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審美眼ならぬ《審意眼》を育むべきわれわれの時代

Wednesday, June 29th, 2011

6月28日にアップしたカンディンスキーに関するエッセイについてのツイートを備忘録として転載。

自分の書くもののポイントはいつも同じ。音楽は特権的に(例外的に)「意味の表現」という義務から逃れている。だが他の創作物(特に美術や映像)は、意味の呪縛から逃れられない(し、逃れる必要がない)。

そもそも無意味に人を付き合わせるなよ、っていう正論があって欲しい。壁紙の柄に意味を求めないような意味で、「美術や映像に意味を求めるな」と言うのであれば、そのような「創作品」に、われわれ意味の世界を追求している者たちが付き合う気はないし、皆もそんな物の鑑賞は時間の無駄と知るべきだろう。

だが、壁紙にも実は意味の残滓はあり、それでさえも、意味の呪縛から逃れ得ぬ。そして逃れようとする必要さえないという問題圏も別に存在することは認めてもいい。

一方、壁のシミのようなものである限り、人が「意図して」作る必要もない。そんなものは自然と偶然の営為に任せれば良い。それは壁自身に、朽ちて行く人口構造物に、あらゆる変化して行く無常の世界と時間の営為に任せれば良い。見渡せばいくらでも落ちている、自然界に、そして廃墟の中に。美を見出しうる要素だけなら。

カンディンスキーのような卓越した表現者への対峙法として、ゆるされるのはただひとつ。「意味、意味、意味」である。美を美として感情的に享受する嗜好品であるであるようなものを作るのに、どうしてあれだけの思惟が必要であろうか?(つまり、彼の作品は美の探求とも嗜好品の制作とも関係がない。)

そうした真摯なる芸術家の営為としての作品に対しては、明確に一定のテーマを持った中世の宗教画に対峙するのと同じ態度で臨むべきだし、そういう態度で臨む必要のないものに、そもそも価値などはない。カンディンスキーも、時代の影響を免れ得なかった点で、一度は「無意味への傾斜」があったが、幸運なことにそれは一過性の「病」だった。彼はすぐにその病から立ち直った。彼が幾何学的な表現を見出すまでの長い過程は、その抽象への病と解することができる。

創造的作品のそれぞれにはそれぞれの得意とする役割がある。非対象性などという「手法」は、音楽に任せておけば良い。われわれの世界には「抽象画」などというものがあるらしいが、音楽がその本質的な意味でそうであるようには、抽象であり得ない。対象を持つのが、絵画であり、映像なのだ。

したがって映像の詩人などと讃えられたタルコフスキーも抽象の映像作家ではない。つねに具体的な対象を持ち、すべてのカット、セリフ、音楽、あらゆるものが意図通りであり、一定の意味を持たされている。どう受け取られても良い、などという表現者としての動機を放棄するようなことは一切ない。

われわれは意味を込めた作品をそうでない嗜好品から区別する審美眼ならぬ審意眼を持たなければならない。

6月29日

「カンディンスキーと青騎士展」についての覚え書き

Tuesday, June 28th, 2011

レンバッハハウス美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士展」について、本年3月には書き終えていたが諸事情あってアップロードできずにいた「覚え書き」を今頃アップ。

2010年11月23日─2011年2月6日
三菱一号館美術館
(東京都内での展覧会は終了したが、4月17日までは愛知県美術館で開催。その後も兵庫県など国内各地を回る予定。)

■ 方法論のための美術鑑賞という時代

作品にいかに深遠なる内容が潜んでいようが、表現の方法が拙ければ人に振り向かれない。多くの人々がカンディンスキー作品にこれほどまでに惹かれるのは、控えめに言っても、その《内容》についての議論がどうであれ、少なくともその《方法》によって十分に魅了されているから、と言うことはできよう(カンディンスキーには申し訳ないが…)。例えば、広告がこうあっては困ると思うのだが、実際問題、多くのTVコマーシャルは、表現や手法が思い出せてもそのプロダクトが何であるかを思い出すことができないといった点で、似た状況にある。

