Archive for the ‘劇場映画ログ’ Category

「直列ではない 並列に」4人の女優の配置を考える
(映画『またの日の知華』を観る)

Sunday, January 30th, 2005

とまあ、映画に到達するまでが一苦労。日曜日にまた気を取り直して新宿のシネマスクエアとうきゅうへ。2日連続で新宿の、しかも歌舞伎町に出向くとは。

原一男という監督は、『ゆきゆきて、神軍』で有名だそうだが、自分が見たことがあるのはケーブルテレビでやっていた「全身小説家」のみ。映画監督というよりは、ドキュメンタリー映像作家というような印象がある。個人的に文学の世界に親しんでいないので、正直言うと「全身小説家」も自分に直接深い関係があるものとはあまり感じられなかったが、今回の「またの日の知華」も全体としては似たような印象。

連れ合いが感じ入っているところで、あまり否定的な評を下すのは楽ではない。だが、これはあくまでも自分の感じたことであって、人がどう思うかということとはこの際関係がないし、自分がそう思っていることでこの作品の価値がどうこうされるわけでもない。

さて、一人の女性を異なる4人の女優が演じるというのは着想は確かに面白い。ギミック以上の何かであって、そこには真剣な映画作家による実験的試みがあるのは認めても良い。まさに、女性がその時付き合っている男性によってまったく違った人物として見られる(捉えられる)というその視点に共感しないではない。だが、そう言っちゃあ身も蓋もないかもしれないが、男性だってその時々に付き合っている女性によっていくらでも変わるのだ。男性にとってもたったひとりの女性の出現が未知の人間性の開拓につながることにもなるし、本人にとっては人生を「深める」のにも「広げる」のにも大いに役立つことである。したがって、それは女性に特有なことだという印象を固定化させることには反対だ。(もちろん、監督がそれを意図したと言いたい訳ではないが。)

■■■ (ある程度)ネタバレ警告!■■■

そしてボクに言わせると、一人の主人公に対して異なる女優を配置したことで実際に起きたことは、付き合っている男性によって女性の現れ方が変わってくるというよりは、むしろ女性の現れ方が違うから、周りに出現する男性にバリエーションが起きてくるという風に、因果関係が転倒しているように思えるのである。正直のところ、主人公が桃井かおりの演じるような女性になったから、夏八木勲みたいな男が寄ってくるということの方が真相に近いと思うのだ。

つまり、次の男と出会う前に、主人公の女の方が既に変貌しているのだ。そして、その変貌の理由には説得力がないことにいらだちを覚える。だから、一人の女性を描いているようには、観客たる私には見えて来ず、同じ名前(知華)、同じ「オリンピック出場候補の体操選手としての過去」だけを共有する、まったく違う女性が次から次へとリレー式に現れているようにしか感じられないのだ。そこには日本の戦後に起きた現実の歴史を安保闘争や浅間山荘事件、そして酒田大火などの実写映像がドラマの中に織り交ぜられることで、「現実の一方通行の時間」の糸によってより強く結びつけられることになる。

しかし、観客が絶対に受け入れなければならない前提としての「女優4人によって演じられる」という人為的なオペレーションによって、厳密であるべきドラマ上の一本の人生の流れに「理由なき断絶」が起こっている。それが監督の狙いだったと言うのであれば、その狙いは(残念ながら)成功している。

ボクが保守的なだけかもしれない。そういう問題にしてもらってもかまわない。が、主人公の生きている時間の経過や出会っていく人間との関係に伴って変貌していく女の姿を、一人の女優(たとえば金久美子)が役作りで演じきった方が、おそらく主人公への感情移入は容易に起きただろうにと思うのだ(ありきたりな意見だが)。そうなれば、ドラマの最後に主人公の身に起こることへの衝撃も不条理感も倍増されたに違いない(もし、感情移入を回避することが監督の狙いなら、その試みも残念ながら「成功」している)。

だが、最後に演じた桃井かおりに起きたことは、不幸なことではあるが、体操選手として一度は未来が約束された、かに見えた若い主人公と「桃井かおり演じる女性」のあいだに、すでにアイデンティティ上の埋めがたい断絶が起きているので、感情的には「どうしてそうなるの?」というあっけにとられるような驚きは起こっても、シンパシーの感情は湧き起こらない。桃井かおりの演じる主人公は、死せずとも、すでに「終わっている」からである。それはつね日頃テレビ画面に登場する普段着の桃井かおりと寸分に違わない「地でいっている」演技なので、なおさらそのニヒリストにふさわしい最期であるようにしか見えないのである。それは言い過ぎかもしれないが、本当は不条理ではなくて、残念ながら「因果応報」というのに相応しい形になってしまっているのである。だが、平均台から落ちた体操選手の末路としては、あまりに断絶の溝が大きすぎる。

げに、可愛そうなのは実の息子の純一であり、2番目のエピソードで(どうやら)捨てたらしい夫なのである。いずれにしても、第一のエピソードにおいて、夫に対して良い妻であり、生徒に対して良い教師であり、子供に対して良い母であった「模範的な」主人公知華が、ただひとりの子供っぽい同僚の高校体育教師のたった1回の「誘惑」に負けて墜ちていくというのには、ボクは何のリアリティも感じられなかった。

今「誘惑」という言葉を使ったが、実はそれはむしろ「強姦」というのに相応しいものとして映画では描かれているのであり、それに元オリンピック出場候補の体力を持つ彼女がだんだんに負けていき、ついには結局身体を許す、というのでは、まるで陳腐なポルノ小説のような場面設定でしかない。悪いことに、監督自身の女性観が図らずも旧弊なセクシスト的なものでしかなかったことを暴露しているようにさえ思えてしまうのである。こう言って差し支えなければ、彼女の「転落」は、実はドラマの重要な鍵である。しかし、それが「知人(同僚)による強姦」がきっかけであったようにしか考えられないというのでは、あまりにも安易ではないか。

