Archive for December, 2004

Heart Wrenchingな交遊

Sunday, December 26th, 2004

久しぶりに林君と諸遊君がウチを訪れる。二人ともソトでの活躍がめざましく、以前のような行き来は出来なくなっているが、それでも年末か年始に彼らが時間を作ってくれることでなんとか1年に1度のHeart Wrenchingのメンバーが揃うという感じになっている。林君が来たのは彼のBotti氏とのコンサート前にチラシのデザインのことで打ち合わせをしたとき以来。

林君は花曜社の代表取締の重責の中で日本中を飛び回る一方で、人を集め、コンサートの場所の手配から共演者の選出などあらゆる雑用をこなし、主演するというすばらしい演奏実績を積んでいる。諸遊君はあちこちの楽団の指揮をしながら音楽家の指導をしている。ウチに来ても今度二人で目論んでいる林君をソロ奏者とするコンチェルトの演目の相談に余念がない。考えていることはふたりとも音楽のことだけだ。そんな二人と時間を共有できるのは実に楽しい。

諸遊君は相変わらずの忙しさで、夕方からのある楽団との仕事兼納会で5時前に発ったが、林君とはその後、Mac話やら家庭の話やらで盛り上がる。いつもならいそいそとウチに戻るところを、この度はゆっくりボクに付き合ってくれた。

今回Westminsterの一連のCD、Mozartのヴァイオリンソナタやコンチェルタント、そしてBeethovenのオーボエ三重奏や弦楽四重奏やらを矢継ぎ早に掛けまくるDJに。

その後、Barretの二重奏を二人でやる。林君はいつもの通り、へ音譜表の伴奏譜を器用に読んでどんどんセカンドを吹いてくれる。彼のセカンドはいつも最高だ。しかもいつも楽しんで下の声部を歌うのだ。彼の中ではBarretは単なるエチュード集ではなくて、演奏用パフォームしたって何の遜色もない名曲集と考えられている。折に触れて10年越しで彼とBarretを吹いてきたボクも、時間があるとひとりで吹いている。林君は、今でも二重奏に付き合ってくれる貴重なプライヴェートな「共演者」なのだ。すぐにバテてしまうわれわれは休み休みForty Progressive Melodiesを吹いていく。スタミナさえあればいつまででも吹き続けていたいような劇的な音楽性をもった名曲の数々なのである。

今年初めてやったダブルリードソロによるライヴの実況録音「衒学のためのレクイエム01」を林君に聴いて貰った。厳しい聴者である彼から、ディレイマシンを使ったこの作品に対してどんな厳しいコメントがあるか一瞬構えたが、思いのほか肯定的で、「続けるべきですよ」という一番嬉しい言葉を貰えたのである。

断酒解禁日の3日目、林君と連れ合いの3人で近所のお気に入りの飲み屋「藤」に行く。いつもの愛想の良い女将さんのウエルカムを受け、小さいが楽しい酒宴を持ったのである。「岩魚の骨酒」というのを呑みたくて。考えてみたら、彼の田舎は岐阜の飛騨で、まさにこの骨酒というのの地元なのである。

そこで、今後の自分のダブルリード演奏に影響を与えるような大事な示唆を受ける。

即興勝手に小委員会[2]

Saturday, December 25th, 2004

土曜日。

まったく思いつくままに。

清水浩さんと望月治孝さんの2人で3つのデュオと1つのトリオをやった。この組み合わせはもちろん初めてだし、清水さんと望月さんがデュオをやったのもおそらく初めて。清水さんとは何度か顔合わせをしているが、いつもお互いに「むずかしい、う〜む」と唸って終わることが多い。全然合いにくい相手なのだ、互いに。音楽以前に、清水さんという人間に対する興味が先行しているのかも知れない。

しかし、「またやりましょう。少しずつ良くなりましょう」と約束して、また暫し後で再会することを繰り返す。実際、清水さんとは出会って5年近くなるが、一緒の音楽が少しずつ良くなっていることは確かだ。これまで聴いてきた音楽のシュミはすごく近くて盛り上がれるのに、楽器同士でなかなか「出会え」ない。今回も、自分が「待ったなし」の反応が出来ずに、全体的に鈍くなりがちだった。それでも面白いところは各所にあった。

清水さんも望月さんも私との組み合わせでスロットル全開でストレス解消するような、爆裂サウンドを聴かせてくれた。これは、互いにそう言い合っているだけの部分も「なきにしもあらず」だが、自分が含まれていなかったときのデュオが良かったと思えるのである。隣の芝生はよく見えるのである。

