Archive for February, 2001

私のDivaは、音楽で私をさいなむ

Monday, February 12th, 2001

映画『Diva』は思い出深い作品だ。作品自体が非常に秀逸だと感じただけでなく、帰って来ないと思っていた日本に帰ってきて、初めてひとり劇場で見た映画であったことや、それ以外の「暗合」とも相まってmy favorite moviesのひとつになった。ビデオも間もなく入手した。自分は決して映画マニアではないが、滞米中に映画を映画館で見るのがそれまで以上に、やや習慣化していた。とくに帰国直前の最後の4~5ヶ月の間に知り合った映画通の日本人の友人(この人はこの人で特筆に値する重要な友人なんだが)の影響で、帰国直前のニューヨークでも幾つかの欧州映画を見たのだった。そして『Diva』はニューヨークで観たわけではないのだが、彼との話の中でも何度か話題に上った映画のひとつだったのである。

米国で見ることのできる欧州映画の幅の狭さたるや、さすが国を挙げて「文化的鎖国」を断行している島国アメリカならでは!と言いたくなる状況だったが、そのなかでもディストリビュータの努力でもって開けられた針の目のような小さな穴からは、(たとえばそれはニューヨークのスノッブの集まるLincoln Center Theaterなど幾つかの映画館のことなんだが)幾つかのアジア映画や欧州映画が、ちょろちょろと漏れだしてきており、それらをなんとか掬い採ることができたのだった。

話は『Diva』から離れてしまうが、何でも見つけだしてきて、まとまった「ひとつの状況 phenomenon」を造り出してしまう日本の異文化崇拝傾向の方が世界の中でいかに特殊だとしても、今にして思えばアメリカに於けるこうした海外文化の紹介の程度の低さは、それはそれでまさにappallingなほどだと思えた。これについてはそれだけで「一幅のエッセイ」が描けてしまうほどの重い意味を持つことだと感じているが、(ポイントを失いがちな私のエッセイをこれ以上ひどくしないために)ここでは映画に話を限ろう。日本では、さほどマニアでなくてもちょっと映画に興味を持っている人が、欧州やアジア発の映画の存在を知っているほどには、アメリカ人が外国映画を知らないというのはかなりの程度正しいと思う。彼らの外国の文化に対する全般的無関心にも原因があると思うが、そういう海外の映画が観たくても、そのようなものがあること自体が広く紹介されないのだから、周りの人にはアクセス自体が殆ど不可能なのであって、知らなくてもおそらく仕方がない。相当のマニアでない限りそうした文化的チャンネルの確保が難しいのが、島国アメリカなのである。しかし、一度でも日本人だった人からすれば、そういう点でアメリカというところは(ニューヨークでさえ)、実に文化的に「渇き」を感じる場所であった。

そんなわけで前述の映画通の友達と話す「文化的会話」の多くが、アメリカのsickeningな文化的鎖国についての憤懣やるかたない気持ちの吐露に費やされた。日本人なら当たり前のように知っている映画が、なぜ、アメリカではかくも接触機会が狭まれているのか、と。この友人の列挙するお薦め映画の殆どが近所のビデオレンタルショップでは置かれていなかったし、East Villageなどのマニア向けのショップでなければ見つけられないなんてこともあった。そのリストされた彼の勧める映画のほとんどが、日本に帰ってきて初めて観るものだったのだ。

 まあ、いわばこうした日本の欧州文化への間口の広さのためと言っては何だが、帰国して現在の仕事に就くまでの間、いわば文化的調整期間のような時期があって、毎日のように街の中央図書館に通い、本を渉猟し、またアジア映画のビデオを借り、また都心に出て欧州映画を見たりといったことに時間を費やした。“浦島”現象を経験した「日本人知的中産階級」としては、こうして必要な調整及び挽回を一気に計る必要があったのだった。

その初めの映画が『Diva』であったのだ(長い前置きだよな)。たしか神楽坂の辺りだったと思うが、小さなその名画座にすわって、いきなり荘重に始まる冒頭のAlfredo Catalaniのアリアのシーンに椅子に釘付けにされ、映画のプロット以前に、「これは音楽と映画好きを自称する者として観ていなかったことを直ちに恥ずべきたぐいの映画である」と断定したのであった。しかも、あの音楽が一度ならず何度も何度も「さあこの音楽に感動せよ」と畳みかける。そのときわれわれは映画を見ているのではなくて、コンサートに聴衆のひとりとしてそこに居合わせているのである。したがって、『Diva』あのアリアを「聴く」ためには、映画館での観賞が必須なのである。それにしても私が「噂のDiva」とようやく出会った1994年といえば、最初に公開されたのが1981年だとすると、すでにかれこれ13年経っていたことになる。あの名画座に感謝!である。

