Archive for the ‘Main’ Category

模様替え地獄

Thursday, November 18th, 2004

帰宅すると、先週の週末に注文していた連れ合いの部屋で使う本棚2つがが届いていた。会社の引っ越しの準備もあり、業務以外にもばたばた梱包や廃棄物の選り分けなどをして疲労していたが、故あってその一つを組み立てることに。もう11:00pmを回っている。

外は雨が降っている。明日は引っ越しの前日。追い込みとなる。そして、帰宅したら2つ目の本棚の組立が待っているのである。

それが終わったら自分の部屋のスピーカーをリビングに移動する。公私ともに模様替え地獄なのである。

金曜から土曜の「夜を駆ける」ろまんす

Saturday, November 6th, 2004

仕事の帰りに、海を観たいという連れ合いと待ち合わせをして、泊まりがけの「小旅行」をした。今から思えば出だしから無謀だったが、まったく何のプランも立てずに、とにかく三浦半島の三崎口まで行ってみようと、普段乗り慣れていない京急線の「特快」に乗る。その時点ですでに21時24分。久里浜行きしかなかったが、そこに着いてみると三崎口行きの電車が連絡待ちしている。それに乗り継いで23時近くに三崎口に到着。電車に乗ってから1時間半ほどしか掛かっていない。だが、こんな時刻に電車で三浦半島まで「観光」しに来る酔狂はいないらしく、駅の外も人がまばら。周りは暗いので一体どこに海岸があるかも、果たして宿泊するような場所があるのかも、まるで五里霧中。

バスを待つ数人の人がいたので、その辺りをうろつきながらどうするか思案する。とにかく、駅の周りには何もない。国道を適当に歩いて「いかがわし系」の宿泊施設のひとつも見つけようかと思ったが、駅前の地図をみて、思いのほかどの海岸にも相当の距離があることを知って一瞬唖然とする。最低でも直線距離でも1.5kmは歩かなければならない。しかも、主要幹線道路は海岸線に面してもいない。それでは風光明媚な宿泊所も期待できないではないか。

まだ「油壺」を通るバスがあるのを知ったので、とにかく気を取り直してそれに乗ることにする。もう少し観光地らしき場所まで辿り着けば、何か情報もあるだろうと期待したのだ。バスの中で彼女は緊張していて、空いた席に座ろうともしない。油壺を通ったときは、バス路線近辺に宿泊できるような「施設」のネオンもない。とりあえず、乗っていたら三崎口駅付近よりもっと暗くて、右も左も分からない終点(三崎東岡)に着いた。

とりあえず海岸を観たいのか、宿泊場所を確保するべきか、それさえも判断が付かずに幹線道路を右往左往していたら、さるタクシー会社の「詰め所」が煌々と明かりを付けていて、10人ほどのヒマを持て余した運転手たちが待機している。この期に及んで相変わらず港がどうのとぶつぶつ言っている連れ合いを無視して、宿泊場所の確保を優先することを決意した。タクシーを出して貰い、「油壺辺り」というあいまいな指示をして、とにかく「街を目指して走って貰う」ことにした。

そして、「宿泊できるよーなトコロはありませんかね」と落ち着き払ってドライバーに尋ねた。一瞬、運転手さんはあっけにとられたような沈黙をしたが、油壺にあるという何軒かの観光ホテルを目指して走ってくれることに。2箇所のホテルのロビーに寄ったが、「満室」。そのたびに僕は小走りにタクシーに戻った。その内の1件(民宿)には、親切にも運転手自身が当たってくれたりしたが、「やっぱり時間が遅いですからねー」と言って運転席に戻ってくる。

僕たちとしては、どんな種類のホテルかは問わなかった(最初から)。運転手の立場でいきなり「その手の宿泊施設」の前に止めて、「さ、着きましたよ」というのはサスガに気が引けるらしい。それで、「どんなところでも良いんですよ」とこちらからそれと分かるように念を押した。そして、ネオンのあるところを通過したときに、「あすこはどーですかねー。空いてるんじゃないですか」と促してみると、「いいんですか...」と運転手さん。「(こんな時間にこんなところをウロウロしている僕たちには)選択できる立場じゃないですからね。ちょっと戻ってみて貰えますか?」

すると、運転手はこう言うのである。「あすこは汚いっすよ。」ほう、きれいじゃない? 知ってるんだ...。それで、「三浦海岸の方はどうですか」と試しに訊き返すと、あるという答え。10分くらい走れば着くと言うし、まだ走行距離もまだ大したことはない。「そこいいっすよ」。そうして「そこ」に大いに期待して走って貰うと、美しい三浦海岸から房総まで見える東京湾の夜景が高台から見えてきた。すでに来た甲斐があったと言いたくなるような景色。

