Archive for December, 2005

時間の道筋に立つ道標の象徴

Friday, December 23rd, 2005

飛び石のように、時間の一本線の流れの上に共有される一定の性質の徴が道標のように置かれていることを想像しよう。それが自分の母語の文字のようなものであれば、すぐに意味を読み解くことが出来るが、もしそれが自分の観たことのない文字であったとすれば、何かを伝えようとしていることを直ちに諒解し、その道標のサインの中に何らかの解読可能な徴とその意味を探すであろう。

ここで仮に、その道標で伝達したい内容が単純な数字であるとしたらどうだろう。そしてもし、あなたがその情報の発信者であるとしよう。しかもそれを伝達する相手が、自分の生前の周囲の人々に対してではなく、遠い未来に生きる人々に伝えたい内容であったとしたら。当然それを読み解く人々がいかなる言語を使っているのかは、分からない。文字も言語も全く異なった人々にそれは到達するかもしれない。というより、そのような人々にこそ情報を到達させることがゴールであると想定しよう。

すると、その数字を表す記号は数を数えることの出来る人ならば、誰にでも解き明かし得る単純な形態を持ったものであろうことは想像に難くない。例えば、漢字がそうであるように、「1」という数性を表すものは1本の棒で表されるかもしれないし、「2」や「3」はそれぞれ2本、3本の棒で表記されるかもしれない。

そして実際にそのようにして来たのが、主要な秘教的象徴図像の数々なのである。

このように考えれば、問題は簡単である。形が数字を表すということを識り、それぞれの図像が具体的にどんな数性を保持しているのかを解くこと。そしてそれらが「数」であることが分かれば、今度はそれらが何を伝えようとしているものなのかを、総合的に理解することである。

数の象徴は、文字通り世界中にばら撒かれている。そしてそれらの「数性」とそれが歴史に出現した時間の辺りに見当をつけることである。想像できるように、この出現の時期は厳密なものではない。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [2]
序論(中)

Thursday, December 22nd, 2005

● 数を巡る一般論

数の話をしなければならない。それは、数字というものが一見込み入ったものとして現れる秘教的象徴体系の解き明かしの第一の糸口であると言っても過言ではないからである。単純化を恐れずに言えば、数字は、象徴的図像群が最初に伝えようとするものである。数字と言うものは、発信の側のみならず、象徴の受け手の側からも最初に「解読」可能になる普遍的な入り口としての性質を帯びているからに他ならない。

数とは、すなわち事物を数えるのみならず、順序・序列を表し、また「時間」を表すのにも利用される。極めて古い時代に「伝達」の努力が開始されている秘教関連の象徴的図像群は、数性を積極的に扱うものであるが、複雑な数学概念を伝えるものではない。自然数の中でもいわゆる「整数」と呼ばれるものが中心である。当然、小数点などを扱うわけではない。そのような数字はあくまでも数学に属するものであり、単純な構造を持っている図像群が扱ってこられた種類のものではないのである。

発信者の側に身を置いて考えてみるのも良い。数字は、本来、単純なものであり、間違いなく通じれば、それ以上でも以下でもない極めて純度の高い情報として伝達が可能なのである。そして、その数が歴史的エポック、すなわち周期性(回帰性)を表すことが出来れば、その役割は立派に果たされる訳である。

● 「ゼロ」への最後の一瞥

本題に入るに当たって最後の回り道をしよう。学問的に言えば、数を語るにあたって「ゼロを落とす」わけに行かないという指摘が出そうな話であるが、それがとりわけ本論で展開する「謎解き」において、果たして有効かどうかに検討の余地があった。数学史を振り返るとき、“0”という「数字」を「発見した」インドの存在がほとんど必ず言及される。だが、秘教的象徴図像の中で、「ゼロ」の概念の果たしてきた役割は、むしろ「無」や「空」に関連のあるものである。それは歴史と言う時間の概観を扱う文脈の中では、順序や序列を表す数字群の一つであると考えるよりは、一つの巨大な歴史的エポック全体を指してそれを「空」と呼ぶ時に登場するものである。確かに“0”の概念がインドから登場したという歴史的事実は極めて象徴的ではある。だが、それはその厳密な数性を考えての話ではなく、これまで「Ω祖型」についての論考においても記述した様に、円相の図像が指し示す「閉じられた周期」と永遠回帰の「空性」にむしろ関係がある。

つまり“0”の概念は「歴史のリセット」との関連で登場するに相応しいものである以上、秘教的知識と大いに関わりがあることに違いはないが、ここでは数字の1から始まり8で一巡する数字の周期性とそれに密接に関わる図像を中心に観察を進めていくことにする。

● 7の法則

「7の法則」は、「オクターブの原理」と言い換えることも出来るものである。根本的な起源は、これは旧約聖書の『創世記』が参照先として考えられるように、ユダヤ=キリスト教文化の起源であると当面は判断できるものと思われる。この7の聖性は、神が「天と地とその万象とを6日間で完成し、7日目に休んだ」という“記録”に基づいている。こうした宗教教義が「6日間働き、第7日を安息の日とする」文明人の生活のリズムを産み出し、やがては現在知られているような週7日のカレンダーへと発展していった、と考えることはできる。あるいは、『創世記』の成り立ちよりも遥かに古くから、人々は(理由はともあれ)週7日という生活のサイクルを営々と歩み続けており、そうしたサイクルが『創世記』という伝承の成立に反映した、という可能性もなくはない。しかし、7を聖数とする起源の歴史的真相はともかくとして、少なくともヨーロッパ社会にとって、「世界最古の歴史文献」と信じられている聖書がまず先行し、そのために人々の生活体系ができあがっていったのだという考え方が優勢であっても、それはまた自然である。{4}

また、現代社会で断然優勢を誇っている音楽上の勢力に「西洋の音楽」がある。西洋の音楽は1オクターブ中7音を主音とし、その中のある基本音から数えて、上向した場合、第7音が音階の最終音となる。すなわち、第8音で最初の基本音の周波数の2倍音に相当する同名の音に戻る、という音階の方法を採っている。

たった今「1オクターブ中7音を主音とする」と述べたが、無論これは1オクターブを「7等分」するのではない。そこで「1オクターブの無数で連続的な音のスペクトラムから7音だけを抽出しなければならない理由はなかった」という主張も可能となる。問題を単純化すれば、確かに、現在「平均律」として知られている音階調声は、1オクターブを12等分し、その内の7音を主たる音素として使用したものだ。しかも気を付けなければならないこととして、現在ピアノの調律に使われているような「平均律」という人工的な音階が、原始時代からあったわけでもない。付け加えれば、そうした音階が特に現代の音楽のあり方を決定付け、現状のような様相へと導いた西洋の和声的音楽の発展の中で発生した、いわば「逸脱」的な方法のひとつであった、という言い方さえ可能ではある。

しかしながら、こうした一連の可能性を鑑みても、次のようなことが正しいとも同時に言えるのである。すなわち、1オクターブを12等分し、そのうちの7音を主音とする音階概念が(和声学的に完全に合理的であるとは言えぬ一方で)、純正率の音階に「きわめて近い」ものであった、ということなのである。さらに、人声や弦・管楽器に半固定的に調律され与えられた音階は、奏者が合奏の際、調和的響きを獲得するのに技術的に修正可能な範囲であったことは特筆に値する。

