Archive for October, 2004

日本の戦争

Friday, October 29th, 2004

日本の「軍事力」を以て戦争に荷担することは出来ないとか、日本人は格別戦争を望んでいないとか、なんだかんだ言ったって日本は米軍に守られているとか、あるいは、中国は依然として日本にとっての脅威であるとか、はたまた、北朝鮮との軍事対決は、自国の防衛を理由にしたもの以外にありえないとか、戦争を望む者にも望まぬ者にも共通してあるいくつかの「日本と戦争」に関する幻想が抜き難くあるように感じられる。これは実にもどかしい。

かなり日本の戦争責任や平和の実現に対して、比較的意識の高い人であっても、現在の日本が世界に対して何が「可能」なのか、あるいは世界から見た日本がどんなに脅威なのか、などに関しては存外無関心であったり、無関心でなくても、巧妙なメディアコントロールのために知識が絶対的に不足しているのではないかという疑いが拭えない。いや、私は自分たちの無関心をメディアのせいだけにする気はない。むしろ、メディアはわれわれが関心を持ち、見たい聞きたいと思っているものを提供するだけの「安心の装置」なのであるから、メディアの届ける内容を以て自分たちの無関心を正当化することもできない。

「米軍第1軍団司令部の座間受け容れ」についての人々の関心の度合いから言っても、われわれの近い将来の安全や再び戦争の加害者になるかどうかの大問題であるにも拘わらず、その事実を知らないという人が大勢いる。新聞の扱いも、まったく十分というにはほど遠い状態である。これについては、旧版entee memoでも言及した。心情的には言いたくないが、いわゆる左派と言われるような新聞ほど、こうした重要なことを伝えることを怠っているような印象さえ持つ。自分はたまたま「試供版」として新聞受けに無料で突っ込まれていた、かの産経新聞の特集記事でそのことを知った。毎日や朝日がそれについて取りあげたのは私の知る限りでは1週間から10日遅れだった。(いつまでも誰に向かって「主張」をしたいのか分からない差し障りのない社説を垂れ流してジャーナリズムの役割を果たしているかに見える「良心的」大手新聞よりも、敵の論理を進んで配信してくれる産経の方が、われわれにとって役に立つんじゃないかと真剣に思った。)

だから、十歩譲って「日本が戦争を望んでいない」として、それは望まないことだけで実現することでは、もやはない。日本が自決可能な独立国でなく、明白なる属国としての地位の中で軍事大国の世界戦略の中に組み込まれていたら、もはや日本の「望み」とは無関係に、ことは起こっていく。

そして、「組み込まれていたら」という仮定の話ではなく、「組み込まれている」という厳然たる事実が、あちこちからその様相を呈し始めている。このあたりの現実は次の記事に詳しい。(「米世界戦略に組み込まれる日本」@ 窒素ラヂカルの『正論・暴論』)

清沢洌(きよし)が、戦時中の日本人が戦争をやっているという自覚がなかった事を、その『暗黒日記』のなかで記している。たとえば敗戦の年の正月あたりの記述によれば、その頃ようやく日本が「戦争をしている」自覚を持ったのだという。勝っている戦争なら、自分たちが戦争をやっているという認識を持てない。負け始めてはじめて自分たちが戦争をやっていることを悟ったのである。

私は、今後の日本が、正当化できない戦争に荷担したり、積極的に参加したりしても、「連戦連勝」して無自覚でいるということを畏れる。かつての朝鮮戦争やベトナム戦争自体がそうだったとの指摘もあるだろう。もちろんそれを否定する気はない。しかし、それは過去のことではなくて、今後もアメリカ合州国という強力な覇権国家の陰にいて、「守られて」いる実感も「協力して」いる実感もなく、十分繰り返し起こりうることだし、おそらく「最もありそうなかたち」の日本の戦争参加なのである。

Trackback実験・其の弐

Thursday, October 28th, 2004

これは実験。

今回は、確かに言われた(誰に?)通りに、記事の表示してある時のURLそのものを自分のblogの「トラックバックURL」の欄にぶち込んで投稿してみた。無関係者は何のことやら分からないだろうが、私自身がなんだか余りよく分からずに色々試しているのだ。なにしろblogってやつには謎が多い。

こちらのblogにトラックバックしてくれた人の記事は、こちらのblog上では「立派に文字化け」していて何と書いてあるか分からないし...

