Archive for September, 2009

オヤジ殿は、「鉄砲玉」を街に放つか?

Thursday, September 17th, 2009

相手を脅威から守ると見せかけて、実はその脅威を利用して相手を脅す。これはヤクザの古典的な脅しの手法だ。

さっそく民主党圧勝のニュースを受けて、入った来たのが添付してあるニュースである。すでに古くなりつつあるが、やはりアップしておく。

北朝鮮ウラン濃縮

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結論から言うと、北朝鮮による「ウラン濃縮」のニュースは、民主党圧勝と、日本で始まりそうな気配のある対米不服従傾向への牽制球である。もちろん投げて来ているのは合州国である。

国内で報じられているニュースの上っ面だけを信じるならば、北朝鮮によるこうした挑発行為は、アメリカ合州国政府への示威行為のようなものに写るかもしれないが、そうした挑発行為の直接の対象は日本である。

[ここで書くことは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への一方的な批判の言辞のように響くかもしれないが、それは便宜的に問題圏を現在進行しつつある政治状況についてだけに焦点を当てているからである。そもそもどうして北朝鮮が現今のような状況になっているのか、ということは歴史的な文脈で捉えなければ理解できない。過去の日本の半島への政治的関与が、実は大きな影を落としていて、そのために朝鮮半島はふたつの国家に分断されているのだし、同族同士大いに血を流した。当然、日本は朝鮮半島に於けるこの殺し合いの一方のサイドに与したし、それによって経済的にも潤いもした。そういった歴史的背景のために北朝鮮が日本のことを恨みに思い、あからさまな敵視をしているという実情があることが、歴史の因果関係の文脈として捉えるほどに、一層分かってくるのだが、そうした一切を一旦無視することでしか、以下のことは書けないのである。]

金正日という存在はヤクザものの映画で譬えるなら、いつでも目に物言わせてやろうと考えて自分の活躍のチャンスを狙っている、熱過ぎる「鉄砲玉」のような役どころである。彼を押さえつけている手を離せば弾けるように飛んで行って、こいつだと思うヤツを刺そうと思っている。もちろん彼がここまでアツくなっているのは、そうなるように嗾(けしか)けている幹部たちがいるからだ。これは、伊丹十三監督作品の『ミンボーの女』において柳葉敏郎演じる「鉄砲玉」を想起すれば良い。

北朝鮮の権力と合州国の権力がすでにテーブルの下である種の結託していると考えると、北朝鮮の動きはすべて「オヤジに認めてもらいたいばかりに手柄を挙げることしか眼中にない行為」として読める。北朝鮮が繰り返し訴えているように、自分たちを攻撃しない約束を取り付けたいというのはあるかもしれないが、表面上、合州国政府はそのような相手に都合の良い約束をしないように見えつつも、裏では「攻撃はしない」という合図をすでに送っているはずだ(むろんそれが最後まで約束を守り切ることは意味しないものの)。

むしろ北朝鮮がそのように振る舞うことで極東アジアの地で「適度の緊張」を維持することが合州国の国益に適っているので、合州国政府はそれを本気で止めさせる気はない。それどころか、合州国政府からの具体的指示で北朝鮮がそのような役どころを演じていると考える方がむしろ自然である。つまり、過去の核実験も含め、基本は許された範囲で行なうジェスチャーなのだということだ。

このことがウラン濃縮作業というのを本当にやっている可能性を否定するものではないが、こうした一連の行為、そしてそれをやっていると声高に宣言する行為は、アメリカが自ら武力を背景に他国を脅す(かつてリビアのカダフィに対してやった方な)よりも、自分自身の評判を落とすことなく、しかも必要な脅しという効果を上げることができる。「ウチの若いもんの中には、ちぃと血ぃの気の多いのがおるさかいナ、早まるな言うても聞かん。こちとらは精いっぱい抑えてるにしても、気ぃつけた方がええで」と、アツくなって今にも人を刺しそうな「鉄砲玉」を見せるのである。嗾けておいて、自分たちは「せいぜい止めようとしているんだが」というジェスチャーだけを採るわけである。

抑えている手を離して鉄砲玉を「走らせ」た時、幹部たるオヤジがどうするかによって、脅された相手からオヤジへの恭順を引き出すことができる。鉄砲玉の手にするドスが日本の脇腹を刺すすんでのところでオヤジが鉄砲玉を徹底的に叩けば、オヤジは面倒な手下(鉄砲玉)の厄介払いと、日本からの恭順の両方を引き出すことができるのである。

問題はオヤジが本当に今回の日本における状況を、どこまで「抵抗」であるとみるかである。復興後の40年間、むしり取られるだけむしり盗られ、それでも「守ってもらっているから」の一点だけでそれを我慢して来た。だが、そのために自分たちの血と汗と涙という努力で稼いで来た自分たちの財産を巧妙に国民から隠しながら宗主国に貢ぐことを可能にして来た55年体制が終わったのは、それが選挙民のある種の「無知」によるものだとしても、国力そのものを貢ぎ物のために落として生活に困窮することがこれもはやできない、というところまで来ている証しだ。

こうした第三の脅威という「鉄砲玉」を使って、巧妙に自分たちの影響下に置こうとする帝国の脅しに屈しないためにも、われわれの外交戦略は賢くなければならない。そのために必要なのは、あのオヤジ殿以外との関係の回復である。つまらない「愛国心」に惑わされることなく、安全な国の状態を維持するための多元的外交が今こそ必要なのだ。それを真剣に行なっている良心的行為こそが本物の国益を考える者の名に値するのだ。