元来、音階は和声(すなわち2つ以上の音のあいだに生じる調和的響き)を優先するような「分割および選択」を好むものであった。「和声学上の調和を前提とした音楽」(無論それを前提としない音楽も数多く存在するが)には、ピアノやオルガンのような完全に固定化された「音階」というものが、むしろ調声の破壊(調和からの逸脱)をもたらす。「平均律」は、もちろん(音程を固定せざるを得なかった)鍵盤楽器に応用され、数多く存在した調律法における言わば「妥協」を伴った必然的結果であり、和声的調和を敢えて無視した音階であるとも言えるわけである。それでは、和声的音階が音階の理想たる「純正律」である、と断定できるかと言えば、それはまた完全に正しい訳ではない。「2音の振動数が簡単な整数比である時に、それらがよく協和して聞こえる」という“発見された法則”をもってすれば、音階的理想像である「純正律」に近づくことができるばかりか、ひいては現在広く使われている「不完全な」平均律に接近するということに違いはない。前述したように、人声や管・弦楽器などのように微妙な音程の調整が演奏時に可能である楽器には、「固定的な音階が存在しない」という言い方ができる。しかし、それでも楽器間の和声的協和を求めることができるそうした楽器でさえ、(トロンボーンを除く管楽器では特に)ダイアトニック・スケール{5}を演奏しやすいよう設計されている、と言うのは一般的に正しい。すなわち、オクターブ中7音を主音として抽出する西洋の音楽のスケールには、ある種必然的に「合理(平均律)」に達しうる普遍的な傾向を内包していたと言えるのである。

つまり、オクターブから7音を抽出するという音階概念が西洋で発達したのは、第7音でひとつの周回が終了し第8音で次なる周回の開始となるために、ヨーロッパの秘教的象徴の文法を音によって踏まえているということができる。したがって、その音階がヨーロッパの発展系音楽の主要な音素となったことには、一定以上の象徴性と必然性があったと言うことが出来るのである。

●「無」、そして「完全なる無意味」に対抗する「反復」概念の誕生

今回の西洋中心の文明の担い手は、完全な人類の文明活動の無(空性)、すなわち“0性”を想定するよりは、むしろ活動の「無限(永遠)の」繰り返しという概念を説明するに当たって、この「数の法則」を導入することに何らためらいを覚えなかったはずである。(そうなのだ。)彼らがそうした法則を人類史全般に当てはめようとする限り、私が「永遠回帰」の法則によって『今回のこの世界』の全てを説明しようとするこの試みは、ますますもってその「正当性」の証明とともに、その意義を発揮していくであろう。

敢えて認めるならば、「1オクターブの無数で連続的な音の集合から7音を抽出しなければならない理由はなかった」という主張が可能であるのと同じ意味で、人類史全般が、とりわけこの「7の法則」に則って説明されなければならなかった合理的な理由もない。現に、アジアの諸国で知られており、今でも祭儀上有効な太陰暦(旧暦)には、このような7の法則を事実上見いだすことはできない。むしろ6日周期で日は巡り、6、12、24、60などという6の倍数に関連したしきたりや習慣が暦に見いだされることにも注目すべきである。これには、不正確ではあるものの、1年が360日に非常に接近していることや、1年360日を12分割(6の倍数)した場合のひと月が30日(6の倍数)になるなどの理由があるに違いない。閏月などが生じる欠点はあるにせよ、6の倍数を暦に取り入れることは、むしろ数学的にきわめて合理的な方法であったと言えよう。

しかし、ここで強調されるべきは、西洋の、ひいては世界の「7の法則」に関する出自が、単に宗教的起源を持つのか、あるいは科学的根拠を持つのか(はたまたいかなる合理的根拠も持たないのかもしれないが)西洋を中心としたこのたびの文明の歴史が、その法則を表現上採用したものであり、事実上それを「当てはめる」形で象徴を顕在化させていることは確かなのだ。そしてそのためにわれわれにとっては象徴群による歴史的動向の「解読」を蓋然的に??必然的に、ではないものの??可能にしているという認識が前提となる。

●「無意味な反復」からの解脱を許されぬ者、プロメテウス

世界に暗号が存在し、それがある者同士の通信手段として、あからさまに機能し続けていくならば、それを(他人を説得できないまでも)第三者が解き明かし続けることができるのは自然な成りゆきである。なぜなら、繰り返すようだが、解読不可能な暗号は存在しないからである。この象徴手法に肉薄することは、「数」の持った戦慄すべき秘密に驚嘆を持って接することを意味する。

プロメテウスは、天上から盗み出した「火」を人類に渡したことで、山頂上に鎖でつながれ、その肝臓を鷲についばまれ続ける、という罰にあった(あい続けている)。彼は死の苦しみを味わうが、肝臓は、知っての通り、次から次へとその細胞を増やし生えてくるために、死ぬこともできない。それで彼は永劫の苦しみを孤高な山頂で味わい続けなければならないのだ。

このような世界が繰り返しうること、そしてその繰り返しだけが、救いがたい人間の唯一の救いとして機能し続ける側面があるのは戦慄すべきことである。しかし、その繰り返しを「望み」、繰り返しのみが唯一の救いであると考えているのが、他ならぬ象徴主義的歴史主義者たる現代のプロメテウス達(プロメテウス信仰者達)なのだ。

秘密への肉薄は畏怖を伴う。だがわれわれは、秘密を把握する者として、また真相を知る者として、そしてその繰り返しは意思次第で逃れうることを識る者として、唯一の希望を見出すことになる。プロメテウスは、本来秘密を管理しなければならない立場だった。今もそうである。そのために彼らは、次の機会さえあれば、またしても生き抜き、幾度でも山頂における孤独をひとり味わい続けようとするであろう。

現時点でわれわれには、この“発見”が人類への希望として機能しうるのか、戦慄の悪夢の序曲として機能することになるのかは判らない。少なくとも、それは我々(が学問的に知りうる限りの)人類という生命にとって、かつて経験しなかった規模の“或る出来事”(それはかつて起こり、未来において起こりうるエッポック)の「実在」を知らせるものとなろうことは相違ない。

そしてこれこそが<普遍的題材>の名前で呼ばれるに相応しい唯一の内容なのである。

[3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [1]
序論(上)

Wednesday, December 21st, 2005

その秘密を解き明かすのに、母より得し十の指の他に、なにも要らぬ

『祈りの手』

数秘学 (numerology) というものについて、複雑に入り組んだ体系を持ったゲマトリアやカバラの理論を学習すること以外に理解可能ではないと考える向きがあれば、それは最初の大いなる錯誤である。しかもそれはきわめて狡猾に仕組まれた予定的な錯誤である。そして、そのような錯誤を期待している面があるのではないかと思わせるほど隠秘学(オカルト)というものは、全般的に過度な神秘主義と思わせぶりだが解き明かしうる筈のない韜晦と謎なぞに満ちている。

しかし、ここで証す内容は数秘学を始めとしたある種の隠秘学と緊密に関わっていながらも、それらのものに見出される過度の神秘化を排除して、誰にでも諒解できる形に明示していくことがひとつの目標である。

■ 序論

すっかり脱聖化されたかに見える今日の日常を生きる21世紀の人類にとって、次のようなことがどうして疑問となり得、それがまた解き明かし得るものであり、その解かれた謎が「これから通過しなければならない我々人類にとって『最大の出来事』を予知させるものとなる」と言えるのだろうか。そしてそれを誰かが真顔で語ったところで、一体どれだけの人がまともにその話を聞き、その結論を信じるだろうか。

・ なぜ、イエスは「十字架」上で死んだのか。

・ なぜ、イエスは他のふたりの「罪人」と供に3人で磔刑に処されたのか?

