Archive for June, 2005

最高裁判決への戦い方

Wednesday, June 29th, 2005

憲法違反の行為を平気で成す政府、憲法違反の判決を平気で下す最高裁。こうした厚顔無恥な権力者たちのトレンドは、どうやら日本だけの専売特許ではなさそうだ。むしろ日本国の政権が宗主国として崇め奉っているアメリカ合州国でこそ、全体主義への零落は明らかなのかもしれない。だからこそ属国日本も何のためらいもなくその宗主国の傾向に習っているのかもしれない。だが、決定的に違うのは、その権力者による憲法違反への人々の反応と対応である。

当然のことながら、合州国では私有地の政府による接収というのが憲法によって厳しく制限されている。一方、憲法修正第5条の例外規定によって「公共使用のための例外を除いては政府による個人財産の接収は禁止」という表現がなされている。

だが、ここへきて所有権護持を主張する活動家を怒り心頭させる連邦最高裁判決が下され、大いに物議をかもしている。米国の新聞などで報道されているが、その判決によれば、橋や高速道路などの公共プロジェクトに限らず、「スラム」化した地域の「浄化」や土地の再配分という名目でも私有地の接収ができるばかりか、「公共目的」の中に、不況に喘ぐ地域に仕事をもたらすならば「私的企業が土地の買収開発をする」ことを州政府命令で実行することが含まれる、としたのだ。

コネチカット州において、私企業が開発するオフィスビル建設のために土地を追われようとしている住民が、明確な「公共使用」でない開発事業のために土地を立ち退かなければならない理由はない、と当然の権利として訴えていたケースに対し、連邦最高裁が、公共の利益にかなっているので「公共使用」であると解釈できると判断を下した訳である。これは今後、どのような土地でも、現時点で生み出している以上の利益を生み出すプロジェクトによってより多くの税収が見込まれるとすれば、私企業が自由に、何の制限もなく人の土地を接収できるという最悪の判例を造ってしまったことを意味する。当然のことながら「貧困層」や「高齢者」が住んでいる宅地自体は、オフィスビルや工場ほどの「利益」を生み出さない。当然だ。私の住んでいるアパートは、私が住むことによっては私の払う家賃しか生み出さない。こうした人々の土地は、金を持つ人間が望むなら、州政府命令でいつでも私企業にそれを売り渡さなければならないわけである。ここで財産権の侵害を禁止する憲法の理念がねじ曲げられるという一歩が踏み出されたわけである。

CNNの記事

Washington Postの記事

この判決に敗訴した住民のみならず、この最高裁判断を「重大な憲法違反である」と反応した数多くの人々がいる。当然の話である。

この最低の最高裁判決を下した一人であるスーター判事の住むニューハンプシャー州 34 Cilley Hill Road という地所を州政府指導のもとに接収した上で、買い取り、ホテルを建てるという計画を立案したのだった。そしてそのホテルはウェア市の当局にスーター判事がそこに住み続ける以上の経済的利益を作り出し、市はより多くの税収を確保するだろうと伝えたと言う。

天才的な活動家、Logan Darrow Clements氏の計画によると、ホテルの名前は「The Lost Liberty Hotel: 自由喪失ホテル」で、ホテル内には「Just Desserts* Caf?」というウィットの効いた名のカフェをしつらえ、公共に開かれた博物館まで付随させるというものらしい。博物館ではアメリカに於ける自由の喪失をテーマにした常設展示を行う。そして普通のホテルによく備え付けられているギデオン協会の聖書の代わりにリバータリアンのアイン・ランド女史の小説『肩をすくめるアトラス』を置く。

* やったことへの当然の報いとして与えられる「デザート」。行動にふさわさしい末路として行為者に与えられるもの。当然の結末。

これは新たな戦いの始まりだ。もし公共の利益になるという理由で私的企業が他人の財産を接収できるというのであれば、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領の私邸を私企業が買い取ることもできる。こうした闘うための基金を募って公共の利益のための「買収」というリベラル活動家による<合法的>な動きはあちこちで起こるであろう。なぜなら、連邦最高裁が下した判決という「お墨付き」があるからである。最低の判決に対する最高の抵抗である。もちろん予断はゆるさない。裁判所が三権分立の理念を平気でねじ曲げる理念無き輩の集まりであるとすれば、大物政治家や裁判官自身の私邸を接収の対象にすることなど、容易には認めないだろうからだ。だが、こうした抵抗に遭うことこそ、彼ら権力者が「やったことへの当然の報い」「当然の結末」なのである。

freestarmedia

確かに憲法というものは「文章」であって武力も警察力も持たないものである。おそらくこのように何の強制力も持たないから権力者は好きなことを始めているのかもしれない。だが、そうした新自由主義には倫理もヒューマニズムもない。理念や理想に生きるものが<人間>である以上、憲法を平気で違反できるその心は人間に属するものではない。

以前なら、憲法という「文章」そのものに対する畏敬の念というものがあった。それを勝ち取るのに抑圧と闘争のプロセスがあったからだ。憲法を単なる文章だとしか考えないとすれば、それは思想の敗北(人間の「考える力」というものを過小評価するもの)であり、権力者の堕落であり、次なる<時局更新>への引き金(口実)を敵(われわれ)に引き渡すような恥知らずで無知な行いなのである。つまり法律自体が遵法しているかどうかを測るための、保守も革新も、どちらの側も無条件に守らなければならなかった超法規としての憲法は、それを生み出した合州国でこそ死文化しつつあるのだ。

だが、それに対して戦う方法を編み出すのも、かの国のヒューマニストたちの着想であり、工夫であり、実行力なのである。

「解読」
(散文、あるいは「未来へのシナリオ」の骨格として)

Saturday, June 25th, 2005

(これは常に推敲の対象である)

曲がった腰を伸ばし

汚れた手の甲で額から汗を拭い

穴の底から照りつける太陽を見上げる

ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から

白い太陽が容赦なく照りつける

男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた

それは彼の頭で強いコントラストの影になっていたが

それが何であるのかは、分かっていた

深い地中から掘り起こした粘土板

それを男は見つけたのだ

その小さな石の破片のようなものに

明らかに人の手によるものと思われる「傷の行列」を見出した

だが、そのとき一体誰がそれを読み解きうるものと思っただろう?

