Archive for March, 1998

真のユダヤの王としてのイエス・キリスト

Wednesday, March 18th, 1998

これは、今日「ユダヤ人」と呼ばれるある民族集団に対する筆者の個人的感情を吐露するのを目的とする論ではない。筆者はいわゆるユダヤ民族を敵視するアンチ・セミティスト(反ユダヤ主義者)でもなけば、とりわけ支持するものでもない。注意深く読めばそういうものでないことは、理解していただけるものと信じるが、ただ、非常にデリケートな内容を含んでいることは確かであり、明らかなアンチ・セミティズムでないとしても、ユダヤ人との自己認識をするある種のグループの人々にとって不快に感じられる可能性が全くないわけではない。むしろ、歴史のおそるべき逆説性に人々の注意を喚起したいのであり、いずれにしても、この論を通じて今日問題となっているいわゆる「歴史認識の修正」をめざしたり、ここで問題となっている人種グループに対して、その民族としての人格を損なったり侵害したりする目的はないということを明言し強調しても、し過ぎることはないであろう。(August 9, 2000)


真のユダヤの王としてのイエス・キリスト

あるいは、「キリスト教の登場によって、ユダヤの民族が(迫害者される一方)実は存続が強化された」という逆説について

ユダヤ民族の存続は、キリスト教の登場によってむしろ強化されたのではないか、という可能性を論ずることは、複合的な理由により容易なことではない。通常、キリスト教の登場がユダヤ民族の迫害、ひいては衰亡の原因のひとつとして働いたと考えられることはあっても、キリスト教がユダヤ民族の存続を固定・強化した、という論には、多くの心理的な抵抗が予想されるからである。

しかし、ここでキリスト教に於ける救世主(キリスト/メサイア)がほかでもないユダヤ人であった、ということを今一度思い出してみるのは有意義なことである。イエスはアフリカンでもモンゴロイドでもなく、ユダヤ人であったというのは、「歴史的記録」としての聖書に何度も強調して出てくる記述の一つである。「ユダヤは、ほかでもないイエスを生んだ民族だからすぐれている」という言い方をするキリスト教信者さえいる。イエスがユダヤ人であった、あるいは「ユダヤの文化を保持した民族グループ」から輩出された(少なくともそのように伝えられている)という事は何度強調してもし過ぎることはないだろう。そして、むしろ歴史の荒波の中に埋没して消滅してしまったって良さそうな、国土を持たない流浪の一民族であったユダヤ民族が、実は、キリスト教の伝えるところの問題の民族、「ユダヤ人」自体の末裔であるとして、事実、歴史上の証人としての役割を果たすがゆえに、そして、むしろキリストを生み、それを磔刑の憂き目に導いた民族として生き続けることを宿命付けられた、という考え方もできるのである。

「あなた方は預言者の子であり、神があなた方の先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた……」(使徒行伝 4:25) また、モーゼが言ったとされる、「あなた方(ユダヤ人)の兄弟の中から、一人の予言者を」(使徒行伝 4:22)立てなければならなかった。このように、地上の諸民族にとっての「祝福」はユダヤ人の手によってもたらされなければならなかったし、キリスト(救世主)はユダヤ人でなければならなかった。

むろん、現在自分たちがユダヤ人であると主張する民族グループは、イエスをキリスト(メシア)であると認めていない。信仰者としての彼らは、依然として「本物のメシア」の到来を待ち望んでいるのである。イエスが、単にユダヤの律法を型どおりに守ることが救済への道ではないと主張したばかりか、伝統法の拡大解釈をしたあげく、自分たちの神を異邦人に売り渡してしまった、あるいは神自体を無効なものにしてしまったかのように見える。ユダヤ人であることを強く自覚するユダヤ人達にしてみれば、同じユダヤ出身の(あえてナザレ出身とは言うまい)イエス、あるいは派生宗教であるキリスト教が行ったことは、ユダヤ人にとっての自らの信仰を「神は因習化・形骸化されたユダヤの習慣を喜ばない」として、形式主義だと断ずる裏切りと映っても当然であろう。

