Archive for the ‘Good/Bad Books Memo’ Category

「神々の沈黙」への備忘録 #2

Thursday, April 3rd, 2008

以下は、page 153のジェインズによる記述

環境面での難問とは、霊長類の長である人間が生き延びてきた氷河期や、もちろん、それ以上に重大な<二分心>の崩壊であり、それに対して人間は意識によって順応した。

これについてはひとつ言いたいことがある。<二分心>無きあとの時代を、人間が意識によって生き延びたという面はあるだろうし、それ以外に人類に選択肢がなかったわけだが、生起した順序(因果関係)で考えると、<二分心>の崩壊は、意識の登場によって起こったのだと思う。したがって、むしろ意識は<二分心>の文明の滅亡を決定付け、助長したのだと言えるのではないか。意識には(その生得的な臆病さから)徐々にではあっても支配の座と覇権を狙う傾向があって、統計上は、一定のレベルで抑えられていたが、何かがきっかけになって、二分心の種がその支配の座を追われた後、支配する側に立った。結果的に、二分心の種はマイノリティの地位に甘んじることになる。

これは進化の問題というよりは、言わば政治的な問題、つまり「政争におけるシーソーゲーム」のような一過性の勝敗結果を反映しているだけのものなのかもしれない。全然、確定的なものではない。つまり「意識」と「二分心」の間には絶対的な実力の差(そして生物学的/進化論的な差異)はなく、その支配の座を巡って、互いに常に虎視眈々と相手の支配のチャンスをうかがっている、そのような状態なのではあるまいか?

この考え方は、そもそも崩壊しうる文明(死すべき文明)というものの、勃興と滅亡を堂々巡りのように廻わらざるを得ない性質と、実は合致するのではないか? 

[これこそが、意識の獲得が3000年前ではなく、遺跡や記録が残り始める6000年前の時点とする理由である。だが、「イーリアス」の時代が本当に僅か3000年前の話ということになると、その主張は難しくなる。むしろそれを記録したのが3000年前ということではないのか? その時代は依然として二つの勢力の鬩ぎあいがあったが、意識がいよいよその影響力を増しつつあった時代なのではないか? 6000年を真とすると、6000年間の二分心の支配と6000年間の意識の支配というものが、シーソーゲームのように交互に現れる12000年の周期というものを想像しやすくなる。この文明はピークを迎えて滅びると、意識も共に滅びるのである。]

本書でその視点をジェインズが与えているのかどうかは最後まで読まなければ分からない。だが、彼の関心は、周回する超歴史的反復という視点でこのエポックを解き明かす視点を持たなかったのではないかと思われる。だが、一体そんな視点をエリアーデとハシデウ以外の、どんなスカラー(学者)がかつて持ち合わせたことがあっただろうか?

「神々の沈黙」への備忘録 #1

Wednesday, April 2nd, 2008

神々の沈黙画像

まだ、150/600ページしか読んでいないのだが、あまりの興奮と感動のために、いくつかの備忘録を残しておきたい。もちろん、ジェインズが言っていることをすでに捉え損なっているとか、半ば意図的に曲解しているようなところはあるかもしれないが、それにも関わらず、これを書いておく必要があると判断したのだ。

ジュリアン・ジェインズが言ったように、「二分心の時代」から現在の「意識」(自我意識)の支配する時代(神々が沈黙した時代)へと、今から3000年前に移行したとすると(むろんそれを本当に3000前とするべきなのか、それ以前の、例えば6000年前という時代に起きたとするべきなのか、僅か数千年の差があるとしても)、それが何故こんな近々の過去(つい最近)に起きたのか、という彼自身が逢着した疑問に、やはり自分でも逢着せざるを得ない。

いわゆる脳の物理的・生理的な構造の変化が原因の一つであるにせよ、いわゆる進化論的な変化がそのように短い時間に起こることは考えにくい。ただし、一定の「脳の傾向」を持った人間が人口全体に占める割合というように統計学的な概念を導入して考えた時、一つの仮説が立てられるような気がする。(以下はポリティカル・コレクトネスを問題にする人々の前では口にしにくいことである。とりわけ「権威」の到来を待っているかに聞こえるかもしれないところなど。)

それは、現在われわれが知っているような意味での現代の近代資本主義や、技術文明、そして西洋のヒューマニズムというものが、以前なら厳しい自然環境による淘汰圧に耐えられずに滅びていた筈のヒトをその文明のシステムの傘の下で生かすことによって、ホメロスの時代ならあり得たような二分心的な「神との直接交流」を可能とする英雄的人間の類の占める割合がどんどん希薄化されて行ったということはありそうなことである。つまり、現在でも人口の一定の割合で見出すことの出来るいわゆる「統合失調症」と呼ばれ、今日でも「治療」の対象にさえなっている精神病患者達は、そういう英雄になり得た種の生き残りであるということが出来るかもしれない。

ただし、そういう種は、常に人口の一定の割合で生まれて来ようとし、また、それを去勢ないし排除するような文明でなく、それを畏怖し、また育て、またその指導に従うことを好しとするような文明であったなら、その才能を一挙に伸ばして、ホメロスの時代にいたような英雄になる可能性があったのである。

つまり、「統合失調症」が死なずに生き延び、全人口に対する彼らの割合が現在よりはるかに高かった時代は、いわゆる「二分心人達の文明」ということできて、それこそ「神との交流能力」が、生存の観点からは有利でさえあった時代であり、時代が下るに連れ、そうした人々が生存にとって危ういものである、むしろわれわれの生を脅かすものであるという、それまでとはまったく異なる文明観が存立したとき、この手の英雄達は沢山殺されたのだろう。こうした、かつてなら「生存に有利」とされた種が却って、淘汰されるべき対象として看做されるようになる。当然のことながら、そうした「種」が、とりわけ「狩られて」仕舞った後の文明においては、彼らはマイノリティの地に落ちてしまう。

神共に生きる。天使と供に生きる。こうした目に見えざる存在達と生きていた時代の名残というものは、今でも西洋文明の影響を余り大きく蒙っていない地域には残っているのではないか。例えばライエル・ワトソンがその著書『未知の贈り物』で描いている少女ティアの存在というのは、そうした「統合失調症」と、文明の側なら名付けそうなすべての条件を満たしているように見える。

しかし程度の差こそあれ、われわれの社会にもこうした「病」と名付けられそうな人間は思いのほかたくさんいて、神や天使、あるいは先祖達の声を間近に聞いているのである。それが病的な様相を呈したり、本人がその声に苦しんだり、他人に迷惑をもたらさない限り、そのことは話題にもならないし、問題自体にならない。

ヒトは神を見ようとする。神がいれば、それの元へひれ伏してしまおうとする。これは権威主義とも結びつきうるものかもしれないが、自分の心の広間で神と思える声が響き渡るとすれば、それに対して無条件に従ってしまうというその在り方は、むしろヒトが生物学的に(生得的に)持っていた能力ではなかったか?

