Archive for September, 2005

<普遍的題材>への理解は世界の複層的様態を喪失させるか
(あるいは、「ある証言者の虚妄」)

Tuesday, September 27th, 2005

今回も、コメントに対する当方のレスが長くなったこと、また参照先のリンクがコメントでは付けられないので、こちらで公開することに。

(辛抱強い対応に感謝します > ぴかたれらさん)

さて、このたびの本題:

>> <普遍的題材>が登場する,その強い普遍性ゆえに「目の前の複層的な様態が失われる」ことを恐れているのだと言えるでしょう.<<

「恐れている」ことをお認めになるこの言い方は、かなり控えめに表されたものであると思いますが、かなり最近、似たようなトーンの主張と出会ったような覚えがあります。これは、表現されたもの(作品)の解釈を巡る議論の中で出て来たものでした。ひとつの作品に対峙したとき、それが複数の受け手の中にそれぞれ異なった「解釈」が生じることを、肯定的に捉えている(捉えるしかない)方々からの意見というのが、「複層的な様態を複層的なままに捉えて、何が悪い?」と言い換えられるものであったように思い起こされます。

ここでの私の意見も、ちょっと前なら、相も変わらず、「表現者が明確に単一の意図をもって創作したものには、実はたったひとつの意味しかない。ただ受け手の方が準備できていないためにそれに肉薄できず、自分の主観的理解というものにしがみついているために、多様な「解釈」が生まれるだけだ」という極めて挑発的なもので、それを言ってしまえば同じことを言い返されて終わるだけ、の主張だったでしょう。ただ、自分の解釈が「正しい」かどうかはともかく、表現者が存在する以上、その意図はひとつである、という言い方自体には今でも(懲りずに)何の問題も無いと思っています。むろん、表現者自身が多様な解釈に対してウェルカムであれば、何をか言わんやですが

ただ、「受け手の数だけ意味がある」という、今では世間でほぼ絶対的な優勢を誇る「作品に対しての受け手の哲学」は、私の中では凡人の「開き直り」以外の何ものでもなく、哲学と呼ぶに値しない笑止な自己への「甘やかし」でしかなかった。だが、私独りが何を叫んだところで、「受け手の数だけ意味がある」のはやはり「事実」な訳です。でも事実(現実の有り様)を言葉で繰り返すところに努力も理念も無い訳で、私は「それが万人の受け入れる現実であることは百も承知の上で、それであなた方良いのかい?」と訊いてきた訳です。

芸術の価値の相対論者からすれば、おそらく相当に刺激的な主張だとは自覚しているつもりです。まあ相対論者や主観論者が百万人集まっても、その百万人の人間が主観的に作り出すものに、その深化のレベルに違いはあっても、ある種の普遍的な題材が「かいま見られる」ことがある、ということを了解した今では、創作者が何を自覚しているのか、というのは、もはや重要な問題ではなくなりつつあるわけです。自分は一見不毛な議論に時間を費やしましたが、それがより深く自覚できたこと、そして自分なりの解釈論を具体的な作品を取り上げることで表記しようと、ついに思い立つことができたこと、このふたつが得られたので私には意味があったのです。

さて、これは「その強い普遍性」についての「こちらの側」からの意見です。この強さは多様性を消失させるどころか、現にそれが成しているように「眼前に複層的な様態」をむしろ作り出している(芥川の『南京の基督』を参照)。でも、<普遍的題材>への肉薄によって失われるのは、各々がしがみついている主観だけであって、すべてが統一的な法則の中に入っているということの認識は、むしろ「歓喜」や「畏敬」をもたらすものではあっても、「われわれは独りでしかない」という誤った認識を根底から更新してしまう強さをもったものです。それに、何を美しいと思うか(何を重要と感じるか)という美意識自体は、おそらくこの発見によっても影響を受けない。私に言わせれば「失われるものは何も無い」のです。特に受け手にとっては。

その発見によって「失われた」と感じる人がいるとすれば、それは表現者の方であり、特に主観主義を教条化させて「何でもアリ」の状態を心地よく感じる現代の似非表現者の一部が「表現する理由を失う程度」のものです。あるいは、その初期衝撃をなんとか生き延びられた表現者にとっては、表現題材が決定的に「変わってしまう」だけの話かも知れません。私に言わせれば、ほとんどの人々にとって何の被害も被らないということになります。

最後に…

<< あるいはこうも言えます.「そのこと以上に「語るに値する題材」があるのか」と問われれば,「そのこと以下であっても語ることを許された題材はあるだろう」,と.>>

むしろ「そのこと以外に」と言うべきだったですね。素直に反省。「上下」のレベルに還元するのはやはり問題だし。でも「そのこと以外に」ならば、「そのこと以外であっても語ることを許された題材はあるだろう」となります。もちろん全く反論の余地がありませんね。実際、どんな題材でも現に語られているし禁止もされていない。誰にも禁止はできない。それに対する「評価」があるだけです。それぞれ自分の理解に応じて、秘儀だオカルトだ集合的無意識だと言いたい人は言い続けるだろうし、体験の裏付けの無いにも関わらず、「何かそこにはある」と思わせぶりに言う神秘家の発言も止まらないだろう。でもそれぞれにそれぞれの理解の程度に相応な「題材」を語って悪いはずが無いわけです。

最後に強調したいのは、<普遍的題材>を諒解したところで、すべてがそこで終わる訳ではなくて、むしろ、そこから始まるもの、そこから派生する様々な課題があり、それだけを採っても、充分に一生を退屈なしに過ごすことができるほどの可能性の広がりがあるということです。

これは私の体験を元に話すのですが、「一度死んで再生する」とエリアーデが韜晦気味に(しかし恐るべき正確さを以て)繰り返し表現するイニシエーション体験というものは、現実世界においても「存在する」ということなのです。もし、意味の多義性を言うなら、「一度死んで再生する」ということの二重の意味は認めてもよく、このレベルの話でならあり得ると思います。

「大きな羊」としてのアメリカ

Tuesday, September 27th, 2005

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日本ではアメリカのことを「米国」と表記することがあるが、中国においては「美国」である。それを滞米中、中華街などを行き来している内に知ったのだが、そのときの驚きは正直言って大きかった。中国から渡米して一旗揚げようとした初期中国人移民が、憧れの国を「美国」と呼ぼうとした、ということなら分からないでもない。が、まるでKatharine Lee Batesの愛国歌「America the beautiful」を地で行った感じでさえあり、かの国がそのように呼ばれていることに一種のアイロニーとそれに重なる不思議を見出すのである。