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9. 日本侠客伝 関東篇 (1965)

Thursday, October 28th, 2004

この映画のキャスティング的な特長は、いつも大活躍の藤純子が完全に脇役である一方、魅力溢れる「社長」を南田洋子が演じているところ。ぜんぜんリアリティのない網元衆の元締め役として丹波哲郎が出ている所など。そして、「今カタギ元ヤクザ」、早まって「鉄砲玉」のように敵方に飛び込んで「犬死に」する若造役をおそらく二十代の北島三郎がやっていることなど。

深川木場を舞台にした第1話、大阪を舞台にした「浪速編」に引き続き、第3話の「関東編」だが、冒頭から登場する高倉健が、よく喋りよく飲む軽いノリの人物。全体的に敢えてそういう調子を押し通して、「今までの侠客モノと違う」感じを出そうとしているようだが、これは、築地という場所柄か? 高倉健が船に乗り遅れるおっちょこちょいの水夫役というところから、すでに相当違和感がある。それに対して、鶴田浩二の登場の仕方の「堂に入った」こと。なかなかのヤクザである。最後に「キメ文句」があって何とか観る甲斐ありの感を取り戻したが、全体としてはちょっとどうか? 南田洋子の魅力があるから許せる。

最後のキメ台詞

江島勝治(鶴田浩二):鶴田

緒方勇(高倉健):高倉

栄(南田洋子):南田

すべてが終わり、警察が来る。水産組合に切り込んだ江島勝治と緒方勇の二人に手錠が掛けられる。

鶴田:おう、待ってくれ。

張本人は俺ひとりだ。この男には何の関わりもねえ。

高倉:(間)勝つぁん。あんたんだけ、辛え思いさしたんじゃ、俺の立つ瀬はなくなるよ。

鶴田:(呆れ気味に)おめえも付き合いのいい男だなぁ。

(間)(栄に向かって)お嬢さん。こいつぁ、すぐ帰えって来ますよ。待っててやってくれますね。

南田:(だまって頷く)

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“嵐”前夜?(Trackback実験・其の壱)

Tuesday, October 26th, 2004

AOLを去って、同時にスパムの嵐からも逃れられたのだが、めずらしく今朝までに一晩で2件のスパムメールが。嫌な予感。どうやって自分のメールアドレスを知ったのだろうか? blogを最近始めた友人のサイトの「分別ゴミ」でも言及があった。(実はこれはtrackback 機能の実験なんです。いろいろ昨夜親切にも電話で教えてくれたから。無理やりひとのblogにリンク貼ってます。)

さて、そのblogなんだけど、ひょっとしてblogってにその所有者のメールアドレスをひとに「憶測」させるのか? まさか…。いや、それはあり得ないことではないな。それとも、だれかが知らずに「洩らして」いるのか。あるいは事故で漏れているのか? そういえば、この間、あるひとの「告知メール」で思いっきりCCで送ってた人がいたよな。もちろん謝罪はあったけど、起きてしまったことはどんなに深刻でも不可逆なわけです。覆水は盆に返らない。誰にでも間違いはあるから、責める気はないけど、ひょっとしてああゆうのがきっかけになるのかな?こういうときの過失メールは送られた全員が、無条件に自分のパソコンから消去しなければいけないとか、送った本人が消去を全員にお願いするとか、せめてそれくらいのことはあっても良いかもしれないね。

何が原因であるにせよ、一度バレたメールアドレスは、ひとりでに消失したりすることはないので、それを所持している人が自ら破棄しない限り、ずっとどこかに残り続ける。とにかく、自分のメールアドレスは、このblogを含めて公開していないので、スパムが来ることは実に不思議なのだ。

それにしても、スパムを濾過するフィルターのお世話にはなりたくないな。設定がめんどくさそうだし。それを始めたら、真っ先に自分のメールが皆さんのパソコンからハジカれそうだしな。だって、「ご招待/お願い」メールがほとんどだから。フィルターでハジカれないような文面の開発や応用というのも、既にダイレクト・マーケティングの世界では「進化」し始めているんだろうね。ウィルスとワクチンの関係で、濾過する方の技術も濾過を通過する方の技術も、どんどん洗練されていくんだろうね。でもそれって終わりのない攻防になったりするんじゃないだろうか? 嫌な感じです。

Botti-Hayashi Collaboration tonight!