神の声を聞いてしまう脳のある扉が突然開いてしまって、突然それが命じるままに自己をこの世から文字通り滅却してしまおうと考えた男の話が出てくるが、そうした行為に及んでしまった男の気持ちを私は分かる。天から轟くとしか言いようのないその声に一体誰が抗うことができようか? ジャンヌ・ダルクが生得していたのは、神の声を聞くという、その時代にとっては、おそらくやや希な能力であった筈だが、それを自分のその後の行動の指針にするほどその内なる声に従順であったということ自体は、驚くに値しない。つまり、その声を聞く者にとって、それに従うなどということは、「当然のこと」なのだ。

橋本治の『日本の行く道』についての備忘録

Thursday, January 31st, 2008

贔屓にしている内田樹氏が熱心に取り上げていたので、迷わず取り寄せて読んでみた。以下は、橋本治の『日本の行く道』(集英社新書)についての若干の読後メモ。

内田樹のサイト:

学校の怪談ほか

まず引用から。

光化学スモッグが日本で発生した二か月後には、アメリカで「マスキー法」と呼ばれる大気汚染防止法が成立します。「大気汚染の原因である自動車の排気ガスを規制せよ」です。これで日本の自動車業界が大騒ぎになるのは、日本がアメリカに自動車を大量に輸出していたからですが、アメリカの排気ガス規制をクリアしないと自動車の輸出は出来なくなります。

(略)

「こんな規制が出来たら、お前のところは自動車の輸出が出来なくなるだろう」という、日本いじめの一面だってあったかもしれません。そして、一九七〇年のアメリカの自動車排気ガス規制は、もしかしたら「環境に配慮して」ではなかったのかもしれません。(p. 136)

これについては、「これには、「大気汚染によってアメリカ人が健康を害し、命をも危うくする」という、アメリカの「国内事情」の方が大きかったかもしれません。」と、著者は直後に断っているものの、この法律がもたらした結末について、誤解を招く様な言い方になっている。これはどうかと思う。

Wikipediaでも読めるが、「自動車メーカー側からの反発も激しく、実施期限を待たずして74年に廃案となって」いるというのが、マスキー法についてのひとつの事実であるが、この反発は当然のことながら、合州国内の自動車メーカーからのものである。当時、日本の自動車メーカーが反発を表明することなど出来なかったからである。そもそも日本車が選択的に閉め出されなければならないほど、日本車の対米輸出は高まっていなかった。

それよりも重要なのは、橋本氏の書籍で指摘がなかったこととして、この悪名高きマスキー法の規制のもとめる値を唯一達成したのは、日本の自動車メーカーのホンダだった(有名なCVCCエンジンによって)ということである。Wikipediaを信じるなら、マスキー法によって定義された排気ガス規制は、事実上、1994年になってようやく達成された。逆に言うと、ホンダは他メーカーが当たり前のように達成できるようになる20年以上前に、独自に達成したことになったということである。加えて、このCVCCの成功が、その後の日本車の対米輸出を激増させるのであり、日本車を閉め出すどころか、日本車の総合評価を一気に引き上げることに寄与したのである。マスキー法について言及するなら、むしろ日本の技術がスゴいということを言っている別の章でこそ取り上げるべきだったのだ。

徳川家康は、豊臣秀吉によって、当時まだ「一面の葦の原」だった江戸に移転を命じられ、一から町づくりを始めました。そういうことをやった人だから、豊臣家を倒して天下を取った後になっても、「君、あっちに行って、あそこをなんとかして」という人事異動を大名に命じたのです──その結果、日本全国は平均化して安定したのです。(p. 136)

これは、維新後の明治政府よりも徳川の方が先見の明があったというようなことを証したいために書いているのかもしれないが、そもそも江戸が「一面の葦の原」だったという、旧い江戸観、ないしは東国観に根ざすもので、その前提がすでに間違ったものだとされているので、その前提によって語ろうとしていることはあまりアテにならないと思われても仕方あるまい。

それについては「日本は瑞穂国」だというのは完全な謬見であると主張する網野善彦の『「日本」とは何か』にも詳しい(p. 195 東国の都──「未開な後進地東国」の誤り)。この本には初っ端から「環日本海諸国図」という富山県が作った地図が転載してあり、それが、この書籍全体に匹敵するほどのインパクトを持っている。

環日本海諸国図

この年(昭和9年・1934年)、数えで八十六歳になった最後の元勲西園寺公望は、「重臣会議」というものを招集して、元勲に変わる新しい「総理大臣推薦システム」と作ります。そして、六年後に死にます。その後の日本製時は「重臣会議」を中心にして動き、これは一九四五年に日本が戦争の敗北を受け入れた段階で終わります。問題は、そういうシステムが本当に終わったのか、ということです。

 主権者が天皇から「国民」に変わっても、与党のトップである総理大臣の選出は、相変わらず「密室の中で与党の実力者が話し合って決める」という習慣として残っています。(p. 189)

これはなるほど、思わせる記述である。

日本は戦争のない江戸時代に「職人=技術者」の成熟を可能にして、これが工場制手工業という量産システムを可能にしたのだと、私は考えています。それが「産業革命=近代化」を達成してしまった日本の前提で、だからこそ、「製造に携わる優秀な職人が多くいれば、別に産業革命の機械化をする必要なんかない」という、ねじれた事実もあるのです。この一見矛盾した条件こそが、日本を経済戦争の勝者たらしめる原動力になったのだとしか私には考えられません。(p. 218)

明治維新になって近代化された日本では、「軍隊」というものも生まれます。江戸時代には、行政担当者がすべて武士だったから、「国に所属する軍隊」というものは不必要でした。でも「武士」という階級が廃止されれば、「国家に所属する軍隊」というものも必要になります。(p. 221)

赤穂城がお家断絶取り潰しになった時、開城のために江戸から赴いた一団は、幕府側の「軍隊」ではなかったのか? また、幕末に長州や倒幕側としたのは戦争であり、それを行ったのは「軍隊」ではないのか?(もちろん、主旨とは関係ないかもしれないが、彼自身の主張を強化するのには役立たない)

イギリスで起こった産業革命は、「物が足りないから、大量生産をして必要なものを作り出す」などという、しみったれた理由によるものではありません。商品を大量に生産すれば、必ずそこに「余る」という事態は出現するのです。「必要だから大量に生産をする」は一時的なもので、「機械化して恒久的な大量生産システムを作る」というのは、「自分たちが必要とする物を作る」というのとは違います。それは、「自分たちが必要とする以上の物を作り出す」なのです。(p. 221)

人間の文明活動に関して産業革命の助長したことについては、否定するまでもなく「正しい」のであるが、「余るという事態」、すなわち「余剰生産物」の出現を許したのは、産業革命ではなくて(それは確かに「幇助した」のだろうが)、自分が食べる以上の「余剰生産物」を発生させた最初の張本人としての人間の活動は、何と言っても「農耕の発明」にあったわけなので、この十八世紀の「産業革命」だけのせいにしかねない言い方には、やや受け入れ難い単純化が潜む。

大量に作った物を売って「利益」を得るためです。必要があろうとなかろうと売りつける──「需要がなかったら、そこに需要を作り出してでも商品を売る」という、二十世紀後半のマーケティング理論では当たり前になることが、産業革命によって起こるのです(p. 222)

産業革命が、人間の余剰生産物を爆発的に増加させ、「不要な物」の買い手を求めて、史上の開拓を行い始め、また買い手がいなければ(北極圏のエスキモーに氷を売ると揶揄される様な)「啓蒙」によって、買い手としての他者を(セールス活動、その他によって)“生産”することを大いに促進したことが事実である以上、二十世紀のマーケティング理論の下地を十八世紀の産業革命が作ったという言い方は間違ってはいないのだろう。だが、どこで真の原因の特定をするのか、と言えば、それはどこまで因果の連鎖を遡るかというわれわれの想像力の射程距離次第なのである。

世界は、明らかに行き詰まっています。その「行き詰まっている」の原因になるものは「産業革命」というところにあって、だからこ私は「産業革命の前に戻せばいい」と言うのですが、私の言う「産業革命の前」がかなり複雑なものであることは、もうお判り頂けるのではないでしょうか? 行き詰まっているのは、「産業革命の達成=近代化の実現」を「やらなければならない」と思った国家の立場なのです。(p. 222)

これは断っておくが、人間の文明活動の「誤り」がどこで起きたのか、ということを敢えて問わなければ、橋本氏の主張の主旨を理解しようとすることは可能だ。少なくとも、十八世紀の産業革命(内燃機関の発明)が、その直後にもたらされた現象が、人間を疎外する可能性のある近代化であり、それをこぞって促進しようとしたのが、近代化に目覚めつつあった近代国家であったことは、ほぼ動かしようのない事実だし、日本においてもそうした盲目的な西洋文明への追従が、国家的な目標として明治を境に掲げられ、推進させられたことは事実なのだから。その点で、「行き詰まっているのは、国家の立場なのです」という断定は、きわめて強く説得力を持って響いてくる。

(その他の読後感)

以上のように、全体的には、なるほどと思えることもそれなりにあるが、大学生などによる「受け入れやすさ」を狙っての戦略的な書き方なのかもしれないが、喋りまくったインタビューからテープ起こしをして編集者が作った様な文章のスタイルや、やたらに引用符(カッコ)を使う言い回しなどが、鼻に付き、集中出来ない面もあった。何よりも、折角の重要な主旨を疑ってしまいかねない記述が枝葉のところで散見されたので、結論を支持するための全体自体が間違っているかもしれないと思わせてしまっているところなどは実に残念である。

結構使えるぞスーパー源氏

Monday, May 21st, 2007

スーパー源氏バナー



スーパー源氏という名前の本のスーパー


ちょっとここはがんばって欲しいなどと思ってしまった。

皆さんご存知でしたか?