ほどなくして到着した「宿泊施設」は、海岸の波打ち際に面していて、とてもその手のものとは思えないような理想の立地条件なのである。しかも、ご存知の通り、この手の「素泊まり」は観光旅館や民宿よりはるかに「リーズナブルなお値段」である。期待に胸を膨らませて部屋に行く。

レースのカーテン越しにバルコニーが見える。そこでは、優しく絶え間ない波音がすぐ下に聞こえる。薄い雲の隙間から下弦の月が赤く輝き、海面を青白く照らす。遠く海岸線には明滅する夜景。そして月明かりにうっすらと照らされる静止したような遠くの大型船。まるで、正確に「ここに泊まるため」に無謀な小旅行を企てたかのようであった。

共犯者になってくれたタクシードライバーにはお礼を言いたい気持ち。サスガ地元の人!

部屋の作りもプロバンス風を装った簡素なもの。まったくケバくない。

薄ベージュの木製のフレームに入った鏡。



貝殻?をあしらったセンスのいいベッドサイドの装飾。たっぷりアロマの入った、ゆったりと身を横たえられる湯船。有線からはドヴォルザークの熱いピアノ五重奏が聞こえてくる。
そして…。

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自分の位置 (in terms of what?)

Friday, November 5th, 2004

>> むろん、自分の「位置」を見定めたからといって、それで何かが大きく解決するわけではないんだけど。でも、日常、社会的に、時間的に、つねに「自分の位置」を確かめているように、自分が地上の「どこにいるか」を確かめたい、という抜きがたい衝動が僕らにはある(いや、あんまり関心のない人も多いみたいだが、経験的に、20人に1人くらいはそういう欲望を持っている人がいる)。これは実は、わりと根源的に、僕らの自己同一性に関わってくるくらいの「衝動」に思える。「地図好き」は、日本で初めて「茫漠たる座標系の上での自分の位置を確かめつつ」列島を一周した伊能忠敬から連綿と続く、「地表系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「伊能組」。<<

「20人に1人」というのは、コリン・ウィルソンも言っているような、人類の約5%位のひとがソウだというアレみたいだな。(← 何のことかすごく分かりにくい)

その確率論はともかくとして、自分はその1人に含まれるのかというと、正確にはソウではないのかもしれない。だって正直言うと、地上の「どこにいるか」というのには、自分はあまり関心がない。だが、ある種の「自分の位置」には関心がある。たとえば、「(政治)思想的な位置」とか(笑)。だが、それよりもなによりも、一番関心があったのは、おそらく「時間的に」というヤツだろう。もっと言えば、「終わり」と「始まり」のある有限な人類史(歴史)の中の、どのあたりに自分がいるのか、と言うようなことだ。そして、それがありありと見えたことがある。

どうして、それが見えたのか。「見たかったから」だろう。それは、いしかわ風に言うと、根元的な自己同一性に関わって来るくらいの「衝動」だった。今はちょっと違う。見えたものは、もはや隠せない。フタはできない。だが、それを常に確認したいとは今は思わないのだ。

パロディ:「歴史好き」は、ギリシアで初めて「茫漠たる時間軸の上での自分の位置を確かめつつ」歴史を一望した古代ギリシアの歴史学から連綿と続く、「時間系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「ヘロドトス組」。

詩の言葉で語れ

Wednesday, November 3rd, 2004

「どこのどいつのことだい? あの人のこと? へっ? 確かに私もウソが多いと思ったことはある。」

しかし、何が一体ウソなのか? 何が一体マコトなのか? それを断定できる立場にいるのはいったいどこのどいつなのか? こちらで悪いものはあちらでは良い。こちらで良いものは、あちらでは悪い。臭いものは良いもので、良いものは臭い。あちらでもっとも美しいものはこちらで最も醜く、あちらでもっとも醜いものはあちらで最も美しい。弱さは強さで、強さは弱さの現れだし、男らしさなんてモノは女っぽさの現れだし、女っぽいものが、どんな男らしさよりも強さの現れであり得る。ウソでないものがほんとにあるのか? 誓っても良いが、聖人は、あの世では罪人だ。罪人はあの世では聖人だ。マーラーじゃないが、「生も暗く死も暗い」もホントはウソ。「生は暗く死は明るい」のかもしれず、その逆は、控えめに言ってもわれわれの生の中では「正」だ。

