのである。

一方、カール・マルクスの思想を条件的、無条件的を問わず、その思想を信じたり、共感したりするのはマルクス主義である。同じように、毛沢東の思想を奉じ、それに従う者たちが、毛沢東主義者である。私は生まれながらの「マルクス主義」や「毛沢東主義」という「気質」を想像することが出来ない。それは、現実社会に対する学習と、不条理のメカニズムの研究と、飽くなき省察と他者との議論、闘争などなどを経由して、最終的に到達しうるものだと考える。そして、そうしたものこそが「主義」という名によって表されるにふさわしいものだと思う。つまり、本当のカギ括弧抜きの主義者とは「成る」ものである。私は生まれながらのマルクス主義者は、マルクス以外にはいなかったと思うのである。

いずれにしても、私は「理想」や「現実」を「信じる」思想というものがあるとは思えない。それはやはり「気質」「体癖」の問題なのである。

誰が「主義者」か?
私が使った「主義」用語一覧 since September 2004

Friday, July 29th, 2005

つい先頃、ある親しい友人から、私の文章にはたくさんの「○○主義」という言葉が使われていて、それは他ならぬ私自身がいろいろな硬直した「考え」に凝り固まっていることを表しているのではないか、ともとれるような興味深い指摘を受けた。直ちに私の直感はそれが当たっていないと判断したが、惜しむらくは、それをその場で「論証する」ことができなかった。もちろん、批判する以上、それを指摘する本人がきちんと「論証す」べきところなのだが、それをせずに、なーんとなく全体的な印象を喋っただけのことなのだろうだから、まったく意に介さずにいるべきだったのかもしれない。だが、ちょっと悔しいのと、その認識を訂正しなければ、「なーんとなく」の印象をそのままずっと引き摺ったまま私の文章に接する(あるいは接しなくなる)可能性が否めないので、私の方から自己弁護することにした。

まず、これから続く長ーい「反証」に突入する前に、その種の主張に対して私が一言で何か言えることがあるとしたら、以下のことである。

「主義」に反対/反論するには、それに言及しないわけにはいかないだろ

ということである。それで終わってもよかったのだが、以下、どれだけその指摘が的を得ていないかを示すことにする。ある種の遊びだと思って始めたのだが、それをやったら却っていろいろなことに気づいたので、「怪我の功名」として、このblogで公開する。

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「可動域」についての自覚

Thursday, July 28th, 2005

内田樹氏の文章のパロディー

「映画」に「音楽」を代入する。

「寝ながら学べる構造主義」の内田樹氏のblogでは、読んで楽しい映画評もある。良い映画評であるかの基準は、作品に部分的な課題があるにしても、その映画を自分で鑑賞して何かを掴み盗ってやろうと思わせてくれることが、一つである。その基準から言えば、とりわけ内田氏の映画評は素晴らしい。その氏が先日、次のような文章を含む面白い論考(映画評/映画作家表)を発表した。こういうものがタダで読めるというのは実にありがたい。

<< よい映画に共通するのは(映画作家自身が)自分の映画史的・映画地政学的「立ち位置」についてのはっきりした認識を持っていることである。自分がどのような「特殊な」映画を選択的に「見せられて」育ってきたのか、どのようなローカルな「映画内的約束事」を「自然」とみなすように訓練されてきたのかについての自覚があるということである。>> 「内田樹の研究室」2005年07月22日のblog「目を開け」より

全文は、ぜひ彼のblogに行って直接読んで頂きたい。

『オープン・ユア・アイズ』(Abre los ojos, by Alejandro Amenabar:

Eduardo Noriega, Penelope Cruz、1997)

自分の悪い癖かもしれないが、人のこういう刺激的な文章を読んでしまうと、自分の「関連領域」でも同じことが言えてしまうのではないかと「不吉な予感」がして一旦立ち止まって、「検討」してしまう。彼の言うところの「よい映画」が「よい音楽」に置き換えられてもその有効性は依然として残るのか、などと…。そして、もしそれが「よい音楽」にも都合よく置き換えられてしまった場合、それによって自分は何を学ぶことになるのか、どうしよう…など。いろいろ考えてしまうのである。そして案の定、私はそれに正面から反応してしまうことになる。

以下は、内田樹研究室のblogの「目を開け」のパロディーである。こういうのは、違法なのかどうか知らないが、聡明な内田氏のことだろうし、忙しい彼が、詰まらぬことであれこれ言うことはないだろう、と勝手に決めつけることにした。もし問題あれば、すぐに引っ込めます。

