Archive for the ‘Good/Bad Books Memo’ Category

ゲルショム・ショーレム再読

Thursday, September 15th, 2005

これがアップされる頃は、渋谷でライヴを演っているだろう。

(引用開始)

寡黙な無名の聖人たちの本質の持つ価値がたとえどれほどわれわれにとって計り知れぬものに映るとしても、宗教史というものは、彼らとはかかわりがない。宗教史は、人間が他者と交流しようと試みるときに生ずる出来事を対象とするものなのである。しかし、一般に認められているとおり神秘主義者の場合、この交流というものには一筋なわではいかないむずかしさがある。宗教史の観点からすれば多様な宗教的現象の総体としての神秘主義とは、神秘主義者たちが追い求めた道、彼らに授けられた悟り、そして彼らが閲した経験を、他の人々に伝達し解釈を施す試みにほかならない。この試みがなければ、神秘主義が歴史上に出現することもないのである。そして、まさしくこの試みにおいてこそ、神秘主義と宗教的権威との出会いと衝突が実現する。

ゲルショム・ショーレム『カバラとその象徴的表現』(page 8より)(法政大学出版局)

小岸 昭/岡部 仁 訳

この点で言うと、キリスト教団は実に「傲岸不遜」にも、あらゆる神秘主義者を生み出し、それらとの緊迫的な邂逅をもたらしたにも関わらず、それ自体は、相も変わらずその教義本体であるところの「出来上がりつつあった」聖書を、まさに字義通りに解釈する以外のことを許さず、権威の核としてこそ存続した。これはまったきアイロニーである。すなわち、その中心にどっかりと腰を据えて、その権威強化とビジネスとしての教団組織の成立・強化に邁進した教団エリートたちこそが、最も本質的宗教的体験の周縁に存在していたのであり、この錯誤的な組織存続への高いプライオリティがあってこそ、宗教そのものは人々に知れ渡るところとなったのであるし、ある程度の数の神秘体験者を集めたはずだし、あるいは神秘体験そのものを触発さえしただろう*。だが、本質的宗教体験を得た人間は、その組織の中核的な人員の世界観とは対立したし、決して中核に交わっていくことはできなかった。したがって、つかず離れずの位置か、あるいは周縁において、中央と緊張関係を築くほかなかった。そして、その緊張関係は、恒に中央の勝利、周縁の敗北によって終了されたに違いない。

* 教団自体は、まるで道家の家元のような機能を持っているのであって、象徴やあらゆる知の金庫室であったのだし、それを保存し、また伝達するというルーティーン的ではあるが重要な役割を担っていたから。

無論、こうした神秘体験者は、教団中核の意思によって抹殺されるが、何年か経って、その「名誉」を回復し、皮肉なことにこの教団の「時の毀誉褒貶の判断」によって「聖人」となる場合が多いのである。ただし、「聖人」となるのは、聖人が団体と無関係に神との関係を築いた個人であったに過ぎないとしても、そして、その「控えめさ」という理由によってこそ、尊敬を集め、特定のこじんまりとしたひと纏まりの仲間をこしらえただろうが、神秘体験者の死後、初めてそうした人々(仲間達)の影響が無視できなくなった場合に、「無名の周縁的神秘主義者」は、有名な聖人と格上げされるのである。ほかならぬ、この格付け機関たる教団中央が、彼ら「聖人」の最初の抑圧者、あるいは殺害者であるにも関わらず。

(引用開始)

一般に、神秘主義は、再三再四新しい酒を古いかめにいれようと試みる──承知のとおり、これは福音書の有名な個所で戒められている行為そのものではあるが──と言われてきた。(略)神秘主義者は、どうして保守主義者だと言いうるのか、どうして伝統的な宗教的権威の先駆者となり解釈者となりうるのか? どのようにして彼は、カトリックの偉大な神秘主義者や、ガッツァーリのようなタイプのスーフィ派教徒や、ほとんどのユダヤ教カバラ主義者たちが成しとげ得た成果を、自分でも達成することに成功するのだろうか? 答えはこうである。これらの神秘主義者たちは、伝統的権威の源泉を、もう一度おのれ自身の中から再発見するらしい。彼らのたどる道が、伝統的権威の生れ出たその同じ源泉に彼らを遡らせたのだった。(略)神秘主義者たちの方が、宗教的権威を最も厳密な意味において堅持してゆこうと努める。

