Archive for July 28th, 2005

「可動域」についての自覚

Thursday, July 28th, 2005

内田樹氏の文章のパロディー

「映画」に「音楽」を代入する。

「寝ながら学べる構造主義」の内田樹氏のblogでは、読んで楽しい映画評もある。良い映画評であるかの基準は、作品に部分的な課題があるにしても、その映画を自分で鑑賞して何かを掴み盗ってやろうと思わせてくれることが、一つである。その基準から言えば、とりわけ内田氏の映画評は素晴らしい。その氏が先日、次のような文章を含む面白い論考(映画評/映画作家表)を発表した。こういうものがタダで読めるというのは実にありがたい。

<< よい映画に共通するのは(映画作家自身が)自分の映画史的・映画地政学的「立ち位置」についてのはっきりした認識を持っていることである。自分がどのような「特殊な」映画を選択的に「見せられて」育ってきたのか、どのようなローカルな「映画内的約束事」を「自然」とみなすように訓練されてきたのかについての自覚があるということである。>> 「内田樹の研究室」2005年07月22日のblog「目を開け」より

全文は、ぜひ彼のblogに行って直接読んで頂きたい。

『オープン・ユア・アイズ』(Abre los ojos, by Alejandro Amenabar:

Eduardo Noriega, Penelope Cruz、1997)

自分の悪い癖かもしれないが、人のこういう刺激的な文章を読んでしまうと、自分の「関連領域」でも同じことが言えてしまうのではないかと「不吉な予感」がして一旦立ち止まって、「検討」してしまう。彼の言うところの「よい映画」が「よい音楽」に置き換えられてもその有効性は依然として残るのか、などと…。そして、もしそれが「よい音楽」にも都合よく置き換えられてしまった場合、それによって自分は何を学ぶことになるのか、どうしよう…など。いろいろ考えてしまうのである。そして案の定、私はそれに正面から反応してしまうことになる。

以下は、内田樹研究室のblogの「目を開け」のパロディーである。こういうのは、違法なのかどうか知らないが、聡明な内田氏のことだろうし、忙しい彼が、詰まらぬことであれこれ言うことはないだろう、と勝手に決めつけることにした。もし問題あれば、すぐに引っ込めます。

「耳を開け」(「目を開け」の部分パロディー)

よい音楽に共通するのは自分の音楽史的・音楽地政学的「立ち位置」についてのはっきりした認識を持っていることである。

自分がどのような「特殊な」音楽を選択的に「聴かされて」育ってきたのか、どのようなローカルな「音楽内的約束事」を「自然」とみなすように訓練されてきたのかについての自覚があるということである。

音楽家としての自分の「可動域」について、自分が作れる音楽の制限条件について自覚をもっているということである。

そういう自覚を持っている音楽家は決して「まったく新しいタイプの音楽」を作るというようなむなしい野心を持たない。音楽による「自己表現」とか、音楽をつうじての「メッセージの発信」というような愚かしいことも試みない。

自覚的な音楽家は音楽的「因習」をむしろ過剰に強調することで桎梏を逃れ出ようとする。伝統的な演奏・作曲技法以上にくどい演出をし、出会い頭に空前の美しさを持つ旋律が出現し、歓喜は苦悩の果てに勝利し、曖昧なものは退けられ、錯綜したメロディーラインが、最後にすべてシンプルで口ずさめる旋律の登場によって説明される「ご都合主義」という形容では収まらないほど好き勝手な劇場的音場をこしらえる。

しかし、音楽的「常識」に過剰に寄り添うことによって、不思議なことだが、彼は「音楽という制度」に対する聴衆の無防備な信頼をむしろ揺るがせることになる。

「音楽って、本来『こういうもん』だったっけ?」

というすわりの悪い疑問が聴衆の中にすこしだけ芽生える。

でも、聴衆は無防備だから「『こういうもん』ですってば」とささやかれると、「そ、そうだね」と簡単に信じてしまう。

そのようにして「音楽」なるものの棲息可能条件をゆっくりと拡大してゆくこと、それが野心的な音楽家に共通する手法である。

ってことになる。お〜い。これって俺たちの課題として読めませんか〜?

<< 音楽的「常識」に過剰に寄り添うことによって、不思議なことだが、彼は「音楽という制度」に対する聴衆の無防備な信頼をむしろ揺るがせることになる>>

願わくば、そういう(カギ括弧抜きの)音楽を演っていきたいものである。

私の怖れ:エリアーデに捧ぐ

Thursday, July 28th, 2005

私の人生の7分の5は、「経済活動」のために供されている。1週間のうちの5日間、その「全て」とは言わないが、その“考慮に値する”大部分が、「生きるため」、そして自分自身や周囲が思い込んでいる「社会的責任」のため、そして「飢えたくない」という恐怖のために費やされている。この「ただ生存するため」の活動に割かれる度合いが、これ以上になるということを受け入れなければならない時が来たら、私はむしろ「死」を選びたい。

この世のごく僅かな場所にまだ残されている「聖」の世界との連絡があるうちは、私はもう少し長く息をし続けることができるだろうし、そして、その<事実>を<事実>として受け入れることのできる後世の、わずかな人々に残すことができるなら、「生まれて来て良かった」と心底思えて死ねるだろう。

しかるに、人間存在が、経済的動物(エコノミック・アニマル)でしかない、という人間の精神生活に対する浅薄な理解を疑うことなく、その「動物」自体がその現実の「生の在り方」にたいして、何らの「批判」をも一切持たなくなったとき、そして、その生き方が「人間の生そのもの」であるということに疑念を抱かなくなった「社会人」あるいは「文明人」たちだけに囲まれて、完全に「生産活動への奉公」という「圧力」を受け続けなければならないのであれば、私はこの生を放棄してもいいと思う。

だが、幸か不幸か、そのような“新手”の、そして2000年以上前からすでに明瞭な萌芽のあった「歴史時代開始」以来の、「圧迫」が、なんらの懐疑もないただの生存活動と他者への「闘争」だけに塗り固められるやがて来る時代のほんの「入り口」に立ち会うのみで、この世を去ることができるなら、まだ私は「ついていた」と思って、運命に感謝するだろう。

それにも拘らず、私が身を捕縛され、いつ終わる知れぬ長期にわたって自由を制限され続け、せめて「生産活動への妨害を防止する」という名目で拘束され続けたとしたら、その「生」とすら呼ぶに値しない「自動的な生命」をただ守り抜くためだけに息をし続けてしまうかもしれない。そればかりか、最後のあり得ぬ希望にさえすがって、いさぎよく「絶望する」ことすらできずに、汚物と残飯にまみれて冷たい床を這い回りながらも「あともう一日」を生き続けてしまうのかもしれない。そんな自分であるかもしれない可能性を、私は怖れる。