Archive for May, 2005

「ありふれたファシズム」(ある映画作家の慈愛と洞察)

Tuesday, May 31st, 2005

われわれの日常的な無関心やそれに深い根を持った言葉、均一化、同質化への期待。同じでないことへの無意識の忌避。こうしたことは毎日の行動や言葉の中に現れる。

リュボーフ・アルクス編『ソクーロフ』(西周成訳)p. 200

>> ボリス・エリツィンはなによりもまず言葉の人間である。(略)しかしエリツィンのモノローグはひとつも映画に入らなかった。ソクーロフの根拠は無慈悲なものだった。「果たして政治的レトリックが人間について何かを語ることができるだろうか? それは彼個人ではなく、集団に属しているのだ」。<<

そう、われわれの言葉は、われわれの心が弱い時こそ、集団を根拠に口から出る。エリツィンでなくたって、われわれは時として、政治家のように語る。「みんながそういっている」と口が滑る。それはだが、集団に属している意識と、集団に属さないものへの愛の欠如がそうさせるのだ。

われわれは個人の咽喉から漏れ出てくる言葉にこそ、個人の言葉を聞き取る。誰彼が言っていた、みんなが言っていた、という、あたかも<あなた>が世間を代表するかの言い分ではなく、<あなた>が<あなた>自身の言葉で<私>に話しかけることができた時、それは個人の言葉を聞き取ることになり、<私>にとっての真実となる。まかりまちがっても顔の見えない不特定多数の誰かを<あなた>が代表できるかの幻想を見てはいけない。

(「犯罪者」を、笑いもし、泣きもし、痛みも感じる「ひと」として捉えた某ドキュメンタリーフィルムに関してそれを制作した某映画作家に投げかけられた言葉)

鑑賞者「犯罪の被害者がこれを観たらどう思うと思うんですか?」

作家「こちらに被害者の方がいらっしゃるんですか?」

鑑賞者「… ここにはいないかもしれませんが、もし観たら怒りを感じると思いませんか?」

作家「怒りを感じるかもしれないし、感じないかもしれない。でも、ここにはいないですよね。それともいらっしゃるんですか?」

鑑賞者「いないかもしれませんが、もしいたとしたらどう感じると思うか訊いているんです。」

作家「私はこの映画を通して、犯罪被害者の方にではなくて、あなた方がこれを観て、自分でどう思ったかを、あなた方に訊いているんですよ」

彼は、このやり取りを回想してこう言った。「これを観たこの会場にいるみんなの中に、この犯罪被害者の方はいらっしゃらない。犯罪被害者でないあなた方が、犯罪被害者の気持ちをあたかも想像し、それを代表できるかのように思い込んで、そして私の作品を批判する。あなた方は、ここにいもしないし会ったこともない人々の気持ちがわかると思っていて、その癖、そのいないかもしれない人の架空の言葉を以て、人の作品を非難する。良いですか、こう言うエピソードがあるんです。ある知り合いの方が、駅前で死刑廃絶の呼びかけの署名運動をやっていた。そうすると、必ずいるんですよ、こう言うことを言う人が。『そんなことやって! 犯罪の犠牲者の家族の方があなたのやっていることを見たらどう思うと思うんですか!』と。そしたら、この署名運動をやっている方がこう答えたそうです。『私の息子が犯罪の犠牲者になったんです。』」

われわれは想像できているつもりで、充分に想像できていない。何が人をしてある種の行動に掻き立てるのか。いろいろな経緯や気持ちというものがあるだろう。しかし、犯罪の被害者の家族が、加害者の救済を主張することを通じて「あらゆる暴力(殺人)を否定する」という崇高な思想の貫徹をしようとすることがある。

しかし、良心的で公平だと思っている被害者の立場でものを言う、言えると思っていて、ある種の表現を封じ込めようとする正義の人がいる。しかしその人自身が、自分が自らの言葉を語らずに、大衆や「みんな」の意見として、何かを主張し、ある表現や立場に対する弾圧に手を貸す。自分こそが弾圧者側にいることを容易に忘れる。「ありふれたファシズム」は、こうした「正義の人」の中にも容易に巣食いうる。

「ソクーロフのオールナイト」という体験

Sunday, May 29th, 2005

体力的にハードな「映画のオールナイト」などほとんど行ったこともない。それにソクーロフを映画館で観るのは、これでまだ3度目にすぎない。一念発起して、土曜日の10:30pmから翌朝の6時過ぎまで池袋の映画館で過ごす。無謀なる8時間あまり。

実は、ソクーロフが1994年に日本を訪問したときの印象を、ロシアの映画雑誌に書き記しているという記事をネットで見つけた。その言葉から感じられる洞察の深さに心が動いたので、そのまま転載する。それぞれの作品に関して抱いた自分の印象をつれづれに書き記す前にひとつの言葉を引用したい。