作品批評は良くも悪くも作品の伝えようとする内容より、その方法についての関心に終始しがちだ。さらには、その道の専門家にこそ強く訴えかける体のものだというのは、現実としてはある。「前衛芸術」という悪名高き分野に一瞥を与えるまでもなく、このことをわれわれは不承不承であっても認めなければなるまい。少なくとも、カンディンスキーに対して抱くわれわれの「感心」は、その手法や表現上の《際立ち》を、「カッコいい」「心地よい」と感じる、言わば通俗的な感受性を前提としている。少なくともそのような面をきっかけとしてわれわれは何らかの作品の虜となる。幸か不幸か、近現代アートは、とりわけその内容ではなくて、よくてその「印象」についてであり、最も一般的には、その「手法」について関心を専ら集めてここまで至っているのだ。

■ 「方法」は内容に昇華するか?

ところで、カンディンスキーを始め、抽象表現の「ハシリ」を論ずべき課題とする限り、非対象性(描かれる対象を現実世界に持たない)に関する問題は避けて通れない。この非対象性あるいは抽象への傾斜が、19世紀半ば頃から知識人達の元へといよいよ押し寄せつつあった科学主義と唯物論への異議申し立てとして、「現実世界の写実」に反抗するというコンテクストで理解できる。むろんこうした「反抗」が突如始まったわけではなく、ロマン主義の時代にはすでに萌芽を見せていたヨーロッパ精神史の一面ではあるのだが。

ところが、厳密な意味で――カンディンスキー自身大いに関心を抱いていたらしい音楽がそうであるような意味*で――「対象を持たない」「外的な目的を持たない」「作品の有り様自体が内容である」という「作品」としての絵画なるものは、そもそも存在しないのではあるまいか、という日頃の持論が今回の作品を観ていても頭をよぎるのだ。とりわけ、抽象絵画と呼ばれる分野の作品展示に対峙すると。つまり抽象はどこまで行っても抽象であり、抽象が「対象を持たない」を意味しないのではないか、と。

その持論を補強する様に、今回の『青騎士展』で公開された作品群は「カンディンスキー史」的な文脈を除いてしまえば、それらの題材自体に語るべき《内容》があるとは思えなかった。極論を承知で言えば、である。いずれもほとんど明瞭なまでに日常的な「内容」でしかなく、あくまでも、のちに彼が獲得して行くことになる、生涯掛けて追求する価値のある《普遍的題材》と、そうした内容にこそ相応しい表現手法、その両方を獲得するまでの、長い道程のごくごく一部に一瞥を与えるものでしかないのだ。何故ならば、後により抽象的な《教会/塔の見える風景》に集約されていくことになる《教会のあるムルナウの風景》や、《大洪水》へと変容して行く《万世節》などを除けば、この『青騎士展』が見せた作品の「題材」となったのは、ほとんどが彼が仲間と過ごしたひと気のない、お気に入りの田舎、ムルナウの風景にすぎないからだ。どこまで行ってもこうした題材が、われわれの心を動かす訳ではない。われわれが関心を示さざるを得ないのは、やはりカンディンスキーの採った手法や技術と言うことになるのである。

* カンディンスキーの音楽への傾倒は、この展覧会のチラシや看板でも採用されていた《印象Ⅲ (コンサート)》という絵からも十分に伺える。これはカンディンスキー本人が当時欧州の伝統的な音楽界に波紋を投げ掛けつつあった「新ウィーン楽派」の宗 祖とも呼ぶべきシェーンベルクのコンサートに、大いなる好奇心とともに立ち会い、それをテーマに作品を描いたことからも了解可能だ。つまり、分かりやすく 言えば、表題を持たない種類の音楽(音楽学的には「絶対音楽」と範疇分けされる)というものは、描かれるべき対象を持たず、単に音として存在する「芸術」 なのである。そうした音楽上の作曲作品(composition)や即興(improvisation)の有り様に大いに感化を受けて描いたのが、カン ディンスキーの《Composition》や《Improvisation》などの作品であると言うことができるかもしれない。

■ 美術発展史的「パラダイム」の中の『青騎士』という党派

さて、今回の展覧会が取り上げた作品の制作時期からすれば、主たる展示作品は「具象から抽象へと移行するその過渡期」のものとなるが、それも、相当の単純化を恐れずに付け加えれば、第一次世界大戦前後のきわめて限られた時期の、カンディンスキーと、《青騎士》という名の旗印の下に集まった同志作家たちの作品展示会といった趣きである。カンディンスキーの高邁な目的意識に合流したマルクやマッケ、また、弟子で理解者であり、また愛人でもあったミュンター等々の作品が観られたのであった。