また、映画の冒頭が、最初の恋人であり夫となる主人公のパートナーの視点から描き始められる。これにより、夫から見た主人公像というのが「狂言回し」たる夫の目線から最後まで描き通されるのかと思いきや、実質的に夫が登場するのは第二のエピソードまで、という中途半端なものになっている(それも、妻が浮気をしているようだというめめしい懐疑心をテレビの前で丸く縮こまる背中で描く)ばかりか、決定的な、最初に提示された夫の視点というものが、ドラマの伏線として二度と機能しない。

これらの「アイデア」と「伏線」と「4人の女優」というのを組み合わせる映画の「別のあり方」というのがあるように思った(もちろんトーシローのアソビとしてだ)。それは、ひとりの主人公の時代時代を4人の女優によって演じ分けていくという、(現実にあったように)時間軸上に4人の女優のエピソードを直列につなぐのではなく、一人の主人公が、人生のごくわずかな転機によって、4つの異なる人生があり得るというのを描くのだ。言い換えれば、4人の女優を時間軸に対して平行に(4列に)配置するという方法だ。つまり、直列ではなく、並列に4人の女優の演じ分けを並べるということだ。

いくつもの未来があり得るというこの方法は、古くはキェシロフスキーによる映画『偶然』で試されているし、最近ではトム・ティクヴァ*の映画『ラン・ローラ・ラン(Lola rennt)』で試されて面白い効果を生んでいる。通常の映画はどうしたって時間軸上にドラマを並べるしかないので、2時間なり2時間半の時間枠の中に「直列」にフィルムをつなぐしかないが、「時間が戻った」という演出は、もちろん可能だし、それは近いところではタランティーノによっても巧妙に行われている。

(* その後、ダンテの『神曲』を使って三部作を作ろうと企図していたキェシロフスキー亡き後、彼の遺稿を使って、ひとつを映画として「復元」した『天国』の監督を、他ならぬティクヴァがやっていることを考えると、ティクヴァ自身がキェシロフスキーから創作上の影響を直接受けていて、実は『ラン・ローラ・ラン(Lola rennt)』として結実しているのであり、その直接のネタは実のところキェシロフスキーの『偶然』であるはずなのだ。)

つまり、こういうことだ。オリンピック出場候補の体操選手たる主人公は、ある日、予選の演技で平均台から落ちる。そして、そこからある一定の時間までは、若干の違いはあってもほとんど同じ状況で、しかもひとりの女優(たとえば、あの本物の体操選手に一番似ていた2番目の知華を演じる渡辺真起子)によってドラマが進行する。しかし、ある人間(男でなければならない訳ではない)と出会うことで、あるいは、本当にあったある事件によって、彼女の中で何かが変わり、外部では運命の歯車が切り替わる。次のシーンは5年後かもしれないし、10年後かもしれない。あるいは、60年時間が経っていて老婆になっていたって良い。だが、その「何年後かの主人公」というのを3人ないし4人の異なる女優が描き分ければ良い訳である。人生が変わったために、主人公の顔つきやしゃべり方まで変わってきても不思議はない。女優の歳の差もうまく利用出来るだろう。付き合う男や自分自身の行き場も何もかも変わってくる。そういう設定である。

同じ時間軸上に存在する女主人公の顔つきやしゃべり方まで、あのように短い時間の中で豹変するというのは、どうしても信じがたく、ボクには違和感を覚えてしまうのだ。だが、そうした違和感も同じ時間の中の別の世界(いわば平行宇宙)ということであれば、受け入れやすいのだ。

という風に、全体的には幾分批判的な評となってしまうのであるが、部分的に見れば良いと思える箇所がなかった訳ではない。まず、音楽がなかなか良かった。そして、金久美子と桃井かおりの演技が良かった。桃井かおりは笑えるほど面白かった。いただけなかったのは、主人公がどんどん年をとっていっても、いつまでも若いままの高校の同僚の体育教師である。これは何とも信じがたいのである。

「またの日の知華」公式ウェブサイト

シネマスクエアとうきゅうって…

Saturday, January 29th, 2005

… ぜんぜん「スクエア(まじめ)」じゃないね。ネット情報に関して言えば。それに劇場も全然「スクエア(正方形)」じゃなくて、ナマズの寝床のようになが〜い「レクタンギュラー(長方形)」だったね。

前日金曜日には、Zefiroを聴きに銀座まで行ったのだが、銀ブラ中の道々に安い前売り券を扱うディスカウントショップを見つけて、映画『またの日の知華』の前売り券を2枚入手。「2枚」となると、当日券を買うより合計で600円は節約出来るのである。今どきの「映画1本?1800ナリ」は、自分の経済状態では、ちと痛いのだ。

それで、その映画を土曜日の午後、観に行く。だが、上映時間が断りもなく勝手に変えられていて、土曜日はわざわざ新宿まで出向いたのに(この展開って、なんか少し前にもあったと思うんだけど)、映画館の前で初めて4:25pmの回がその日の最終回であることが判明。時計の針はもう5時を回ろうとしている。脱力。ネットには最終回が6:45pmと書いてあったじゃないか、シネマスクエアとうきゅう! 調べたのにその情報が最新でなかった訳だ。「被害者」は連れ合いとボクの2人組くらいだっただろうが、実に迷惑。もちろん、劇場に直接電話で問い合わせなかった自己責任と言われておわりなんだろう。

家に帰って再度調べたら今度はサイトの方が更新されていた。やはりこまめにチェックするよりほかないのだ、おそらく。あるいは、ネット情報を信じないことなんだろうね。

『イブラヒムおじさんとコーランの花』

Sunday, January 23rd, 2005

寒かった日。恵比寿ガーデンシネマに向かう。

前売りで購入していた映画『イブラヒムおじさんとコーランの花』を観る。折りをみてちょっと書いてみよう。

(思ったより地味な作りだった)

