Archive for the ‘PowerBook G4 12"’ Category

Day 5

Thursday, December 16th, 2004

職場にもとりあえずiMac G5が1台来た。ボクは数日早く私用のPBG4を入手していたわけが、ここ数日の自分でやってきた試行錯誤の数々が早速利用できる。職場の「Mac環境の支援」は、前も昔も会社から任じられたものではなく、まったくのボランティアできた、わけだが、「働きやすい環境」「働く気になる環境」というのは、われわれの職業柄過小評価できない。一日中パソコンの前に座って作業しているのだから。

これから次から次へのあたらしいiMac G5が職場訪れてきて、旧い初代(or nearly 初代)のCRTモニタ版のボンダイブルーやらグラファイトブルーやらのiMacを置き換えていくことになる(それにしても、減価償却を遥かに超えてほとんど骨董化したこのマシンたちをよく使ったものだ。これほどまでに使い倒せば結局マックは全然高い買い物ではないのだ...というか、もはやマックが高いというのは、伝説でしかない)。

一番大事な作業は旧Macに膨大な蓄積された仕事のデータの新Macへの移植させることである。共有設定とかは一旦設定してしまったら暫く全然いじらなくなるものなので、毎日のルーティーンみたいに設定を変えると言うことはない。だから、あらためてやろうとすると以前どのようにしたのかを思い出せないということがある。家のLANの共有設定などもまったく思い出せなかった。が、今回色々試す必要がアチラでもコチラでも起こりつつあるので、結果的に共有設定の復習になった。

また、OS X 環境下での設定やアクセスも覚えてしまった。

それにしても後で自分が読んでも、ひとがよんでもつまらないログだな、この一連のPBG4のきろく...

Day 4

Wednesday, December 15th, 2004

結局、朝の4時まで起きていて、今度はパーティションを解除して初期状態に戻した。今回は、最初から明らかに不要と思われるプリンタドライバのいくつかや世界言語のフォントなどを除外するなどして、すべて再インストールした。Classic環境の方はまったく初期状態を復元。これから必要なのは、LAN上でPowerBook G3 (PBG3)とつなぎ、過去のファイルの主なものをすべて新しいマシンに移植すること。対象は主にテキストベースのファイルになるが。

しかしこうして作業をしてみると、「現実にどうしてきたか」ということとは別個に、自分が「何をMacに期待してきたのか」とあらためて考えることになる。すると、それはハードディスクレコーディングやMIDI Sequenceなどの音楽編集作業へのフルスケールの適用、そしてCD作製やレーベル印刷、ジャケット制作など、音楽制作に派生して出てくるDTP作業などであって、テキストベースのファイルを編集したり、ネットとつなげたりということは、やれて当たり前だと思っていたフシがあるのがわかった。

つまり、つないだりメールを書いたりというのは「しゃべる」みたいなもので、「それ自体が目的ではあり得ない」と考えていた(る)のである。「しゃべる」にしても、何かのためにしゃべるのであって、何か制作に関わることのためのコミュニケーションとして考えていた、と言うことである。つまり「通信」のためにパソコンを使うというのでは十分でない、といういわば「確固たる信念」であった。

しかし、自分でウェブを開設したり、言葉を発信したりすることをPBG3で始めたあたりから、何かが変質した。つまり、音楽を作るということだけでなく、「しゃべる」こと自体の面白さと奥行きの深さを再発見したということである。

結果として、PBG3で主に行っていたことは、ウェブ構築であり、日々の言葉の編集やライヴ情報のアップロードと言うことになった。そして、ずいぶんネットというvirtual system上で本やCDといったreal-lifeの買い物もした。だからと言うわけではないが、そうした「日常的」目的のためにPBG3は、使い倒された感があったわけだ。