・ 三位一体とは何のことなのか

・ なぜ、聖母子像に描かれるマリアの額や肩には伝統的に輝ける星(八芒星)が描かれるのか。

以上のような「疑問」は、よほど宗教的な関心がなければ発せられることはなく、われわれのこれから取り上げようとする内容への一般の人々の関心を損なうか、「徴」の謎に関して誠実な関心を抱いている読者でさえ、かえって構える結果を導いてしまうかも知れない。われわれは神学論争を意図しているわけではないが、これから展開する論述がこうした論争にまで発展する要素さえ含んでいると断っておくのは適切であろう。今後の展開が、大いに西洋史の行く末を決めることになったキリスト教を始めとする「新・旧約聖書を基礎とした諸宗教」との双方向的な影響関係──しかもかなり緊密な関連──を持っている点を強調しておきたい。しかし、今日の世界において正当な理由を持った「宗教アレルギー」を自認する人でも、次のような「疑問」を持ったことならば少なからずあるに相違ない。

・ 誰が国旗のデザインを決めているのか。

・ われわれは何故「旗」の下で戦(いくさ)をするのか。

あるいは

・ 一体誰が、何の目的で、我々に「旗」を与えたのか。

これでもわれわれが読者の興味を喚起できないとすれば、そもそも人間の持っている象徴に対して全く無関心であるか、見る目を持ちつつも、世界が表出している「徴」そのものに何ら意義を見出さない種類の人間なのかも入れない。しかしだからと言って、そうした人々を非難しようなどともわれわれは毛頭考えてはいない。むしろその様な読者の新たな問題意識や関心を引き出すことができたら、それは小論の部分的成功であるとさえ考えるであろう。各論に少し踏み込んでみよう。

・ なぜ我々は星状五角形(五芒星)を我々の『星』だと考えるのか。

・ なぜ古代エジプトの時代を除く古美術品からは、こうした五芒星がほとんど見つからないのか。

・ なぜアメリカ合州国の国防総省は五角形(ペンタゴン)でなければならないのか。

・ なぜ日本は合衆国に『五弁の花びら』を持つサクラを送り、それが「ワシントンDCの春」を派手に飾り、観光名所となっているのか。

・ なぜクリスマスツリーの最上部には、星が輝いているのか。

何よりもわれわれにとって不思議なのは、これだけ様々な可視的な「証拠」がありながら、それを神的な「見えざる手」の神秘、もしくは陰謀(積極的な陰謀論肯定論者の方々にとっては考えにくいことではあろうが、それらが陰謀でなかったとして、そうした人類の不可思議な象徴主義)とも考えず、それらに注意を向けない事実である。

そう多くの人々がこうした疑問には答えられないだけでなく、まずそうしたことに疑問そのものを抱かないのである。みな総ては「そういうもの」だと無批判的に受け入れているからである。「芸術は長く人生は短い」ということが言われる。が、それは「人類の残してきた象徴体系の具現化は長いが、人生はそれを鳥瞰するに短すぎる」からである。最低でも2000年以上の年月に渡って刻まれてきた人類の象徴的足跡を把握するには70余年の人生では短すぎる、というのは果たして事実であろう。

しかしながら、この小論にて訴えたいことのひとつは、われわれの思いこみや世界のあり方について当たり前のように受け入れ、疑問さえ抱かない象徴的図像の中に世界の重大な運命に関する秘密が隠されているという点である。文字どおり、それらは表にありながら巧妙に隠されているのである。例えば、多くの人々が自国や近隣諸国、あるいは大事なつながりを持った国々の国旗を知っているが、どうしてそれらがそのようなデザインとなったのかという「本当の」理由は一般に知られていない。国旗がいつからその国の国旗になったのかという真相さえ知られていないものも多くあるに違いない。にも拘わらず、その国旗を見てそれを特定の国を表すシンボルであると人々が認識するという不思議をどのように説明したらよいのだろう。一般教養的説明によれば、フランスの三色旗の「青・白・赤」が「自由・平等・博愛」を意味しており、合州国の星条旗の13本の紅白の縞模様が独立戦争で戦った13植民地州を示している、というような理由になるのであるが、それらデザインの「真に意味するところ」をどれだけの人が知り得ようか。

われわれは地球上に国際的な陰謀組織が歴史を作っているとか、あらゆる象徴の存在の責任を彼らに帰すべきだというような結論を急ぐことはしない。しかし、「公然と隠された数」に関わる研究を進めるにつれて、世界の歴史的動向の重大な部分を決定できるような「特殊な立場」や「申し合わせ」が存在するのではないか、少なくとも象徴を体系化してそれを左右できる「専門家」の存在をある程度想定すべきではないかという考えに取り込まれそうになる。とりわけ、象徴そのものの顕現がいきおい明瞭になってくる近代以降(あるいは英国国教会設立以降、あるいはキング・ジェームス1世の登場以降)においては、ある一定の「専門家」たちの存在は、象徴作品の出現に関してとりわけ重要な役割を果たしていることを否定できないであろう。だが、それでも有史以前から既に続いている象徴図像に共有される約束事が、そうした「専門家」だけに占有されてきたものだと結論づけられる程、事情は単純ではない。

国旗等のシンボル決定に直接実行力を持っている不可視的な権力存在を『象徴主義的歴史主義者』と便宜的に呼ぶことにしよう。この象徴主義的歴史主義者たちは、世界に散らばる象徴体系を巧みに用いることで、全くもって異なる以下に示すような2つのことを試みたと言える。

ひとつは、われわれがこの小論を通じて扱っている国旗等の「可視的証拠」、すなわち象徴体系を残すことで、彼らの権威や「権力の集中的な実在」を世界にアピールすることをある程度まで可能にした。その言わば「闇の権力者」(彼ら支配者の構成員が全く民主的とは言えない方法で選ばれている以上、その様な呼び方は相応しいと言わねばならない)の存在が隠されたものであり、自己存在のあからさまな証拠が露見することを許さないということは注目されても良い。

第二点として、その他方には、自分たちの存在そのものが「根底から確認不能である」ことも望まない、といった厳然たる相矛盾した傾向も同時に存在する。つまり、彼らにはある特定者だけが秘かに確かめることの出来る伝達方法が必要であったと考えられるのである。確かにこれは大いなる逆説である。権威として自己の存在が認められることを試みると同時に、公的な存在確認の妨げを試みるのであるから。

この矛盾のため、巧妙な徴の顕現と隠蔽、そしてその隠された記号の解読法の「制限的な公開」が必要となった。しかし、この部分で彼らにとってさえ解決不能な課題が噴出することになった。

それは「どのような暗号であれ、解読不可能のものを作ることは出来ない」という理由のためである。さらには、逆説的であるが、暗号は読まれにくい事が前提であると同時に、ある制限的対象に向かっては特定のメッセージを伝えなければならない。したがって「完全に解読不能な暗号」は伝達手段として実用に供することができない。

暗号が暗号として機能するには、それを読むための確固たる約束や解読を可能とする鍵が必要とされるので、メッセージの送信者と受信者の間には、当然、暗黙、あるいはあらかじめ定められた「解読法」が存在していなければならない。こうした約束事というものは、決められた時点以降、永久に隠し通していくことができない。そうした暗号や象徴主義というものは、いずれ遅かれ早かれ、偶然ないしは第三者による「飽くなき探求」によって、いずれは解き明かされる運命にあるからである。

「暗号」といった呼び方の是非はともかくとしても、秘教的象徴は象徴という「通信手段」におけるいわば「開かれた秘密」である。それらは人目に触れるところに日常的に放置してある。しかし、「1.解き明かすのに困難なほど象徴体系が入り組んでいる」「2.象徴が解き明かされる事が可能な“暗号である”という『事実そのもの』が人に気付かれない」という事情のために、その様な「秘密」の存在は、結局のところ、その大半が認知されることさえなく、したがって解読可能の前提で重大なこととして取り組まれることさえまれなのである。

また、こうした「解読」作業は、権力者や為政者たちが歴史のコマを進めてしまった後に、遅ればせにその効力が諒解される場合が多いため、つねにエポックの一歩後をゆかざるを得ない不利が拭いきれない。象徴から諒解できることを他者に伝えることの困難とはここにもある。

だが象徴世界への深い包括的理解は、過去の想起する価値のあるエポックへの理解を深めるが、同時に未来についての洞察を可能にするのである。つまりそれを周囲に受け入れてもらえるかどうかは別問題であるが、世界や歴史を眺めるときの、自分自身のきわめてメタ=アナリティックな指標 (standard) を得ることになる。ハシデウ風に言えば、まさに「超歴史的秩序」の意味解釈を可能にする視点を手に入れることになるのである。