一方、そのユダヤ人・イエスが、十字架上で磔刑にあったとき、ピラトが書いた「ユダヤ人の王、ナザレのイエス(INRI)」との罪状書きに対して、ユダヤの司祭長らがピラトに(ユダヤの王なのではなく)「この人はユダヤ人の王と自称していた」と訂正してくれ、と頼んだが、ピラトは、そのままにしておくよう命じた。(ヨハネ 19:19-22)

上のエピソードは、いかにも「イエスがユダヤの王であろう筈もないにも拘わらず、アイロニーとしてそのようにしておいた」ということを改めて証しているようにも見えるし、そのようにひろく考えられているようであるが、聖書が字義通りに「イエスがユダヤの王である」ことを伝えようとしているとも考えられるのである。ところが、それをまさか字義通りに信じることはできないであろうため(あるいは字義通りに広く信じられては困るために)、それは<暗に示す>ということになった。あるいは、字義通りに信じることができないような言い方で、その実、字義通りに本来理解されるように書いてあるというのが真相なのではあるまいか。これは解る人にしか理解し得ない巧妙な暗号のようなものである。そして、この場合、ポンティウス・ピラトゥスは、イエスが紛れもなくユダヤの王である、あるいは将来王になることを見通して、敢えて「そのままにしておく」こととした、とさえ穿った見方をすることも可能である。

このように、ユダヤの伝統とキリスト教の対立は決定的なものであるように見えるのであるが、今日われわれが知っているキリスト教とユダヤ教は、互いが悪者であることを利用することによって相互に助け合う関係であると一面においては主張することができるのではないか。筆者の畏友Iがかつて述べたように、「およそ民族主義と結び付いていない宗教はない」とさえ言えるわけで、キリスト教徒にとっては、ユダヤの問題は避けて通ることのできない重要な躓きの石である。それは、一度まじめに聖書に目を通してみるならば、すぐにでも明らかになることのひとつである。一体幾たびその書物の中で、ユダヤ人について、そして律法について、そしてその形式主義に対して新約聖書は言及することであろう。そして現代の教会においてすら、それは決して「今日のユダヤ人」を揶揄する目的でなかったとしても、その名は、壇上において説教で引用する際に、キリスト教の聖職者の口に頻繁に上らざるを得ないのである。日本のキリスト教会での事情を知らないが、合州国の教会に何度か出席した経験からしても、少なくともそういうことがあったと言わざるを得ない。

このような状況を鑑みるに、ユダヤの民族がイエスを産み出さなかったら全く特殊な民族たり得なかった、と断定したくなる誘惑は依然としてある。いずれにせよ、ユダヤ教が他ならぬ世界宗教たるキリスト教の母胎となったことはまぎれもない事実であり、後にも先にも救世主たる「人の子」を産み出す〈からくり〉を内包する潜在的なシステムであったことは明らかである。そのためにこそユダヤ教が他のどんな宗教とも違っていたということは否定のしようがない。だがそのために、われわれが知っているところの歴史的受難をユダヤの民族はいくつも通過せざるを得なかったのであり、それは単に、ユダヤ民族の歴代の預言者が警告せざるを得なかったひとつの民族に固有の弱体化や堕落とは別の次元に存在した、全くもって特有のユダヤ教の事情にある。

……というように、ユダヤ民族は、世界の王、イエスを生み出したまさにその《母なる民族》として、また、イエスを磔刑に遭わせる原因となった《憎しみの対象》、信じるものにとっての敵として、また時として、そして特に、みずからをスケープゴートとして「時の終わり」にあたって再び姿を現し、イエスの物語の生き証人として、そしてまた、現実の歴史の受難者として、常に憎まれつつ、同時に妬まれつつも、ある種の畏敬の念をもって見られる対象として、あらゆる矛盾を生き続けなければならなかったのである。

あえて一つだけ強調するならば、今われわれが知っている「ユダヤ人」とは、それの生み出した息子が世界の王となったことによってその生みの親としての民族としてその特殊性を維持している、と言えるわけであり、逆に言えば、その王なくしては、その王を生み出した民族の特殊性は今日発揮できなかったのである。かくも今日のキリスト教とユダヤ教徒は相互依存的なのである。