「耳を開け」(「目を開け」の部分パロディー)

よい音楽に共通するのは自分の音楽史的・音楽地政学的「立ち位置」についてのはっきりした認識を持っていることである。

自分がどのような「特殊な」音楽を選択的に「聴かされて」育ってきたのか、どのようなローカルな「音楽内的約束事」を「自然」とみなすように訓練されてきたのかについての自覚があるということである。

音楽家としての自分の「可動域」について、自分が作れる音楽の制限条件について自覚をもっているということである。

そういう自覚を持っている音楽家は決して「まったく新しいタイプの音楽」を作るというようなむなしい野心を持たない。音楽による「自己表現」とか、音楽をつうじての「メッセージの発信」というような愚かしいことも試みない。

自覚的な音楽家は音楽的「因習」をむしろ過剰に強調することで桎梏を逃れ出ようとする。伝統的な演奏・作曲技法以上にくどい演出をし、出会い頭に空前の美しさを持つ旋律が出現し、歓喜は苦悩の果てに勝利し、曖昧なものは退けられ、錯綜したメロディーラインが、最後にすべてシンプルで口ずさめる旋律の登場によって説明される「ご都合主義」という形容では収まらないほど好き勝手な劇場的音場をこしらえる。

しかし、音楽的「常識」に過剰に寄り添うことによって、不思議なことだが、彼は「音楽という制度」に対する聴衆の無防備な信頼をむしろ揺るがせることになる。

「音楽って、本来『こういうもん』だったっけ?」

というすわりの悪い疑問が聴衆の中にすこしだけ芽生える。

でも、聴衆は無防備だから「『こういうもん』ですってば」とささやかれると、「そ、そうだね」と簡単に信じてしまう。

そのようにして「音楽」なるものの棲息可能条件をゆっくりと拡大してゆくこと、それが野心的な音楽家に共通する手法である。

ってことになる。お〜い。これって俺たちの課題として読めませんか〜?

<< 音楽的「常識」に過剰に寄り添うことによって、不思議なことだが、彼は「音楽という制度」に対する聴衆の無防備な信頼をむしろ揺るがせることになる>>

願わくば、そういう(カギ括弧抜きの)音楽を演っていきたいものである。

私の怖れ:エリアーデに捧ぐ

Thursday, July 28th, 2005

私の人生の7分の5は、「経済活動」のために供されている。1週間のうちの5日間、その「全て」とは言わないが、その“考慮に値する”大部分が、「生きるため」、そして自分自身や周囲が思い込んでいる「社会的責任」のため、そして「飢えたくない」という恐怖のために費やされている。この「ただ生存するため」の活動に割かれる度合いが、これ以上になるということを受け入れなければならない時が来たら、私はむしろ「死」を選びたい。

この世のごく僅かな場所にまだ残されている「聖」の世界との連絡があるうちは、私はもう少し長く息をし続けることができるだろうし、そして、その<事実>を<事実>として受け入れることのできる後世の、わずかな人々に残すことができるなら、「生まれて来て良かった」と心底思えて死ねるだろう。

しかるに、人間存在が、経済的動物(エコノミック・アニマル)でしかない、という人間の精神生活に対する浅薄な理解を疑うことなく、その「動物」自体がその現実の「生の在り方」にたいして、何らの「批判」をも一切持たなくなったとき、そして、その生き方が「人間の生そのもの」であるということに疑念を抱かなくなった「社会人」あるいは「文明人」たちだけに囲まれて、完全に「生産活動への奉公」という「圧力」を受け続けなければならないのであれば、私はこの生を放棄してもいいと思う。

だが、幸か不幸か、そのような“新手”の、そして2000年以上前からすでに明瞭な萌芽のあった「歴史時代開始」以来の、「圧迫」が、なんらの懐疑もないただの生存活動と他者への「闘争」だけに塗り固められるやがて来る時代のほんの「入り口」に立ち会うのみで、この世を去ることができるなら、まだ私は「ついていた」と思って、運命に感謝するだろう。

それにも拘らず、私が身を捕縛され、いつ終わる知れぬ長期にわたって自由を制限され続け、せめて「生産活動への妨害を防止する」という名目で拘束され続けたとしたら、その「生」とすら呼ぶに値しない「自動的な生命」をただ守り抜くためだけに息をし続けてしまうかもしれない。そればかりか、最後のあり得ぬ希望にさえすがって、いさぎよく「絶望する」ことすらできずに、汚物と残飯にまみれて冷たい床を這い回りながらも「あともう一日」を生き続けてしまうのかもしれない。そんな自分であるかもしれない可能性を、私は怖れる。

