Archive for the ‘伝統数秘学批判’ Category

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [5]
“2”の時代〜「元型的月曜日」(前半)

Monday, February 13th, 2006

「数性2」の象徴は、現在一つの特定の宗教によって簒奪されている(と言って悪ければ、占有されている)という言い方もできる。その宗教がその数性を多かれ少なかれ「自分たちのものである」と宣言したことには、しかしながら、相当の必然性と理由がある。そしてその数字とそれを表象する体現物(フィニシアン)たる<徴>を独占することによってこそ、その宗教は「世界の宗教」たり得たのである。その徴こそは、その宗教の担わされた元型そのものであり、中核的な存在である。だが、最後には、その宗教がある祖型的イメージを伝達し、その中に厳然として存在する「数性」を伝えることにこそが、中心的役割であったかのようにさえ考えられることが了解されるであろう。宣言は、およそ2000年前に行なわれた。劇的に、誰にでも忘れられない方法によって。

「相当の必然性」と言うのは、その原型的象徴がわれわれすべての者が影響を免れないほどに文明の方向性を決定するだけの強烈さを持っていること、そしてこの世において、ある元型的物語の「再演」に関して、その宗教が担っている(担わされている)ものが、その決定にきわめて重要な役割を演じることを先覚者達は諒解していたからである。

「再演」されるのは、ある男の「死と再生」の受難を「現実に」執り行うことで象徴的に描き出される世界規模の「死と再生」の物語である。そしてその役割は、ある種の自作自演(狂言)、すなわち世間に警告を与えるとともに警告される内容の実現を幇助するというパラドキシカルなものである。そしてその劇にはある<徴>が重要な役割を演じる。それは主人公的登場人物の重要性に次ぐか、もしくはその登場人物以上に重要なある「イメージ」を伝達するための労作であったとさえ言える。だが、死を賭して伝達されるべき価値のある内容であったし、死(そしてそれに引き続いて起きた「再生」)を実現すること自体にドラマの完成の鍵があったために、それは避けることが出来なかった。その後、大いなる勘違いを伴いながらも、「劇的な死」のイメージは、そのままそれを信奉する一群の人々の生き方(人生観・文明観)の元型とも成っていくのである。つまり、「死を賭した」伝達が、現に成功したことによって、その生き方(死に方)は最終的に肯定され、却って「死に向かう」その文明の元型は決定されたのであった。そして「死ぬ」以上、その復活も同時に約束されなければならなかった。そして、それはおそらくかつてそうであったように、死ぬ以上、復活するであろう。

この劇は受難劇 (Passion)と呼ばれる。一方、登場する<徴>は、例えば「愛」と「愛の実現のための死(自己犠牲: sacrifice)」、あるいは「生を超える実在への信仰、ないし絶対的信頼」、言い換えれば「形而上存在への信仰とそれへの殉死」、そして何よりも「忠実: faith」を顕わすものである。さらにそれは同時に紛うことのない数性を発揮する。そして最終的に、それは何よりも「死」、中でもとりわけ「殉教」との濃厚な関連を埋め込まれた「数的象徴」となった。そして、他の目的のために“不信心者”としての他者(異教徒)がその<徴>を恣意的に用い得ないように、徹底して聖別された。聖別の仕方とは、代表格が進んで「生け贄の羊」になることであり、その血を以てその<徴>は、その信者以外が用いることが出来なくなった*。

* こうした聖別は、例えば「水による死と再生のイニシエーション」が、その特定宗教への帰依を表現する「洗礼」の儀式となり占有されたこととも類似関係にある。

脱聖化が進められた今日では、その記号が「数性2」のシニフィアンであることに人々が気付かぬほどに、無意識化(非言語化)された。一方、あらかじめ徹底して聖化されたこの数的象徴の影響力は、この宗教を信仰する者たちにとって未だに特別なものであることは言うまでもないが、彼ら信仰者にとってのみ「意味を放射する」ものではなかった。それほどに強烈な自己成就性を保持した<徴>であったのだった。(宗教の持つこうした象徴は、すべて同様の意味を放射しているのであるため、この宗教においてのみ独自のことではないのであるが。)究極的なまでに単純明快な構造を持ったこの<徴>は、この宗教の信仰者の周囲やその教義や世界観に反論・敵対する者達にとっても重要な意味性を発揮することになる*。そしてその<徴>の意味は、われわれのこの度の世界において、その特定宗教が「記号」の主たる伝達者・提示者となったものの、その活動を通して人類共有の財産となってゆくのである。

* 反論・敵対する者達は、やはりその宗教に対して別の<徴>を持った「宗教」によって対抗した。

もちろん、人間の組織としての宗教団体となったそれは、その徴を掲げた布教家(ミッション)達によってその教えの重要さが流布された。その<徴>は大西洋を渡って新大陸に赴いた布教家の乗った船の帆にも見出されたし、エルサレムの奪還を企図した「聖戦」への参戦を志願をした僧兵の胸当てや楯(シールド)にも見出された。そして現在ならば、肌着の下に密やかに隠されるかのように、信仰者の秘めた心情を表明する小さなネックレスとしても見出されることになる。

[1] Crusador's red-cross shield [2] Crusader's cross & Crescent of Islam

[3] Crusador's Cross Shield [4]Santa Maria of Columbus

画像引用先:

[1] The Grace Collection Web site

[2] World Food Issues: Past and Present

[3] website.lineone.net (The Crusades)

[4] 切手に現れるコロンブスの船(サンタ・マリア号)

「信仰と信仰への殉死」を身を以て提示したその教祖について伝えられた記述の内容からすれば、その後の布教活動や十字軍派遣は、文字通り暴力的と言う他ない結果を周囲諸民族にもたらし、またその<徴>が侵略者の徴として周囲に記憶されたのである。つまり、無条件・無私の愛と自己犠牲を説き、この世ならぬものの実在を示唆し、「人を押しのけてまで現世における生を貫くことにどんな意味があるのか」と問い続けた犠牲的ヒーローの教説とは全く相反する現実を世界にもたらしたと言うこともでき、そのことはきわめて象徴的であり、まさに歴史の皮肉ともいうべき宗教の逆説的がここにはある。

だが、断じてその<徴>は、その教父自らが死んだ場所・原因・方法と結びつけられることによって世界によって記憶された。

その<徴>、十字架は、ひとを磔けて刑死させるための道具の形状として当時の帝国ローマによって採用された。身体構造的には、両手を水平に伸ばし、胸を開き、直立するその姿勢は、無抵抗の徴であり、身内や仲間を身を呈して守ると同時に、自己犠牲への用意を進んで示す象徴的体勢でもある。

かくして、原初の世界において<一本の棒>であった祖型的数性は、「両腕」を水平に伸長させたことで、分裂・成長し<二本の棒>となった。二本の棒によって描かれる最も単純な幾何学図像は「十文字」である。十字架はたった2本の棒を組み合わせることで出来上がる縦軸と横軸の「二次元」的な広がりを作り出し祖型的ドラマの始まり(再開)を告げる「人類史」の最初の契機である。すなわち「終わり」を伴う「始まり」のサインである。

[1] Jesus on the Cross [2] Romesey Crucifixion

St. George church of Mravaldzali, 11c.

