Archive for the ‘The Ω Archetype’ Category

人類史に関係のない神秘思想などというものはない
そして神秘と名付けられるにふさわしいことは唯一つであり
それは同時に神秘ではないということについて

Sunday, September 11th, 2005

体験自体は私事に属することではある。留学中の1991年の1月末に私に起こったある名状し難い体験は、私の人生において向かうべき方向を決定的に変えてしまったが、その受け取った内容が、如何にヴィヴィッドなイメージを伴うものであったにも拘らず、私の知性はそれをそれとして全面的に肯定した上で受け止めることは難しく(もちろん、大いに振り回され、周囲の人を振り回したものの)、私の思い込みなのではないかという懐疑とは恒に背中合わせであったことは否定できない。だが、それはその後、3年以上に渡って私の内部に居座り続け、私を「あること」に対する恒常的な畏敬とも畏怖とも呼ぶべきなのかも分からない精神状態に釘付けにした。自分の「危機的」体験を裏付けるような証言か、それを中心的課題として論じているようなまじめな論考がどこかにありはしないかという思い(あるいは否定されて欲しかったかもしれない)が生じ、それから経済の許す限り神秘主義やシンボルのリソースの収集が始まった。

それら神秘主義関連図書に共通する事は、ほとんどどれもおなじか似たような図版の複製を見せ、それなりの博物学的な必要最低限の解説を用意しているにも関わらず、一番肝心なところを説明していないと感じられたことだった。つまり、こうした図版集はほとんど何の説明もなしに、ただその図版を読者に見せる(そして勝手に考えさせる)ことが目的なのではないかと思われるほど、一致して紋切り型であるか単に網羅的だった。そして、ちょっとましな解説に出会っても、やはり肝心なところに言及するとなると、いきおい曖昧かつ迂遠な表現になるという共通の傾向はやはり否めないのであった。

ここで私が考えたのは、ひょっとするとこうした図版の提示者自身が、自分の「見せているもの」の意味をまったく理解してはいないのではないか、ということ。あるいはこうした図書に現れる図版の内容が重要であればあるほど、それが本当は何を意味しているのか語るのに提示者本人が「ためらい」を感じているのではないかということ。そのどちらかであるということであった。それが、事情を了解しない第三者の目には、どちらも「神秘主義」であると映る。

ただ、特に有名な作家の中には、博物学的な網羅主義に陥っているとしか思えない、関連のありそうなものすべてを、ただ一見して関連がありそうな印象を以て、どれもこれもを同じ札のついた袋の中に雑多に詰め込んだような印象を与えるものもあって、その博物学者本人が自分の扱っている対象の重要さの度合いを勘案しているとは思えないことさえあるのであった。

私にとってこうした一連の図版との邂逅と自分なりの手探りの探求とは、ある具体的内容に関連していると思われる、古今東西を問わない、まさに歴史的著述の中の「証言探し」の試みでもあったのだが、1994年秋の帰国後、直ちに開始した歴史や宗教研究家による和訳されている書籍の類の乱読の中で、遅ればせに出会ったのがルーマニア出身の宗教史家・比較宗教学者のミルチア・エリアーデであった。

彼の大著『世界宗教史』の第二巻の中の「ヘレニズムの錬金術」の章における記述に、相変わらずの、いわゆる「論理実証主義的な冷厳な態度」が不可欠に求められるらしい、悲しいほどにアカデミックな学者の論述の中に、論証不可能なある内容についての「明らかな暗示」が行間に残されているのを発見したのであった。それはほとんど詩人による詩の言葉として聞こえてくるようなトーンと警鐘の響きをたたえた明かなメッセージとして私には届いたのである。

この日、私の個人的体験によって得たある種のビジョンと歴史体系が、もはや「私という個人」に属する幻想の類でないことが確固として決定付けられたのだった。いったいどれだけ古い起源を持つものなのかが分からないような象徴の体系が、現代人の中に再生され再構築されたのであった。そしてエリアーデ自身の書籍を始めとして、立て続けに幾人かの著作者による言葉の数々の中にも、同様の「内容」についての暗示や、明らかな言及を次々に見出したのだった。それらは、およそ言葉にできないことを言語化するという途方もない先人たちの努力の賜物であった。

