Archive for July, 2011

前原元外務大臣が総理大臣になるだろう理由を垣間みた夜

Thursday, July 21st, 2011

Twitterにつぶやいた内容をこちらに転載。

(前略)浜岡で事故が起きると、アメリカの西太平洋戦略の要衝である横須賀の第七艦隊司令部の機能に障害が出る。それは絶対に許されないことである。だから、アメリカの通告はこう続く。「今ある54基の原発は順次廃炉しなさい。ついては、この廃炉のお仕事はアメリカの廃炉業者がまるごとお引き受けしようではないか(料金はだいぶお高いですが)」。(内田樹「脱原発の理路」 より)

もうひと月も前の樹氏のエセーを引用したのは、たまたま昨夜前原元外務大臣がテレビ朝日のニュース番組のインタビューで喋っているのを聞いていて、樹氏の想像が正しいと思わせる、あまりに優等生的な回答だったからだ。少なくとも今の民意から共感を引き出しつつ、のところが、だ。

あの優等生的な前原の回答は、絶対にアメリカの国益だけは損なわない、ことを決意した人間だけに見出される「立て板に水」の無情を感じさせるものだ。小泉にも通ずるところの。如何にも我々国民の利益と一致しているかのようによどみなく話すところにむしろ不安を感じた。つまり脱原発という一点に関して言えば、日本の政府がそちらに舵を切れると言うことは、日本国内の民意とアメリカの国益が珍しくも一致したと言うことだ。善かれ悪しかれそうなったならば、廃炉への流れは一気に加速されるであろう。原発に関してはもう騒ぐことなど無くなる(?)のだ。だが、それは本当なのだろうか?

南スーダン独立を巡る短い備忘録

Saturday, July 9th, 2011

Twitterのつぶやきをまとめる。

まず大前提としての国家独立のシステムがよく分からない。そして国内での独立宣言の手続きが分からない。国連での独立認可の手続きも分からない。周囲が認めてこその国家だということは何となく分かるのだが。キリスト教徒とイスラム教徒間の分離という文脈があるようだが、むしろ「持てる者」と「持てない者」という構図なのではないかという気もする。

驚く程多くの人々が無批判に「おめでとう」とか言ってるが、「持てない者」があえてリソース豊かなところを排除して独立することはありえないから、結局、「持てる者」が「持てない者」を切り離してリソースを独占することしか意味しないんじゃないか、と考えるがどうだろう?

とどのつまりが南スーダンに利権を持つ周囲の影響力の強い国々が、南スーダンを要塞化して「防護」することによってしか保ち得ない「独立」なんではないか、と疑惑を濃くする。

「人類の進歩と調和」そして「進化」の乱用を巡る短いメモ

Thursday, July 7th, 2011

Twitterのつぶやきに書ききれなかった若干の内容を補足して転載。

高校生のとき、同級の悪友が「人類の進歩と調和」について小論文を書け、と言ってきて、それについて真剣に考えて以来、この言葉については敏感だ(その論題を出した彼は、「進歩と調和は相互否定的な概念であり、欺瞞的なスローガンだ」という当方の回答に非常に満足していた)。

なぜ科学や技術の進歩に「進化」などという生物学用語を和文ライターたちは当てるのだろう。進化できるのは人間以外の生物だけだというのに。そしていつ頃からこの語彙の乱用が始まったのか? もうこの乱用に付き合うのに飽き飽きし始めている。

「人類の進歩と調和」なんていうのはアンビシャス、というよりは何と欲深い願いかと思うが、それでも大阪万博当時の日本人は「(技術の)進化と調和」などとは言わない分別は持っていた。(しかし考えてみると「人類の進歩」という表現も変だ。進歩できるのは科学・技術だけだろう、そもそも。)

人類は、《進化》などという気の長い持久戦を早々に諦めて、外的な条件である環境改変の方に着手してしまった。環境への適応とサバイバルが進化の本質で、自らの変化のことだが、人類は「進化」ではなく、道具である技術を「進歩」させる方を選んだ時点で進化と縁を切った。

実際、考えが一巡してみると、70年代にわれわれはすでに「人類の進化と調和」と高らかに宣べ伝えるべきだったのかもしれない。生物学的進化は緩慢であり、また、周囲との調和無しには実現できないから。少なくとも人類は12,000年間は進化など全くしていない。道具を発達させたために生命的には「退化」した。(実に短期的な出来事だが。)

「食べない」ことを恐れない心

Thursday, July 7th, 2011

Twitterでのつぶやきをまとめて転載。

先進国が飽食を止めれば世界の飢餓が無くなるというのはおそらく本当。医療が病気を生産して医療業界を潤しめているように、われわれの「食べねば」という強迫観念と習慣的過食が食糧・食品業界の繁栄を支える。実はわれわれはわれわれが思っているほどに「食べる」必要はなく、栄養失調の心配もない。

「食べる」というエンタメは、映像の遥か以前に発達を開始した超大産業なのだ。この牙城はそう簡単に倒せない。医療費は国費を圧迫し、医療関係者が食べていけることのためにわれわれは多額の保険料を支払わされている。

医療費の爆発を抑えることのできる最終兵器。イスラムのラマダンのように、習慣としての定期的な「断食:ファスト」を行う。食事を抜いたり食べないことを恐れぬ心理を養成。国民は適度に痩せ、痩せることによって多くの習慣病は激減する。実は長期的には国益にも適っている。