Amazing Zone (A to Z)で知られた超大規模スケールの本のマーケットプレイスのカバー率もスゴいのだが、最近貴重な本はすべてプレミアムが付いていて、良くも悪くも「価格格差」が広がっている。安いものは極端に安く1円を争っているのに、高いものは「こんなもの買えるかいな」というほどに高い。かと思えば、このAmazing Zoneの外の世界では何が起きていたかと言うと、こういう古書の集い来ったフリーマーケット flee market 蚤の市 状態。



スーパー源氏
、これは使えるぞ。

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #2

Tuesday, May 8th, 2007

(引用開始)

ヤズドに赴いた(ポルトガル人ペドロ・)テイクセイラは、そこで「太陽と火に仕える人びと」を見た。そこには、三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」があった。「火はヤズドから一日行程で行ける山の上にあり、“火の家”とよばれ、多くの人びとが常にそれを見守っていた」と語り伝えている。

彼こそゾロアスター教徒が今日なお、イスラーム支配下のペルシアに生存しつづけていることを報告した最初のヨーロッパ人であった。(p. 41)

(引用終了)

これを読んだわれわれは「三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」の逸話に驚くかもしれないし、むしろそのような記述を信じようとさえしないかもしれない。だが、もしそうだとすればそれはその火そのものの指し示す意味や、それを維持しようとした儀礼の象徴する内容に思いを巡らせられないからである。

実は、3500年どころでない永きに渡って「絶やされることなく保存されている火」というのがある。それはわれわれの身近に存在する。われわれの生きる文明それ自体がそれである。その「火」はわれわれの文明が安全な場所として絶えることなく維持されるべく燃やし続けられてきた。その努力たるや、「三千五百年以上ものあいだ」火を絶やすことなく保存すること… どころでない真に遠大な構想と規模を持った壮大なグループワークなのである。そしてそれはことによるとすでに一万年ちかく続いている可能性さえある。

われわれの文明維持のための技は、個々人の短い人生において個別に発展させられたり維持されたりしているものではない。個々人はその遠大な事業を可能にする役割のごく一部を担っているだけである。それは親が直立歩行しているのを見て、それを真似して直立歩行しようと子供が努力するくらい、言わばあたりまえに見られる「社会学的」な現象でもあり、また、一度も絶やすことなく維持されてきた書き文字の文化や、火を起こしたり水を制御したりすることを含む、われわれの安全な生存に必要な技術の伝承によって成されてきた。文明とはまさに一度熾(おこ)した火を絶やすことなく集団で役割分担や交替等をしながら雨風から守り通す行為そのものである。

だが、情報の集積と情報の学習によって、火を維持する技術はそれをただ維持するばかりでなく、世代を経るに従って洗練さえされてきた。

ことによると、その火の維持の儀式によって伝え切らなかったことがあったのかもしれない。それは、火の規模拡大の禁止である。家族何人かを暖かく維持し、食事のための煮炊きをするのに必要な、細々とした火の維持をしつづけるのではなく、その火を一ヶ所のみならずあらゆる場所で、しかもいつでも再現したり取り出したりできるものとして「開発」することが、単に安全な生存の確保以上に、便利で豊かな生活を可能にならしめた。もはや一旦消えた火を七転八倒の苦しみを経て熾す必要もない。それはいつでも取り出せるものとなった。

そして、それは単に消極的に「火」の維持をするばかりでなく、ひとつの個人の人生が終わる度毎に一から学び直されることではなく、一旦、前世代によって学ばれた「炎の維持」についての知識を、既存の技術や自明の知識の上に新たな方法や手段を積み重ねることによってより「進化」させることを学んだ。それはつまり火の規模の増大である。

それは絶やすことなく維持される火であったのが、大きくなりすぎる火を消して回り続けなければならないような危険な《大火》へと成長することになるのだ。

プロメテウスが人類に手渡したと言われるその「小さな燃えさし」は、いまや巨大なダイナモを回すための松明の炎となった。強大に成長したダイナモはあたかも地上の生ける神となり、更なる燃料を要求した。そして人類は開けることのなかった「炎を閉じ込めた厚い壁」を破る方法を学び、ついには太陽に由来しない炎を手に入れた。そしてその炎はダイナモを止めることなく回し続けることができるようになったかに見えた。

拝火教徒とも呼ばれるゾロアスター教徒の儀礼の炎は、このようにして確実に今に伝わったのだが、肝心のゾロアスター教徒(パールシー)は数多く見出されていない。現在インドなど僅かな場所で──だが特別な地位をもつエリートとして──存在しているという。しかもインドにおいて、原子力発電産業は少数派のゾロアスター教徒らによって運営されている*という。遠大なエイオンを越えて《火》の秘術を伝えた拝火教徒は、我らが世界においてもその名に相応しい役割を担っているのである。

* ユダヤ人たちが伝統的に金融業(金貸し)などの領域にその活路を見出したように、被差別の少数派が、ひとが伝統的にあまり関わりたくないと考えるような「汚れた」職業に就かざるを得なかったために、特定の産業部門にそのようなマイノリティがよく見出されるというような社会的なメカニズムによって似たようなことが、インドにおけるゾロアスター教徒に起こったと言うことができるかもしれない。

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #1

Monday, May 7th, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』(表紙)

(引用開始)

彼[ヘロドトス]はペルシアへ足を踏みいれたことはなかったが、小アジアに生を受けた歴史家としてペルシア人と常に交流があったと考えられる。ヘロドトスはペルシア人の風習をギリシア人の風習と比較して、その文化の対照をひきたたせ、異文化の構造に鋭いまなざしを投じた最初の人であった。「ペルシア人は偶像(アガルマ)をはじめ神殿や祭壇を建てるという風習をもたず、むしろそういうことをする者は愚かだとする。思うにその理由は、ギリシア人のように神が人間と同じ性質のものであるとは彼らは考えなかったからである」とヘロドトスは記している。(前田耕作『宗祖ゾロアスター』p. 14) [ ]内:引用者による補遺

(引用終了)

ゾロアスター(ツァラトゥストラ/ザラスシュトラ)に関する話題から大いに逸れてしまうが、この記述はギリシアとペルシアの違い──あるいはそれぞれの知性のレベルの同等性──を浮き彫りにする意味で興味深いところである。どちらが科学的で、どちらが迷信的かという単純化された比較が意味をなさないことは重々承知の上で、一つの説明を試みたい。

まず前提として知っておかなければならないのは、この二つの文明の邂逅は、いわゆる「ヨーロッパ*」がまだまだ「未開」の状態の時の、そのような地域概念さえなかった遥か以前の、紀元前5世紀の頃の話だ。

* ローマ帝国崩壊以降にヨーロッパが成立するという捉え方から

ペルシア人が偶像をもたないばかりでなく、そうしたことをする者を愚かだとする考えは、一見して知性の上でより「進んでいる」ような印象をもたらすもので、それは後のユマニスムやサイエンス誕生の潜在性を大いに臭わせるものだ。一方、ギリシアの神々が人間と同じ性質のものであると考えていた当のギリシア人の「神学」は、神々と供に生活をしているひとびとに共通して見出されるもので、むしろ神学以前の原始的な歴史観・世界観の反映であったと言える。つまり、神々の登場するいわゆる「神話」というのが、今を生きる人間と同じ性質──すなわちかつて生きた人間自体──の存在の記録であることを諒解していたことを意味するのではないか? 神々と暮らしていたギリシア人はMyth(神話)をもちつつ、すでにMythology(神話学:神話についての解釈学)をも持っていたのだ。そしてそのMythologyがそのまま意味として「神話」であるとさえ思われるような歴史的な旧さをもっている。