だが男にはある確信があった

その発見にもかかわらず

無意味な発掘は続けられた

あらゆる美術品、工芸品の類が地上に曝され

札を付けられ整然と並べられた

そして地中より掘り出された直後の鮮やかな色のいくつかは

ほんの数日で失われるものさえ、あった

だがその中でも絶対に失われないものは

その「傷の行列」であることを男は知っていた

発掘された品物は然るべき場所へと

それぞれ移されて行った

だが彼の興味を惹いたのは

たったひとつの小さな粘土板だけだった

委員会は何を思ったか、その発見を秘密とした

いくつかの雑誌が粘土板の存在をスクープし、取り上げた

だが、それは「噂」であり、その噂は「あれば面白い空想話」として

時とともにすぐに忘れ去られた

発掘が終わると仲間達はそれぞれの仕事場に帰っていった

そして日常生活が戻った

最悪なことに

粘土板は綿を敷き詰めた木箱にうやうやしく仕舞われ

博物館の鍵のかかった金庫室に収められようとしたのだ

彼はそれに封印が掛けられる直前に救い出した

そして出土した詰まらぬ花瓶の破片を綿にくるみ

それを素知らぬ顔して木箱に収めた

男は盗みに成功した

そしてその粘土板は彼のものとなったのだ

傷のような線文字を解き明かすことが男の人生となった

手がかりを与えてくれないその粘土板は彼の前に

大いなる謎として、立ちふさがるのだった

だが彼は決して諦めなかった

それが言葉であると言う直感

そして絶対に解き明かしうるという信念だけが

男の人生を突き動かした

それはほとんど絶望的と言えるような探索の道筋であった

数えきれないほどの本を渉猟し

言語の体系を覚えた

引っ掻き傷に「文法」が存在することに辿り着くまでに

数十の言葉を覚え、文章を組み立てることさえ

できるようになった

失われた古代の言語たちは彼の内部で再び息を吹き返した

彼の部屋はすぐにおびただしい紙の束でいっぱいになった

壁はあらゆる新聞や雑誌の切り抜きで埋め尽くされた

そして寝食を忘れて、夜も昼もその研究に打ち込んだ

男はやせ衰え、頭は知で満ちたが、精神は飢えたオオカミであった

家族は去り、数少なかった友人からの連絡も途絶えた

だが(アレルヤ!)

ある晩、男はその粘土板の文字をついに読み解いたのだ

すべての研究の成果が一つの輪となって閉じたのだ

男は欠けたり摩耗してしまいほとんど読めなくなっている箇所さえ

そこにどんな文字が書かれていたのか

ありありと頭に描いてみることさえ出来るようになった

その夜、彼は神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一人で祝った

しかし喜びは絶望と隣り合わせであることを

知らぬはずもなかった

絶望とは、その文字の語る内容であった

彼はそれをどうしても人に語ることができなかった

語りたい誘惑に駆られた

酔った勢いでそれを話したこともあった

面白がる者は二度とそれ以上彼の言葉を聞くことはなかった

蒼ざめた者は二度と彼の前に現れることはなかった

だが、現実は、ほとんどの者がそれを真実であると実感せず

自分の問題として耳を傾けることがなかったのである

運良く彼の言葉に耳を傾ける者がいれば、

その「作り話」を一体どうやって着想したのか

ということにだけに興味を示した

そして敵意さえ抱いたのだった

彼の男への批判は呵責のないものだった

男の話す言葉に根拠を求めたのである

根拠は彼の解き明かした粘土板の文字にほかならない

だがそれを読めるものはこの世に彼ひとりしかいない

しかもそれは存在しないとされたものに刻まれたものだったのだ

つまり、それは取りも直さず

彼が生涯をかけて解き明かしたことを

誰も取り合わなかったということなのだ

だれも耳を貸さず、耳を貸したとて、最後まで

その根気のいる証明に付き合えるほどの時間も忍耐も

人は持っていなかったのだ

驚き呆れる者たちも

何事もなかったかのように自分の日常へと戻って行ったのだった

証明が第一の問題であった

そして

解き明かした内容そのものの途方もなさ

それが第二の、そして最大の障害なのだ

この障壁をどうやって乗り越えるのか

誰にも信じてもらえないものは事実と言えるのか

それがいかに明らかな事実であり、証明が可能であっても

世界で、彼一人しか知らないのだぞ

だが、独りしか知らないものは真実ではないのか

彼がそれを解くまで、それは解き明かしうるものとさえ思われていなかった

だが粘土板は確かに地中に埋まっていたし

それは発掘された

それだけではない

それを読む者さえここにいるではないか

そうだ

確かにこれを石に刻んだ者がかつてこの地層の時代を歩いていた

そして、この者が視た事実を誰かに伝えようとした

それも確かだ

しかし、粘土板が語るように

かつてそれを刻んだ者さえ、当時それを信じてもらえなかったのだ

粘土板自体がそうかたるように

あたかも、男が今、それを信じてもらえないように

男の心は初めて彼を選んだ神を憎んだ

だが男は立ち直った

粘土板の文字の語る言葉をあまねくこの世に伝えるための

根気のいる「証明」を書き記すことに決めた

それは彼が解き明かすのに掛けたのと同じくらいの時間と根気を要求する作業だった

それは全く無関係に思えるふたつの事実を一足飛びにつなぐことの出来る

想像力と洞察というものの連鎖であった

その直感によってつなげられた内容をしっかりと、緊密に

つなぎ目がどこにあるか分からないほどの論理の連鎖で

再びそれらをつなぎ合わせるという作業

それは男に極度の疲労を強いるものだった

だが、それは膨大なページを有する7巻の本となった

そしてついにそれを世に問う日がやって来たのだ

すっかり髪の白くなった彼は、一度は神を呪ったことを詫び

神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一人で祝った

だが、それが完成したとき、

世界はすでに男が粘土板を発見した時と異なる

新たな時代局面に入っていたことを

彼は、知らなかった

それだけ彼はこの本の完成にのみ没頭していたのだ

その粘土板が語った内容のいくつかは

恐るべきことに

すでにこの男の住む世界において

実現し始めていたのだった

そしてそれらの成就がわれわれに何をもたらすのかという

粘土板の告げる最後の言葉さえ

もはやこの世では珍しいものではなくなっていたのだ

幼い子供までが、その言葉を口にしていた

人々はもうそれを薄々とだが、身近に感じ始めていたのだ

男がその本の内容の要約をかいつまんで説明したとき

どの編集者もどの出版社も首を横に振った

その内容に興味を持たなかったわけではない

だがもはや「それ」を証明してもらう必要さえなかったのだ

なぜなら、その内容は、多かれ少なかれこの世を生きる人々が

了解していること、だが決して言葉にすべきでないあることと

瓜二つだったからだ

そしてその粘土板の語る言葉

そしてその膨大な証明の手続きを記した草稿

それは誰からも顧みられることはなかった

彼は遅すぎたのだった

男はその草稿と足の踏み場もないほどに

部屋を埋め尽くした文献と資料の堆積の中で

天井を見上げ神を呪った

財産も名誉も要らなかった

彼に必要だったのは彼の知った言葉に

耳を傾けて欲しかっただけなのだ

だが、男は遅すぎたのだった

曲がった腰を伸ばし

汚れた手の甲で額から汗を拭い

穴の底から照りつける太陽を見上げる

ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から

白い太陽が容赦なく照りつける

男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた

それへの最後の別れを告げるために

そしてそれを厳重に縛った包みに入った彼の本の草稿とともに

元あった場所に、それを埋め戻したのだった

「希望」と一緒に

(この長い草稿を最後まで読まれた方には多謝である)