画像引用先:[1] 「グルジアの美術と文化: Georgian Art & Culture」より

[2] Clint Albertson, SJ: England’s Norman Romanesque Churchesより

だが、この<徴>が今日、疑いなくキリスト教的なシンボル(ロゴマーク)であることを認定した上でも、この<徴>は彼らが初めて着想したものでなく、今回の歴史における本格的採用に先立って存在した秘教的知識を裏付けるものである事実に変わりはないのである。

その証拠の一つは、数的象徴物が三度反復され配列されることにも求められる。民衆が見上げることのできる象徴的舞台である「ゴルゴタの丘」において磔刑に遭ったのはイエスひとりではなかった。彼は他のふたりの「罪人*」と供に三人で、木でできた十字の象徴物の上に、その身体を以て、文字通り「十字状の体勢」で、世界の頂点において高く掲げられなければならなかった。その丘の上に顕現されたこの象徴的図像は、この歴史の中で、「222」という数字の配列をこれ以外にないというほど完璧且つ露骨な形で世界に提示したものであった。

したがって、イエスが盗賊の聖ディスマスとゲスタスと共に磔刑に遭ったことは、象徴の要請する形状の実現の意味があったのである。ここで、イエス自身の登場や、こうしたイエス磔刑のイベントが歴史的に実在した事件であったかどうかは、この際重要ではない。そのような形でそれが行われたという記述と、それを信じた一群の信仰者の存在と、それが世界宗教へと格上げされていったという歴史的事実こそが重要なのである。

[1] Golgotha three crosses 222

[2] Celtic Cross Tatoo 222

[3] Les Argonautes

もう一つのCG画像。欧州人を魅了する普遍的図像。

* 「ニコデモの福音書」という新約聖書外典(12世紀頃)は、共に磔刑に遭いながらも十字架上で改心する方を聖ディスマス(St Dismas, St Dysmas)、十字架上でイエスを嘲弄する方をゲスタス(Gestas, Gesmas)と命名している。ADAGO用語集より)

画像引用先:

[1] LIVING WATERS

[2] Top Tattoo Designs: ケルトの十字架を利用した入れ墨絵柄

[3] Lorenzo Costa (1460c.-1535)による”Les Argonautes”

ギリシア神話のアルゴノートの冒険逸話を絵画にしたものであるが、<50人>の英雄的な冒険者達のこの神話に、サンタ・マリア号に乗って西方行路発見へと出帆したコロンブスの航海をダブらせているものと推察される。キリスト教絵画でないので、帆にあからさまな「十字架」は見出されないものの、支柱自体が十字になっており、それが3本並ぶ図像範型を示している。また極端なデフォルメのために「三日月」状の舟の上に3本の十字架が打ち建てられているように見える。これは、黙示録に登場する聖マリアと解釈される女のイメージを踏まえているものと思われる。そして残りの2つに比べてやや大き目の中央の十字の支柱の上では、光輝が放たれている。その支柱に巻き付けてある縄による滑り止めの「足掛かり」の数は13段になっている。これももちろん偶然ではない。

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [4]
“1”の時代(“8”の時代)〜「元型的日曜日」

Tuesday, February 7th, 2006

[推敲中 Feb. 7, 2006]

あらゆる人々は元型の知識を持っているのである。そういった元型を彫像によって、装飾によって、住居にするためではなく象徴化するために設計された建物によって、少なくとも愉快に思い出されるような領域があるものである。(略)元型は壁面に掛けられており、胸にぶら下がっており、指に示されている。すべての者は元型に仕えているのだが、しかし元型がなんであるかを理解するものはごくわずかの人々にしかすぎない。

エレミーレ・ゾラ『元型の空間』(法政大学出版局・丸小哲雄 訳)第2章「元型」第十三節「人間に対する元型の働き」 page 141より

比較文学・錬金術・神秘主義研究者のエレミーレ・ゾラがいみじくも書いたように、元型(ここでは数的祖型)が、これ見よがしに、これに注意を向けよと「壁面に掛けられており、胸にぶら下がっており、指に示されている」のを、われわれはこれから繰り返し繰り返し見ていくだろう。

ベツレヘムの星と「東方の三博士礼拝」の図ベツレヘムの星(拡大図)

「ベツレヘムの星」と言われる八芒星。この星の出現により「キリストの復活」が明らかになる。(「Adoration of the Magi: 東方三博士礼拝の図」製作時期:6世紀・ラヴェンナ、サン・アポリネール・ヌオーヴォ教会)

東方三博士の夢

「The dream of the Magi: 東方三博士の夢」の柱頭 (capital) に描かれた「ベツレヘムの星」。天使によってヘロデ王が赤子のキリストの誕生を嫉妬し、問題視していることを警告する。(製作時期:12世紀・フランス、オタン)

聖家族のステンドグラス

「聖家族」のステンドグラス(撮影:ニューヨーク・メトロポリタン美術館、製作時期:15世紀?)聖家族を照らす光はその形状(八芒星)からベツレヘムの星と推測される。

世界の庭園(ペルシア絨毯)

ペルシア絨毯に描かれた世界を表す庭園(製作時期:17-18世紀)。東西南北に伸びる水の流れの間に世界の四隅に向かって伸長する樹木。この樹木の育っていく場所が「母なる地球」であり世界の生命を育むものである。八芒星のバリアントのひとつで2つの四角形を組み合わせたものである。八芒星が生命を産出する何かを表していること、八芒星が四角形を2つ組み合わせたものとして描かれること、この二点が明確に表現された作品である。

Wales Southeast Islamic Garden at Alice Street

いわゆる「イスラム庭園」(Islamic garden)と呼ばれる伝統的庭園意匠の核に位置する「世界の中心」を表すモザイクを使った典型的図像。八芒星が「二重十字」を具象化した「数性4」と濃厚な関連を見せる一例。八芒星が「“4”の時代」の章において再び取り上げることになる「二重十字」の意味を保持しつつ、「数性8」を表現すること、そして世界の生命を育む母性的存在を表す数的祖型そのものであることが、この図像からも理解できる。核となる八芒星(二重十字)以外に小さな八芒星がモザイクによって表現されている。

図版引用先 :「Islamic Garden」Wales South East、アリス・ストリートのモスクにあるステンドグラスを元に地域の子供たちが制作したと報じられたモザイク作品。(BBC.co.uk)

ローズウィンドウ

八芒星を含むローズウィンドウ(円相型ステンドグラス) 後に見ていくことになるキルトの題材として繰り返し現れる八芒星と同じ構造をしたもの。一筆書きで書くことの出来る八芒星。教会に「世界」を表すことが要請された時に、しばしば採用されるローズウィンドウの中心に描かれる八芒星。

キルト(8つの八芒星)

8つの八芒星が星を取り囲むパターンPersian Star:

■ “1” ─ このアルカイックな象徴

数字の“1”についての説明の難しさの第一の理由は、その古さ、すなわちその「余りにアルカイックな起源」にある。数字の徴が歴史の経過とともに明瞭になっていき、「知ったところでもはや間に合わない」ほどの最終的局面においては誰の目にも明らかな徴へと変容する人類の表徴活動の動かし難いひとつの法則のために、われわれの世界にとっての“1”という数性によって表される「時の始め」というものは、とりわけ観測が困難なのである。

■ 8 - 7 = 1[8引くことの7は、1。]