望月さんと言えば、サックス中心のアプローチと思いきや、当日真っ赤なギターを持ってきていて、演奏中はその楽器の「操作」にかなりの時間を割いていた。私とのデュオでサックスは吹けないのか? (え?)確かに私のピアノじゃ、サックスよりギターを弾きたくなるようなところはあるのかも知れない。彼とのデュオで、彼はそのギターを使って人間の声(言葉)を模したような部分があった。これは、おそらく最も面白い瞬間だった。平均率楽器たるピアノで、「それ」との会話が出来たように思えたのは嬉しかった。あれはじっさい笑える場面である。

自分にとっては一番楽しめたのは3人でやった最後のセットである。デュオの苦しみから解放されたこともあるが、どんどんくっついて併せてくる清水さんと全然くっついてこようとしない望月さんとの対称が明確だった。清水さんはそう後で言っていたが、私が「音楽の何を好きなのか」あらかじめ知っていたこともあって、敢えて縦の線を併せるアプローチを3人のときは採ったと言った。そうだろう。そしてそれは私には快感だった。共演者がひとりでやっている以上に、一緒にやることで普段以上のプレイが出来る、そして相手の良さを最大限に引き出そうという演奏、それを清水さんは自然と採ったわけである。単純な論理だが、それが私には有り難かった。苦しもうとして音楽をやっているのではなく、楽しもうとして音楽をやっているのである。

だが、一方「合ってしまっている2人」の出現に対して、3人目は(大雑把に言って)「それに乗る」「それを無視する」の二者択一を迫られる。これは実にフェアでない状況だ。のるかそるか、どっちでやるにしてもセンスを試される立場に追いやられるわけである。だが、望月さんの独特の方法でそれを乗り切っていたように思う。弾き続けない方法。鳴らし続けない方法。それが彼の武器となっているようでもある(今は)。

最後のセットの最後で、清水さんは「くりすますきゃろる」もどきを謡い、気持ちの良い和音の中で音を締めくくった。年の最後のライヴを締めくくるのに相応しい「終わり」だった。

その後、12月中の「1日断酒解禁日」のひとつだったこの日、ライブ後に荻窪南口の台湾料理飲み屋の「美香」に3人で行った(仕事の後の連れ合いが後で合流)。人数が少ないときはここに限るのだ。ここに連れてきた人は、必ずここにまた呑みに来る。清水さんも望月さんもこの場所を忘れないだろう。それだけの美味の皿と飲み物なのである。かくいう私も連れ合いに、2−3年前にここに連れてこられたのである。

「音楽は音なんだよ」ばなしを捲し立て、久しぶりにしこたま呑んでしまった自分はぐっすり翌朝の10:30頃まで眠ったのである。

Day 12

Friday, December 24th, 2004

Classic環境を壊したようだ。環境破壊。もっともシンプルなSimple Textさえ、いまやClassic環境で使用すらできない。

いろいろぶち込んだシステム拡張やらなんやらをはずしたりあれこれやってみたが、まったく原因は不明。こんなにOSの「切り替え」に時間を労力を必要とするとは。これでは、まるでWindowsのユーザーズクラブと同じではないか。自分のパソコンのトラブルについて話すのは、実に恥ずかしいことである。

Day 10

Tuesday, December 21st, 2004

OS Xでは、Cubase VSTは、version 5でさえも、走らせることはできないとのこと。version 4.1を使えないことは言うまでもない。「インストールしてから」ネットで調べるという愚かな前後間違いをやった。出来るはずだという希望的観測で突っ走った結果だ。出来なくて初めてネットで調べたのだ。実に口惜しい。ただ「サポートしていません」とは何事か。そんなことで済む問題か?

ながらく愛用している記譜ソフト、Passport(今はソフト会社そのものがない)のEncoreはどうなのだろう。実に心配。これは実に直感的に操作できるソフトなんだけどね。

Day 9

Monday, December 20th, 2004

新しいマシン(PowerBook G4 12″)に振り回されること:

入っている「バンドルソフト」だけでも、やってみようと思ったことさえないことを試してみようかと思わせるようなサービス過剰なところがある。最初は、とりあえず一通り何が出来るのかを試したくもなるので、その誘惑に一番弱い時期なのである。

だが、ここでちょっと整理してみないと、何が問題なのか、次に何をするべきなのか、何がなんだか分からない。そもそも何が一番したいのかということを見極めることが必要。

書類整理をやってくれるからロボットを買ったら、あれこれいろいろな機能があるのを知って、風呂炊きや庭の芝刈りから皿洗い機能まで全部試したくなる、というような状態。困った困った。

Audio

出来たこと・分かったこと

■ FireWire 410は、無事にインストールでき、高音質オーディオの出入力は可能になった。これ自体には、シークエンス機能がなく、「単なる音の出入り口」を確保したに過ぎなかったことが判明。付属のソフトは、MIDIコントロールの必要なソフトシンセ、ソフトサンプラー、ソフトミキサの組み合わせ。もうひとつはリアルタイムのコントロール可能なDJソフトである。どちらも自分の音楽の「作り方」から言うとあまり必要のないもの。

