Archive for April, 2007

初恋映画としての映画『パフューム』
あるいは「ある救世主の物語(The Story of a Savior)」

Monday, April 30th, 2007

論じるべきことがたくさんある映画だ…

プルーストの「紅茶に浸したマドレーヌ」のエピソードを牽くまでもなく、匂いというのは記憶の脳と濃密に結びついている。匂いはわれわれを遥か彼方まで飛ばすものだ。また鼻の発生学的な由来から嗅覚と生殖器との繋がりを強調する人もいる。鼻と生殖器はそもそも一体だったが、ある程度成長したひとつの胚の箇所からパカッと二つに別れ別れになったものだというような話である。だが、匂いが性的な連想を強く促す(というか、直接下半身に作用する)らしいということからも、それは正しい可能性がある。正しいとしておこう、ここでは。

Training

『パフューム』の主人公・グルヌイユが殺人者である(特に猟奇的殺人者である)という前提をここでは一旦忘れて、映画で描かれたような一連の出来事がどうして起こったのかというのを考えてみよう。想像の翼を広げることが、あらゆる芸術の名にふさわしいものに対するわれわれの態度であるべきだからだ。

孤独*がテーマの一つであることは、監督のトム・ティクヴァ自身が語っているからそれは一つの捉え方であろうとは思うが、「殺人者は孤独だ」というのは「孤独者は孤独だ」と言うくらい、同義反復で何も語っていないに等しい。映画監督は映画を監督をするのが仕事でそれを説明するプロではない。彼の「説明」は映画の完成とともに終わっているのだ。だから監督自身の言葉を牽いて説明した気になるのは止めよう。それに孤独者が全員殺人者になるわけでもないだろう。

* 主人公が善悪の物差しを手に入れる機会を逸するほどに孤独であったという意味でなら、彼は真に意味で《孤独》であった。そして孤独の意味とは本来そこにある。グルニュイニュはそのような意味で《孤独》であったが、孤独感に苛まれていたというようなことはない。だから「孤独感」が彼を殺人者に仕立てたのではなく、単に殺人がいけない(死んでしまえば、相手も自分もその素晴らしい「匂いの世界」が終わってしまう)ということを学ぶきっかけがなかっただけなのだ。

超・能力的な嗅覚の持ち主が主人公であり、映画の中ではグルヌイユの香水調合師としての成功が後に描かれることになるが、冒頭、年頃になったその彼が、初めて女の甘美な匂いというものに遭遇するのが、すべてのドラマの発端である。

最初の女との出会いが、匂いと結びついて起きたのが彼にとっての不幸であったのかもしれない。これは年頃の人間にとって本来なら「初恋」とも言うべき、わめて当たり前の出来事であるのだが、それは視覚的なものでも聴覚的なものでなく──グルヌイユのその能力を考えれば当然のことながら──「嗅覚的な邂逅」として起こった。我が物にしたいという熱烈なる欲求の対象は、写真のような「メディア」に固着できるような視覚情報ではなかったし、あるいは磁気テープに録っておけるような声のような聴覚情報でもなかった。「また逢いたい」の対象は匂いであったからだ。しかもそれは生きていればこそ、その生身の身体から体温と共に立ち昇ってくる生命的なまさに“エッセンス”であったのだ。

しかも、その初恋は「生殖の何を」知らぬ時期の漠たる憧れの、視覚的な対象として脳内に取り込まれたのではなく、生殖と直接結びついた嗅覚情報として彼の下半身を直接貫いた筈である。つまり「初恋」と同時にそれは彼の新たな生命へのスイッチを入れてしまった。彼の生い立ちや社会状況が招いたのは、生殖能力的な発育の完成と初恋の同時発生である。すなわち、遅すぎた初恋と、嗅覚情報による欲望の明確な対象化が同時に起こったというのが、グルヌイユのケースなのである。