オブリガートなオーボイストになった夜

Wednesday, July 27th, 2005

矢野敏広さんは、李政美(イ・ヂョンミ)さんや、enteeが敬愛する趙博さん(パギやん)、朴保さん(パク・ポウ、パッ・ポオ)[以下敬称略]などの弾き語り系のバッキングメンバーとして欠かせない「オチることなく、いつも寄り添うようにそこにいる」繊細緻密なギター + マンドリン奏者である。彼の伴奏ギターの音を聴いていると「信頼される理由を持ったプロだなあ」と嘆息させられる。いつも日本中を旅して回って大忙しである。

2年ほど前に即興 + コリアンロックの佐藤行衛さんを通じて知り合った。なぜか矢野氏も不思議な縁を感じる人。行衛さんを通じて知り合った関係で、行衛→韓国→矢野という流れであるにも関わらず、私は別の「系統」でも矢野さんと「コネクトした」のである。アメリカ滞在期間中、その当時、西海岸で「快進撃中」だった超国籍的レゲエの朴保バンドの音源だけをビレッジに住むある友人夫妻を通じて聴かされていたからである。しかも朴保の名前を自分は十年以上失念していた、というオマケ付きである。

一年前か、矢野氏に<もんじゅ連>ライブのゲスト出演をして頂いた後、自宅近くで飲んだ。その時、私が何度も聴かされた「忘れられないあの音楽」が朴保本人であることが劇的に判明したのだった。その後、朴保のことをいろいろ調べたまくったところ、全ての条件が符合したので。それが彼であることに今は一抹の疑いさえない。

だが、矢野さんがその朴保のグループの永年のメンバーの一人であったとは! これは以前にも、別の「音つながり」の縁の不思議についてentee memoで語ったとき、言及しているので知っている方にとってはもはや退屈なだけの話であろう。

さて、その矢野さんとAquikhonneの3人で10月にライヴを予定している。これは、これまでの自分の経験にない「癒し系朗読」パフォーマンスとなるかもしれない。このようなことを書くと早速「共演者」からもお仲間からも反発を買いそうだな…。案外この一言で流れたりして(口は災いの元なのだ)。

その矢野さんから先週末電話があり、廬佳世さんの新アルバム録音でオーボエを吹いてくれないか、と言うのであった。矢野さんはどうやら本アルバムのプロデュースもやっているようである。ありがたいオファーであったので、自らの未熟さも顧みず、二つ返事で引き受けた。「歌もの」でイントロとオブリガートだけの演奏であるが、バラード風の曲のそうしたオーボエ伴奏は、一度心底からやってみたかったことだったのだ。

仕事が終わった後、楽器を抱えて雨の中を新宿の某スタジオに向かう。想像した通り、スタジオは地下室。集中豪雨になって大量の雨水が流れ込んだりしたら嫌だななどと思ったが、思いのほか雨はひどくならず。

スタジオの皆さんは初めて会うような気がしないほどに気さくな方々。おかげで無用の緊張を強いられることはなかった。

9時近くからスタートして、11時半頃に終了。実にいろいろなことを学んだ。既に録音済みのトラックを聴きながら、音を重ねていく典型的スタジオ多重録音の作業であるが、イントロと間奏部以外をどうするかは明確に決まっていた訳ではない。一つは自分がどう出来るかが試されるのであるが、エンディング部でついにネを上げ、私が「最良のオブリガート」をアドリブできない(出来るんだろうけど、いつ最良テイクが録れるかが見当もつかない)ことが判明し、急遽、矢野氏のお仲間のアレンジャーが20分ほどでオブリガート部を作成する。いわゆる「緊急現場合わせ」である。しかし、彼の作り出したオブリガートの美しいこと! 鉛筆で書かれたこの世に一つのパート譜を見て、「そーゆーふーに書くのか!」舌を巻いた。譜面化されたオブリガートを基に、それを何度か吹いてオーボエトラックの完了。ちょっと悔しくもあったが、実に面白かった。