すなわち上記のような意味で、ユダヤ民族は、将来王となるはずの〈恐るべき人の子〉を生み出すことが約束されていたのであり、その〈息子〉の存在によってのみ、歴史的な真価を発揮するという、そのような民族であったのだ。

契約という名の下の不平等

Wednesday, March 4th, 1998

たとえば、国連に圧力をかけてある国に軍隊を派遣したり、場合によってはやめさせたり、あるいはIMFとのある合意を当事国に遵守するよう強制したり、等々という役回りとして、頻繁に米国という姿がそこここに見出される。まるで、米国が国連や世界銀行を代表しているかのような(あるいはまさにそういうことなのかもしれないが、事実、両方ともその本部がアメリカ国内にあるし)態度であらゆる局面で立ち回っているのが目立つ。

国連決議に則った国連軍の第三国への派遣せよとか、IMFとの合意遵守せよとかいうのは、すべて「公の場」で決められた約束(契約)であるから必ず履行されなければならない、という一貫した論理のもとに言われていることである。契約が絶対であるという論理は、とりわけ宗教的絶対制が解体したあとの西洋社会において、集団生活の成立の要(かなめ)となった(と思う)。また、ルソーが提唱した社会契約という思想の出現以降、おそらくはそれ以上に理想的な社会基盤は、まだ世に紹介されていないようである。(もちろん、これはルソーの理論自体を疑おうとかいう意図をもって書いているのではなく、かれの理想が曲解されているばかりでなく、むしろ「悪用」されているのではないかとさえ思われるということが言いたいのだ。)

「公の場で決められた約束」というものが、ある特定の国家の利益を代表しているのではないか、あるいは、それがある特定の強大な権力をもった大国の圧力によって取り交わされたのではないか、ということを再検討することは肝要である。もちろん、結果として、われわれは常に、国際的な「公の場」で、そうした特定の大国のあからさまな(あるいは秘密裏の)圧力を目撃するのである。現今の条約や国連決議といったものが、こうした「契約」という形を取った別名のパワーポリティクスであるという捉え方をわれわれは考慮すべきなのだ。また、「公の場」という風に括弧付きで書かざるを得ないのは、それがいわばあくまでも表向きの「公の場」でしかないということがあるからである。

所詮は、かのパスカルがその著『パンセ』の中で語ったように、「公正なものが強い力を持つようにすることができなかったので、力の強いものが正義であるとすることにした」のであり、力のあるものが強いた(不正であるかもしれない)“契約”を相手に遵守させることが公正である、ということになった。それだけのことである。

たとえば、植民地化され後に独立したとか、あるいは植民地化を何とか喰い止めたとかのアジアの諸国は、つねに外からの勢力(外圧)としての欧米列強と不平等条約をそう(不平等)と知りつつ結ばざるを得なかった。時として、銃砲を突きつけて開国を迫り、決定を渋れば空砲をならして脅かすという手段を選ばぬ方法に訴えて通商条約の締結を迫ってきた。これは米国にとっては常套手段であった。その「法的に効力を持つ」と言われるその条約(契約)をどう撤回する(させる)かを巡る争いが、当事国の内であるいはその条約相手国との間で起こった。政争であり戦争である。不平等(悪)でも約束は約束であり、約束を守ることが絶対善である、という観点からは、弱者はそれに従うことが無条件的に正しいということになる。だが一方、従うだけでは不平等が一向改善されない、という観点からは、それが悪であると判断せざるを得ない。つまり、このような観点からは、契約の破棄/不履行は「違法」ではあるが、善なる行為であるとさえ言いうる。それが防衛する側の論理だ。

我々は、常に真の暴力というものが、巧妙なまでに「法的な」手続きを経て行使され、法的な支持を得たその国家が、しかも最大の規模の破壊をもたらす挙に出ると言うことを忘れてはならない。

(revised in February 2, 2000)