ゲルショム・ショーレム『カバラとその象徴的表現』(page 9より)(法政大学出版局)

小岸 昭/岡部 仁 訳

ここで言及される「伝統的権威の源泉」とは、そもそも権威となった宗教教団の中核が、そもそも神秘体験者であった、そして今では既に過去のものとなったその「神秘的事実」を確認する言葉なのだ。だが、教団中核が保持する地位と権力を相続する後継者たちが、必ずしもその神秘的事実を内的実感(個人的現実)として理解しているとは限らない。そもそも一旦疑いなく「真実らしきもの」が、教義として打ち立てられるや、その相続者は神秘家の言葉の「そのままの保持」とその権威の存続を組織の目的とするからである。そして、それ(伝統的権威)は権威的伝統となる。そして、長い歴史の中で、その伝統の生まれ出した源泉に遡って、個人的体験を通して、「ある種の神秘」に与る少数者が何度でも出現する。それはその源泉が「おのれ自身」から再発見できるために、ある程度周期的にこのような人物が、歴史上に登場できるのである。

この神秘的経験の可能性を承認するなら、われわれの今日語る意味での祖型的表象が時代や場所を超えて繰り返し出現することの理由の一つを見出したことになる。すなわち、脳や心の働きを含めての「身体」に、こうした祖型の源泉があるということになる。さらに言えば、「身体」に源泉がある以上、表象の「交換/流通可能」な側面が、より多くの人々に対して、「それに対して注目せよ」と注意の喚起が可能であった理由も説明する。そもそも人類に共通の「身体」にその源泉があるのであれば、それは「揺り起こす」ことが可能なのである。実際、少なからぬ人々がそうした表象を通じて、半ば「自発的に」秘儀に参与できた(イニシエートされた)理由を説明するのである。つまり、交換/流通可能な外在する表象と、自発的に源泉に遡って神秘に与る内在する「表象」は、いわば二人三脚で、その体験の幾度とない復活を可能ならしめているのである。

エリアーデ語録 #2

Tuesday, September 13th, 2005

植物の聖の「神秘」と結びついた宗教的観念と神話と儀礼的シナリオに、われわれはたえず出会うことになるであろう。なぜなら、宗教的創造性は、農耕という経験的現象ではなく、植物のリズムの中に認められる生、死、再生の神秘によって生み出されたからである。収穫を脅かす危機(洪水、旱魃など)は理解され、受容され、制御されるために神話的ドラマとして表現されるであろう。それらにもとづく神話や儀礼シナリオは、やがて数千年に渡り、近東の文明を支配することになる。死んで生き返る神々という神話的テーマは、もっとも重要なテーマに属している。これらのアルカイックなシナリオが、新しい宗教的想像を生む場合もある(たとえば、エレウシス、ギリシア・オリエント密儀。96節 参照)。

下線:エリアーデ自身による

太字:enteeによる

エリアーデ『世界宗教史』

「女性と植物 聖空間と世界の周期的更新」よりpage 44

この何気ない、誰にでも親しみのありそうに見える記述自体が、相当にあからさまな部類のエリアーデの主張するメッセージの中核である。その点で、この文章は無視できないほどの重要性を持っている。農耕については、「経験的現象ではなく」と強調しているところなども、いわゆる人類の農耕体験がそれを初めて見つけさせたのだ、というのではなく、植物自体の特性に注目せよと言っているのであって、メッセージ発信の点で極めて親切である。こうした植物の死と再生の神秘については、あらゆる詩人が取り上げている普遍的な題材の一つと言っても良い。特に日本においては、こうした「死と再生」のモデルとして「桜」や「梅」が存在しているのである。

ここで「死んで生き返る神々」と断っている部分についても、それが後のキリスト教に見出される「死と復活」という僅か2000年ほど前にようやく成立を見た「最も若い神話」に先立つ祖型として理解すべきであると、さりげなく注意を喚起しているのである。

蛇足で文意の本質から逸れるものであるが、「やがて数千年に渡り、近東の文明を支配することになる」とエリアーデが断っているように、農耕というものは、「近東の文明」維持のための支配的な手段だったのであり、その後の「いわゆる近東の文明」の絶対的背景であったユダヤ=キリスト教の文化が、「日本の文化と違って遊牧や狩猟採集であった」などという、バカげた初歩的な認識上のエラーは、まったく考慮の余地さえないレベルの低いものなのである。