Mythをおろかにも「神話」すなわち「神々についての想像上の物語」としか考えないとき、ギリシアの神々の話は、宗教的な神(神々)の話であると誤って解釈してしまう。同じ「神」の名で呼ばれるものが、ギリシアとペルシアではまったく違うのではないかということを一旦前提とすると、ペルシアの神がギリシアにおける「神々」とは全く別の抽象的存在であることを理解できるであろう。

それぞれ民族のもつ神が同じものであるといういかにも当たり前な前提からは、程度の低い比較しか行えないのである。

しかるに、「偶像は愚かなこと」と考えるようなペルシアにおける神との関わりについての別の思考(神学)というのは、先程も述べたように、ユマニスムに連なっていくような科学的態度に近いのかと言うと、それはそうであるとも言え、またそうでないとも言えるのである。

偶像に対する禁忌が、実は刻まれた神の像に対するタブーのみならず人間の手によって作られたあらゆるもの(物)に対する態度であり、それは人の手による創造物への煩悩の徹底した排除に繋がる。これはむしろ仏教的悟性が達成した「物に対する無関心」なのであり、われわれをつくり出した方(至上者)との直接の繋がりの下で生きていこうとするいわば選択的なストイシズムなのである。人の手によって造られたものに対する崇敬の排除/禁止とは、科学技術(テクノロジー)に対する警戒にも通じていくものである。

われわれはまず、「偶像」の指し示す意味、そして偶像崇拝の禁止の意味を正しく理解すべきである。そうすることで、ペルシア人が到達し、またイスラム教などの後の教義の誕生に繋がっていくひとつのオリエント的な智慧の存在に気付くであろう。そして、礼拝対象の「偶像」とは違った意味での「神々の物語」を執拗なまでに保存し、また解釈を繰り返した古代ギリシア人たちの智慧の意義を再び見出すであろう。

「キリスト」と「反キリスト」への一瞥
ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本』を読む [3]

Wednesday, June 7th, 2006

拙論「R・K・ブルトマン『歴史と終末論』中川秀恭訳(岩波現代叢書)を読む」において一度下した「キリストの“異端”的定義」を諒解できる人々にとって、ここで再び叙述されるところの《キリスト》の意味とその象徴の意義はすでに明らかであろう。だが、それが広く受け入れられたところの「キリスト」(救世主/油を注がれた者)からは大きな乖離があることは、図らずも認めなければならない。だが乖離があるにせよ、その多層的というよりは、むしろ通念的かつ「正統」的なキリストへの「理解」と「信仰」が、その意味を成り立たしめるというパラドックス(逆説)はどこまで行っても喪失されることはないだろう。

グノーシス主義者が書いていることは自分ででっち上げたものだという[正統派側からの]非難には、若干の真実性が含まれている。なぜなら、一部のグノーシス主義者は彼らのグノーシス[観想を通じての知/知識]は自分自身の経験から得られたものであることを公然と認めていたからである。

エレーヌ・ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本 初期キリスト教の正統と異端』(page 59) 荒井献・湯本和子 訳(白水社)[ ]内は引用者による補足。

ここに初期キリスト教会の成立期に、「地上的な教会」の設立に抗したグノーシス主義者たちの、傲慢さではなく、むしろ、誠実さを、われわれは見出すのである。内的な思惟や観想を通じて体得・実感する神秘的な経験の真実にこそ、宗教体験の本質がある以上、権威の言葉を無批判に受け入れる「信仰」を、「愚者の信仰」であるとするグノーシス派の見解にわれわれは深い共感を表明する。そしてその見解は、相対主義が蔓延る思想界や、日常における「今日的な相対性への傾斜」としてだけでは片付けられない思想潮流の歴史的な長さを持った課題なのである。外に存し、天空に向かって伸長する「地上の聖堂」の権威と内実を認めず、「内的な聖堂と光」の発見と構築を「真の教会」の建設であると考えるグノーシス思想そのものに、自壊へとひた走る文明的典型の萌芽はない。これらはそもそも「反教会的」と呼ばれる(だが断じて正統派の言う意味で「反キリスト」的ではない)必然性を持っていたのだし、むしろ仏教的な個的な宗教観を維持していたのだ。

ΑでありΩであるキリストが、始まりがあって終わりがある「文明」という別の記号によって置き換えられるというわれわれ一流の「異端」的な見解によれば、グノーシス主義にしても仏教の根本にしても、その地上世界に対する無常観を以て、いずれも「反キリスト」的と呼ばれるに相応しい何かではあり得る。だがその意味は、終わり(滅亡)という悲劇をもたらす発端であるという理解を通して、「キリスト」というコードで表されるものが邪悪なものであるという「異端」的理解を前提としての話である。加えて、正統派がキリストを代弁することを肯定した前提においても、グノーシスが「反キリスト」的であるという「一般的見解」は正しい。だが、この二側面における「正しさ」は、グノーシス思想こそが、滅びを招来しない「反文明主義」であるという意味で、本来受け入れられている善なる存在としての、明日を思い煩うことなかれと語りかける《キリスト》の側であると言い換えられるのである。そして、現教会こそが実は「反キリスト」的であると置き換えられるのである。この主張は、正統派の聖典である聖書の『福音書』から伺えるキリスト像においても、大いに肯定可能である。そのグノーシス的世界観を理解した者のみが、カトリックが「反キリスト」そのものであるという不埒(ふらち)でありながら真に大胆な見解を主張できるのである。

外部に立てられる聖堂は、人為によってか自然によってかに関わらず、必ずや壊される運命にある。「教会の運命」とは、まさしく「文明の運命」に相似している。そして、それぞれの運命が互いに関連していることは、一方が他方の在り方(性質)を決定付け、後には互いが連動するだけの抜きがたい相互依存性を持っていたからなのである。だが、その点において、教会の存在というものを単に批判の対象としてだけでなく、文明全体にとっての警鐘、すなわち象徴的機能と力とをわれわれは見出すことができる。すなわち、真剣に追求され、正当化され、権威付けられ、絶対(義務)化されたために(そしてそのために起こった犠牲の助けを借りられたから)こそ、教会はその壮大なる象徴的役割というものを果たすことが可能なのである。したがって、そうと知らずに「過つ」という誤選択の中に、その初期達成目標とはまったく反対の結果を生起させる火種があった。

ある著作を一使徒の作だとすることは象徴的な意味を持っている。『マリア福音書』という題は、その啓示が救い主との直接的な、親しい交わりに由来することを示唆している。(page 60)

ナグ・ハマディで発見された最も後期の文書と思われる『ペテロ黙示録』(200-300年頃)では、多くの信者が「偽名に惑わされ」、「異端の支配を受けることになる」と聞き、ペテロがいかに心配したかを叙述している。甦ったキリストはペテロに、「司教とか助祭とかと自称している人々は、あたかもその権威を神から授かったかのようである」が、実際は「水のない運河」であると説いている。彼らは「奥義を理解しない」にもかかわらず、「真理の奥義は彼らのみに属していると自慢している」。当書の著者は、彼らが使徒の教えを誤って解釈し、こうして真のキリスト教「兄弟団」の代わりに、「偽物教会」を設立したことを非難している。(略) グノーシスを得た者はすべて、教会の教えの彼方に出て行き、その位階制度の権威を超越したのである。(page 70) 太字は引用者による