その点、今回のPBG4の「買い足し」は、自分が夢見たパソコンが本来担うべきcutting edgeな使い方に引き戻すきっかけになりそうで期待している。中途半端なperipheralで満足せずに、周辺機器も含めての全体的なアップグレードである。しかも現実的な大きさと重さは本来mobile machineが持っているべきレベルにさらにぐっと近付きつつある。ここで、こうしてある種の宣言することで自分をさらにそしてに追い込んでいる。(それにしても先立つのは○である。実にパソコン業界はうまくできている。)

Mobile環境を完成させるためにAir H”を稼動可能にする。これが「Day 4」の目標。もうこうなると単なるシュミでしかない。(そうなんだよ、Macはね、とどのつまりが、シュミなんだよ。)

Day 3

Wednesday, December 15th, 2004

けっきょく、また全部イニシャライゼーションしてパーティションをなくしてひとつのハードディスクにしたのであった。なんという時間の浪費。(年をとるごとに、どんどん辛抱がなくなっていく自分を感じるのであった。なにしろ、ときが経つのが飛ぶように速いのだ。)

それにしても、AirMacはつながっており、オーディオ装置からはアフロミュージックが鳴っている。メールはつながり、ネットへのこのようにアクセスすることができている。

三歩前進二歩後退で結局Day 1と同じ状態に戻ったのであった。高い「時間」というレッスン料を払って。

もうこのようなことは三度と繰り返したくないものだが、はっきり「ない」と言い切れないところがこわいのである。

そして、来年からまた本格追求しようと思っているライヴでのマルチチャンネルでの生録を可能とするインターフェイスが、今日家に届いている。いよいよ「ちいさなゆめ」のひとつが叶う(はずだ)。

PS. 今夜は「風の、かたらい」に出演。楽しみ半分、苦しみ半分の、ライヴ。来年からは「風の、」には不定期で出演予定である。

Day 2

Monday, December 13th, 2004

格闘二日目、と言いたいところだが、日中は「仕事」をしているので、もちろん「作業」は帰宅後だけ。

結局、PowerBook G4のHDDを「パーティション*」で区切ったり、OS X用の新しいFirewallを入れたりすることにしたので、日曜日に実現した「すべての設定**」を泣く泣く一旦おシャカにすることに。

* パーティションで自分のMacのHDDを区切るという使い方は、10年以上前、IIsiを購入したのと同時期に1GBのハードディスクを「時代に先駆けて」入手したとき以来。異なるバージョンのOSでMacを立ち上げたりすることが頻発したことと、HDDが区切られていることで、大きなハードディスクの最適化や問題の発見等をするときも、いちいち「フロッピー」などを起動ディスクにせずともパソコンを立ち上げて作業することができた。また、パーティションの1区画だけなら、Norton Doctorなどでスキャンを掛けたりするときも、必要なHDDのセクションだけをチェックするので、HDDが分けてあると色々な点で便利だと思っていた。

** 比較的単純なメールソフトやネットのTCP/IPの設定といった「生存に必要なもの」から、Wireless MouseをPowerBookに認識させたり、AirMac Expressでネットにつないだり、プリンターからワイアレスでプリントアウトしたり、オーディオアンプからiTuneラジオの音をHi-Fi再生したりと言った、ほとんど「不要!」と世間様には呆れられるかもしれないような、もろもろの「贅沢」を可能にするおバカな設定すべてのこと。

設定が完了したばかりのパソコンのSystemフォルダやあれこれのアプリケーションなどをDVD discに全部バックアップを取るというような一見「brilliant idea!」も、気が遠くなるような永久に思われるほどのDVD writingに掛かる時間の長さと時計の針の動きの速さ恐れをなした。というか、ただ待っているということが“針のむしろ”に座っているような苦痛でしかないのだ、この時期は。これは、ほとんど病理学対象的な症状である。しかも何かしながら待つということができないくらい「画面」に去来することに注意が向いてしまっているから、結局本に目を通すというようなこともロクにできない。「ノイローゼになっている」と連れ合いに指摘されるほどの神経質さだ。だから、ほとんど何もすることができない状態で、画面をじっと眺めながら数十分の間、Macのbaby-sittingをし続けるしかないということになる。

