Archive for the ‘Main’ Category

携帯メールの恐怖

Friday, May 16th, 2008

インターネット経由の携帯メールが当たり前になって、しかもパソコンのメールとも「乗り入れ」ができるようになったことは便利なことだと言うべきなのかもしれない。だが同時に、時も場所も選ばずに「メール着信」を告げるベルが鳴り響く携帯メールの「便利さ」は、便利を通り越してむしろストレスを感じることが多い。そもそもリアルタイムにその着信を知らせるという機能は「メール」にあるべき機能なのか?(それを便利と思う人がいるのはもちろん分かるが。)

私事を言うなら、一昨年前に親父が亡くなる頃、夜のメールや電話の着信は病院や兄弟からの連絡ではないかと思い、鳴るたびに心臓がドキドキしたもので、それ以来、夜のメール着信音にはトラウマが起こって、臆病なくらい神経質になってしまった。今でも鳴るたびにドキドキするようになってしまったのだ。「だったらまったく音がしないように設定すれば良いじゃないか」と言うかもしれないが、それでは本当に必要なメールの着信を逃してしまうのである。したがって携帯メールの使用というのは選択的に使うに限るのだ。

そもそもEメールはファックスにも似て、「送信者が好きな時に送ることができて、受信者の都合の良い時に読むことができる」ことが第一の利点であったはずだ。その場ですぐに読んだり、返答をしたりしなければなければならないようなメッセージには、面倒くさいメールなど打たずに電話をすればいいのである。そして、それが時間的に連絡を受ける相手側にとって迷惑でない時間かどうか、という自制心が掛かるのが本来の電話のマナーである。メールが「リアルタイムの通信」に近くなるほど、時と場所を選ばないその通信手段は、相手の状況を考えない暴力にもなる。一斉連絡メールを深夜に書くのは勝手だが、そのメーリングリストに携帯メールのアドレスが含まれているなら、「送る時間」を考えなければ、見たくもないDMメールによって寝入り端を叩き起こされる「受信被害者」が出る。

もし、書くひとが深夜だろうが何だろうが、書きたい時に心置きなくメールを書き、送信することを可能にしたいなら、そのメールによって、不用意に受信者が睡眠から叩き起こされるようなことのないようにすべきなのだ。

だから自分は緊急事以外は携帯にメールを送らないように友人には伝えてあるのである。だいたい書きにくく読みにくい携帯では、リアルタイムで届いたところですぐに返信できないのである。私からまともな返信を期待するなら、PCにメールを送ってくれる方が絶対確実なのである。

「Sim 駅前留学」で遊べ

Sunday, October 28th, 2007

NOVA記事

■NOVA増資、株価操作で逮捕の仕手筋に頼る(読売新聞 - 10月27日 14:42)

英会話ビジネスで破綻の憂き目を観た会社はNOVAが最初ではないと記憶する。ラド、ABC、NCB、などなど。だが、考えてみれば、町の弱小な英会話学校はともかくとして、「成長する英会話学校」なるものは、すべて倒産の危険を孕んでいると考えるべきではないのか? だって、「成長」しているんだよ。成長すれば、無限大に成長はできないんだから、どこかで何かが起こる。

英会話教室というものは、そもそもその本性からして、合理化が難しい分野だ。生徒何人かに対して、必ずひとりの先生が必要で、少数の先生で一気にたくさんの生徒を教えるというようなマス授業でも開発しない限り、合理化は難しい。だがそれは少数で丁寧に教えますという方針にも矛盾し、そもそも採用できない方向性だ。ということはどういう事かと言えば、生徒を沢山抱えるなら先生も沢山抱えなければならず、企業として規模を大きくするということ自体が、人件費の比例的な増強なしには行えない。「一発当てる系」のビジネスとは、一度これというような「金型」を作って、それによってできる製品が一発当てたら、その金型を使ってパカパカとたい焼きを焼くように短期間にどんどん量産できるようなものでもない限りそもそも無理なのだ。つまり、ソフトの開発とそのソフトの量産というのがひとつの条件だ。無人化を進めることのできる過程を含む製造業、一部の出版業、そして極々一部のメジャー音楽産業にはそうした「一発当てる」可能性がある。だが、教育産業が一発当てて成長するというようなことは、その教育という無人化の採用がそもそも構造的に不可能なビジネスにはあり得ないのだ。これはちょっと考えれば分かることだが、仕事というものを理解する基本だ。英会話学校のようなものは、ひとつひとつ手作りをしていくしかないデザイン工房の様なものだ。