「… 私は、日本から帰ったばかりです。驚いたことに、私は日本でいかなる異国情緒も感じませんでした。かの地で私は、世界のどんな国でも見たことのないほど多くの疲れた人々を目にしました。もしロシア人が、日本人のように疲れているのなら! あんなに疲れた民族を、いままでに一度も見たことがありません。疲労のあまり人々が泣くのを目撃しました。疲労からですよ。明日も今日より楽にならないゆえに、明日も明後日も今日のように辛いゆえに。きっとロシアでは想像もつかないでしょう … 一人の人間が疲れているのはわかります。でも、民族全体が疲れているなんて … 彼らは敬服にあたいします。地上の空間でせめて誰かが疲労の十字架を背負っていることは、きわめて重要なのです。おそらく私たちみんなのために、彼らはこの十字架を背負っているのでしょう、そう見えます。実際なんの罪もないのに、少なくとも人類を前に、ロシアの住人に比べて日本人のほうが、ずっと罪は小さいのです。私たちロシア人も疲れていると言われますが、日本人には及びません。

 私たちは、困難な時代に生きています。なぜなら、人々のこのような疲労困憊の要因が、現在ほどドラマチックで巨大だったことは、いまだかつてなかったからです。このような現象の後には、きっとなにかが起こるでしょう。こんなことが長く続くはずがない… なにかが起こるにちがいありません。」

これは、何かを予言した人間の言葉としてではなく、ある民族集団とその世界における「機能」への洞察、そしてその民族への深い慈愛のまなざしを感じさせる言葉である。このように、他人を、他の民族を、見つめることの出来る心とは! われわれこそが、このような芸術家を生んだ異境の地の文化というものに心を開き、そして謙虚さを学ばなければならない。

(more…)

「ケルビーム展」へ:あるいは「見えない学校」の「見える形」を賛美する

Saturday, May 28th, 2005

怒濤の2日間、土曜日の第1弾(アップロードは前後する)

梅崎幸吉氏の率いるグループ展「ケルビーム展」に出掛ける(半ば興奮気味に)。楽しみだったのだ、心底。場所は目白の『新樹画廊』。「ケルビーム」とは、梅崎氏がかつて銀座で開いていたという「画廊」の名前だそうだ*が、美術、文学、演劇、音楽、などなど、あらゆる「創造的人間関係」の磁場の中心点であり、梅崎氏自身の創作におけるパッション、人との関係における仁愛、そして人間的魅力が大きな牽引力をとして機能していた、ある種の「学校: school」のようなもの**であったらしい。もはや、その名は彼を囲む創作への衝動を心に抱く人々の集合の旗印として機能しているのであり、単なる「グループ展」の名称、あるいは昔あった「ギャラリー名」という以上のものになっている。むしろ、梅崎氏の移動するところにケルビームはあり、梅崎氏の呼びかけるところに人が集まればそこが学びと共感の場となると言う、言わば「移動式の見えない学校」(mobile invisible school)が存在するのである。

* 「…だそうだ」などというやや消極的な伝聞のかたちでしか記せないのは、梅崎氏の往年の活躍ぶりを残念ながらリアルタイムで私が体験していないからで、飽くまでも連れ合いから聞き続けた噂と梅崎氏から若干伺った話でしか知らないためである。

** それを「学校」と呼ぶのが最適であるとは分からないが、そのような場として機能していたことが話から伺えるために、これ以上相応しい呼び方があるとは、今の私の想像力からは考えられないのである。

「ケルビーム展」には、梅崎氏本人を含む17名の方々が出品。私たちが訪れた土曜日は、このグループ展の最終日。しかも1週間の会期日中、週末はこの日だけだったので、自分らにとっては選択の余地はなかった。店舗を兼ねたギャラリー1階には17名の参加者全員の作品が1点ずつ展示されている。それをひとつひとつ矯めつ眇めつ眺めていると、2階から梅崎さんそして来訪者と思われる方達の談笑する声が聞こえる。絵の眺めながらゆっくりと2階に上がってみると、そちらの方がどうやらメインの展示会場となっている。階段を上る頭上右側には梅崎さんのやや大きめの作品が掛かっており、階段を上り切ると、階下に展示されていたモノクロの作品とは打って変わって、色絵の具(不透明水彩?)を使った石塚俊明さんの作品が2点目に飛び込んでくる。まるでナヴァホの砂絵が描いているようなある種の曼荼羅のようなもの、見ていると日本のいなかの原風景のようにも見えてくる。

(more…)

「毎日」北村正任社長の「腰砕けメッセージ」読めます

Wednesday, May 25th, 2005

「新聞よ、さらば!(って今さらだけど)」という文章を書いてからしばらくして、今度はこの新聞社社長の言葉をそのまま広告コピーにしたとしか思えない中吊り広告を何度か電車で見た。最近も、連れ合いが同じ広告を見て「なにこれ」と不快に思ったと言ってきた。しかも「マイニチやめて良かったね」とも。今度は、あの腰砕けの社長メッセージをそのまま広告コピーにして公に晒してしまった訳だ。「毎日」は、新聞の中でまだマシな反骨精神を持っている方だと思っていた(バカだね自分も)が、新聞社自らがジャーナリストしての役割を放棄するその社長宣言が、今度は広告として現れたわけだ。つまり、「毎日新聞」社長(北村正任)は、あれでいいと本当に思っているということだ。

毎日新聞社内でもこの社長宣言はそうとう重要であると位置付けられているらしく、ネット上でもその全文が読める。新聞に掲載されたものと全く同一であるかどうかは記憶に定かではないが、主旨は同じであることは確かだ。