何度もbackup作業を「このまま続けるべきかアボートするべきか」に逡巡したあげく、やはり「すべての設定」ごと、OSを最初から再インストールすることに決めた。別に1年掛けて築き上げてきた複雑な設定をおシャカにするというのではない。前日「たった1日」掛けてDay 1にやったことである。それなのに、理解した上で旨く行ったことも、なんだか知らないが偶然旨く行ったことも含めて、それをおシャカにするのは非常に辛かったのである。

一旦HDDを白紙に戻すことを決めたのがもう夜10時半を回っていた。パーティション設定の方法がOS 9のときと勝手が違う。なんども同じ動作を繰り返したりしながら、やっとパーティションができあがる。これですべてHDD上のものが白紙になった。さて、再インストール。それにまた時間が掛かる。巨大なDVD-ROMで提供されるデータ量である。時間が掛かるのも当然である。

思ったよりOS Xには慣れそうであるが、まだ新しいGUIの動きに戸惑うところがある。さっき「開いていたもの」が、一度閉じると、そもそもどこに在ったものなのかが容易に分からなくなる。バカみたいにキーワードを入れて検索して捜したりといったことも繰り返す。ブラウザを使っているときも、たいして早いとは感じられない。テキストのスクロールも然りである。やはりOS Xは重いのであろう。

しかし、そんなことよりなによりも、OS Xは、「パーティションを切らない方が速度が速い」などという記述を何かで読んだ。いまさらいうなよそんなこと。またパーティションを白紙に戻すか。まったく、何をしているんだろうボクは。

手紙

Monday, December 13th, 2004

Aquikhonneさま

(おっ。新しいメールソフトからメール書いてきてるじゃん! やったね。)

あたらしいOSに切り替えるときは、いろいろな不便があります。私もどうしようか実はとほーに暮れています。前のバージョンのソフトでしかできないことも無数にあるので、私の場合も影響は甚大です。まったくアップルも「おつ」なことをやってくれます。こうやってパソコン会社だけは新規需要を自ら造りだし、利益を確保していくのです。マイナーなOSバージョンのアップデートの場合、古いソフトも新しいOS上で「走らせる」ことができるのが普通ですが、今回の9から10への以降は、ほとんどのソフトを置いてきぼりにする過酷なものです。プラットフォーム(基礎)自体のプログラム形式の変更なので、「古いソフトが全然走らせられない」のです。他にも色々理由はあるけど、これが主たる理由でボクも長いことOS 9で頑張ってきたんですね。でも、さすがにもう時間切れです。世の中がどんどん新しい方に切り替わっていく。世の中で追従するのはいやなことはたくさんあるけど、こればかりはもう追従します。禁断のリンゴ(アップル)をかじってしまったからです。これで私が機種を変えるくらいだから、相当の人が新しいパソコンとソフトに再投資することになっていると想像できます。う〜む。

だから、どうせやるなら再投資に相応しい「大変革」で、しかも切り替えで生じる不便を相殺するくらいのメリットがないとやる意味がないことは確かです。そんなこともあり、「超便利」にしないと気が済まないので、正直、ファイナンシャル的にはちょっと無理をしている自覚もあります(まったくあきれるね)。ただ、中途半端な変革は却って不便が残るので、今回は、思い切って新しいアップルの戦略に「がばー」っと、乗ってみることにしたのです。

さて、Aquikhonneさんのメールのことですが、「送信済み」のアイテムが今のままでは出てこないことは知っています。受信ファイルが新しいメールソフトの方に出てきているのは、遠くにあるネットサービス(リンククラブ)のメールサーバにまだAquikhonneさんのメールが残っているからです。それを昨夜全部パソコン内に読み込んできたから、画面上に表示されているわけです。でもAquikhonneさん送った方のメールは、仕組み上、自分のメールサーバに残らないので、あそこに出てこないわけです。ただ、旧いメールの内容は、Aquikhonneさんのパソコン内にはあるので、まったく参照できないわけではありません。ただ、技術的に、今回の新しいメールソフトに読み込んでくることができるのかどうかは、いまのところ即答できません。できたらいいと思いますが、ちょっといろいろ研究する必要があります。だからちょっと待っていて下さい。

今日Aquikhonneさんが見ているメールソフトは、今まで使っていたものと「見た目」だけが変わったのではなく、OS10用の「まったく別のソフト」なのです。意味は分かりますか?