ここには、その後のキリスト教団と、後の様々な時代に現れては「異端」のレッテルを貼られ弾圧される側との確執、また「異端」側の、権威としての教会正統派に対する疑問と反抗、そしてさらには旧教から独立してより原理的なキリスト教の実現を図ろうという教会の改革(回復)運動(プロテスタンティズム)のような、より巨大な政治運動になるまで続く、正統派と非正統派の間に存する対立と議論の雛形がある。それはやっと21世紀を向かえた今になって初めて幾つかのスキャンダラスな事実の露呈によって明らかになったものではない。聖書学や現代神学の中ではすでに古典となった概念なのである。

例えば、千数百年後に起こった新教(プロテスタント)の旧教(カトリック)との論争は、神学論争と言うよりは政治運動(解放運動)、聖書の記述やキリスト神話を象徴的に解そうとするグノースティシズム(グノーシス思想)と言うよりは、現世的な功利主義との「折り合い」へと走った。カトリックのきわめて権威的かつ排他的、場合によっては過度に暴力的かつ利己的な面に関しては、同様の批判の矛先を向ける点については共通だが、プロテスタンティズムというものは、結局、人間の組織としてのキリスト教団そのものの解体へも宗教そのものの否定へも向かわなかったし、それを求めるのはもちろん時期尚早でもあっただろう。いずれにせよ、プロテスタンティズムさえもが(僅かなケースを除いては)「教会」そのものであるという例に漏れなかったのだ。

確かにグノーシス主義者に言わせれば、カトリック(ヴァチカン)にせよ、エピスコパル(英国教会)にせよ、諸プロテスタントにせよ、今日に至るまで連なり存続する「教会の歴史」とは、まさに、「異端の支配を受け」た歴史であった、と言い換えられる。われわれにとっての正統派は、すべて「異端」のレッテルを貼られ、「異端」として滅ぼされたのだ。これがカトリックや「正統派」という「偽名に惑わされ」続けた2000年近くに亘る錯誤の歴史である。教会とは2000年前にすでに起きていた「大いなる勘違い」によってこそ建設されることが可能であったのだ。

考えてみれば分かることだが、現在の「聖書」の中に生き残った福音書だけが「でっち上げ」でなく、神から直接授かった(あるいは使徒が直接叙述した)聖典と決めつけられる訳でもなく、それらの出現の仕方の本質は、正統派によって異端的と決めつけられた(冒頭にも掲げられた引用を含めて)聖書の「偽典・外典」の出現の仕方と何ら変わるところはないのである。

それらも、ナグ・ハマディ写本などの「異端の福音書」と同様、天から降ってきたものではなく、断じて人の手によって書かれたものである。そして人の手(と意志)による選択が、われわれがこれから経験する「世界規模の事件」の主たる因子となるのであり、(そこには神の介入も御使いの介在もない)最初から最後まで純然たる《人の行為》によって実現されるべき出来事だということについて、畏怖を以て実感するということと抱き合わせで理解されるべきことである。

ところで、グノーシス思想に深いシンパシーを覚えるわれわれが、如何に否定しようとも否定し切れない「教会」についてのひとつの事実がある。それは、21世紀のわれわれがキリスト教を知っているのは、その教えが教会の設立とその存続によってこそ可能だったということである。グノーシスを含む異端思想も、口伝によってわれわれの耳に直接届いたのではなく、正統派による異端批判の記録と弾圧があったからである。弾圧によってこそ、それらの写本はその意義を理解できるひとびとの現れる2000年後までタイムカプセルのごとく注意深く隠され保存されることが可能であったのである。つまり正統なものが人目に触れずにいたことには、摂理を感じさせるひとつの必然だったのである。

正統派キリスト教会は、遥か昔、その成立時期に溯る時点で「神は直接人に語りかけない、神の恩寵は教会を通して人々の前に初めて顕現する」という教義をすでに築いていた。それは教団設立と存続という「人間の組織」の持つエゴの現れであることをわれわれはすでに見抜いていた。だが、そうした教会自身のエゴと表立った正統性(顕教性)が、その裏の教え(密教性)としてのグノーシス思想をも保存させる。

つまり互いに対立する反対物がそれぞれを相手に手を携えて、大きな潮流を創りだし「大量の水」に載せて「僅かな真理」が遠くまで運ばれるのである。正統と異端という表面的な敵対関係を超えて双方を評価できる、巨視的な観点を獲得した者によってのみ、実はその「教会を通して顕現する神」の意味が理解可能なのである。

古代思想家による「生命の神秘」への一瞥
ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本』を読む [2]

Monday, June 5th, 2006

霊が身体のゆえに生じたのなら、それは奇蹟の奇蹟である。実際私は、いかにしてこの大いなる富(霊)がこの貧困(身体)のなかに住まったかを不思議に思う。エレーヌ・ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本 初期キリスト教の正統と異端』(page 72) 荒井献・湯本和子 訳(白水社)

これは、“グノーシス派福音書”として知られるいわゆる「ナグ・ハマディ写本」のひとつ『トマス福音書』の中でイエスが語ったという一節である。

本稿において、これを誰が喋ったのかという問題はこの際それほどに重要なことではない(クリスチャンにとっては重要だろうが)。だがこの短いふたつのセンテンスからなるノーション(意見・言説)は、高い完成度をたたえており、そのシンプルさと美しさを通して、名状し難い生命観を表出させていると、われわれは視る。

生命が単に肉体機械のアクションとリアクションの連鎖であるという言い方で説明・納得できると考える唯物論的な生命観ではなく、生命活動を支えるものが肉体を超えた何か精神的な(不可視の)存在を本質的前提としているのであって、それは「身体に宿っている」ものではあっても、精神活動そのものがすべて“肉体機械”の作り出す自動的な結果ではないということを確信を持って断定しているのである。筆者がこの断定に強く共感していると言えば、驚かれる向きもあるかもしれないが、それは「霊的活動」としての人類の生命活動を、この地上を生きる人類にとって、第一義的な重要さを持って捉えることを普段からあえて棚上げしているからに過ぎない。「霊的」という言葉を避けるのはあくまでも修辞上の便宜として有利であると思えないからに他ならない。

控え目に言って、「人間存在が精神と肉体が結びついたものである」ことを否定しないにしても、精神が肉体の作り出した単なる幻影だという考え方には共感できないというのが正直なところだからである(だって、それが百歩譲って「幻影」だとして、その「幻影」を視ている主体は誰なのかというのが一向に解決されない*ではないか)。したがって、「霊が身体のゆえに生じたのなら、それは奇跡としか言いようがない」という『トマス福音書』に見出せる著者の皮肉なトーンを筆者は深く理解できる。

* 自己を保存しようとする最も単純な構造を持つ生物でさえ、それが生存を望む最も原始的なエゴ(精神)さえも、何故そのような動機を獲得したのかというのは、いくらその仕組みを精緻に解明したところで説明は不可能である。物質と精神がそれぞれ全く別の由来を持つとしか説明のつかないところである。

「霊」と「精神」が、あるいは「精神」と「魂」が等しいものであるというような「とりあえずの大雑把な前提」については、本格的な霊学論者や神秘主義者からは反論もあろう。だが、便宜的に肉体や身体というものに対立する(あるいは対立せずとも性質的に異質であるという)概念としての、あるいは「身体で捉え難い不可視の(事物を捉える)実在」としてのエネルギー的実存の《核》を認定し、とりあえずそれを「霊的/精神的」と置き換えておくことは、議論の便宜上、許されるであろう。以上の単純化はあくまでも議論を不要に複雑にしないための方便である。

さて、「富(霊)がこの貧困(身体)のなかに住まった」という言い方には、今日の最先端の自然科学の専門家にとっては反論の余地が見出される部分かもしれない。「身体が貧困である」という言い方自体が、精妙な身体の仕組みについて現在われわれが識っているようなレベルで解明されていなかった古代の哲学に他ならないと言ってしまえば、それそれで理解の可能なことではあるからだ。だが、いかに「身体の精妙」についてわれわれがかつての思想家より多くを識っているにしても、それをもって霊的な富(精神活動)が、身体の作り出す自動的な作用: action と反作用: reaction の現出に他ならないとするのは、不可視の世界に対するわれわれの無知に他ならない可能性が依然としてある。それを「霊的」と呼ばなければならない必然性を筆者は認めないが、何か精神的な実在というのが、身体(肉体)の作り出す結果であると容易には認めないだけの自覚はある。