故あって、現在、二度目の通読を行い始めた『世界宗教史』であるが、その第1巻の巻末にある訳者(荒木美智雄)による解説の中で、再び驚くべき記述を発見した。それはエリアーデが高く評価し大いに魅せられていたというハシデウの「歴史に関する大胆な仮説」というものであった。荒木氏によれば次の3つにまとめられるという。

冗漫かつ韜晦に感じられるかもしれないが、何を語っているのかを理解できる人には明瞭にその意味が伝わる内容である。

(引用開始)

1.認識論的なレヴェルでは、歴史の解釈学は「総合の要請」を必然的なものとする。

2.歴史を書くことは、歴史的状況の深い理解を前提としている。この理解は、現実的に、聖なる、あるいは象徴的なる超歴史的秩序の意味へのイニシエーションなのである。この種の理解は物語としての歴史の価値を排除するものではなく、具体的な文化や共同体を構成する、基本的な宗教体験の重要性を承認する歴史を要求する。そして、これらの具体的な体験は、神秘とシンボルにおいて顕わにされているのである。(太字は引用者による)

3.現象の起源に帰ることの重要性である。それは、歴史的に日時を測定できる起源と言うことではなく、存在的な出来事、存在の与えられた質、あるいは構造の最初の体験を意味している。聖なる現象の根源的な意義を把握することによって、われわれは歴史の解釈することができるようになる。なぜなら、その理解こそ解釈の過程全体を生み出し、導き、体系化する意味の「中心」を用意するものであるからである。(太字は引用者による)

(引用終了)

長く引用したが、私には「歴史の(秘密への)理解」が、今という歴史的「時点」への理解そのこと自体に言及する、これ以上によく書かれた記述を想像することができない。全く持って、戦慄すべき正確さで語られている。もちろん、詩の言葉を除く、いわゆる「論理実証主義」的なマナーに則った記述、という「狭い世界」の論述様式の中での話であるが。

どれも比較困難なほど重要なことが書かれているのであるが、特に筆者が注目した記述は2そして3である。ここでは、「イニシエーション」と呼ばれている体験が、まさに「歴史」とその起源への理解ということと不可分であることを、如何なる曖昧さも排除したトーンで語っているのだ。

ここで私が言い換えた「歴史の秘密」とは、まさに「セーフェル・ハ=ゾハール」(光輝の書)に書かれている「この世界は、ただ秘密によってのみ存続する」に関わるものであり、それは、これが「秘密」でなかったら、いまわれわれが生存する「壊れつつある世界」は、いまの形で存在すること自体ができなかったという意味での「秘密」である。これが「秘密」と化すことなく、大多数の「生存者」にとって当たり前の前提であった世界(時代)は、われわれが眼前に目撃しているようなスケールで「間違う」ことがなかった。だが、それが「秘密」になった時に、始まりがあって終わりがある世界というものの「起源」への記憶が喪われた。そして、いまの世界を成り立たせるためには、それが人類共有の財産であってはならないということになって忘却されたか、あるいは、その「自明な出来事」は特定の人間集団の中だけに注意深く隠匿された。あるいは、俗化された神秘主義結社における通過儀礼の形で、その意味も解されることなく伝えられることとなった。

そして、その隠匿、もしくは喪失こそが、われわれの眠りを意味し、この世界を耳を覆いたくなるほどの喧噪にしているのだ。つまり、夜の世界の彼らは「目覚めて」いたのに、昼の世界のわれわれは「眠って」いるのだ。その眠りがわれわれを「間違わせて」いるのだ。

ただし、その隠匿は局部的なものであったし、それらは神話の中や建築や美術といった表現の中に保存され「それ」と了解されることなしに、あからさまに、露出されながら伝達された。それはあらゆる喧噪や混乱の中で、ひときわ輝く徴として、いまでも奇跡的に生き続けている。(私がいまもこうして生き続けているのは「俗中の聖」という扉が、あちらこちらに未だあることを認められるからだ。)