 

これもちょっとボクの研究が必要なことなのですが、新しいOS 10上にOS 9を上から載せて、「画面上に表示してみせる」という機能があるらしいです。OSの二層構造です。これは、新しいOSに切り替えても、古いファイルやソフトを使う必要があるひとがまだ世の中に沢山いるので、アップルが苦肉の策で作った機能です。これで表示された画面は、「クラシック環境」と呼ばれるものらしいです。つまり、時代は変わったけど、「古典」的な画面を表示してみせられるわけです。「大きな扉(OS 10)」に付いた「小さな窓」から、昔の自分(OS 9)を覗き見るみたいな、いわば「退行催眠型パソコン」機能もあるわけです(笑)。

あ、この書き方って初心者向けパソコン雑誌のライターみたいだね。こういう「作家」なら、今とあまり変わらないからゴメン被りたいけど、Aquikhonneさんのためなら書くのは楽しいです。

とんちんかん

Day 1 (Sunday G4)

Sunday, December 12th, 2004

記録するべきことが多いほど、実際それに夢中になっているので書けなくなる(何度も言っているように)。だから、「後書き日記」が可能なblogは、便利なのだ。

6年ごと位に起こる文字通り熱病のようなパソコンの買い換えイベント。というか、投資したもろもろの特殊な周辺機器や古いOSしかサポートしないearly versionの音楽ソフトとの兼ね合いなどなども色々あって、古いパソコンも結局手放せないので、実は「買い足し」というのに近くなるのである。一度きれいさっぱり、古い周辺機器やらソフトやらを含めて全部廃棄処分したら机の上も部屋も気持ちも良くなることは分かっているのだが、なけなしの金を投資して買ったモノなので、まるで大事な「お気に入りの家具」のように、「10万もするサウンドカードが入っているから」というようなおバカな理由で10年以上経つIIsiとかを、ハードディスクレコーディング・音楽記譜マシンとして後生大事にとってあるという案配なのである。しかし、early versionのソフトだけ使っていると、古いマシンも実にOS Xに負けないくらいさくさくと早いのである。

現役で使っている(た)のは1998年に出たPowerBook G3のコードネーム「Wall Street (300MHz)」である。IIsiに引き続き、音楽編集用に使おうと思っていたが、実際はほとんどウェブの構築やウェブ・ブラウジングというテキストベースのファイル制作くらいにしか使わなかった。一時は自宅と会社を往復して数ヶ月間職場でも使用する日々が続いたこともあるが、それもテキストをいじるのが主であった。

その当時、Wall Streetを駆け込みで購入したのは、それに先立つことほんの2年くらい前に、DTM用に購入したやや本格的な1Uラックマウント式のMIDI Interfaceへの投資額が8万近くしたために、その当時徐々に出始めていたUSBタイプのMIDI Interfaceへの切り替えがどうしてもためらわれたからであった。しかもPDという今では完全に忘れ去られたオプティック・マグネット式のメディアドライブもSCSI接続だったこともある。「過去を断ち切る」のではなく、「過去にしがみつく」ことを断然選んだのである。