(プロモーションのクリップでの紹介で得た印象と異なると思ったのは、プレヴュー制作者の意図的なミスリーディングではないかと思われるほど)

(オマール・シャリフを見に行くだけでも価値はある)

中国“英雄”譚としてのキャンデー物語「功夫 KUNGFU HUSTLE」

Thursday, January 20th, 2005

■■■ ネタバレ警告!■■■

一見弱そうな者、一見普通そうな者、一見醜い者たちが、見た目からは想像できない能力を持っているという前提。また、本当に能力のある者は、市井に混じって普通の生活をしているという前提。だが、ひとたび本当に必要が生じれば、その「能ある鷹」達はその「爪」を見せる。そうした形式をしっかり踏まえている。そこには、監督が誰の側に立つのかを明確にする姿勢がある。

つまり、映画「功夫」は、貧しい人の中から英雄が出てくる、普通の人が超人的能力に目覚める、しかし戦わないことが最も尊いという、おそらく中国では通例となっている物語の描き方、英雄譚の形式をしっかり踏まえているのである。「弱きを助け強きをくじく」という、いまでもわれわれこそが見たいと思っている勧善懲悪のパターンが立派に採られる。主人公が「悪に与すること」を決心しても、その人間の本質は善であれば変わらず、あるいは悪に与することが出来ない人格が最終的に勝つという内的な「善悪の闘争」がスターウォーズなみに描かれるのであるが、しかし、あくまでも庶民がその「懲悪」に目覚めるというアプローチである。

映画『カンフーハッスル』に出てくる侮れない「キャンデー」の象徴

そして、物語には全編を通底して出てくる象徴がある。主人公が少年時代に“授かった”「ある拳法の奥義書」学んで得た力を試そうとして、イジメられている口の利けない少女を助けようとするところで、その象徴は登場する。その少女は「キャンデー」を悪ガキ達から「奪い盗られ」ようとしている。少女はそれを必死で「守る」。少年は助けようとしてまったくその奥義書から得た技が効かないことを悟る。それどころか、反対に大勢の苛めっ子達から身も心も、ずたずたにされる。少年の「悪へ帰依しよう」とする決心は、まさにこの瞬間までさかのぼるのである。実は、彼はケンカに負けながらもここで少女と少女の「キャンデー」を「守った」のであるが、プライドをはなはだ傷つけられた少年はそれに気づかない。少女は、さっそくその守り通した「キャンデー」を少年に「捧げよう」とするが、自尊心を徹底的に傷つけられた少年はそのままその場を去り、少女の「キャンデー」はそのまま少女の大切な宝物入れに仕舞われる。そしてそれはその少年との再会だけを待っているのである。

街でアイスクリーム売りをする女が、まさにかつて少年時代に助けた少女であることを知らない主人公は、そうと知らずにその貧しい女からなけなしの金を奪うという「ちっぽけな悪」を実践しようとする。しかし、それは彼女との再会のために用意された宿命であって、彼女は強盗が探し求めていたかつての「正義漢」であることを見抜いている。そこで、彼女は古いキャンデーを、唯一のIDカードとして彼に「差し出す」ことで、自分が誰であって主人公が本当は何者であるのかを思い出させようとする。しかし、彼は「悪に身をゆだねる」決心をしているのであって、そのキャンデーをはじき飛ばす。少女の差し出したキャンデーは四分五裂する。

大詰め近くになって、悪に完全に魂を奪われている「いまのところ最強の悪役」によって、主人公が死ぬほど叩きのめされて動けなくなっても手だけが動く。そして自分の血糊で地面に描くのは、少女の差し出したキャンデーの図である。その象形文字のような絵を見て、助け出した者は「意味が分からない、ちゃんと中国語で書けよ」と嘆く。この「象形文字」は、明確に普遍的且つある特定の意味、しかも死に瀕している人が遺そうとするにふさわしいメッセージをコミュニケートしているのだが、それを映画ではすかさず「笑い」にして、ゴマ化す(それを正面切って詠い上げることは恥ずかしいことだからである)。

力(能力や才能)ある者こそ、それを隠し、市井で庶民の姿をとって普通の生活をしていかなければ、制御できない無知蒙昧な「力の発揮」がおこり、競争が起こり、結果、争いが絶えなくなる。こうした「暴力の連鎖」という抜きがたい「力の法則」をどう扱うか、という中国思想上重要なテーマがある。「戦わずして勝つ/負けるが勝ち」というのに関連がある思想なのだ、これは。

面白いのは、こうした「拳(こぶし)を防衛の道具とする」という武道の奥義書を売り歩いているのもまた、ホームレスに身をやつした「半ば物乞い」の賢者(サドゥー)であり、またグルジェフ風にいえば、第四の道の実践者でもある。

主人公が、最後の死闘を生き延びるのは、香港娯楽映画である以上、当然である。これはあくまでも英雄譚なのである。それは観る前から分かっている。だが、重要なのは、主人公が最も強い拳闘家であることが証明されることではない。勝利後に、その主人公が身をやつす「市井の人」が何であるのか、なのである。そして、その答えは…

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映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』

Saturday, December 11th, 2004

チェ・ゲヴァラの学生時代のバイクでの冒険日記をベースとした映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を劇場で観る。11月中に一度恵比寿の映画館の前まで行ったのに満員で見ることができなかったもの。1ヶ月半以上前にMから借りた原作はとうに読んである。この日は珍しく午前中の輝かしい朝日を拝みつつ、起床することができたので、きちんと「朝食」と名のつくものを食べ、コーヒーを飲み、午前中の回(11:00)を並ぶことにしたのだ。そしてそれは思いのほかうまくいく。