初恋(恋)は通常、その対象が自分の視覚領域(視野角内)に入ってくることを心地よく思うところから始まり、視線の投げ掛けを特徴とする(のだと、私の乏しい、男性としての経験は告げる)。それはやや遠くから眺めるのがほろ苦く甘美であり、対象に余りに近寄ってしまうと大きすぎて視野からはみ出してしまうかもしれないし、あるいは余りに寄り過ぎるとそれは何か妙な匂いを発しているのかもしれないし、はたまた上唇の上には産毛が生えているのが見えてしまうかもしれない。だから(というわけでも必ずしもないが)未成熟な憧れというのはある程度の距離を必要とする。そして、それが視覚領域内に留めておけない時は、代替物がしばらく彼を慰めるかもしれない。だが、嗅覚の強さはおそらく距離の二乗に反比例するのだ。ある地点における対象との距離が1/2になるまで近づけば紅い唇が4倍紅くなることは無いが、対象に1/2になるまで近づけばおそらく匂いは4倍になる。それはグルヌイユを対象へと不慮の接近に陥らせるし、初恋の対象はそうした不意の接近を怖れるだろう。つまり彼には対象へ接近することが必要であり、また対象は彼を怖れるのが必然と言う、いわば針ネズミのディレンマ状態にさせるのだ。

だが、嗅覚領域に入ってくることを条件としなければならないとすれば、それに似たような代替物──ポケットに入れられるような──があり得ない以上、それ自体を固定化して手に入れる以外にない。「固定化」は通常、対象と懇意(ねんごろ)になることが手っ取り早いが、そしてそれは不慮の事故(過失致死に陥ること)によって永久に失われてしまう。それは事故だったのだ。

その後、香りの固定化という探求が始まったとき、法律的には殺人という過程を踏まなければならなくなる。殺してしまうことは手段であって目的ではない。目的は別にあるのだ。やがて狙われることになる娘の父は、聡明なためにこの連続殺人に確たる目的があることを察知する。

香水瓶にエッセンスを入れることは、その代替物の携帯を可能にする。彼は悔恨に苛まれながらも、そのエッセンスの収集を、失われた過去の修復のために行うのだ。だが、彼が手に入れた「もの」はプルースト的な、まったく個人的な記憶の喚起のための鍵であったばかりではなく、万人の「ある錠」を開ける鍵であったのだ。

自己の欲求の飽くなき追求が万人の救済に結びつくという範型(パターン)は、まさにグノーシス主義的な自己に潜り入る探求が、外的かつ全体的な「救済」に結びつくというパターンにも似ている。治癒能力を持っていたらしい《人の子》が、ヨーガの熟達者であったかもしれないという俗説的憶測は、映画で描かれているような「探求者の獲得物」を観るほどに「あったかもしれない」などと思えてくるのである。

面白いことにパフュームの壷は至上権を顕わす「フィニアル」のような形状をしているのだ。それほどかようにその「至上権」を行使する主人公は、救世主然としていたのである。

Poison Finial

参考:頂点の「壷」と「未到の屋根」(クレスト)

ところで副題が「ある人殺しの物語 (The Story of a Murderer)」となっているが、実はこんな副タイトルさえ不要だったのではないかと思う。とりわけ映画においては。むしろ「ある救世主の物語(The Story of a Savior)」でもよかった。そもそも主人公が殺人者であるというのは、「結果」ではあるかもしれないが、彼の本質を言い表したものではないからだ。そして何よりも、彼が殺人者になることをあらかじめ告げられてこの映画を観るのは、その面白味を半減させるものだと思うからだ。

匂いを通じて改悛、じゃない回春を図るというのは、先にも書いたように嗅覚器官と生殖器の繋がりを考えれば納得できることであるが、26カ国の調査対象国中、1年間の性交の回数が最下位だったらしい日本においては、それこそグルヌイユのような人間の登場は「救世」ならぬ「救国の士」となるかもしれない。いや、それこそ「救性主」だ。

As a Savior

【付記】

ダンテの『神曲』をヒントに書かれたというキェシロフスキの遺稿三部作のひとつ「Heaven」を映画化したトム・ティクヴァは、記憶と「過去の修復」といったテーマを『ラン・ローラ・ラン』以来、繰り返している。以前にも書いたが、その『ラン・ローラ・ラン』自体が、「いくつもの過去」という点で、初期キェシロフスキ作品の『偶然』に大きく影響を受けている。今回の映画は、今言及した彼の過去の映画のどれにも増して完成度の高いスペクタクル作品になっている。それは予算その他の事情にもよるものだろうが、そのそうした地位の獲得も、それら過去の作品が正統な評価に耐え得るものであったために可能になったとも言えるのである。彼はそうした幸福を呼び寄せたとも言えるのである。ティクヴァ監督の今回の映画の成功を心から讃えたい。

エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

Sunday, April 29th, 2007

パウロの「転向」… と題しておこう、とりあえず。

222 異邦人のための使徒

彼(パウロ)は福音のメッセージを、ヘレニズム世界になじみのある宗教言語に翻訳する必要があることに気付いていた(略)。(中略)肉体の復活というユダヤ人の大多数が抱いていた信仰は、もっぱら霊魂の不死に関心を持っていたギリシア人には無意味なものに思えた同様に理解がむずかしかったのは、終末における世界の更新に対する期待であるギリシア人はこれとは対照的に、物質から自己を解放するために、より確かな方策を探求していたのである。(略)彼はヘレニズム世界に深入りするにつれて、終末への待望を次第に語らなくなっていく。また、かなり重要な革新がみられる。パウロは、ヘレニズムの宗教的語彙(グノーシス、ミステリオン、ソフィア、キリオス、ソーテール)を使用しただけでなく、ユダヤ教や原始キリスト教に知られていなかった観念を採用している。例えば聖パウロは、グノーシス派に根本的な考え方である、(中略)二元論を取り入れたのである。p. 371-372

エリアーデのこの辺りの記述は驚くべきことで満ちている。パウロがそもそも「転向のユダヤ人」であったことはすでに知られたことであったが、一体何に対して転向したのか、というのが私の中では明らかではなかった。漠然と「ユダヤ教ならぬもの」に傾斜した結果がキリスト教である、というような理解である。

彼はその当時もっとも絢爛たる文化的影響力を持っていたギリシア主義(ヘレニズム)に転向していたのだ、実は。しかもそのヘレニズムはすでに東洋世界(オリエント)と出会った後の、それだったのだ。ヘレニズム的二元論や霊魂の不死の思想は、おそらくそのリソースを辿れば、「ヘルメス文書」などの古代エジプトの時代まで遡れる。だが、物質から自己の解放(輪廻から脱出)をする方法というのは、第一きわめてアジア的である。[西洋世界はキリスト教の成立より早い時点で仏教と出会っている可能性がある。]

また、キリスト教の内部における、その成立時期からあった異端と正統の二勢力の対立というのは、ことによるとキリスト教を産み出すことになったまさに「父」と「母」の対立自体にまで遡れることなのかもしれない。キリスト教の「父」と「母」とはすなわち、ユダヤ(セム族)の宗教的伝統と、ギリシア(ヘレニズム)の近代主義である。延々と続くキリスト教団内部の血で血を洗う政争/神学論争と弾圧は、良く知られたように、ひとつには二元論をめぐる争いと言える。そして正統派が排除しようとしたのは、どうやらパウロが最初に採用していたヘレニズム的な要素であったようにも思えてくる。そうだとすれば、正統派教会がしたのは、そうした国際主義的・ヘレニズム的キリスト教をユダヤ的伝統の世界に引き戻そうという反動だったのかもしれない。

そう考えると、キリスト教は、その「分裂」(スキズム)以前に語らなければならないことがあったことになる。それは異なる文化の「融合」としてのキリスト教という側面である。

「復活のセオリー」の復古や、二元論的カタリ派への弾圧というのは、そのように考えれば納得できるところではある。もちろんこれはまだ憶測の領域を出ないメモの段階であるのだが。

(more…)

「ブルトマン『歴史と終末論』を読む」の推敲

Saturday, April 28th, 2007

R・K・ブルトマン『歴史と終末論』中川秀恭訳(岩波現代叢書)を読むに若干の推敲。

エリアーデ『世界宗教史』の通読をしていると「220 福音──神の国は近づいた」の節でルドルフ・ブルトマンに言及する部分があったので、思わず昨年の4月に書いた拙論を読み返してみる気になったのだ。

Jの陰謀
〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論《目次》

Saturday, April 28th, 2007

#1. Jの陰謀〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [1]

■ 綴り全般の話
■ 歴史的に若い記号“J”

#2. Jの陰謀〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [2]

■ 「J祖型」──ひとつの仮説
■ 聖書における“J”

#3. Jの陰謀〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [3]

■ クリスマス装飾の象徴性
■ 祖型的「自己犠牲」の象徴としての“J”

#4. Jの陰謀〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [4]

■ 20世紀最大の犠牲者“J”
■ 神の名としての“J”:Jah/Yah

#5. Jの陰謀〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [5]