不明点

■ Cubase VSTの「クラシック環境」版がこのオーディオインターフェイスとドライブで機能するかどうか。機能すれば当面CubaseがHDレコーディング用のシークエンサとなる見込み。MIDI信号の送受信、オーディオ機能の送受信が出来るかどうかが最重要懸案。出来なかったらまた頭痛の種が...。

■ 特に最も初期(十年前)のCubase Audio ver 1.0とかが、Classic環境で稼動できたら何も言うことはない(が、恐らく無理)。

Visual

出来たこと・分かったこと

■ DVDビデオソフト再生の際の、DVDプレイヤーの再生画像の動きの「ぎこちなさ」はメモリーのフラグメントのためだろう。色々別のアプリケーションを使った後だと特にこのぎこちなさが顕著で心配したが、リスタートした後は、至ってスムーズ。

■ アナログ・ビデオ(TV)の信号のデジタル変換と取り込み。2万強位の投資で可能となる。(単体のHDD付きDVD video recorderよりははるかに安い。)

■ バンドルソフトのGarage Bandは、HD recording可能だが、2トラック同時録音もできない(らしい)。2チャンネルステレオ同時録音は出来るが、ひとつのトラックの扱いとなる(なんで?)。ほとんどオモチャみたいなものでどこまで使えるものか?

■ DVD映像のテレビ画面再生はDVI-Videoコネクターでおそらく解決。どうも昨日の深夜過ぎに注文したブツがもう着いているようだ。

■ DV camcorderとFireWire接続でiMovieを使って動画の取り込み。スムーズな画像の割には「音飛び」がするのは、おそらくオリジナルテープに入ったデジタル信号のノイズのためか? もしそうなら、解決は出来ない。取り込んだビデオの音声がどの程度の障害として聴覚できるのかが課題。

Day 7

Saturday, December 18th, 2004

リハと人のライヴ鑑賞で一日が終わる。ほとんどパソコンをいじらない。M-Audioの新しいインターフェイスを稼働可能にしようと思っていたが、すべてをやるのは無理。

LANでPBG3とつないで古いファイルを移植したり、Dreamweaverのクラシック環境での稼働とリモートサーバへのアクセスを確認できたのは、実に朗報。

ひとつおかしいのは、Outlook Express 5のデータがうまくPBG4に読み込んで来れなかったこと。おそらく、ファイルの何かが転送されていないのであろう。

& aspects & vol. 1/3リハ

Saturday, December 18th, 2004

という名前のライヴが翌正月10日(月・祝)にある。河合卓始さんの企画で、グレープフルーツムーンで。今回は前回のカリマタさんと河合さんとの3人に加えて、花島直樹さんというバス・クラリネットの方が入ってウィンド・クワルテットとなる。河合さん宅で今日はリハ。

終わった後荻窪で待ち合わせがあったので、6:40分頃河合さん宅を出たにもかかわらず、池袋で「まるのうちせん」という表示を見たので、「あ、だったら荻窪まで直通じゃん」と早とちりして、飛び乗ってしまった。都内の交通網というものをまるで理解していないことが露呈。7:10くらいに荻窪、と約束していて、さんざん待たせてしまった連れ合いに「バカみたい。丸ノ内線は10分くらいでつく距離を40分くらいかけてぐるっとつなげている、それを知らないの」といわれた。まったくそのとおりである。

荻窪で見つけたお酒の出ない刺身系の店を発見。お酒を避けている自分でもおいしいものを「安心して」食べられる場所。おかげでしっかり遅れて某グッドマンに着いたが、黒井さんの演奏は前半部の半分くらいが終わっていた。

単なる客だったのに、おそろしい疲労のため、まったく使い物にならず、テーブルに突っ伏して頭を休めながら聴いていた(ほんとうに聴いていたんです)が、後半の最後の回はあきらめて帰った。黒井さんの演奏を聴いていて少し頭の疲労が回復したものの、11時くらいまであそこにいるのはちょっと限界だった。清水さん、冨田さん、申し訳なかったです。清水さん、来週の「即興勝手に小委員会」は、よろしく、です。

Day 5

Thursday, December 16th, 2004

職場にもとりあえずiMac G5が1台来た。ボクは数日早く私用のPBG4を入手していたわけが、ここ数日の自分でやってきた試行錯誤の数々が早速利用できる。職場の「Mac環境の支援」は、前も昔も会社から任じられたものではなく、まったくのボランティアできた、わけだが、「働きやすい環境」「働く気になる環境」というのは、われわれの職業柄過小評価できない。一日中パソコンの前に座って作業しているのだから。