加えて、われわれの世界というものが、繰り返される歴史の最初ではなく、それが正確に幾度目なのかはともかくとして、少なくとも「最初のものでない」ために、前回(あるいは前々回、前々々回、…)の周回からカウントした“8日目”を顕す図像的象徴が、“1”という記号を置き換えるやりかたで顕われる「考古学」上の、あるいは「図像学」的な傾向もあるために、却って分かりにくくなっている面もある。だがむしろ、円環的歴史の「初めの時代」の数字であるはずの“1”が、別の数字(具体的には“8”」)によって置き換えられるという事実によって、この回帰するわれわれの世界の儀礼的範型(パターン)の実在が、浮き彫りにされるのである。

何度も既に観てきたが、改めて「元カレンダー:archetypal calendar」を載録する。

         月  火  水  木  金   土

第1周      2  3  4  5  6   7

第2周      9 10 11 12 13  14

第3周   15 16 17 18 19 20  21

第4周   22 23 24 25 26 27  28

すなわち、われわれの世界の歴史の初めには“8”があった。われわれにとって図像起源上、極めて「古層」に属するものの多くが興味深いことに“8”の数性を表す象徴なのである。図像学的には無限大“∞”の記号ともしばしば置き換わる*ことのある“8”、そして日本では『末広がり』として知られる「目出たい」数字としての“八”がそこにあったのだった。

「オクターブの原理」によって説明される次周期の最初を表すこの“8”こそが、「反復」を意味する記号となり、また、反復される歴史と「無限・永遠」を象徴する記号となったのはある程度必然であった。

タロットカードのマルセイユ・セットにおいて「1. The Magician: 魔術師」の頭に被せられている鍔(つば)付き帽は、まさにその円環する歴史を司る魔法使いとしての意味を表している。それは円相であり、また捩じれたメビウスの輪(“∞”)のようでもある。一方、実際のカードリーディングにおいてしばしば用いられているらしい近代的なA. E. Waiteのセットにおいては、同じ「魔術師」は帽子を冠らぬ姿で描かれているが、頭上に“∞”記号がまるで「天使のわっか」のように浮かんでいる。

Tarot I. Magician / VIII. Strength

これは意匠上の変容の例である。同様のセットにおいて第8番のカード「8. The Strength: 力」において描かれる「柔」が「剛」を制する場面の「女神」の頭上にも“∞”記号が浮かんでいる*のである。ここには西洋のアラビア数字の“8”と“∞”の間に切り離し難い関係があることが暗示されているのである。

* より古い起源を持つマルセイユ・セット(左)における「Strength」のカードは、“∞”ではなく、「Magician」と同様、鍔(つば)付き帽を冠る女性をフィーチャーしたものだが、その順列を表す数字は「XI (11)」であり、「VIII」ではない。これは、時代と共にカードの順序が変わったことを明示するものであるが、比較的新しいA. E. Waiteのセットにおいて「Strength」のカードが“11”から“8”へと移動したことには一定の必然性がある。これは時代と共に数性を表す祖型がより明確になる一例である。もともと「VIII」の位置には「Justice:正義」のカードがあった。これは右手に剣を保持しながら左手に天秤(秤)を持った女神像であった。これは「数性4」のところでも取り上げるように二つの異なる「力」の均衡との関連がある。

“1”を説明することは、とりもなおさず<元カレンダー>を理解することが前提である。

■ “1”の象徴としての蛇(大蛇・龍)

前段で論じたように、“1”の説明は“8”の象徴についての説明によって大いに置き換えられる部分がある。だがそうであるとしても、“1”を表していたであろう図像を完全に飛ばしてしまうことはできないであろう。

“1”こそが、しばしば「齢を経た蛇」として太古の昔から言い伝えられたとされる、一本の棒なのであった。それは「我と我が尾を食む蛇/龍」として出現すれば、西洋における円相関連図像の中でも最古のもの(エジプト起源)と言われるウロボロスに変容し、その後あらゆる円相のバリエーションとなって世界各地で観察されることになる。あるいは、この細長い1本の棒は、時にはイヴを誘惑した「原初の蛇」として歴史の初めにその姿を現す。そして別の場面では蛇に変身してみせるモーゼの杖として現れるのである。いずれもわれわれにとっての神話時代*の話である。

だが、忘れてはならないのは、ヘルメスの杖と呼ばれる「カドケウス: caduceus (sg)/caducei (pl)」である。

Caducei Caducei Numbers

特にこの特記すべき図版に関しては、2尾の蛇が交差して極めて明瞭な三層構造を見せることで重大な秘儀の伝達に成功している点が見逃せない。これは「炸裂する植物」を中心に、獣(蛇)が向き合う対称図像のヴァリアント(変異種)であり、しかも歴史の秘儀を極めて効果的に表象するものである。そして超歴史的な円環が3回起きていることを杖に生える葉によって表現している。

一番下層の最初の胴体の交差によって歴史の最下層においてすでに最初の「円環」が閉じたことを意味している。しかも2尾の蛇の胴体で囲まれる(蹄鉄のような形状の)中心に「植物」の第一の節(フシ)が葉の炸裂によって表現され、そこで植物特有の最初の爆発的な展開があったことが示唆される。そして真ん中の第二の階層において第二の交差が起こり、2尾の蛇の胴体で囲まれる内側には、二つの節が存在する。これによって二度目の円環が閉じたことが暗示される。その上の最上部においては2尾の蛇が向かい合って対峙し、第三の円環が正に閉じようとしている場面を描いている。そしてその周回が三回目であることが、内側の植物が三つの節を見せていることで表現しているのである。これは、超歴史的円環の三重構造と、その都度大きくなる円環の規模を暗示するものでもあり、向かい合った蛇が今にも交差しようとしていることで、最上段において「時が満ちている」ことが表現されているのである。

メルクリウス(マーキュリー)の杖として知られるこの蛇の図像は、蛇で表さされる歴史の円環を、1尾の蛇(ウロボロス)によって描くのではなく、世界の至上権を巡る二つの勢力によって世界の円環が閉じられるという歴史の秘儀を、2尾の蛇を利用することで描いているのである。

小さな文字* 誘惑の蛇は旧約聖書「天地創造」において、蛇に変容するモーゼの杖は同じく旧約聖書「出エジプト記」にて言及される。

■ 「歴史」の原初に出現する蛇

原初の蛇(大蛇/龍)は歴史時代の開始と関連がある。少なくとも時の初めが語られる際に関連づけられるほどに古い象徴である。

蛇は例えばアメリカ合州国の独立以前から独立戦争に至る期間存在した「国旗(植民州旗)」にも見出される(厳密にはまだ国ではなかったので国旗というのは不適当なのだが)。それは旗に書き込まれたまさに「Don’t tread on me ドント・トレッド・オン・ミー: 我を蹂躙するなかれ」という言葉と共に現れるもので、時の初め(この場合、国の初め)に出現し、殺害されんとする大蛇の図像なのである。また「1本の細長い徴」を用いた数性を表す記号なのである。言うまでもなく、アメリカ建国は比較的最近の歴史的エポックであるが、この建国期(アメリカという国の「建国神話」の発生期)に、蛇が登場するということには、「蛇」と「原初」というものの明らかな関連があるからである。「秘教大国」としてのアメリカ合州国の象徴主義は、このように建国以前に遡れる徴にも顕われていることを想起することは無駄ではあるまい。