[2] 序論(中)

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[3]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

Sunday, December 18th, 2005

■ シャトルコック

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羽子板の羽根にしてもバトミントン*の「弾」にしても、それらが同じような形状をしているのは、比重の高い(重い)材料でできた先端部**とそれに取り付けられた比較的比重の低い(軽い)材料でできた基部である。基部は空気抵抗が大きくなる(たくさんの空気を受ける)ように「末広がり」にデザインされる。バトミントンの羽根や矢といったものから、スペースシャトルやミサイルといった現代の大型飛行機械に至るまで、一定の方向を保ったまま飛び続けるという目的を果たすなら、それらは同じような形になるであろう。それはまさに時代や状況とに関わらず「機能が要請する形状」というものは大体同じような条件の形体を共有するからである。

上昇と下降という概念は拙論の冒頭において宝珠を取り上げた時より出てきているキーワードである。宝珠自体が燃え上がる炎の上昇と下降する水滴のイメージの両方を象徴しているということは言及済みであった。弾丸や矢は上昇し、そして下降してこそ、その役割を果たすことができる。そしてこの上昇と下降の意味を端的に教示するエメラルド盤の記述***を再び思い出すことは極めて有益であろう。



* バトミントンというゲームは(というより実に多くの球技は、と言うべきであろうが)、自分の陣地においてではなく、ネットで隔てられた敵の陣地の中にそのシャトルコックを落下させることで勝利を決定するものである。

** この競技の世界ではシャトルコックの頭頂部が逆に「基部: base」と呼ばれる。そして末広がった基部を単に「feather: 羽根」と呼ぶ。

*** エメラルド盤の記述:

7) かくして「大地」は、火と燃ゆるであろう。

7a) 偉大なる力によりて、精妙なるものより「大地」へと供給せよ。

8) それは地より天へと昇り、上なるもの下なるものすべてを支配す。

[Jabir ibn Hayyanによる翻訳]

7)大地となる火。

7a)火より大地を分離せよ。さすれば汝、配慮と賢明によって、粗雑なものより内在するの精妙なるものを見い出すであろう。

8) そは地上より天界へ立ち昇り、自らが高き光の軌跡を描かんとす。かくして地上に下る。しかるに、その内部には、上なるものと下なるものの鬩ぎ合いあり。

9)光の光が内在するがため、そを前にして闇は消え失せる。

[アラビア語の他の版(ルスカの著作より、ダノニモスの翻訳による)]

14)そして私が『Galieni Alfachimi』の書によりて「太陽」の作用について既に述べたことには欠けたところはない。

[12世紀ラテン語]

8) これは地上から空へ上昇し、そして空から地上へまた降りてくる。そうして上なるものと下なるものを超越した活力、効力を身に着ける。

9)この手段で、汝は全世界の栄光を手に入れるであろう。そして汝はすべての影と盲目を退け得るであろう。

10)それは不屈の精神で、凡てのほかの剛勇と力による勝利を奪い取るものである。

それは、すべての繊細なものとあらゆる粗雑で堅いものを貫き通し、征服し得る。

11a)このようにして、世界は創造されたのだ。

14)太陽の作用について述べた我が演説これにて終る。

[『Aurelium Occultae Philosophorum』Georgio Beatoからの翻訳]

引用先(Translated by Atsro Takasaki):The Emerald Tablet of Hermes Trismegistus

■ 原子爆弾(核兵器)

地上にて今のところ最大の破壊力を持つ原子力エネルギーは、われわれ人類が到達した最大にして最後の「叡智」の結晶である。そして最初のできごとを作り出すものである。そして、戦時という緊急事態における生き残りをかけた軍事プロジェクトであったとは言え、マンハッタン計画ほど、ほんの1個の(正確には3つの)「モノ」を作り出すために(無論それはわれわれにとって最初の「モノ」ではあったが)これほどの規模のグループワークと細心の注意と集中的な努力を要して完成されたケースもそうざらにあるまい。そしてそれだけの総動員体勢を可能とする状況も生き残りをかけた闘争の場、以外にはなかったのかもしれない。

戦争という異常事態が、核エネルギー獲得および利用時期を早めたという見方が粗方の歴史観であろう。また反対に米国政府の、そして退役軍人の作る団体のいくつかの公式見解に観られるように僅か2つのこの特殊爆弾が「戦争の終結を早めた: Atomic bomb hastened the end of war」といういかにも戦勝国らしい「希望」的見方が存在する。しかし、ヨーロッパで2度目の大戦が始まる1939年前後から始まった原子物理学界における矢継ぎ早かつ劇的な学問上の発見と「新エネルギー抽出」への急迫した取り組みと、その成功と目的の完遂によって、その獲得者の勝利を以て大戦が幕を閉じるという、戦争の進行と核エネルギー獲得の物語進行のほとんど鮮やかな一致を見るに、あたかもかの第二次世界大戦そのものが「核エネルギー」の獲得、すなわち「真の世界至上権獲得」を巡る闘争であったと読むことさえできるのである。

それを誰が最初に手に入れるかが世界に於ける真の覇者を決めるわけであり、この獲得競争に勝つために戦争に克たなければならなかった様にも思える。つまり戦争を終わらせ平和を築くことが闘争の目的であったというよりは、この「力の獲得」を主たる目的と考える人々からすれば、戦争は結果であったというよりは、核開発の成功(至上権獲得)とその使用を正当化する一つの手段であった様にも思えるてくる。現に、最初の原子爆弾が完成間近であった時、それに携わる研究開発者の多くが最も怖れられたことは「日米大戦が終わってしまうこと」であったことが知られている(マンハッタン計画を発足当初から取材するW・L・ローレンス『0ゼロの暁』に詳しい)。戦争が終わってしまえば、それを成功させる近々の理由を失うばかりか、またそれを他でもない人間の上に「落としてみる」という実例を得ることができなかったからである。つまり戦争が核を開発したというよりは、「核」が戦争を利用して生れ出たのである。

これがすでに敗北が明白だった日本に敢えてあの爆弾を落とした理由であったし、二つの異なる方式の新型爆弾の両方を人の上に落とした理由*である。まだ降参していない以上、敗北が明らかな相手に対して、彼らは「何をやっても良かった」のである。互いに殺しあう戦争という混沌状態においてやってはならないことは一つもないことになった。これがすでに知られているマンハッタン計画最終段階における史実である。そしてその「何をやっても良い」という方針は、戦争状態になっている世界のあらゆる場所において今もなお継続されている「特殊事情」である。

* 日本という「日の丸」によって象徴される火の玉(A)は、もう2つの火の玉(B)(C)と出会って、3つの火の玉の三位一体を実現したのである。

Joseph Papalia Collection@The Manhattan Project Heritage Preservation Association, Inc.