エリアーデ語録 #1

Monday, September 12th, 2005

天や死後の生命に関する形而上学的・神学的探究は無意味である(公冶長篇一三、述而篇二〇、先進篇一二)。

「君子」はまず第一に、現実の具体的な人間存在に関心を持たなければならない。霊的存在に関しては、否定しなかったものの、その重要性には疑問を持っていた。敬うのは構わないが、「それは遠ざけておけ。これこそが知恵というものだ」(雍也篇一八)。霊的存在に奉仕することについても、「もし人間に仕えることができないなら、どうして霊的存在に仕えられるのか」(先進篇一一)と述べている。

エリアーデ『世界宗教史 II』筑摩書房「孔子──儀礼の力」より

これが宗教研究者のが引用した孔子の言葉だと知れば、驚く方もあるかもしれない。だが、ここには宗教というものに付き物の「霊性」や「神秘主義」以上に重要な「生きる人間の生存」に関わる事件に関する共通の記憶を扱うものであるということについての、控えめではあるが重要な示唆がある。

音楽と音楽に外在するもの
E・フィッシャーを読む

Thursday, July 21st, 2005

「彼(ベートーヴェン)に霊感を与え、彼の音楽的思索を特徴づけているのは楽器なのだ…しかし哲学者・道徳家それに社会学者たちがベートーヴェンに関する数限りない著書の中で論じているのは、本当に彼の音楽なのであろうか。第三交響曲を作った動機が、共和主義者ボナパルトにあろうと、皇帝ナポレオンにあろうと、どうでもいいことではないか。音楽だけが問題なのだ…文人たちが、ベートーヴェン解説を独占している。その独占を彼らから奪い去らなければだめだ。独占できるのはかれらでなく、音楽の中に音楽を聞き慣れている人々なのだ…ピアノ曲に於けるベートーヴェンの出発点は、ピアノであり、交響曲・序曲・室内楽における出発点は、総譜なのだ…彼を有名にした記念碑的な諸作品は、彼が楽器の音を精いっぱい活用したことの論理的な結果である──こう主張しても間違いになるとは思えない。」

(エルンスト・フィッシャー著『芸術はなぜ必要か』(河野徹 訳)に記載されているストラヴィンスキーの記述からの孫引き)

今日、ストラヴィンスキーの主張をここまで読んで共感する人は多いと思われる。実際問題、私自身も相当の共感を以て途中まで読んだ。だが、ストラヴィンスキーの「正当性」に共感できる人間が、そのあとに展開されるフィッシャーの批判的主張に耳を貸すに値しないと思うのは、早計である。そもそも一方が正しければ、他方が間違っているというような二律背反の公式のようなものではない。ストラヴィンスキーの言っていることが正しい一方で、フィッシャーも正しいという「次元」とも言うべき問題圏が、それぞれにあるのだ。どういうレベルでそれぞれが自説を主張しているのかという次元の相違を無視してそれぞれを一刀両断に語ることでは、片手落ちなのだ。

芸術作品は、それぞれがそれぞれの語る方法(形式)自体に「眼差しを与える」とか「耳を傾ける」とかいう直接的な鑑賞行為を通じて、その作品の中からしか、その価値を認識する方法がないという主張には、一見反論を寄せ付けない「正当性」を感じさせるものがある…

(more…)

『日本の軍隊』吉田裕著(岩波新書)を読む

Friday, June 17th, 2005

戦争の「正」の側面を知るということには意味がある。(負の側面など今更強調するまでもないという前提で…)だが、「新手の戦争肯定論か?」と早合点する前に次を読んで欲しい。

こういうことです。つまり、「戦争はみんなが考えるほど悪いものではないんだ」という主張や考えに、どういう事柄や現実認識が「支持」を与えているのか、戦争のどういう側面が戦争肯定論者に「勇気と力」を与えてしまうのか、ということを識ることにつながるから、だから意味があるのです。

戦争の負の側面については、その度し難く無秩序な破壊と混乱、そして人命や人間の尊厳を奪い去る暴力の組織的(というか本当は無秩序で混乱した集団による)な行使であるから、つまり殺人という取り返しのつかない罪の本質は如何なる理由においても正当化できない、という理由以上のことをあらためて語る必要さえない。それほど左様に、すでに自明のことである(もちろん、どれだけ語ったってそれで「こと足れり」とされるものでもないほどに、語り継がねばならないことが無数にあるのは言うまでもない)。

