Archive for April, 2009

ミサイル報道を巡る、いくつもの矛盾した疑問

Saturday, April 4th, 2009

とにかくどの前提を正とするのかという判断で、いくつもの段階に異なる問題圏に属する疑問があり、簡単な結論は導けないというのが実感である。しかるに…

「人工衛星は簡単にミサイルに転換できる」という主張は、おそらく理論上「正しい」のだが、だからと言って他国の発射物を無条件に撃ち落とすという主張に正当性があるのか? この際それは関係ないという論理もある。その主張の理屈によって、ある国が打ち上げるものを他国が迎撃できるのであれば、日本が種子島から打ち上げられる人工衛星は他国によって迎撃されていいということになる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の打ち上げる人工衛星だけが危険であるなら、その根拠はどこにあるのか? これが疑問の第一。

今回打ち上げようとしているものが、確かにミサイルであった場合(その場合その弾頭が何であるのかというのも確かめる必要のある内容だが)、それによって達成しようとしている目的を、本来われわれは第一に問題にすべきではないのか? それが単なる挑発行為だという場合、その挑発行為によって、一体北朝鮮は何を得るのだろう。そしてその行為による最大の利益の享受者は誰だろう。こうした疑問はむしろ普通に問われていいことだ。だが、それを正面切って問う動きがあるように見えない。

では、今回のことが「挑発行為」だとして、その行為は文字通りの意味で「実在する」のであろうか? これは疑問の第三。われわれ一般市民はテレビの報道を鵜呑みにするしかない立場だ。実在しないかもしれない行為、確かめようの無い「事実」によって、われわれは戦争状態に入るべきなのだろうか? そもそも飛ばすべきものが北朝鮮にあるのか?(その飛ばすべきものが人工衛星であるのか核弾頭であるのかは問わずに) 

今のところ、「飛ばすべきもの(= 核兵器の場合)」が完成していると主張しているのは、北朝鮮自身と合州国の国防総省のフライング発言のみである。だが、北朝鮮に脅威があるというこのリークによって喜んだのは北朝鮮自身だった。これは彼らが自身を脅威と見られるリスクを選んでいるということだ。これは唯一確かなことだ。

だが、米政府の正式な立場は、北朝鮮を核保有国とは看做さないというもので、その建前を信じるならば、「北朝鮮に脅威は無い」ということになる。これも矛盾だ。これは疑問の第4だ。

さて、この唯一確かなこと(すなわち自身を脅威と見られたいという北朝鮮の意志)、そしてそれを脅威と看做そうとする日本政府の紋切り型の対応は、単なる判断ミスではないのか? 北朝鮮がそう見られることで得られる利益とは、単に交渉を有利に運ぶための、すなわち「力を背景にした外交路線」のためのライセンスなのか? いやむしろこれはどこまでいっても手段であって目的とは言い難い。脅威と見られることを是とする理由が分からない。これが疑問の第5だ。

一つ想像できるのは、北朝鮮のあらゆる行動はすべて合州国の目論み(あるいは想定)によって動いているといういつものアレだ。つまり発射台における準備も、かつての核兵器完成の喧伝も、すべて合州国の国益に適っているという隠れた事情だ。

それが実体的なものか否かにかかわらず、北朝鮮の主張するように、彼らに脅威を感ずべき根拠があるとすれば、それは日本の安全に影響があり、日本の政府も無関心でいることはできないという政治の世界での「常識」を利用した陰謀である。日本に戦争をさせたがっている(あるいは戦争に参加させたがっている)のは、日米同盟の邪魔となる憲法9条不要論を繰り返し唱えるアーミテージの発言を牽くまでもなく、実は合州国政府であって、それを北朝鮮との密約によって金正日に「悪者」を演じさせて、その演技料を支払う。これは、サダム・フセインの支配するイラクで起きたことを考えると、実にリスクの高いパフォーマンスであるとは思うが、失うものがすでにない北朝鮮にとっては、ことによると戦争という異常事態を利用しての現状打開を(金総書記の意志と関係なく)模索せざるをえない勢力が北朝鮮に実在することを意味するかもしれない。

戦争と言うが、どのような戦争をわれわれは想定すべきなのか? 日朝双方から超音速ジェット機が飛び交い、互いの都市を爆撃し合うような戦争なのか? それとも日本海沿岸の各地にボートを着けて歩兵部隊が一斉に上陸してくるような戦争なのか? 

どう考えてももう一つ確かなことは、この戦争によって利益を上げるのは一般の市民ではない、ということだ。

原因不明の爆発が東京の都心で起こり、「空から何らかの飛来物が来るのを観た」とかいう証言や、特撮画像のひとつがあれば、北からの攻撃だと看做されるのだろう。戦争など、それをやる意志さえあれば、いくらでもその理由は捏造できる。ということは、問題は、その《意志》を持ってしまっているかどうかなのだ。多くの日本人はそのような《意志》からは縁遠いように見える。