だがどうしてNOVAのような「急成長」という異常事態がこの産業の中で時折起こるのか、それを考えるのが重要である。一言で言ってしまえば、イメージ戦略が「一発当たる」というケースだ。どれだけ資金をつぎ込んだか分からないが、ピンクのNOVAうさぎを使った同社がテレビCMその他のメディアを通して相当に露出されたことは誰もが知るところだろう。人々はそのイメージで企業が大きくて先端的で頼りになるだろうことを刷り込まれる。広告代理店はこうしたイメージ戦略を打ち立てて、払われたお金に応じて企業を有名にする。だが、イメージがダウンしてきた時の現状維持のためのお手伝いまでは面倒を見ない。イメージが悪くなったのは企業の「自己責任」だから失敗は企業の責任だ、というわけだ。

したがって、一気に成長してあちこちに支店を開くような「英会話学校」は、突然資金繰りが悪くなって「倒産」というようなリスクをすべて持っていると考えるべきだ。これは単にNOVAの社長や経営者に問題があった(あっただろうけど)というようなだけの話ではない。イメージ戦略という幻想によってそれを支持し、ダメと分かったらさっさと撤収しようとする、利用者、教師、出資者、のすべての合作なのだ。株式市場と似た様なものだ。

昔、「Sim City」という秀逸な都市計画ソフトがあったが、ぜひ「Sim 駅前留学」というのを出して欲しい。成長する英会話学校の教室をどれだけの間、駅前の一等地に建て続けることができるかというモノポリーを競うゲームだ。駅の数や習いたい生徒数はだいたい決まっているので、ある程度まで成長したら必ず破綻の兆しが見え始め、大体早晩には倒産する。

駅前に一つ学校を建てるところから始める。日本に遊びにきている外国人を安く雇い、プログラムを決め、価格を設定し、人気が出れば別の学校を建てる。イメージ戦略が必要なら広告代理店に幾ばくかの資金を投入する。一気に生徒数が増えるので、人員と学校を増やさなければならない。さまざまな付加価値的なプログラムを開発して、遠隔地教育にまで手を出す。長くゲームをやればやるほど、どんどん難しくなってきて倒産回避は困難になる。それをどうにかしてやりくりをして、一日でも長く経営し続けることができれば勝ち、というシミュレーションゲームだ。

それほどかように、「成長する学校」の経営は難しいということをこのゲームはわれわれに実感させてくれるだろう。なにしろ、スポーツジムみたいにお金を払っただけで来なくなる生徒数まで計算に入れて適正な教室数を考えているのに、倒産するとなると、来なかった生徒までワラワラと全員戻ってきて払い戻しを請求するんだから怖いよな。

[話は変わるが、姓名判断的にもNOVAは拙いよな。No VAだよ。VAに「No」と言ってはいけない。逆さにしてAVONはどうだろう? え? そういう名前の会社がある?]

実験

Friday, June 1st, 2007

あわせて読みたい

父の記憶が薄れる前に

Sunday, July 30th, 2006

父が逝った。25日(火曜)早朝、6:28。病名はNK型悪性リンパ腫。享年73歳。直接の死因は、胸水が肺に溜ったことによる呼吸不全か? まだまだ活躍してもらえるものと思われた「窒素ラヂカル」の新しい時事世相批判を見聞きすることはもはやできない。

(more…)

リンククラブが公式に認めない
リンクログ・サービスにおける明らかな不具合について

Wednesday, April 26th, 2006

あまりのスピードの遅さ、「アクセス不能」などの不具合と、今後のリンクログのサービスの在り方について、また自作blogをサポートするサービスの予定など、リンククラブ当局にクレームメールを出したところ返事が来ました。

来ましたが、到底納得できるような内容ではないばかりか、サービスの実体そのものが一向に改善される兆しもなければ、先方に改善する気もないことが分かったので、利用者の皆さんとその状況を共有したくこちらにアップします。

「早期復旧を目指す」とあるだけで何ら実効的なことを行なっている様子が伺えないので、「目指す」のではなく、「一刻も早い復旧を実現すること」を、今一度リンククラブに求めます。