そこにこそ、「現象の起源に帰ることの重要性」とそれに至る「鍵穴」がある。つまり、世界を成り立たせる「秘密としての歴史的事実」の再共有化・顕教化が、神話解釈・宗教の包括的理解の眼目なのである。つまり、「それはもはや秘密ではない」というような「歴史認識」の回復こそが、「今後の世界」をかつて起こった如く終わらせるか否かの、ターニングポイントとして求められる。すなわち、エリアーデによって開示されようとした宗教の本質的役割というものは、それほどかように緊急性を帯びたものであり、それはすなわちわれわれの生き残りに直接連関したものであって、いかなる科学技術による「解決策」にも、政治による「全体的解決」にも及びもつかないほどの重篤な意味を持った内容なのである。そして、「基本的な宗教体験の重要性を承認する」という研究や学問のより公正な評価がいまこそ求められるのである。

あるいは、二度とその重要性は承認されることなく、聖脱化の方向へ驀進する我らが文明の、その刻々と変化する傾向によってのみ、最期的で大団円的な「聖化」の企みは成就するであろう。そして俗化の究極の姿が、後の世界における「聖なる地所」を改めて捏造するであろう。

次いで、3の中で言及される「存在的な出来事、存在の与えられた質、あるいは構造の最初の体験」だが、分けても「構造の最初の体験」とは、言い換えれば、世界を現在のようにあらしめている構造の「端緒」を築く、かつて人類の上に現実に降り掛かった「最初の」体験のことであり、ほぼ約束されたかに見えるわれわれにとっての「最後の」体験とだぶって見えてくる巨大な薬玉を天空で無数に割るような「大祭」である。最後であると同時にそれは最初の体験となり、その壮大な地球規模の体験は、人類を「精霊で満たす」という経験に匹敵するものにするだろう。

その体験は、起きたことがあまりに自明な時代においては秘密になりようがなかった。だが、その劇的体験を直接持っている人々は急速にいなくなり世代が交代されるに従ってそれは「言い伝えられたもの」へ、そして神話へと変容した(ヒロシマやナガサキにおける被爆体験の記憶さえ、世代交代によっていかに急速に失われ得るのかということを、すでにわれわれは目撃し始めている)。われわれが現在目にしている類の技術文明の恩恵を受けることのない後世の人々が、実際にわれわれ祖先(神々)の上に降り掛かったことを合理的に説明する方法や言葉はすぐに失われるが、禁止事項(タブー)として実生活を律する律法による強制的実践という形で、歴史時代以上の長さを持ったひとつの「夜の時代」を形成するだろう。そして、この変化することと記述すること自体を禁じる時代の始まりこそ、終わりも始まりもない時代の始まりなのである。

むろん、言い伝えられたことが「秘密」となり、「超歴史的秩序の意味」がイニシエーションを通じてのみ伝えられ、それを共有する人々の間に「共犯関係」のみを築くようになるまでは。

「鍵」の鍛造:あるいはエリアーデとの「再会」

Monday, July 25th, 2005

エリアーデ日記を再び読み始める。3年以上の年月の経過の後に、暫く経っていたが、ようやく「下巻」を入手していた。そして類まれなる(私が「福音」と呼んで憚らない)「友人」との出会いで、エリアーデ熱が再燃してきたからだ。ページを繰るごとに感動。感動の毎日。自分だけではないという実感。終わらなければいいのにと願う。先天的に賦与されている威光、あるいは後天的に培った権威を通してでなく、自己のための控えめな備忘録の中に、真実の言葉の数々がある。

「人の日記」を読んで起こるこのような感動とは一体何なのか。翻って、自分の「日記」は人に感動や熱を与えることがあり得るのだろうか。聖的知識の徹底的な俗化の霧が全世界を覆う前に、私の文章はたった一人の心ある人間にすら到達することができるのだろうか?

