Archive for July, 2005

縁の不思議

Friday, July 15th, 2005

先日、カール・ベアストレム=ニールセン氏の短い東京訪問と彼とのインフォーマル・セッションについて書いたが、驚いた事に、小宮暖さんの名前をセッション時にカールさんが言及したために私が小宮さんに個人メールを書き、今小宮さんが東京近郊にいるのかどうかを訊いたところ、驚いた事にNYを引き上げ帰国していることが分かった。日本で音楽療法で本格的な仕事の基盤を築こうとしているとの事。

だが、カールさんをNYで紹介された小宮さんがカールさんと連絡を取ろうとして、訪日先が関西である事を知って諦めた彼は、カールさんが急遽東京に来た事を知らず、私は小宮さんが帰国している事実を知らず、木下さんはカールさんが何者なのか知らず、先週末何が起きていたのか、全体として理解している人は3人の中で誰もいなかった、というおかしな話。だが、3人がそれぞれが1本の糸のようなもので結びついていた事が今回判明。これを小宮さんと往復書簡をしている木下愛郎さんが面白く書いている。

これは、今後の出会いがもっと面白い事になりそうな事を予感させる「前振り」だったと私は思うのである。

木下さんのblogの記述の中で、事実関係的な訂正があるとすれば、「日曜日に一緒にステージをやった」の部分で、やったのは荻窪グッドマンを借りての「インフォーマルなセッション」であった。ライヴをやった訳ではないのです。一応念のため。

中島淳一の独り芝居:その人に相応しいものに成るということ

Tuesday, July 12th, 2005

7/12(火)。噂に聞いた“多極 美術家”の中島淳一氏の<独り芝居>。その「マクベス」東京公演を東京芸術劇場にて観劇。芝居そのものが、長らく親しんで来たものではないが、梅崎氏達との出会いを通じてついに観に行く事に。

これが「演劇」と呼ばれるものなら、その<劇>は年に一度とかではなくて、週に一度でも!と思えるほどの感動と親しみを覚えるものだったし、これが「独り芝居」と言うものなら、こうであって欲しいと自分が勝手に願っていた「個人が達成できる表現の理想」をすでに実体化しているものだった。このような夢を実現してる人間を間近に見、その人の呼吸を、言葉を、そして冗談や笑い声を、同じ空気の中で共有し、また自分も共に笑い、楽しんだということは、ほとんど夢のようである。最近、立て続けに起こっている「学びを伴う贅沢」のダメオシである。

とにかく自分の貧困な想像を、さまざまな意味で裏切ってくれた<芝居>だった。こうした裏切りは、もう驚きを超えて痛快なのである。

始まるまでは、最初から最後まで中島淳一氏がマクベスひとりを演じる「独白もの」なのかと、ちょっと想像したりもしていたのだが、左に非ず。シェイクスピアの「マクベス」に登場する主たる登場人物、すなわちマクベス本人、マクベス夫人、ダンカン王、マクベスに仕える士官、などなど、「本筋の語り」に必要な人物をすべて「一人で演じ分ける」と言う、いわば落語家が一人で何役もこなす、というのに近い芸である(奇しくも後で、その昔落研にいたことも判明)。しかも中島氏は、おそらくマクベスにこそ相応しい唯一の衣装を身に着けて、それを変えずに最後まで、演技と声色だけで幾人もの登場人物に成りきる。そして、その人物の変転にも中島氏の演技の妙がある。そして、華飾を省き、エッセンスは逃さない、という実に個性的で簡潔な脚色が、その魅力だった。しかもその脚色は、後から本人に聞いた所によると、オリジナルにない解釈や付随のエピソードまで含むものであり、しかもどんどん本番中にアドリブされているものであり、原作をよく覚えていない私などは、「ふ〜ん。そういう話だったかな〜」と容易に騙されてしまうのである。こういう「高度な騙し」に騙されるのは全然悪い気がしない。それだけ、「中島淳一の世界」に連れて行かれてしまっているのである。