アメリカ合州国という国が、その建国の由来/原点からして、俗の権化であると同時に極めて宗教的な様相を呈していることは、いまさら敢えて断るまでもないことだろう。しかし、この「新大陸」へ1620年にメイフラワー号で入植をした最初の一群が(「巡礼の始祖たち」とでも訳すべきか)伝統的に「Pilgrim Fathers」と呼ばれることも広く知られている。つまり「新大陸」とも「新世界」とも呼ばれる「かの地」への渡航(ということは、初めての渡航)でありながら、その地への入植者たちがこのように聖地への「巡礼者」のように呼ばれている不合理に対する本当の理由に関して、納得できる説明になかなかお目に掛かることはない。だが、それは彼らにとってさえ、この約束の地が「初めての土地ではない」ことを、かなりあからさまに「暗示」しているようにも聞こえるのである。

もちろん、「新しい聖地を作る」入植者たちの意気込みや後世の人々による口承を通じて行われた伝説化を単に反映したものでしかないという説明で納得される方は、それ以上の問いと答えのプロセスを経由することはないだろう。仮に百歩譲ってそれが「新しい聖地の建設」を示唆する以上のものでないとしても、それでは「聖地」とはどのような場所がそのように呼ばれるに相応しいか、ということについても更なる考察の余地があることを忘れるわけにはいかない。

「荒野に呼ばわる声」の主たる洗礼者ヨハネは、イエスに対して「水によって」洗礼を与えた。しかもヨハネは「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、精霊と火とによってバプテスマ(洗礼)をお授けになるであろう」と言った(マタイによる福音書)。アメリカの「水による洗礼」は京都議定書を批准しない合州国によってこのまま行けばさらに進行する。また洗礼者ヨハネ*は「イエスの磔刑」に先立って人身御供となることに注目すべきである。彼はキリストの出現を予言し、水による洗礼をイエスに授けた後でヘロデ王によって「首を取られる」のである。

* 洗礼者ヨハネ(John the Baptist)は、別名St. John the Divineとも呼ばれる。合州国には世界最大規模の教会がある(ノートルダム寺院やサン・ピエトロ大聖堂をはるかに抜いてだんとつの最大規模)。ニューヨークのアムステルダム通り沿いにあるSt. John the Divine Cathedral(聖ヨハネ教会大聖堂)こそが、それである。

一方、聖地とは「犠牲の地」の別名である*。聖地と呼ばれる場所で「血の流されなかった」場所はない。ある多量の生命の生贄を伴う燔祭(holocaust)が行われた地所こそが、記憶の固定化によって「聖化」が完成されるのである。すなわちこの「新大陸」への巡礼者たちは「犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げ」る燔祭の地所に率先して嬉々として赴いたのである。そして、その地は2億の住人で満ちた。

* 「聖なる」を意味する「sacred」は「犠牲」を意味する「sacrifice」と同じ語幹を持つことは敢えて言うまでもなかろう。

「美国」の「美」という字には、「大きな羊」という意味があるということを聞いたことがある人は多いだろう。つまり、「美しい」もののモデル(祖型)として「大きな羊」のイメージというものが存在したのである。白川静氏の膨大なる漢字研究というのはつとに知られているものらしいが、その「美」という字の説明を改めて読んでみる。

<< 「美」の字形には確かめがたいところがあるが、金文の字形によると、それは立派な羊の形を記したもののように思われる。神への犠牲(いけにえ)としてえらばれた羊の姿に、人々は美の典型を見たのであろう。>>(白川静『漢字暦』より)

燔祭の伝統を持つ中国の人々の直感が、(おそらく)無意識のうちに犠牲(いけにえ)として神への供物として捧げられることの定まった人々の国の姿を、宗教大国、儀礼大国、秘教大国、「美国」の中に、視てとったのである。

正に「美」とは、「表」において疑いの余地のない肯定的意味を表出すると同時に、重大な揶揄をその「裏」では表現しているのである。

“火花”を散らせ!──「金剛」への第一歩(続編)

Thursday, September 22nd, 2005

最初、頂いたコメントに対するレスポンスのつもりで書き始めたのですが、長い文章になってしまったので、独立した文章にして、今日の「memo」ということにします。

懸命に「論理実証主義」のフリして言語化へとほとんど不毛に見える虚しい努力に邁進する私が、わざと何も結論を付けずに書いているのに、その私から「より具体的な何か」を引き出そうという意図(魂胆)のある「餌」なんだなという感じがしますね(たはは…)。しかも与えられた「餌」には、だいたい飛びつくことにしています。エンターテイメントなんですよ。つまり、ゼミでは口が裂けても言えないが、ゼミの皆と打ち上げにいった時は「酔った勢いで」思ったことを何でも喋る、みたいな。だから、これは番外編。

ぴかさんが見せてくれた「形状」の定義からいうと、私の知るところによれば、反論ありましょうが、あれは「1. 機能が要請する形状」であったということになります。人間が作り出したものとは言え、一定の効果として必要な自然現象(火花を散らす)を繰り返し引き出すという目的に適うという点から言えば、いろいろな「プラグ」が試されたんでしょうけど、結局「あのような形状」に落ち着いたんじゃないでしょうか? そういう意味で言えば、「人間と関係のある」あるいは「人間の欲望と関係のある」自然の法則とも言えるんじゃないでしょうか。「人類がいる限り、遠い過去、遠い未来、地球上に人間がいるなら火花プラグは同じ形をしている」ことでしょう。したがって「「機能が要請する形状」はつきつめて言えば人間とは無関係の自然の法則の世界」というご指摘は、確かに自然界ではそうですが、人間界(人間の欲の世界)でもある程度当てはめられる訳ですよ。