感慨:鬼神ライブ@音や金時 6/23

Friday, June 24th, 2005

慣れた訳ではない。ライヴに慣れるはずがない。良くも悪くも(普段の自分でなくなるという意味で)緊張はしているのだが、不思議と今回は、比較的落ち着いて舞台に立てた(座っていたけど)気がする。これはどういうライブならそうなるのか、というような一般化も定式化も全く出来ない何らかの条件で起こる一種の精神状況で、それは年にだいたい30回前後出演するライヴパフォーマンスの中でも、ほんの2、3回程度(あるいはもう少し頻繁)に起こるものなのだ。言ってみれば、それが「たまたま」昨夜起こったということだ。

しかも、そういう「落ち着き」というのが、ライヴの内容に良く反映するとも悪く反映するとも、そのどちらかに体よく収まるということとも無関係なのだ。落ち着いていて良い演奏が出来たと思えることもあれば、そうでないこともある。ボルテージが上がり切り、自分を見失っているのに(いるから)、結果が良いこともあれば、(見失っているからこそ)ダメな時もある。「自分がこうあれば、結果がああなる」と予測できるものでもないので、あまりアテになることでもないということが分かるだけなのだ。

これに関連して以前に書いたことのあるエッセイ

ただ、ひとつだけ言えることがある。とすれば、それはこの度のライヴにおいては、夢中で演奏している自分がいるのと同時に、それをどこかで「楽しんでいる」自分がいたということである。前回初めてゲスト出演させて頂いたAPIAでの最初のライヴの時のように、「ここぞ。ここで出なくてなんとする?」という瞬間をことごとく「見逃しの三振をする」、という感じではなく、全体の時間の流れに自分も乗っている感じもあり、舟から落ちないように櫂にしがみついて必死で川を下っているくせに、周りの景色も突然目に入ってくる、みたいな瞬間があったし、川を下っているスリルを楽しんでいる自分もいた。もちろん、演奏後にビデオを観て初めて気付くようなことだっていくつもあったのだが、それでも演奏中に自覚できることが多かったことは、自分にとって珍しいことであると言えよう。演奏の善し悪しとは別の問題として、演奏している自分を楽しんでいるというのは、実に有り難い出来事ではある。

なぜなら、演奏中の自分を皆目思い出せない数多いライヴの中で、演奏を録音を通してしか「追体験」できないというのは、口惜しくもあり、スリルで冷や汗をかきながらも演奏そのものを演奏中に実感できるというのは、貴重な体験であるからなのだ。

そのためなのかどうかは分からない。今までの浅い経験からしても、「そのためだ」と容易に「何かのせい」に結びつけることは何の足しにもならない。だが、あれだけの熱意を持って楽器を吹いても、自分が思い描いている音として鳴っていない、どこか「ぬるい」部分があることは、録音からでもよくわかった。こうした音色や音圧についての自覚は、演奏後の方が客観的に分かることが多い。それについては、普段と変わらなかった。

せっかく聴きにいらした方のことを考えると、このようなことを書く(思う)こと自体が拙いのかも知れないが、自分を大きく見せる気も神秘化する気もない。あるがままの自分を聴いて下さる方のためにも、自分が何であるのかというのを「隠す」のは潔くないと考えるのだ。

なぜなら、音楽の神秘とは、それを生み出す人間に属するのではなくて、音そのものの中に、そしてそれを読み取ることの出来るひとの心の中に宿っているものだからだ。演奏家にあるのは、そのために格闘するという、それ以下でも以上でもない、あるがままの「いとなみ」だけなのだ。

何度でも書くが、こうした経験への機会を下さった梅崎さん、トシさん、そして皆様に感謝の意を伝えたいと思う。

タルコフスキー「映画論」へのメモ

Tuesday, June 21st, 2005

これも長い前文のようなものに外ならない。

(タルコフスキーの「映画論」へのメモ:Tarkov_supplement2.txt)

映画作家という人種は、一部の人々(あるいは思いのほか多くの人々)によって「映画という媒体でしか表現し得ない夢や題材を抱えた人達だ」と考えられている。

だが、そのような幻想は、特定の映像作品にとって正しい評価の妨げになる考え方だ。映像作品の登場は、映像という媒体が存在する以前の、遥か昔から存在している題材を、映像といういわば「総合媒体」を獲得した人間が、ようやく扱い始めたということにすぎない。そして当然のことながら映像ならではの「特殊な表現」が生まれたことは事実であって、しかも必然的なことではあっても、アンドレイ・タルコフスキーのような特定の映像芸術家が作品を通じて描こうとしたものが、「映像によってしか扱えない題材」だと考えるのは、<題材>そのものに肉薄できないわれわれの勝手な想像に過ぎないのである。もちろん、これはタルコフスキーの評価を貶めるつもりで表明する意見でも、鑑賞者各自に起こる経験そのものの真実を否定する言辞でもない。むしろそのまったく逆で、タルコフスキーこそ映像史に永久に残る映像作家であるということを、改めて言おうとしているのである。そして、それには確固とした理由があるということを。

実は、<題材>こそがタルコフスキーの作品を特別なものにしているというのが第一の真相である。そして、その意味では映像だけがそれほどに特別なものでもないのである。映像は、そもそもそれ以前に存在した文学や演劇など、あらゆる作品や表現行為が伝えて来たある<題材>に緊密につながりがある。そして、タルコフスキーのように、映像作家でいながら優れた脚本を書く人はおり、そもそも<脚本>(根本的なアイデア)がなければこれほどの傑作は創れないのである。そして脚本は、タルコフスキーの独自のものではなく、ある種時代を超えた「ユニヴァーサルな台本」というものをベースにしているのである。「キリスト教的」と言えば一面当たっているが、それは顕教(表)としてのキリスト教ではなくて、むしろ密教(裏)としてのキリスト教と関わりがあると言えば、その意味では正しい。だが、この密教に言及するならば、それはもちろんキリスト教だけの専売特許ではなくて、あらゆるまともな宗教が伝えようとしたこと、あるいは古代密儀としての宗教なのである。つまりそのようなユニヴァーサルな台本がまずある。

もちろん、タルコフスキーの才能の特殊性とは、その<題材>を扱えるだけの優れた脚本を起こす能力(<題材>を理解する能力)があったのみならず、それを映像作品として具現化する技術的なノウハウすら持っていたということなのである。

映像作家としてのタルコフスキーが、詩人の父からの影響を受けていたということは、極めて重要なことなのである。

「タルコフスキーの作った映像を意味に還元して読み解くという行為は本当の意味でエクリチュールとしての映画を観る事からは遠ざかっている」という意見がある。これはつまり、多くの映像作品の鑑賞者が作品から「一定の意味」を捉えることに抵抗を感じ、さらにそのような見方は映画の価値を狭めるものであると漠然と感じていることを意味しているのであろう。だが、こうした多くの人の賛同を呼びそうな主張の特徴とは、まさに扱われている<題材>そのもの、そしてその「意味」を知らないからこそ出てくる意見なのである。