したがって、いかにして戦争を美化し、その価値を称揚し、その存在を正当化して来られたのかを知ることには価値がある。例えば、青春時代を「戦争を生き延びる」ことで過ごしてきた「戦争しか知らない(かつての)こども(青年)たち」の論理を、如何にして無効化するのか、という批判材料を得ることにつながるのである。そして、そういう戦争肯定論者(一部肯定論者も含む)の言い分を単純に信じる(あるいはその「言い分」に対して同情的な)人々の存在、あるいは戦争の悲惨さを自分の問題として想像できないだけなのではないかと思えるような、皮相的な戦争肯定論を「口真似」する若い世代の人々。こうした存在が増殖しつつあるということを考えるにつけ、彼ら「肯定論者」を包括理解し、その論理のどこに決定的な穴があるのか、ということを知り尽くす必要があるのだ。そういう人々をバカ呼ばわりしても、人格否定しても、それは肯定論者、否定論者のどちらのタメにもならないのだ。

戦争というものの“多面性”に冷静な光を当てる『日本の軍隊』(岩波新書)によれば、軍隊に入って初めて満足な3度の食事にありついたという青年たちが大勢いるという。これ自体が私にとっては衝撃であったし、「目から鱗」の記述であった。戦争前夜、そして戦中当時の農村の「貧困層」に属する人々からすれば、軍隊での生活はそれまででは考えられないほどの贅沢であり恩寵であり、飢餓からも労役からも開放された、ある種の安楽世界であったという、明確な実感を持つ元兵隊達がいる。あるいは、社会階級とは関係なく、軍隊という組織は(部分的だとしても)「能力主義」が実現していたある種の「公平なる社会」であって、軍隊の機構上、ある程度明確な上位下逹の「主従関係」はあったものの、一度一兵卒として入所した時点では、その全員が、すなわち金持ちも華族も農村出も、すべての者が同じ飯を食い、同じ訓練や仕置きを受けた。これは軍隊の外の世界では、当時まだ「実現していなかったこと」だというのである。

そして、われわれ戦争否定論者が正面から対峙しなければならないのは、これらの理由を以て軍隊を肯定せざるを得ない人がいる、という事実である。

そればかりではない。さまざまな理由を以て、なるほど軍隊が「よい場所」だと感じることにはいくつもの「根拠」があった訳だ。

しかるに、こうした軍隊のもつ一連の「長所」を以て軍隊(兵隊)というものに課せられている機能、期待されている役割、そして何よりも破壊と暴力を可能にする道具でもって武装している組織であるということ、そして「防衛のための道具である」と主張して維持される軍備そのものが、結果的には、他者(他国)から見れば脅威を感じる対象そのものに他ならないという点、そして、「防衛」と云う名のもとに侵略*さえ実現可能にするという点、最終的には命令が絶対であるというトップダウンの命令形態、そうした軍と言うものの一切の暴力的本質を根本から書き換えてしまえるような「価値」なのであろうか?

* かつて防衛という大義なしに行われた戦争というものがあっただろうか。すべての戦争はそれを始める人たちによって「防衛手段」であると主張されているのである。それは現在アメリカ合州国政府によって成されている先制攻撃ですらそうである。日本人が朝鮮半島に入植したのも軍隊を展開させたのも、「ロシアや清国の脅威に対する本土防衛のため」という説明がある。すなわち、「防衛」などという言い訳は、誰によっても可能であるという理由で、すでに無効であり、それにまともに耳を貸す必要がないほどである。「攻撃してくるかもしれない」と一部で脅威が叫ばれている某国に関して、彼らの側からすれば日米や韓米の軍事条約を背景に外交を展開する日本や韓国に対する脅威を感じている訳で、「祖国防衛のための先制攻撃」という口実を持っている訳である。この際どちらに「正義」があったのか、と言うことは問うまい。だが、確実なのは朝鮮戦争が起きた当時、ソヴィエトのバックアップを得た金日成に率いられる朝鮮民主主義人民共和国の側にも、共産主義に対する防衛を声高に叫んでいた合州国にバックアップされた大韓民国の側にも、等しい「正義への感覚」があったわけである。互いが「防衛」を旗印を上げて血を流し合った訳である。