そしてそのプラグがどのように働くものなのか、本当の意味で何の目的のものなのか、という「1. 機能が要請する形状」の本質部分の記憶は容易に失われるが、それがどのような「こと」と関係があったのかという事件については伝承される。そして「誰」が使ったものなのかという所有者(使用者)についての記憶もいつまでも残る。つまり、プラグを例に採れば、どうして火をおこせるのかというメカニズム(仕組み)については皆目分からないが、「どうやら火をおこすことに関係があったらしい」ということは伝承され、またどうやら武器や火器とも関係があり、その道具はインドラさんが持っていて、「敵を殲滅する」のに使われたという、所有者とその目的についての記憶が残っているということです。

ただ「1. 機能が要請する形状」の本質的意味が喪失すれば、今度は「2. 約束が要請する形状」として、そのものの持っている重要度に応じてその後の歴史を生き延びる。意味や仕組みに関しての理性による説明が不能になれば「発し手 - 受け手」あって初めて意味がある形状(徴/コード)ということになっていく。例えば、「元の形」がそもそも何を意味したのかが想像できないほど変形してしまっていても、「特定の意味」を持つものとしてその徴の運用者と読解者がいる限り、「約束が要請する形状」として伝わっていく。漢字などが良い例。もともとあった呪術的な意味合いなどはどんどん薄れていって、世俗にかろうじて関わりのある意味部分だけが生き残って一義的な意味は失われる。そして二義的三義的意味合いだけでその象徴が持続的に利用される。

つまり、「象徴の解明」とは漢字の元の形状やそのオリジナルの意味を研究する学(白川静氏がやってきたような)、に似た様なものということになります。

ここまでくれば「三鈷,五鈷は人類が不在でも機能上の意味のある形状なのでしょうか」という問いについて答えはもはや自明であり、もちろん「人類が不在なら意味はあるはずが無い」となります。つまり、漢字がそうであるように、現在のような「形式」をもつ生き物として人間がいなければ、漢字から何か読み取れるものも読み取る者も無くなる。最初から最後まで人類にしか関係がない。ここには神も仏も(異星人も!)いない、無慈悲なほど「形而下」の問題です。であるからこそ、逆説的ですが、「神秘」なわけです。

この辺りをもって、おそらくぴかさんは「金剛杵の解釈」を錯視図形と呼びたいところなのかもしれません。そうだとしてもむろん驚きませんが。ただ、「プラグ」の問題は、或る「より大きな全体的な絵」における各論に過ぎず、このことだけをもって解釈の真偽を云々しても始まらないのです。むしろこうした細かな一事を以て「より大きな題材」に到達するのではなくて、より大きな題材に対する認知(尋常ならざる認識)が先にあって、こうした各論的な象徴の解釈が後から可能になるわけです。

これはエリアーデの敬愛したハシデウの「歴史に関する大胆な仮説」の第3番において書かれているように、「聖なる現象の根源的な意義を把握することによって、われわれは歴史の解釈することができるようになる。なぜなら、その理解こそ解釈の過程全体を生み出し、導き、体系化する意味の「中心」を用意するものであるから」が暗示していることです。(わっかりにくい表現ですが…)これは、私が言い換えれば、「聖なる現象の根源的な意義(と歴史の秘密)を把握することによって、われわれは象徴的物品(のすべて)をドミノ式に解釈することができる」となるわけです。

「エンジンの点火プラグ」という極めて俗的な「人間の要請」に応えて出来上がった物品が、聖なる意味を持つという「聖俗の転倒*」は、この分野においてはまず一大前提でもあり、その辺りの論考はエリアーデのみならずリン・ホワイトの『機械と神: Machina ex Deo』でも「ダイナモ」を例にして取り上げられていますよね。もっとも俗なものが礼拝の対象になるんですよ。もちろん、人間が俗なるが故に成就する(してしまう)聖なる結末がある(脱聖化の果てに聖がある)ということですね。もちろん冷静な理性が考えれば考えるほどグロテスクなことですが。

* こうした「性質の転倒」ということでいうと、(他者を殺め)「攻撃をするための道具」が「自己を高め護身する何か」という風に一見意味が逆になっているとしか思えないケースもある。なんで武器が生命を守るということになるのかと一瞬思ったりするが、それは今でも軍事力(武力)については似たような根強い「信仰」がある。一方、最も弱いものが一番強いという逆説もある。

ただ自分の経験から言うと、点火プラグというのはその持ち運びやすい大きさ、摩耗しにくいデザイン、適度に複雑な構造、などなどで「ご神体」としては極めて好都合だというのは実感としてあります。幼少の頃、空き地に落ちていた古い点火プラグのいくつかは、近所の仲間同士で分け合って、しばらくは「聖なる武具」のような意味を持つ有り難いものとして秘密の場所に隠したりして大事にとってあった経験があります。大人が見て、それは単なるクルマの部品で、もう古くなって壊れているものだと言いましたが、われわれ子供にとってその聖なる価値は揺るぐことがなかった(それが雷を発生させるものだということも知らなかったのに)。いまでは、点火プラグのキーホルダー*というようなカーマニアにとってさえある種のステータスシンボルとしても機能している事情は理解できる。とにかく、「全体」にとって重要できわめてエッセンシャルな「部分」であり、しかも取り出し可能で携帯できるサイズである、ということです。まさかエンジンやダイナモが聖なるものであったとしてもそれを携帯して持ち歩くには重すぎますからね。

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*「脱俗化」された点火プラグ

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「脱聖化」された五鈷杵

「プラグ」の関連図象としては、「ダイナモ」の他に、東洋では「宝珠」「蓮のつぼみ」(国技館のタマネギ頭から)があり、イスラム圏のモスクのドームがあり、西洋世界では「パイナップル」「優勝カップ」「sevre」「ボーリング・ピン」バリエーションとしては「fleurs de lys」から「アザミ: thistle」の紋章まで、そして重要なものとしては家具や家具時計のトップに位置する「フィニアル: finial」などがあります。今後はその辺りもひとつひとつ図版を挙げて取り上げていこうと思っています。

なにしろ、こうなってくるとエリアーデもユングさえも具体的に言及していない領域になってきますから、そういう内容の言葉の開陳にぴかさんは立ち会っている訳ですよ(なんてまたentee一流の誇大妄想が出てしまった)。

「金剛」への第一歩
エリアーデ語録 #3

Wednesday, September 21st, 2005

(page 58)