中島淳一氏の言葉

最初に、中島氏が英語(原語?)のセリフを喉から絞り出すのを聞いた時、「おいマジかよ、まさか最後まで英語でやるの? だとしたらそいつはツライな〜」と正直思ったのだった。しかもシェイクスピアなので、2,3時間の独演は普通だろうと勝手に想像していたこともあり、そうなると「かなりの集中が要するぞ、これは!」とちょっと覚悟を決めかけたのだが、そういうことではなかった。後で御本人にそのことを話したら、やるたびにあちこちで同じことを思われてきたようで、最初の「一瞬の誤解」を楽しんでおられるようでもあった。確信犯なのである。しかも彼が英語のセリフをまわすことには、それだけでない必然性があるようだ。「自作英詩の朗読」というのが、彼の音声関連表現の始まりであったとも聞き、彼が「英語を選ぶこと」についても妙に納得をする。

なぜ、妙に納得をしたのか。ここで自分の話をするのは本来不適切なのだが、敢えて書くと、自分も日本語で「詩らしきもの」を書き始める以前、最初の「それ」は、留学中に英語で書かれたものだった。それは、滅多に人前で音読されたことはなかった(機を逸したと言っていいだろう)が、英語で書くことしかできない内容だったし、それを日本語に「逆翻訳」するなどということは、当初思いもつかないことだった。それらは英語で出来上がったのだし、英語を母語ではなくひとつの「記号」として、それらの持つ強い日常的意味や通常の単語運用に囚われることのない外国人として、純粋に「詩的」なツールであったのだ。中島氏が「自作英詩の朗読」から始めたというのは、だから実感できることなのだ。

中島氏の声色(こわいろ)の七変化には感動を禁じ得なかったが、そういう技術的なことの前提となる、その根本的な声質と言うか、舞台上で発声される響きのある<音声>自体が、黒く太い骨格とそれの描く鋭角な線に虹色の縁取りがされた「あれ」であったのだ。

そして、オーボエソロの本間正志氏が、この「独り芝居」の音楽担当。本間氏は、留学中に私がいろいろお世話になったオーボエ奏者のH君の師匠であり、多くの本間氏の「教え」を間接的に彼を通して「体験」していたのだ。が、このたびは、その師匠ご本人の「お出まし」なのであった。

梅崎氏の“ケルビーム部隊”が本公演を全面バックアップした。その梅崎氏が中島氏と深くつながっていて、中島氏が本間氏と20年来の「腐れ縁」なのだという(そして古楽合奏団のオトテール・アンサンブル「ぐるみ」のお付き合いでもあるらしい)。嗚呼、どこで誰がどのようにつながっているものやら! その辺りのいきさつは公演後の打ち上げで、おもしろおかしく聞かせて頂いた。

本間正志氏はフラウト・トラヴェルソの有田正広氏と並んで押しも押されぬ日本の古楽器界のパイオニアの一人であるが、中島氏の「独り芝居」ではモダン楽器による演奏(最近はモダン楽器の演奏が中心と聞いた)。それは4時間前に完成したという「自作曲」であり、したがってその音楽は「記譜」さているのだ。実は、これが私にとってこの夜の最初の驚きで、2つ目の意外さは、オーボエと台詞のリアルタイムの「インタープレイ」を見せるというのではなく、劇の始まりと終わりに来る挿入曲的な音楽のあり方だったのだ。

本間氏のパーフェクショニスト的なアプローチや古典楽曲を追求する、人を容易に寄せ付けないかの美学を思えば、記譜された音楽を音符の告げる通りに(つまり自分がプランした通りに)演奏するというのは、まさに必然として理解できることなのである。ただ、私の浅薄な思い込みが、私に驚きをもたらした。そして、音楽自体の完成度の高さには舌を巻いた。しかも、それを完璧に演奏するための修練も技術力もある訳だから、本間氏にとって、「それをもう一度やる」ということになれば、それを何度でも「再現する」ことができるはずである。

中島氏の演技との劇中におけるインタープレイや即興の可能性については、お二方は当然検討したらしい。だが、今のところは中島氏の演劇の内容を尊重すればこそ、安易に採用できないという事情でここまで来たらしい。それはそれでまた理解できることなのである。