「ウソの多いあいつが不正直かって? ちょいとお待ちなよ。あなたが、ウソを生きていない「ホントのことだけの人生」を生きているのだと胸張って言えるなら、その言葉自体がウソだね。ウソだけで出来ていると自嘲するヤツがいれば、その言葉も信じるに値しない。」

「ウソとマコトが混ざりあって、「善と悪まみれ」になっているのがドラマ性。で、てめえの人生はきちんとドラマになっているか?」

おっと勘違いして貰っちゃ困るぜ。オレは「相対的な歴史観」みたいな浮き世の話をしてるわけでもない。

Trackback削除

Monday, November 1st, 2004

せっかくTrackbackがあったのに、文字化けしていた。その文字化けが原因で、携帯からページが閲覧できず、あえなく削除することにした。悪い気がするね。β版のせいかな。

Trackback実験・其の弐

Thursday, October 28th, 2004

これは実験。

今回は、確かに言われた(誰に?)通りに、記事の表示してある時のURLそのものを自分のblogの「トラックバックURL」の欄にぶち込んで投稿してみた。無関係者は何のことやら分からないだろうが、私自身がなんだか余りよく分からずに色々試しているのだ。なにしろblogってやつには謎が多い。

こちらのblogにトラックバックしてくれた人の記事は、こちらのblog上では「立派に文字化け」していて何と書いてあるか分からないし...

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“嵐”前夜?(Trackback実験・其の壱)

Tuesday, October 26th, 2004

AOLを去って、同時にスパムの嵐からも逃れられたのだが、めずらしく今朝までに一晩で2件のスパムメールが。嫌な予感。どうやって自分のメールアドレスを知ったのだろうか? blogを最近始めた友人のサイトの「分別ゴミ」でも言及があった。(実はこれはtrackback 機能の実験なんです。いろいろ昨夜親切にも電話で教えてくれたから。無理やりひとのblogにリンク貼ってます。)

さて、そのblogなんだけど、ひょっとしてblogってにその所有者のメールアドレスをひとに「憶測」させるのか? まさか…。いや、それはあり得ないことではないな。それとも、だれかが知らずに「洩らして」いるのか。あるいは事故で漏れているのか? そういえば、この間、あるひとの「告知メール」で思いっきりCCで送ってた人がいたよな。もちろん謝罪はあったけど、起きてしまったことはどんなに深刻でも不可逆なわけです。覆水は盆に返らない。誰にでも間違いはあるから、責める気はないけど、ひょっとしてああゆうのがきっかけになるのかな?こういうときの過失メールは送られた全員が、無条件に自分のパソコンから消去しなければいけないとか、送った本人が消去を全員にお願いするとか、せめてそれくらいのことはあっても良いかもしれないね。

何が原因であるにせよ、一度バレたメールアドレスは、ひとりでに消失したりすることはないので、それを所持している人が自ら破棄しない限り、ずっとどこかに残り続ける。とにかく、自分のメールアドレスは、このblogを含めて公開していないので、スパムが来ることは実に不思議なのだ。

それにしても、スパムを濾過するフィルターのお世話にはなりたくないな。設定がめんどくさそうだし。それを始めたら、真っ先に自分のメールが皆さんのパソコンからハジカれそうだしな。だって、「ご招待/お願い」メールがほとんどだから。フィルターでハジカれないような文面の開発や応用というのも、既にダイレクト・マーケティングの世界では「進化」し始めているんだろうね。ウィルスとワクチンの関係で、濾過する方の技術も濾過を通過する方の技術も、どんどん洗練されていくんだろうね。でもそれって終わりのない攻防になったりするんじゃないだろうか? 嫌な感じです。

「上野発、越後行き」の行方は?

Sunday, October 24th, 2004

先週の木曜と金曜の夜は、来週の週末予定している新潟の越後湯沢近くの一泊二日の「合宿」の前に、ちゃっかり「前泊」をするための調査でネット中を徘徊した。宿泊できそうな候補や電車の時刻表やらをプリントアウトし、ほぼ2日間朝方まで過ごした。新潟に関しては、まったく土地勘がなかったので、今回改めて地図を観たりして、どんな鉄道路線があり、どんな地名があって、またどんなところに泊まれそうなところがあるか、などなどをようやく覚え始めたところだった。だが、特に金曜の夜は調べるのに極端な疲労を感じて、「逆にこんな事をする意味があるのだろうか。いっそのこと止めてしまおうか」という自棄なアイデアに心を奪われ始めていたところだった。そんなとき、深夜を回った辺りで、突然長いこと忘れていた、ある「嫌な感覚」を覚えた。小学生や中学生の時にはよく感じたあの原因不明の胸騒ぎだ。