軍隊の長所によって「戦争(戦時下の世界)というものは悪いものではない」という戦争観は、さしずめ、「必要悪」を主張する言説の別名に他ならない。だが、必要悪を口にする者は、「悪」を「必要」によって免責できると考えている。悪に対する根本的な無理解、あるいは悲惨への想像力と感受性の欠如がある。そればかりか究極的には根本的な差別主義の発露に他ならないのである。

つまり、必要悪でもって「必要」を満たされる人々がいる一方で、「悪」の犠牲になって死ななければならない人が出るという不条理を前提として肯定しているからである。そこには明確に「生存できる人間」と、それに与れない人間のグループに人間を分つ差別構造を認めてしまう精神的な弱さがある。そこには、「必要悪」によって「必要」を満たされる側にいるだろう自分(あるいは身内*)への愛と、悪によって滅ぼされるかもしれない側にいる人間(他者)への明らかな無関心という根の深い差別意識なしにはあり得ない思想なのである。

まさに戦争とは究極的な人間の選別とそれを可能にする抜き難い差別意識なしには実現不可能な「政策」なのである。そしてその政策は、いつの時代でも、安全圏にいて自分(や自分の身内)が生き残る者達が、自分たちの安全を無条件的な前提として造り上げられるのである。

こうした差別され「消耗」される側に対する無関心は、「必要悪」を軽々しく口にする人間たちの間に目立って見出される特徴である。必要悪を認める自分は、他でもない「自分」の犠牲というあり得べき可能性に関して、どれだけ想像力を働かせることができているのであろうか? 仮に自分がその犠牲に身を投げ出すことが本当にできたとしても、それは他者の犠牲をも同時に強制する類の「自己犠牲」ではないのか。戦争というものはひとりではできないのである。

* 身内への無条件の愛は、自己愛とどれほどに違うのであろうか? 血縁の子供や愛する人間を優先的に生存させると言う本能的行為のどこにヒューマニズムの崇高性があるのであろうか?

どんなに勇ましい戦争における自己犠牲(壮烈な死)であっても、死に臨んで、どんな貧困も、どんな悲惨も、生きられれば「死よりはまし」と思うかもしれないではないか。いや、私は思うに違いない。

そんなことを考えさせてくれる良書として、筆者は『日本の軍隊』を評価するのである。

Good/Bad Books Bulletinを更新

Tuesday, May 24th, 2005

ほとんど数ヶ月間「休眠中」だった「本との出会いサイト・Good/Bad Books Bulletin」に投稿した。植民地主義関連(あるいはポストコロニアリズム関連)書籍ばかり。

「自滅」を目指せ!(って、目指してるか、別の意味で)河上肇の評論文

Friday, April 22nd, 2005

河上肇評論集(岩波文庫)というのを手にしたが、その最初の方で驚くべき小見出しがあったので、思わず立ち止まって読んでしまった。その評論ひとつが「経済上の理想社会」というどちらかと言うとやや平凡な大見出しであったが、そのエッセイの小見出しのひとつが「宇宙間一切の物は皆なその自滅を理想とす」となっていてドキッとさせられる。この見出しが内容を十分に反映しているかどうかはともかくとして、その評論の文章自体が驚愕に値するものであった。

「それ万物は皆なその自滅を理想とせざるものなし。たとえば病院の目的は如何というに、曰く疾病の治療にあり。故にあらゆる患者の疾病を治療し尽くして、世に病人というものの全くなくならん日あらば、ここに始めて病院設立の終局の理想は実現せられたりというべし。」

「万物」から「病院」に突然飛躍するこの文章を読んで思わず吹き出した人は、(気持ちは分からないでもないが)世の中の根本問題に無関心であるか、本質的な世の理想を想像する力に欠けている可能性もある。彼のこの文章だけではないが、人間の経済活動、人間の運営する組織、そうしたものに潜在する課題、つまり、目的があってからこそ手段として発生した産業なり経済活動の存続が、人生や経営の目的そのものと化してしまう人類活動の逸脱について述べているのである(手段の目的化)。

彼はこのように続ける。

「(略)能く考えて見れば、病院は病院自身の滅亡を理想とすという事、言奇なるに以て実は奇ならず。学校も同じ事にて、無教育者を全くなくするがその終局の理想なれど、もしその終局の理想にして実現せられ、世の中に教育を受くる必要ある人の全くなくならんには、学校は乃ち廃止されざるを得ざるなり。裁判所といい、監獄といい、法律というの類、推して考うれば、皆なまたその自滅を理想とするにあらざるなし。」すごい!