扱われている<題材>の意味をとらえることが可能なら、それが映画の価値を狭めるどころか、映画の(いや、主題の)途方もなさに驚愕を覚えるはずなのであり、その驚愕でさえ、その主題世界への参入のほんの入り口に過ぎないことが分かろうものなのである。

そもそも<芸術>の名に値する諸作品は、課題を提起し、その課題を囲んで人々を結びつけるためにもある。だが、鑑賞者の数だけ理解や解釈があるという今日的な「鑑賞者の自由」とは、人を同じ問題のもとに集合させるという芸術のひとつの機能を過小に評価している証拠でもある。あれほどの苦労をしてタルコフスキーの伝えたかったことは、「見る人の数だけある」と考えていいはずがないのである。

「作品は鏡である」というその深遠なる意見に反映していることの真相は、はたして単なる鑑賞者が耽溺しがちな自己愛ではないと言い切れるのだろうか? ここで語られていることは、実は「解釈」論でさえない。それは、たったひとつのことである。タルコフスキーには伝えたい確固としたテーマ(<題材>)があったということ。そして、その伝達に寿命を縮めるほどの精魂を注いだということである(あたかも『ノスタルギア』におけるアンドレイのように)。そしてその「題材」はそのような超人的な努力を払い、人々に問題意識を喚起するだけの「価値」のあるものであった、ということである。

現実としては、哀しいことだがその意図した内容は、おそらくほとんど伝わってもいなければ、「理解したり、共有したりできるはずのないものだ」と多くの人が思い込んでいる。それが筆者には悲しい。こうしたあまねく共有される「寛大なる理解」、すなわち鑑賞者自身による「多義性への寛容」という現実への、ささやかな抵抗の試みなのである。そして映画(に限らず芸術一般)には「見る人の数だけの解釈と理解があってよい」と考え、それこそが「芸術の胆」であると考える「自由なる鑑賞者」からは、それを傲慢だと受け取られる危険性を孕んだ考えでもある。

『日本の軍隊』吉田裕著(岩波新書)を読む

Friday, June 17th, 2005

戦争の「正」の側面を知るということには意味がある。(負の側面など今更強調するまでもないという前提で…)だが、「新手の戦争肯定論か?」と早合点する前に次を読んで欲しい。

こういうことです。つまり、「戦争はみんなが考えるほど悪いものではないんだ」という主張や考えに、どういう事柄や現実認識が「支持」を与えているのか、戦争のどういう側面が戦争肯定論者に「勇気と力」を与えてしまうのか、ということを識ることにつながるから、だから意味があるのです。

戦争の負の側面については、その度し難く無秩序な破壊と混乱、そして人命や人間の尊厳を奪い去る暴力の組織的(というか本当は無秩序で混乱した集団による)な行使であるから、つまり殺人という取り返しのつかない罪の本質は如何なる理由においても正当化できない、という理由以上のことをあらためて語る必要さえない。それほど左様に、すでに自明のことである(もちろん、どれだけ語ったってそれで「こと足れり」とされるものでもないほどに、語り継がねばならないことが無数にあるのは言うまでもない)。

したがって、いかにして戦争を美化し、その価値を称揚し、その存在を正当化して来られたのかを知ることには価値がある。例えば、青春時代を「戦争を生き延びる」ことで過ごしてきた「戦争しか知らない(かつての)こども(青年)たち」の論理を、如何にして無効化するのか、という批判材料を得ることにつながるのである。そして、そういう戦争肯定論者(一部肯定論者も含む)の言い分を単純に信じる(あるいはその「言い分」に対して同情的な)人々の存在、あるいは戦争の悲惨さを自分の問題として想像できないだけなのではないかと思えるような、皮相的な戦争肯定論を「口真似」する若い世代の人々。こうした存在が増殖しつつあるということを考えるにつけ、彼ら「肯定論者」を包括理解し、その論理のどこに決定的な穴があるのか、ということを知り尽くす必要があるのだ。そういう人々をバカ呼ばわりしても、人格否定しても、それは肯定論者、否定論者のどちらのタメにもならないのだ。

戦争というものの“多面性”に冷静な光を当てる『日本の軍隊』(岩波新書)によれば、軍隊に入って初めて満足な3度の食事にありついたという青年たちが大勢いるという。これ自体が私にとっては衝撃であったし、「目から鱗」の記述であった。戦争前夜、そして戦中当時の農村の「貧困層」に属する人々からすれば、軍隊での生活はそれまででは考えられないほどの贅沢であり恩寵であり、飢餓からも労役からも開放された、ある種の安楽世界であったという、明確な実感を持つ元兵隊達がいる。あるいは、社会階級とは関係なく、軍隊という組織は(部分的だとしても)「能力主義」が実現していたある種の「公平なる社会」であって、軍隊の機構上、ある程度明確な上位下逹の「主従関係」はあったものの、一度一兵卒として入所した時点では、その全員が、すなわち金持ちも華族も農村出も、すべての者が同じ飯を食い、同じ訓練や仕置きを受けた。これは軍隊の外の世界では、当時まだ「実現していなかったこと」だというのである。

そして、われわれ戦争否定論者が正面から対峙しなければならないのは、これらの理由を以て軍隊を肯定せざるを得ない人がいる、という事実である。

そればかりではない。さまざまな理由を以て、なるほど軍隊が「よい場所」だと感じることにはいくつもの「根拠」があった訳だ。

しかるに、こうした軍隊のもつ一連の「長所」を以て軍隊(兵隊)というものに課せられている機能、期待されている役割、そして何よりも破壊と暴力を可能にする道具でもって武装している組織であるということ、そして「防衛のための道具である」と主張して維持される軍備そのものが、結果的には、他者(他国)から見れば脅威を感じる対象そのものに他ならないという点、そして、「防衛」と云う名のもとに侵略*さえ実現可能にするという点、最終的には命令が絶対であるというトップダウンの命令形態、そうした軍と言うものの一切の暴力的本質を根本から書き換えてしまえるような「価値」なのであろうか?