DON'T TREAD ON ME FLAG  with stripes

星条旗の「条:Stripes」の部分をフィーチャーした「DON’T TREAD ON ME」フラッグ。画像引用先

Gadsden Flag

クリストファー・ガズデンがデザインした「Gadsen Flag」と呼ばれる「DON’T TREAD ON ME」の別バージョン:画像引用先:WIKIPEDIA

ガラガラ蛇が三周とぐろを巻いており、「三周(三層)の円相」を思わせるデザインとなっている。背景は黄色が通常であり、これは「ここに(無防備の)人あり」の注意のサインを表している。黄は、POW (Prisoner Of War: 戦争捕虜)を表す色でもある。色については別途論じることがあろう。

Culpepper Flag

「Culpepper Flag」と呼ばれる「DON’T TREAD ON ME」の別バージョン:画像引用先:Allison-Antrim Museum

「Liberty or Death: 自由を、さもなくば死を!」という大英帝国と闘う抵抗者のメッセージが読める。

■ 前史的存在としてのユニコーン

また「1本のもの」との深い関わりがあり、またアルカイックな意味を持つものに「一角獣: Unicorn」の神話がある。ユニコーンの象徴には、「歴史時代の始まり」に関しての記憶を保持するものだとわれわれが考えてもよい理由がある。それはまた「楽園の喪失」とも関連がある。一角獣は「俗人」によってハンティングのターゲットとなり、捕獲されることによってその魔術性を喪う。極めて興味深いことに、この一角獣は処女に対してのみ心を許すのである。ここにはふたつの意味合いをわれわれは読み取ることができる。ひとつは一角獣と処女の間には何か性的な結合を暗示する関係があると言うこと。一角獣には汚れを知らない処女が相応しい、と同時に処女は一角獣の“角”によって蹂躙されることで聖婚が完成するのである。だがそのために一角獣の象徴する「純潔」が処女に手なずけられることによって脱聖化(俗化)され失われる。したがって、ふたつめはユニコーンの魔力の喪失とともに、われわれの歴史時代の出発が画されるという象徴的一致がある。

このように1本の棒(この場合1本の“角”)とは原初の徴として機能していることをわれわれは銘記すべきである。そして「角:つの」を表す単語“horn”は、“cor”, “corn”に語源的な関連があり、「角:かど」である“corner”とも関連があることを明記しておく。例えば、五芒星は“five-cornered star”, “five-corner star”となる。

ユニコーンのタペストリー

図版:「第7タペストリー:囚われたユニコーン」製作時期:16世紀初頭(不詳)・ブリュッセル(不詳)ニューヨーク・クロイスター中世美術館(メトロポリタン美術館別館)

■ キリスト教文化における“1”もしくは“8”について

その蛇は自らの尾に噛み付く事によって自らを消費し、自らを養った。自らを食べることで、永劫に生き続ける夢魔でさえあった。だが一方、同様の意味を体現しうる“8”とその徴は、「ルネッサンス以前」{6}のキリスト教美術の中では、聖母マリアの額や肩の部位の八芒星(もしくは「二重十字」)として現れているか、「人の子」の誕生を告げる「ベツレヘムの星」としても現れる。この「星」は「東方の三賢者」が空に輝く星を観て「ひとの子: the son of man」の誕生を知ったというエピソードに関わっている。「人の子」がまさに生まれ出そうとしているその直前に現れる星が、古代美術においてしばしば八芒星によって描かれることにわれわれは鋭い注意を払うべきである。これは、まさにわれわれ人類の歴史があたらしい「周回」の途に就いたことを告げる象徴とエピソードだからである。つまり“8”には生命を生み出す「母」としての意味の他に「再生」の意味が含まれている。

聖母1 聖母2 聖母3 聖母4 聖母5

意味的に“1”に置き換えられる“8”の徴は、キリスト教美術の世界では、処女懐胎し「子」を生み落とす地母神なのであり、それが「イエス」という名のメシア/キリスト(油を注がれたもの)を世に送り出す。母に抱かれた赤子イエスは、八芒星を額や肩に輝かせていると同時に、その胸に抱かれる子は自らの指で“2”という数字を提示する。まさに“1”でありながら“8”である「母」なる存在によって“2”がこの世界に産み落とされるのである。

次は、捕捉的に近代美術に見られる「数的祖型」を体現した作品の一例を掲載する。

ブルジョア作「ママン」

六本木ヒルズにあるこの巨大な蜘蛛の造形作品は、現代の彫刻作家のルイーズ・ブルジョアによるもの。鋳鉄製の8本脚のクモの作品であるが、その秘教的意味性はその作品タイトル「ママン:母」によって完成する。この母蜘蛛は、腹に子供の卵を抱いている。正にこの母なる存在はこの世界に新しい生命を産み落とそうとしているのである。(筆者撮影)

あらゆるペイガン(異教)的な象徴でしかもキリスト教以前の創作物に登場する「星」は八芒星であることが多い。“8”と次にやってくる“2”との間の緊張は、その親子のやり取りの中にも見出される。息子はその母を否定することによって前進することを選ぶのである。しかし、この“8”で象徴される存在は、その産み落とした一人子がどのような命運を辿るとしてもそれを「黙って観ている」ことを選ぶ。

“8”を表す象徴は、そのアルカイックさを裏付けるように、きわめて旧い起源を持った伝統や習慣を維持していると考えられている民族グループの中の民俗美術・工芸品の中にも広く見出すことができる。アメリカ先住民の美術品の代表的モチーフとして知られる『日の出(ライズィング・サン)』は、アメリカン・キルトの中に意匠範型の一つとして取り込まれ、ひろく白人社会の中にも見出される。

あるいはムスリムの頭に着けるキパのような帽子(クーフィ: kufi, coofi)にも、同じ八芒星が“8”を象徴して出てくる。これは、“8”が起源を量ることのできないほど古い伝統に遡ることを表している。この八芒星はペルシア絨毯にも中国の伝統的な刺繍パターンにも見出される。

Muslim Kufi 八芒星刺繍

これは単に8つの角を持つ星として現れるばかりではなく、その数と同様の「点」をその周囲に持つことが多い。これはこの点の数や星状多角形の角の数にも注意を喚起するためのものである。

キルト(8つの八芒星)

■『永遠の反復』の象徴としての数字“8”

その“1”(いち)であり、“8”(はち)である「原初の時代」は、我々が推し量るに難しいほどの長さであった。そしてその無限の長さとは、すなわち地球そのものを象徴することさえあった。地球は自らを消費し、自らを養っている。聖母マリアとはまさにマザー・アースであった。その推し量るに長すぎる“1”の時代こそが新しい人類の夜明けであり、計り知れないあるものの「終焉」、すなわち「休み」の時代の後に来た文明人の第一歩であった。それは歴史学、もしくは、考古学的には旧石器時代{7}と言う風に分類されたかも知れなかった。

“8”を顕す八芒星の図像バリエーションが、意匠の利便上も実はその一見した複雑さにも関わらず、実はその描画が他の奇数の角を持つ多角形(たとえば五角形や七角形)に比して相対的に容易であったということは特筆すべきであるし、さまざまな民俗美術・工芸品の類の中にこの八芒星の図像が極めて歴史時代の「日の浅い」段階で出現し得た理由のひとつを説明しているのである。

(more…)

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [3]
序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀

Monday, February 6th, 2006

数性と歴史の回帰の秘儀を伝達するための一般的手法を以下に示す。

(この下にこのような無意味なブランクが生じるのはなぜだろう。不思議だ。ブログのバグか、それとも表を入れたことで生じる不具合か?)