抽象に関する議論を蒸し返せば、もし、非対象性の作品をこそ言葉の最も厳密な意味で《抽象》と呼ぶ、その狭義の定義に依るならば、この時期のカンディンスキーやその「取り巻き」の作品は、最大で「疑似抽象」的で、かつ大きくデフォルメされた物質(モノ)の形態や変換された色彩を表現手法として採用したものではあっても、われわれの住む現実世界内にほぼ明らかな「由来」と「対象」を持つものであり、その意味では、『青騎士展』で観られたものは、《Composition》などの幾つかの例外を除いては、まだ抽象の黎明以前のものがほとんどであったということもできよう。つまり、一部の神智学者が志向したと後々に語られるような「精神(世界)の物質化」と呼ぶような、「疑似オカルト」レベルの抽象表現、ないしは抽象化行為*というものにまでは展開(ないし解体)されていないレベルのものなのだ。

* 忘我の中で行うアクション・ペインティングのような即興的美術を想定。

それよりも、《青騎士》の同人作家相互の手法的な影響というものが明らかすぎるほどに実に明瞭で、それがおそらくこの展覧会の見せたかったテーマだったのではないかと思われる程である。例えば、ヤウレンスキーのすべての作品とは言えないが、特に《夏の夕べ、ムルナウ》などを、試みにカンディンスキーの同時代の作品である《コッヘル──まっすぐな道》などの隣にタイトルもなしに置いておいたら、どちらがカンディンスキーの絵であるかを言うのは難しいかもしれない。興味深いことに、この二つの作品に限って言えば、ヤウレンスキーの方がおそらくほんの数ヶ月早い時期に完成している。その狭い同人誌的な世界におけるカンディンスキーと他者との間に観られる影響の双方向性は、カンディンスキー・ファンにとっては、ややショッキングなことかもしれないが、否定しがたい事実であるように見える。

つまりカンディンスキーでさえが、極めて広い裾野の広がりを見せた20世紀初頭のロシアン・アヴァンギャルドのムーヴメントや、それに先立つフランスの印象派との関係性も無視できない、などの一般論を鑑みても明らかだが、どんなにユニークでオリジナリティに富んだと言われるような作品を生み出した表現者であっても、作家は生きた時代のパラダイム(時代によって画される価値観)を逃れられないことを垣間見させるものだ(当たり前のことだが)。また、ひとつのトレンドは、たったひとりの人物の甚大な影響力と発想によってのみ造り出されるものではなく、何よりも忠誠心ある理解者、そして複数の共感者による意図的なムーヴメント生成(あるいは組織化)、つまりそれへの「ある程度まとまった人数の合流」抜きにはあり得ないということだ(それは、ヴァン・ゴッホにしても然りだが)。

また同時に、こうした抽象的・観念的思考──ある種の理想への宣言──と、実際に生み出される作品の間には、必ずしも絶対的なつながりが認められないケースもあるということである。つまり「宣言」的なものは、人と人を結びつけたり割いたりはしても、それ自体が生み出されるべき作品の有り様を規制できないということである。つまり「創作は思考に先立つ」というあまり語られない側面がここにも見出せるのである。

■ 『青騎士』という方法

「青騎士」(「青い騎手」と訳されることもある)というキーワード自体は、ヨハネの黙示録に出てくるいわゆる「四騎手」(4頭の馬)のうち、第四の封印が解かれた時に登場する四番目の馬(実際には青白い馬: Pale Horse)と「之に乗るもの: Horseman」への暗示を前提としている。言ってみれば、キリスト教文化圏の人々にとっては畏れながらも「親しみ」のある記号だ。もっとも「之に乗るもの」の名前が「死」であることから、カンディンスキーが採用したこの組織名も、「ひとつの時代が破局によって終わり、新たに世界が生まれ変わる」という、19世紀末に始まり20世紀初頭のロシアを席巻していたある種の終末思想とも関連しており、ひとつの挑発として機能する。大洪水、最後の審判、倒れる塔、といった破局を連想させる彼の好んだ題材も、そうした「死」による現世の終焉と新たな再生への憧憬なしには説明できない。