そして次は、「新聞よ、さらば!(って今さらだけど)」を読んで欲しい。

こんなものを見ても、「ふ〜ん」という風にしか、ほとんどの人々は思わないのだろうか。これが「当たり前の感覚」になってしまうのであろうか。すくなくとも、こんな新聞にこれから「育てられる」社会人たちは、そうしたものだと思うのだろう。

「世代論」を私は好まないが、普通の社員なら、まさにリタイアの時期に入っているこの齢63の社長であるが、その言い草に、まさに「逃げの団塊」を地で行くようなトーンを感じるのだ。「最後まで逃げ切るつもりですね、登って逃げたら、今度はさっとハシゴを取り去る訳ですね。われわれははしごを取り払われた世代ということになります」と自分の世代を代表して言わしてもらいますわ。でも世代を根拠にした恨み言はこれくらいで十分。

件の、「北村メッセージ」を引用しつつ、改めて批判を試みる。

>> 新聞社が高見から読者を見下して、一方的な意見を押し付ける時代は終わりました。高度に複雑化した現代社会では、さまざまな視点があることを提示して、自ら考えることの大切さを分かってもらう手助けをすることが重要です。「毎日を読めば全てが分かる」。考え抜き、議論し抜いた社論とともに多様なオピニオンを紙上で戦わせる「論争の広場」が、毎日新聞なのです。<<

前回の文章でも指摘したように、<<新聞社が高見から読者を見下して、一方的な意見を押し付ける時代は終わりました>>と一方的に断定する。その一方で、<<自ら考えることの大切さを分かってもらう>>と宣う。そんなことは社長椅子の「高見」から言われなくても分かってますよ。自分の言っていることのどうしようもなさを自覚するために、ホント<<自ら考えることは大切>>ですよ、社長さん。分かってもらえるかな。<<多様なオピニオンを紙上で戦わせる「論争の広場」が、毎日新聞>>というのも、一見すると「論争させるんだからマトモだ」と言いたげだが、そこには「第三の権力」と言われ、一方で期待され、一方で特定の人間たちから畏れられてきた新聞社の存在、という歴史的立場への自覚がない。そもそも新聞を発行するということは既得権なしにはあり得ない。それ自体が多くの犠牲によって成り立っている「私設の公器」なわけです。自分だけの努力で紙やインクや流通網を確保した訳ではないでしょう。国家権力や時の政権が読者にとって危ない存在になったときに、読者と供に闘うという気概をここで見せなくてどうするというんですか。それとも、まず社内の組合をつぶして、のメッセージ発信だったんですかね、北村さん。

あのね、「教え導く」というのならむしろそのほうがいいんです。立場が分かりやすい。国家権力にだまされ、あちこちで泣き寝入りしているだけのシモジモの庶民を、啓蒙し、騙されていることに目覚めさせ、権力の横暴に歯止めをかけさせる。それが役割でしょ。実際問題、新聞も「権力」なんだから。その代わり、きちんと責任を持って教え導け、と言っているんです。そして導き間違ったら腹を切れ、ということです。だが、あなたの言っていることは、そういう権力者としての自覚も気概もない。要するに、重役のくせに「あー、会社はみんなものだからみんなで話し合って決めてねー」と言っているのと同じ卑怯者な訳です。そんなあなたに誰がついていくんですか。<<日本で最も伝統ある毎日フラッグの下に集まってくれることを心から願っています>>だって? バカな!冗談言ってはいけない。他でもないあなたのそのメッセージを見て、購読をやめたのです。

<<また、自立した個人が主人公の社会を目指す一方で、バラバラになりがちな人と人との心を結びつけ、他者への思いやりを育てる役割も忘れるわけにはいきません。これは新聞記者としての私の信念でもありました。読者の琴線に触れる記事で、「独善的な個」を乗り越えてやさしさを呼びさます「共感の広場」。それも、毎日新聞なのです。>>

まったく「広告コピー」そのものだ。左右どちらの側にも良い顔をしている。だが、そんな方法で人の心を掴めると思いますか。<<バラバラになりがちな人と人との心を結びつけ、他者への思いやりを育てる役割>>を忘れるわけにはいかない、ですと! つまり新聞はそういう道徳指針を皆に示す役割があると思っている訳です。「他者への思いやり」だと? そんなことを言っているのが「高見」から見ている証拠なんですよ。「他人への思いやり」を読者に向かって言う前に、あんたは、これまでジャーナリストとして闘って来た末端の記者を思いやったことありますか。そして、バラバラな人間をまとめるというところに全体主義への指向があり、「他人への思いやり」の欠如がある、などということなど、あなたにはきっとお分かりにならないでしょうね。

<<「独善的な個」を乗り越えてやさしさを呼びさます「共感の広場」>>なんて、体のいいコピー以外の何ものでもない。全然「意味」あるメッセージとして、どうしたいのかということが伝わって来ない。新聞がほんとうに「やさしさを呼び覚ます」んですか? 議論の場を提供すると言って自分は責任逃れをして、「バイバイ」とハシゴを外してしまうあなた自身は「独善的な個」そのものと思われているんじゃないですか。本当の優しさを示そうと言うなら、戦争状態へと傾斜するこの世で、ジャーナリズムの精神と一緒に討ち死にする覚悟で犠牲を示して下さい。それならあなたの言う「思いやり」とやらを信じてやりますよ。

Good/Bad Books Bulletinを更新

Tuesday, May 24th, 2005

ほとんど数ヶ月間「休眠中」だった「本との出会いサイト・Good/Bad Books Bulletin」に投稿した。植民地主義関連(あるいはポストコロニアリズム関連)書籍ばかり。

「弾圧」を実体化させるな!