おわったら廬佳世さんの歌の詩がますます心に染みてきた。

アルバムはうまく行けば10月頃にリリースの予定らしい。

先日ちょっと参加した石塚トシさんのアルバムも秋頃リリース予定だし、いろいろ楽しみな秋なのである。

こういうことが週中に起こると、興奮して眠れなくなって、翌日ほとほと困るのである。

「鍵」の鍛造:あるいはエリアーデとの「再会」

Monday, July 25th, 2005

エリアーデ日記を再び読み始める。3年以上の年月の経過の後に、暫く経っていたが、ようやく「下巻」を入手していた。そして類まれなる(私が「福音」と呼んで憚らない)「友人」との出会いで、エリアーデ熱が再燃してきたからだ。ページを繰るごとに感動。感動の毎日。自分だけではないという実感。終わらなければいいのにと願う。先天的に賦与されている威光、あるいは後天的に培った権威を通してでなく、自己のための控えめな備忘録の中に、真実の言葉の数々がある。

「人の日記」を読んで起こるこのような感動とは一体何なのか。翻って、自分の「日記」は人に感動や熱を与えることがあり得るのだろうか。聖的知識の徹底的な俗化の霧が全世界を覆う前に、私の文章はたった一人の心ある人間にすら到達することができるのだろうか?

◆ ◆ ◆

エリアーデが何を観ていたのかが分かるという実感。それは、次のようなわずか数ブロックの「断章」からも判断できる。

1959年8月9日

歴史的現象の社会—経済的説明は私にしばしば腹立たしい簡略主義の所産であるように思える。この凡俗さの故に、独創的創造的精神はもはや歴史に関心を持てないでいる。歴史的諸現象を下位の<<条件づけ>>に還元することはそれらから範例的意味を丸ごと排泄してしまうことである。かくして人間の生活において未だに価値と意味を有している全てのものが消え失せることになる。

1959年10月22日

神話、儀礼、象徴に隠された意味やメッセージの開示に必要な解釈学はまた、われわれが深層心理学や、来るべき、われわれが<<異邦人>>、非西欧人に取り巻かれるだけでなく支配される、時代を理解する助けともなるであろう。<<無意識>>は、<<非西欧的世界>>と全く同様に宗教史の解釈学によって解読されることになるだろう。

1959年11月3日

科学は、<<脱聖化>>され、神々が空になった自然なしには可能ではなかったろう。それこそキリスト教のしたことである。キリスト教は個人の宗教的体験を強調したが、そうすることを強いられたわけではない。というのもキリスト教にとっても宇宙は神の創造物であるからである。しかし歴史的時間、不可逆的持続が勝利を収めた瞬間から、宇宙の宗教的<<魔力>>は一掃された。自然には異教の神々が住みついていたが、キリスト教は彼らを悪霊に変えてしまったのである。かくの如きものとしての自然はもはやキリスト教徒の実存的関心の対象とはなり得なかった。東欧の農夫たちだけがキリスト教の宇宙的次元を保存してきたに過ぎない。

1960年1月26日

長い神話時代と短い歴史時代の後、われわれは生物学(経済学)的時代の入り口にいる。人間は白蟻、蟻の条件に還元されることになろう。それがうまく行くとは私には信じられない。しかし、数世代の間、あるいは多分、数千年の間、ひとびとは蟻のように生きることになろう。

◆ ◆ ◆

その<劇的体験>の扉を開くには、「緩慢」でいつ終わるとも知れない作業が必要である。だが、その体験そのものは、劇的かつ爆発的なものであって、緩慢な体験ではありえない。あくまでも自分の実体験による憶測だが。

如何に退屈かつ緩慢な動きを経ての体験であったとしても、その体験自体は、爆発的なのだ。何故なら、それは「扉を開ける」という表現こそふさわしい出来事であるからだ。扉が開いた、というのと閉じているというのでは、「全か無か」の違いがある。開けばこちらにどっと光が流れ込んで来るのである。

誰もがどのような扉を開けられるのかを知らずに時間を掛けて「鍵」を鍛造する。そして、あちらにもこちらにも出来かけの「鍵」を置き去りにして、鍵を作ったことさえ忘れる。「鍵」を作る行為自体は、知的でかつ根気のいる仕事である。しかしそれが完成可能な「特有の形」であることを、作っている本人が知らない。まさかその鍵を穴にねじ込もうなどと想像もしない。だが、「鍵」を作るのだ。

一方、鍵穴は世界のあちこちにあって、われわれの関心が「いつ向くか」と控えめに待っている。そして、それぞれの鍵穴(錠前)にふさわしい鍵がある。

錠前の発見、鍵の鍛造(あるいは鍵の発見)、解錠、そして開扉。

開扉までは根気のいる地味な作業だが、開扉自体は、どうしたって劇的にならざるを得ない。

その驚きの経由は、臨死の体験・奇跡的な生還、などの体験にも匹敵するような、その後の人生を根底的に変えてしまうダイヤモンドの原石を手に入れることに等しい。問題はそれをどう磨いて作品にしていくのかということに尽きる。もしあなたが「表現者」「創作者」、あるいは「芸術家」であるのなら。