落ち着かなくなり、何をしても集中できない病的な不安感。そのとき、「地震が起こる」というほとんど確信に近い感覚を得たのだ。私は亜紀子に「地震が来ると思う」と言って何か準備をしようと提案した。

水をペットボトルに用意してもらい、寝室の枕元には普段おかないスリッパを用意した。大きな地震が来ればいろいろなものが床に落ちたり割れたものが散乱したりして足の踏み場がなくなるからだ。倒れて割れそうな額入りの絵を頭上から足許に移した。頑丈なダイニングテーブルを寝室の入り口近くまで持ってきて、いざというとき潜れるようにした。甘いものをまとめてビニール袋に入れた。余り意味はないと思ったが頭に被れる帽子も枕元に用意した。懐中電灯も。ベランダ側の鍵は開けておいた。それほどの大きな地震が来たら窓は全部割れるだろうからナンセンスだとは思ったが、すこしでも「閉じこめられる」事の恐怖から逃れるためである。これで何も起こらなければそれはそれで良いではないか。

そして、寝る前に揺れが来たときどこに逃げるかとか話し合った。

土曜日の朝は、それでも9時半過ぎに起床して地震が来なかったことに胸をなで下ろした。夜の暗闇で地震に遭うのは考えただけでも恐ろしかったからだ。土曜は町田の両親と甥に会う約束になっていたので、4時半頃ひとりで家を出た。バスの遅延で思いのほか時間が掛かったが、6時ちょっと過ぎに実家に到着した。家に近づくと、80メートルくらい離れたところから外の通りに出た母の姿を見かけた。こちらに気が付いたと思ったがそのまま家の中に入ったのを目で確認した。うちにはいるなり、「今大きな地震があった」と言った。「揺れを感じなかったか」と訊いた。「バスに乗っていたから全然気付かなかった」と応えた。父はテレビを付けて地震速報に釘付けになっている。暫くすると実家でもかなり大きな揺れを感じた。2度目だという。

震源は新潟。昨日の夜調べていた県内の地名が大写しになっている。新幹線が脱線しているという。時間を経るに従って続々と集まってくる情報を観ていると、どうも被害の様子がつかめていないことが分かる。

すぐに留守番をしてひとり自宅で仕事をしている亜紀子に電話をした。かなりに揺れだったという。土曜日の夜は、実家に泊まった。翌日(今日)の新聞を見ると被害の大きさに驚いた。亡くなった人がいる。行方不明の人がいる。交通が寸断されていて孤立した村がある。避難する人が増えている。電気が復旧していない。食糧が足りない。乗ろうと思っていた上越線にもかなりの被害が出ている。などなど。

大きな地震の震源は関東地方ではなかったが、来週予定している「合宿」先に近いところだったことが分かった。早ければ今日にでも上越線はあちこちで寸断されているという。予約しようとしていた上越新幹線も越後湯沢までの折り返し輸送になると言う。来週のことなど、あれほどまでして調べることに一体どんな意味があったのか。意味に転じさせることは自分次第か?

<地震予知>はもっともっと具体的で「正確」でないと、余り役に立たない。だから「備えあれば憂いなし」と言うのだろう。が、あれほどの大きな自然の猛威を前に、自分が自分のためにが備えられることは何か?「心の準備」くらいなのか。そんなことを、余震の続く新潟の映像を見ていて思った。

地震の夜、ひとりで留守番をさせた亜紀子に申し訳ないことをしたと思った。

安息の音楽(土曜日に投稿すべしこと)

Saturday, October 23rd, 2004

ベートーヴェンを聴いている、などと言えば「へえ〜何で今さら」という感じかもしれないが、齢(よわい)四十にしてやっと室内楽の深さと素晴らしさに気付き始めたのだから、私はまだまだツイていたというくらいのことなのだ。失われたマスターテープが再発見されたWestminsterという老舗レーベルから出ていた、バリリ四重奏のものが、現在CDで復刻されている。最近それらの素晴らしさに魅了されている自分は、片っ端から(とは言っても経済が許す範囲で)購入しているのだが、ウィーンの50年代の演奏家達が奏でる音楽性の魅力、フィデリティの驚異的な良さなどで、完全にどこかへ旅に出てしまうような時間が過ごせる。