■ 日本──もうひとつの“J”
■ 順列の機能としての“J”
■ 反復される“J”
■ “J”に引き続く“K”
■ “J”に対する概念としての“M”

#6. 関連文:秘儀(密教)は顕教によって伝えられる

エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

Friday, April 27th, 2007

II 巻

212 アルサケス王朝統治下(前247年から紀元226年)の宗教的志向

アルサケス家が政権を奪取した後に明確化された王朝のイデオロギーの要素のなかに、この数世紀にわたって大帝国の辺境で遊牧生活をしてきた、無敵の種族の遺産が示されているということはおおいにありうる。しかし、ヘレニズムの魅力には抗しがたいものがあり、すくなくとも紀元一世紀までは、アルサケス王朝はヘレニズム化を奨励したのである。しかしながら、彼らが模倣しようとしたアレキサンドリアのヘレニズムの中に、多くのセム族的、あるいはアジア的な要素が吸収されていたことを思い起こすべきである。(page 324)

前回も書いたように、ユダヤの教典の中のギリシア的なるものの影響について言及があったが、今回はヘレニズムの中にアジア的なもの、しかもセム族的な──ということはユダヤ(セミティック)的な──ものの吸収について語られている。これはセム族的なものとギリシア的なものが相互に影響を与え合ったと解釈できる部分である。

「セム族的」と言ったのが、エリアーデがユダヤの民族よりも大きな何かを暗示したくて選んだ表現なのか、あるいはまさに「ユダヤ的」ということを控えめに言いたかったのか、その意図は分からない。だが、「アジア的な要素」で思い出すのは、アレキサンダー大王のアジア遠征から遠からぬ時期に、初めてギリシア文化人(王)が仏教の哲学(僧侶)と出会ったとされる逸話である(「ミリンダ王の問い」)。もしそれが伝説以上に信頼できるソースであるとすれば、つまり、もし仏教哲学がヘレニズムに影響を与え、そのヘレニズムがセム族の宗教やその支流(キリスト教)に影響を与えたとするならば、この文化伝播の物語の中に、仏教からキリスト教へと繋がる一本の道筋ができ上がるではないか。

『ヒュスタスペスの神託』は、七〇〇〇年を単位とする終末論的年代記にもとづいてその預言を正当化しているが、各々の一〇〇〇年はそれぞれひとつの惑星に支配されており、そこにはバビロニアの影響がみられる。しかし、この年代記的な図式の解釈はイラン的なものである。最初の六〇〇〇年のあいだ、神と邪悪な霊が覇権をめぐって闘い、邪悪な霊の方が勝利を収めそうになるが、そこで神は太陽神ミスラを送り、このミスラが七番目の一〇〇〇年を支配する。そして、この最終的な段階が終わると遊星の力は衰え、宇宙の擾乱によって世界は更新される。こうして、終末論的目的をもった神話的年代記が、キリスト教時代の始まろうとする西洋世界におおいにひろまることになる。(page 326)

7000年を単位とするという概念には、その期間を等しく千年の単位で分け、七つの部分からなる時代区分を可能にする意味があるが、これはあたかも千年が一日に相当する一週(一周)間と捉えることもできる。実際的には、現在すすめている「数秘学批判」でも若干の言及をすることになるだろう「加速する時間」の法則*によって、ひとつひとつの時代を等分にはできないのであるが、単純化された話としては十分に理解可能である。等しく千年の単位で分けるという「7000年で一周する」一つの円環のイメージは、記憶術的な価値があると看做すことは可能である。それは、複雑な「加速の法則」なるものを、数千年を生き延びなければならない「有史外の記憶」として保持させることは難しかっただろうことを考えれば納得できるだろう。

「終末論的目的をもった神話的年代記が、キリスト教時代の始まろうとする西洋世界におおいにひろまる」については、キリスト教時代の幕開けに先立って、図らずも(?)ある種の地均し的な準備が行われたことが諒解される。そこで、時代性への自覚にスイッチが入る。そして最後のカウントダウンが始まる。そのためにキリスト出現という一大イベントを境に時代が「その前: BC」と「その後: AD」とに区別される。そして、キリストの磔刑によって掲げられた十字架の目印が、歴史を過去と未来に区分けする。そしてわれわれは、その目印が打ち立てられてから、ほぼ誤差なく2000年が経過した時代を生きている。

