Archive for November 12th, 2004

ソロ・パフォーマンス「衒学のためのレクイエム 01」

Friday, November 12th, 2004

やや尚早とも思ったが、ダブルリード(オーボエとイングリッシュホルン))だけを使ったソロパフォーマンスに踏み切った。このシリーズを今回から「衒学のためのレクイエム」と名付けた。今回はライヴとその第1回を終えて感じたことを忘れる前に記録しておくことにして、「なぜ衒学を鎮魂(レクイエム)するのか」については、いつか詳述したい。

対バン出演者だけでも7人の方がいた。その上、どの方も普段から共演をしている特に「最初の立会」をして頂くのにまったく不足はない「強者揃い」であったし、人数的にも十分に過ぎるほどであった。その上、こんな私のライヴに自分のお客様だけでも数名の方々が忙しい中、足を運んで下さった。実に感謝である。ソロを了解して下さった主催者の新井陽子さんや対バンの方々にも、ここで謝意を表したい。

毎回のライヴは真剣勝負だが、今回のようにまったくひとりでスポットライトの下で演奏するのは、実に、留学中にやったリサイタルで無伴奏の何曲かを演奏して以来ではないだろうか? 確かに準備した曲ではあった。だが、純粋即興と言うよりは若干のテーマと幾つかのリフ以外は“アドリブ”パートとも言うべき手法が殆どの上、曲の長さも予想できない中でのソロ・パフォーマンスだったので、正直実に緊張した。その緊張が「聴者にとっての不快な緊張」ではなく、「音楽によって起因される心地よい緊迫感」となるように、まだまだ精進しなければならないのである。

自分では録音を聴いて、良くも悪くも「なるほどこういうことか」とやや客観的に今回の演奏の質を省みているのであるが、ライヴを現場で体感した人々が、おおむね好意的に?受け止めてくれたようにも感じており、今は救われている。今後への展開を考えると、続けられそうな...というか、「続けなければならない」一つのプロジェクトとして確定したと思う。今後の展開を思うと実に楽しみなのである。

ひとりで自宅でリハしているときは、気持ちもリラックスしているので、アドリブも結果を余り意識せず、より自由に奏でられるように感じるのであるが、ライヴ本番では決まったフレームの中で、よりよい結果を、「出た所勝負」で決めていかなければならないと、未熟故に自意識過剰になるので、四面楚歌のプレッシャーの中での演奏になる。こうした、ある程度決まった枠の中での音楽というのは、譜面化された古典楽曲に取り組むのに近い難しさがある。それをこのたび深く実感した。

ディレイを使うことについては、純粋器楽演奏を至上のものと考える向き(そんな人がいまだにいればの話だが)には抵抗もあるだろう。それは仕方がない。しかし、私はこの際、他人がどう思うかと言うことは考えずにこの道をしばらく追究したい。装置を使いながらも、その目的はギミックや小手先の勝負ではなくて、装置を楽器の一部として自由に使いこなせば、音楽的な説得力を持つ。これは、ディレイを使ったソロ・パフォーマンスの大御所であるエバハルト・ヴェーバーがすでに実証しているし、自分でも遅かれ早かれ実証できることだと信じる。「装置を使うことの是非」ということは、観念上あれこれ言うことは出来るだろうが、大事なのはそれについて言葉で何が論じられるか、ということではなくて、現場で音楽が出来るか、という実践上の問題でしかない。実践している人たちにとっては「言わずもがな」に自明のことであろう。

さっそくあるお客様は「ディレイ装置も楽器なんだな(肉体的修練が必要)と再認識できた」とメールを下さった。これは、「この僕に肉体的修練がもっと必要」という意味ではなくて、「なるほどそうか」とライヴを観て思って下さったことであると、わざわざ断っている。つまり、楽器としてのディレイ操作というのもいろいろな課題があるのだ。

■ ループしてしまう「カチ音」について

今回の反省点のひとつは、ディレイスイッチを踏むときの「カチッ」という音を楽器付近の2箇所に用意した高感度のマイクが拾ってしまって、それも一緒にループしてしまうこともあった。自宅でリハしているときからある程度は気付いていたが、それが演奏会場で、あれほどの大きさで「再生」されてしまうことは、やってみなければ分からなかった。それに、それが気になる人も気にならない人も同程度の人数いた。自分は、単にペダルの踏み方に慣れていないだけと思ったが、ひょっとすると、確実に踏もうとすると、どうしても避けられないことなのかも知れない。とすれば、装置のスイッチ部に何か「カチ音」を和らげるフェルトのような緩衝材のようなものを噛ませる必要があるかもしれない。

このスイッチは、おそらく踏んだことがはっきり分かるようにバージョンアップによって敢えて新規採用されたものだ。だが、ラインで集音するエレキギターやエレキベースなら問題はないだろうが、アクースティック楽器の音をマイクで拾うということになると、無視できない要素となる。

しかし、そんなメカニカルな問題よりも、ディレイスイッチの踏み間違いは今やっているようなアプローチを続けようと思う限り、致命的であることは確かだ。スイッチのうるさくなく、しかも確実な操作というのはどうしても必要だ。

■ 演奏中の<構え>について

管楽器を座って演奏するときの<構え>というのは、僕の連れ合いがいつも指摘するように、演奏上、非常に重要なファクターであることは最近自覚が深まっている。足の開きや足の裏を地面にしっかり付けること、そして椅子にどのような深さで腰掛けるかなどは、浮つかない落ち着いた演奏をするには、実に研究の価値があることなのだ。それが、ペダルを足で操作するというファクターが加わるので、どうしても解決しなければならない。

■ リターンするループ音とリアルタイムの音について

そして、ディレイのループでリターンしてくる音の大きさと、実際に演奏しているときのリアルタイムの音量の差をどの程度付けるのか、というのが考えなければならない、より大きな課題だ。ライヴ会場では、楽器そのもののマイクを経由しない生音も聴者に聞こえているはずだが、今回ミキサーからライン取りした録音を聴いてみたら、その二つの音の間に差がないので、あれが会場で聞こえていたのだとすれば、あきらかなミキシング上の失敗である。仮にどんな良いアドリブを演奏しても、あれではリターンしてくる音量に負けてしまう。

リアルタイムの音量とループの音量の差をどうやって付けるかと言うことについては、設定と演奏中に楽器をどれだけマイクに近づけるか、という両面で解決可能だ。ループ音の音質を「痩せた」ものにしたくないという心理で、ループ音もめいっぱいマイクに近づけてしまうと、ループ音はリッチになるが、今度はリアルタイムの音との差が付かなくなってしまうというディレンマがある。これも、フット式のヴォリウム・ペダルの採用で解決可能かもしれないが、その前に、機械に頼らないなるべくシンプルなやり方でどこまで解決できるか試したい。

以下、いつもライヴ直前に配信している「告知文」を記録のために張り付ける。

(more…)