この映画に限らず、原作との違い、みたいなことを論じてみてもはじまらないことは分かっている。映画は映画だ。原作に忠実であることが立派であるわけでもないし、原作と違うことで映画として面白いものなどは沢山あるし、その逆もある。だが、自伝などを基にした作品はどこまで脚色ができるのか? ここには監督や脚本家の倫理とかを問いただそうというような無粋な「原典忠実主義」を披露するつもりはないのだけれど。

だが、まさに革命家ゲヴァラの若い頃の冒険箪を、イメージの先行した革命家像と「離れたもの」としていかに描き、読者に届けるか、というところが「モーターサイクル日記」の出版の眼目のひとつであったと考えれば、いかに革命家と離れたゲヴァラがこの映画で描けるのか、というところに自分は興味があったのも確かなのである。そして、その点に関して言うと、ガエル・ガルシア・ベルナルというゲヴァラ役の俳優は、とても納得のできる配役だったと思う。つまり、内向的で繊細な「喘息持ち」の青年のイメージとして相応しかったという意味でである。

原作の「日記」自体が、どきどきするような二人乗りバイクによる実際の旅の顛末を反映しているわけではおそらくなく、日記というもの自体が事実を反映していると考えること自体にすでに疑問がある(このblogだってそうだ)。それを裏付けるように、一緒に旅をした道連れのアルベルトも、この旅の回想録をなんらかの形で残しているようだが、同じ事件を扱った記述がすでにゲヴァラのものと違っているとさえ言われている(訳者による「あとがき」による)。視点が異なれば、ものの見え方が違うなどということは、いまさらことさらに言い及ぶほどのことではないだろうが、日記さえ「作品」として原作者の手を離れれば、さらに異なったものになっても不思議はないことの一例だ。

正直言うと、原作の「日記」自体が最初に予期した印象よりはるかに地味で、思ったほどおもしろおかしく書かれているというような感慨を持たなかった。加えて、文章自体が執筆活動を専門とする文学者のように練られた文体でもないので、どちらかというと、読みやすいものではない。非常に独特の語り口を持っていることが想像できる。おそらく翻訳者も頭を抱えたであろうところが何ヶ所もある。それは翻訳が不味いとかいうことではなくて、おそらく不可能なのだ、あれを訳することなど。

それにしても、やはりというか、この脚本家もこの「ダイアリー」を映像化するに当たって「革命家としてのゲヴァラ像」と日記の作者を結びつけないでは済まさなかった。「ダイアリー」自体が、革命家像と結びつけて読むとやや拍子抜けするような内容だと本書を日本で紹介した訳者自身が断っている。たしかにそうだ。それでも、この旅がゲヴァラにとって大きな体験であった以上、後にその経験が革命家になっていくゲヴァラに「影響を与えていない」と考えることにこそ、もちろん無理がある。だが、言い方は悪いが、この映画ではこの旅が「後の革命家ゲヴァラを作る主たる原因であるかのように描く」という脚色上の誘惑に、ものの見事に負けている(べつに負けても悪いわけじゃないんだけどね)。そして、おそらくそれ以外にこの原作を映画化する理由も動機も方法もなかったのだ。

つまり、それが映画を見ようと思う人々の「観たいモノ」に応える制作者の抜きがたい傾向なのだ。

むしろ、革命家ゲヴァラが「そうなって」いく直接の原因というのは、このモーターサイクル冒険を終えて何年か経った後の「何か」、しかも「活動に参加する直前の何か」であって、その点については、原作の「日記」には何の片鱗もない。それは、本人もそう断っていたはずだ。

理由もある。そうした本当に大事な「何か」は文章化できない。するヒマもない。それほどかように「大きな出来事」は本人を恐ろしく多忙にしたはずである。しかも、それはある種の暗合がばたばたと連鎖的に起こり、それも一見行き当たりばったりに動いているようにしか見えないものであって、多分に言語化するとものすごく「詰まらない理由」だったりするかもしれない。おそらくそれは「単なる運命の悪戯」だったかもしれない。同じ旅をしても、その「詰まらない理由」と「本人の世界解釈の思い込み」がなければ、案外革命家に生まれ変わることはなかったかもしれないのだ。だが、それをどうやって「あの地味な日記」から「面白い映像」に変換するのか、それが脚色家や映画製作者の追求するべきテーマとなるのは、まったく理解できないことではない。

だからということでもないが、若いゲヴァラたちが通った道中を映画に携わった人たちがカメラで辿っていくことで、おそらく「現場での出会い」のような連鎖があったとボクは想像するのだ。この映画は、作っていく間に、ゲヴァラの目から見た当時の人々の表情を、現代にそのままに映像として捉えることができるということが製作者達によって悟られた時点で、「革命家像と切り離されていないゲヴァラ像」、あるいは、その片鱗を描くための口実と化すことに決まったのである(きっと)...

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幕末残酷物語

Wednesday, November 3rd, 2004

叙情と忿怒」と題した脚本家・加藤泰の映画特集のひとつ、「幕末残酷物語」を阿佐ヶ谷ラピュタで観る。

仁侠映画の脚本家らしいが、新撰組を取りあげているのが一見異色。しかし、考えてみれば何の不思議もない。倒幕を図る薩長の殲滅を画策する「外に向かう暴力」の組織が、組の内部へは、ほとんど恐怖政治に等しい「法」と統制を敷いて、その「機動力」を保持していたからだ。そうした、暴力装置の当然持っている残酷な側面などは、「仲良しグループ」として大河ドラマで描かれがちな「新撰組!」には出てこようはずもないもの(おそらく)。

芹沢鴨がどうやって死に、一方、その後の世の中で一部の人々の間で英雄化された近藤勇や土方歳三が、その地位を如何にして我がものにしたのか、という暗黒面を描く。

一見、新撰組を舞台とした「青春群像」みたいな劇映画かと思いきや、後半から主人公の存在感がぐっと増し、一気に、「ひとりで斬り込む」復讐仁侠ものとなっていくところが、この映画の見所。

(加筆予定)

「先入観」は、映画を面白くするか?