* かつて防衛という大義なしに行われた戦争というものがあっただろうか。すべての戦争はそれを始める人たちによって「防衛手段」であると主張されているのである。それは現在アメリカ合州国政府によって成されている先制攻撃ですらそうである。日本人が朝鮮半島に入植したのも軍隊を展開させたのも、「ロシアや清国の脅威に対する本土防衛のため」という説明がある。すなわち、「防衛」などという言い訳は、誰によっても可能であるという理由で、すでに無効であり、それにまともに耳を貸す必要がないほどである。「攻撃してくるかもしれない」と一部で脅威が叫ばれている某国に関して、彼らの側からすれば日米や韓米の軍事条約を背景に外交を展開する日本や韓国に対する脅威を感じている訳で、「祖国防衛のための先制攻撃」という口実を持っている訳である。この際どちらに「正義」があったのか、と言うことは問うまい。だが、確実なのは朝鮮戦争が起きた当時、ソヴィエトのバックアップを得た金日成に率いられる朝鮮民主主義人民共和国の側にも、共産主義に対する防衛を声高に叫んでいた合州国にバックアップされた大韓民国の側にも、等しい「正義への感覚」があったわけである。互いが「防衛」を旗印を上げて血を流し合った訳である。

軍隊の長所によって「戦争(戦時下の世界)というものは悪いものではない」という戦争観は、さしずめ、「必要悪」を主張する言説の別名に他ならない。だが、必要悪を口にする者は、「悪」を「必要」によって免責できると考えている。悪に対する根本的な無理解、あるいは悲惨への想像力と感受性の欠如がある。そればかりか究極的には根本的な差別主義の発露に他ならないのである。

つまり、必要悪でもって「必要」を満たされる人々がいる一方で、「悪」の犠牲になって死ななければならない人が出るという不条理を前提として肯定しているからである。そこには明確に「生存できる人間」と、それに与れない人間のグループに人間を分つ差別構造を認めてしまう精神的な弱さがある。そこには、「必要悪」によって「必要」を満たされる側にいるだろう自分(あるいは身内*)への愛と、悪によって滅ぼされるかもしれない側にいる人間(他者)への明らかな無関心という根の深い差別意識なしにはあり得ない思想なのである。

まさに戦争とは究極的な人間の選別とそれを可能にする抜き難い差別意識なしには実現不可能な「政策」なのである。そしてその政策は、いつの時代でも、安全圏にいて自分(や自分の身内)が生き残る者達が、自分たちの安全を無条件的な前提として造り上げられるのである。

こうした差別され「消耗」される側に対する無関心は、「必要悪」を軽々しく口にする人間たちの間に目立って見出される特徴である。必要悪を認める自分は、他でもない「自分」の犠牲というあり得べき可能性に関して、どれだけ想像力を働かせることができているのであろうか? 仮に自分がその犠牲に身を投げ出すことが本当にできたとしても、それは他者の犠牲をも同時に強制する類の「自己犠牲」ではないのか。戦争というものはひとりではできないのである。

* 身内への無条件の愛は、自己愛とどれほどに違うのであろうか? 血縁の子供や愛する人間を優先的に生存させると言う本能的行為のどこにヒューマニズムの崇高性があるのであろうか?

どんなに勇ましい戦争における自己犠牲(壮烈な死)であっても、死に臨んで、どんな貧困も、どんな悲惨も、生きられれば「死よりはまし」と思うかもしれないではないか。いや、私は思うに違いない。

そんなことを考えさせてくれる良書として、筆者は『日本の軍隊』を評価するのである。

逆説的な夕べ

Tuesday, June 14th, 2005

いいはわるい わるいはいい

じょうずはへた へたはじょうず

きれいはきたない きたないはきれい

まことはうそ うそはまこと

楽器を操る人にとっては、おそらく誰にも「上手に奏する」ことに対する抗し難い誘惑があると思う。(そうだろ、みんな!) ただ何を以て「上手」とするか、というのには千差万別の物差しがあろう。つまり奏者各自が持っている追究すべきテーマによって「上手」というのはさまざまに違って当然なのだ。ただ自分がここで言うところの「上手」なんてヤツは、おそらく最も保守的な定義に属するのではと思われる、多くの自由人系の方々からすれば、糞飯ものの定義に過ぎないかもしれない。でも正面切って話してみよう。

例えば、音程が合っているとか、短い音の粒が揃っているとか、音符のヌケが起こらないとか、他の楽器と「縦の線」が揃っているとか、微妙に旋律を走らせたり遅らせたりだとか、音色がきれいだとか、音が太いとか、自在に音量を変えられるとか、そういうあらゆる保守的な意味で「音楽的であろう」とする時に意識される諸々の技術のことである。もちろん明らかなことだが、こうした点において自分が理想から遠く及ばないことは言うまでもない。

そしてそれらのさまざまな演奏上の「巧さ」というのは、ひとつの方法をすべての状況に押し付けるのではなくて、持っている引き出しの中のいろいろな手法から、適材適所に最も相応しいと感じられるものを理解し、瞬時に選び出し、相応しいタイミングで提示し、それを空気の振動として再現すること、に違いない。そして相応しからざる技巧を敢えてある場面に適用するという様なフェイントも、それを自覚的にできるのであれば「上手」のうちだろう。

ま、この辺りが因習的な意味での「演奏の上手さ」を実現する要素であろう(書き忘れたこともあるだろうけど)。

何を隠そう(って何も隠さないことにしたんだが)。自分にはそういう「上手な」演奏技法というものに対して、無理は承知の上で「到達したい欲求」がどうしても拭い切れない。「ある方面」からは下らんことだと言われても、それは意識の中に深く組み込まれたある種の業だ。それは自分の現状とは全く関わりなく存在する「理想の在り方」として、身体の中に宿っている感覚なのだ(もちろん場面に相応しい理想の在り方をつねに思い描けるとも限らないが)。

それを理想の「在り方」などと呼んで、「カタチ」と呼びたくないのは、「形」と呼ぶにはあまりにも多様で雑多なパラメーターが音楽技法の中にはあるし、あるときに求められることが、ある場面では相応しくないというようなこともあり、あまりにも多くの「型」というものが存在する以上、それはもはや「カタチ」と言うに相応しくないほどに可塑的で雑多なものだと思うからだ。かくも複雑な技巧のパターンや組み合わせが音楽をつくり出すにあたって在るので、仕方なく「カタチ」などという呼び方をしたくないだけの話で、それでも、そう呼びたければそう呼んでもかまわない。(←いつもの脱線)

しかるに、昨夜の石塚トシさんの「新しいアルバム」のためのレコーディングは、あらゆることがウラメにでる実にウラメしくもウレしい挑戦なのであった。おそらく音自体をいいと思って頂けたのでお呼びが掛かったのだと思う。それは大変光栄なことである。しかし、昨夜演奏したあとの「読後感」は、正直言って「ほぼ玉砕」であった(バ苦笑)。実に学ぶことの多い所謂「入社儀礼」の様なものだった。大勢の着衣している人たちの前でたったひとりで脱衣する(すっぽんぽんになる)ということだ。

まず。数日前に貰った譜面からは、「いくらなんでもここは譜面通りに吹くことはねーだろう」と思っていたところ(ものすごくシンプルな旋律)は「譜面通りにやって下さい」と言われ、「ここでアドリブはねーだろう」(だってちゃんとギターソロが入っていたんだもの)というところで、「出来るだけ好き勝手に自由なアドリブ入れて下さい」と言われ、クソ、もっと巧く吹けるはず!と思ったところは、「最初のテイクで良いです」と言われ…という、ほとんどすべてが自分の「浅はかな考え」を見事なまでに打ち砕くものだったのだ。こういうことってきっとありがちなことなんだろうねー。

特に、ミスタッチと言うか、明らかなフィンガリングミスの痕が見えるテイクが「一番よかった」などと言われた日には「お〜い、ちっとまってくれ〜、それはないだろー」と叫びたくなるほどだったよ。ほんとにあのテイク使うんすかぁ?