読者の方々からすれば2度3度アクセスを試みてそのページを開けなかったら、その人は二度と戻って来ない可能性が高いです。「あそこは開かない」という風にとられるからです。

現在酷いスパムコメントの被害に遭っていますので、コメントの受付を停止しています。

賛同意見や反論などある方は、以下のフォームメールからどしどしご連絡下さい。

ここをクリック

(以下貼付け始め)

お世話様です。ホスティングサービスを利用している者です。このたび、そのサービスの一環であるLink Logについてご連絡申し上げております。

現在、貴社の用意するLink Log(合計2サイト)を自分と家族で使用しております。自分の使用しているblog(http://blog.archivelago.com/)および、家族が使用している貴社の提供する有料のblogの両方に言えることですが、先週からここ数日の間、該当URLにアクセスしても全く無反応で開かないか、開くのに数分掛かるという状況が断続的に起きています。これまでになかった症状です。場合によっては文章や写真をアップロードするのにも延々に時間が掛かったり、「アクセスできません」のメッセージが出てブラウザが停止したりする場合もあり、事実上ほとんど「使用不能」に近い状態が続いています。家族からもたびたびクレームがあり、こちらで有効な対策を伝えることができずに、非常に困っております。

試しにhttp://blog.linkclub.jp/index.asp を訪問して、そこから無作為にリンクログのユーザの皆さんのblogにアクセスを試みていますが、印象としては、約半分が「アクセス不能」の状態です。こうした事実から憶測するに、ほぼ明らかに貴社のシステムに何らかの不具合が起きていると判断できます。ですが、残念なことに、貴社からは、何らの説明も、障害発生を認めるような報告も、ましてや、お詫びも、何もありません。

実は、今回のアクセス不能の事態が発生する以前から、すでにリンクログに関して家族や他のユーザから不満が聞こえております。

例えば、貴社のブログはスキンを選ぶことはできても、他のより本質的な部分でのカスタマイズができないという決定的な不利があります。しかも決して安価とは言えない中級以上のユーザが多々利用しているはずの「ホスティングサービス」においてさえ、Movable Typeを使うなどして自由に自分のblogを立ち上げることも、システム上サポートされていないようです。そういうユーザ諸氏に対して「リンクログをご使用下さい」という一方的な要望を繰り返しているだけです(そのように見えます)。

不便や要望が存在することを受け止めるのが、サービス提供する側の誠実さだと思うのですが、そのあたりどのようにお考えでしょうか? 新規サービスの開発やユーザ拡大に資材を投入したり、さまざまなキャンペーンを行なっているようですが、その前に現ユーザの立ち場に立った対応をしないのは本末転倒ではないでしょうか?

辛抱強くお待ち申し上げますので、リンクログに発生している不具合の原因と、今後の予定についてご説明頂ければ幸いです。

(貼付け終わり)

これに対するリンククラブからの返事は以下の通り:

(貼付け始め)

平素はリンククラブをご支援いただき、誠にありがとうございます。

お問合せの件についてお返事させていただきます。

大変ご迷惑をおかけ致しまして申し訳ございません。

現在調査中ですが、一時的に記事や画像が登録されているデータベースへの

同時接続数が多くなったときに表示・ログイン・処理に時間がかかることが

確認されております。

原因の調査と、それに伴う対応方法について早期復旧を目指しております。

大変ご迷惑をおかけしておりますことを、重ねてお詫び申し上げます。

なお、Movable TypeなどのCMSは非常にサーバー負荷の高いプログラムですので

WEBサーバー上で動作させると現状の数倍の負荷がかかります。

現在のWEBサーバーのスペックはサーバーとしてはかなり高い物を

誇っておりますが、Movable Type等をご利用頂けるようにすることによって

ホームページそのもののレスポンスが現在よりも数段悪くなることは

確実ですので現在の所ご利用頂けるようにする予定はございません。

ブログサーバー提供時には、シンプルで簡単な物というコンセプトで

開発していたため、カスタマイズ機能を付ける場合、システムの

根本的な再開発が必要となります。

こちらに関しましては、お客様方の声を聞きながら検討したいと思っております。

今後ともリンククラブをよろしくお願いいたします。

(貼付け終わり)

CMSはサーバー負担が高いプログラムだと言っているが、そうしたサービスを現に提供しているオペレータが存在することについてはどのように考えるのか? 「ホームページそのもののレスポンスが現在よりも数段悪くなることは 確実」などというのは、詭弁ではないだろうか? それなら現在やっているようにCMSサーバと現状のサービス用のサーバを分ければ良い話ではないか。単に、ユーザが自分のブログを自由に立ち上げるとLink Clubの宣伝にならないということでしかないのではないだろうか?