これは、即興を主たる創作音楽の方法として採用してきた自分にとっても十分に考察することができる問題提起である。特にテクストとの共演に関しては、即興の匙加減というのは常に検討課題なのだ。うまくいったときは、「作曲の効果」を容易に凌駕する結果があるが、失敗は相当に悲惨な場合がある。実に即興においては成功と失敗はコインの裏表であり、リスクとは背中合わせである。

本間氏、最近は古楽器演奏の頻度は下がっているようで、むしろ都響の有志メンバーで作っているスイングジャズのビッグバンドでサックスを吹くという「不良な趣味」にご執心なのだそうだ。また、その日アンコールで演奏された「独り芝居:吉田松陰」のための音楽の秘密を譜面を見せて教えて下さった。

独り芝居と観ている間、学生時代にスコットランドを通過した際に訪れたインヴァネス近郊のコーダー城を思い出していた。マクベスの生きていた11世紀には現状のような城はなかったらしく、訪れたコーダー城自体は18-19世紀に「復元」されたものらしい。あの物語の舞台になったスコットランドは、牧草と花の生い茂るひたすらに静かな平原野であり、そこであのような悲劇が起きたことを想像するのは難しい。いろいろ実在のマクベスについて調べてみると、マクベスとダンカン王との確執は、暗殺ではなくて戦場における実体的な戦闘によって勝負がついたのが真相のようで、シェイクスピアの戯曲自体がすでに史実から遠いフィクションであることが分かる。シェイクスピアは謀殺(殺人)を現世におけるひとの生きる手段としたときに、その人間に降り掛かる事の顛末という普遍的な因果の悲劇を描くにあたり、実在のマクベスや彼の生きた場所、そしてそれにまつわる伝説を作者は利用したのだろうと想像される。

虚言にして箴言。虚構にして普遍。中島淳一氏は、現代の独演狂言師(虚言師)と呼びたい真の創作家だ、と思った。

中島氏にしても本間氏にしても、何を実践しているのかという具体的内容云々ではなく、その人物の人間性や大きさに相応しい存在に成るということ(すなわち「真の成功」)、一見単純そうで、それこそが人生の大問題であるところの到達し難い「自己実現」を成し遂げている人物の心のありように、最も大きな興味を抱いているのである。だからただ羨望の眼差しを投げかけるのは、もうやめなのだ。

静かであることの「強制力」と「音への愛」
あるいは「即興演奏」という名の別領域への扉

Monday, July 11th, 2005

ある種のセッションでは起こりうる(起こりがち?)ことだが、絶対に特定のメンバーが全体の中から「突出」することを許さないような「静けさ」をもった集団即興というものがある。あるいは息ができないような緊張感を伴う静寂というものがある。だが、昨日のそれは、ある意味で「厳しさを伴った愛」のようなものであった。あるいは愛が基盤としてある厳しさとでもいうものであろうか。しかし、その「厳しさ」は、われわれに十分に息継ぎをさせるものであったし、演奏態度を通して共演者に暗黙に伝えられたものであった。そして奔放な「愛」は、紡ぎ出された一つ一つの音自体の襞の奥へと向かう。そしてその音を聞き逃さず、慈しみ愛することが演奏者相互の尊重と敬愛へとつながって行くのだ。

これが、日曜日に行ったCarl Bergstroem-Nielsen(カール・ベアストレム=ニールセン)氏との「インフォーマルな即興セッション」であった。

参加者:

カール・ベアストレム=ニールセン French horn, 鍵盤ハーモニカ、prepared harmonica, voice, etc.

池上秀夫 bass, voice、モリシゲヤスムネ cello、そして自分 voice, oboe, English horn, piano

場所:荻窪グッドマン

思えば、私はそもそもいわゆる「爆音系」の即興には縁がなく、あまり関わってこなかったが、それでも今までは身体的には比較的「厳しい(激しい)」ことを中心にやって来たものだと思い返された。カールさんの即興スタイルは、そういう「ギリギリの淵」で演るような即興でない「即興」という別側面がこの世にあるのだ、ということを(考えてみれば当たり前なのだが)改めて知らしめてくれるものであったように思われるのである。