Monday, October 25th, 2004

類い希な至福のひととき。9時過ぎ、麻酔に掛かったような余韻に浸りながら音友ホールを出て、飯田橋の駅に向かい家路につく。今宵のコンサートをどう語ることが出来よう? 2本のオーボエと弦楽が織りなす至上のハーモニー。いまだにある種の多幸感のリバーブレーションの中にいる。このようなオーボエの響きに再会したのは、一体何年ぶりだろう。

もう何年も前に、ハートレンチングで共演した盟友、音楽上の欠かせない理解者のひとり、林憲秀と、彼の在米時代の師匠ロバート・ボッティ(ニューヨーク・フィルのオーボエ奏者)とのコラボレーション・コンサート。そして、室内楽的な丁寧な弦楽アンサンブル。テレマンのタフェル・ムジークやビバルディの四重奏、アルビノーニのコンチェルト。どれもが、天国的なアンサンブルとなって、音友ホールの高い天井まで浸すように広がった。

そして...

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「上野発、越後行き」の行方は?

Sunday, October 24th, 2004

先週の木曜と金曜の夜は、来週の週末予定している新潟の越後湯沢近くの一泊二日の「合宿」の前に、ちゃっかり「前泊」をするための調査でネット中を徘徊した。宿泊できそうな候補や電車の時刻表やらをプリントアウトし、ほぼ2日間朝方まで過ごした。新潟に関しては、まったく土地勘がなかったので、今回改めて地図を観たりして、どんな鉄道路線があり、どんな地名があって、またどんなところに泊まれそうなところがあるか、などなどをようやく覚え始めたところだった。だが、特に金曜の夜は調べるのに極端な疲労を感じて、「逆にこんな事をする意味があるのだろうか。いっそのこと止めてしまおうか」という自棄なアイデアに心を奪われ始めていたところだった。そんなとき、深夜を回った辺りで、突然長いこと忘れていた、ある「嫌な感覚」を覚えた。小学生や中学生の時にはよく感じたあの原因不明の胸騒ぎだ。

落ち着かなくなり、何をしても集中できない病的な不安感。そのとき、「地震が起こる」というほとんど確信に近い感覚を得たのだ。私は亜紀子に「地震が来ると思う」と言って何か準備をしようと提案した。

水をペットボトルに用意してもらい、寝室の枕元には普段おかないスリッパを用意した。大きな地震が来ればいろいろなものが床に落ちたり割れたものが散乱したりして足の踏み場がなくなるからだ。倒れて割れそうな額入りの絵を頭上から足許に移した。頑丈なダイニングテーブルを寝室の入り口近くまで持ってきて、いざというとき潜れるようにした。甘いものをまとめてビニール袋に入れた。余り意味はないと思ったが頭に被れる帽子も枕元に用意した。懐中電灯も。ベランダ側の鍵は開けておいた。それほどの大きな地震が来たら窓は全部割れるだろうからナンセンスだとは思ったが、すこしでも「閉じこめられる」事の恐怖から逃れるためである。これで何も起こらなければそれはそれで良いではないか。

そして、寝る前に揺れが来たときどこに逃げるかとか話し合った。

土曜日の朝は、それでも9時半過ぎに起床して地震が来なかったことに胸をなで下ろした。夜の暗闇で地震に遭うのは考えただけでも恐ろしかったからだ。土曜は町田の両親と甥に会う約束になっていたので、4時半頃ひとりで家を出た。バスの遅延で思いのほか時間が掛かったが、6時ちょっと過ぎに実家に到着した。家に近づくと、80メートルくらい離れたところから外の通りに出た母の姿を見かけた。こちらに気が付いたと思ったがそのまま家の中に入ったのを目で確認した。うちにはいるなり、「今大きな地震があった」と言った。「揺れを感じなかったか」と訊いた。「バスに乗っていたから全然気付かなかった」と応えた。父はテレビを付けて地震速報に釘付けになっている。暫くすると実家でもかなり大きな揺れを感じた。2度目だという。