「鍛冶神トゥヴァシュトリは、ヴリトラと戦うインドラの武器[ヴァジュラ]を作る。ヘパイストスは、それによってゼウスがティフォンを打倒することができた雷電を作る。しかし、鍛冶神と神々の協力は、世界の至上権をめぐる、決定的な戦いを助けることのみに限定されていない。鍛冶師や鋳物師が同時に音楽家、詩人、冶病師、呪術師であるように、この鍛冶神は音楽・詩歌と関係している。」

エリアーデ『世界宗教史 I』「冶金術の宗教的文脈──鉄器時代の神話」

「インドラの武器」「雷電」と来れば、おそらく金剛杵(こんごうしょ)の類のことだろうと見当をつけて「ヴァジュラ: vajra」を調べたら、やはりそのようで、日本で独鈷杵・三鈷杵*・五鈷杵などの名前で知られる「あの武具」のことであった。密教の世界では仏具として利用されていることは広く知られているものだ。

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最近ではこの「武具/仏具」が装身具のように身に付けるものとして売られていたりもする。だが、エスニック系アクセサリーショップなどから入手しやすいそうした五鈷杵などを見ても分かるのだが、どれにも共通するそのデザイン上の特徴とは、それが中心の真っ直ぐな金属柱とそれにぎりぎりまで近づけられていても触れることの無い距離保って位置づけられ先鋭化された金属の湾状の枝がある、言わば「フォーク」形状にある。もちろん、デザイン状の便宜で中心の金属柱と湾状の枝部分がつながってしまっているものもあるが、それはアクセサリーとしての強度を確保するための便宜でしかない。

* さんこしょ:地上に洪水をもたらすギリシア神話上のポセイドンが三又の鉾(trident)という武器を持っており、それが三鈷杵とも形状的には似ている。

この決して触れることの無い距離まで近づけられた金属先端の突起形状は、いわゆる点火装置(イグニッション/スパーク・プラグ)に見られる特徴である。

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全体図

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拡大図

これはエンジンの燃焼室内のガソリンと空気の混合気を一気に点火するためのプラグであって、1台のクルマにいくつも付けられているものだし、クルマが好きな人なら自分で古くなったイグニッション・プラグを新しいものに交換したりした経験があるかもしれない。それだけ一般的で親しみのある自動車パーツと言えるだろう。このプラグは2つの電極を持ち、距離を持って配置されたこの近接した突起部分に一瞬高い電圧を掛け、そこに放電を起こさせて、それに伴って火花(スパーク)が散るようになっているものだ。その火花が混合気を一気に燃焼(爆発)させる。まさに人工に起こすの小さな雷である。おそらく爆弾の初期点火装置も似たり寄ったりの形状をしていると思われる。

面白いのは、このイグニッション・プラグに似た形状を持った三鈷杵や五鈷杵が、雷電を起こす神(インドラ/帝釈天)の「持ち物*」として知られていることである。そして「点火/点火する」を意味する(ignition, ignite)が、インド=ヨーロッパ諸民族として、ヨーロッパ言語と多くの共通音を持つサンスクリット語の「アグニ: agni」に語源を持つという事実である。アグニ神は、ヴェーダに出てくる火神であり、民衆の間では台所や竈(かまど)の神として知られる。「天にあっては稲妻として走り、地では祭火として燃え盛る」と言われ、炎によって事物を浄化(更新)するその行為の主である。Wikipediaによれば仏教界では「火天」とも呼ばれると言う。

* アスラ族の王ラーヴァナの大軍を一撃で死滅させたインドラの武器は「インドラの矢」とも呼ばれている(ラーマーヤナ)。

この破壊の一撃をもたらす「法具」である五鈷杵が、チベット密教のカーラチャクラの儀式の最後の場面に出てくるのはきわめて印象的である。専門のラマ僧によって細心の注意をもって時間を掛けて入念に完成された精妙なる巨大な極彩色の「砂のマンダラ」を、「世界の至上権」を体現するダライ・ラマが五鈷杵*を手に破壊するという場面である。破壊されることが前提として描かれるこの極彩色の絵を成立させる、原色に近い多量の顔料の砂は、混ざってカオスに戻ると嘘のように、灰色の砂漠のような砂に変容してしまうのである。

* これの英訳がthunderbolt(イカヅチ:怒槌)と訳されているのを見たことがある。

その「名称」で何を分かったつもりなのか
「entee memo」のタイトル再考

Monday, September 19th, 2005

このblogは、entee memoと冠せられているものの、それは読む人によって、あるいはその取り上げるテーマについて切実な関わりを持っていると感じる読者氏によって、単なる「メモ」以上の何かであっておかしくない。少なくとも、自分が書いているこの様式が「メモ」以上の何かであるということはほとんど明瞭であろうと思っていた。人によってはそんなことには意に介さないだろうが、見ての通りの情熱も書くことに捧げている。

だが先日、ある友人訪問によっていくつかの「価値あるやり取り」が実現した。

私が自分のblogのタイトルを言及した際、彼は「メモね…、メモなんだ…」それを何度も繰り返し、彼の中で「何かがすっかり腑に落ちた」ようだった。多分、6回か7回、いやそれ以上その言葉を繰り返しただろう。

件の友人は、私の「entee memo」が「メモ(備忘録)」である(あるいは、「メモ」に過ぎない)ということを知り、したがってどうしてあのような書き方なのか、どうしてあのような「分かりにくい書き方」なのかということに「納得した」ようであった。あれが「メモの一種」であることは、そのタイトル「entee memo」から既に明らかだと思っていたが、それを今改めて確認し、「深く」納得したらしい。やはり「呼び名」が、彼にとってひとつの意味を持ってきたわけだ。

だが何をどのように納得したのか、というのが私にとって重大な関心ごとだ。「○○だから、なるほど、さもありなん」というのが、「納得する」「腑に落ちる」ということである。別の言い方をすれば「○○であるなら、何々が××であっても仕方がない(当然だ)」ということ。

今回は、「だから、なるほど、さもありなん」は、「enteeの文章は<メモ>だから、なるほど、あのような書き方であっても仕方がない」となる。「さも」とか「あの」のところには、「文章が読みにくい」「読者対象がいる感じがしない」「観念的である」などなどのことが代入できる訳である。これら上の評価については甘んじて受け取ろう。

