Archive for May, 2009

端午の節句に見る《ショウブ》の象徴に遊ぶ

Tuesday, May 5th, 2009

「勝負」という言葉は最近では「勝負下着」とか、「ここぞ」という大事なときのキメの一着(一枚?)のことらしく、ここから読み取れるのは男女の房事のことが、今では「(真剣)勝負」と言われるようになってきているということでもある。昔から「“勝負”があった」とき、そのことを「雌雄を決する」と換言できることからも分かるように、確かに、男が男であり、女が女である──男女を決する──「その場面」は「勝負」という言い方こそ相応しいのかもしれない。だが、閨事(ねやごと)が「勝負」であると捉えるその現代人の感覚は、下のような伝統的な西洋の象徴世界でも共有されていることでもあり、あながち間違ってもいない*のである。

Rosarium

ボッティチェッリ

* これについてはかつて『金剛への第一歩──集団的な「浄化」儀礼と《聖婚》の伝えるもの(陽物としてのフィニアルとその周辺)』という拙論で言及したことがある。

冗談はさておき、ショウブはショウブでもこの度のショウブは、「端午の節句」にちなんだ菖蒲についてである。三月三日が「桃の節句」なら、五月五日は「菖蒲の節句」である。

調べると、端午(たんご)というのは、午(うま)の月の初め(はじめ/端目)の日のことらしい。しかも旧暦での祝いの日だったから、グレゴリオ暦の5月5日が「端午の節句」になっているのは二重三重に転倒していて、儀礼のオリジンを訪ねようという向きには面倒な状況ではある。端午の「ご」の音が数字の「五」に通じるということで五月になったということもあるようだが、「午」とは十二支では7番目。旧暦で「午の月」とは五月(皐月)(グレゴリオ暦のおおよそ6月)のことだ(今年の端午は5月28日なのである)。

一方、節句とは節供(せっく)と書かれることからも分かるように、植物をお供えする供犠のことだ。端午の節句が「男子の節句」となっているのは、紀元3世紀頃の中国の故事に由来するようであるが、この「端午」が、日本の田植え前の時期に男子が皆出払ったあと、家に篭る女性たちの穢れを祓う日本の旧い「五月忌み」と呼ばれる儀式(女性のための儀式)と習合して、性別が反転して鎌倉時代頃に男子の節句となったという説がある。それ以前でも、おそらく中国の影響を受けたと思われるが、宮中ではこの端午に薬玉(くすだま)を贈り合う習慣があったという奈良時代の記述があると言い、そこでも薬草や菖蒲との関連が見出される。

なるほど端午の節句には邪気を払うと言われる菖蒲の束を浴槽に浮かべて入浴する菖蒲湯の習慣が今日でもあるが、この菖蒲にこそ、(後に)天空で割られることになる「薬玉」に負けずとも劣らない秘儀(エゾテリスム)が潜むというのが筆者の考えである。

菖蒲

▲菖蒲の花(イー薬草ドットコムのサイトより)いわゆるアヤメ科の花とはまったく異なる。

「菖蒲の節句」が男子の節句となった経緯としては、武士の時代であった鎌倉時代に「菖蒲」(ショウブ)の音が、「尚武*」と同じ読みであることなどで転じたというのが有力な説のようであるが、間違いなくそこには「勝負」への連想もあったはずである。

* 武道・軍事などを大切なものと考えること(大辞林)

このショウブという植物のもっているという「邪気の祓え」の魔力は、ある種の秘儀の名残と言い得る理由がある。菖蒲(しょうぶ)の古名はアヤメであり、アヤメは「殺め」に通ずる。アヤメグサは「殺め草」でもある。このことは、端午の節句について説明する「菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ」(Wikipedia)というような、最もありふれた記述の中にも見ることができる。

確かにショウブがサトイモ科で、いわゆるキショウブ(黄菖蒲)やカキツバタ(燕子花)などの三弁の「アヤメ(菖蒲)」と一括りにされるアヤメ科の植物とは似ても似つかない花を付ける*のであって、ショウブがアヤメ科の植物と混同されている不思議には様々な説明が必要でありまた可能でもあろうが、そのどちらにも連関がありそうなのが、まさに前述した《武具》への連想なのである。

* 参考サイト「いずれがアヤメ?カキツバタ?」

いわゆるショウブとは違うが、西洋のアヤメの紋章は、その三弁の花弁の形状からフルール・ド・リ(fleur-de-lys)として繰り返し現れる「三位一体」の象徴であるが、それはそのまま西洋の伝統においてはスピアヘッド: spearhead(槍の先端)、つまり武器の形状としても認識されるものでもある。つまり「アヤメ」(菖蒲)は、洋の東西を問わず武器(殺める道具)への連想が存するのである。

spearheads

Qingdao Andireal International Inc.より

Fleurs de lys

Déguisement de chevalier Fleur de Lys avec armes en mousseより

この写真で見られるように西洋のスピアヘッドは三位一体の象徴である「フルール・ド・リ」(アヤメ/キショウブの紋章)の形状を採ることがあり、武具と三位一体の間にある関連性が示唆されるのである。これは日本における正月の門松(かどまつ)が、竹槍状に斜めにカットされた三本の青竹を束ねて、αとΩ(阿吽)の位置、すなわち門や玄関の左右に置くことで、武具(あるいは穢れの祓え)と三位一体、そしてわれわれの住む世界の始まりと終わりの位置に発生する何かを象徴する習わしと根を同じくする。

まさに端午の節句とは、5の並びの日(5/5)を目印とした勝負/尚武の節目であり、鯉のぼりとともに空高く翻る五色の吹き流しによって強調される「五行」の徴によっても「5の数性」は高らかに顕現させられる。ということはまさに今日の世界──数性“5”と数性“5”の権化が仁王像のように東西から立ち上がり、大洋を隔てて対峙する現代社会──において、男子に秀でた武具使いとなることを真剣に祈念する日なのである。

そして菖蒲の湯に浸かることは、菖蒲の持っている邪気を祓う魔力の滲み出した液を以て全身を「洗礼」されることで、武具と同様の魔力を身に付けようという迷信として伝わったもの言うべきであろう。

象徴の作法とは、時間の経過と共に発展し、不明瞭は明瞭へと転じて、解釈可能な形象へと徐々に改訂されて行くのである。