* ひとつの時代区分は、残された時間の2倍の長さに当たる。実際にこうはなっていないが、時代の加速は2/3ずつ縮まっていくという法則から言うと、下のようないくつかの可能性がある。

1: 8000BC〜2000BC(6000年間:約1万年前から)

2: 2000BC〜1000AD(2000年間:約4千年前から)

3: 1000〜1666(666年間:1000年前から)

4: 1666〜1888(222年間:333年前から)

5: 1888〜1963(75年間)

6: 1963〜1988(25年間)

1: 7000BC〜1000BC(6000年間:約9千年前から)

2: 1000BC〜1000AD(2000年間:約4千年前から)

3: 1000〜1666(666年間:1000年前から)

4: 1666〜1900(222年間:333年前から)

5: 1900〜1975(75年間)

6: 1975〜2000(25年間)

1: 4000BC〜1AD(6000年前)

2: 25AD〜1360AD(2000年前)

3: 1359〜1800(666年前)

4: 1803〜1950(222年前)

5: 1950〜2000(75年前)

6: 2000〜2025(25年前)

1: 10000BC〜2025BC(12000年前)

2: 2025BC〜675AD(4050年前)

3: 675〜1575(1350年前)

4: 1575〜1875(450年前)

5: 1875〜1975(150年前)

6: 1975〜2025(50年前)

1: 10000BC〜2025BC(12000年前)

2: 2025BC〜675AD(4050年前)

3: 675〜1575(1350年前)

4: 1575〜1875(450年前)???

5: 1875〜1969(150年前)???

6: 1969〜2025(50年前)

実際は西暦2000年を境に一つの時代が終わるという単純化が起こっていたが、そのようにはならなかったということ。おそらくプラスマイナス最大で25年ほどの誤差があるのだろう。ここにアップするのが不適切なほど、未検討。

214  時間の終末論的機能

この説のタイトルが示すように、時間というものの概念は文明の出現と供に、と言うことはすなわち変化し変成する人間社会の発生と供に、登場した。そして時間の登場は歴史の登場と同義である。だが変化が単なる変化ではなく、環境の不断の改変を伴う、言わば進化論的な性質を帯びるに従って、終末を予期(予定)させるものとなる。

時間的なイメージと象徴は、ゾロアスター教やズルワーン教のコンテクストの中でも記録されているのである。同様の状況が一万二〇〇〇年の循環論に関してもみられる。(page 332)

215 二つの創造──メーノーグとゲーティーグ

アフリマンは、オフルマズド(アフラ・マズダー)が完全な存在になることを助ける。つまり無意識のうちに、また意図せざるうちに、悪は善の勝利を促進することになるのである。このような考え方は、歴史上、比較的頻繁に登場するもので、ゲーテをも魅了したのだった。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [17]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#3

Monday, April 23rd, 2007

■ 禁忌としての五芒星

五つの角を持つ星の光輝は、現実の人間の肉眼では見ることができない。星の輝きが尖ったように見えるのは総てのヒトが大なり小なり持っている「乱視」のせい*である。乱視がなければ星は小さい明るい点の様にしか見えないだろう。そして乱視はわれわれの目に夜空の星の光輝を偶数数の光線として捉えさせることがあっても、奇数である五芒星に見せるということはない。言わば「五芒星:星状五角形」というものは、自然物の模写(写実)を起源とするものではない、全く別の抽象的な観念とその伝達に由来を持つものである。それはここまでくれば言うまでもなく「数性」という抽象概念である。

そして、すでに21世紀を生きることになったわれわれにとってさえ、五芒星の図像から受けるのは、未だ「比較的モダンで真新しいもの」という獏たる印象である。実際、典型的五芒星が中世やルネッサンスの美術史上に顕教的/世俗的な身振りで現れることは極めてまれであった*。言い換えると、五芒星のモチーフは永いこと顕教的な宗教美術作品においてほとんど登場することもなかった。あったとしてもせいぜい極めて秘教(密教)的かつ通過儀礼的な限られた者に公開される種類のものが主である。今日「星」を当たり前の様に表徴することになった五芒星のモチーフも、近年に至るまでこれほどには一般的に親しまれて来なかったのである。この5つの角を持つ「星」の世間一般への登場は、西洋文化圏に関して言えば、この千数百年の美術史を振り返ってもせいぜい二、三百年ほどしか遡ることが出来ない。このことは特筆すべきことの様に思われる。