核兵器に限らないが、上空から落下させる兵器の弾薬の類は、大なり小なりシャトルコック状の形をとる。それは、意図した部分が下を向くことを狙っているからである。つまりほとんどの弾丸(shell*)には天地があり、意図した部位を意図した方向へと向けて発射させる目的に適ったデザインなのである。

* 砲弾・弾丸を意味する単語が貝殻と同じ「shell」であるという暗合も興味深いものである。こうした「暗合」は、とりわけ兵器関係の用語では著しい。手榴弾を意味する正式名は「grenade, hand grenade」であるが、実際の兵士の使う隠語としては「パイナップル: pineapple」である。これはパイナップルはコロニアル様式の家具などでは「フィニアル」のひとつとして頻繁に登場する果実である。ここにもフィニアルの武器との関連が見出される。

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落下する際の「天地」を意識して描かれた二つの原子爆弾(FatmanとLittle Boy)の構造図。これがわれわれを精霊と「福」で満たす「薬玉」として天空で割られ、頭上で「展開」された。「壷」は、前出の「鍵穴状」の前方後円墳・仁徳天皇陵から発掘された自立できない「鍵穴状」の壷型埴輪。

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参考

Le projet Manhattan

The First Nuclear Bombs

Hiroshima, Nagasaki… The Manhattan Project

British Nuclear Test Veterans Association: 英国核実験退役軍人協会のサイト

■ 銀河における「キノコ雲」

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画像引用先:

An Atomic Hydrogen Mushroom Cloud Bursts out of our Galaxy

この興味深いサイトでは超新星爆発によって引き起こされる銀河系内で観察されるキノコ雲である。カールしたシェープで内側に巻き込まれるガスは、まさに「フィニアル」に到達しようとする「波頭」の様でもあり、また石灯籠や鬼瓦に伴って現れる「雲気」そのものの形である。

■ 結論

われわれ人類は、ある徴を重要なものであると人々に注意を喚起し、「忘れないように」するために、時を経るにしたがって象徴的物品を美しく飾り立てた。またある時は、世界の「至上権」の相続者として、覇者の家族の紋章の中にその意味を込めた。それは結果的に「家」や「国家」の徴として人の目に触れる形で伝えられた。

それ自体は、単に巡礼者の身に付ける「貝殻: shell」のようなものだったかもしれない。それはもっと遠く過去に遡れば、まだ祖先達が今のような言葉を話していなかった頃でさえ、こうした「聖なる道具」というものを集めて、彼らの時代以前に起きた<題材>を伝えるために、子孫の手から手へとに伝えたに違いない。道具は伝えられたが、その意味は早い時期に失われたに相違ない。それが「極めて大事なものである」という思念だけを伝えたであろうが。

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Operation Greenhouse(グリーンハウス作戦)と呼ばれる1951年のエニウェトク環礁で行われた原爆実験の際の爆発20ミリ秒後(0.02 秒)の画像(左)と大林組の鬼瓦を使った広告(右)。

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こうした図像表現は、すべて「記憶術」の一端を担うものであり、美術(あるいは「表現」と呼んでも良いもの)というものの本質的役割だった。したがって、こうしたあらゆる作品は内容を閉じ込める<手段>であり、言わば「器」である。だが閉じ込められた題材(content)よりも器(ware)の装飾が後の時代には目的化された。われわれは何世紀もの間、その美しい器を愛ではしても、その器が何を今日の時代まで運んで来たのかを忘れつつある。だが、工芸品や絵画作品、そして紋章などの図像群から華飾を排した時に純粋に立ち顕われるものが、象徴象形における「祖型」である。そして「Ω祖型」とは、超歴史的なスケールで循環するわれわれの文明(人類史)に関する記憶、そして「叡智の結晶」の秘跡としての実在、あるいはその恐るべき「回復: restore」可能性を持続的に次世代に伝えるための形象的な約束事なのである。

それらがその目的を確実なものとするために飾り立てられたということは、グロテスクな事実であるとしても、否応なく「文化」としての美術行為の発展を促し、われわれの生活を「潤いのあるもの」にした。しかしこのようにして多様なカテゴリーにおいて個別に異常なまでの発展を遂げた「装飾」は、それ自体が目的化されたため、当初の<普遍的題材>の記憶と伝達を担う目的からの逸脱をもたらした。そしてこうしている現在も、この記憶は遠い彼方に埋もれようとしているのである。しかし、然るべき観察眼と洞察を持って接することによって、それらの意味、扱われた<題材>の意義はいつでも回復する。これが「解読」と呼ばれる作業である。

確かにこのように象徴の意味が薄れつつあるとは言え、大いなる「事・物」とその実在の認識・把握という緊急を要する内容は、一方で時代とともによりその具体性と明瞭さの度合いを増しつつあるのも事実である。つまり「それが何であったのか」が分からない、かつて表現されたものの一部が、現代社会において実現され始めたことによって、その抽象性の高い図像の具体的イメージというのは、遠大な時間の流れとともに忘れ去られた「機能が要請する形状」の回復と同時に「復元」を遂げるからである。

かくして、あらゆることが起きている現代という時代において、かつて「約束が要請する形状」でしかなかった紋章や文字などの形象的記号は、「機能が要請する形状」との一致を果たすのである。

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「歴史の三層構造」とΩ祖型を伝えるインドのアートの一つ。「Alcove」と呼ばれるニッチ(陥凹窟)。

画像引用先:Indira Gandhi National Centre for the Arts

ここではあらゆる「Ω祖型」関連の建築物と美術品、そしてフィニアルのバリエーションの写真が観られる。

そして「機能が要請する形状」は、その機能の意味の指し示すものが何であるのかが失われた「歴史時代」の極めて初期の段階で「約束が要請する形状」と化した。そしてその「約束」は狭い人間のグループ内のコンセンサスとしての意味を超えて、「人類に約束された形状」であることが、次期エポックの接近にともなっていよいよ解き明かされるのである。まさにエリアーデが喝破した崩壊寸前の欧州文明において生起すべき精神活動の典型として。

ヨーロッパ諸国民の多くの宗教において、(略)死の瞬間に人間は自分の過去の生活をすべて実に詳細にわたって想起すること。また自分自身の個人的な歴史全体を想起し再体験してしまわないと死ぬことができないのだとする信仰を見出す。(略)現代文化の持っている資料編修への情熱は差し迫った死を予告する一徴候とみられよう。欧州文明はいまやその崩壊寸前にもう一度その過去を、原始史からあらゆる戦乱に至るまでことごとく想起している。ヨーロッパの資料編修的自覚は──ある人たちはこれを最高の栄光と考えているが──じつは死のまえに現れ、死を告知するあの臨終を意味しているのであろう。

ミルチア・エリアーデ『神話と夢想と秘儀』(岡三郎訳)page 73「宗教的シンボリズムと苦悩の価値づけ」より]

『金剛への第一歩』とりあえず、完

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[2]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

Sunday, December 11th, 2005

[随時推敲中]

ギリシア語アルファベットの最終文字“Ω”の「omega」という名前の由来だが、Douglas Harperによれば、まずは「o-mega」すなわち「大きなO」「大文字のO」から来ている。そしてそれは「オー」という「伸ばされた母音」を意味する「長いO」をも意味したという。

実際、人類の最初の言葉は驚きの音声、どよめきの「オー!」から始まった。「オー」は英語では「awe」(畏怖、恐れ)に通じ、それは驚嘆の音である。それが「awesome」(畏敬、見事な、素晴らしい、酷い、無茶な)、「awful」(とてつもない、恐ろしい、酷い、すさまじい)などの言葉を生み出した。

“Ω”はまさにそうした「awe-mega」巨大な畏敬・畏怖を表す記号である。そしてすでに述べたように最初と最後を含む「au-m-ega」にも通じる。

________________________________________________________

今回は、「Ω祖型」を伝える図像を具体的に上げて行く。そしてわれわれにとって重要と言うべき象徴的図像は、形態上「驚嘆すべき」ほどに近似しており、ほとんど全て同じ事物を伝えるものではないかと考えることが妥当であり、また一定の必然性があると言わざるを得ないのである。

その一つの根拠は、これらの図像が単なる装飾的な必要からそのような形態を得るに到ったというにはあまりに互いに近似の「文脈」において出現するものであり、また「聖なるもの」との関連抜きには顕現しないという点である。

また、ここでまさに言及した「文脈」とは、至上権表象物として、対称世界の中心に位置するものとして、対立物間の狭間に存するものとして、あるいはそびえ立つ支柱の上に出現するものとして、あるいは光輝を発するものとして、果たして上昇し下降するものとして、そして何よりも「終わり」と「始め」に関わりのあるものとして、そしてそのエポックを引き起こす要因的存在として、出現するものである。