そして、<感動>は、断じて創作行為に先立つ「行為」なのだ。

「もんじゅ」も揺れた土曜のライヴ[下]

Sunday, July 24th, 2005

肝心の<もんじゅ連>のライブは、と言うと徒歩や自転車でグッドマンに来られる人しかお客さんはいなかった。それでも来て頂けたのは全くラッキーである。中には電車とタクシーを乗り継いで聴きにきてくれた殊勝な方までいるのだ。まったく「多謝」としか言いようがない。

今回のライヴは前半の30分はどうも調子に乗れない自分との葛藤があり、焦燥のうちに終えるが、後半で楽しい集中が巡ってきた。他の相方2人がどう思ったかは分からぬ。だが、<もんじゅ連>らしい音が、出てきたと思う。

初めて聴きにきたというある若い男性から、翌日手書きのメッセージを受け取った。ネットもメールもやらないという方である。そのメッセージを読んだら、「音楽をやっていてよかった」と熱い思いが久しぶりに吹き零れた。すぐに本人にその文章の公開が可能かどうか訊いたら、寛大に(そして恥ずかしそうに)「もう渡したものだからそれをどうしようと自由です」と言って下さった。

彼が(そしてそこにいた誰もが)土曜日に聴いた音は、もはや再現不可能である。録音からその雰囲気のごく一部を伺い知ることはできるかもしれないが、生で展開された音そのものを再現することはできない。しかし、それが確かに何らかの体験をもたらし、その人が何かを視たのだということは、その文章から切々と伝わってきた。音楽そのものは言葉に変換できないが、音楽を通じての彼の体験の一部は言語化された。

私は下手な評論や感想文、そして差し障りのない社交辞令の褒め言葉よりも、こうした聴取者の飾りのない内的体験を綴った言葉に真実を信じる。そしてありがたいと思う。その文章から、かならずしも無邪気に喜んでいて良いことだけが諒解できる訳でもない。いろいろなことを学ぶことができる。このように、音楽から言葉へ、そして言葉を経由したエネルギー(炎)の伝達、そしてその「法外な返礼」へのこちらからの感謝と感動があって、それを糧にまた次のライヴへの新たな取り組みに戻ることができる。

こうした永久機関的な、「我々に続ける意思さえあれば、決して減じることのない相互的なエネルギー交換」が、聴取者の方々、そして共演者の仲間とできるならば、他に何を望もうか! これが一度、私がまともに主張して人々から失笑を買った「ギブアンドテイク」の思想の核なのだ。でも与える時は、もちろん何の見返りも期待しないで行なわれるのが前提のエネルギーの交換なのだけど…。

下にそれを転載する。

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「もんじゅ」も揺れた土曜のライヴ[上]

Sunday, July 24th, 2005

早めに家を出ようとして靴を履き、外の廊下に出てよいしょと重い荷物をふたつ背負ってドアを閉めようとしたら。ボクを玄関まで見送ろうとしていた連れ合いが、廊下で「いやあ、地震っ」と叫んだ。立っている上にちょうど重い荷物を持ち上げるというアクションをとっていたので、揺れが来たことは、全然分からなかった。「何を騒いでいるんだろう」と不思議そうな気持ちで、廊下に立っている彼女の方を玄関の一歩外から観たら、床と壁と天井が作る「長方形」であるはずの廊下が、左右に揺れて菱形に歪んでいるような「眼の錯覚」を覚えた。「え〜、なにこれ?」と驚いて振り返って外を見ると、地面が、差別なしに全ての人工構築物を等しく「揺さぶっている」のが見えた。自分も揺さぶられているのであるが、思わず頭を少し低くして手摺にしがみつくと、玄関外のマンションの廊下の床と天井がびょんびょんバネのように狭まったり開いたりしているのが見えた。鉄筋コンクリートといっても、なんかこんにゃくのように柔らかそうに見えるのだ。

それから、ようやく「これはちょっと大きい」という実感が来たので、連れ合いの方にまた目を向けると、思わず大きな声で、「靴履け!靴!」と叫んでいた。逃げるとしたら素足では逃げられないからだし、彼女も玄関にいたからとりあえず靴を履くのが、どこかに行くにしても行かぬにしても、避難の第一歩だと思った訳である。