震源は新潟。昨日の夜調べていた県内の地名が大写しになっている。新幹線が脱線しているという。時間を経るに従って続々と集まってくる情報を観ていると、どうも被害の様子がつかめていないことが分かる。

すぐに留守番をしてひとり自宅で仕事をしている亜紀子に電話をした。かなりに揺れだったという。土曜日の夜は、実家に泊まった。翌日(今日)の新聞を見ると被害の大きさに驚いた。亡くなった人がいる。行方不明の人がいる。交通が寸断されていて孤立した村がある。避難する人が増えている。電気が復旧していない。食糧が足りない。乗ろうと思っていた上越線にもかなりの被害が出ている。などなど。

大きな地震の震源は関東地方ではなかったが、来週予定している「合宿」先に近いところだったことが分かった。早ければ今日にでも上越線はあちこちで寸断されているという。予約しようとしていた上越新幹線も越後湯沢までの折り返し輸送になると言う。来週のことなど、あれほどまでして調べることに一体どんな意味があったのか。意味に転じさせることは自分次第か?

<地震予知>はもっともっと具体的で「正確」でないと、余り役に立たない。だから「備えあれば憂いなし」と言うのだろう。が、あれほどの大きな自然の猛威を前に、自分が自分のためにが備えられることは何か?「心の準備」くらいなのか。そんなことを、余震の続く新潟の映像を見ていて思った。

地震の夜、ひとりで留守番をさせた亜紀子に申し訳ないことをしたと思った。

安息の音楽(土曜日に投稿すべしこと)

Saturday, October 23rd, 2004

ベートーヴェンを聴いている、などと言えば「へえ〜何で今さら」という感じかもしれないが、齢(よわい)四十にしてやっと室内楽の深さと素晴らしさに気付き始めたのだから、私はまだまだツイていたというくらいのことなのだ。失われたマスターテープが再発見されたWestminsterという老舗レーベルから出ていた、バリリ四重奏のものが、現在CDで復刻されている。最近それらの素晴らしさに魅了されている自分は、片っ端から(とは言っても経済が許す範囲で)購入しているのだが、ウィーンの50年代の演奏家達が奏でる音楽性の魅力、フィデリティの驚異的な良さなどで、完全にどこかへ旅に出てしまうような時間が過ごせる。

私の特にお気に入りなのは、ウォルター・バリリというヴァイオリニストとハンス・カメシュというオーボイストである。特にバリリの方は、10代で戦時中にウィーンフィルハーモニックの団員となり、二十歳前にコンサートマスターになるという早熟ぶりを発揮したが、なんと身体上の問題で39歳で「引退」しているのである。私は39の時にバリリを知りようやく聴き始めたわけだが、そのとき既にバリリは引退していたのである。考えてみると、Westminsterで聴ける彼の演奏はほぼすべて20-30代で録音されているものだと言うことになる。

さて、話をベートーヴェンに戻すが、弦楽四重奏曲第14番というのがある…

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春です。ブログです。

Friday, October 22nd, 2004

春である。いや初夏と言った方が良いかもしれない。長く鬱陶しい梅雨が明け、やっとカラっとした初夏がやってきたのだ。しかし、カレンダーはこれからどんどん寒くなる冬をまっすぐに指している。日は短くなってきているし、すぐに傾く陽光はやはり秋を思わせる。自分は、気が引き締まる冬が好きなのだが、ひとつの季節(夏)が終わるのは、それはそれで寂しさを覚えるのだ。

ヨーゼフ・ロートの『放浪のユダヤ人』エッセイ集を読み終えた。これは、終生の宝のひとつとなる本だ。どのページを繰っても出てくる出てくる知恵の数々。

ブログって一体どんなモンなのだ? あちこちの説明を読んで廻っているのだが、アタマがわるくってどうも要領よく分からない。だいたい「ぶろぐ」って何の略なんだ? 気持ち悪い。そんな英語あったっけ? ALCで調べてみたら、Weblogの略だとか。Webのログ(記録・日誌)ということか。なんだ。そうならそうと言ってくれよ。なんの変哲もない説明だな。なんかすごい意味があると思ったぜ。でもWeblogから「We」が取れたわけだ。だからみんながウェブログ始めたら「We blog. How about you guys?」とかも言えるわけだ。「We Weblog.」じゃ、なんかシマらないよね。 ALC辞書によれば「to blog」は、動詞だし、「blogger」(ブログするヤツ)とかいう名詞も出てきている。暫くしないうちにオレは、完全に置いて行かれたなあ。

