Archive for November, 2007

《実在する神》への付言(試訳)再び

Saturday, November 10th, 2007

『《実在する神》への付言(試訳)』を推敲。

まったき逆説としての小沢の「行為」

Tuesday, November 6th, 2007

毎度のことながら、政治に関わる発言をするには勇気がいる(笑止と仰るならそれで結構!)。自分は別に世間に対して影響力のある人間でも政治のプロでもないので、その発言で命が狙われるというほどのリスクを負う訳ではない(だろう)が、友人関係でどんな信用の失墜があるか分からないので、今後世の中が激変すれば「村八分にされる」などの意味で、まったくリスクがないという訳ではない。

将来政治体制がもっと悪化した時に、今自分が行なっている政治的発言が自分にとって「不利な証拠」にならないとも限らない。でも「必要なら政治的な発言ができる自分」を確保し、何かがおかしいなら「おかしい」と言える自分の言葉、論理的な一貫性、そしてまたその姿勢をどんな世の中になっても維持できるか、という自分に対する挑戦の中に自分を追い込む意味でも、今の時点で思うことを喋ることにいささかのためらいがあってもいけないのだ、本当は。何しろこの時点でおかしいことをおかしいと感じない(あるいは言わない)人間が、本当にオカシなことになった時に、何かを突然感じたり主張を開始したりするということはありそうもない話である。発言はどちらにしてもひとつの「行為」なのだ。敵の首を実力で捕りにいくことばかりではない。

さて、現在まさに進行中の小沢民主党代表の引責劇についてである。

小沢に対するネガティブな評価というのは今回に始まったことではない。彼が信用ならない人物だというような評価は、これまでも広く見受けられたし自分も全然信用などしていなかった(なにしろ政治家ですよ、彼は)。とりわけ今回の密室における福田首相との「大連立」についての会談も不審な点がないわけではない。したがって、ネットで見かけるプロの評論家による論評の類も、そのほとんどがこのタイミングで大連立構想を“検討”したことや、はたまた首相との密会を設定したこと自体についてなど、いろいろな側面から批判を受けているのであって、それらの多くが至って真っ当とも言い得る面を持っている。そればかりか、そうした意見の多くが今回の行動が「小沢の失敗を裏付けるものだ」「傲慢だ」「策士、策に溺れる」などの基本的な評価を基に下されているもので、理解を示すことも可能である。だが、当方はそれ自体を驚くということはないし、呆れもしない。そもそも自民も民主も似た様なものだという基本的な見解そのものに変わりはないので、それが多くの人々の期待を裏切るものだと言うことが火を見るより明らかであっても、そもそも今回浮上した「大連立構想」を取り立てて騒ぎも嘆きもしない。そのことは皮肉まじりに前回の文章でも書いたばかりだ。

しかし、ここでわれわれの想像力の試煉があり得る。仮に記者会見で小沢が話したこと全てに嘘がなかった!としたら、これは何を意味するのかということである。自分の考えは、今回の小沢と福田の会談も、その構想の「失敗」も、合衆国政府からの隠然たる圧力の実在なしには何も説明できないとするものだ。

想像して欲しいのは、ひょっとすると皆から一様に叩かれている小沢だけがまともなことを言っていて、それ以外の人は小沢の真意も理解せずに、他人の評価を基にそれを無批判に繰り返すことをしているだけ、とも言い得るのだ。

当方がこのようなことを言い出したことにはいくつかの理由がある。

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【映画】Crossing the Bridge - Sound Of Istanbul

Saturday, November 3rd, 2007

Crossing the Bridge

Orhan

今夜は、『タッチ・ザ・サウンド』ではなくて、『クロッシング・ザ・ブリッジ』(サウンド・オブ・イスタンブール)だった。下高井戸シネマのレイトショーにて。内容はイスタンブールからの「今の音楽紀行」である。狂言回しならぬ現場の立会人・兼・飛び入り音楽家は、インダストリアル・ミュージックのハシリだったドイツの問題児バンド、ノイバウテンのベーシストである。だが、彼がそれ系の音楽家であることは、今回の音楽紀行にひとつの「傾向」を与えていることは確かだ。その視点は、「今のトルコの伝統音楽に何が起きているか」ではなくて、「今のトルコのミュージックに何が起きているか」なのだ。

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