Monday, May 23rd, 2005

例えばさぁ、の話である。

誰かが「理想の地」を海外に見出し、ある種の芸術活動をしようとして、最初は同地に合法な手段で入国し、その後、ビザの効力が何らかの理由で切れてしまうとしよう。(海外に生活基盤を求める人が増えている以上、このようなことは世界中のあちこちに起こっていても不思議はない事態である。)しばらくは出入国管理所のチェックもなく、問題もなく経過していたとして、ある日、何らかの詰まらない理由で「不法滞在」が当局側にバレてしまうとしよう。そして、やがては強制的な国外退去命令が下る。これは、政治亡命や難民でない限り、芸術をやろうと、ある種の文化活動をやろうと、ビジネスで一旗揚げようと、どんな理由で同国に渡ったかによらず、それは単なる「個人的な法的な手続き上の問題である」と言える。

そこでだ。単なる個人的な「法的手続きミス」なのに、それによって生じたトラブルに過剰反応して、周りがその問題を「文化弾圧だ」と騒ぎ立てるとする。すると、どうなるか。それは、単なる個人的な「事故」や「判断ミス」であったかもしれないのに、そのことは「文化弾圧」であるというコンテクストで読み返され、再解釈されることになり、それは「社会的な事件」となる。

「起きた現実」と「人間のこころが成す解釈」の間にギャップが起こる。あちらでもこちらでも起こる。そしてその際、「解釈」はおそらく渡航した本人の出身地と本人を受け入れてきた当地の両方で、あるいは立場の違いによって、さまざまなギャップの諸相を見せることになる。だが、十分に意識を向けなければならないのは、「文化弾圧である」と考えたい人々の思う通りに、結果として、その問題が「現実化していく」という可能性についてである。つまり、「予言の自己成就性」のように、「事象」の方が主張する解釈の方に近寄っていく、という主客の顛倒が起こる。

すなわち、その「個人的ミス」が「大きなミス」へと発展する可能性がある。

そうなったとしたら、海外における文化活動の実践基盤を守ろうとする側にとっても、政権当局者の側にとっても、どちらにとっても不幸な結果が待っている可能性があるのだ。

つまり、ある特定の政治活動家の反対運動が、「○○の自由を守れ」とコールすることで、権力側に「本当の弾圧」をするきっかけ(口実)を与えてしまうということである。権力者側だって、人間の集まりである以上、「あらぬ腹の内」を探られれば感情的にも反応するし、一旦感情的にある特定の集団を視るということになれば、彼らも自己保身の論理で動いているのであるから、「火の手」が大きくならないうちに、「弾圧」を強化して、もともとはありもしなかったその「運動」を抑えようとするかもしれない。最初はどこにも問題はなかったのにも関わらずだ。そうすれば、運動をする側からしても「それ見たことか、これが権力の正体だ」と一層の運動の激化を呼びかけるかもしれない。そして、弾圧する側はその力をさらに高める。これを「意地の張り合い」と呼ぶ。

それは、果たして芸術活動をしようとして実際に他国へ渡った表現者当人の立場をよくすることなのだろうか? 渡った表現者自身が政治活動を展開するために、意図的に「ビザが切れて不法滞在する」ことを計った、とでも言うのだろうか。それは十中八九違う。彼/彼女にとっては、今まで通りにその国に滞在できて、好きな表現活動を続けられて、その地で見つけた友人知人たちと楽しくやっていくこと、だろうと私は容易に想像する。

政治権力に関わる問題とは、もちろんあちこちに存在する。だが、なんでもかでも「それ」であるとラディカルに反応することが、どういう結果をもたらすのか、ということまでクールに想像する知力が必要なのではないか。

たとえば、果たして、このことを「政治問題」として読み替えることが、渦中の人自身の福利になるのかどうか、あるいは、今後その地で表現活動をしたいと思っているわれわれ自身の福利になるのかどうか、そこまで考える視点、つまり「闘争せずに勝利を得る」という視点と戦略とを十二分に吟味しているだろうか。こうしたこと一切を、あらためて熟考する必要がある。

フルスケールの「政治闘争」となって得をするのが誰なのか、そして、誰が一番貧乏くじを引くのか、考えてから行動したい。保守的に響く発言だが、今は「その渦中にいる人」がどのようにしてそのトラブルから離脱できるのかを優先して行動する(あるいは、行動せざる)べきではないだろうか。ここはひとつ新たなニュースが来るまで黙って見ている、というのが良い。(という自分が、こんなものを書いた矛盾には、どうか皆さん目をつぶって下され。)

まったくもって、抽象的な「例えば」の話なんだよね、これは。

「日本的なるもの」へのわれわれの音楽的取り組みとは?

Saturday, May 21st, 2005

「日本的なるもの」へのわれわれの音楽的取り組みとは?