雄弁な論述家でもあり、またある種の扇動家でもあったカンディンスキーは、この時期も、そうした啓蒙的活動に精力的に従事した。その努力によってもたらされたものは、残されている同時期の作品そのものの持っている影響力以上であったと言えるかもしれない。その一例は、1912年に発表された論文『芸術における精神的なものについて』であり、またミュンヘン新芸術家協会の発起人の一人であった事実にも見出される。また、この協会からも袂を分かって、敢えてそれにぶつける形で《青騎士》を立ち上げ、協会からの離脱と新党派への参加を友人達に呼びかけたことなどにも表れている。つまり最終的には反発して袂を分かつ協会さえも、彼をひとつの流れの中に導くために必要な「応力」となる役割を果たさせるのである。

いずれにせよ、こうした彼の行為の一切が、ひとつの「ブランド」を築き上げるための役割を等しく果たしたという言い方は可能だろう。それはカンディンスキーが影響を蒙ったと考えられている、同時代の神秘家・教育者であるルドルフ・シュタイナーが、自己の思想の普及の手段として神智学協会を利用したように、カンディンスキーも自分のブランド構築のために組織を利用した。

カンディンスキーは「カンディンスキー」という名のブランドをおそらく必要とした(少なくとも、結果的に彼の目的達成を助ける役割を果たす)。そしてそのブランドは築かれ、彼は今日知られる様にメジャーとなり、「抽象の大家」としての崇拝と多くの鑑賞者と愛好者の一群を獲得した。そして仮にだが、もう暫し後に、例えばその内の一握りの人間、コリン・ウィルソンの言うような「指導的5%」が、カンディンスキーによっていよいよ追求されることになる物質的世界の外部に実存する《普遍的》、とも呼びたくなるような内容について関心を払うことができるようになるならば、それは彼のような表現者にとって、初めて成功と呼ぶべきなのである。その点で言えば、鑑賞者の内容への喚起以前の、手法の議論に終始するカンディンスキー作品は、まだ十分に評価されておらず、「彼の時代」はまだきていないと言う以外にないのである。

■ 「方法」に盛られるべき内容について

真の成功が伝えるべき内容の確実な伝達であり、鑑賞者の数の獲得は、ひとつの《方法》なのだ、という見解は保守的に聞こえるであろうか? 広告も同様で、視聴者の関心を掴むのは当然のことながら、内容を確実に伝えることがその最終ゴールだ。その点において、「非対象」性の芸術などというものは、後にカンディンスキーが獲得することになる、より深化された抽象表現作品の一群を以てしてもあり得ず、名状し難い非物質的世界の、「物質化を目指した」という作品のどれもが、いかに曰く言い難いものではあっても、明らかに伝達されるべき、われわれにとっても深刻な意味と内容を持つものだ、ということを図らずも伝えている。これは皮肉なことだが確かなことだと同時に思うのである。

前掲の意味で、今回公開された作品群は、その多くが意味性や内容の点で筆者の関心のストライクゾーンに嵌まる作品ではなかったのであるが、それでもカンディンスキーが、どのように「不遇の時代」から精力的な作業開始への転換点を経て、その後の地位を築いて行くのか、という表現の発展史の一部をイメージ化するには、十分な価値があったと言うべきであろう。

実際に鑑賞した具体的作品のひとつにも触れることなく締めくくることは許されない、との向きには、以下の作品についての簡単な感想を残しておこう。ミュンターとの生活の巣であったことが伺われる一幅の絵の色《室内(私の食堂)》(1909) についてである。あのピンク色にカラーバランスを「シフト」された室内の絵画は、部屋のすべてを活写している訳ではない。質素なダイニングを通して2つの隣室の一部が見えているのみだ。ただこの部屋壁の色変換には単なる実験以上の意味を感じることができる。描かれざるものを、描かれたものとして視る、という知識を総動員するような「行間を読む」作業をわれわれに強いるまでもなく、《印象 III》などよりも直截的に当時の「愛の巣」を眺めるカンディンスキーの暖かで幸せな心象が伝わってくるのだが、そんな風にしか捉えられない自分の「感性」は、単なる通俗的錯覚の賜物に過ぎないのだろうか?