あと、どう普通のBBSとblogが違うのかがよく分からないね。カレンダーのようなものが付いていることか? 恐らくそんなことじゃないんだろうな。リンクが張れることがblogなのかな。でも普通のBBSでもリンクぐらい張れる。誰か相手に「おまえについて書いたぞ」って言うくらいなら今だってやれてる。どう違うんだよ、blogってサ。そうそう、Pingって何なんです? 潜水艦が海底で敵が辺りに潜んでいないかどうか、音で「ピーン」って打つヤツだよね。相手がそこにいるのが分かるけど、自分がここにいることもバレる探知機ね(ずいぶん前に『沈黙の艦隊』読んだからね)。でも、blogの「Ping」って誰から誰に送られるんですか? どういう風に? 受け取った方は「おっ、Pingが来た」って分かるようなものなのか? 「おっ、“コーン”が戻ってきた」って送った方も分かるようなPingなのか?それとも、「Ping」は、勝手に何か人間に非ざるモノが受け取って何かをするのか? Trackbackってなんだよ。普通の「コメント」とどう違うの? どうしてコメントとtrackbackのふたつが別々になっているんだろう? よく分かんない。ALC辞書によれば:

track back

【名】 《イ》トラックバック◆別々のサイトにある Weblog(または blog)において、互いに関連する記事同士をリンクさせる機能。

だとさ。でもどうして記事同士がリンクするんだろう? 自分でやるの? それとも自動に? 「はてなダイアリー」とか見ていると、なんかすごいリンクだらけになっていたりするけど、あれってなんかの役に立つの? ちょっと意味のないリンクが多いように思うけど。文節が変なところで切れているしな。あ、あれは用語glossaryか...。ふ〜ん。

とか何とかブツブツ言いながらblogを書いているわけですが、「blogって」いて自動的に何かが起こるくらいなら、もう何かが起きていても良さそうなモンだけど、何も起きないね。

あと心配なのはさ、blogってあらゆる人々の「自発的・個人情報提供システム」っていう意味もあるよね。読んでいる本なんかや思想的傾向も全部公開しているわけだしね。思想や信仰で人を取り締まるんだったら、blogで調べればあっと言う間に芋ズル式だよね。オレなんかも危ないね。アア、こまったこまった。

ヨーゼフ・ロートを語る[2]をアップ

Thursday, October 21st, 2004

今回は、「衒学者の回廊 2004」の方に拙論をアップ。

反宗教主義への論駁を兼ねて...。

あらためて、「宗教は阿片」なのか?

ヨーゼフ・ロートを語る[1]

Tuesday, October 19th, 2004

>> すでに三千年前の昔に「一つの国家」であり、いくつもの「聖戦」を戦い抜き、「偉大な時代」を体験したのちに、ドイツ人やフランス人やイタリア人のように、一つの「国家」であるであることが一体どんな幸せなのであろうか。異民族の将軍の首をはね、自国の将軍を打ち負かしたのちに。「民族史」や「祖国史」の時代をユダヤ人はすでに過去において経験済みである。彼らは国境を占拠占有し、都市を制圧し、幾人もの王を誕生させ、租税を支払い、臣下となり、「敵」をつくり捕虜となり、世界政策を推し進め、大臣を失脚させ、一種の大学や教授や学生を、誇り高き僧侶階級や富と貧しさと売春制度を、持てる者と餓えたる者たちを、主人と奴隷を、過去に持っていたことがあった。彼らはもう一度それを欲するであろうか。ヨーロッパの諸国家をうらやましく思うだろうか。<< (page 14)