だがなによりも、その納得の仕方の「腹の奥底」には、そのように腑に落ちることで、おそらく「それが自分には関係がない」「読むに値しない」ということに自分を納得させることにも成功したのだと私は解した。納得はしたとしても、しかし一体そのタイトル(呼び名)から彼は何を本当に理解したというのだろう。それはむしろ「理解しなくてよいもの」という風に彼が納得したのだという風にしか聞こえなかった。

おそらく彼にとっては、このような冗漫で過度に抽象的、そして忍耐を強いられる文章を読まないで済ませられるならそれに越したことはないのだが、いまや彼は「読む必要がない」という決定的な動機と理由を得たのだった。しかもそれはその文章の内容や題材によってエッセイひとつひとつ個別に判断するというよりは、その文章が「“メモ”という名前で呼ばれるものに過ぎない」というただ一点によって、友人の文章を読まなくても構わないと言う「免責」を得たのだった。

それが「メモね…、メモなんだ…」と6回も7回も繰り返し(納得し)たことだと思うのだ。

メモの実態(内容)がなんであるのかということ(それを掴むのは簡単なことではない)ではなくて、とりあえずその「呼び名」が何なのであるのかというのが解れば、納得できて、話はそこで終わってしまうのである。それが、名称や名前、そしてカテゴリーというものの持つ落とし穴でなくて何であろう? だから如何なる名前/カテゴリーというものも、ある特定の前提あっての単なる便宜以上の何ものでもない。したがってその全体を検討し直せば、いかに名称そのものは、その内容ほどの重要性を持たないのか、ということはもはや議論する必要さえない程、自明なことなのだ。

名前やカテゴリーが人の考えに境界を引くことにしか役立たないこのような典型的な例を見るにつけ、自分のカテゴリー不信というのはさらに高まるのである。だがこれが一般的な意識のレベルなのであろうか?

■ □ ■

というような、私に発せられた言葉への批判は横に置いておいて、実際問題、文章の内容が「entee memo」と呼ばれるのに相応しくないということは、それはそれで検討しようかな、などと思ったりもしている。だって、「メモなら読むに値しない」なんていうレベルの感想を抱く人がいるんだったら、そういう人のレベルにあわせるというのも「読んでもらう」ための戦略じゃないですか。やはりそれに変わるタイトルは「衒学のためのレクイエム」しかないかな(と、何度でも出て来るのである)。

「衒学のためのレクイエム」の目次の更新

Sunday, September 18th, 2005

自分の立ち上げているメインサイト『課題が見出される庭園』の中に、「衒学のためのレクイエム “entee”の言の葉」というコーナーがある。こちらの「entee memo」の方で、何でも書いてしまう方向に流れたので、ほとんど休眠状態に近いほど更新をしていなかったコーナーとなっている。それを久しぶりに更新した。

自分の使っているblogは、スキンを選ぶことが出来るくらいのカスタマイゼーションは可能だが、基本的な機能自体を自由に帰ることが出来ないそういう「スペック」になってしまっている。かなり不満だが、与えられる側(user)で、しかも現在使っているホスティングサービスにも深く「恩恵」を受けてしまっているので、簡単に引っ込みがつかない。「お客」として取り込まれてしまっているのである。運の悪いことに、そのメインのホスティングサービスの方も、自分で好きなblogをアップすることの出来ないスペックになっているのだ(なんでなの?)。だから、不満でもこの「出来合いのblog」で満足するしかない状態なのだ。

一番の問題は、信じ難いことだが、アップした記事の見出しをリスト(目次)としてトップページに表示できないと言う事だ。したがって、日にちごとか、検索機能を使って特定記事にアクセスせざるを得ない。私のblogは、いつ頃何をしたかということほとんど何の重要性もないもので、どんな考え方をしたのかという思考のプロセスを見せることくらいしか意味がない。そんな書き手からすると、このblogのデザインは大いに問題なのだ。

結局何をしたかというと、これまで書いてきたblog記事の見出しをリスト化して、自分のサイト内で見せるということくらいだ。先にも書いたように、幸い「衒学のためのレクイエム」というエッセイ集があったので、その目次から直接自分のblogの書くエッセイにリンクを貼った。blogは本来データベースとして利用しやすさこそが眼目であるにもかかわらず、それが出来ないので、「らしからぬ」対応をする以外にない。

だが、こんなことに時間を費やしたお陰でここ半年近く自分が書き散らしてきたことをまた振り返る契機が出来た。それはそれで悪いことではなかった。

どんどん積み重ねられていくことばの堆積の中で埋もれていく運命にあるentee memoであるが、それに別のアクセス可能性を追加したことで、また起こって来る「問題」というのもあり得るのだが、それは起きてから心配することにしよう。

「自己解体」を内包しない人間の組織/運動について
ショーレムとエリアーデの理説に絡ませて

Friday, September 16th, 2005

フェミニズムそのものの現実については、私はまったくの局外者である。したがって、とりあえず「そのようなこと」もあるのかな、と内田氏の感覚をとりあえず信じるか疑うしかない(経験的にはおそらくcredibleである)。だが、その具体的内容の方ではなく、ひとつの「運動」について、「人間のなし得る」運動の本質について、その周囲にあつまってくる寄生虫のような連中が、その本質さえ危ういものにするというその捉え方にはまったく共感を覚える。また、昨日ちょうど用意した自分の記事とも連動するので、いつものように引用する。とにかく、「人間の組織/運動」というものが持っている度し難い「普遍的性向」についての言及であると捉えた。あるいは、一旦できあがってしまった「人間の組織/運動」というものが「自己解体」を知らず、学ぶ事の無い自己目的化とでも呼ぶべき方向へひた走る傾向についての…

インデント「隆盛であるもの」には必ずコバンザメのようなタイコモチのような、「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらすやつ」が付きものである。フェミニズムがその威信の絶頂にあるときに、どのような反論批判にも「男権主義者」「父権制主義者」「ファロサントリスト」と鼻であしらって済ませる、頭の悪いコバンザメ的論客がそこらじゅうでぶいぶいいわせていた。(中略)これはフェミニズムの罪ではない。

支配的な社会理論には、それがどのようなものであれ、必ずそれを教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」が付着する。