◆ ◆ ◆

エリアーデが何を観ていたのかが分かるという実感。それは、次のようなわずか数ブロックの「断章」からも判断できる。

1959年8月9日

歴史的現象の社会—経済的説明は私にしばしば腹立たしい簡略主義の所産であるように思える。この凡俗さの故に、独創的創造的精神はもはや歴史に関心を持てないでいる。歴史的諸現象を下位の<<条件づけ>>に還元することはそれらから範例的意味を丸ごと排泄してしまうことである。かくして人間の生活において未だに価値と意味を有している全てのものが消え失せることになる。

1959年10月22日

神話、儀礼、象徴に隠された意味やメッセージの開示に必要な解釈学はまた、われわれが深層心理学や、来るべき、われわれが<<異邦人>>、非西欧人に取り巻かれるだけでなく支配される、時代を理解する助けともなるであろう。<<無意識>>は、<<非西欧的世界>>と全く同様に宗教史の解釈学によって解読されることになるだろう。

1959年11月3日

科学は、<<脱聖化>>され、神々が空になった自然なしには可能ではなかったろう。それこそキリスト教のしたことである。キリスト教は個人の宗教的体験を強調したが、そうすることを強いられたわけではない。というのもキリスト教にとっても宇宙は神の創造物であるからである。しかし歴史的時間、不可逆的持続が勝利を収めた瞬間から、宇宙の宗教的<<魔力>>は一掃された。自然には異教の神々が住みついていたが、キリスト教は彼らを悪霊に変えてしまったのである。かくの如きものとしての自然はもはやキリスト教徒の実存的関心の対象とはなり得なかった。東欧の農夫たちだけがキリスト教の宇宙的次元を保存してきたに過ぎない。

1960年1月26日

長い神話時代と短い歴史時代の後、われわれは生物学(経済学)的時代の入り口にいる。人間は白蟻、蟻の条件に還元されることになろう。それがうまく行くとは私には信じられない。しかし、数世代の間、あるいは多分、数千年の間、ひとびとは蟻のように生きることになろう。

◆ ◆ ◆

その<劇的体験>の扉を開くには、「緩慢」でいつ終わるとも知れない作業が必要である。だが、その体験そのものは、劇的かつ爆発的なものであって、緩慢な体験ではありえない。あくまでも自分の実体験による憶測だが。

如何に退屈かつ緩慢な動きを経ての体験であったとしても、その体験自体は、爆発的なのだ。何故なら、それは「扉を開ける」という表現こそふさわしい出来事であるからだ。扉が開いた、というのと閉じているというのでは、「全か無か」の違いがある。開けばこちらにどっと光が流れ込んで来るのである。

誰もがどのような扉を開けられるのかを知らずに時間を掛けて「鍵」を鍛造する。そして、あちらにもこちらにも出来かけの「鍵」を置き去りにして、鍵を作ったことさえ忘れる。「鍵」を作る行為自体は、知的でかつ根気のいる仕事である。しかしそれが完成可能な「特有の形」であることを、作っている本人が知らない。まさかその鍵を穴にねじ込もうなどと想像もしない。だが、「鍵」を作るのだ。

一方、鍵穴は世界のあちこちにあって、われわれの関心が「いつ向くか」と控えめに待っている。そして、それぞれの鍵穴(錠前)にふさわしい鍵がある。

錠前の発見、鍵の鍛造(あるいは鍵の発見)、解錠、そして開扉。

開扉までは根気のいる地味な作業だが、開扉自体は、どうしたって劇的にならざるを得ない。

その驚きの経由は、臨死の体験・奇跡的な生還、などの体験にも匹敵するような、その後の人生を根底的に変えてしまうダイヤモンドの原石を手に入れることに等しい。問題はそれをどう磨いて作品にしていくのかということに尽きる。もしあなたが「表現者」「創作者」、あるいは「芸術家」であるのなら。

そして、<感動>は、断じて創作行為に先立つ「行為」なのだ。

韜晦の終わり #2(これを、あれから区別する)

Sunday, June 12th, 2005

「そこに方程式がある。とにかくあるんだ。」それは、私がおそらく言い続けてきたことかもしれない。そしてその方程式が適用される分野というものが世の中にはある。しかし「示せない、だがそれはあるんだ」と主張しても、だれがそれにまともに耳を貸そう。どうしようもないだろう。いかにも後生大事に守ってきたかの「方程式」の「X」に、何を代入すべきなのかに言及することを注意深く避け続け、それでも思わせぶりは止めず、それを具体的に語らない筆者の言葉など、単なるなぞなぞの類であるし、自分の人生に何の関わりもない、取るに足らない他人の虚言だとしか思えないとしても、それはまったく不当ではないのだ。