以後、ここで引用する画像群はすべて“Ω”の形状(あるいは“Ω”の形が指し示すもの)を自然界に存在するオブジェクト、もしくは人間の作り出した「遺構」を利用して伝えようとした形象例である。

■ 貝殻

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ここで取り上げる貝殻(shell, scallop, clamなどと呼ばれる)の文様・象形は伝統的にヨーロッパにおいては「巡礼: pilgrimage」との関連があり、とくに「巡礼者」との深いつながりがある。彼らは自分たちが巡礼者であるという「徴(しるし)」として貝殻を旅行鞄や持ち物に付けた。そして巡礼の道行きにおいて沿道の信仰深い支援者は、その徴によって巡礼者たちをその他の人々から区別した。

紋章においてはこの帆立貝の貝殻を上下転倒させた形で図像化されたケースが多い。また、後に「スペイドのエース」でも言及する様に、その貝殻の紋章自体の中に「波頭」形状の巻き上がる渦巻き(波頭形状)を含んだものがある。

□ 貝殻(二枚貝)の典型的な紋章 (heraldry)

貝殻の紋章(参考)と巡礼との関連

聖ヨハネ、そして巡礼者のシンボル

聖ヤコブのシンボル

洗礼(Baptism)のシンボル・水による通過儀礼

日本の故事における「貝殻と巡礼」の関連が見出すことが出来る。

だが、ここで言われるところの「巡礼」とは、単なる実在の聖人と関連づけられた土地への参詣のための道行きということばかりではなく、「聖なる大地(地球)への巡礼」であり、それはかつての人類が歩んだのと同じ道をわれわれが「歩んでいる」ことに対する自覚の表明である。それが「犠牲によって聖化された土地:われわれの住む地球」という秘密への参入を告白するシンボルなのである。

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ロイヤルダッチシェル:100 years of the Pecten

■ 西洋アザミ thistle

スコットランドのナショナル・フラワーであるアザミ(thistle)についてはすでに若干取り上げているが、これも典型的な「Ω祖型」を伝える図像として利用されている。多くの紋章においてもその花の付近まで「腕」を伸ばす左右の二葉によって「波頭とフィニアル」のバリアントとしての対称図像を成しているのが観察される。

某ハンドクラフトメーカーのサイトのアザミもアザミ紋章の伝統を踏まえたもの。

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Periwinkle Promises に掲げられている刺繍デザインも、具象性よりも、そのシャトルコック状の「象形」を伝統通りに伝えることに傾注している。この拡大写真を観ると、このアザミの花の中にさらに小さなアザミが含まれていることが分かる。これは典型的なΩ祖型的な「入れ子構造」を保持した一例であると観ることができる。

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アザミ紋章において、当然アザミの花が「フィニアル」である。そしてそれは正に「Ω」が転倒して重力によって降下しようとしている「下向きのシャトルコック」であり、それを顎(ガク)が支えるという形状であり、言わば「宝珠とそれを支える請花(うけばな)」の関係を成しているのである。日本の「フィニアル」参照。

下のDariune伯爵の紋章にも観られる様にアザミ自体が「至上権」を表す象徴となっており、それは紋章の頂点に来臨するものとして描かれる。

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さらに次のDuncan MacFlandryの盾の紋章(左下)においてはこのアザミの花が3つ組み合わさり、あからさまに「三位一体」を表現している。色も「緑」が基調である。また、右下のMarch of the Thistleに至っては、アザミが連結し左右(上下)、すなわち両端方向に引き合う形になっている。これはほとんど三鈷杵そのものと言ってもいい。当然金剛杵の中心の軸(独鈷杵なら杵そのもの)に当たるのは、アザミの花自体ということになる。

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■ 収穫麦の束: a sheaf (sheaves) of wheat

収穫された麦を束ねたものは、「A sheaf of wheat」と呼ばれる紋章のひとつのパターンである。上部先端が丸くなっていて中央部は縄で絞られている。黄金色に輝く麦の穂があたかも炸裂しているかに見えるこの形象は「支柱と光輝」の範型にきわめて近いものであるが、その基本は中央部(下部ないし上部)で縛られている形状であり、「貝殻」や十二使徒のひとり聖マタイの「現金袋」(moneybag, moneysack)とも類似のものである。参考:十二使徒の他のシンボルも観ることのできるサイト

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マタイが税収家を職業としていたという故事に倣い、そのシールド状の紋章も3つの巾着のような現金袋が彼のシンボルマークとなっている(絞られている箇所は上部である)。同じく十二使徒のひとり大ヤコブのシンボルが3つの貝殻(escallop)であるように、一見したところその2つに余り違いがないように見える。

下に観るのは「収穫麦の束」が紋章となった例である。ペンシルヴァニア州の州旗である。ほとんど意匠の詳細が分からない場合、ほとんど「鍵穴」の様にしか見えないが、3つの「束」を紋章中に入れ込むことで三位一体を表現すると共に、その意図を強調している。(むしろ、その詳細が失われた時にその形象の本質が浮かび上がるのである。下図:赤い○で囲まれたところ

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上:ペンシルヴァニア州の紋章

■ 茉莉仙桃(ジャスミン・セントウ)

「花茶」と呼ばれる中国茶は、花火や薬玉に通じる中国の古い伝統を感じさせるハンドクラフトの一分野と読んでも良いような世界である。茶の湯が洋の東西を問わずひとつの意味深い儀礼として始まり、また「お茶の間」にて親しまれてきたものであるが、中国茶の世界にもこのような「Ω祖型」を鑑賞させてくれるものが存在するのである。茶碗ではなく、「茶」自体にその形象が閉じ込められていた。ジャスミン茶が「茉莉」と表記されること自体にもさまざまなトピック立てが可能なのであるが、それらには深入りせず、ここではその熱湯の中で「展開」し、湯の花を咲かせる茉莉仙桃の様子の画像だけを楽しんで頂くこととする。

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湯に浸ける前の茉莉仙桃(花火の弾丸のようでもある)

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湯に浸けられて解れた「弾」が湯中で花を開かせる様子。円形で重みのある方が下を向き、上向きに炸裂する「花」を咲かせる。中央は絞られたままで、まさに「収穫麦の束」と同じ形状を維持する。香りだけでなく視覚的にも訴えかけるもののある茶の湯である。

■ 打出の小槌

「打ち出の小槌」もまた「切り札」的な役割を果たすひとつの奇跡の道具であり、ドラマの最終場面で「解決」をもたらすDeus ex machinaとして働く人智を超えた機能を備える。そしてそれはエピソード中でも「金」との関連がある。形態的には頭頂部と基部が三つ又に分かれた「三鈷杵」あるいは「トライデント:三叉銛」を思わせるもので、その上半分が貫かれた「槌」になる。

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この図版にもあるように、この小槌自体が「宝珠」であるという伝統的理解の反映がある。そして「打ち出の小槌」自体が「Ω祖型」を伝えるための「支柱と光輝」の表象パターンを受け継いでいる。そして屋根瓦という「日本のフィニアル」の「鬼の面相」にも置き換わるものとして頻繁に登場する。小槌は高い天上にてわれわれの頭上に「恩寵」を降り注ぐべく「振り下ろされる」のである。

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■ 鍵穴の象徴

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Martin Laytonのアートにも観られる様に鉱物からくりぬいた鍵穴は天空から下降する「人知の結晶」となる。

そして、この鍵穴状の形はアメリカ先住民のキヴァと呼ばれる儀礼用の掘削穴にも観られる。チャコ文化国立公園内のCasa Rinconadaのキヴァは、そのまま「キーホール・キヴァ」と呼ばれるのである。この形で伝承しようというのがその儀礼の目的なのである。