確かに、一見極端な言説だし、新しい人間がどんどん世の中に生まれてくる以上、学校そのものが不要になるはずがない、などと揚げ足取りの反論をする事は出来るかもしれないが、病院も学校も、喩えとして若干のほころびがあるだけの話であって、その謂わんとするところの本質を見逃してはならない。これは、人間の団体というものが本来、目的的に組織されるものでありながら、それが一旦組織化され、そこに定常的な人間の関与が発生すると、不要になった暁でも、「分かっちゃいるけど止められない」という状態になりがちだということだ。肥大化する省庁や増え続ける特殊法人のことを挙げるまでもなかろう。

そして、ただ存続するだけなら大して害はないように見えるが、実は、組織が組織存続のために、仕事を造ろうなどと画策し始める(実際、そうならざるを得ない)や、その組織がほとんど犯罪じみた行動に向かう事さえある、ということなのである。曰く「民の争訟ますます多からん事は裁判所を設けたるの趣意にあらず」だが、実際は、弁護士になってしまえば弁護するべきクライアントが必要だというような「目的と手段の顛倒」は、現実的には珍しくはないし、この評論でも挙げられている病院に関して言えば、まさに自己存続のために病人をせっせと作っているような現代の医療の在り方は、河上肇が理想的なありかたとして述べていることのまさに逆行しているのである。それに「囚徒のいよいよ多からん事は監獄を設けたるの本旨にあらず」にも拘らず、日本でも刑務所のプライベートな企業による民営化などという呆れた方向に進んでいる。

ときに、刑務所の民営化なんていう流れも、考えてみれば「囚人がいなくなればそれが一番良い」という社会の理想の追求という観点から見たら全く逆行しているわけだ。これは刑務所に入る人が増えるほど、私企業が儲かるかもしれない、という実刑判決者の増加を見越した悪しき方向であるとさえ断じなければならない。本来、社会が法律によって「犯罪者」を定義せざるを得なかった以上、それを社会がすすんで「やむをえないので公のこととしてハンドルしよう」とすべきところなのに、そういった公的な事業とそうでないものとの区別さえもできなくなっている。「民間でできるものは民間で」などというのは、根拠が薄すぎる。多くの公共事業がやってできないことはないだろうが、「やれるかやれないか」が、実行することの判断基準であっていいはずがない。「公共でやる」ということには理念上の根拠があったのである。

いや、話が脱線した。この河上肇のこの評論の行き着く先というのが重要なのだ。この文章も、人類がもっと高貴で神的なものに進化したら、それは「人類の自滅」という理想に達すると、ほとんど神学論的に大いに脱線しつつ(好きだ!)も、「経済社会の理想は経済社会の自滅にあり」という小見出しにも表れているように、重要な結論に達するのである。そして、それは窮極的には、悦楽のために労働があるのに、労働自体が人間の生活を圧迫するのであれば、意味がない。どこかが間違っている。という所に論が導かれるのである。それは、「文明の利器」がわれわれを労働の苦しみから全然解放していないんじゃないか、という Posted in Good/Bad Books Memo | No Comments »

思想も周縁的なものにこそ、耳を傾けるべき「ことば」がある

Thursday, March 31st, 2005

本橋哲也著『ポストコロニアリズム』を読み進む。表紙カバーをめくったところの解説によると、ポストコロニアリズムとは「植民地主義暴力にさらされてきた人々の視点から西洋近代の歴史をとらえかえし、現在に及ぶその影響について批判的に考察する思想」を言うらしい。最初、それを「イズム」で呼ぶ理由が今ひとつ自分の解読力では理解できないでいた。

しかし、フランス植民地時代のアルジェリア生まれの「いわゆる知識人階層」に属することになったアルジェリア人の精神科医フランツ・ファノン、そして徐京植(ソ・キョンシク)氏も季刊「前夜」で取り上げていたパレスチナ生まれのジャーナリスト、ガッサン・カナファーニーとその小説「太陽の男たち」、西ベンガルはカルカッタ出身のコロンビア大学教授ガヤトリ・スピヴァクあたりの解説になると、俄然本橋氏の解説しようとしている領域の意味が理解でき始める。私が一読して心酔したサイードにも1章まるまる割いている。