私が何度も「或る題材」と呼んでいるもの、それが方程式の「X」である。だが、その「X」を正面切って取り上げる日は近い。もう私にとっても限界なのだ、それを隠し続けることは。そもそも、それを後生大事に持っていられるほど人生は長くない。そう私は感じる。ないものをあることのように見せかけるのではなく、あるものをないことのように見せかけることは至難なのである。

表現作品というものは、ひとたび創作者の手から離れれば、それが「どのように受け取られてもよい、あるいは仕方がない」という一般認識がある。言い換えれば、作品の解釈はそれを受け取る人の数だけある、という考え方だ。

自分の浅い経験から言っても、これはかなり広く受け入れられていることだろうと思われる。作品と鑑賞者の関係については、私の立場は「どのようにも受け入れられても仕方がないということが、現実としてある」という意味では、十分に認めることが出来る。だが、そうした現状認識とは別に、「それで良いのだ」と割り切って済ませて良いのか、という疑問が常に戻ってくる。

鑑賞者の鑑賞態度、受け取ろうとする人間の「取り組み」について言えば、「すべての作品に関して」とまでは言うまいが、少なくとも「ある特定の表現作品」に関しては、求められていいことだという想いがある。つまり、これは鑑賞者の鑑賞態度(取り組み)に関する「思想」なのであり、また「理想」なのであって、場合によっては単なる「虚妄」と呼ばれてしかたがない、切なる願いなのである。現実がどうであるというような現実認識についての確認という段階の話をしている訳ではないのである。

たしかに、ある特定の作品(創作物)に関して、作品を受け取る人間の数だけ異なる<経験>があるというのは、ほぼ無条件に認めることができる。音楽の様な抽象性の高い作品について言えば、それが前提であろう。だが、ある特定の作品に関しては、「解釈(理解)も同様に受け取る人間の数だけあってよいのだ」という考え方には容易に与することは出来ない。それが如何に動かし難い現実であったとしても、それでよいのだとは思えない、ということがある。

それは芸術全般に対峙する時の一般論ではなく、言わば、特定の作品に関して鑑賞者に求めるべき(求められてよい)「思想」に関わるものなのである。あるいは、ある種の芸術家が、ものを創るときにおそらく期待してかまわない作り手側の情熱と自己投機に関して語っているのである。「思想」であると認める以上、それは理想や夢に関わりのあることであって、現実を受け入れるということとは別の次元で存在している問題だと言うことを、ここで認めているのである。

「鑑賞者によってどのように受け入れられてもよい」と本気で考えて(あるいは積極的に望んで)制作する創作家にとっては、鑑賞者がどのような解釈や経験を得てもよいのであって、そこには特に<課題>と呼ばれるものがない。確かにどのような「作品」にも鑑賞者の数だけの「解釈」と「意味の発見」と、そして「経験」がある。だが、ある特定の表現作品については、同じ態度で接しても十分ではないと思えるのである。これは筆者の実感について語っているのである。

つまり、創作者の<表現題材>の重要性に気付くということ、そしてそれに肉薄しようという態度で鑑賞に取り組まなければ、それの描く世界(題材)への入り口にも立つことの出来ないという種類の「作品」というものがこの世にはあるのだ、ということである。そしてそれは<絶対芸術>という名に相応しいものである。解釈が様々にあってよいもの、それが<相対芸術>なのである。

不遜にも自分が音楽を通じて、表現題材の重要性に気付かれるべきものを創って来た、などということを言うつもりはない。私がやって来たこと、これまでに人前で発表してきたことは、「即興を通じて行われる音楽行為」であって、そこに特定の意味や題材を感じ取ってもらおうなどと考えて行っているわけではない。それこそ、聴いて下さる方の数だけ、異なる体験や「解釈」があって良いのである。