とか、小難しい題を付けたが、これはひとつのライブイベントを聴いたときの単なる印象である。「日本的なるもの」への取り組み方をとっても、3つのユニット(ソロを含む)がこれほどまでに違った結果をもたらすというのは、実に興味深かった。また、「日本的なるもの」がそれぞれの出演者たちによってどのように解釈されたのか、というアプローチに相違によって、他でもない自分がどこに立つべきであるのか、を図らずも考えるきっかけとなったのである。

自分は、日本人でありながら、西洋音楽の楽器を手にして、西洋発の「音階解釈」によって限定されている音楽表現に取り組んでいる。

自作楽器を用いて日本の古典を奏でるというアプローチ。非日本発の楽器や表現手法を使いながら、日本の古典楽器と伝統唱法とコラボレーションするアプローチ。そして、日本発の楽器をバンドに組み込んでジャムるというアプローチ。

果たして、自分に「日本的なものをせよ」と迫られたときに自分が出来ることとは何であろう。自分の立ち位置を変えてまで、日本的なものを奏しようと思うのであろうか? 日本的なものを取り上げるとき、われわれは日本の古典に戻らなければならないのであろうか。日本的なものとは古典の中にこそ見出されるものなのであろうか。などなど、つらつら考えてしまったのである。これは早い話が、人がどうだったという以前に、すべて自分が考察するべき問題なのである。もちろん、「日本的○○」というものに全くこだわらないというアプローチがあっても良い訳だが。

さて、昨日金曜日の夜は、尾上祐一氏「ライヴシリーズ日本の味 初夏の巻」を聴きに国立・地球屋へ。実に有意義な時間を過ごした。

以下データはウェブからの転載:

尾上祐一(回擦胡、RibbonControler)feat.亜弥(舞踏)

(「コントローラ」は、スペルがControllerのはずなんだけど。)

尾引浩志(=倍音S、ホーメイ、イギル、口琴)

今井尋也(能うたい、小鼓)

ヒゴヒロシ(ベース)

つの犬(和太鼓セット)

森順治(バスクラ、笛、尺八)

尾上(おのうえ)氏とは無力無善寺のライヴイベントで以前ご一緒したことがある(噂では某社「カ○ス○ッド」の開発者でもあるとか)。そのとき、印象深い「回擦胡」という自作楽器を演奏していた。「二胡」(二弦琴)の一種なのであるが、通常に非ざるところは、あたかもフィッシングロッドについているリールを回すように、ひたすらくるくると楽器に付いたノブを回すことでパーツが微妙に弦をコスり、音を出す。弓(ボウ)なら一定の所まで弓を引いたらどうしても「返し」が来るが、この楽器は基本的に一方向にくるくる回すばかりだから、延々と長いロングトーンを奏することが出来るのだ、弦楽器のくせに。しかも吹奏楽器にはどうしても関わってしまう肺活量やブレスとも無関係に伸ばせるのであるから、原理的にはハーディガーディのようでもあり、感覚的にはバグパイプのような持続音が造れる楽器な訳である。実に妙な楽器だが、その音色はまるでシルクロードを西の端から東の端までを一気に横断する(Aquikhonne曰く、音の「アカシャ年代記」の)ような懐かしいエスノ感覚がある。「日本の味」と言うよりは、「二本の味」。つまり2本の弦でドローンとメロディを作り出す「シルクロード沿いの味」というのに近い。しかし、アジアの味をエスニックと感じてしまう自分って一体…。

今回は、回擦胡以外に、尾上さんのもうひとつの自作楽器、「リボンコントローラー」の演奏を聴くことが出来た。これは、まるで大正琴のように膝の上にボードを横に置いて両手で演奏するのであるが、まったくもって見事な手さばきである。単音しかでない初代モーグシンセのようなアナログ的な音であるが、原理的には発振している音源部はアナログで、加工(エフェクト)している部分はデジタルであるそうな。だが、その音たるや、尾上さんの趣味でそのような音を選択しているのであろうが、実に古色蒼然としているのであるが、それが実に心地よいのである。オンドマルトノを思わせるピュアな波形を選んでいるのだろう。なかなか強烈なシンプルさである。温度でアナログ発振部の回路に影響が出て音程が変わってしまう(らしい)あたりも、実にアナログ的な楽器の難しさを残した名器(名機?)なのである。それで、尾上さんは日本の唱歌や黒澤映画『羅生門』のテーマなどを奏でたのであった。渋い。

第2部の尾引氏は、初めて聴いた。そのホーメイや口琴の表現力。あれは一体なんなのだ。どこで修行をしたのだろう。彼の口琴は文字通り「人間テクノ」ではないか。「日本の味」と銘打たれたライヴにも関わらず、ソロでは、徹底して自分の「立ち位置」「守備範囲」でその芸を見せる。その潔さが良かった。言っては何だが、全然「日本の味」とは関係がない。だが、彼がゲストとして共演した今井尋也氏(能うたい、小鼓)とのコラボレーションで、初めて「日本の味」の合作をした訳である。ゲストとは言っても、後半の二人による共演は筆舌に尽くし難い「互いの良さを引き出す」シナジー効果を見せ、ゲストを呼んでまでやる意味というのを見せつけてくれたのである。すでに倍音sのCD録音でも聴けるらしい今井氏との共作を今回はライヴ状況において2人で再現してくれたらしいが、鼓を叩きながらの掛け声や能謡の発声と尾引氏の倍音唱法が全く自然なものとして解け合う。今井氏のオリジナルテクストを謡いの様に2人で朗吟するところなど、岡本喜八の『ああ、爆弾』の冒頭を思い起こさせる。なにしろ、こういう日本の古典芸能の発声法で二人の声が「合わさる」ことで醸し出される力というのは実に強烈だ。あとで、今井氏に話を聞くと、「謡い」に関しては今井氏本人がリハを通じて尾引氏に「稽古を付ける」結果になったと言う。実にうらやましい共演(共犯)関係である。