現状では「サーバー負担が高くない」方法を採ってサービス提供をしているようですが、それなら、今「アクセスできない」「時間が掛かる」などの問題が起きており、CMSをサポートするサーバでなくてもすでに問題が発生していることをどのように説明するつもりだろうか?

ずっと嫌な予感が

Monday, May 16th, 2005

昨年の新潟県中越地震を予測して以来、ずっと「嫌な予感」はなかったが、またそれが来ている。無慈悲な地を揺るがすバスドラの連打のような重低音が、猛烈にやってくる、そんなイメージが体中に充満している。

避難経路の確保、連れ合いとの連絡方法・落ち合い先、安全な帰路の予測、食料・水の確保、決めておかなければならないことが山ほどある。

それにしても、日頃から地図に親しむ、東京の地理に親しむ、という類の趣味は、こういうときに、すごいサバイバル特性を発揮するのだろうな、と今頃になって考えている。

とにかく、すこしでも安全なルートを通って家まで徒歩で帰る、というような練習が普段から必要だと痛感し始めている。

財布に足が付く(現ナマには付かない)

Monday, May 2nd, 2005

昨夜19:30-22:30の間、阿佐ヶ谷のライヴ会場で財布を紛失すると言う恥ずべき不測の事態が起きた。財布に入っていた銀行のキャッシュカードなどはすぐに凍結したが、現金と奇しくも阿佐ヶ谷で3年ほど前に手に入れたお気に入りの財布がなくなったのはちょっと痛い。まあ、演奏中にピアノの上に無造作に財布を置くなどということをした不注意への、ちと高いレッスン料のようなものだ(実はとても痛いっす)。それにしても、メインバンク以外のキャッシュカードは分散させていて携行していなかったこと、また普段使わないクレジットカードは持参していなかったことなどが、せめてもの救いだった。

だが、免許更新時期に入っていてあと数日で更新期限切れてしまう自動車普通免許証と、新しい健康保険証が財布に入っていたので、いわゆる本人を確認するのに使われる典型的IDが人手に渡ったということで不安は残るが、今朝新宿警察署に遺失届/盗難届を出したので、最悪のことはないのではないかと考えることにする。さて、今日、連休中の5/2(月)が、更新期間の切れる期限目前で実際に足を運べる唯一の日と考えられる日だったので、新宿警察署に行ったその足で、書き換えもしてしまえ、とタカをくくっていたら、実は新宿警察署ではもうやっていない、都庁でやっているとのことで、都庁第二庁舎内の免許交付所に行ったのだが、免許紛失の場合は、書き換えができないと窓口で言われ、仕方なく遠路、府中試験場に行くことに。これでもう午後も時間がこれでなくなることは半分見えていた。

それにしても、着いた府中試験場の込み方は尋常でなかった。やはり連休中日の平日ということで、やっと休みが取れたひとびとがこの日に殺到したとしても全く不思議はない。自分もその一人だ。必要な3 x 2.5mの写真を撮るためにインスタント写真撮影機の前で並ぶ。収入印紙を購入するために長い列に並ぶ。今度は別の言われた窓口に別紙を貰うために並ぶ。視力検査のために長大な第4窓口に並ぶ。そのあと、また第9窓口に戻る。それから免許用写真撮影に並ぶ。ゴールド免許所持者用の講習で20分待つ。それでこの下書きを外のベンチで書く。30分のありがたくも貴重な新道路交通法についての解説を拝聴し、今度は免許の交付で待つ。

なにしろ、住所の書いてある唯一の身分証明書である免許書自体が紛失しているので、現住所を示す何かが必要だという事で、「住民票」を持って行ったのだが、これがちょっと古いもの。そしてパスポートは旧住所のままだったので、うまく行くかどうかちょっと不安ではあった。