ほんとに器用だったら、いかようにも「料理」できるんだろうな、ああゆう場面でも。上手いヤツは、言われた通り「下手そう」に吹くことも出来るし「本当に巧く」吹くこともできるんだろう。しかし、上がった「テイク」は、『下手なヤツがなんとか巧く吹こうと格闘している(事実なんだけど)』ようにしか聞こえんのですよ、自分には。それって、ものすごく恥ずかしいことですよ。で、せめて4、5回の自己リハをして、なんとか自分自身がそれなりに満足いく様なアドリブが吹けたとしよう。するときっとトシさんは「どんどん詰まんなくなるなぁ」とか言うのかもしれないワケです。そんな雰囲気だったんだよね、昨日は。

それにしても、録音担当、アレンジャー、トシさん、それにベーシスト、マスター(プロデューサー)、あとどなたか分からないけど立ち会っている人、という6人もの方々が興味津々で見ている目の前で(というか、ダンボ状になっている耳の前で)、しかも録音するのは自分だけ、という状況。これがいわゆるオーバーダビングのための録音作業では当たり前なんだろうけど、そういう状況でやるというのは、何ともチャレンジングなんだよ。スタジオに入ったのが何年かぶりであまり慣れていないんですよね、こういうのは。

宅録DTM状態で、自分の好きなテイクが録れるまで何度でもやり直すというのは、楽だったね、実に。懐かしいよ。

しかし、あんなボクを暖かく迎えてくれて、「辛抱強く」付き合って頂けたのは、よかったっすよ、昨晩は(く〜っ!)。

貴重な「通過儀礼」に感謝します。APIAの皆さん、そしてトシさんに。

韜晦の終わり #2(これを、あれから区別する)

Sunday, June 12th, 2005

「そこに方程式がある。とにかくあるんだ。」それは、私がおそらく言い続けてきたことかもしれない。そしてその方程式が適用される分野というものが世の中にはある。しかし「示せない、だがそれはあるんだ」と主張しても、だれがそれにまともに耳を貸そう。どうしようもないだろう。いかにも後生大事に守ってきたかの「方程式」の「X」に、何を代入すべきなのかに言及することを注意深く避け続け、それでも思わせぶりは止めず、それを具体的に語らない筆者の言葉など、単なるなぞなぞの類であるし、自分の人生に何の関わりもない、取るに足らない他人の虚言だとしか思えないとしても、それはまったく不当ではないのだ。

私が何度も「或る題材」と呼んでいるもの、それが方程式の「X」である。だが、その「X」を正面切って取り上げる日は近い。もう私にとっても限界なのだ、それを隠し続けることは。そもそも、それを後生大事に持っていられるほど人生は長くない。そう私は感じる。ないものをあることのように見せかけるのではなく、あるものをないことのように見せかけることは至難なのである。

表現作品というものは、ひとたび創作者の手から離れれば、それが「どのように受け取られてもよい、あるいは仕方がない」という一般認識がある。言い換えれば、作品の解釈はそれを受け取る人の数だけある、という考え方だ。

自分の浅い経験から言っても、これはかなり広く受け入れられていることだろうと思われる。作品と鑑賞者の関係については、私の立場は「どのようにも受け入れられても仕方がないということが、現実としてある」という意味では、十分に認めることが出来る。だが、そうした現状認識とは別に、「それで良いのだ」と割り切って済ませて良いのか、という疑問が常に戻ってくる。

鑑賞者の鑑賞態度、受け取ろうとする人間の「取り組み」について言えば、「すべての作品に関して」とまでは言うまいが、少なくとも「ある特定の表現作品」に関しては、求められていいことだという想いがある。つまり、これは鑑賞者の鑑賞態度(取り組み)に関する「思想」なのであり、また「理想」なのであって、場合によっては単なる「虚妄」と呼ばれてしかたがない、切なる願いなのである。現実がどうであるというような現実認識についての確認という段階の話をしている訳ではないのである。

たしかに、ある特定の作品(創作物)に関して、作品を受け取る人間の数だけ異なる<経験>があるというのは、ほぼ無条件に認めることができる。音楽の様な抽象性の高い作品について言えば、それが前提であろう。だが、ある特定の作品に関しては、「解釈(理解)も同様に受け取る人間の数だけあってよいのだ」という考え方には容易に与することは出来ない。それが如何に動かし難い現実であったとしても、それでよいのだとは思えない、ということがある。

それは芸術全般に対峙する時の一般論ではなく、言わば、特定の作品に関して鑑賞者に求めるべき(求められてよい)「思想」に関わるものなのである。あるいは、ある種の芸術家が、ものを創るときにおそらく期待してかまわない作り手側の情熱と自己投機に関して語っているのである。「思想」であると認める以上、それは理想や夢に関わりのあることであって、現実を受け入れるということとは別の次元で存在している問題だと言うことを、ここで認めているのである。

「鑑賞者によってどのように受け入れられてもよい」と本気で考えて(あるいは積極的に望んで)制作する創作家にとっては、鑑賞者がどのような解釈や経験を得てもよいのであって、そこには特に<課題>と呼ばれるものがない。確かにどのような「作品」にも鑑賞者の数だけの「解釈」と「意味の発見」と、そして「経験」がある。だが、ある特定の表現作品については、同じ態度で接しても十分ではないと思えるのである。これは筆者の実感について語っているのである。

つまり、創作者の<表現題材>の重要性に気付くということ、そしてそれに肉薄しようという態度で鑑賞に取り組まなければ、それの描く世界(題材)への入り口にも立つことの出来ないという種類の「作品」というものがこの世にはあるのだ、ということである。そしてそれは<絶対芸術>という名に相応しいものである。解釈が様々にあってよいもの、それが<相対芸術>なのである。

不遜にも自分が音楽を通じて、表現題材の重要性に気付かれるべきものを創って来た、などということを言うつもりはない。私がやって来たこと、これまでに人前で発表してきたことは、「即興を通じて行われる音楽行為」であって、そこに特定の意味や題材を感じ取ってもらおうなどと考えて行っているわけではない。それこそ、聴いて下さる方の数だけ、異なる体験や「解釈」があって良いのである。

ただ、自分が「詩のようなもの」を書くとき、あるいはある種の散文を書くとき、それを自分がどのように受け取ってもらえても良いと思って書いているのではなく、ある明確な題材についての自分の理解を共有してもらいたい一心で書き綴っているのだと言うことができる。これは、ある種の表現作品を通して、何か具体的なことを伝えたいと思う創作者であれば、ほぼ当然のこととして信じているはずのことである。

あれもこれも、「芸術」と呼ばれるものは皆同じ、などと大雑把に表現カテゴリーを理解している訳ではないのだ。

音楽の中にも、正面切ってある種の「題材」を扱うものがある。一番分かりやすい例ではオペラなどがその類であろう。一方、映像作品の中にも特定の「題材」を取り上げずに、即興的にある種の作品を作りあげる創作家もいれば、エンターテイメントを追求する創作家もいるだろう。この際、そのどちらかが一方に比べて価値が高いなどということはあえて言うまい。そうした一切について、同じ態度で臨んで良いとも同列に語って好しとも考えない。それだけのことである。異なる種類のものを異なるものとして区別する、ということは重要なことである。