第1周

1 (8)

2

3

4

5

6

7

(8)

第2周

11 (88)

22

33

44

55

66

77

(88)

第3周

111 (888)

222

333

444

555

666

777

(888)

勘の良い方にはこの表を見ただけで、これらの数字が時代のどのようなエポックにそれぞれ対応しているのかを瞬時にして理解できるかもしれない。とりわけ、「第3周」にあたる数字の列を見て、ある親近感を覚える方は多いだろう。同じ数を三つ並べるという数的象徴というものは、われわれの時代に於いて極めて重要な意味を持つからである。第1周を一つの数字によって表し、第2周を二つの数字によって表す。そして第3周を三つの数字によって表すことによって、それぞれの数字の列がどの周回に属するかを表現し、2回ないし3回繰り返される数字自体がその周回における歴史的「時点」を表現する。このシステムは実に理にかなったものである。

だが、ここではそのひとつひとつの意味とそれに対応する具体的な歴史上のエポックが何であるのかを詳述しない。それはこれから追って詳しく見ていくからである。問題は、これらの数字がアラビア数字で表されることによっては時代を超えた普遍性を獲得しえないと言うことである。

すなわち、アラビア数字を読めない人々にとっては、なんらの意味もない「記号らしきもの」の繰り返しに他ならない。これらの形状には時代を超えて認識されるだけの(もともとはあったのかもしれない)普遍性がもはや失われて存在しないからである。少なくとも繰り返しがあることは視認されようが、そこにどんな意味があるのかを読み解くのは難しいであろう。ならば、より確実にそれが数性を表している事実を伝えるためには、時代を超えて存在するものの表象を活用する方法が有効となる。ここに幾何学的図形や時代を超えて存在するシニフィアン(記号表現)としての徴の採用が検討される。

花であれば花びらの数、葉であればその形状が「数性」を表す記号として機能すれば良いのであり、その場合、アヤメや三つ葉のクローバーは“3”を表す記号として、サクラの花は“5”を表す記号として、ユリの花は、その描き方次第で(“3”ないし)“6”を表す記号として、利用可能なのである。つまり、ここで「三つ葉のクローバー」はシニフィアンであり、「3」という数性がシニフィエである。現に、特定の詩人や建築家達は、花を意味を伝えるための特別な記号として使用して来た実例がある。

さて、以上の元カレンダーをアラビア語を使わずに普遍的伝達を図ろうとした場合の一般的手法は以下のようになる。これらの記号は一例であり、さまざまなバリエーションが存在する。ここではひとつの範型を示すに留め、数的図像をひとつひとつ観て行く時に、それらのバリエーションを観ることになるであろう。

普遍様式・元カレンダー

普遍様式・元カレンダー(クリックして拡大)

教会においてはステンドグラスのウィンドウや壁龕(へきがん: ニッチ)、そして透かし彫りの窓の形状などによってその数性を伝えた。そして、こうした数性を確実に特定の数として伝達し後世の人間に理解させるために、そうした記号の制限的利用が必要となる。乱用されるほどに、それに特別な意味がある事に対して人々が関心を払わなくなるからである。したがって数そのものが聖なるものであり、むやみな数や数を示す表象の乱用や誤用を回避させる必要があった。

このようなわけで、先人達の努力によりこうした数性を保持しうる表象的対象物自体も容易に美術作品に登場する事はなく、特別な理由や明確な目的がある時だけ登場することになる。逆に言えば、そうした数性を伝え得るシニフィアンとしての表象物が登場するとき、それが無意味に登場することはなかったのである。確実に何かを伝えるためだけにそうした数の表象が現れるようになる。

解かれるべき謎は数字そのものであり、数字は図形の中に潜んでいる。

元カレンダーから始まる新年

Sunday, January 1st, 2006

商業主義と結びつかない限り、節目や儀礼というものは無駄なものではない。それどころか、われわれに様々なことを気付かせ考えさせる契機となる。ただ、今日では「節目」が商取引と結びつかないではいられないので、夏至祭(降誕祭)や正月の儀礼までが、反商業主義という「ほとんど絶対的な良心」によって批判されてしまうことがある。ある程度仕方がないことであるにしても。

自分が提唱する元カレンダーについては昨年も数度言及していたが、今年の1月こそ、まさにこの「元カレンダー: archetypal calendar」なのである。これは先月、12月25日が日曜日であった時点で分かってはいた。

いずれにしても、元カレンダーが巡ってくると、第1日は日曜日。すなわち、当たり前な話だが、こうした月には「6日は金曜」だし、もちろん「13日は金曜日」になる。これは縁起が良いの悪いのといった「迷信」とは(基本的には)関係がない。問題は、われわれがその祖型的カレンダーから何を受け取り読み取るか、なのである。

まだゆっくりご覧になっていない方は、お休みを利用して(?)ぜひ「元カレンダー」と第三周の世界あたりを読まれたい。というか、暦茶碗を取り上げた集団的な「浄化」儀礼と<宝珠>の伝えるもの[1]あたりから、読んで頂けたら本当は大感謝なのである。

今度「元カレンダー」が巡ってくるのは10月である。だが、こうした元カレンダーが新年の最初の月(正月)に巡ってくるのはそうしょっちゅうあることではないだろう。まさに「正月: correct month」の名に相応しい巡り合わせである。

節目を思い出させてくれる節目に相応しい「祖型的な暦」が、皆さんのお宅の壁にぶら下がっている新しいカレンダーによって示されている筈である。

賀正 2006

時間の道筋に立つ道標の象徴

Friday, December 23rd, 2005

飛び石のように、時間の一本線の流れの上に共有される一定の性質の徴が道標のように置かれていることを想像しよう。それが自分の母語の文字のようなものであれば、すぐに意味を読み解くことが出来るが、もしそれが自分の観たことのない文字であったとすれば、何かを伝えようとしていることを直ちに諒解し、その道標のサインの中に何らかの解読可能な徴とその意味を探すであろう。

ここで仮に、その道標で伝達したい内容が単純な数字であるとしたらどうだろう。そしてもし、あなたがその情報の発信者であるとしよう。しかもそれを伝達する相手が、自分の生前の周囲の人々に対してではなく、遠い未来に生きる人々に伝えたい内容であったとしたら。当然それを読み解く人々がいかなる言語を使っているのかは、分からない。文字も言語も全く異なった人々にそれは到達するかもしれない。というより、そのような人々にこそ情報を到達させることがゴールであると想定しよう。

すると、その数字を表す記号は数を数えることの出来る人ならば、誰にでも解き明かし得る単純な形態を持ったものであろうことは想像に難くない。例えば、漢字がそうであるように、「1」という数性を表すものは1本の棒で表されるかもしれないし、「2」や「3」はそれぞれ2本、3本の棒で表記されるかもしれない。

そして実際にそのようにして来たのが、主要な秘教的象徴図像の数々なのである。

このように考えれば、問題は簡単である。形が数字を表すということを識り、それぞれの図像が具体的にどんな数性を保持しているのかを解くこと。そしてそれらが「数」であることが分かれば、今度はそれらが何を伝えようとしているものなのかを、総合的に理解することである。