バーバラ・タックマンの『愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで』を繙(ひもと)く必要さえ無いかもしれない。私がよく取り上げるキリスト教団について言えば、ローマ教皇庁の長年の口にするのも穢らわしいほどの放埒と堕落とがある。それは、どんな宗教者や信仰家にとっても真摯に一旦認めなければならない歴史的事実であろう。それについて言えば、さしずめ…

支配的な宗教教義/神秘体験には、それがどのようなものであれ、必ずそれを教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」が付着する。

と言い換えることが出来る。これがフェミニズム運動とまったく同じなのかどうかは分からないが、キリスト教団においては明らかに、その長い歴史の中でまさに「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらす」寄生虫が、むしろ教団の中核的指導者として君臨した(おそらくそうした時代の方が長い)。

ある程度成功した「人間の組織」としての宗教団体というのは、キリスト教団に限らず、案外大同小異である可能性が高い。幸か不幸か、自分はいかなる宗教団体に属したことが無かったので、その実情も自分のリアルな体験として実感したことは無いが、宗教の<本質>とは全く別個に、「人間の組織」としての宗教団体というものは、どうもそういうものであるらしい。

そうした事柄を一旦踏まえた上で、昨日の「ショーレム再読」があるのである。つまり、周縁的な神秘体験者と「(そうした現象を生み出しさえする)宗教団体」の権威との間の緊張関係とは、まさにそうした「理説の本当に生成的な要素」とそれを破壊しつつ君臨する支配の論理との間の葛藤であり、時として共犯関係となる二者の関係でもある。

むろん、君臨する支配的中核の「権威付け」の熱心な「働き」によって、教団が絢爛たる塔や美術品の数々を欧州のみならず世界各地にもたらす事が可能になったし、そうした目に見える「作品」や「相続品」の中に、その教義や密儀の数々が保存されたり、また非信仰者さえ触発 (inspire) し、場合によっては「伝統的権威の生れ出たその同じ源泉」に遡る個人的神秘体験を発生させたことが事実でない、などと主張する気もない。

つまり、俗的支配と腐敗を恣(ほしいまま)にした教団中核やそれをサポートするパトロンの存在(富の極端な偏在)さえ、神秘体験と全く無関係ではないという、グロテスクなパラドックスが存在するのだ。これは無視できない要素であり、宗教の一体何が良くて何が悪かったのか、ということを即断する事も実は容易でないのだ。

筆者は、宗教団体についての大いに聞き伝えられた「現実」をもって一刀両断に行なう宗教そのものについての価値判断にも、宗教団体の内部から発信されるインサイダーによる教義注釈による価値判断にも、そのどちらにも決して与する事は無い。

しかし、宗教というものが、「かつて或る時にわれわれの上に降り掛かったある事態」を契機に発動されたものであり、その「記憶」の維持もしくは回復をなし得る知恵の宝庫であり、またそうした出来事の「永遠回帰」を必定のものとせず、いかにして「再現」を回避しうるのか、いかにしてそれを「神話の再創造」から切り離すのか… そうしたわれわれの「今後の生存」に緊密に結びついた、歴史を超える至宝としての宗教の重要性は、絶対に揺るぐ事は無いのである。

(いかにも「エリアーデ風」というか、彼が言いそうなトーンではあるが…)

ゲルショム・ショーレム再読

Thursday, September 15th, 2005

これがアップされる頃は、渋谷でライヴを演っているだろう。

(引用開始)

寡黙な無名の聖人たちの本質の持つ価値がたとえどれほどわれわれにとって計り知れぬものに映るとしても、宗教史というものは、彼らとはかかわりがない。宗教史は、人間が他者と交流しようと試みるときに生ずる出来事を対象とするものなのである。しかし、一般に認められているとおり神秘主義者の場合、この交流というものには一筋なわではいかないむずかしさがある。宗教史の観点からすれば多様な宗教的現象の総体としての神秘主義とは、神秘主義者たちが追い求めた道、彼らに授けられた悟り、そして彼らが閲した経験を、他の人々に伝達し解釈を施す試みにほかならない。この試みがなければ、神秘主義が歴史上に出現することもないのである。そして、まさしくこの試みにおいてこそ、神秘主義と宗教的権威との出会いと衝突が実現する。

ゲルショム・ショーレム『カバラとその象徴的表現』(page 8より)(法政大学出版局)

小岸 昭/岡部 仁 訳

この点で言うと、キリスト教団は実に「傲岸不遜」にも、あらゆる神秘主義者を生み出し、それらとの緊迫的な邂逅をもたらしたにも関わらず、それ自体は、相も変わらずその教義本体であるところの「出来上がりつつあった」聖書を、まさに字義通りに解釈する以外のことを許さず、権威の核としてこそ存続した。これはまったきアイロニーである。すなわち、その中心にどっかりと腰を据えて、その権威強化とビジネスとしての教団組織の成立・強化に邁進した教団エリートたちこそが、最も本質的宗教的体験の周縁に存在していたのであり、この錯誤的な組織存続への高いプライオリティがあってこそ、宗教そのものは人々に知れ渡るところとなったのであるし、ある程度の数の神秘体験者を集めたはずだし、あるいは神秘体験そのものを触発さえしただろう*。だが、本質的宗教体験を得た人間は、その組織の中核的な人員の世界観とは対立したし、決して中核に交わっていくことはできなかった。したがって、つかず離れずの位置か、あるいは周縁において、中央と緊張関係を築くほかなかった。そして、その緊張関係は、恒に中央の勝利、周縁の敗北によって終了されたに違いない。

* 教団自体は、まるで道家の家元のような機能を持っているのであって、象徴やあらゆる知の金庫室であったのだし、それを保存し、また伝達するというルーティーン的ではあるが重要な役割を担っていたから。

無論、こうした神秘体験者は、教団中核の意思によって抹殺されるが、何年か経って、その「名誉」を回復し、皮肉なことにこの教団の「時の毀誉褒貶の判断」によって「聖人」となる場合が多いのである。ただし、「聖人」となるのは、聖人が団体と無関係に神との関係を築いた個人であったに過ぎないとしても、そして、その「控えめさ」という理由によってこそ、尊敬を集め、特定のこじんまりとしたひと纏まりの仲間をこしらえただろうが、神秘体験者の死後、初めてそうした人々(仲間達)の影響が無視できなくなった場合に、「無名の周縁的神秘主義者」は、有名な聖人と格上げされるのである。ほかならぬ、この格付け機関たる教団中央が、彼ら「聖人」の最初の抑圧者、あるいは殺害者であるにも関わらず。