Monday, November 1st, 2004

フランソワ・オゾン監督、シャーロット・ランプリング主演の『まぼろし』と『スイミング・プール』の2本立てを観る。4連休の最後がちょうど「映画の日」だったので「名画座」の検索をして、ちょっと興味を持って行った。「時間の無駄」とまでは言わないが、どちらももう一度みようとは思わない。敢えて言うと、自分の先入観がどのように映画の見方に影響を与えるのかという、やや特異で、相当に個人的な経験をしたのでそれについてちょっと記しておこう。

ちゃんと調べておかなかったので、開演ぎりぎりに入った自分は、どちらの映画が始まったのか分からなかった。『スイミング・プール』がある種のミステリーだと言うことを、ずいぶん前に別の映画館で観たプレビューを観て知っていた。そして、始まった映画が『まぼろし』だと思わないでいたために、自分の見始めた映画の冒頭がトリックのある謀殺や詐欺の類の伏線であると思い込んでいた。

冒頭で主人公の女の夫が「失踪」する。それは、おそらく「ほぼ確実に事故」による行方不明であったに過ぎず、その後、すべての夫の登場するシーンが、愛する夫を失った妻の愛惜の幻影(まぼろし)であったらしいのだが、それに私は最後の最後まで気付かずに、どこでその「行方不明」のトリックの意味や、それによって女がどんな利益を得るのか、ということだけに傾注して観ていたのである。したがって、なんの「その後の事件」も、トリックの種明かしもなく、映画が終わったとき、自分が騙されていたのか、何かを誤解していたのか、それとも、理解すべき基本的なことを見逃していたのか、まったく判断できずに混乱した。どうやらそれは、極めて情緒的な夫を失った妻の「喪失と受容の物語」(チラシによる)であったらしいのだ。つまり、自分の観た映画をほぼ「ミステリードラマ」の類と思って見続けたのだ。すると、何の種明かしも事件も起こらない「妙なミステリーもの」の映画に付き合わされたような感覚におそわれるのである。

ここで、二つの考えが起こる。『まぼろし』は、やはりチラシの言うように単純な未亡人の物語であったのかも知れないし、少なくとも私が「思い込んだ」のとは意味が違うが、まったく別の意味を持っている可能性があるという考えだ。つまり、「夫を失った女の哀しみ」を描いているように見せかけて、実は全然違った内容を多層に織り込んでいる、という可能性である。(ホントか?)

しかし、少なくとも言えることは、映画の中で、行方不明になったはずの夫があたかもまだ生きて彼女の生活圏の中にいるかのように、「幻影」としてではなく、あくまでも現実的に描かれていることだ。これには、おそらくミステリー(推理もの)だと思わなかった大半の鑑賞者でさえも、幻惑を感じたのではないだろうか。もし、夫がまだ生きているとしたら、「行方不明」になっている、ひいては、すでに「死亡」しているという彼女の周囲の共通認識は、いったい何のために作られたか、と考えるのが普通である。つまり、夫の生存を妻が周囲に隠しているという風にしか鑑賞者には映らない。だとしたら、何のために? それによって、彼女は一体何を得るのか? そのように考えるわけである。

もし、現実的に生きているのではなく、それが彼女のみている幻影に過ぎないのだとしたら、あそこまで夫の幻影を現実的に描くことの理由とは何だろう。いまだに謎なのである。少なくとも私には、まったく価値のない思わせぶりな映画なのか、観るもの自体も騙してある種のミステリー体験をさせようという、映画ならではの二重の騙し絵を意図したものなのか、それが分からないのである。

そして、二作目の『スイミング・プール』でも、「こっちの映画はまだ分かりやすいし、少なくとも理解を絶したトリックはない」と思って観ていたら、最後の最後にどう考えたらいいのか分からない「種明かし」が起こる。やはり、フランソワ・オゾン監督は、高度な騙しを狙っているのか?

シャーロット・ランプリングの演じる主人公は、どちらの作品に関しても、共感したり同情を抱いたりできるような人物としては描かれていない。意地悪く言えば、むしろ、生経験豊富な嫌な性格の成功者である。その辺りにも、監督が何を狙ったのかを観るものに追えなくさせる「失敗」の原因があったようにも思える。むろん、そう鑑賞者のひとりが思ったことが、監督にとっての「成功」なのかも知れないが。

やっぱり、心変わりしないで、阿佐ヶ谷に加藤泰・特集「抒情と憤怒」を見に行った方が、良かったのかも知れない。直前で「色気」を出したのがイケなかったのか?

恵比寿まで行ったが

Sunday, October 17th, 2004

「モーターサイクル・ダイアリー」の7時からの回を観るべく4時頃からゆっくり出掛けた。さんざんあちこち寒い中を歩いたりウィンドーショッピングをしたり、コーヒーを飲んだりしながら時間をつぶし、30分前くらいにガーデンシネマに行った。すると、「3時頃にすでに7時の回の受付がいっぱい」になっていてレイトショーまで観られないと言う。!? 前売りを買っていたから油断していた。

「11月末までの上映が確実」と聞いたので、ひとまず退散した。

こんなに話題になっているとは思いもよらず、いくら週末とはいえこんな4時間前からいっぱいになるほどの人気とは驚き。結局、4時間以上の時間外を歩き回るだけで無駄になった。腹が立ったが、恵比寿のアトレで普段買わないような「高級バイキング式弁当」を買って帰る。

口惜しいが、借りている仁侠映画でも観て今宵は過ごそうと思う。

“幽霊”は父だけだったか?(『父と暮らせば』を観る)

Sunday, September 26th, 2004

Date: 2004-09-26 (Sun)