だが、「鱗から目が落ちる」ような強烈な体験は、後で一部引用するスピヴァクの「脱構築的姿勢」をまとめた4つのスローガンであった。ジャック・デリダの「脱構築」がどのようにこのポストコロニアリズムと結びつくのか、あるいはデリダ解説者の高橋哲也氏がどのようにして平和活動家となっていったのか、あたりの事情が、まったく想像もできないほどの自分の知識の欠如であったのだが、このスローガンというのを読んで、それってサイードの熱く語っていた「知識人とは何か」についての分かりやすいもう一つの定義ではないか、と膝を打ったのであった(電車の中で)。

(1) あらゆることに関して自分が学び知ってきたことは自らの特権のおかげであり、またその知識自体が特権であると認めること。そのことと同時に、それが自らの損失でもあると認識し、特権によって自分が失ったものも多くあることを知ることで、その知の特権を自分で解体し、いわば「学び捨てる (unlearn)」こと。

とある。「学び捨てる」である。ものすごい言葉である。同時に、これほど明解に相対化された自己批判の立ち位置というものが他にあるだろうか? これは、スピヴァクのような知の象牙の塔まで上り詰めたアカデミズムにおけるエリートだからこそ言えていることだと一蹴する向きもあるだろうが、われわれ「中途半端な知識人(衒学者)」においてもまったく無関係ではあるまい。結局真の学問やジャーナリズムというものを極めるほどに、知識人は本来どこまでもアマチュアであるべきなのだ、というのがそもそもサイードの言っていたところのことでもある。

僅かで至らない「知」であっても、それは自らが後天的に選んだものではなくて、ある種の特権のおかげだというのは、誰についても真である。だが、その特権的に得られた知というものが、われわれを盲目にもし、自分の立ち位置というものがあたかも自分の自由意志によって選び取られたものであるかの幻想を自らに許しがちだ。だが、特権はまた何かを見えなくしている訳であり、そうした立ち位置すらを解体しようとする態度こそが「脱構築」の眼目である、という訳だ。私の半可通の理解で分かって気になってはいけないが、だが「脱構築」ということの意味が電撃的に理解できたような気がしたのである。

(3) 脱構築はなんらかの具体的な政治的プログラムの基礎となることはできない。しかし脱構築は、「労働者」「女性」といった普遍性をよそおう大文字言語(マスター・ワード)が、じっさいには現実の対象者をもたないことを示唆してくれる。ということはつまり、脱構築は政治の行き過ぎや誤りや盲点を指摘する一つの安全装置となり得るだろう。

(4) 人がそこに安住することを望まざるを得ないような既成の構造を、執拗に批判し続けること。それこそが脱構築の基本的姿勢である。

上の二つは解説を必要としないほどの明晰さとシンプルさをもった主張だ。デリダのオリジナル版、ではなくてスピヴァク版の脱構築ではあるのかもしれないが、こういうハナシなら、「価値の相対化」こそがあらゆる偏見と暴力に結びつき得る乱暴な言説との戦いの主眼であるということに本能的に気が付いた、ほとんど20年来追求してきたまさに「そのこと」を指しているのではないかと、興奮している訳である。

(3)で「政治的プログラムの基礎となることはできない」とあるが、これは「非政治的」な机上の空論で終わる思考活動(形而上のお遊び)であるという風に、私は読まない。これこそ、きわめて「政治的」な言説であるし、だからこそ脱構築論者の幾人かが政治的運動にコミットするということにもなるのだと思う。これは反権力闘争という名の「反・政治」姿勢であるのだ。(というか、思いたい。)

ヨーゼフ・ロートを(また)語…ろうかな

Friday, January 28th, 2005

最後にヨーゼフ・ロートについて書いてから早三ヶ月が過ぎた。

それにしてもなんと遅い歩みだろうか? これほどに書かないでいるということが自分で出来ようとは。いやそうではない。これほど書けないということが起ころうとは、という方が正確である。

しかしようやくロートの『果てしなき逃走』を読み始める。このところずっと持ち歩いていたが、「くだらないこと」に時間を費やしていて、ゆっくり本を読んだりものを考える時間がなかったのだ。岩波文庫として出たのが1993年であるから、まだそんなに古い本ではない。だが早くも絶版(品切れ)となっている。おそらくそんなに沢山刷られた訳ではないだろう。このような良書であっても、じつに本のライフサイクルが短くなっているのである。本書の存在を知ったが、結局入手できないと諦めかけていたら、Amazonのマーケットプレイスに出品されているのを知って、その古本を定価以上の値段 + 配達料で購入。(昨年の暮れ)