ようやく最初のアリアへの感嘆から立ち直った頃、映画はゆっくりと不穏な感じで動き出す。それでは、音楽にフォーカスして自分の思うことを捲し立ててみよう。まず、アリアの感動を相殺しようとしているとしか思えない、駅のプラットフォームでのシーン。そのバックでかかっている、いかにもチープなカッティング・ギターをフィーチャーしたイタリアン・プログレ張りの音楽が、あのアリアと好対照を成しており、しかも「これはやはり映画なんだ」と、鑑賞しているという「現実」に鑑賞者を引き戻す(つまり音楽をメインフィーチャーとしたショームーヴィーでなく)。また、あの場違いなほどチープなロックが、この映画の全体のクラス感をうまく規定したと思えた。そんな安物の音楽しか手に入らなかったのではなく、わざと選んだということである。これがプロっぽく完璧にアレンジされた「不穏な雰囲気のクラシック」系の音楽であったなら、この映画のクラス感は反対にぐっと上がってしまい、もはやみんなの愛する「ヌーベルバーグ」ではなくなってしまっていたかもしれない。

主人公を助けることになるゴロディッシュのアパートの部屋のシーンでは、Laraajiを思わせる環境音楽(ambient music)が空間を満たしており、恋人のアルバはローラースケートで浮遊し、部屋に飾ってある「水と油の波のオブジェ」とすべてセットになって、ひとつの「音と動きのギャラリー状態」を醸し出している。アレは、理由がどうであれ、Jean-Jacques Beineixとしては絶対やりたかったことのひとつなんだろうと思う。あのような空間を演出すること自体が。

音楽の使用法に関しては、彼の後の作品(またYves Montandの遺作となった)、『IP5: L’ile aux pachydermes』における主人公の若者と彼の心の恋人である女があるダイナーの窓ガラス越しに再会するシーンでの音楽の使われ方などをみると、Beineixにとっては「最初に音楽ありき」なんだろうなと確信を深めざるを得ない部分がある。しかし『Diva』こそ、音楽が映画を成り立たせている好例となっている。このようなことを書くと、「最初に原作があったのであって、事実に反するぞ」と指摘がありそうだが、きっとすべての映画制作に先立って「あの音楽を映画化する」という意図があったんじゃないかとさえ私には容易に信じられるのである。

そんなわけで、当然ウィルヘルメニア・フェルナンデスの歌うアリアは、映画の中できわめて重要な役割を演じ続ける。それは単なる映画の一シーンとしての劇中バレエや劇中オペラの類ではなく、本質的な意味で、最初から最後までそうなのだ。音楽の創作行為を表層的に音としてだけでなく、これほどのレベルで音楽パフォーマンスに付きものの緊張感までも伝える映像というのはめったにお目に掛かれるものではない。

そして記録・再現芸術たる映画と、記録された音楽の《意味》が終盤になって明らかにされる。これは再現・再生されることが前提とされた芸術である映画の表現者として、Beineix自身が問いたい作品の最大の挑戦的メッセージであるとさえ考えられるのだ。映画の中で「録音され複製された自分の歌」を拒否し続けたDivaたる彼女が、映画の最後に、映画の鑑賞者たるオーディエンスとともに、その複製された音楽に感動する!という仕掛けが用意されているのである。

しかも映画の鑑賞者たるわれわれにとっては、彼女が「生」で歌っているものも、ジュールによって録音され再生されているものも、まったく同質のもの(両方とも複製である)として聞こえてくる(当然だが)。しかもこのプレイバック(再生)は、彼女の歌った劇場によって行われる。これは記録・再現芸術が自らを正当化する最も賢明でパラドキシカルな手法である。これは音もビジュアルも時間も含有する映画だからこそ可能だったトリックだと言える。しかもジュールの録った音源が、お粗末な音の再生に留まらない、演奏現場での緊張感をも、そして記録者の音楽への愛をも、伝える「音の記録」であったからこそ、映画を見ているわれわれは無理なく納得させられてしまうのである。かくも秀逸な映画ならではのトリック。

Beineixは終盤近くでひとつのいたずらをする。「悪徳刑事の手下2人組」のひとりが、一体全体イヤフォンで常に何かを聴いているのだが、それの内容が最後(最期)に判明する場面である。この映画のもう一つの象徴的存在でもある、このグラサンを掛けた「何でも嫌い」な小男は、相棒が話しているときもイヤフォンを付けたままだ。そして人を追うときも、殺すときも。そして、これもやはり音楽なのであった。アメリカ映画ならさしずめ、この小道具はWalkmanだったかもしれない。その音楽がわれわれには聞こえてこない「彼の見た世界」のsoundtrack(背景音楽)として常に機能していたのであり、おそらく彼の「嫌いでない」唯一のものであったのであり、「彼の世界」における音楽のすべてだった。そしてついに死んでしまった彼の耳からイヤフォンが外れ、そこから漏れだしてきた(血ならぬ)音楽とは何か? それは「タンゴ」だったのである。

(げげ~っ!)