昨日。永山に誘われて、映画『父と暮らせば』を岩波ホールで観る。原作(井上ひさし)から監督(黒木和雄)、主演女優(宮沢りえ)に至るまで今まで縁が無く、特に興味を持ったことのない人たちばかりだったが、「中野・手の会」つながりもあり、強い永山のプッシュもあり、大きな期待も抱かなかったが「悪い映画であろうハズがない」と信じて行ってみたのだ。

控えめに言っても、考えるところのいくつかある映画であった。

舞台は原爆投下後3年目の広島。出てくる人物は、図書館司書たる主人公の美津江(宮沢)とその父(原田芳雄)、そして美津江に心を寄せる(?)青年(浅野忠信)の3人だけである。画面上に登場するのは、美津江の同僚で、図書館受付で美津江の席の隣にいるもうひとりの女性職員を入れれば4人だが、その人物に台詞はない。いかにも「戯曲を元にした映画」という感じで、場面の殆どが廃墟の一歩手前の美津江の住む「家屋」の中だ。そして、このドラマは全体として、娘と幽霊になったその父との言葉のやりとりだけで、ほぼ成り立っている。舞台劇としての井上ひさしの原作を、おそらく忠実に映画化しようとしたために、抑制の利いた表現が全編を占めることになったのだろう。特に舞台に奥行きのある岩波ホールだからそのような感じがしたというのもあったかも知れないが、映画を観ているというよりは、まるで目の前に良くできた美術の舞台演劇が出現したかのようでもあった。しかも過剰になりがちなな舞台俳優の演技なしで。

映画でしか表現できないような特殊撮影は、原爆投下直後に炎熱の塊がヒロシマの街を一瞬にして覆い、街を破壊しながら広がっていくという、終末的なおぞましい場景のシミュレーション部分くらいである。この特殊爆弾を投下したアメリカ兵たちでさえ、強い「緑の閃光」のために直視できたはずのないその場景は、映画だからこそ“視覚化”可能であったのだろう。殺戮された人間とほぼ同数の人間が総動員体制でその製造に関わったというたったひとつの大量破壊兵器が、文章による記述だけでは想像の及ばなかった巨大なスケールと速度で「ほどかれ、展開され」、その力で未曾有の破壊が起こったことが、まるで神の視点のように「鳥瞰」される。

一方、「幽霊たる父親」の登場や退場に対してさえ、特殊撮影の技術を用いようという演出上の意図さえない。むしろ、生前の父親とそのまま同居しているというくらいのリアリティでそこに「住んでいる」のであって、そこにはいっさい非現実性がない。そこにいる「父」は、実はある事情で「すでに死んでいる」のだということが観ているものに時折思い起こされるくらいである。そうした種も仕掛けもない平板な舞台演劇風の映像の中で、前述した一瞬の特撮映像と一部引用される「原爆絵」は、大きな力を持つ。

宮沢の演技にも大袈裟なところがいっさい無く、ヒロシマを“生き延びた”(と思っている)若い女性の微妙な「罪悪感」というものを自然に描いていた。彼女の演技には初めて驚いた。



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さて、物語を物語とさせている一番の核となる部分の話をしなければならない。それは、生き延びた美津江の「生き延びたことに対する罪悪感」についてである。正直言うと、見ている間じゅう私はある種の違和感と疑惑を感じながら映画を観つづけた。生きていることに対して感じる罪悪。そのようなものがあるのだろうか? 少なくとも自分の直接の責任でない大量殺戮を生き延びたことで個人の心に「罪悪感」が巣喰うことがあり得るのか、と。

私のかくも貧困な想像力は、それがすぐには理解できなかった。幸せを目前にしてそれを掴むことにためらう娘に「なんでなんじゃ?」「おまえは病気なんじゃ」と叫ぶ父。こちらの方の気持ちはよく分かった。

しかし、一緒に観に行った永山は、原因がヒロシマの原爆を生き延びたというような、「戦争による肉親との死に別れ」によるものでないにしても、そのような「生きていることの罪悪」の意識を永いこと持ち続けることがあり得ることを、実感以て理解できると私に説明した。この説明に私は自分の想像の及ばない「痛み」がひとの心に宿りうることを、初めて悟ったように思った。

不条理な肉親との死に別れという体験は、逝った人間に生前関わった人々が、その死の原因の責めをどこかに求めようとする、という。たとえば自分は生き延びて子を失った母は、生き延びた子の親友に「どうして私の娘は死んで、あなたは生き延びたのか」と問う。その「問い」は、本当は子の親友に子の死の実質的な責任を求めているわけでないだろうし、ましてや論理的ではないのかも知れないが、運命の不平等に憤りを覚えていることに違いはない。その納得が難しい不条理は「やり場のない憤り」となって外に向かい、生き延びた僅かな人々を傷つけ、まったく不当な罪悪感の種を植え付ける。

だが、永山曰く、本当に自分に降りかかった不幸に対する「責め」が、特定の対象を見つけられないとき、やり場のない憤りは、最終的に「自身の内側」に向かうのだという。つまり、「自分が悪かったからその不幸は生じたのだ」そして「自分にはそもそも生きる資格がなかったのに」ということになる。つまり「幸せになることを拒否する」ことで自分を責め苛むのである。言い換えれば、それは「緩慢な自殺行為」であり、明らかな自傷行為であるということができる。確かに原爆による肉親の死に対する「責め」が、どうして自分の内部に向かえるのか? これは、一見して分かりにくいことではあるし、全くの不条理ではある。だが、それが起こるのがこうした「不条理な死」の本質でなのある。