数の象徴は、文字通り世界中にばら撒かれている。そしてそれらの「数性」とそれが歴史に出現した時間の辺りに見当をつけることである。想像できるように、この出現の時期は厳密なものではない。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [2]
序論(中)

Thursday, December 22nd, 2005

● 数を巡る一般論

数の話をしなければならない。それは、数字というものが一見込み入ったものとして現れる秘教的象徴体系の解き明かしの第一の糸口であると言っても過言ではないからである。単純化を恐れずに言えば、数字は、象徴的図像群が最初に伝えようとするものである。数字と言うものは、発信の側のみならず、象徴の受け手の側からも最初に「解読」可能になる普遍的な入り口としての性質を帯びているからに他ならない。

数とは、すなわち事物を数えるのみならず、順序・序列を表し、また「時間」を表すのにも利用される。極めて古い時代に「伝達」の努力が開始されている秘教関連の象徴的図像群は、数性を積極的に扱うものであるが、複雑な数学概念を伝えるものではない。自然数の中でもいわゆる「整数」と呼ばれるものが中心である。当然、小数点などを扱うわけではない。そのような数字はあくまでも数学に属するものであり、単純な構造を持っている図像群が扱ってこられた種類のものではないのである。

発信者の側に身を置いて考えてみるのも良い。数字は、本来、単純なものであり、間違いなく通じれば、それ以上でも以下でもない極めて純度の高い情報として伝達が可能なのである。そして、その数が歴史的エポック、すなわち周期性(回帰性)を表すことが出来れば、その役割は立派に果たされる訳である。

● 「ゼロ」への最後の一瞥

本題に入るに当たって最後の回り道をしよう。学問的に言えば、数を語るにあたって「ゼロを落とす」わけに行かないという指摘が出そうな話であるが、それがとりわけ本論で展開する「謎解き」において、果たして有効かどうかに検討の余地があった。数学史を振り返るとき、“0”という「数字」を「発見した」インドの存在がほとんど必ず言及される。だが、秘教的象徴図像の中で、「ゼロ」の概念の果たしてきた役割は、むしろ「無」や「空」に関連のあるものである。それは歴史と言う時間の概観を扱う文脈の中では、順序や序列を表す数字群の一つであると考えるよりは、一つの巨大な歴史的エポック全体を指してそれを「空」と呼ぶ時に登場するものである。確かに“0”の概念がインドから登場したという歴史的事実は極めて象徴的ではある。だが、それはその厳密な数性を考えての話ではなく、これまで「Ω祖型」についての論考においても記述した様に、円相の図像が指し示す「閉じられた周期」と永遠回帰の「空性」にむしろ関係がある。

つまり“0”の概念は「歴史のリセット」との関連で登場するに相応しいものである以上、秘教的知識と大いに関わりがあることに違いはないが、ここでは数字の1から始まり8で一巡する数字の周期性とそれに密接に関わる図像を中心に観察を進めていくことにする。

● 7の法則

「7の法則」は、「オクターブの原理」と言い換えることも出来るものである。根本的な起源は、これは旧約聖書の『創世記』が参照先として考えられるように、ユダヤ=キリスト教文化の起源であると当面は判断できるものと思われる。この7の聖性は、神が「天と地とその万象とを6日間で完成し、7日目に休んだ」という“記録”に基づいている。こうした宗教教義が「6日間働き、第7日を安息の日とする」文明人の生活のリズムを産み出し、やがては現在知られているような週7日のカレンダーへと発展していった、と考えることはできる。あるいは、『創世記』の成り立ちよりも遥かに古くから、人々は(理由はともあれ)週7日という生活のサイクルを営々と歩み続けており、そうしたサイクルが『創世記』という伝承の成立に反映した、という可能性もなくはない。しかし、7を聖数とする起源の歴史的真相はともかくとして、少なくともヨーロッパ社会にとって、「世界最古の歴史文献」と信じられている聖書がまず先行し、そのために人々の生活体系ができあがっていったのだという考え方が優勢であっても、それはまた自然である。{4}

また、現代社会で断然優勢を誇っている音楽上の勢力に「西洋の音楽」がある。西洋の音楽は1オクターブ中7音を主音とし、その中のある基本音から数えて、上向した場合、第7音が音階の最終音となる。すなわち、第8音で最初の基本音の周波数の2倍音に相当する同名の音に戻る、という音階の方法を採っている。

たった今「1オクターブ中7音を主音とする」と述べたが、無論これは1オクターブを「7等分」するのではない。そこで「1オクターブの無数で連続的な音のスペクトラムから7音だけを抽出しなければならない理由はなかった」という主張も可能となる。問題を単純化すれば、確かに、現在「平均律」として知られている音階調声は、1オクターブを12等分し、その内の7音を主たる音素として使用したものだ。しかも気を付けなければならないこととして、現在ピアノの調律に使われているような「平均律」という人工的な音階が、原始時代からあったわけでもない。付け加えれば、そうした音階が特に現代の音楽のあり方を決定付け、現状のような様相へと導いた西洋の和声的音楽の発展の中で発生した、いわば「逸脱」的な方法のひとつであった、という言い方さえ可能ではある。

しかしながら、こうした一連の可能性を鑑みても、次のようなことが正しいとも同時に言えるのである。すなわち、1オクターブを12等分し、そのうちの7音を主音とする音階概念が(和声学的に完全に合理的であるとは言えぬ一方で)、純正率の音階に「きわめて近い」ものであった、ということなのである。さらに、人声や弦・管楽器に半固定的に調律され与えられた音階は、奏者が合奏の際、調和的響きを獲得するのに技術的に修正可能な範囲であったことは特筆に値する。

元来、音階は和声(すなわち2つ以上の音のあいだに生じる調和的響き)を優先するような「分割および選択」を好むものであった。「和声学上の調和を前提とした音楽」(無論それを前提としない音楽も数多く存在するが)には、ピアノやオルガンのような完全に固定化された「音階」というものが、むしろ調声の破壊(調和からの逸脱)をもたらす。「平均律」は、もちろん(音程を固定せざるを得なかった)鍵盤楽器に応用され、数多く存在した調律法における言わば「妥協」を伴った必然的結果であり、和声的調和を敢えて無視した音階であるとも言えるわけである。それでは、和声的音階が音階の理想たる「純正律」である、と断定できるかと言えば、それはまた完全に正しい訳ではない。「2音の振動数が簡単な整数比である時に、それらがよく協和して聞こえる」という“発見された法則”をもってすれば、音階的理想像である「純正律」に近づくことができるばかりか、ひいては現在広く使われている「不完全な」平均律に接近するということに違いはない。前述したように、人声や管・弦楽器などのように微妙な音程の調整が演奏時に可能である楽器には、「固定的な音階が存在しない」という言い方ができる。しかし、それでも楽器間の和声的協和を求めることができるそうした楽器でさえ、(トロンボーンを除く管楽器では特に)ダイアトニック・スケール{5}を演奏しやすいよう設計されている、と言うのは一般的に正しい。すなわち、オクターブ中7音を主音として抽出する西洋の音楽のスケールには、ある種必然的に「合理(平均律)」に達しうる普遍的な傾向を内包していたと言えるのである。

つまり、オクターブから7音を抽出するという音階概念が西洋で発達したのは、第7音でひとつの周回が終了し第8音で次なる周回の開始となるために、ヨーロッパの秘教的象徴の文法を音によって踏まえているということができる。したがって、その音階がヨーロッパの発展系音楽の主要な音素となったことには、一定以上の象徴性と必然性があったと言うことが出来るのである。