しかしだ。それだけの「贅沢」をして入手したが、まったく期待に背かれない内容。ロートの第一次と第二次世界大戦の狭間という時代での経験を綴ったいくつかのエッセイがあるが、それが今度は小説となって蘇ったという感じだ。小説を自分は普段からほとんど読まないが、本書に関していえば、小説を読むときに感じるような、なぜ人の書いた虚構を「追体験」しなければならないのか、というような懐疑の念がまったく生じない。それは『聖なる酔っぱらいの伝説』のときでも同様だった。おそらくそれが単なる虚構のたぐいではなく、ロート自身によって生きられた体験が色濃く残されているからに他ならない。あるいは、当時の2つの戦争と戦争の間におこった表面的な「平和の間隙」において、ロート自身が感じた本音が登場人物たちによって吐露されているからなのかもしれない。

ロートによる「ヨーロッパ」という場所における文化や人についての鋭い批判眼。それはわれわれが自分たちを「日本人」であるとか「アジア人」であるとかいう、自意識、あるいは批判的に西方世界へ眼差しを投げかけるときに自分らが使いがちな、「西洋」あるいは「西洋文明」というような一刀両断の「分かりやすい理解」を、あっという間に無化してしまうような歴史と地理の相対性理論をさりげなく提示する。

これについては腰を落ち着けて書きたい。

マルクス発、スピノザ行き

Friday, December 3rd, 2004

確かに何か大事なものとようやく邂逅しているという全身の血が沸き立つ感覚。二重のとまどいと嬉しい驚き。「当たり前」の錯誤に気が付く自分への根拠なき信頼。進むべき道の長さと険しさ。時代の何を問わず、「あらゆる時代は優しいものではなかった」し、そうした中で思想は鍛えられていく。敬意と愛。そうしたすべてが押し寄せる。

最初に盟友のひとりによって強く勧められた「エチカ」の著者としてのスピノザが先行。その直後にMから譲り受けた「マルクスを再読する」を“再読”し始め、1章を割いて言及されるスピノザへ、興味が喚起される。しかし「再読する」を読み終えるその日に古書店で電撃的に出合ったのがドゥルーズの「スピノザ─実践の哲学」。

ドゥルーズはソーカルの『「知」の欺瞞』によって、その「科学」的概念の社会学への錯誤した比喩を通じての「ねじれた濫用」が批判された。でも、考えてもみれば当然のことであるが、一つの間違いがあらゆる論述の間違いを意味するわけではない。信頼を損ねたことは、覆うべくもなく、またその責めはだれよりも本人がすでに受けている。だからして、一を以て全を否定するのも別の極端である。少なくとも、「実践の哲学」は、ソーカルの著書で指摘されているような「科学的」を装った曖昧な比喩などが散見される妖しい文章ではなく、私が読む限りにおいて、頭にすっと入ってくる極めて明解な文章で書かれている。たまたま翻訳者(鈴木雅大氏)の翻訳がよかったのか、それさえもよく分からないし、ドゥルーズの何もまだ知らないに等しい自分だが、この本に限って言えば、非常に分かりやすい「スピノザ」の解説書になっている。

「マルクスを再読する」の再読が終わらないので、ちょっと読んでみるつもりで40ページほど読んでみたが、止まらなくなる。数ページ読み進んですでに感動を覚え、幾つかの文章を書き出してみたくなった。

曰く、「スピノザは、悲しみの受動的感情にはよいところもあると考える人々には属していない。彼はニーチェに先だって、生に対する一切の歪曲を、生をその名のもとにおとしめるいっさいの価値観念を告発したのだった。私たちは生きていない。生を送ってはいてもそれはかたちだけで、死をまぬがれることばかりを考えている。生をあげて私たちは、死を礼賛しているに過ぎないのだと。」

曰く、「風刺とは、およそひとびとの無力や苦悩になぐさみのたねを見出すもの、軽蔑や悪意、侮蔑、おとしめの念によってつちかわれるもの、ひとびとの心を打ちくじいてしまうものすべてのことである(圧制者は人々のくじけた心を必要とし、心くじけた人々[隷属者]は圧制者を必要とする)。」

衒学に始まり、衒学を葬り、新たな「衒学」へと至るための鎮魂は、まだ始まったばかりなのである。