これまた晦渋なる前書きである。それは認めよう。

韜晦の終わり #1(詩がわれわれに語るもの)

Saturday, June 11th, 2005

私がここ10年以上にわたって変わることなく、一日たりとて頭から排除することのできなかった「或る題材」について

確かに、その種の「題材」とは、数学の定理の証明と同じような科学的な精度を以て、証明・論証できるようなことではない。ただ、「詩の言葉」だけがそれを扱うことが正当であったし、それが正当であったということ自体にも理由といきさつがあった。

詩の言葉で語られたものが指し示すものとは、時として「別の詩のような言葉」や象徴的図画やある種の動作によって翻訳することができたかもしれないが、ある題材が特定の表現手法を通して語られてきた事自体、その手法がおそらく最も得意とするものであったからに他ならず、当然のことながらそれを別の表現に置き換える事自体に第一の困難がある。これは「手法変換」に関わる困難と呼んでもいい。

ある特定の「題材」が、言葉で語り尽くせるような内容のものでない場合、しかもそれでもなお語られなければならないとき、やはり「詩」として(あるいは「詩のようなもの」として)われわれの前に何度でも再生してきた。だが、その「題材」をわれわれの日常語で論じることは、詩や映像作品を別のものに置き換える際の、一般的な「手法変換」の難しさとはまた別の難しさがある。

これはその特殊な題材そのものを「諒解する」ことの難しさである。したがって、その「題材」を扱う「作品」について日常語で語ることには、二重の意味で困難が待ち構えている。だからこそ、この「題材」そのものを日常語で語ることは、歴史の早いうちに諦められ、「詩のようなもの」が単独で取り上げ続けたのだ。おそらくそれが、その「題材」が「詩」の専門領域になった経緯なのだと言っても、おそらく過言ではないのだ。

さきほどまさに「数学の定理の証明」と言ったが、一見自明そうでいて、その証明がどうしても困難であった「フェルマーの最終定理」の様な極端な例を持ち出すまでもなく、ある程度複雑な定理証明を理解するためには、それを理解できるだけの、様々な既に証明された定理や高度な公式に関する知識が必要となる。だが、ある種の数学者同士にとってその「正しさ」がすでに自明のことであっても、それを部外者にも分かるような説明を求められたら、それは困難を極めよう。しかもその説明に失敗した場合でさえ、それが間違いである、と素人のわれわれには断定することが出来ない。

この場合、その「正しさ」を知ろうと思うなら、数学者が数学領域の外に出て来るのを「受け身」で待つのではなく、数学の部外者が数学領域の中に積極的に入って行く以外に、それを共有することは出来ないのである。

その「正しさ」を実感するためには、その数学者と同じだけの知識と知力、そして経験が要求されるからである。したがって、その「題材」を扱うこととは、その点においてのみ、「数学の定理の証明」をある程度の習熟者同士が共有することに、幾ばくかは似ている。だが、繰り返すと、その「証明」は、数学の証明ほどの正確さで再現できないところに、「題材」を共有することの難しさがあり、またその内容の途方もなさに単なる「虚妄」として退けられる傾向も排除できない。だが、繰り返し繰り返し時代を超えて伝達するに値する「題材」というものは確かに存在したし、ある種の実感を持ってその題材自体のリアリティを理解することのできる人というのは、歴史上幾人も存在した。

また別の喩えである。たとえば神学に通じていない人々にとって、二者の神学者の間で交わされる神学論争の言葉がまったく何の意味をなさない符丁のようなものであるばかりか、間違った根拠をもとに闘わされる単なる虚妄の論理の応酬のようにしか聞こえないだろうことは想像できる。だが、神学者たちが積み上げて来た理論というのは、その領野内において、それ独特の精密さを持ち、また、その言語を知る者同士では相当に正確なコミュニケーションが可能なのである。つまり、その前提となる「公理」が正しいのだとすれば、その上に築き上げられた理論自体は、とりあえず「間違い」ではないのである。つまりその条件下においてそれは真なのである。ただ、その「公理」の正しさを受け入れるか、不可知であるという理由で、「取るに足らないもの」と思うか、それはこの人の不可知領域に対する敬意と態度で決まる。

あるかどうか分からないものに、どうして敬意を払うことが出来るのか、と訊かれることがある。だが、今日あなたが乗った電車が渡ったかもしれない鉄橋が、ある種の精密な構造力学上の計算によって構築されているにも関わらず、それをあなたが理解できないという理由で、力学上の理論が「存在しない」と言う事は出来ないであろう。つまりそれは理解を超えているが、それでもなお、そこにあるもの、なのである。

また、先天的にものが見えない人に、視覚という感覚がどういうものであるかを説明するのがいかに困難かを考えてみよう。しかし、それがいかに困難ではあっても、「ものが見える」人にとっては、見えていることが絶対的なリアリティなのである。そしてものが見えることが、見えない人より優れているかどうか、という議論は全く不毛なのである。私はどちらの方が優れている、などということをあえて主張する気もないのだ。だが、見えていない人が、見えている人に向かってを「視覚などというものがあると主張すること自体が傲慢だ」と言い出すことがある。あくまでも喩えに過ぎないのであるが。

理解し得ないことが「あるかもしれないこと」として互いに敬意を払うというのは、実はあらゆる「専門領野」においても求められてよい最低限の礼儀であると言えるだろう。なぜなら、専門を異にする者同士でのコミュニケーションというものには、多大な労力と忍耐が要求されるからだ。

そして、この異種領域の専門家同士の間で「会話」を成り立たせることが出来る場合があるとすれば、そこには優れた比喩(メタファー)が介在していることがあり得る。それほどにわれわれ人間同士が対話をするには比喩というものの不思議な潜在性(ちから)に依頼するところが多いのである。

もし、数学者や物理学者が難しい定理や公式をいちいち説明することなく、その数学や物理学の世界の「真実」(あるいは真実らしさ)を門外の人々に理解してもらおうとするならば、おそらくある程度単純化された図表などの視覚的な表現方法、あるいは「すぐれた比喩」を案出しなければならないはずだ。

だが、こうした理論が正しそうなだけで、正しいことを他者に説明できない場合に、それを聞くに値しない、知るに値しないと思えば、「あるかもしれない世界」のその扉は、彼らには永久に閉じられたままになろう。数学者が数学について知らぬ者よりも相対的にそれをより多くを知っているという事自体は、傲慢ではなく、それ以下でも以上でもない、単なる事実を言っているだけの話である。

その「題材」とはかつてこのように表現されたことがある。

「(秘教の唱える教義は、)現代科学がすでに時代遅れと見なしているさまざまな教義の一つであり、実験的に証明できるような正確な対象物をすでに失っている」(『秘儀伝授 - エゾテリスムの世界』(リュック・ブノワ)と。

またブノワはライプニッツを引きながらこのようにも語っている。

“「あらゆる理論は、その肯定するところにおいて真実、否定するところのにおいて虚偽である」(略)。あらゆる否定は、現実から可能性の一部を切り捨ててしまうが、実はこの部分を解明することこそ科学の役割なのである。”

これを、今、私ならこう言い換えることが出来る。「実はこの部分を開示することこそ<詩>の、そして<ある種の芸術>の役割なのである」と。

Shine on your babies, crazy parents.