個々人の精神活動の深度や広さといった有り様が、個々の身体的特徴によって限定(決定)されているかに見えること自体は、一定の範囲で認めても良いことである。だがそれを以て身体的特徴とされる目に見える部分がむしろ先にあって、精神活動がそれの影響を受けているとだけ解釈すれば事足れりとするのも、十分ではない。なぜ身体が原因 (cause) で精神が結果 (effect) と断定できるのか? それとは逆に、身体的特徴とされる部分こそ、肉体にあらかじめ宿っている精神的実在の、むしろ反映(表出/表現)であると言って言えない訳でもないからである。つまり、どちらが原因でどちらが結果かということについては、われわれの議論は憶測の域を出ない「鶏が先か、卵が先か」の性質を乗り越えられないからである。それらの発生は同時であったのかもしれない。

「精神と肉体の二元論」というような心身の捉え方のアプローチ自体が、旧弊な議論の前提でしかないことは認めよう。だが、少なくとも、人類の行為が身体的機能によってすべて説明可能であるというような、今日再び脚光を浴びつつあるいわば「唯身体論」的な思想は、新手の唯物論的世界観を受け継ぐものでしかない、というのにわれわれは自覚的であらねばならない。だが、これはいずれ詳しく言及するかもしれないが、この二者を分けて考える便宜というのも、故なく出てきた訳でもない。

全く異なる由来を持った二つの実在の出会うところ、すなわち精神と肉体が相互に宿っている場所、というのが、生命存在の本質なのではないかということにわれわれの結論は逢着するのである。そしてそのように考えることで、さまざまな今日的課題や形而上学的な設問に正しく接近する前提を確保することになると考えるのである。

それは如何にAI(人工知能)と言うべき技術分野が発展し、今の科学技術によって成し遂げられないようなレベルの、遥かに複雑な応力と反応力の連鎖の系を、将来、機械によって創造可能になったとしても、それは決してわれわれが「生命」と呼べるような精神の活動を、それ自体が自覚し得ないだろうということを意味する。自動機械は、どこまで行っても生命を「吹き込まれたもの」ではあり得ないからである。反応はあくまでも自動的であり、そこには何らの自己観察(自覚/精神的主体)を要しない。われわれは、おそらく生命活動の神秘的な力(細胞や卵など)を直接借用することなしには、たったひとつの単純な生命さえも人工的に作り出すことは出来ないであろう。つまりわれわれの歴史は機械的身体のゆえに、それに「精神」が自然発生するというような「奇蹟の(中の)奇蹟」を科学技術によって実現することは、できずに終わるはずなのである(希望的ではあるものの)。

それがいずれできると主張し、その実現を信じられる貧困なる「精神」を、われわれは「幻影」と呼ぶのであり、われわれは到底それを《精神》と呼ぶことはできないであろう。そしてそれを追求する人類は、取り返しのつかない過ちのための礎石を、もうひとつ余分に地面に穿つであろう。

宗教の「第三の機能」への一瞥
ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本』を読む [1]

Wednesday, May 31st, 2006

The Gnostic Gospels

原題をThe Gnostic Gospels(グノーシス派福音書)という、非常に得るところの多い、真摯なキリスト教とグノーシス思想に関する研究書。特にキリスト教成立期における政治と宗教の関わりについての書である。エレーヌ・ペイゲルス著『ナグ・ハマディ写本 〜 初期キリスト教の正統と異端』荒井献・湯本和子 訳(白水社)から引用して、そこに見出される幾つかの課題について論じていこう。

彼(パウロ)の議論はしばしば身体の復活を擁護する論拠として読まれているが、この議論は、「兄弟たちよ。私はこのことを言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるもの(すなわち死すべき肉体)は、朽ちないものを継ぐことがない」という文言で結ばれている。

新約聖書の記述がさまざまな解釈を許容し得たとするならば、なにゆえに二世紀の正統的キリスト教徒は、復活を文字通りに解釈すべきだと主張し、他のすべての解釈を異端として退けたのであろうか。この教義を宗教的内容の観点から見る限り、われわれはこの疑問に的確に答えることはできないと思う。しかし、これが実際にキリスト教運動にどのような影響を与えたかを検証してみると、われわれは逆説的に、身体の復活の教義が重要な政治的機能も担っていたことが分かるのである。すなわちこの教義は、使徒ペテロの後継者として諸教会の指導権を自分たちだけで行使することを主張した若干の人々の権威を合法化することになったのである。(page 43)

「復活」の解釈に関して、この箇所から伺えるペイゲルスの記述は相当に的確であって、彼女のもっぱら対象とした問題圏においてはすぐさま付け加えることがあるとは思えない。とりわけ、「(復活の教義を)宗教的内容の観点から見る限り」と条件付けし、その意味は「重要な政治的機能も担っていた」という風に当時の政治状況を鑑みれば納得できることである、と述べているのであるから、それは事実であるとほぼ認定可能である。彼女の捉えたそれぞれの問題圏における彼女の記述になんら不足なことがあるとは思えない印象がある。例えば、一方においては「疑問に答えることはできない」と言い、他方(政治的観点)においてはきちんとした説明をなしている。

だが、ここで彼女が「的確に答えられない」とことわっているような「宗教的内容の観点」ということには、一瞬立ち止まって検討する余地がある。なぜならその「観点」には、宗教に対しての狭義の条件だけが前提とされているようにも感じられるからである。「宗教的内容」というのが、いわゆる個人の幻視者に生じるかもしれない内的(神秘)体験そのものであると厳格に定義付けて考えれば、その条件付けは間違っていないのであるが、「人間の組織としての宗教」というものの担ってきた機能というのは、単に「身体的神秘体験」を通して了解される純粋かつ正統なる「宗教的側面」(聖なる側面)と、「政治的機能」(俗なる機能)という二者択一的な言い方だけで片付けられない面がある。

グノーシス的な思想の影響下に置かれる程、「人間の組織としての宗教」が、如何に錯誤や欺瞞に満ちたものなのかということに、われわれは心を奪われがちだし、いよいよわれわれの多くが伸長させつつある現代的異端派の視点の獲得によって、教会の築き上げて来た数々の行状や今日の在り方に仮借なき批判の言辞を浴びせることは容易になりつつあるが、それでもなお、正統派教会というものが、そうと知らずに担って来た機能というものの知られざる価値──それはほとんど逆説的価値というべきものだが──は、正統派/異端派のどちらにも容易に与しない第三の視点というものによってこそ初めて捉えられる宗教の側面なのである。

そして宗教には、ひとつの人類の生き方の態度決定に影響を与える「道徳規定の機能」がある。言うまでもなくそれは顕教的な「善き人生や関係のための教え」や不合理な恐怖心に訴えかけるようなものを指しているわけでもない。人間の地上的生存を尊重した時に、そこを生きる人類の態度に多大な衝撃を与えるのが、宗教の「象徴的機能」である。つまり、《純粋に宗教的内容》を持った真に正当な宗教的(霊的)観点と政治的観点の他に、それらが総体として作り上げる「象徴的観点」という、いわば「メタフィジカル」とでも表すべき視点が存在するのである。これはそのもの自体では一見、何の役にも立たない、ある種、非合理な機能である。だが、いわゆる通常の正統派から見た「復活の教義」の重要さというのが、単に、宗教組織にとっての指導権や権威を自分たちだけに合法的に独占するため、というような政治的な意図だけであったと考えると主張すれば、宗教についての言説としては、まだまだ言い足りないのである。