* 後述する様に、さらに古い時代(例えば古代エジプト)まで溯れば、数性5を濃厚に体現した「星」が素描や宗教的美術品の中に見出される。

Egyptian stars (5-pointed) Egyptian star (in tablet) Star in hierogliphe

画像引用先:textverarbeitung

MYSTERIES OF EGYPT

われわれはあらためて五芒星が「星を表す記号」として一般化されたのが比較的新しい事態である意味を検討すべきである。かつて五芒星は中世社会では魔的なものと捉えられ忌まわしいものとして嫌われる風習が一部にはあった。今から思えば、それこそが相応しくない時代に五芒星が公衆の面前に現れたり、世俗的目的のために借用されてしまわないようにブレーキを掛けていた感さえある。禁忌が実際に忌まわしいものである必要はない。だがまさしく、禁忌こそが濫用を防ぐ封印として機能して来たのである*。

Inverted pentacle baphomet

とりわけ「逆さ五芒星」などは「角を持った山羊/牡牛」などの呪術的・悪魔的な表徴と重なる部分もあり、また、そのために今日子どもたちが夜空の星を描写するのに「星状五角形」を描くようには、例えば中世の西洋社会でこの図像モデルが日常的に用いられることはなかったのである。当然のことながらそれを服飾のパターンとして日常的に用いるなどということなどは考えられないことであった。

* 「北枕が縁起は悪い」というのも実は嘘で、「北枕」本来の利点を民衆から隠すものであり、その習慣がエリートたちによって独占されていたという様な話も一部には知られることである。「禁忌が濫用を防ぐ封印として機能する」「禁忌が聖別を可能にする」という例は、数性に関する例として「13日の金曜日」や「13階段」などがあり、現在でも特定の聖数を濫用させないための聖別としての働きがあるのではないかと疑われるところである。

図版引用先:

Inverted Pentacle > Pagan / Wiccan Religion @About

Witchcraft Exposed by Kraig Josiah Rice

Dealing with ‘Dealing with the Devil’ By Vaughan Wynne-Jones > Pagan Views @PaganNews.com

一定の象徴図像の範型(モデル)が汎用されないということは、さしづめ一定の時代まで「ソロモンの印章: Solomon’s Seal」もしくは「ダビデの星: the Star David」と呼ばれる「星状六角形」(六芒星:二重三角形)が、キリスト教社会で半ば恐れられ、ほとんど禁忌とされてきた傾向と相似する。欧州世界ではつい20世紀半ばまで六芒星が被差別民であった「ユダヤ人の烙印」として知られているのみであった。そしてそのことは、特定のシンボルが或る時が満ちるまで特別なものとして保存され、一般人による濫用から守られることを意味する。現に「ダビデの星」は特定民族(ユダヤ人)についての濃厚なる連想によってそうした濫用から未だに(そしておそらく今後も)守られているとさえ言ってもよかろう。

六芒星については後に本シリーズの『“6”の時代〜「元型的金曜日」』の中で主に論じられることになろう。

■ タロットにおける五芒星

タロットカードにおける四つの要素は、中国の五行(木・火・土・金・水)のうちの「土」を除く四つ、もしくは四大(元素)に相当するという捉え方ができる。ソード(剣:火)、カップ(杯:水)、ワンド(棍棒:木)、そしてペンタクル/メダル(金貨:金)であるが、それぞれがトランプにおけるスペード(数性1)、ハート(数性2)、クラブ(数性3)、ダイヤ(数性4)という元素を暗示しつつ、それぞれが括弧に示したような数性を濃厚に保持した元型的図案のモチーフへと変形したことは知られていることである。

トランプにおいては「菱形」(四角形)で表象されたところのダイヤ(金貨)が、「ペンタクル:五芒星」に相当するスートに置き換わって表現されるようになるのは、実に近代以降である。これも「4から5へ」のいわば数性のインフレーションが起きた一例と言うことができるかもしれない。