Wall Street(虹リンゴ)は、その後にUSB & FireWire式のPowerBook G3(グラファイト色・白リンゴ)が出たために、Serial portとSCSI portを持った最後のPowerBook G3のひとつとなった。その当時、まだMIDI Interfaceとの接続はSerial Port(あるいはモデムポート)が主流で、私のように「高額」の投資をした人にとっては、USBやFireWireという新しいインターフェースの方式が世に出始めたことを強く意識していても、付いていく気も、付いていけなかった人も多かったのではないか。つまり、Wall Streetは、その前に使っていたIIsiの外部装置(HDD, MIDI interface)との相性の点で非常に優れていたのである。

今回「白羽の矢を立てた」も、やはりPowerBookであった。単に、ステイタスを落としたくないと言うことだけでなく、薄いコンパクト設計にどうしても魅力を感じたからだし、いまさらbulkyなデスクトップ型を購入する気にもならなかった(もちろん、出たばかりのiMac G5を店頭で見て、その速度とディスプレイの大きさに一瞬心は動いたものの)。タイミング的に今購入するのがやや早すぎた可能性はある。これは、「PowerBook G5というのが比較的すぐに出るんじゃないか」と噂されていることもあるからだが、そうした噂の類は今回一切考慮しなかった。「G5が出れば今度はG6が出る」と噂されるのである。パソコンというものはいつ買っても「早すぎる」のである。

前回ならその当時得られる最高のスペックのマシンを手に入れることしか頭になかったが、今回は逆にパソコンのライフサイクルが短くなることもある程度予期して、PowerBook G4の一番小さいモデルを(つまり予定より低いバジェットで)購入することにした。つまり12″モデルである。

今回は店頭で12″モデルが19″モニターと接続されているのを見て、「あ、これが解決策だ」と直感した。候補のひとつであった15″モデルとの差額は10万円近く。差額の10万があれば、外付けディスプレイを買ってもサードパーティのものならお釣りが来る。そとに持ち出してレコーディングなどで使うことを考えると、15″ではやや大きすぎると感じる(電車の座席や外の喫茶店で作業することを想定しているのである)。17″などは問題外である(一体どういう使い方を想定すればいいのだろう、17″って?)。連れ合いのiBookが12″なので、だいたいのディスプレイサイズは分かっていた。ディメンション的にはiBookよりも薄くて軽い。これは、「気軽にソトに持ち出すことのできるハイスペックのサブノートマシンである」と勝手に位置付けたのである。

スペック的にはiBook G4とPowerBook G4の差はあまりないことに驚くが、ボディを閉じた状態で、外付けディスプレイとの接続使用が可能なのはPowerBookの方だ。それにiBookの厚みはやや気になる。DV編集などを考えるとやはりPowerBookだろう(と勝手に思った)。

AirMacを使ってプリンタを連れ合いと共有することを考えた。また、リビングと自室の間をパソコンを持って往来したり、リビングをはい回るコード類をシンプルにすることを考えると、AirMacが解決法なのである。家中からLANケーブルを一掃したらさぞ気持ちよかろう。マックのiTuneでペルシャとかからのDervish音楽などを受信してステレオから垂れ流すのにもよい。DVD playerとしてテレビとつながっているPowerBookをApple Wireless Mouseで、食卓から操作する。これはリモコンなのである。

こうして楽しくもストレスフルな「新世代型」Mac環境の構築に励むのである。楽しみとストレスは表裏一体なのである。これからノートンのファイヤウォールをシステムに噛ませてセキュリティ確保することを考えると、まったくうんざりだし、PHSを使ってのモバイル環境の設定もある。クリアしなければならない問題を考えると実にやれやれで「楽しみ」なのである。

それにしても、PowerBook G3で活躍したOS9用のDreamweaverとかFireworksとかPhotoshop LEとか、Firewallとか、全部揃えたら一体どうなるんですか? OS X用に変えたら、ソフト投資額もバカにならんじゃないですか?などとぷんぷんしながら考えつつ、あらゆるハードの「設定」に日柄一日過ごした日曜日だった。

そうそうわれわれには信じられないことだが、結婚3周年でもあったのだ、12/12は。(こちらについても後記予定。)