戦争でなくたって肉親の「不条理な死」は、癒しがたい傷を人の心にもたらす。自分が生きていて良いのかという「罪悪の感覚」は、何十年でも人の心に巣喰うことができる。ある者はその罪悪感からゆっくり時間を掛けて立ち直り、やがて幸せを掴むかも知れない(美津江がそうなったかもしれないように)。しかし、一方で、その罪悪感に苛まれながらそれを二度と克服できず、一生掛けて闘いながらも「立ち直り」を経験することなく、潰えていく者がいてもおかしくはない。

ましてや、戦争などという不条理で肉親や子を失う人々が、結局そうした傷を克服できなかったとして、それはその傷を負った人たちのせいであると言えるのだろうか? 戦争の災禍は戦いの最中だけにあるのではない。それはまさに、眼前で肉親を失いながらも生きていかなければならなくなる、あらゆる生存者たちの心の中に、執拗に持続していくものだ。「戦争の悲惨さ」という言葉は、使い古された言い回しだと冷笑する向きもあるだろう。「戦争は悲惨だって?...モチロン悲惨だよ。感情的な判断だね。でもそれが(必要悪としての)戦争なんだよ。でも誰も好きで戦争なんかしやしないさ」。そういう言葉も聞こえてきそうだ。

しかし、戦争を闘っていないこの今の時代にこそ、われわれの想像力、人の心の襞に入り込めるだけのコンパッション、肉親を死を容易に克服することのできない人間の心の限界を予見できるだけの「知」を、身につけなければならない。平和主義を「感情論」の一言で嗤う者は、文明活動でいかに遠大な目標を目指す者でも、最終的にその目的が人間の感情に帰着することを無視して、その目的(人類の幸せ)の達成を論じることに過ぎず、そのような感情を無視しての論陣など、完全に無意味であることを知るべきなのである。まったくもって、感情論とは本質論なのである。

『父と暮らせば』は、そうした鈍りがちなわれわれの想像力を、もう一度研ぎすます機会を与える映画なのである。



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以下は、映画全体の価値を損なうかどうかという議論ではない。映画の終わり方に関わるので、この映画を観るかも知れないひとはおそらく読まない方がよい。

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私のDivaは、音楽で私をさいなむ

Monday, February 12th, 2001

映画『Diva』は思い出深い作品だ。作品自体が非常に秀逸だと感じただけでなく、帰って来ないと思っていた日本に帰ってきて、初めてひとり劇場で見た映画であったことや、それ以外の「暗合」とも相まってmy favorite moviesのひとつになった。ビデオも間もなく入手した。自分は決して映画マニアではないが、滞米中に映画を映画館で見るのがそれまで以上に、やや習慣化していた。とくに帰国直前の最後の4~5ヶ月の間に知り合った映画通の日本人の友人(この人はこの人で特筆に値する重要な友人なんだが)の影響で、帰国直前のニューヨークでも幾つかの欧州映画を見たのだった。そして『Diva』はニューヨークで観たわけではないのだが、彼との話の中でも何度か話題に上った映画のひとつだったのである。

米国で見ることのできる欧州映画の幅の狭さたるや、さすが国を挙げて「文化的鎖国」を断行している島国アメリカならでは!と言いたくなる状況だったが、そのなかでもディストリビュータの努力でもって開けられた針の目のような小さな穴からは、(たとえばそれはニューヨークのスノッブの集まるLincoln Center Theaterなど幾つかの映画館のことなんだが)幾つかのアジア映画や欧州映画が、ちょろちょろと漏れだしてきており、それらをなんとか掬い採ることができたのだった。

話は『Diva』から離れてしまうが、何でも見つけだしてきて、まとまった「ひとつの状況 phenomenon」を造り出してしまう日本の異文化崇拝傾向の方が世界の中でいかに特殊だとしても、今にして思えばアメリカに於けるこうした海外文化の紹介の程度の低さは、それはそれでまさにappallingなほどだと思えた。これについてはそれだけで「一幅のエッセイ」が描けてしまうほどの重い意味を持つことだと感じているが、(ポイントを失いがちな私のエッセイをこれ以上ひどくしないために)ここでは映画に話を限ろう。日本では、さほどマニアでなくてもちょっと映画に興味を持っている人が、欧州やアジア発の映画の存在を知っているほどには、アメリカ人が外国映画を知らないというのはかなりの程度正しいと思う。彼らの外国の文化に対する全般的無関心にも原因があると思うが、そういう海外の映画が観たくても、そのようなものがあること自体が広く紹介されないのだから、周りの人にはアクセス自体が殆ど不可能なのであって、知らなくてもおそらく仕方がない。相当のマニアでない限りそうした文化的チャンネルの確保が難しいのが、島国アメリカなのである。しかし、一度でも日本人だった人からすれば、そういう点でアメリカというところは(ニューヨークでさえ)、実に文化的に「渇き」を感じる場所であった。

そんなわけで前述の映画通の友達と話す「文化的会話」の多くが、アメリカのsickeningな文化的鎖国についての憤懣やるかたない気持ちの吐露に費やされた。日本人なら当たり前のように知っている映画が、なぜ、アメリカではかくも接触機会が狭まれているのか、と。この友人の列挙するお薦め映画の殆どが近所のビデオレンタルショップでは置かれていなかったし、East Villageなどのマニア向けのショップでなければ見つけられないなんてこともあった。そのリストされた彼の勧める映画のほとんどが、日本に帰ってきて初めて観るものだったのだ。

 まあ、いわばこうした日本の欧州文化への間口の広さのためと言っては何だが、帰国して現在の仕事に就くまでの間、いわば文化的調整期間のような時期があって、毎日のように街の中央図書館に通い、本を渉猟し、またアジア映画のビデオを借り、また都心に出て欧州映画を見たりといったことに時間を費やした。“浦島”現象を経験した「日本人知的中産階級」としては、こうして必要な調整及び挽回を一気に計る必要があったのだった。