次の揺り返しがくるまでにマンションの外に出て地上に降り、駐車場のようなスペースのところまできて揺れが収まるのを待った。しばらくするとまたゆれが来ているのが電線や止められているバイクを見て分かった。おそらく揺り返しだろう。外にいたので、あまり恐怖がなかったが、ウチにいていつものように半裸でしかも裸足でいたりしたら相当恐怖を感じたに違いない。

揺れが収まって、普通に運行している井の頭線に乗って吉祥寺に行くと、そこはまったくの混乱と半分パニック状態になっている人々の群衆があった。激高して駅員に叫んで何か「権利」を主張して列を止めている若者がいたり、その後で明らかに不快な顔をして、改札から押し出ようとしている大勢の人々がいる。たった3人で何百何千という人に状況を説明をしなければならない駅員の困惑。地震は俺が起こしたんじゃないという気持ち…。

中央線も総武線も、先の地震で全く動いておらず、いつ運行を再開するかが分からないという事で、あっさり諦めて、同じ井の頭線に乗って自宅に引き返すことに。電車の中でポケットラジオを聞くと、都内の地下鉄全線、小田急線、JR各線、多くの鉄道が点検のために運行を中止しているという。これは、もう高井戸からバスに乗って荻窪にたどり着くしかあるまい…。

自宅でぼちぼち出ようかと考えていたら、<もんじゅ連>相方のナベさんから電話連絡があり、クルマで荻窪まで連れて行ってくれると言う。ありがたい話である。

告知:もんじゅ連 tonight @ OGIKUBO GOODMAN

Saturday, July 23rd, 2005

もんじゅ連 [28]

8:00pm

荻窪グッドマン

音の洪水、オルギア祭、三人寄れば、<もんじゅ連>

もんじゅ連:

 なかみ ゾ (piano, double reeds, etc.)

 渡辺昭司(percussions)

 池上秀夫(double bass, etc.)

対バン:

 石内矢巳(詩朗読)

 モリシゲヤスムネ(cello)

杉並区天沼3-2-23

TEL 03-3398-3881

(これは、ライヴが終わると削除される)

音楽と音楽に外在するもの
E・フィッシャーを読む

Thursday, July 21st, 2005

「彼(ベートーヴェン)に霊感を与え、彼の音楽的思索を特徴づけているのは楽器なのだ…しかし哲学者・道徳家それに社会学者たちがベートーヴェンに関する数限りない著書の中で論じているのは、本当に彼の音楽なのであろうか。第三交響曲を作った動機が、共和主義者ボナパルトにあろうと、皇帝ナポレオンにあろうと、どうでもいいことではないか。音楽だけが問題なのだ…文人たちが、ベートーヴェン解説を独占している。その独占を彼らから奪い去らなければだめだ。独占できるのはかれらでなく、音楽の中に音楽を聞き慣れている人々なのだ…ピアノ曲に於けるベートーヴェンの出発点は、ピアノであり、交響曲・序曲・室内楽における出発点は、総譜なのだ…彼を有名にした記念碑的な諸作品は、彼が楽器の音を精いっぱい活用したことの論理的な結果である──こう主張しても間違いになるとは思えない。」

(エルンスト・フィッシャー著『芸術はなぜ必要か』(河野徹 訳)に記載されているストラヴィンスキーの記述からの孫引き)

今日、ストラヴィンスキーの主張をここまで読んで共感する人は多いと思われる。実際問題、私自身も相当の共感を以て途中まで読んだ。だが、ストラヴィンスキーの「正当性」に共感できる人間が、そのあとに展開されるフィッシャーの批判的主張に耳を貸すに値しないと思うのは、早計である。そもそも一方が正しければ、他方が間違っているというような二律背反の公式のようなものではない。ストラヴィンスキーの言っていることが正しい一方で、フィッシャーも正しいという「次元」とも言うべき問題圏が、それぞれにあるのだ。どういうレベルでそれぞれが自説を主張しているのかという次元の相違を無視してそれぞれを一刀両断に語ることでは、片手落ちなのだ。

芸術作品は、それぞれがそれぞれの語る方法(形式)自体に「眼差しを与える」とか「耳を傾ける」とかいう直接的な鑑賞行為を通じて、その作品の中からしか、その価値を認識する方法がないという主張には、一見反論を寄せ付けない「正当性」を感じさせるものがある…

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