第3部のセットに関しては、いろいろ言えることがある。一言で言うと、それは「何か」だった。悪く言えば、それぞれの演奏者の立ち位置というものが「見えない」ところが残念。言うまでもなく、良いところは何ヶ所もあった。だが、それぞれのメンバーが押しも押されぬ一級の奏者でありながら、演奏を聴いている間中「普段の守備範囲外のことをやっている」という居心地の悪さに終止付きまとわれた。森さんを始めとして、普段やっている「自由形」の即興演奏を通じて、いくらでもそこから底はかとなく滲み出てくる「日本的な情緒」というものを垣間見ることが出来ると思うのだが、日本の民謡その他(日本を思わせる旋律)をそのまま笛で吹く、そのアプローチはいかにも残念だった。今まで素晴らしい演奏を何度も聴いているので、それは意外な驚きなのであった。

つの犬さんのいつもの破綻寸前まで感情的に盛り上げるそのスタイルとエンターテイメント性には、今までと同様の共感を覚えつつも、彼から働きかけられる共演者への「音と眼差し」を通してなされた折角のコミュニケーションも、ある種の疎通不全(私にもよく起こるらしいものだが)、そしてヒゴさんのベースが良くも悪くも絶対に揺るぐことのない音楽的基盤を決定していて、活かされないのであった。

ただ、どんな結果であるにせよ、それが3人が考えた上、どうしても実現したかったプロジェクトであるということには一定の理解は出来る。オリジナル曲を提供したヒゴさんにとってもそれはやりたかったことのひとつであったには違いない。彼の個人的な音楽の嗜好の一部を垣間見ることができたし。だが、あれがほんとうに「それ」であるのか。それはどう見積もっても、もっと良くなる余地のあるプロジェクトであり、その「胎動期」に自分は立ち会ったのだ、と考えることにする。(いや、「曲」をグループ演奏していない自分が偉そうなことを言えた立場じゃないんだけど、まったく。)

註:赤字部分は、尾上氏自身のチェックにより入った「赤」である。まことに尾上氏に感謝なのである。(05/31/2005記)

A letter from R

Friday, May 20th, 2005

Rさんという方からメールを頂き、即興音楽に取り組むべきかどうか、みたいな不安の表明があったので、それについて返事を書いた。すごく真面目で真摯な人です。その真面目さに共感した訳です。自作の音源も聞かせて頂いたが、とても易しい人柄が伝わってくるような音楽だった。また、音楽の遍歴も私と似たようなところが感じられたというのもある。本人に了承の上で(とは言っても個人を特定できる名前は伏せた上で)公開し、自分の本日のエッセイとする。ただし、文面は適宜必要に応じて推敲してり膨らましてあるので、そのままのやり取りを反映したルポにはなっていない。

集客云々という話(自分から始めたんだが)の流れがあって、こんな感じで始まる。

>> このときのQユニットの時もライブは5人見に来た位で勿体無いなーという印象でした。<<

■ それは現実ですよね。いくらでも素晴らしい音楽家はいる。でもその人たちが「売れている」とは限らないし「飯が喰えている」とも限らない。でも音楽の価値が分かる人が何人かでもいる(あなたのように)。そこが重要だと思います。「勿体ない」なんて、ボクでさえも言われるんですよ。大体いつもお客さん少ないから。でも「勿体ない」なんて言う人には、「贅沢できて良かったじゃないですか」とか「じゃ、もっとたくさんの人が聴いたら、勿体なくなくなるんですか?(舌噛みそう)」とか切り返したくなる。要するにお客さんの質より量なんですかと。「それでも勿体ない言うくらいなら、じゃ、ここにお客さん連れて来て下さいよ、オレはそれでなくても音楽を支えるための経済活動、演奏準備、そして演奏そのもので忙しいんですから。素晴らしいって言うくらいなら、ひとりでも多くオレを知らしめることに奔走しろ」ってね。(「同情するなら客をくれ」です。旧くてすんません。)

おそらく今でも店がいっぱいになるのは(どんなにマイナーであっても)一部の日本人ファンが夢中になる「外タレ系」ジャズ・プレイヤーが来た時くらいではないでしょうか(あ、でもこの間は自分の知り合い2バンド出ただけでグッドマンが満員になっていたな。それに、「外タレ」であってもお客が少ないということもありそうだ、この頃は。正常なことですよ、これも)。この状況は日本人が外国から来るものに追随する(理想を見出す)という心理がなくならない限り、なくならない。いつまでも「良いものは海の向こうから来るもの」と思っている。聴いていつまでも有り難がるだけの人はそれでいいのかもしれません。実際問題、われわれのような演奏者も最初はほとんどがリスナーとして音楽人生を始める。そして喜んで「海外発」を素晴らしいものと思って追いかけて来た背景がある。でも、やるわれわれがいつまでもそれではダメなんです。 いや、もっと言うと、表現にコミットしようという人が、国外であろうと国内であろうとスターばかりを立てる発言を続けているようじゃ、自分の世界を築けない。聴いている人も、「このオレが最高のヤツを見つけた、誰も知らねーだろー、口惜しいか?」くらいの気持ちで、自分の「お気に入り」を貪欲に見つけてほしい。もう、みんなと同じことを繰り返すばかりのプロの評論家に頼るのも止めましょうや。