その初めの映画が『Diva』であったのだ(長い前置きだよな)。たしか神楽坂の辺りだったと思うが、小さなその名画座にすわって、いきなり荘重に始まる冒頭のAlfredo Catalaniのアリアのシーンに椅子に釘付けにされ、映画のプロット以前に、「これは音楽と映画好きを自称する者として観ていなかったことを直ちに恥ずべきたぐいの映画である」と断定したのであった。しかも、あの音楽が一度ならず何度も何度も「さあこの音楽に感動せよ」と畳みかける。そのときわれわれは映画を見ているのではなくて、コンサートに聴衆のひとりとしてそこに居合わせているのである。したがって、『Diva』あのアリアを「聴く」ためには、映画館での観賞が必須なのである。それにしても私が「噂のDiva」とようやく出会った1994年といえば、最初に公開されたのが1981年だとすると、すでにかれこれ13年経っていたことになる。あの名画座に感謝!である。

ようやく最初のアリアへの感嘆から立ち直った頃、映画はゆっくりと不穏な感じで動き出す。それでは、音楽にフォーカスして自分の思うことを捲し立ててみよう。まず、アリアの感動を相殺しようとしているとしか思えない、駅のプラットフォームでのシーン。そのバックでかかっている、いかにもチープなカッティング・ギターをフィーチャーしたイタリアン・プログレ張りの音楽が、あのアリアと好対照を成しており、しかも「これはやはり映画なんだ」と、鑑賞しているという「現実」に鑑賞者を引き戻す(つまり音楽をメインフィーチャーとしたショームーヴィーでなく)。また、あの場違いなほどチープなロックが、この映画の全体のクラス感をうまく規定したと思えた。そんな安物の音楽しか手に入らなかったのではなく、わざと選んだということである。これがプロっぽく完璧にアレンジされた「不穏な雰囲気のクラシック」系の音楽であったなら、この映画のクラス感は反対にぐっと上がってしまい、もはやみんなの愛する「ヌーベルバーグ」ではなくなってしまっていたかもしれない。

主人公を助けることになるゴロディッシュのアパートの部屋のシーンでは、Laraajiを思わせる環境音楽(ambient music)が空間を満たしており、恋人のアルバはローラースケートで浮遊し、部屋に飾ってある「水と油の波のオブジェ」とすべてセットになって、ひとつの「音と動きのギャラリー状態」を醸し出している。アレは、理由がどうであれ、Jean-Jacques Beineixとしては絶対やりたかったことのひとつなんだろうと思う。あのような空間を演出すること自体が。

音楽の使用法に関しては、彼の後の作品(またYves Montandの遺作となった)、『IP5: L’ile aux pachydermes』における主人公の若者と彼の心の恋人である女があるダイナーの窓ガラス越しに再会するシーンでの音楽の使われ方などをみると、Beineixにとっては「最初に音楽ありき」なんだろうなと確信を深めざるを得ない部分がある。しかし『Diva』こそ、音楽が映画を成り立たせている好例となっている。このようなことを書くと、「最初に原作があったのであって、事実に反するぞ」と指摘がありそうだが、きっとすべての映画制作に先立って「あの音楽を映画化する」という意図があったんじゃないかとさえ私には容易に信じられるのである。

そんなわけで、当然ウィルヘルメニア・フェルナンデスの歌うアリアは、映画の中できわめて重要な役割を演じ続ける。それは単なる映画の一シーンとしての劇中バレエや劇中オペラの類ではなく、本質的な意味で、最初から最後までそうなのだ。音楽の創作行為を表層的に音としてだけでなく、これほどのレベルで音楽パフォーマンスに付きものの緊張感までも伝える映像というのはめったにお目に掛かれるものではない。

そして記録・再現芸術たる映画と、記録された音楽の《意味》が終盤になって明らかにされる。これは再現・再生されることが前提とされた芸術である映画の表現者として、Beineix自身が問いたい作品の最大の挑戦的メッセージであるとさえ考えられるのだ。映画の中で「録音され複製された自分の歌」を拒否し続けたDivaたる彼女が、映画の最後に、映画の鑑賞者たるオーディエンスとともに、その複製された音楽に感動する!という仕掛けが用意されているのである。

しかも映画の鑑賞者たるわれわれにとっては、彼女が「生」で歌っているものも、ジュールによって録音され再生されているものも、まったく同質のもの(両方とも複製である)として聞こえてくる(当然だが)。しかもこのプレイバック(再生)は、彼女の歌った劇場によって行われる。これは記録・再現芸術が自らを正当化する最も賢明でパラドキシカルな手法である。これは音もビジュアルも時間も含有する映画だからこそ可能だったトリックだと言える。しかもジュールの録った音源が、お粗末な音の再生に留まらない、演奏現場での緊張感をも、そして記録者の音楽への愛をも、伝える「音の記録」であったからこそ、映画を見ているわれわれは無理なく納得させられてしまうのである。かくも秀逸な映画ならではのトリック。

Beineixは終盤近くでひとつのいたずらをする。「悪徳刑事の手下2人組」のひとりが、一体全体イヤフォンで常に何かを聴いているのだが、それの内容が最後(最期)に判明する場面である。この映画のもう一つの象徴的存在でもある、このグラサンを掛けた「何でも嫌い」な小男は、相棒が話しているときもイヤフォンを付けたままだ。そして人を追うときも、殺すときも。そして、これもやはり音楽なのであった。アメリカ映画ならさしずめ、この小道具はWalkmanだったかもしれない。その音楽がわれわれには聞こえてこない「彼の見た世界」のsoundtrack(背景音楽)として常に機能していたのであり、おそらく彼の「嫌いでない」唯一のものであったのであり、「彼の世界」における音楽のすべてだった。そしてついに死んでしまった彼の耳からイヤフォンが外れ、そこから漏れだしてきた(血ならぬ)音楽とは何か? それは「タンゴ」だったのである。

(げげ~っ!)