一体この文章は誰が書いたモノであろう。実は、これは、「ユダヤ人がふたたび地上にイスラエルを欲するだろうか」と、目前まで迫り来る組織的なユダヤ人迫害を肌で感じているユダヤ人による自問自答である。書かれたのは1926-27の間。著者のヨーゼフ・ロートは、自らの民族を、支配と殺戮とあらゆるわれわれが知っている悪しき国家の制度や権力闘争というものを通過してきたことを認めた上で、それらを二度と欲するだろうか、と問うているのである。そしてその答は、「もう沢山だ」である。

始まりつつある若いユダヤ人たちのパレスチナへの入植という、シオニズムの実行部隊を指して、彼は「一種のユダヤ人十字軍を想起」せずにはいないと言う。その存在のために、ユダヤ人はヨーロッパ人の悪習を完全に否定できないと苦々しく思う。彼は続けてこう語る。

>> (入植のユダヤ人たちは)彼ら自身ヨーロッパ人なのである。パレスチナのユダヤ総督は疑いもなくイギリス人なのである。多分ユダヤ人と言うよりはイギリス人なのだ。<<

>> (われわれユダヤ人たちは)まったく新しい、非ヨーロッパ的骨相を備えた国民に生まれ変わることは、とうてい出来ないであろう。ヨーロッパの烙印がどこまでもつきまとって消えないからである。<< (page 15)

ここでロートの言う「ヨーロッパ人」とは、東方のユダヤ人を迫害する、あるいは時として東方の貧しいユダヤ人たちが憧れて止まなかった、「豊か」な、伝統破壊者としての西方ヨーロッパのことである。ロートにとってユダヤ人とは、東方に存在していた伝統社会を維持した非ヨーロッパ人の一民族のことである。その視点で捉える「進歩的クリスチャン」たる象徴的西欧人が、彼から見た「ヨーロッパ人」なのである。非常に具体的に、彼は「ヨーロッパ」という言葉を用いる。そして「イギリス人」という言葉にも似たようなニュアンスを込める。すでに非ユダヤ化されたユダヤ人が、西方ヨーロッパにはすでに沢山いるということを嘆いているのである。ロートは、自分たち東方のユダヤ人が、もともと抜き難く非ヨーロッパ的な存在であったと断っているのである。

一読してその思索の深さを感じるが、非ユダヤ人であるわれわれが「ユダヤ人について語る」ことは、きわめて難しい世の中であるが、他でもない、マイノリティであって社会の被支配層に属していた当の東方出身のユダヤ人がこのように語っていることには瞠目せずにはいられない。恐るべきパラドックスを生きなければならなかった迫害のユダヤ人が、民族や歴史について真の思想と呼ばれるに相応しい深みまで到達しているのである。

>> (世界が)いくつもの「国家」や祖国から成り立っていることが、世界の意義であることには決してならない(略)。自己の文化的特性を維持しようとするだけであっても、そのためにひとりの人間の生命を犠牲にする権利など、国家や祖国にはないはずである。ところが実際には、もっとそれ以上のものを欲するか、あるいはもっとそれ以下と言ってもよいが、とにかく物質的利益のために犠牲を欲するのである。それらは、銃後の本国を守るために「戦線」をつくり出す。ユダヤ人は、これまで生きてきた千年に亘る苦悩の全期間を通して、唯一の慰めを持っていたに過ぎない。すなわち、このような祖国を持たないという慰めだけを。いつの日か正当な歴史が書かれるときが来れば、その史書は、全世界が愛国的狂気に没頭していた時代に、ユダヤ人は祖国を持たなかったからこそ、よく理性を保ち得たと、その点を彼らの功績として高く評価するであろう。<< (pages 15-16)

現在パレスチナの地で進行しつつある自称ユダヤ人たちによる国家的侵攻プロジェクトをあの世からどのようにヨーゼフ・ロートは眺めているのであろうか。

今後、ロートの著作から多くの言葉を引きながら、民族や国家というものについて、そしてわれわれの住む社会において起こりつつあるさまざまな問題を、マイノリティの視点という視座を借りながら、自分なりに語り続けていきたいと思っている。

引用出所:

『放浪のユダヤ人 ─ ロート・エッセイ集』叢書・ウニベルシタス162

ヨーゼフ・ロート著

平田達治/吉田仙太郎 訳(法政大学出版局)