Friday, June 3rd, 2005

<< ほとんど人生の目的に達したような目眩がするほどの「至高の瞬間」>> かあ! ゆうてくれるやないの!

でも良い話だな。そいつは良い音楽を即興的に作ったと思えたときの瞬間に似ているな。でも「子供を抱いている人」が得られる感慨だと言われれば、うぬぬ?と立ち止まって、生来の負けん気が頭をもたげるのであった!

「子供持つ者 vs. 子供持たぬ者」の勝負ってのは、明らかに「持たぬ者」方の分がワルい。だって、こと<子供>に関しては、どんな「持つ者」でも最初は「持たぬ者」を出発点としているからです。つまり、「持たぬ者」は「持つ者」の経験の中に一見包含されてしまう(本当は違うと思いたいけどそれは後述)わけです。その論理は{子供を持つ豊かな人生}⊃{子供を持たない人生}という図式で表されます。そして、「持つ者」はこう言うことが出来るのです。「昔なら自分も想像もできなかったけどサ」。決定打です。「持たぬ者」は尻尾を巻くしかない(ホントはそう思ってないさっ)。

「子供を持つ」ということはおそらく生得的に「特権的」なものだし、まさに「特権」というもの(=「持てる」ということ)の主たる特徴をまさに含んでいます。

つまり、「子供を持たぬ者」という人類共通の、「原初の状態」を経由して、自分が「持つ者」という今の状態に変化(成長・昇格)して来たと言わんばかりの自信と優越、しかもどうしたって「否定のしようのない」ある種の経験の“非不在”が彼ら口調には有る。彼ら「持てる者」たちは、確かにそのほとんどが「持たぬ者」が子供について語ろうとする以上のことを知っているんだろう。そりゃそうだ。でも自分の優越感に「おやばかなんです」という一言で話をファイナライズすることの出来る強烈なレトリックを持っているところもいかにもズルいんですよ(爆)。自分を免責してお話は終わりだ。ヒットエンドランです。好きなだけ自慢されて、「オレ、バカなんです」と言って逃げちゃうんだからまっことタチが悪い(爆)。むしろ、持てる者だけが得られるだろう「全き味わい」を自分が知っているという「優位」が「特権」に他ならないことをよーく自覚してもらえればいいです。

さて、子について話す人に子を持つ経験の“優位”を主張する気なんかなくても、「子供を持つ者」が子供との経験に関連して何かを話すのを聞くと、「持たぬ者」にとっては十分に“劣位”を感じているのだということを知って欲しい。だって、他でもない「私」がその“劣位”感じてるんだから。なんか哺乳類として完璧でないみたいな“劣位”をね。

オレたちの親の代ならまだ言いそうな「人間はコドモを育ててこそイチニンマエ」みたいな乱暴な言説は、いまでこそ少なくなったが、子供を持った人は結構本音ではそういう「考え」になっているんじゃないか、「転向」しているんじゃないか、と想像するわけです。はっきり言って、子供を作ってしまったひとはその大抵が「転向者」なんですよ。すっぱり180度転向してしまわないと、post-child(ren)の人生の条理に合わない。

少なくとも、子育てにまつわるどんな「苦労話」でも、その背景には高らかなる「勝利の鐘」が鳴り響いているのが聞こえてくる。これは単なる思い込みじゃない。でもね、そこで「持つ者」が「だったら自分も持てば(作れば)いいじゃーん」と言うのは、「なし」に願いますよ。そういう風に話を持ってっちゃうひとは結構いるんだなーこれが。そういう話を聞くと、「だったら日本人になっちゃえばいいじゃーん」と言われた在日朝鮮人みたいな行き場のない気持ちになる(あくまで想像だけど)。人の気も知らないで気軽に言わないでくれ、ほっといてくれってことにもなりかねない(でも、「肝心なとき」にはほっとかないでくれ)。

知的であることと知的たろうとすることは違うのは分かる。アエラに載っていたという記事のように、一見知的な「子供に対する言説」というものが、無思慮であればあるほど反感を持つ親が出てくるのも分かる。まともな親ほどそうだろう。そういうことに疑問を感じる人にこそ親になってもらいたい(無理な願いだけど)。でも、そういうことを言うヤツは、子供を育てることを知らないから口惜しいだけなんだよきっと。だって悔しくないと言えばやっぱりウソになる。

「持たぬ者」が「やっぱり持つべきだった」と後悔することはあっても、悔しいかな、「持てる者」が「やっぱり持つべきでなかったーっ」と後悔するケースはほとんど無いだろうことも想像できる(不慮の事故があったりとか、子供が「極悪人」とかにならない限りは)。つまり「持っている」ことが親の人生の前提となり、それ以前の状態に自発的に後退することは、滅多なことでは起きないからです。持たぬ者は、持つことで得られるかもしれない「人生のオルタナティブ」をとりあえず「想定しない」ことで、持たない自分の人生を好しとする以外にない。どうです。やっぱり分がワルいじゃないですか。

だから子供を持たぬ(持てぬ)以上、どこかにそもそも劣等意識(コムプレックス)が潜んでいるかもしれないことを子供を持てる特権階級たちは「知っている」べきだと思うんですよ。「持てる者」たちが子供にかまけて素晴らしい「人生の体験」を積み上げているその瞬間にも、それに負けないような経験を積んでやろうじゃないの!という「持たぬ者」なりに特有の負けん気が生まれる訳です。これは言わば権利を周囲と同様に保障されていないマイノリティとして生まれて来たようなもの、に近い感覚かも。従来なら味わえたはずの「人生のオルタナティブ」を頭の中から排除して跳ね返すしかない訳です。

そんなこんなで、いろいろ「創造的なこと」やらせてもらってますわ。ま、見てて下さいな。ボクの「子供」がどういう発展を遂げるかを。可愛いもんですよ〜。おむつの交換とか要らないし〜。

さて、なんか相当アプセット(狼狽)しているように聞こえるかもしれないので、それを差し引いてあまりあるのではないかと思うような、美しい真実らしき言葉が綴られている別の日記を紹介して、今回は終わりましょう(これがなんとも突き放しながらもジーンと来る文章なんですよ)。Shine on your babies, crazy parents. (Have a marcy!)

(でも、かくも転向者を執拗にbashingする人間が「転向」したときのその転向ぶりってのもみものらしいから、気を付けようっと。ぽりぽり)