これから次から次へのあたらしいiMac G5が職場訪れてきて、旧い初代(or nearly 初代)のCRTモニタ版のボンダイブルーやらグラファイトブルーやらのiMacを置き換えていくことになる(それにしても、減価償却を遥かに超えてほとんど骨董化したこのマシンたちをよく使ったものだ。これほどまでに使い倒せば結局マックは全然高い買い物ではないのだ...というか、もはやマックが高いというのは、伝説でしかない)。

一番大事な作業は旧Macに膨大な蓄積された仕事のデータの新Macへの移植させることである。共有設定とかは一旦設定してしまったら暫く全然いじらなくなるものなので、毎日のルーティーンみたいに設定を変えると言うことはない。だから、あらためてやろうとすると以前どのようにしたのかを思い出せないということがある。家のLANの共有設定などもまったく思い出せなかった。が、今回色々試す必要がアチラでもコチラでも起こりつつあるので、結果的に共有設定の復習になった。

また、OS X 環境下での設定やアクセスも覚えてしまった。

それにしても後で自分が読んでも、ひとがよんでもつまらないログだな、この一連のPBG4のきろく...

Day 4

Wednesday, December 15th, 2004

結局、朝の4時まで起きていて、今度はパーティションを解除して初期状態に戻した。今回は、最初から明らかに不要と思われるプリンタドライバのいくつかや世界言語のフォントなどを除外するなどして、すべて再インストールした。Classic環境の方はまったく初期状態を復元。これから必要なのは、LAN上でPowerBook G3 (PBG3)とつなぎ、過去のファイルの主なものをすべて新しいマシンに移植すること。対象は主にテキストベースのファイルになるが。

しかしこうして作業をしてみると、「現実にどうしてきたか」ということとは別個に、自分が「何をMacに期待してきたのか」とあらためて考えることになる。すると、それはハードディスクレコーディングやMIDI Sequenceなどの音楽編集作業へのフルスケールの適用、そしてCD作製やレーベル印刷、ジャケット制作など、音楽制作に派生して出てくるDTP作業などであって、テキストベースのファイルを編集したり、ネットとつなげたりということは、やれて当たり前だと思っていたフシがあるのがわかった。

つまり、つないだりメールを書いたりというのは「しゃべる」みたいなもので、「それ自体が目的ではあり得ない」と考えていた(る)のである。「しゃべる」にしても、何かのためにしゃべるのであって、何か制作に関わることのためのコミュニケーションとして考えていた、と言うことである。つまり「通信」のためにパソコンを使うというのでは十分でない、といういわば「確固たる信念」であった。

しかし、自分でウェブを開設したり、言葉を発信したりすることをPBG3で始めたあたりから、何かが変質した。つまり、音楽を作るということだけでなく、「しゃべる」こと自体の面白さと奥行きの深さを再発見したということである。

結果として、PBG3で主に行っていたことは、ウェブ構築であり、日々の言葉の編集やライヴ情報のアップロードと言うことになった。そして、ずいぶんネットというvirtual system上で本やCDといったreal-lifeの買い物もした。だからと言うわけではないが、そうした「日常的」目的のためにPBG3は、使い倒された感があったわけだ。

その点、今回のPBG4の「買い足し」は、自分が夢見たパソコンが本来担うべきcutting edgeな使い方に引き戻すきっかけになりそうで期待している。中途半端なperipheralで満足せずに、周辺機器も含めての全体的なアップグレードである。しかも現実的な大きさと重さは本来mobile machineが持っているべきレベルにさらにぐっと近付きつつある。ここで、こうしてある種の宣言することで自分をさらにそしてに追い込んでいる。(それにしても先立つのは○である。実にパソコン業界はうまくできている。)

Mobile環境を完成させるためにAir H”を稼動可能にする。これが「Day 4」の目標。もうこうなると単なるシュミでしかない。(そうなんだよ、Macはね、とどのつまりが、シュミなんだよ。)

Day 3

Wednesday, December 15th, 2004

けっきょく、また全部イニシャライゼーションしてパーティションをなくしてひとつのハードディスクにしたのであった。なんという時間の浪費。(年をとるごとに、どんどん辛抱がなくなっていく自分を感じるのであった。なにしろ、ときが経つのが飛ぶように速いのだ。)

それにしても、AirMacはつながっており、オーディオ装置からはアフロミュージックが鳴っている。メールはつながり、ネットへのこのようにアクセスすることができている。

三歩前進二歩後退で結局Day 1と同じ状態に戻ったのであった。高い「時間」というレッスン料を払って。

もうこのようなことは三度と繰り返したくないものだが、はっきり「ない」と言い切れないところがこわいのである。

そして、来年からまた本格追求しようと思っているライヴでのマルチチャンネルでの生録を可能とするインターフェイスが、今日家に届いている。いよいよ「ちいさなゆめ」のひとつが叶う(はずだ)。

PS. 今夜は「風の、かたらい」に出演。楽しみ半分、苦しみ半分の、ライヴ。来年からは「風の、」には不定期で出演予定である。