私の特にお気に入りなのは、ウォルター・バリリというヴァイオリニストとハンス・カメシュというオーボイストである。特にバリリの方は、10代で戦時中にウィーンフィルハーモニックの団員となり、二十歳前にコンサートマスターになるという早熟ぶりを発揮したが、なんと身体上の問題で39歳で「引退」しているのである。私は39の時にバリリを知りようやく聴き始めたわけだが、そのとき既にバリリは引退していたのである。考えてみると、Westminsterで聴ける彼の演奏はほぼすべて20-30代で録音されているものだと言うことになる。

さて、話をベートーヴェンに戻すが、弦楽四重奏曲第14番というのがある…

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春です。ブログです。

Friday, October 22nd, 2004

春である。いや初夏と言った方が良いかもしれない。長く鬱陶しい梅雨が明け、やっとカラっとした初夏がやってきたのだ。しかし、カレンダーはこれからどんどん寒くなる冬をまっすぐに指している。日は短くなってきているし、すぐに傾く陽光はやはり秋を思わせる。自分は、気が引き締まる冬が好きなのだが、ひとつの季節(夏)が終わるのは、それはそれで寂しさを覚えるのだ。

ヨーゼフ・ロートの『放浪のユダヤ人』エッセイ集を読み終えた。これは、終生の宝のひとつとなる本だ。どのページを繰っても出てくる出てくる知恵の数々。

ブログって一体どんなモンなのだ? あちこちの説明を読んで廻っているのだが、アタマがわるくってどうも要領よく分からない。だいたい「ぶろぐ」って何の略なんだ? 気持ち悪い。そんな英語あったっけ? ALCで調べてみたら、Weblogの略だとか。Webのログ(記録・日誌)ということか。なんだ。そうならそうと言ってくれよ。なんの変哲もない説明だな。なんかすごい意味があると思ったぜ。でもWeblogから「We」が取れたわけだ。だからみんながウェブログ始めたら「We blog. How about you guys?」とかも言えるわけだ。「We Weblog.」じゃ、なんかシマらないよね。 ALC辞書によれば「to blog」は、動詞だし、「blogger」(ブログするヤツ)とかいう名詞も出てきている。暫くしないうちにオレは、完全に置いて行かれたなあ。

あと、どう普通のBBSとblogが違うのかがよく分からないね。カレンダーのようなものが付いていることか? 恐らくそんなことじゃないんだろうな。リンクが張れることがblogなのかな。でも普通のBBSでもリンクぐらい張れる。誰か相手に「おまえについて書いたぞ」って言うくらいなら今だってやれてる。どう違うんだよ、blogってサ。そうそう、Pingって何なんです? 潜水艦が海底で敵が辺りに潜んでいないかどうか、音で「ピーン」って打つヤツだよね。相手がそこにいるのが分かるけど、自分がここにいることもバレる探知機ね(ずいぶん前に『沈黙の艦隊』読んだからね)。でも、blogの「Ping」って誰から誰に送られるんですか? どういう風に? 受け取った方は「おっ、Pingが来た」って分かるようなものなのか? 「おっ、“コーン”が戻ってきた」って送った方も分かるようなPingなのか?それとも、「Ping」は、勝手に何か人間に非ざるモノが受け取って何かをするのか? Trackbackってなんだよ。普通の「コメント」とどう違うの? どうしてコメントとtrackbackのふたつが別々になっているんだろう? よく分かんない。ALC辞書によれば:

track back

【名】 《イ》トラックバック◆別々のサイトにある Weblog(または blog)において、互いに関連する記事同士をリンクさせる機能。

だとさ。でもどうして記事同士がリンクするんだろう? 自分でやるの? それとも自動に? 「はてなダイアリー」とか見ていると、なんかすごいリンクだらけになっていたりするけど、あれってなんかの役に立つの? ちょっと意味のないリンクが多いように思うけど。文節が変なところで切れているしな。あ、あれは用語glossaryか...。ふ〜ん。

とか何とかブツブツ言いながらblogを書いているわけですが、「blogって」いて自動的に何かが起こるくらいなら、もう何かが起きていても良さそうなモンだけど、何も起きないね。

あと心配なのはさ、blogってあらゆる人々の「自発的・個人情報提供システム」っていう意味もあるよね。読んでいる本なんかや思想的傾向も全部公開しているわけだしね。思想や信仰で人を取り締まるんだったら、blogで調べればあっと言う間に芋ズル式だよね。オレなんかも危ないね。アア、こまったこまった。