権力党の出現
(二党独裁制の方がマシだった、と嘆息する日)

Saturday, September 5th, 2009

何かが腑に落ちない。何かがおかしい。(09年)8月30日の衆院選以来の、と言うより、衆院選挙戦に向けての準備が開始されて以来の、メディアを中心とする動きなど、すべてに対し畏怖のようなものを感じる。これは本当に「愛でたい状況」なのか? 勝利を祝っている場合なのか? 念のために言っておくが、自民党の崩壊は言祝ぐべきことである。

これは政治家・小沢に対する評などとは根本的に異なる問題圏についての話。何度も言うように、政治家に対しての「全面的信頼」や「虚偽の有無」ということを云々すること自体がナンセンスである。なにしろポリティクス(政治)なのだから。したがって今回の選挙の結果──民主党への雪崩的な傾斜──についての「政治家を巡る評」というよりは、そのような選挙結果を招来させた「有権者やメディアを巡る評」というのを数日以内で何らかのかたちでやらねばと思っていた。

そう思っていたら元外務省主席分析官の佐藤優氏がさっそく選挙翌日の東京新聞夕刊で今回の選挙戦について語っていた(おそらく選挙前に用意されていた原稿である)。瞬時に彼が自分の言わんとしていることを言語化しているのを悟った。だからほとんどつけ加えることがないほどなのであるが、若干の自分なりの論考をしてみたい。

東京新聞「放射線」佐藤優(08.31.2009)

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いちばんモヤモヤしていたところは、こうした一政党による圧勝という方向性は(その政治指導者が誰であるかということとは別に)、いわゆる戦前の国家社会主義ドイツ労働者党を圧勝に導いた民衆の熱狂にも近い気がするのである。自分は民主党が唯一にして無二の独裁党になるということを強調したいのではなくて、結局日本の有権者は何らかのかたちでの一党独裁を期待しているのではないか、という予感について話しているのである。つまり名前が自由民主党から「自由」が消えて民主党になるというだけの話なのではないか、という予感について…

一党独裁と二党独裁のどちらを選ぶかと言えば、二党独裁の方が比較的マシである。だが、そもそも二大政党制(二党交代独裁制)についてはその有効性が疑わしいというのが自分の立場であったし、それを各方面の「識者」が期待しているらしいことも分かっているが、残念ながら今回の民主党の圧勝は日本の政治を彼らの期待するような「二大政党制」には導かない。これはむしろ徹底した一党独裁への布石が敷かれたことを意味しないか? これが杞憂であることを望むがそう感じられて仕方がない。

まず、ひとつは今回の民主党の圧勝を導いたのが、国民の利益を代表していると思えないメディアの力によるところが大きいこと(当たり前だが)。そしてそのメディアによる「世論誘導」をこれほどの規模で行なえたこと自体が、さらに大きな権力構造の存在を裏付けているように思えること、がある。うまく説明できないが、結局日本が某大国の属国であるという前提的事実が、そう簡単に「国民の総意」で覆せるものとは思えない、と言い換えた方がいいかもしれない。つまり今回の民主党の圧勝さえも、植民日本の宗主国のシナリオ通りであったとしたら、今後、この体制の中でどのような某大国への利益誘導が成されるのか、ということへのモニターが欠かせないのである。政治は結局政治であって、それさえも動かすのが財界(マネー)であったり「官僚界」(貴族階級)であったりするわけだから。

佐藤優氏の東京新聞の「放射線」にこういうところがある。

(引用開始)権力は空白を嫌う。自民党が崩壊した隙間を、民主党が埋めたにすぎない。その結果、真の「権力党」が生まれた。(略)社会にはさまざまな利害対立がある。その社会の部分を代表するのが政党だ。部分の代表者が議会で討論し、合意を形成するというのが議会制民主主義の基本だ。ただし、権力党はこのような政党ではない。権力党は部分の代表ではなく、全体の代表であるという自己意識を持っている。(引用終了)

これはまさに自分が心配をしていたモヤモヤの部分を、一気に払拭する状況把握であると思う。

彼はこうも言う。

(引用開始)ソ連共産党がこのような権力党だった。権力党は事実上、国家と同じ機能を果たす。これは民主主義にとって危険だ。(引用終了)

彼は「民主党に対する世論のチェックが重要になる」と結んでいるが、ここだけが自分の見解と違う。今回のことで、この時点で民主党の動きに不用意なブレーキを掛けるような、すでにメディアが開始しているような生き残りの自民党政治家に共感しているような中傷報道の類は、世論のチェックとはまったく質の異なるものだ。無論そのようなことを佐藤氏は言っていないが、このコラムを見た読者の中にはそのように思う人間もいるかもしれない。民主党に対するモニターは必要だが、これまでの自民党政治による国民生活のダメージを癒すための政策ならば、一気に進めるべきだと思う。ここでわれわれは、「すべての政党に対する国民によるチェックが必要だ」ということなのではないかと思うのである。

徹底して嫌いになった小泉政権の残した(と信じられた)負の遺産を清算すべく、自民党に対して有権者が初めて厳しい裁断を下したら、嫌いな小泉の目指した「自民党をブッ壊す」という公約が実現した。

「放射線」にて佐藤優氏が指摘したように、自民党の自滅が小泉の背負っていたミッションであるとするなら、嫌いな小泉のゴールを国民が自らの投票によって完成したことになる。そして、そのミッションを小泉に背負わせた影の立役者(オヤジ)は、そもそも誰だったのかということを思い出さなければならない。