カールさんとの即興セッションは、その点、「静か」ではありながら「凍り付くような緊張」というのからも、ほど遠いものだ。静かであり、しかも優しい持続力なのである。そして、長過ぎず短すぎずの各セット。私にとっては、音楽というもののあり得る形のひとつを、図らずも「療法系の即興者」から教わったという感じがしたのだったのだ。繋ぎ目なく複数の楽器をふわふわと渡り歩いて行く彼の演奏のスタイルも、一つの楽器でやれることの「限界」を追究し自分を追い込む、というようなストイックで求道者的なものではなく、あくまでも無理なく、ひたすら自在に、花から花に移り渡って行く蝶のように演奏して行くのだ。

自分のやれることや自分の身体が要求する即興のスタイルというものは、そう簡単に御破算になるものではない。当然の事ながら即興にもいろいろな方法がある。演奏者は、大なり小なり結局自分に一番あったスタイルというものに逢着するだろうし、あるいは自分にあった気質の人間同士がグループとして集まるのである。しかし、自分は、異世界からやってきたカールさんとのセッションを通して、自分が主たるテーマとして追求してこなかった即興のフィールドというのが、わずかに開けられている扉から見えるひろい田園風景のように見えた気がしたのだ。

彼とのセッションを終えたら自宅に招待し、ワインを飲みながらの食事会となったが、その際も、カールさんも自分にとって未知なるものへの純粋な好奇心のアンテナがずっと動き続けているのが分かった。私たちはおそらく彼の知らないものを見せた(聞かせた)のだし、彼は私たちの知らないものを控えめに見せたのだ。それは、「この音を聴け!」と迫って来る「物量」や「音圧」を通してではなくて、主に「このか細い声から言葉を拾って欲しい」と控えめに置かれる音の「肌合い」から声を掬いとってもらおうとでもしているように、少なくとも私の追求して来た方向性とは明らかに異質なものだ。それを「自分の形式」と異なるもの、として退ける事は簡単なのだが、そうしない者にだけもたらされるギフトというものがそこにはある。

「音楽療法: music therapy」におけるある種の「セッション」というのは、数年前に「音楽療法」の世界に一時的に足を突っ込んでいたある近しい友人から、その概要を見せられたり聞かされたりした事があったので、なんとなく知っているような気がしていたが、カールさんを通して、ある種の効能のようなものを自分は遅ればせに部分的に体感したのではないか、と思われた。

デンマークの大学で音楽療法士を育てるクラスを持ち、ご本人も「療法」を必要としている「クライアント」相手に音楽療法を実践しているカールさんの立場から推し量れば、セッションをやる相手が「音楽家」(音楽専門家/即興演奏者)であるかどうかというのを、良くも悪くも一旦白紙にして先入観なしに接しようとしているようであり、したがって一律にクライアントの類として「診られて」いる面もあるのかな、などと邪推してしまう瞬間もあった。その点で、正直、ややある種の「居心地の悪さ」を感じたのだが、逆に、私が「どのようにホルンを吹くに至ったのか」を尋ねた時に(要するに、プロのホルン奏者としてのキャリアがあるのかを私が思わず聞き出そうとしてしまった時に)彼が感じたかもしれない居心地の悪さを今は想像しているのである。何故なら、それは療法家としては出ないだろう種類の質問、つまり「音楽家」の立場を取る人間からこそ出がちな典型的な質問の類だっただろうからだ。

しかし、そうした互いの互いを推し量る居心地の悪さは、セッションの録音を聴き返したり歓談を通してほとんど雲散した。即興を日常的に実践しているという自負のある私(たち)には、こうした講義者と受講者の間にありがちな関係の中での出会いはやや不利であったかもしれないが、それは時間が容易に解決する事であろうと思う。

今度再会する時にどのような展開になるかが今から楽しみである。

また、今回の件ではカールさんを紹介してくれた岡部春彦さん、そして大いなる心砕きと気遣いを発揮して下さった池上秀夫さんには、大感謝である。

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単純化を回避する「言語化」の試みあり

Friday, July 8th, 2005

実にいろいろなことを学ぶことの多い木下愛郎氏のエッセイを読んだ。こういうのを読むと、あらゆる事態を言語化しようという人類の努力(大袈裟!)や知性に希望さえ覚えるのです。