●「無」、そして「完全なる無意味」に対抗する「反復」概念の誕生

今回の西洋中心の文明の担い手は、完全な人類の文明活動の無(空性)、すなわち“0性”を想定するよりは、むしろ活動の「無限(永遠)の」繰り返しという概念を説明するに当たって、この「数の法則」を導入することに何らためらいを覚えなかったはずである。(そうなのだ。)彼らがそうした法則を人類史全般に当てはめようとする限り、私が「永遠回帰」の法則によって『今回のこの世界』の全てを説明しようとするこの試みは、ますますもってその「正当性」の証明とともに、その意義を発揮していくであろう。

敢えて認めるならば、「1オクターブの無数で連続的な音の集合から7音を抽出しなければならない理由はなかった」という主張が可能であるのと同じ意味で、人類史全般が、とりわけこの「7の法則」に則って説明されなければならなかった合理的な理由もない。現に、アジアの諸国で知られており、今でも祭儀上有効な太陰暦(旧暦)には、このような7の法則を事実上見いだすことはできない。むしろ6日周期で日は巡り、6、12、24、60などという6の倍数に関連したしきたりや習慣が暦に見いだされることにも注目すべきである。これには、不正確ではあるものの、1年が360日に非常に接近していることや、1年360日を12分割(6の倍数)した場合のひと月が30日(6の倍数)になるなどの理由があるに違いない。閏月などが生じる欠点はあるにせよ、6の倍数を暦に取り入れることは、むしろ数学的にきわめて合理的な方法であったと言えよう。

しかし、ここで強調されるべきは、西洋の、ひいては世界の「7の法則」に関する出自が、単に宗教的起源を持つのか、あるいは科学的根拠を持つのか(はたまたいかなる合理的根拠も持たないのかもしれないが)西洋を中心としたこのたびの文明の歴史が、その法則を表現上採用したものであり、事実上それを「当てはめる」形で象徴を顕在化させていることは確かなのだ。そしてそのためにわれわれにとっては象徴群による歴史的動向の「解読」を蓋然的に??必然的に、ではないものの??可能にしているという認識が前提となる。

●「無意味な反復」からの解脱を許されぬ者、プロメテウス

世界に暗号が存在し、それがある者同士の通信手段として、あからさまに機能し続けていくならば、それを(他人を説得できないまでも)第三者が解き明かし続けることができるのは自然な成りゆきである。なぜなら、繰り返すようだが、解読不可能な暗号は存在しないからである。この象徴手法に肉薄することは、「数」の持った戦慄すべき秘密に驚嘆を持って接することを意味する。

プロメテウスは、天上から盗み出した「火」を人類に渡したことで、山頂上に鎖でつながれ、その肝臓を鷲についばまれ続ける、という罰にあった(あい続けている)。彼は死の苦しみを味わうが、肝臓は、知っての通り、次から次へとその細胞を増やし生えてくるために、死ぬこともできない。それで彼は永劫の苦しみを孤高な山頂で味わい続けなければならないのだ。

このような世界が繰り返しうること、そしてその繰り返しだけが、救いがたい人間の唯一の救いとして機能し続ける側面があるのは戦慄すべきことである。しかし、その繰り返しを「望み」、繰り返しのみが唯一の救いであると考えているのが、他ならぬ象徴主義的歴史主義者たる現代のプロメテウス達(プロメテウス信仰者達)なのだ。

秘密への肉薄は畏怖を伴う。だがわれわれは、秘密を把握する者として、また真相を知る者として、そしてその繰り返しは意思次第で逃れうることを識る者として、唯一の希望を見出すことになる。プロメテウスは、本来秘密を管理しなければならない立場だった。今もそうである。そのために彼らは、次の機会さえあれば、またしても生き抜き、幾度でも山頂における孤独をひとり味わい続けようとするであろう。

現時点でわれわれには、この“発見”が人類への希望として機能しうるのか、戦慄の悪夢の序曲として機能することになるのかは判らない。少なくとも、それは我々(が学問的に知りうる限りの)人類という生命にとって、かつて経験しなかった規模の“或る出来事”(それはかつて起こり、未来において起こりうるエッポック)の「実在」を知らせるものとなろうことは相違ない。

そしてこれこそが<普遍的題材>の名前で呼ばれるに相応しい唯一の内容なのである。

[3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [1]
序論(上)

Wednesday, December 21st, 2005

その秘密を解き明かすのに、母より得し十の指の他に、なにも要らぬ

『祈りの手』

数秘学 (numerology) というものについて、複雑に入り組んだ体系を持ったゲマトリアやカバラの理論を学習すること以外に理解可能ではないと考える向きがあれば、それは最初の大いなる錯誤である。しかもそれはきわめて狡猾に仕組まれた予定的な錯誤である。そして、そのような錯誤を期待している面があるのではないかと思わせるほど隠秘学(オカルト)というものは、全般的に過度な神秘主義と思わせぶりだが解き明かしうる筈のない韜晦と謎なぞに満ちている。

しかし、ここで証す内容は数秘学を始めとしたある種の隠秘学と緊密に関わっていながらも、それらのものに見出される過度の神秘化を排除して、誰にでも諒解できる形に明示していくことがひとつの目標である。

■ 序論

すっかり脱聖化されたかに見える今日の日常を生きる21世紀の人類にとって、次のようなことがどうして疑問となり得、それがまた解き明かし得るものであり、その解かれた謎が「これから通過しなければならない我々人類にとって『最大の出来事』を予知させるものとなる」と言えるのだろうか。そしてそれを誰かが真顔で語ったところで、一体どれだけの人がまともにその話を聞き、その結論を信じるだろうか。

・ なぜ、イエスは「十字架」上で死んだのか。

・ なぜ、イエスは他のふたりの「罪人」と供に3人で磔刑に処されたのか?

・ 三位一体とは何のことなのか

・ なぜ、聖母子像に描かれるマリアの額や肩には伝統的に輝ける星(八芒星)が描かれるのか。

以上のような「疑問」は、よほど宗教的な関心がなければ発せられることはなく、われわれのこれから取り上げようとする内容への一般の人々の関心を損なうか、「徴」の謎に関して誠実な関心を抱いている読者でさえ、かえって構える結果を導いてしまうかも知れない。われわれは神学論争を意図しているわけではないが、これから展開する論述がこうした論争にまで発展する要素さえ含んでいると断っておくのは適切であろう。今後の展開が、大いに西洋史の行く末を決めることになったキリスト教を始めとする「新・旧約聖書を基礎とした諸宗教」との双方向的な影響関係──しかもかなり緊密な関連──を持っている点を強調しておきたい。しかし、今日の世界において正当な理由を持った「宗教アレルギー」を自認する人でも、次のような「疑問」を持ったことならば少なからずあるに相違ない。

・ 誰が国旗のデザインを決めているのか。

・ われわれは何故「旗」の下で戦(いくさ)をするのか。

あるいは

・ 一体誰が、何の目的で、我々に「旗」を与えたのか。

これでもわれわれが読者の興味を喚起できないとすれば、そもそも人間の持っている象徴に対して全く無関心であるか、見る目を持ちつつも、世界が表出している「徴」そのものに何ら意義を見出さない種類の人間なのかも入れない。しかしだからと言って、そうした人々を非難しようなどともわれわれは毛頭考えてはいない。むしろその様な読者の新たな問題意識や関心を引き出すことができたら、それは小論の部分的成功であるとさえ考えるであろう。各論に少し踏み込んでみよう。