それにしても、窓口で言われることが違うので、戸惑うこと多い。「6ヶ月以内の住民票」とは、都庁で渡された必要書類には記載されていなかったが、こちらの窓口にはそのように書いてある、結局言われた窓口に行って、現住所が記載されている証明書は、と言われてパスポートとやや古い住民票を手渡したが、その場でパッと目を通すだけで、すぐに返されて6ヶ月以上たった住民票であることには目もくれない。

それにしても不幸中の幸いというか、失われた現金は悔しいばかりだが、期限の切れかかった免許証、更新期間は2ヶ月前から始まっていたから、とうに更新していたって良さそうなものだが、この度は平日はどうしても忙しくて日がとれず、そうこうしているうちにここまで来てしまっていた。もし更新してしまっていたら、あたらしい新品の免許書をまた再交付しなければならないところだった。更新期限中の紛失ということで、再交付料は幸い請求されなかった。職場の人が財布をスられて一切合切すべて盗られたという話をたまたま聞いたばかりだったので、キャッシュカードなどの分散をしていたのがさらに幸いした。とにかく、どんな場所でも無造作にあのようなものを放置するというのは、日本でも店の中でも論外なのだ、やはり。周りの人にも嫌な気持ちにさせただろうし、こう言うことで疑心暗鬼になる(させる)のは、実に不愉快だろう。とにかく、財布に足が生えてどこか遠くに旅に出たと思うことにした。

Camera Virginal

Tuesday, March 8th, 2005

これが最初の写真(家のバルコニーから) by Aquikhonne (Coolpix 5900 Nikon)

これが最初の写真(家のバルコニーより)

by Aquikhonne (Coolpix 5900 Nikon)

「ニコン10年以上の経験よっ!」

(おそれいりました〜っ)

「Joy to fly」と三鷹再発見

Saturday, March 5th, 2005

20050307-propeller.JPG

愛でたくも、今度タモリクラブに2週連続で登場する運びとなった大学のクラスメートいしかわ君のblogで、「先行デザイン宣言支持宣言」というのを金曜の夜にたまたまクリックした。すると、「調布飛行場」という文句が目に飛び込んでくる。それって「見学のできる飛行場」が比較的近くにあるということじゃねーか!と、ちょっとどきどきして寝た。格納庫の一角をカフェにしたというプロペラカフェというのもあるらしいので、これは特に行ってみたいと思わせるものだ。それで午後からさっそく出かけた。三鷹を経由してバスに乗って終点まで。周りには天文台や武蔵野の林の丘以外にあまり何もない。ここまで来るバスの中でも思ったが、道が広く、空も広々としていて、こんな平らで開放的なエリアが東京にあるのかと改めて驚く。柵の向こう側でセスナがエンジンをかけて飛び立とうとしている。橙色の吹き流しが飛行場中央付近で少し風にたなびいている。管制塔には人の気配がないように思えるほど寂しく佇む。空は青空と銀色の雲が半々。

停留所から5、6分のところにあるAEROTECという建物の1階が<propeller cafe>になっている。なるほどここか。人の気配がしなかったので、閉まっているのかと心配になったが、ドアを開けると、すぐ前がセスナの離着陸する様子を見ることのできる大きな窓あるだだっ広い部屋になっていて、左側には厨房があり白いシェフの格好をした料理人と給士がきびきびと仕事をしている。そして美味そうなケーキのフレーバーがする。右側はすぐに飛行機の格納庫があり、単発エンジンの4人乗りセスナとそれより一回り大きめの8人乗りくらいに見えるジェット機が停まっている。

美味いコーヒーを飲みながら飛行機やヘリの離着陸を眺める。ヘリの教習をしているとおぼしき二人組が危うい感じで大空に飛んで行き、小一時間くらいして戻ってきたりする。ヘリのプロペラの回転を見ていると、随分乱暴に空気を切っているなあと思う。最初は柔らかくて弾力性のあるプロペラが遠心力でピンと張り、水平に空気を切る。今空中散歩をしてきたという人がカフェに戻ってきて一休みしている。鎌倉まで15分くらいで着いてしまう、海岸線をレーダーに補足されないほどの低空で飛ぶのは快感だ、と話す男性。趣味で飛んでいるのだ。「ヘリに乗り始めてまだ100時間くらいしか経っていない」と控え気味に自分の飛ぶ喜びを話す男性。ここへ来て、ヘリか飛行機のパイロットになろうと決心する人は1年に最低365人位いるんじゃないだろうか?