木下氏の論旨をまとめると、こんなことを言っているのかもしれない(私のバイアスが掛かっているのは当然です)。

言葉にならぬものを扱う現場(ここでは音楽療法の現場)で、「言語化」をしなければならない局面がある…。政治的な観点から特殊な分野のありかたを「語ってしまう」ことができる…。確かに、あらゆることの「問題点は政治なのだということを立証している」にも関わらず、政治的文脈から語って事足れりとするのは片手落ちだ…。既存の学術用語などの借り物の言語を操ることで自らを語れると思い込めば、別物によって僭奪されてしまうそれぞれの創作分野(ここでは音楽療法)独自の精神がある…。現場には現場における独自の言葉を獲得(奪還)して行くしかない…。

などなど、実に「なるほど!」と思うことが多い。しかも最近ずっと考え続けているテーマとオーバーラップする部分も少々あった。

以前からもそう思って木下氏のエッセイに親しんでいたが、このようなことを読んでいると、実に「音楽療法士の国家資格化」や「音楽療法とは何か、○○とは何か、云々」にまつわる問題は、あらゆる他の分野(創造的行為)における課題を如実に現す「リトマス試験紙」のような気がしてならない。

こと音楽療法に関しては、「国家資格化」あるいは「目的から逸脱傾向のある権威としてのみ働く協会の存在」という火急の事態が浮上しているために、その分野内での様々な動揺が刺激となって、結果的に様々な議論(本質論、政治的解釈論を問わず)が巻き起こっている。その点ではやや「特殊」かもしれない。さらに、正直言えば「音楽療法」という世界自体は、自分の生きている世界とは別のものだ。だが、そこで起きていることの問題や困難には、どうしたって「一般」的な側面(もっと大袈裟に言うと、人類の諸活動に付きものの「普遍的課題」)があり、やはりさまざまなところで起きている「本質論者が経験しなければならなくなる困難」の典型的雛形があるように思えるのである。もちろん、こんなことを書くことで、「音楽療法分野」にすでに起こっている紛糾を更に複雑なものにしようなどという意図はない。あくまでも私自身にとって「見出される課題」について語ろうとしているだけだ。

ただ、国家資格化の関して一点についてだけ言えば、私自身にも木下氏がまさに指摘するような、政治問題(ある“産業”分野や新規領域への国家権力の介入)として観ようとしてしまう癖(へき)は否定できず、木下氏が語るような「別文脈」の視点によって足をすくわれがちな典型的人間の一人かもしれない(しかし少なくとも自覚はある)。加えて、「いまこそこの課題を音楽療法そのものに取り戻すべきだ」と語っている木下氏の意図からも大いに逸脱してしまうかもしれない。これは、どこまでいっても自分は「音楽療法」という分野の当事者として語ることができないから、ではある。だが、音楽なら音楽、詩なら詩、映像なら映像、などなど、それぞれの創造的分野において(「国家資格化」の問題はないにせよ)当事者がそれらを言葉を介して語り始めるときに、政治的文脈やアカデミックな専門用語なしに「それ自体について独自の言語で語る」ことは容易でない。こうした問題には、普遍性があるし、大いに自分の課題として「そこ」から学ぶことができるのだ。

つまり、自分のやっていることの存在理由(raison d’etre)、に関わる大問題なのだ。そのテーマ自体が言語的なものであれば、言語化に邁進すれば良いだけの話だが、分野における主たる活動が「言語に非ざるもの」を基盤に行なわれているとすれば、「それの価値や意味をみなに分かるように教えてください」という質問や要望に応えるのには、大変な困難の克服と労力が求められるのだ。これに関しては別のエッセイで似たようなことを最近書いた