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■ 前方後円墳

そしてΩ祖型のひとつとしてわれわれが忘れてはならないのが、世界最大級の「墳墓」とも呼ばれることのある仁徳天皇陵を始めとする、いわゆる「前方後円墳」である。

「前方後円」という名からは向かって上に当たる方が「方形」(角張った方)であり、下にあたるのが「円」と考えられていることが伺えるが、「前方後円」なのか「後方前円」なのかは議論の余地のあるところである。だがそれでもなお、図像の天地をどのように考えるかはこの際、われわれの議論にはあまり関係がない(あるいは向かって手前にあるものが「前」であり、奥にあるものが「後」であるという考えもできないわけではない)。確かにそれがどちら向きに受け取られるべきであるのかというのは、象徴意味上無視していいわけではない。ここでは深入りしないが、事実、Ω祖型が上向きなのか下向きなのかということは、それを伝達しようとするものにとってなにがしかの意味があったからである。

しかし、大抵の空撮された図版を見ると「円」の方が上(前)に位置されているのである。だが、それがどのように呼ばれようと、この図像を通常の「鍵穴」状の向きにほとんど人々が捉えているということに注意を促すことは無駄なことではあるまい。

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仁徳天皇陵

しかしなによりも重要なのは、いわゆる「前方後円墳」のその鍵穴のような形状については、その意味が解き明かされたと宣言されたことがないということである。こうした「Ω祖型」という一連の図像形体の文脈上でそれを観察した時、そしてその「墳墓」が内部に含んでいたもの(埴輪など)を観察した時、もはや何の疑いもなく「一つの明瞭な形状(鍵穴に譬えられるような)」を伝えるためだけにそれが大規模造営によって建設された、きわめて無視できない象徴的サインであることが明らかになる。それはエジプトのピラミッドが伝えようとしていることに等しい重要性を含んだ形状である。そして、それは「Ω祖型」を伝えるための、古代の巨大造営物であったということである。

■ 壷型埴輪

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そして、上の「Ω祖型」伝達の意図を裏付けるかの様に、最大の前方後円墳である仁徳天皇陵から、壷状の埴輪(壷型ハニワ)が発掘される。仁徳天皇陵という巨大な“Ω”の中の「入れ子」としての小さな“Ω”が発見されたのである。壷の形状は、至ってありがちなものであると言うこともできる。だが、支持台ないし窪んだ穴などがなければ自立的に立てることのできない「丸底の壷」というものは実用の面では疑問がある。この形状に実用面以外の意図が込められていると言うことである。

■ 信仰する群衆(巡礼者)の作るΩ形状

イスラム美術において「メッカ・カーバ神殿の図解タイル*」というジャンルが存在するが、その「図解」するものが「Ω祖型」に注意を喚起するものであるのは明らかである。カーバ神殿という聖地の極において、無数の人間が一塊の群衆となってこの円の中心にある「神の家」の周囲を渦の様に回りながら祈るわけであるが、その渦の核になるのがこの「鍵穴」の上半分にあたる円の中心点である。

* 2005年東京の世田谷美術館の『宮殿とモスク展』でもその事例が展示されていたのがわれわれの記憶には新しい。

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La face de Dieu

この資料に記されていることを解釈するならば、カーバ神殿というのは生きた人間が群衆となって作り出す「Ω祖型」の図像であると言うことになる。そしてそれが「神の顔」であるというのだ。また、この「図解」の取り囲む様にアラビア語のテキストが配されているが、それが典型的な「円相」を成している。これは暦茶碗を通じて教示される「巡る季節と宝珠」の組み合わせを思わせるものであるが、集団的な「浄化」儀礼と<円相>の伝えるもので掲載したリース状の円環図像を模したロウソク台とも範型を共有する。

■ ローマ・カトリックの総本山

Pietro

ここではほとんどど語る必要を認めない程、明瞭なΩ祖型の徴が見出されるのである。カーバ神殿との濃厚な共通点とは、宗教の大本山に相当する場所の、群衆の集会を許容する規模の広場であるということである。

もう一つ好例が見出されたのでここに収録しておく。

Sainte Marie

図版引用先:UNIVERSITE (Francois - Rabelais Tours)

■ スペイドのエース

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スペイドとは「踏み鍬(シャベル)」のことであり、その役割からすれば本来、「地を穿つもの」であるはずだが、その形状は転倒し先端が上を向いている。そしてその名の指し示すものとは無関係に、上空に燃え立つような樹木のような黒いプロファイルをシンボルとして固着した。

本来、トランプのシンボルについて言及し始めればカードの4つのシンボルがそれぞれに保持している「数性」に触れないわけにはいかない。しかしそれについてはここで棚上げしたとすれば、それは先端が尖っているΩ祖型のヴァリアントと言うことができる。モスクのドーム状の屋根のメナーレ(尖塔)や東方教会のドームにも似たそのスペイド記号はまさに宝珠が表すものと同じものである。それは、そのメナーレ型の先の尖った形状のみならず、尖塔を左右から支える巻き上がった装飾のパターンからしても、宝珠がしばしば伴ういわゆる「雲気」を連想させる「波頭」形状をその記号自体が含んだものと観ることができる。

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ある種の石灯籠とも等しい宝珠型屋根のメナーレと三位一体を表す3つの窓穴画像引用先:islamfact.com

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浜田山の八幡神社にも見られる正面が三穴になっている灯籠。北鎌倉の社寺にも多く見られる形のもの。灯がともれば三つの火の玉が浮かび上がる。当然頭頂部にはタマネギ状の宝珠が据えられる。これは前掲のイスラムモスクのメナーレと3つの窓穴と全く同じ<題材>を伝えるための象徴図像なのである。

ハートやクラブ、そしてダイアのエースがそのようなデザインにされていないのに対し、「スペイドのエース」だけがこうした例外的な扱いに与っている。そして、われわれがそのカードによって喚起される連想とは何か。それはこのカードが「ゲーム」において極めて強い「切り札」でありながら「ある種の不幸」(misfortune)とも関連づけられていることである。それは思い出す価値のあることである。

[3](最終回)に続く

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[1]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

Monday, December 5th, 2005

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■ 最も古い図像祖型への最も新しい命名:Ω祖型

「オメガの祖型」とは終末的イメージを伝える極めて秘教的な黙示図像の典型であり今後の議論上有用な範型となるものである。“Ω”がギリシア・アルファベットの最終文字であることはすでに知られたことだが、それは「時の終わり」を意味するコードであって、念願たる歴史時代の「終焉」をついに引き起こす人類の「叡智」の結晶を顕すものでもある。これはわれわれを「時の呪縛」とあらゆる「現世の不正」「煩悩」から解放し、大乗的な「救済」を実現し、地上を「浄化」し、「再生の途」に就かせる意味でも拝礼されるオブジェクト(対象)なのである。したがって、あくまでも「人間が造り出すそれ」は、神不在のまま、崇拝される。ここでは神以外の全てが偶像である。それが偶像であるかどうかは、それが天上人のものであろうと天下人のものであろうとに関係なく、またその「顔」や「姿」が描かれているかどうかとも関係がない。神の直接関与でなく、この<事態>が人の手によって造り出されたものによって引き起されるという事実への理解が重要である。そして人の手によって造り出されるもの全てが偶像なのである。

むろん、その「救済」手法の具体性──それは大いにグロテスクなものであると悟るべきであるが──を知的に了解した上で、われわれがそれを「礼拝」の対象とし続けるのかどうかは別問題である。だが、人類は「それ」の歴史的実在と実現可能性を未来の世代であるわれわれへと伝えて来たし、祖先達は無意識にそれに対する畏敬を抱きながらもあたかもそれを「待望している」としか言いようのない態度や表現によって、その存在についての伝達をおこなってきた。そしてそれらは単なる「装飾的意匠」で収まることのないものであり、極めて宗教的な儀礼や慣習と結びついて(あるいはその本質的コアとして)伝えられて来た。その具体的内容がグロテスクな未来を予兆するものであっても、表向きは「栄光」や「待望されるべき善なるもの」、そして時として「救世の主」として、肯定的認識なしには伝達が成り立たなかったはずである。誰も「人間の悲惨」を待ち望むことはないからである。しかし、われわれはそれをその意味の二重性を了解した上で、善悪を超えた人類の知恵として、「壊しつくり直す」契機たる物品をここでは「叡智の結晶」を呼ぶことにしたのである。