(引用開始)

一般に、神秘主義は、再三再四新しい酒を古いかめにいれようと試みる──承知のとおり、これは福音書の有名な個所で戒められている行為そのものではあるが──と言われてきた。(略)神秘主義者は、どうして保守主義者だと言いうるのか、どうして伝統的な宗教的権威の先駆者となり解釈者となりうるのか? どのようにして彼は、カトリックの偉大な神秘主義者や、ガッツァーリのようなタイプのスーフィ派教徒や、ほとんどのユダヤ教カバラ主義者たちが成しとげ得た成果を、自分でも達成することに成功するのだろうか? 答えはこうである。これらの神秘主義者たちは、伝統的権威の源泉を、もう一度おのれ自身の中から再発見するらしい。彼らのたどる道が、伝統的権威の生れ出たその同じ源泉に彼らを遡らせたのだった。(略)神秘主義者たちの方が、宗教的権威を最も厳密な意味において堅持してゆこうと努める。

ゲルショム・ショーレム『カバラとその象徴的表現』(page 9より)(法政大学出版局)

小岸 昭/岡部 仁 訳

ここで言及される「伝統的権威の源泉」とは、そもそも権威となった宗教教団の中核が、そもそも神秘体験者であった、そして今では既に過去のものとなったその「神秘的事実」を確認する言葉なのだ。だが、教団中核が保持する地位と権力を相続する後継者たちが、必ずしもその神秘的事実を内的実感(個人的現実)として理解しているとは限らない。そもそも一旦疑いなく「真実らしきもの」が、教義として打ち立てられるや、その相続者は神秘家の言葉の「そのままの保持」とその権威の存続を組織の目的とするからである。そして、それ(伝統的権威)は権威的伝統となる。そして、長い歴史の中で、その伝統の生まれ出した源泉に遡って、個人的体験を通して、「ある種の神秘」に与る少数者が何度でも出現する。それはその源泉が「おのれ自身」から再発見できるために、ある程度周期的にこのような人物が、歴史上に登場できるのである。

この神秘的経験の可能性を承認するなら、われわれの今日語る意味での祖型的表象が時代や場所を超えて繰り返し出現することの理由の一つを見出したことになる。すなわち、脳や心の働きを含めての「身体」に、こうした祖型の源泉があるということになる。さらに言えば、「身体」に源泉がある以上、表象の「交換/流通可能」な側面が、より多くの人々に対して、「それに対して注目せよ」と注意の喚起が可能であった理由も説明する。そもそも人類に共通の「身体」にその源泉があるのであれば、それは「揺り起こす」ことが可能なのである。実際、少なからぬ人々がそうした表象を通じて、半ば「自発的に」秘儀に参与できた(イニシエートされた)理由を説明するのである。つまり、交換/流通可能な外在する表象と、自発的に源泉に遡って神秘に与る内在する「表象」は、いわば二人三脚で、その体験の幾度とない復活を可能ならしめているのである。

韜晦の終わり #3(神秘思想の真相/深層)

Wednesday, September 14th, 2005

文字通りの意味で、「実に、有り難い」ぴかたれらさんとの対話の中で出て来た言葉:「元型(アーキタイプ)の表象について網羅的,博物誌的,収集的には語られているものの,それそのもの核(コア)は,ユングにしてさえ口が重くなり曖昧になる」という傾向、そしてそれは何故かということについて…

元型(祖型)が何を「起源」とするものなのか、という問いについては、当面、どう考えようと、それはどうでもいい。

象徴体系/神秘主義などについて語ろうとすると、ある種の「韜晦」がなぜ生じるのか、ということについて、「語ろうとする立ち場」から説明してみる。

ひとつには、どのような方法によってかは問わず、「識っていること」をただ話すだけなら簡単だが、その結論自体に「科学的根拠があるとは思われない」という理由で排除される可能性があるということが大きい。要するに「実験的に証明できるような正確な対象物がすでに失われて久しい」(リュック・ブノア)からである。一方で、「超心理現象から地球外生命まで」の類にすぐ飛びついて、「何でも信じてしまう」傾向の人々からも、それが「超心理的」なことではない、ということが納得してもらえない*し、そうした「信者」達によって、この分野が疑わしい似非科学であると混同して理解されてしまう怖れが、われわれを再び寡黙にさせるのである。

* 人によっては「荒唐無稽の程度の問題だ」と言うかもしれないが、人間以外の何か (something super natural) に原因を求めるその「神秘主義」は、起きたかもしれないまったく物質的・身体的レベルでの「途方もなさ」を信じるよりも、かえってそうしたSF的な「不思議」の方に一足飛びに心が奪われるようである。

そうした事情から、説明者は真面目に受け取ってもらいたいと願うあまり、エリアーデが試みた如く、「実験的に証明できるような正確な対象物」が無いにも関わらず、畢竟、「論理実証主義」的な方法を採らざるを得ず、そのために退屈なほどの長時間を要する迂遠な手続きを経なければならない。(しかも、不運なことにそのような「証明」につきあえるほど「現代人」はヒマではない。)

単に博物学的な資料の羅列なら、蒐集に掛ける努力は大変なものだろうが、博物学者にとって「説明」は比較的「気が楽」である。なぜなら、そこには収集提示することが目的となっているので、博物学的な資料として必要なデータを見せながら必要最低限の資料についての説明することが、「語ること」を意味するからだ。だが、全体としてはそれらが「何を表しているのか」、「何を意味をするのか」という「総合の要請」に答えなければならないとなると、一見荒唐無稽にしか思えないことに言い及ばなければならなくなる。

そして、総合的(包括的)な回答を示そうとするほど、それに掛かる時間と、それをそれとして理解するために必要な博物学的な知の量が結局、本質的な問題となる。ということは、「総合の要請」には応えたくとも、回答を受け取る側にもその答えを「受け入れる」ためには、発信者と同等かそれに近いだけの知の量が求められる訳である。従って、それを説得するプレンゼンターが自身で体験したのと同じ手続きで、パブリックが「それ」を追体験することは無理だろうことにも想像が至るので、やはり理解を得る事自体が無理だろうと諦めてしまう訳である。