それにしても困難とは、自分のやっている「専門分野」の「価値」が、やっている本人にしか実は本当の意味で実感できないことにある。むろん、その行為は自己完結している訳ではなくて他者との関わりにおいて成立するものであれば、それをありがたがる人がいさえすれば、その価値の「証明」は比較的容易い。だが、その価値の恩恵を受けている人自身が、その体験を「言語化できない」とすれば、いずれは、「いったい誰がそれをありがたがっているのか、それには意味があるのか」という根源的な疑問に出会ってしまう。例としては不適切かも知れないが、客観的にはほとんどインチキであろうとしか思われないようなイタコのおどろおどろしい「お告げ」でも、その告げる「亡父の言葉」を聞いた未亡人が「救われてしまう」ということは現実としてあり得るのだ。患者(もしくはクライアント)と言われる人が、観測上「癒され」れば、あるいは実験室でその「癒し」を“再現”できれば、治癒の「証拠」が科学的に共有できる。だが、一回性の真実として経験される内的な事件が、まずそのようなものであるはずがない。したがって、なんらかの意味でなら「癒された」かもしれないクライアントが、それを言語化できなかったことを根拠に、療法士のやったことは無駄だったと言えるのか? そうではあるまい。

場合によってだが、私には、同じようなことが音楽や詩や映像作品にも言えるような気がしてならない。極端なことを言えば、それに救われた人が「救われた」と証言しなければ音楽や詩や映像作品には価値がないのか?(否!)あるいは音楽家や詩人や映像作家の存在理由はなくなるのか?(否!)あるいは音楽や詩や映像作品を作る人たちが「協会」や「学会」なるものを組織して、全体的にひとつの価値基準で以て、一挙に、それぞれの存在価値に対して判定が下されるべきなのか?(否!)もちろん、否である。むしろ、人間の怠惰が巣食い、責任の所在が曖昧になりがちな「協会」や「学会」なるものは、総じて警戒すべき対象なのだ。それは分野の多様性や個々の独自性をまったく単純化して言葉で語られることだけを抽出して終わらしてしまう教条主義に至る道なのである。その果てにあるのは、「権威」を必要とする資格を持った一群のプロをこしらえるだろうが、木下氏が自身の<音楽療法>のセッションを通して体験するような特別で貴重な何かをごっそり捨て去ってしまうかもしれないのである。これは、ある種の怠惰なひとびとをうまく篩い落とすかも知れないが、エッセンスすらも捨て去ってしまう。いわば「洗い桶から汚水を大事な赤ん坊と一緒に流してしまう」愚挙に等しいのだ。

ここで、分野における活動家が自らの言葉を獲得して、「存在理由」を明かし、あるいはその体験の内容を共有するということが必要になるように見える。分野によっては、その特有な手法(言語)以外の言語が確立されなければならないことになる。

音楽家が音楽家であることを、音楽以外の言語を以て語らなければならないとは思わない。詩人が詩人であることを、論文で証明しなければならないとは思わない。映像作家が映像作家であることを映像以外の方法で証明しなければならないはずがない。その点については、残念ながらおそらく音楽療法とは根本的に違う。官僚達が考えるように、「療法」と呼ばれるものが、その効果を自ら証明しなければならない、という事情の一面は理解できる。だが、それらは、ある種の必然的な時代の要請によって同時多発的に今日の文明世界のあちこちで起きた。不幸にも、それが外的な何かによってその存在理由を問われたため、「自己説明」をしなければならない状況におかれている訳である。

木下氏にとっての<音楽療法>とは、それ自体が自らを説明する必要さえ認めない表現芸術のようなものであったのだろうと私は想像する。つまり、それ自体がその価値を語っているではないか!という類のものである。体験した当人が、そしてそれをオーガナイズした自分が、その価値を実感しているのに、それ以外の何が必要なのであろうか!という叫びである(誇張があるけど)。だが、それだけで済まされない事情と苦悩がここにはある。

ここにある苦悩は、音楽家が音楽の価値について、詩人が詩の価値について、言語化しなければならないというような「未来的な不条理」を想像すると、やっと了解できるかもしれないものだ。

いずれにしても、木下氏の深い思索と一般と異なる発想が、大多数のそのように考えない人々との間で本質的な摩擦を起こしているのは想像に難くない。彼が現実的な人間との関わりの中で、どのような「語り」を続け、それがやがてはどのような「理解」を得るのか、というのは、私にとっても大いなる関心事であり続けるのである。

閑話休題:

「図らずも」というか、「念願の」と言うべきか、現在あることをきっかけに特定の映像作家の作品論や作曲家の作品論を書き始めており、ある種の「言語化」という課題そのものに正面から取り組んでいる。そのために、木下愛郎氏の文章がどうしても特別な意味を以て自分には意識されてしまうというのもあった。

ただし、私の不相応な「試み」は、ある創作分野の当事者が当事者の言葉で自らを語るということとは、実はまったく180度方向の違う問題なのだ。ここで私が通過しようとしている「困難」とは、具体的にはG・マーラーの音楽やA・タルコフスキーの映像作品など、「すでにもうその価値がほぼ無条件的に社会から受け入れられている」創作物に関してであり、さらにはそれぞれ音楽自体の価値や映像美自体について今さら論じるのではなく、それら「作品」が指し示す外在的なテーマや共有する意味(普遍的題材)が歴史上あり続けたことを敢えて論じようというものだ。理解・共有しうるのだということを証した上で、その具体的内容についても論及しようと考えている。

つまり、多くの既存の作品に関する「言語化」は不可能であって、そもそも「不要」であるという一般的通念にあえて挑戦しようとしているのである。もう少し正確に言えば、音楽や映像作品について語っているようで、その実、それはそれらが共通して取り扱っている<普遍的題材>の実在について繰り返し仄めかそうということに過ぎないのかもしれない。(むろん、今回はつとめてその「仄めかし」のトーンを落とし、これまでになかったような明瞭な方法で書いてしまおうと思っているのであるが。)

日本の政治を分かりやすくする

Tuesday, July 5th, 2005

郵政事業民営化法案はたったの5票という僅差で本会議で可決された。そして参議院に送られた。「今日」という日は、日本の「普通の人々」が身を粉にして働いて稼ぎ出した、言わば「タンス預金」もしくは「財布」にあたる一般家庭の資金(郵便貯金)が、アメリカ合州国の禿鷹たちによって自由に狙ってもらうために、献上金として差し出されるわけで、今日はその第一歩を踏み出した記念日となるだろう。

これについては何度か書いたので、あまり付け加えることはない。あるいは、窒素ラヂカルの笑劇「郵政民営化」が参考になる。

一つ言えることは、国民のなけなしの財産にあたるこれほどの「貢ぎ物」をしても、合州国政府は日本に安全を保障するどころか、これまで以上の義務と労役を強いてくるだろうということだ。しかも、その義務と労役が誰のために行われるのかということもほとんどの人には無自覚なまま。極東に於ける国家間の政情不安定の「演出」も、実質的な戦争も、アメリカの国益という都合から体よくコントロールされるという事情にも変わりはなく、日本国内では日本の国益*ではなくてアメリカの国家を支えるために、これからは、もっと時間外労働が増え、労働災害も過労死も増加の一途をたどり、アメリカ並みの「勝ち組」「負け組」の貧富の二極化に陥る可能性が高い。

* 「国益」でものを考える人たちにとって重要なはずだ、という意味で。

日本国内においては本当の「敵」はいない。日本においては、本当の敵であるアメリカの政権に対して「協力派」と「非協力派」がいるだけである。今回の郵政事業民営化法案の本会議可決を巡って明らかになったのは、敵であるアメリカに対して協力的であろうとする側と非協力的であろうとする側に国会自体が真っ二つに分かれたということである。その差は僅かに5票である。これは極めて象徴的なことである。

ここで明らかになったと思うのは、日本の政治は自民党とその連立政党、そして非自民という諸政党との対立を軸とした本質的な「政策」による二極化ではなくて、アメリカに対して協力的であるか非協力的であるかという、政党を超えた二極化が本来のあるべき姿であるという事だ。私はそもそも二大政党制など日本に住む人々のための何の効力も感じないし、危険な政治体制であるとしか思わないが、もし日本の選挙権保持者がほんとーに「二大政党制」を望むなら、アメリカ協力党(親米党)とアメリカ非協力党(反米党)の「二大政党」であることですべては明白にすべき(なる)と思う。日本に於ける政策というのは、「日本人の日本人による日本人のための政策」と「日本人の日本人によるアメリカ人のための政策」の2つに大別されるわけだし。