ただ、自分が「詩のようなもの」を書くとき、あるいはある種の散文を書くとき、それを自分がどのように受け取ってもらえても良いと思って書いているのではなく、ある明確な題材についての自分の理解を共有してもらいたい一心で書き綴っているのだと言うことができる。これは、ある種の表現作品を通して、何か具体的なことを伝えたいと思う創作者であれば、ほぼ当然のこととして信じているはずのことである。

あれもこれも、「芸術」と呼ばれるものは皆同じ、などと大雑把に表現カテゴリーを理解している訳ではないのだ。

音楽の中にも、正面切ってある種の「題材」を扱うものがある。一番分かりやすい例ではオペラなどがその類であろう。一方、映像作品の中にも特定の「題材」を取り上げずに、即興的にある種の作品を作りあげる創作家もいれば、エンターテイメントを追求する創作家もいるだろう。この際、そのどちらかが一方に比べて価値が高いなどということはあえて言うまい。そうした一切について、同じ態度で臨んで良いとも同列に語って好しとも考えない。それだけのことである。異なる種類のものを異なるものとして区別する、ということは重要なことである。

これまた晦渋なる前書きである。それは認めよう。

韜晦の終わり #1(詩がわれわれに語るもの)

Saturday, June 11th, 2005

私がここ10年以上にわたって変わることなく、一日たりとて頭から排除することのできなかった「或る題材」について

確かに、その種の「題材」とは、数学の定理の証明と同じような科学的な精度を以て、証明・論証できるようなことではない。ただ、「詩の言葉」だけがそれを扱うことが正当であったし、それが正当であったということ自体にも理由といきさつがあった。

詩の言葉で語られたものが指し示すものとは、時として「別の詩のような言葉」や象徴的図画やある種の動作によって翻訳することができたかもしれないが、ある題材が特定の表現手法を通して語られてきた事自体、その手法がおそらく最も得意とするものであったからに他ならず、当然のことながらそれを別の表現に置き換える事自体に第一の困難がある。これは「手法変換」に関わる困難と呼んでもいい。

ある特定の「題材」が、言葉で語り尽くせるような内容のものでない場合、しかもそれでもなお語られなければならないとき、やはり「詩」として(あるいは「詩のようなもの」として)われわれの前に何度でも再生してきた。だが、その「題材」をわれわれの日常語で論じることは、詩や映像作品を別のものに置き換える際の、一般的な「手法変換」の難しさとはまた別の難しさがある。

これはその特殊な題材そのものを「諒解する」ことの難しさである。したがって、その「題材」を扱う「作品」について日常語で語ることには、二重の意味で困難が待ち構えている。だからこそ、この「題材」そのものを日常語で語ることは、歴史の早いうちに諦められ、「詩のようなもの」が単独で取り上げ続けたのだ。おそらくそれが、その「題材」が「詩」の専門領域になった経緯なのだと言っても、おそらく過言ではないのだ。

さきほどまさに「数学の定理の証明」と言ったが、一見自明そうでいて、その証明がどうしても困難であった「フェルマーの最終定理」の様な極端な例を持ち出すまでもなく、ある程度複雑な定理証明を理解するためには、それを理解できるだけの、様々な既に証明された定理や高度な公式に関する知識が必要となる。だが、ある種の数学者同士にとってその「正しさ」がすでに自明のことであっても、それを部外者にも分かるような説明を求められたら、それは困難を極めよう。しかもその説明に失敗した場合でさえ、それが間違いである、と素人のわれわれには断定することが出来ない。

この場合、その「正しさ」を知ろうと思うなら、数学者が数学領域の外に出て来るのを「受け身」で待つのではなく、数学の部外者が数学領域の中に積極的に入って行く以外に、それを共有することは出来ないのである。

その「正しさ」を実感するためには、その数学者と同じだけの知識と知力、そして経験が要求されるからである。したがって、その「題材」を扱うこととは、その点においてのみ、「数学の定理の証明」をある程度の習熟者同士が共有することに、幾ばくかは似ている。だが、繰り返すと、その「証明」は、数学の証明ほどの正確さで再現できないところに、「題材」を共有することの難しさがあり、またその内容の途方もなさに単なる「虚妄」として退けられる傾向も排除できない。だが、繰り返し繰り返し時代を超えて伝達するに値する「題材」というものは確かに存在したし、ある種の実感を持ってその題材自体のリアリティを理解することのできる人というのは、歴史上幾人も存在した。