「復活」の教義というのは、キリストが何を象徴的に表しているのか、ということに対する的確な理解なしには読み解くことの出来ない部分であり、ペイゲルスの視点の中ではそうした「象徴的存在としてのキリスト」という概念へ深入りは、ほぼ範疇外である。「復活の教義」は、一見してキリスト教の宗教としての独自性の部分であると彼女も本書でことわっている(p. 39)のだが、われわれにとっては、それがキリスト教の独自性ではないことは、あちこちで確認して来た如く、すでに明らかである。「死と再生」「滅亡と復活」とは、キリスト教だけの独壇場ではなく、あらゆる秘教的イニシエーションや神話が繰り返し表現方法を変えつつも執拗に伝えてきたものだ。キリスト教の「復活の教義」とは、まさにそうした秘教的伝統を真っ当になぞった部分なのであって、キリスト教哲学の独自性を意味しない。

したがって、「復活」を杭(アンカー)として教義の中にしっかりと根付かせ、その「実在」を字義通りに人々に記憶してもらうこと、そしてそれを未来へと伝承することには、単なる政治的意図以上の意味があるのである。それを教義の中核(のひとつ)として据えたカトリック教会自身が、それを「字義通りに受け取る」という陥穽に落ち込んでいるのはわれわれの眼にもはや明らかだし、またそれを「字義通りに受け取る」ことを信者に疑わせることなく強制した結果、その本質たる象徴的解釈から大多数の者たちをも当然遠ざけられてしまったのである。だが、「外部(他者)を欺くのに内部(自己)をまず欺かざるを得なかった」と考えれば、それはそれで納得のできることではある。自らをしてその「復活の教義」に帰依させることを徹底することなしには、これだけの「人の子イエスの復活」などという条理を逸脱した教理を、これほどの長期にわたって人に信じさせることができたとは思えないのである。

あるグノーシス主義者は復活を文字通り受け取る見解を「愚者の信仰」であると呼んだ。復活は、彼らの主張しているところによると、過去においては特異な出来事ではなくて、今日、キリストの存在を経験できることを象徴するものである。大事なことは、文字通り目で見るということではなく、霊的に見ることである。(page 49)

「霊的に見る」と、私なら敢えて言わないだろう。「心の眼」で視るというくらいに留めておくだろう。だがそのようなことはさして重要ではない。ここで、われわれが思い出さねばならないこととは、「字義通りに信じる」という言葉に、二つの意味があるということである。それは「字義通りのことが起こったと、それが告げる通りに信じる」という場合と、「字義通りに受け取った上で、それが象徴するところの意味を理解し信じる」というふたつである。いずれも「信じる」ことへは繋がっていく。だがこの二つの「信仰」は似て非なるものである。象徴の指し示すところを諒解させることは、まさに宗教の第三の機能、すなわちいわゆる「啓示宗教」の本質とも「支配宗教」の持つ政治的機能の観点からも異なる宗教の持っている重大な役割なのだ。そして、それを象徴的に理解するためには字義通りに一旦受け取らなければ、その重大な意味伝達という目標には適わない。

したがって、まず疑問の余地なく字義通りにその内容を人類に記憶させ、後にその意味をあらためて想起させるという意味で、その「教義受容」の強制という側面には、政治的な権威の保守と独占ということ以上に重篤な意義がある訳である。それがそもそもの宗教の発端とさえ考えられるのである。また、その点を肯定することなしには、これまでの宗教の誤謬や犠牲の一切を単なる無駄な浪費であったことになるのである。こうした評価は、訴える側にとっても訴えられる側にとっても、何ら得るところはなく、実に不幸なことである。

そしてその宗教の隠れた意義(秘教)へと個人が到達(参入)するためには、まさにペイゲルスが取り上げているところのグノーシス主義者たちの主張、すなわち「自分自身を出発点とする」ことから始めるべきであり、信じられ伝えられたところの教義の語る「字義」を、乗り越えるという内観的で孤独な作業なのである。だが、一旦、事物に現れる<兆し>や象徴の読み方(視力)を手に入れた個人は、もちろん宗教から学ぶことも多いが、宗教者をして宗教を再検討させる視点も同時に獲得する。幻視者にとって、あらゆる雑多な日常の間隙に顕現する象徴的な兆し(徴)から未来が透視できるのと同様に、宗教の教義が読み解き得る秘密の「宝の山」であることが分かるだけであり、「宗教が彼を分からせた」のではないのである。宗教は、彼のような登場によって、再び解釈可能な対象として我らが眼前に甦るのである。そして、それはG・ショーレムも語るように「正統派」との緊張関係を築きながらも、さまざまな時代と場所で起こった。今までそれが起きたように、その存在は、今日も、そして将来においても、個人に生起する《爆発的な洞察》の存在を通して、何度でも起こるはずのことである。

R・K・ブルトマン
『歴史と終末論』中川秀恭訳(岩波現代叢書)を読む

Thursday, April 20th, 2006

■ 随時更新中 ■

p. 39

ユダヤ教の終末論では、宇宙論的な観点と歴史的な観点とが結合されている。宇宙論的な観点が優勢であることは、終末が真に世界とその歴史との終りであるということで明らかである。このような歴史の終りは、もはや歴史そのものには属さない。したがって、歴史が一歩一歩目指して進んでいくところの歴史の目標とは言えない。終りは歴史の完成ではなくて、歴史の終止である。それはいわばこの世界が年をとって死ぬということなのである[『第四エズラ書』5・55、シリア語『バルク書』85・10、『第四エズラ書』4・48〜50参照]。

この辺りについては、例えばエリアーデの著作を読んでいても気を付けなければならないと幾度となく思った部分である。「世界の終わり」に相当するフレーズに訳文では「宇宙的な更新」という言い回し(おそらく英語や仏語では“universal”, “universe”に当たる単語が使われている)が頻繁に出てくるが、それは太陽系や銀河系を含むような所謂天文領域の「宇宙: space」ではなく、われわれの暮らす“cosmos”としての「宇宙」のことと捉えなければ議論上の意味がないのは当然だと感じられたからだ。「終末論」の議論においてわれわれに関わりのあるのは、ブルトマンが言うように、歴史的な(こう言って良ければ人類史的な)観点であって、人文学的な興味である。「天文学レベルでの宇宙的な終末」など、われわれにとっては考える意味がない(便宜的にだが)。むろん「窮極的な宇宙の終わり」についてまったく興味がないといえば嘘になろうが、それはどちらかと言えば単なる「好奇心」「科学的興味」の問題なのである。だがどちらかと言えば「終末論」は、われわれにとっての「死」、とりわけ「集合的な死」が問題になる。というか、われわれに関わることだからこそ、議論される価値がある。つまりそれはこれまで人為的に人の思惟と工夫によって作り上げてきたコスモス、すなわち「秩序」や「文化」そして他ならぬ「歴史」を築き上げ相続してきた「人類の滅亡」のことが終末論の核なのである。

p. 39

新しい創造が古い世界にとって代わるであろう。しかも、それら二つの世の間には何らの連続がないのである。過去の記憶そのものは消失し、それと共に歴史が消失するのである。新しい世では空しいものは過ぎ去り、時も年も無に帰し、月も日も時間ももはや存在しなくなるであろう[『第四エズラ書』7・31、スラヴ語『エノク書』65・7以下参照]。

これが「周回する世界」に関する問題共有を難しくしている第一の理由である。その二つの世の間には、巨大な「Ω形状」の祖型的図像群によって暗示される以外にないような、或る「出来事」があったからである。だが、ブルトマンの主張は完全に正確とは言い切れない部分もある。実質的に「二つの世界の断絶」は起きたが、連続が完全にないとは実のところ言い切れないからである。