言い換えれば、アメリカの実質的な属国として親米路線を現実的であると考える「協力派」とそれをなんとか乗り越えようとする「非協力派」によるそれぞれの政策運営があるということに他ならない。だが、そうした「本来あるべき姿」の政局が、実際問題では、さまざまな政党が様々な政策を立案し、それが複雑に絡み合うことによって、そして自由民主党内の親米派と反米派の恥ずべき混在によって、まったくもって不明瞭になっている。

37人の反対票と棄権・欠席をした自由民主党員は、自民党の再生などという小さな大義の旗を振るのはさっさと止めて、非自民への大合流を果たすことで、本当の日本の政治改革を実現すれば良いのである。

賛成233票

反対228票

良い二大政党の雛形になると思うが。

「書くこと」は「音楽すること」と比肩できない

Monday, July 4th, 2005

私がものを書くのに熱心なのは、もちろん書くのが(喋るのが)好きだという「気質」のせいだと言うこともできる。だが、それは一面的で、一方で、「ダテや酔狂でやってるんじゃないぜ」という気概もあるし、使命感もある。文章の大半は、「書かないで済んだらそれに越したことはなかった!」という思いも強く、それがむしろ書くことの前提だ。つまり、「この世のあり方」に対する自分の反応であり、怒りの感情もあり、また不条理を「不条理だろ!」と言わないでいることに我慢ができないから、というのが書く理由である。これは権利だけの問題ではなくて、「(少しでも何かを)知っている者」の義務でもあるのだ。私がこんなことを書かなくてよい世の中になればその方が良いのだ。でも、そうはいくまい。

だから、私が書くという行為を、「そんな時間があったら、練習したら? ○○したら?」というのはぜんぜん見当違いな見解なのだ(だれも言っちゃいないって?)。それを言うなら、まず、私は練習をしているぞ、と言っておきましょう。それが最初の見当違い。第二に、どこぞで火災が起こっていて火の粉がこちらにも飛んでくる、しかもどんどん延焼しているぞ、という状況のときに、「練習したい」もないだろう(だからこそ、練習だと言うなら「練習したい」じゃなくて、練習「すれば」良いだけのハナシだ。)

「私が書く」というのは、火の粉を払う行為なのだ。世界は燃え始めている。みんなで24時間3交代で絶え間なく消火活動をしたって収まらないような状態になっている。それでも自分の休憩時間に、真っ黒いすすのついた顔のまま、酒でも飲みながら、ギターをかき鳴らしてみんなで歌おう、というような瞬間があってもいい、とは思う。練習していて、その間に焼け死んで良いと言うなら、それは一つの閉じたヒロイズムだし、それならそれで立派だ。でも、消火活動しながら時として自分の笛を吹く、というのが私のおかれている状態だと言っても良い。

実際問題、書かねばならないこと、言葉にしておかなければならないこと、などいくらでもあるし、そのために自分の持てる寸暇を惜しむという生き方だってあるのだ。

それよりも断っておきたいのは、一見私は「書いてばかりいる」ように見えるかもしれないが、とんでもない。書くのと同じくらいの時間を掛けて本を読み漁るし、人とも会うし、ライブにも力を入れる。練習もする。そして映画さえ見に行く(それが<文学>である限り)。そして何よりも、飯を喰うための仕事に膨大な時間拘束されている。それでもなお、「忙中閑あり」で、15分でも手がすけば、その時はもう何かを書いているのだ。10:30pmを過ぎれば練習したくてもできない。拘束されている時間に手がすいても笛を吹く訳にはいかない。だが、電車を待っている時の5分、乗っている時の15分、昼休みの30分、風呂が沸くまでの10分、寝床に就いてから眠るまでの10分、と、バラバラに分断された時間の間隙を縫って「書く」ことはできるし、読むことはできる。

そして実際に、そういう「涙ぐましい努力」の上に私の文章はあるのだ。ということを知ってほしい…と言うか、思ってしまうのである。

とにかく、われわれには時間がないのだよ。

と、これを書くのに10分ほどしか掛かっていないのである。(信じがたいかもしれないが。)