集客と言えば、あとは「会場全体クラブ状態」を目指しているようなグループが成功している模様ですね。あれくらいになると磁場が人を呼び、人が多くなるとさらに磁場が増し、という「良循環」が起こるんでしょうね。とにかく、自分の中ではなるべく人は呼ぶ、できるだけチラシをまく、ネットでも叫ぶ、というくらいの努力で、集客は当面目的にしない、自分の演奏と練習に集中する、という風に割り切ることにしています。 それだけでも大変なエネルギーなんですよ。

>> ふと思いましたが僕は基本的なジャズ理論も通った訳ではないんですが、インプロには非常に魅かれております。この辺りのことに関しては僕は凄く悩みます。。<<

■ 「インプロに魅かれる」って、それだけでいいじゃないですか。一体どこに「悩む」余地があるんでしょう?(って言ってるボクも悩んだことがあるから、人のことはよく分かるんですけどね。)

>> フリージャズに関して言えば、理論を否定するのがフリーと教えられ理論も知らないで、ただ否定するのは右翼の街宣車と同じと言われました。Qさんのユニットはしいて言えば僕のMな部分を持続させて、ときおりそれを解放させてくれるので「あーいいなー」と「感じます。<<

■ 「Mな部分」って「マゾな部分」という意味でしょうか? それにしても、「右翼の街宣車」。名文句だね〜。でも、内容はありきたりだな〜。その「理論を否定するのがフリー」という理屈。それってQさん自身が言ったんですか? 誰が言ったにせよ、ろくなこと教えてないですね。というか、自己保身の理屈ですね。自分がそうやって来たから、次の人もそうでなければ自分の基盤ややってきた努力の前提を否定することになっちゃう。「家元の論理」って呼ぶことにします。それを言った人のつくる音楽は素晴らしいのかもしれませんが、喋っていることは詰まらない。むろん、言っていることと演っていることは(とりあえず)別ですから、そのことで彼の音楽の価値を云々する気はないですけどね。彼が「フリージャズ」あるいは「ジャズ」という枠で音楽をやっているから「崩す」とか「理論の否定」という話に行き着く訳ですよね。完全に「理論」や「枠」を持っている人の見解だな。音楽に理論を持っている人の即興音楽に興味ないな、今は。ジャズ、フリージャズとしては逸品なんだろうけどね。

ただし、「いろいろな音楽を知っている」とか「好きな種類の音楽がある」ということはいいことですよ、即興演奏をやることについて言えばね。でも理論を知らなきゃ否定もできないというハナシとは別。「じゃ、あなたの理論外で音楽やります。否定する事自体にも肯定することにも関心はありません(ところで、あなたの音楽は素晴らしかったです)」でいいじゃないですか。

言っちゃいますけど、確かに「フリー(自由)」というのは「○○からの自由」あるいは「縛り(不自由状態)からのフリー」という風に、否定的にしか定義できないものです(ほとんどの場合)。その点、某氏の理解は正しい(これについては書いたことがある)。そこには、「自由」「フリー」という概念の始まり自体から持っている性質だ、ということの認識がある。つまり、自由に関心があるのは奴隷(不自由者)であって、まさに不自由であるという自意識がフリー(自由状態)に向かわせる、ということはあるわけですよ、どうしても。

でも、最初から理論なしで音楽始めた人がいたとしたら、そのひとはどうしてフリーであることを、ことさらに目指すと思います? いまさら「理論なしで音楽始められるの?」なんて訊かないでくださいよ。もともと理論のない所から<音楽>は始まったんですから。それは分かりますよね。そして、理論は後からそれを真似したい人によって発見されるものでしょ。音楽理論が、具体的作品に先立って存在し得たと思います? 「何々風」の音楽をしたいという理由で音楽をしようと言うなら、理論でも理屈でもその人の書いているものでも何でも勉強してそのように演奏し、飽きたらそれを壊して、とか、繰り返し繰り返しやってりゃあいいんでしょうけど、あれだけの音楽を作っているあなたが、どうして今更「ジャズの理論」がどうのこうの言っているんですかね。下らないっすよ。「凄く悩みます」とか言うの卒業しませんか?