・ なぜ我々は星状五角形(五芒星)を我々の『星』だと考えるのか。

・ なぜ古代エジプトの時代を除く古美術品からは、こうした五芒星がほとんど見つからないのか。

・ なぜアメリカ合州国の国防総省は五角形(ペンタゴン)でなければならないのか。

・ なぜ日本は合衆国に『五弁の花びら』を持つサクラを送り、それが「ワシントンDCの春」を派手に飾り、観光名所となっているのか。

・ なぜクリスマスツリーの最上部には、星が輝いているのか。

何よりもわれわれにとって不思議なのは、これだけ様々な可視的な「証拠」がありながら、それを神的な「見えざる手」の神秘、もしくは陰謀(積極的な陰謀論肯定論者の方々にとっては考えにくいことではあろうが、それらが陰謀でなかったとして、そうした人類の不可思議な象徴主義)とも考えず、それらに注意を向けない事実である。

そう多くの人々がこうした疑問には答えられないだけでなく、まずそうしたことに疑問そのものを抱かないのである。みな総ては「そういうもの」だと無批判的に受け入れているからである。「芸術は長く人生は短い」ということが言われる。が、それは「人類の残してきた象徴体系の具現化は長いが、人生はそれを鳥瞰するに短すぎる」からである。最低でも2000年以上の年月に渡って刻まれてきた人類の象徴的足跡を把握するには70余年の人生では短すぎる、というのは果たして事実であろう。

しかしながら、この小論にて訴えたいことのひとつは、われわれの思いこみや世界のあり方について当たり前のように受け入れ、疑問さえ抱かない象徴的図像の中に世界の重大な運命に関する秘密が隠されているという点である。文字どおり、それらは表にありながら巧妙に隠されているのである。例えば、多くの人々が自国や近隣諸国、あるいは大事なつながりを持った国々の国旗を知っているが、どうしてそれらがそのようなデザインとなったのかという「本当の」理由は一般に知られていない。国旗がいつからその国の国旗になったのかという真相さえ知られていないものも多くあるに違いない。にも拘わらず、その国旗を見てそれを特定の国を表すシンボルであると人々が認識するという不思議をどのように説明したらよいのだろう。一般教養的説明によれば、フランスの三色旗の「青・白・赤」が「自由・平等・博愛」を意味しており、合州国の星条旗の13本の紅白の縞模様が独立戦争で戦った13植民地州を示している、というような理由になるのであるが、それらデザインの「真に意味するところ」をどれだけの人が知り得ようか。

われわれは地球上に国際的な陰謀組織が歴史を作っているとか、あらゆる象徴の存在の責任を彼らに帰すべきだというような結論を急ぐことはしない。しかし、「公然と隠された数」に関わる研究を進めるにつれて、世界の歴史的動向の重大な部分を決定できるような「特殊な立場」や「申し合わせ」が存在するのではないか、少なくとも象徴を体系化してそれを左右できる「専門家」の存在をある程度想定すべきではないかという考えに取り込まれそうになる。とりわけ、象徴そのものの顕現がいきおい明瞭になってくる近代以降(あるいは英国国教会設立以降、あるいはキング・ジェームス1世の登場以降)においては、ある一定の「専門家」たちの存在は、象徴作品の出現に関してとりわけ重要な役割を果たしていることを否定できないであろう。だが、それでも有史以前から既に続いている象徴図像に共有される約束事が、そうした「専門家」だけに占有されてきたものだと結論づけられる程、事情は単純ではない。

国旗等のシンボル決定に直接実行力を持っている不可視的な権力存在を『象徴主義的歴史主義者』と便宜的に呼ぶことにしよう。この象徴主義的歴史主義者たちは、世界に散らばる象徴体系を巧みに用いることで、全くもって異なる以下に示すような2つのことを試みたと言える。

ひとつは、われわれがこの小論を通じて扱っている国旗等の「可視的証拠」、すなわち象徴体系を残すことで、彼らの権威や「権力の集中的な実在」を世界にアピールすることをある程度まで可能にした。その言わば「闇の権力者」(彼ら支配者の構成員が全く民主的とは言えない方法で選ばれている以上、その様な呼び方は相応しいと言わねばならない)の存在が隠されたものであり、自己存在のあからさまな証拠が露見することを許さないということは注目されても良い。

第二点として、その他方には、自分たちの存在そのものが「根底から確認不能である」ことも望まない、といった厳然たる相矛盾した傾向も同時に存在する。つまり、彼らにはある特定者だけが秘かに確かめることの出来る伝達方法が必要であったと考えられるのである。確かにこれは大いなる逆説である。権威として自己の存在が認められることを試みると同時に、公的な存在確認の妨げを試みるのであるから。

この矛盾のため、巧妙な徴の顕現と隠蔽、そしてその隠された記号の解読法の「制限的な公開」が必要となった。しかし、この部分で彼らにとってさえ解決不能な課題が噴出することになった。

それは「どのような暗号であれ、解読不可能のものを作ることは出来ない」という理由のためである。さらには、逆説的であるが、暗号は読まれにくい事が前提であると同時に、ある制限的対象に向かっては特定のメッセージを伝えなければならない。したがって「完全に解読不能な暗号」は伝達手段として実用に供することができない。

暗号が暗号として機能するには、それを読むための確固たる約束や解読を可能とする鍵が必要とされるので、メッセージの送信者と受信者の間には、当然、暗黙、あるいはあらかじめ定められた「解読法」が存在していなければならない。こうした約束事というものは、決められた時点以降、永久に隠し通していくことができない。そうした暗号や象徴主義というものは、いずれ遅かれ早かれ、偶然ないしは第三者による「飽くなき探求」によって、いずれは解き明かされる運命にあるからである。

「暗号」といった呼び方の是非はともかくとしても、秘教的象徴は象徴という「通信手段」におけるいわば「開かれた秘密」である。それらは人目に触れるところに日常的に放置してある。しかし、「1.解き明かすのに困難なほど象徴体系が入り組んでいる」「2.象徴が解き明かされる事が可能な“暗号である”という『事実そのもの』が人に気付かれない」という事情のために、その様な「秘密」の存在は、結局のところ、その大半が認知されることさえなく、したがって解読可能の前提で重大なこととして取り組まれることさえまれなのである。

また、こうした「解読」作業は、権力者や為政者たちが歴史のコマを進めてしまった後に、遅ればせにその効力が諒解される場合が多いため、つねにエポックの一歩後をゆかざるを得ない不利が拭いきれない。象徴から諒解できることを他者に伝えることの困難とはここにもある。

だが象徴世界への深い包括的理解は、過去の想起する価値のあるエポックへの理解を深めるが、同時に未来についての洞察を可能にするのである。つまりそれを周囲に受け入れてもらえるかどうかは別問題であるが、世界や歴史を眺めるときの、自分自身のきわめてメタ=アナリティックな指標 (standard) を得ることになる。ハシデウ風に言えば、まさに「超歴史的秩序」の意味解釈を可能にする視点を手に入れることになるのである。

[2] 序論(中)