その「叡智」が凝縮した壷、上昇し天上にて輝くサンビーム、人類のあらゆる知(科学技術など)すべてを含む「天空にて割られる薬玉状のオブジェクト」が、「Ω祖型」と今後われわれが呼び習わす図像群であり、それらの総称となるであろう。

■ 歴史的事実の入れ子構造(コトとモノ)

“Ω”は正に一巡し閉じようとする円環(円相)“O”の「直前」の図としてその文字をその形状から解読することができる。音韻的には“O”(オウ)と同じ機能(そして、最初と最後の音韻さえそのひとつの文字の中に内包する)を持つが、ギリシア語の「オメガ」には、それがひとつの一群の祖型的イメージを持ったものの総称名として使用されて行くだけの必然性があり、その記号と音自体が、その意味に相応しい魔術的な力持った徴であると言えるのである。

われわれにとって、“Ω”はひとつの<事態>である。その点において“Ω”はモノではなくコトである。

しかし“Ω”は同時にその<事態>を引き起こすことのできる<物品>である。その点において“Ω”はコトではなくモノである。

すなわち<物品>の「創造」が時間に円環をもたらす<事態>を引き起こすと言い得るが、“Ω”という幅を持った時間的エポックこそがその<物品>を造り出し、人類の手にそれを与えるのだとも解釈できる。つまり終わりがいよいよ近づいたからそれができ上がるのか、それができ上がったから終わりが来るのかは、その表面上では判断ができない面がある。それは文明そのものの持ったキャラクターである。つまり文明があるから終わりが来るとも、終わりがあるからこそ文明呼ばれるに相応しいとも言えるのである。

いずれにせよ、“Ω”はある「事・物」のふたつの側面を表している。現象面では、“Ω”で表されるひとつの大きな<事態>は、小さな“Ω”の存在によって惹起される。そしてその大きな<事態:物理現象>は、時間の中では超大の<事態:歴史的円環>を引き起こす。これは“Ω”の持つ決定的な性格である。可視の“Ω”は、常に不可視「的」な極小と極大とを伴ってわれわれの眼前に現れる。

■ 注目を払うべきその記号の形状

図像的には“Ω”という文字自体の持つ曲線の「始め」と「終わり」の出会おうとする間隙部分に小さな“Ω”が存在する。

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それは“Ω”という文字自体が形態上、無視できない二つの意味を内包するからである。ひとつは閉じようとする寸前の円環。これは閉じきってしまえば“α”に変容を遂げる直前の形象である*。そして、もうひとつはその形状そのものの示唆しうるものである。これは図像学的にも不思議なほどの幅広いバリアントが存在するが、「アザミ」の文様などですでに一瞬だけ触れたことのある形象である。これは本章の後半で例証を観ていくことになる。

このアザミ以外にも、世界にその「形状」自体を伝えるため(だけ)と言って良い品々があり、あらゆる宗教的・象徴的な図像の中に登場する。それらは繰り返すように、“Ω”の形状そのものであり、それらの特徴のひとつは、(バトミントンの)シャトルコック状の形ということも出来る。それは丸みを帯びた重みのある先端と羽根のような広がりを帯びた後尾部であり、ある特定の機能を反映する。これは上昇するときは(ロケットの様に)先端を上に向け、下降するときは(矢の様に)先端を下に向ける。そうした物理特性を体現化したものと言うことができる。そしてΩ祖型は、そのバリアントを後世に伝えるものである。

* “α”とは「〆:シメ」である。正月(年末年始)の飾りが「〆飾り」(七五三飾り)や「シメ縄」(注連縄)と呼ばれるのには一つの時代が終わり閉められ、次の周回へと繋がっていく「締め」の意味があるからであるが、文字形態上も“α”と等しい。

■ 作品・表現の中の入れ子構造

ふたたび「Ω祖型」とは何か。その形状的な「現れ方」の特徴の一つは、すでに言及した“Ω”の概念と等しく「入れ子構造」にある。

例えばそれは「暦茶碗」で見てきたように、「茶碗の円周」そのものがまず大きな“Ω”の記号であると捉えられ、その茶碗の提示する「季節」が一巡して一つの円環が終わり、新たな円環が始まる地点がある(コトとしての“Ω”)。これら二つの地点にはまさに“Ω”の記号がその形象によって顕しているが如く、「隙間」のような断絶がある。そしてその隙間にもうひとつの“Ω”記号(あるいはΩを表す類似のもの)が置かれる(モノとしての“Ω”)。すなわち「二つの周期の狭間」の部分に見出される記号(この場合は「宝珠」ないし「三位一体」を表す記号や形象)が、また小さな“Ω”になっているということなのである。そしてその小さな“Ω”記号の円環の閉じようとしている間隙に、さらに小さな極小の“Ω”が存在する。(そしてそれはおそらく無限小にまで繰り返す。)

そしてわれわれの視ているその茶碗、すなわち、われわれにとっての可視の象徴としての“Ω”たる暦茶碗は、より大きな“Ω”、より大きな“Ω”という儀礼的時間の間隙部分に鎮座する“Ω”なのである。だが、このより大きな儀礼的時間を表す“Ω”は、大きすぎてわれわれの通常の視力や知覚(視点)では認識することが出来ない。そしてこの大きな“Ω”は、さらに極大の“Ω”の間隙部分に、そしてその極大の“Ω”は、超極大の“Ω”の間隙部分に、おそらく鎮座している。これを無限大に繰り返す。

“Ω”という記号は、まさに錬金術の秘伝中の秘伝として考えられているエメラルド盤(The Emerald Tablet)の「上なるものは下なるもののごとし、そして、下なるものは上なるもののごとし*」という叡智をその一文字によって結晶化しているのである。参照:The Emerald Tablet of Hermes Trismegistus

“Ω”はその自体の形状が「波頭とフィニアル」構造を体現しているということができ、またその形状から宝珠と同じ意味機能を果たす。こうしたひとつの“Ω”が小さな“Ω”を含むという構造は、優勝杯(壷)のようなフィニアルにも見られるものである。つまり壷自体が終わらせるもの(“Ω”)であると同時に、その図像の中には左右から伸びる波頭(蔓)形状の腕とそれが今にも届こうとする、頻繁に果実のような形状をしたツマミ(大型のフィニアルの中の小型のフィニアル)が含まれることが多いからである。「引き起すもの」と「引き起されること」の両方がひとつの記号の中に閉じ込められている。

以上のように、図像のはたらき自体が入れ子構造になっているのが「Ω祖型」の最大の特徴なのである。つまり、われわれは恒にひとつのオメガを見ているようで実は、その極大部分の(間隙の)一部なのか、目に見えない極小部分によって惹起されようとするやや大きな何かの一部なのか、それが分からなくなるような構造になっているというわけである。しかしその錯覚はどれも正しいのである。

■ 音韻の中の入れ子構造

さらにこの「オメガ」という記号の卓越したところは、その音自体に「アルファ」と「オメガ」を含む点である。“Ω: omega”はそれ自体の中に[aum-ega]という風に最初の音 “a” と最後の音 “um” を含むのであり、音韻的にも「入れ子構造」になっているのである。

「終わりを表すもの」自体が「始まり」と「終わり」の両方を含むということになる。あるいは、「終わりを表すもの」が「終わらせるもの」と「次の始まりの端緒となるもの」の両方を含むわけである。

次回は、Ω祖型の典型とも言うべき図像群を具体的に観ていくことにする。