>> enteeさんのような方とお知り合いになれたのは僕にとっては非常に貴重なことです。宜しくお願いします。<<

■ このメッセージ読んだ後でも同じように思って頂けたら本当のお友達です。いやだな、苦手だな、と思われましたら、そうおっしゃってくださって全然結構ですよ。あれ聴いたこれ聴いた、というのをいつまでも言っているんじゃ、詰まらないですしね。おかげで私も目が覚めましたよ。ここ10日ほど自分の方でもいろいろあったためもあり。

entee

PS. ところで、「理論」ではありませんが、「美学」は持っていていいと思いますよ。これがオレの思う恰好いい音楽だ、という思い込みですよ。もちろんそれが「思い込み」に過ぎず、美学ごと自分自身も変化成長するということを自覚してでの話ですけどね。

私も再びこういうことを書くきっかけを頂けて感謝しています。

「愛」を強制する奴らの本音

Tuesday, May 17th, 2005

愛することは心の中に自発的に生起する感情であって、愛することを強制することはできない。いや、百歩譲ってできるかもしれないが、強制によって「期待した通りの愛」を得ることなどはできない。また、愛は自覚的な相互関係によってこそ、もっとも健全な形で培いうる。ここで言っているのは、子供や弱いものに対して自然とわき上がる母性や父性と同根の、いわば反射的・動物的感覚としての「愛・慈」を指しているのではない。もしそういう意味での「愛」を指しているのであれば、なおさらそのような感情が全体主義に資するようなものとして期待できるはずもない。ここで問題になる<愛>とは、やはり、相互に尊重し合い、尊敬し合う大人の愛(友愛・敬愛・仁愛)のことになるであろう。

だが、こうした「愛」を憲法やら法律、そしてやがては警察力などの強制(暴力)によって得られる(得るべきだ)と考えているらしい御人らがいる。その歳になるまで一体どこで何を学んで来たお方なのであろう。このことは、既にどこかで書いているが、大のオトナがテレビなんかで相も変わらず「愛国心」の必要性、愛国心育成の重要性について激しく主張していたので、唖然としながらまた書く。

一度ならず書いたが、「我を愛せよ」と迫ることで得られることは、「蔑み」や「畏れ」ではあっても、愛ではない。(「哀れみ」くらいはあるかもしれない。)それはどこまで行っても「愛に非ざるもの」なのである。「求めるほどに得られないもの」が他人の心に宿る感情である。後でも書くが、「愛せよ」と求めてくる者たちが本当に求めているのは「愛」ではない。「従順」である。

むしろ、この期に及んで「愛国」の必要性を謳う輩(やから)の本音は、「国家への忠誠」の養成であろう。各人が心でなにを思っていようが「忠誠を示させる」ことはとりあえず強制できる。彼らが「国柄」や「天皇」という特殊なコードでもって今日ふたたび「議論」の対象にしようとしていることの本音は、国家への忠実な従属を行為で示せる人々の育成、すなわち「支配の強化」に他ならない。もっと言えば、戦争するときに命を投げ出すことのできるロボットの作成だ。

もし、「愛国心の必要性」を主張する人間自体が、そうした「国家への忠誠の必要」だということに、気付かずに言っているのだとすれば、それは度し難い愚かさである。

だが、自分の言っていることに気付いていて、主張しているのであれば、そいつは相当な悪党である。愛国を求め、新憲法にさえ滑り込ませようとしている当人たちが、命を賭してでもわれわれの安全を守ろうとか戦争になった時に最前線に身を投げ出すなどという「愛」を発揮して見せてくれることは絶対にないのである。あるいは、彼らは、愛国を憲法に盛り込み戦争を準備することに汲々としても、その動物的な父性・母性愛は、自分の血縁の子供たちを戦場に赴かせることは絶対にしないのである。

一体われわれに「愛」を強制する奴らが、われわれを「愛」したことなどあっただろうか? もちろん否、だ。「愛国」なるものは、弱者の支配強化の別名に他ならず、無条件な従順の強制以外の何ものでもない。われわれを愛することなく、地獄に突き落としてしゃぶりたいだけその生命のエネルギーをしゃぶり尽くす化け物に付けられた甘い名前なのだ。

左右に分かれて議論になっても、親米側も親中側も、反米側も反中側も、「誰でも国を愛していることには違いない」などと立場をまとめに掛かったり、安易な妥協を口にするが、「愛国」という思想そのものの持っている、巨大に閉じられた身内(国内)だけに向かう「愛」というものの持っている欺瞞性を考えたことがあるのか。その危険性を、一度も吟味することも相対化することなく、「やっぱりみんな自分の国が好きだ」というような単純化され、沈思せぬ者どもの共感を容易に集めてしまう論理自体に与する前に、「一体国家とは何であるのか」「国家はこれまでに何をして来たのか」「自分の生まれ故郷、イコール国家(政権)なのか」と一度、自らの胸に聞いてもらいたいのである。

ずっと嫌な予感が

Monday, May 16th, 2005

昨年の新潟県中越地震を予測して以来、ずっと「嫌な予感」はなかったが、またそれが来ている。無慈悲な地を揺るがすバスドラの連打のような重低音が、猛烈にやってくる、そんなイメージが体中に充満している。

避難経路の確保、連れ合いとの連絡方法・落ち合い先、安全な帰路の予測、食料・水の確保、決めておかなければならないことが山ほどある。

それにしても、日頃から地図に親しむ、東京の地理に親しむ、という類の趣味は、こういうときに、すごいサバイバル特性を発揮するのだろうな、と今頃になって考えている。

とにかく、すこしでも安全なルートを通って家まで徒歩で帰る、というような練習が普段から必要だと痛感し始めている。