それにしても、プロペラカフェのBLTホットサンドはセントルイスの石川邸で食べたもの以来のとろけるような異様な旨さだったぞ。それにデザートの紅茶フレーバのシフォンケーキも逸品だ。今度はオムライスを食べてやる、と食い意地ばかりが働くのである。

17:36の最終バスに乗って、三鷹に戻る。野川公園には行かなかった。帰りに三鷹に寄って買い物をしたが、ひょっとすると吉祥寺よりも生活するのに便利そうな店が多くある。渋谷と新宿に<三平酒寮>を構えるあの<三平ストア>が2カ所も店を出しているしね。

「半分が八百屋で半分が酒屋」という面白い店に立ち寄る。そこの店の主人は、気の良さそうな八百屋の「おやっさん」のようにしか見えないんだが、天井にはBOSEのスピーカが4つ設置してあって、店に一歩入ると、音のまっ只中にいて、ブラームスの弦楽四重奏第2番とかを良い音で掛けている。珍しい選曲だ。もしかして有線かなあと思って訊くと、自分でCDを掛けているとやや心外そうに答える。以前三鷹に住んでいた頃にもっと頻繁に来ていたという永山に言わせると、かつてはLDでヴァイオリン奏者のリサイタル映像とかを店で流していたらしい。確かに天井に立派なビデオモニタが2つ吊るしてある。東京で一番いい音のする八百屋(兼酒屋)なのではないだろうか? しかしあの音を聴いていたら凍りついてしまって買い物にならんだろうが。永山はあすこをいまだに「酒屋だ」と言うのだが、ボクには「お酒も売っている八百屋」のようにしか見えない。おそらくだんだんと親父さんの関心が変わってきて酒屋から八百屋へとなし崩し的に傾斜してきたのだろう、あの店は。好きが高じて八百屋になりつつあるせいか、店に並べてあるお惣菜とかも、いかにも手作りで素材は厳選していそうだ。いくつかの珍しい野菜の他に蕗の醤油漬けというのを「入手」。

カキ入りのお好み焼きを頬張ったりした後、駅にほど近い老舗のワイン屋さんで白い濁り酒と赤い発泡酒を買って帰る。店に貼ってあるフランスのワイン・ヴィニヤール・マップを見ていたらワインマップポスターを3つも丸めて下さる。「また三鷹に来てくれ」と言っているようだった。

また必ず来るだろうね、近々。

やっぱりいた、電柱愛好家!

Monday, February 21st, 2005

電柱、というのは「前向きなランドスケープ」を考えなきゃならない立場の人からすると、「頭痛の種」という位置づけであっただろうと漠然と思っていたし、電柱や電線のない空、というものがあったら、向こうの景色ももっと楽しめるのに、とか、カメラアングルがもっとカッコ良くなるのに、とか、考えたりもした訳ですが、今回のように電柱に親しみを覚え始めると、ある種の発想の転換が起こる。

電柱や電線に十字架を見出す子供に共感する信仰詩人もいれば、電線に五線譜を見出す詩人の心もある。電柱や電線を風景の一部として受け入れるということができるということは、別の意味で前向きな態度でもあろう。

しかし、電柱や電線を溺愛する心が内面に芽生えたら、今度は街を歩いている間中、喜びで満ちあふれるということに、なるはずだ。知らない街に行くと、観たこともないような電柱を見つけようとするだろうし、思いがけない電柱と出会えると、歓喜を覚えたりする訳である。そして、そんな人が、世の中にはやはりいらっしゃるのである。それを知ってなんか嬉しくなってしまうのであった。

以前、タモリクラブで「インターチェンジの愛好家」というニッチな趣味の人が出ていて、「いいインターチェンジ」や「わるいインターチェンジ」というのを論じたりしているのを観たことがある。こう言っては失礼かもしれないが、まさにそういう類いの「電柱フェチ」という方がいらっしゃることを知った。どういう電柱が好みなのかとか、そんなことも面白いのだが、写真キャプションに「高圧線路の碍子配置が2:1 架空地線の腕金が柱の真中にある。一番好きな格好。柱上変圧器が低圧線路の下にあれば最高。」などとあると、もう嬉しくなってしまうのだ。ボクも電柱を観てそうした美を自分で見出せるようになれれば、もっと「前向き」に日本の景色、独自の景観を楽しむことができるようになるだろう。