メダル(金貨)に相当するスートが「ペンタクル」になっているタロットカードに関しては、近代以降は《黄金の夜明け団》にも在籍したオカルト研究家のA. E. Waiteの発注によって、Pamela Coleman Smithという画家が描いたものが有名だ。William Rider & Son Publisherという出版社からリリースされたため「Rider Deck: ライダー・デック(デッキ)」ないし「Rider-Waite Deck: ライダー・ウェイト・デック(デッキ)」とも呼ばれ、古いマルセイユ・デック等に並んで今日代表的なセットとなっている。このカードの出版年は1909年であり、現代においても占いの世界で極めてひろく「実用」に供されるタロットのデックはまさに20世紀初頭の創作なのである。このバージョンの出版によるタロットカードの大衆化も、ペンタクル(五芒星)が比較的新しい時代に大衆化された証拠のひとつとしてが浮かび上がるのである。

蛇足になるが、タロットに於ける五芒星が正邪両面を表していることは、ここで引用する実際の画像によっても諒解可能である。言及したRider-Waite Deckにおいてはそれがきわめて顕著に表現されている。ペンタクルの持っている正の性質をよく表していると解釈できる「ペンタクルのエース」と「ペンタクルの8」を取り上げた。

Pentacles (Ace and 8)

一方、次に上げる画像は、ペンタクルの保持する負の性質を表している。「死 Death」のカードに於いて死神の手にする黒い旗にあしらわれているのは明らかに「逆さ五芒星」を暗示したものであり、また「悪魔 Devil」のカードにおいては角を持った山羊が悪魔の姿として描かれているが、その顔と角に相当する部分に五芒星がオーバーラップさせられている。このように逆さに描かれる五芒星が、きわめて邪悪なものを連想させるものとして位置付けられていることは否定のしようがない。

Pentacle (Death & Devil)

「Jの陰謀」の推敲

Thursday, April 19th, 2007

「Jの陰謀 〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論」を少しずつ推敲。まだ暫くは、このような時間稼ぎのようなことしか出来ない。本当にやらなければならないことにどうしても向き合えない。

本当にやらなければならないこと:すなわち「“伝統”数秘学批判──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像」のシリーズをとりあえず今年中に一旦完結させたいので、本来ならそちらに傾注しなければならないのだ。だが、十年以上前に書いた最初の草稿があまりに未熟で、ほとんどの書き直しと大幅な加筆を必要としており、またそれをするためのリサーチ(リソース集め)に時間を掛けることが出来ないでいる。ジレンマである。そんなときには、すでに公開中のものを少しずつ読んで手直しをするというようなことくらいしか出来ない。

それはそれでいずれは必要なことなので、何もやらないよりはマシと自分に言い聞かせている。

エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

Wednesday, April 18th, 2007

II 巻

199 律法主義の発展

ユダヤ人は、ペルシア支配下(平和の続いたバビロン捕囚時代)にあったとき、律法改革を進め、割礼などヤハウェの民の一員であることのシンボルに価値を与えた。

→ 比較的新しい、改革の結果根付いた宗教慣習。

「不純」な異国の世界の中でこそ伸長させられた民族的アイデンティティ。

これは現在も世界の各地で(日本でも)繰り返されている。

同化ではなくて異化が生じる。

以前書いた拙論「自尊と愛国」の裏付け。

「贖罪の仕組みが非常に巧みに作られているので、新しくよりよい秩序を作ろうという望みが生まれる余地はほとんどない。司祭たちの発言には、終末論やメシア待望論は片りんもみられない」

p. 270-271

200 聖なる知恵の人格化

ユダヤ教の歴史に計り知れない影響を与える事になったもっとも重要な事件は、ヘレニズムとの出会いであった。青銅器時代後期には、ギリシア人は、すでにパレスティナと継続的な関係を持っていた。最初の1000年間、ギリシア人の流入は着実に増え続け、ペルシアによって支配されていた時期にさえ続いた。ヘレニズム文化が大きな影響力をもつことになるのはアレキサンダー大王の勝利以降…

アレキサンダーの死:BC323

p. 273

キリスト教の経典がギリシア語で書かれることになる時期から300年以上前に、ユダヤ文化自体がギリシア文化の影響を蒙っている。「ギリシア文化の影響を受けたユダヤ文化」というものは、自分の中にはイメージできなかったものだ。ギリシアの影響は、「キリスト以降」というイメージがあったため。

だが、もちろんもうちょっと注意深く考えてみれば、キリスト教の経典(新約聖書)がギリシア語で成立しているという事自体が、パレスチナの地がそれに先立ってギリシア文化の絶大なる影響下にあって久しいというのが当然なのである。しかも「絶大なる影響下」というのも漠然として言い方で、千年というスパンで続いたということを《認識する》ことが重要なのだ。