それは「かつての世界」の存在に言及する神話の存在、象徴図像の存在、黙示録的文学の存在、あるいは「世界の七不思議」と言われるようなわれわれの常識で説明できないような事物 (Oparts: Out-of-place Artifacts) の存在、そしてそもそも「われわれ自身の生存」によって証明されている生命的な連続である。本当にその「断絶」によって「世界が完膚なきまでに一旦終わった」のだとすれば、われわれ自身がこの世界に存在していないことになる。ここ数千年の内にわれわれが無から生じたのでない以上、歴史と歴史の間に存する至福の(もとい、「過酷な」)時間を生き延びる少数の人間がいたということなのである。したがってこの「生物上のサバイバル」により、神話や象徴の存在も同時に説明される。

p. 55

洗礼を受けた信者は「キリストに」(in Christ)ある。それ故に、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである」(『コリント人への第二の手紙』5・17)、「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(同所)ということは真である。新しい世(The New Aeon)は既に現実である。というのは、「時の満ちるに及んで、神は御子をつかわされた」(『ガラテヤ人への手紙』4・4)からである。イザヤによって約束された至福の時が現在ここに来ているのである──「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(『コリント人への第二の手紙』6・2)。ユダヤ人が終りの時に来るものとして待ち望んだ霊の賜物が、今信者にあたえられた。それであるから、彼らはすでに今「神の子らであり、僕(しもべ)である代わりに自由な人間である」(『ガラテヤ人への手紙』4・6以下)。

これほどかようにキリストやキリスト教の本質を言い表す聖書からの引用の収集というのもなかなかお目に掛かれない。これを読んで自分が考えたのはそれを解説することではない。この言葉に別の言葉を代入すると言う、いつものあれである。私風には以下のように置き換えられるだろう。

文明の恩恵を一度でも受けた信者は「文明と共に」(with and within our Civilization) ある。それ故に、「だれでも文明と共にあるならば、その人は新しく造られたものである」、「かつての古い文明は過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」ということは真である。新しい時代(The New Aeon)は既に現実である。というのは、「時の満ちるに及んで、神は文明を地上にもたらした」からである。預言者によって約束された文明最大の隆盛期(すなわち至福の時)が、今まさにここに来ているのである──「見よ、今は恵みの時、見よ、今は技術による救済と福祉の日である」。かつての人類が終りの時に来るものとして待ち望んだ「霊の賜物」と呼ばれる「文明最大の恩寵」あるいは「世界至上権」が、今、科学技術に与っている文明の支配者にあたえられた。それであるから、彼らは実質的に、今「神の子らとなった。奴隷であることをやめ、自由な人間として振る舞うであろう」。

こうしてみれば、「キリスト」というものが何を置き換えるものなのか理解することが容易である。信者であるか否かに関わりなく、われわれはその「恩恵」を受けているほど、その影響力は大きい。あるいは反対に、その「害」を被らないでいることもできないのである。そしてキリストを「置き換えるもの」を無条件に「善なるもの」と信じられる人々がその信者であるということができる。そしてまた、このキリストによって置き換えられる「何か」が最終的に何を人類の上にもたらすのか、そしてそれは何故また「戻って来なければならない」のか、そのすべてを一気に了解するであろう。

p. 190

ギリシャの科学と哲学との根底には人間の自己了解* (self-understanding)が横たわっており、それはまたそれで科学によって形作られているのである。ギリシャの悲劇では、特にエウリピデスによって、この自己了解が問題とされた。そして、それは結局、いずれにしても民衆の大部分にとっては、グノーシス主義** (Gnosticism)において崩壊した。グノーシス主義との関連において、と同時にこれに反対してキリスト教が現れた。

* 訳本では「自己-了解」とふたつの単語の間にハイフンが入れてある。英語表記の“self-understanding”に併せたものであろう。

** 訳本では「ノスティシズム」と英語的に表記されていた。現在ではもっと親しみやすくなった「グノーシス思想」という訳語に置き換えている。

この記述から伺い知れるのは、科学の伝統は(当たり前だが)、ルネサンスを経て人間回復の兆しが出てきて以来のことだとか、ローマ・カトリックがプロテスタントに徐々に圧倒されてきた頃、すなわち実証主義科学が日の目を見始める比較的最近(16-17世紀頃)に発生したというのではなく、キリスト教成立以前に遡れるだけの、古いひとつの潮流としてすでにあったことを明記しようとする意図だ。ブルトマンによれば、むしろ、キリスト教はそうしたある種の「知識」に対する警戒と反動とによって産み出されたことになる。これは新しい考えでもなんでもないが、キリスト教を捉えようとする時の一つの可能な立脚点を提供する。そして、それはきわめてありありと想像することのできる状況である。

また自己認識(本書によれば「自己-了解」)と呼ばれる自己への意識の芽生えが科学志向という方向を産み出すとブルトマンは言っているのである。ただし、そうした厳しい自己認識を基盤とする科学と哲学というものは、ギリシアにおいてさえ、一握りのエリートたちによって独占されているものに過ぎず、大半の者たちにとっては、無意味であったか、あるいは自己崩壊をもたらす有害なものでしかなかった。そこで当時「大多数」にとっての救済が、別途、課題となったのであろう。人はいつでも何らかのテーマなしには生きて来れなかったのかもしれない。

ところで、歴史的に概括したときのユダヤ=キリスト教(ローマ・カトリック)というものの機能とは何か? それはひと言で言うなら、「反知」ということに尽きる。とりわけ、文明を象徴する本体である「キリスト」に降り掛かる受難を教え伝える伝道師たちの役割とは、「それ」がやってくることの福音(ニュース)と「それ」がやがて殺害されることの予定と、その死後、「それ」がまた再び戻ってくることの予知を行ない、その象徴的に言い表される「人間の文明の持つ福音と危険」を普く伝えることである。

「知」が人類によって取り扱えないほどの危険性を孕み、それが広く人類の共有財となることによって引き起されるであろう、かつての人類に起こったのと同じ陥穽に走り至らないようにするための制動装置(ブレーキ)として機能しようとしたものと捉えることができる。とりわけカトリックの「知」(科学的知 ≒ 異端思想)に対する弾圧があれほど苛烈を極めたというのも、単に「人間の組織」としてのキリスト教会の安定的持続と権威維持のためばかりではなかった(もちろんそれが重大な関心事であったことは疑いがないが)。

それは全人類規模の「滅亡」を少しでも先送りし、人間の知への欲求を棚上げするための実力行使でもあった。それは実際問題、ルネサンス(ヒューマニズムの復興)が起き、科学技術が目覚め、聖書が印刷され(封印が解かれ)、それらが人々に広く共有され、カトリックという絶対的存在に関してのプロテスタンティズムによる相対化が徹底するまで、かろうじて機能した。事実上、聖書を原典とする宗教が、その原典共有を永らく嫌っていたと考えられるのだ。いずれにしても、この制動装置(ブレーキ)としての「教会」の権威は、キリスト教成立時代の黎明期から、異端審問委員が発足されいよいよイエズス会の暴力的な振る舞いが世界の各所において目に余るほどになる16世紀まで、ほぼ「千年以上に渡る期間」、欧州を支配したのである。

本来、ブレーキとして働くべき「教会」が、自らの放逸と堕落、富の偏在、その他枚挙するにも厭わしいようなあらゆる「人間の組織」によるいかにも人間的な失敗の数々を引き起し、その果てにプロテスタンティズムの勃興を許した。それによって、「教会」は人間性と個人主義を中心に据え、そのアクティヴィティを讃えて止まない加速装置(アクセル)として、すなわち「近代資本主義の精神」の基盤を提供するまでになる。まさに見事なまでの転向振りである(もちろん、カトリックとプロテスタントという別の組織を同じ「教会」という言葉で意識的に混同させた言説であることは承知の話だ)。

だが、如何に彼らが完璧からほど遠い存在だったとしても、本来教会は「科学が宗教を凌駕させないため」のあらゆる試みであり、その役割にはまさに「反知」すなわち「アンチ・グノーシス主義」とでも言い表されるような終止一環した働きを持っていた。ルネサンス文化の側(ヒューマニズムの立ち場)から言えば、「暗黒時代」と形容されるヨーロッパ中世は、まさにカトリックによって形作られたコスモス(秩序)の世界だった訳である。それは自覚的な意図を持った「反近代主義運動」だった。

だが、あらゆる人類の行為はそれによって成し遂げようという目的をもたらさない。意図がその反対の結果をもたらすという逆説は古今東西に見られるのである。歴史を読むということは、いかに意図が目的から逸脱するのか、それが何故起きるのかというのを考える行為なのである。

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