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罰するべき相手の《望み》を如何に聞くか

Saturday, July 31st, 2010

すでに故人となってしまった旧いウェールズ人の知り合いから、抱腹絶倒のブラックジョークを教えてもらったことがある。

サドとマゾの会話。

女:殴って、叩いて、私を罰して!
男:…(黙って見ている)
女:さぁ、何をしているの? 早く殴って!
男:…(相変わらず見ている)
女:ほら、叩くのよ、思いっきり罰して!
男:(相手をじっと見ながら、冷たく、ゆっくりと)ダメだ。

すぐに分からない人には申し訳ないが、殴られたいマゾといじめたいサドの間で、本当に殴るサドがいたら、悪いがそれは本当のサドではない。相手をいじめて苦しむのをみて快感を得るのがサドであれば、《殴らない》ことで相手をいじめることができる。

自殺願望がある人間が死にきれず、自殺する代わりに殺人を犯して裁判で自分を死刑にしてくれと言う。そしてその通りに司法は死刑判決を下し実際に死刑にしてしまう。ボクに言わせるとそれはアマい。

罰するのが司法なのであれば、「自分に死を与えよ」と迫ってくる犯罪者に死を与えるのは「殴って(罰して)!」と迫ってくるマゾヒストに殴打を与えるのと同じくらい底が浅い。なぜ罰しようという相手の望みを聞くのか? 相手の望みを叶えないことこそ、《処罰》の名にふさわしいことではないのか? われわれに彼らを本当に罰する気があるのなら、絶対に彼らを死なせてはならない。

われわれは死刑に期待して殺人を犯し、死刑を求める犯罪者に対し、じっと相手を見ながら、冷たく、ゆっくりと、ダメだ、と言わなければならない。

(これは、人が人を罰することができるのか?というメタな問いについて便宜的に棚上げした上での話だ。人が他者を罰することが前提とされている現世へのちょっとヒューモラスな示唆だと思ってもらえれば良い。)