また別の喩えである。たとえば神学に通じていない人々にとって、二者の神学者の間で交わされる神学論争の言葉がまったく何の意味をなさない符丁のようなものであるばかりか、間違った根拠をもとに闘わされる単なる虚妄の論理の応酬のようにしか聞こえないだろうことは想像できる。だが、神学者たちが積み上げて来た理論というのは、その領野内において、それ独特の精密さを持ち、また、その言語を知る者同士では相当に正確なコミュニケーションが可能なのである。つまり、その前提となる「公理」が正しいのだとすれば、その上に築き上げられた理論自体は、とりあえず「間違い」ではないのである。つまりその条件下においてそれは真なのである。ただ、その「公理」の正しさを受け入れるか、不可知であるという理由で、「取るに足らないもの」と思うか、それはこの人の不可知領域に対する敬意と態度で決まる。

あるかどうか分からないものに、どうして敬意を払うことが出来るのか、と訊かれることがある。だが、今日あなたが乗った電車が渡ったかもしれない鉄橋が、ある種の精密な構造力学上の計算によって構築されているにも関わらず、それをあなたが理解できないという理由で、力学上の理論が「存在しない」と言う事は出来ないであろう。つまりそれは理解を超えているが、それでもなお、そこにあるもの、なのである。

また、先天的にものが見えない人に、視覚という感覚がどういうものであるかを説明するのがいかに困難かを考えてみよう。しかし、それがいかに困難ではあっても、「ものが見える」人にとっては、見えていることが絶対的なリアリティなのである。そしてものが見えることが、見えない人より優れているかどうか、という議論は全く不毛なのである。私はどちらの方が優れている、などということをあえて主張する気もないのだ。だが、見えていない人が、見えている人に向かってを「視覚などというものがあると主張すること自体が傲慢だ」と言い出すことがある。あくまでも喩えに過ぎないのであるが。

理解し得ないことが「あるかもしれないこと」として互いに敬意を払うというのは、実はあらゆる「専門領野」においても求められてよい最低限の礼儀であると言えるだろう。なぜなら、専門を異にする者同士でのコミュニケーションというものには、多大な労力と忍耐が要求されるからだ。

そして、この異種領域の専門家同士の間で「会話」を成り立たせることが出来る場合があるとすれば、そこには優れた比喩(メタファー)が介在していることがあり得る。それほどにわれわれ人間同士が対話をするには比喩というものの不思議な潜在性(ちから)に依頼するところが多いのである。

もし、数学者や物理学者が難しい定理や公式をいちいち説明することなく、その数学や物理学の世界の「真実」(あるいは真実らしさ)を門外の人々に理解してもらおうとするならば、おそらくある程度単純化された図表などの視覚的な表現方法、あるいは「すぐれた比喩」を案出しなければならないはずだ。

だが、こうした理論が正しそうなだけで、正しいことを他者に説明できない場合に、それを聞くに値しない、知るに値しないと思えば、「あるかもしれない世界」のその扉は、彼らには永久に閉じられたままになろう。数学者が数学について知らぬ者よりも相対的にそれをより多くを知っているという事自体は、傲慢ではなく、それ以下でも以上でもない、単なる事実を言っているだけの話である。

その「題材」とはかつてこのように表現されたことがある。

「(秘教の唱える教義は、)現代科学がすでに時代遅れと見なしているさまざまな教義の一つであり、実験的に証明できるような正確な対象物をすでに失っている」(『秘儀伝授 - エゾテリスムの世界』(リュック・ブノワ)と。

またブノワはライプニッツを引きながらこのようにも語っている。

“「あらゆる理論は、その肯定するところにおいて真実、否定するところのにおいて虚偽である」(略)。あらゆる否定は、現実から可能性の一部を切り捨ててしまうが、実はこの部分を解明することこそ科学の役割なのである。”

これを、今、私ならこう言い換えることが出来る。「実はこの部分を開示することこそ<詩>の、そして<ある種の芸術>の役割なのである」と。