だが、むしろ網羅主義的な「蒐集」というものが起こるのも、ある意味、むべなるかな、という面がある。何故なら、「まだ前提となり得ていないこと」を一般的原理として打ち建て(創造し)ようとすることなので、その方法は帰納法(事例の収集)を採らざるを得ず、総合を計ろうとするほどに、事例収集は徹底せざるを得なくなるからだ。だが、自分にとっては、蒐集は人に任せたい。私に言わせれば、「もう十分に揃っているよ」ということなのだ。だから、巨大な演繹法を使って、次なような結論を出さざるを得ないということなのだ。

それはもう前提となっているではないかと言われそうだが、私の言っている意味では、まだ十分に認定されるほどの前提となっていない。それは「文明は死ぬ」ということである。そのどこが、珍しいことなのかと言われそうだが、

大前提(一般的原理): 文明は死ぬ

小前提(事実): 「われわれの世界」は文明である

結論(個々の事情): 「われわれの世界」は死ぬ

ということである。そしてさらに言うと、

大前提(一般的原理): 死んだ文明は生き返る

小前提(事実): 「われわれの世界」は死に往く文明である

結論(個々の事情): 「われわれの世界」は死んでその後、生き返る

これだけ読めば、ある意味「自明」過ぎて、「神秘主義」とさえ呼べない話であろう。だが、ここで言う「文明」が、どういう意味の<文明>であるのかをここでは断っていない。たとえば「歴史は繰り返す」と言う時、どういうスケールの<歴史>を語っているのかをここでは明示していない。誰もが「知る」ように、私が断るまでもなく、文明や歴史には隆盛があり滅亡があった。「栄枯盛衰」「驕れるものは久しからず」などなど、言い古された言葉達がある。つまり、やや古い地層から発掘されるような意味で、あるいは古い歴史書や神話や伝書を紐解けば見つけられるという意味で、はたまた「実験的に証明できるような正確な対象物」を有する時代の範囲内で、「文明がかつてあった」「人類史は似たようなパターンの繰り返しである」というような、自明な意味での「歴史」や「文明」ではないからである、ここで語っていることは…。それは、それはエリアーデが高く評価していたというハシデウの「歴史に関する大胆な仮説」の中でも「さりげなく」使われている「超歴史的」という言葉が指し示すスケールのものである。

そうしたことを「鳥瞰する」体験、というものはある。過去が見えたためにありありと見えてしまう未来というものがある。それが如何にヴィヴィッドなものであれ、「歴史的に証明できる対象物」は失われて久しいのだ。そうしたときに、何を語るべきものとするのか。語るべきものを持った人間が、どのような言語によってそれを語るのか、それが大いなる問題となるのである。詩がもっと読まれた時代なら、少しは事情が違うかもしれない。映像表現というものを人間が持たなかった時代よりは、以前より有利な立場にあるという言い方もできる。しかし、たとえばタルコフスキーやキェシロフスキが、どのように多くの鑑賞者から捉えられているのかという現実を見れば、一体どれだけ、「詩が読まれた時代」より有利と言えるのであろうか? 私に言わせれば、それは「絶望」と呼ぶに相応しい状況である。

だが、「絶望」を絶望しているだけでは、ダメだという心を養生するすることを、この10年で覚えた。恐怖を畏敬という言葉で言い換えることを学んだ。そうして、『解読』を世に問うことにしたのだ。

それでも「酔った勢いで話す」みたいな状況は出てくる訳で、そこで暗示的に語られることは、おそらく第三者からしてみれば、「思わせぶりなだけ」の発言と思われて、ほとんどの場合終わったとしても、私は驚かない。どれだけ、あからさまな表現をしても、それでも分からないという人は必ずいるものなのだから。

韜晦の終わり #1(詩がわれわれに語るもの)

韜晦の終わり #2(これを、あれから区別する)

エリアーデ語録 #2

Tuesday, September 13th, 2005

植物の聖の「神秘」と結びついた宗教的観念と神話と儀礼的シナリオに、われわれはたえず出会うことになるであろう。なぜなら、宗教的創造性は、農耕という経験的現象ではなく、植物のリズムの中に認められる生、死、再生の神秘によって生み出されたからである。収穫を脅かす危機(洪水、旱魃など)は理解され、受容され、制御されるために神話的ドラマとして表現されるであろう。それらにもとづく神話や儀礼シナリオは、やがて数千年に渡り、近東の文明を支配することになる。死んで生き返る神々という神話的テーマは、もっとも重要なテーマに属している。これらのアルカイックなシナリオが、新しい宗教的想像を生む場合もある(たとえば、エレウシス、ギリシア・オリエント密儀。96節 参照)。

下線:エリアーデ自身による

太字:enteeによる

エリアーデ『世界宗教史』

「女性と植物 聖空間と世界の周期的更新」よりpage 44

この何気ない、誰にでも親しみのありそうに見える記述自体が、相当にあからさまな部類のエリアーデの主張するメッセージの中核である。その点で、この文章は無視できないほどの重要性を持っている。農耕については、「経験的現象ではなく」と強調しているところなども、いわゆる人類の農耕体験がそれを初めて見つけさせたのだ、というのではなく、植物自体の特性に注目せよと言っているのであって、メッセージ発信の点で極めて親切である。こうした植物の死と再生の神秘については、あらゆる詩人が取り上げている普遍的な題材の一つと言っても良い。特に日本においては、こうした「死と再生」のモデルとして「桜」や「梅」が存在しているのである。

ここで「死んで生き返る神々」と断っている部分についても、それが後のキリスト教に見出される「死と復活」という僅か2000年ほど前にようやく成立を見た「最も若い神話」に先立つ祖型として理解すべきであると、さりげなく注意を喚起しているのである。

蛇足で文意の本質から逸れるものであるが、「やがて数千年に渡り、近東の文明を支配することになる」とエリアーデが断っているように、農耕というものは、「近東の文明」維持のための支配的な手段だったのであり、その後の「いわゆる近東の文明」の絶対的背景であったユダヤ=キリスト教の文化が、「日本の文化と違って遊牧や狩猟採集であった」などという、バカげた初歩的な認識上のエラーは、まったく考慮の余地さえないレベルの低いものなのである。